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文学の研究ってどんな意味があるの?

ノールウェーの林
2008年12月10日 21:06

師走のあわただしい時期に浮世離れしたトピックにお付き合いいただき、ありがとうございます。
私の質問は標記の通りです。
私はどちらかというと自然科学系の勉強をして、同じ系統の職業についています。学生時代には人並みに文学作品を読み、その楽しさも理解できるつもりですが、「文学研究」となると、その意義がよくわかりません。

「作家Aから作家Bにあてた書簡が発見された。これは作品aの成立の過程を理解するうえで貴重な資料である」
などといった新聞記事を見かけることがありますが、こういった文学研究は最終的に何を目指しているんでしょうか?

個々の文学作品の成立の過程を解明することで、名作に共通する創作上の普遍的な動機を解明するため…なんてことではないですよね。

このサイトには、文学好きの方や文学部で学ばれた方もたくさんいらっしゃるのではないかと思いますが、文学研究の目的や意義を教えていただけないでしょうか。

よろしくお願いします。

ユーザーID:6114275560  


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タイトル 投稿者 更新時間
文学には作家の意図しない側面がある
ピョートル
2008年12月11日 13:28

国語学者にとつて、日本文学は、日本語の成立と変遷、外国語との接触の過程を辿る最重要の文献です。
平家、保元、平治、太平記その他夥しい戦記物語はいふまでもなく史料としての価値があります。源氏は平安時代の貴族の、西鶴は元禄時代の大阪商人の風俗や生活様式を伝へてくれます。方丈記や徒然草を始めとする随筆は思想史の資料でありませう。明治大正の文学も、その時代の空気を知らぬ我々にとつては過去をたどるよすがであり、昭和平成の文学も、未来の世代が我々の生活と感情を「分析」する便りとなるでせう。

まあ私も個々の作家の生ひ立ちにも作品の成立過程にも興味はなく、書簡の発見なぞに心動かされはしませんが、文学にはいろいろな付加価値があり、さういふ研究ならたいへん有意義であると思ひます。

ユーザーID:9368364555
自然科学系でも携帯からの書き込み
Kai
2008年12月11日 16:21

趣味としか思えない研究はいっぱいありますよ。研究は必ずしも実学思考のものだけでなく、好奇心からのものもあっていいと思います。それが、もしかすると何かに発展していくかもしれないし、しないかもしれない。そんな感じなんじゃないですか?

ユーザーID:0285765863
知的欲求、文化は力
知りたがりおばさん
2008年12月11日 16:52

今の自分がいる位置を知りたいから、過去の歴史や文学を学ぶのだと思います。
社交の一種でもあります。他人とつきあうときに話題の幅が広がります。
昔、某国に行ったときには、文学教養のあることが尊敬される人間の必須条件でした。歴史や文学について話せない人間は尊敬されない国もあります。

また、文学の解釈も時代と共に変わります。
研究の意義はあると思います。
ちなみに、私は最近『源氏物語』を厳しく批判している女性の文章を読んで溜飲をさげたところです。

ユーザーID:2622195385
疑問・それに対する解決
文学少女になってみる
2008年12月11日 17:00

自然科学との共通点は、「発見する」ということですかね。
物理の法則のようなある意味「普遍的なもの」ではなくても、何か新しいor今までと違った考え方、解釈、作者の心情、その根底にある何かを発見するということです。
最初は空想に過ぎないかもしれませんが、研究者はその空想をできるだけ“論理的に”説明しようとします。その方が説得力を持つからです。
それが多くの人の同意を得られればそれなりの価値が出るし、同意を得られなければただのいち主張にとどまる。
それは自然科学でも同じことですよね。

最終的に目指すもの・・・
それはどこまでも、ある疑問に基づいた「新しい発見」のような気がします。

有名作品は、成立の過程や作者の心情、表現やその使用理由、作者の成長の背景などなどなど、研究し尽くされているものが多いです。

でも!それでもまだ自分はこう解釈するのだ!!
という自信のもとで研究発表をし、同意を得られれば嬉しいんじゃないでしょうか。

宇宙の法則だって、疑問があるから研究してる。
文学作品だって、疑問があるから研究してるんです。
「なぜ作者はこう書いたのか」。

ユーザーID:6517818050
文学部卒業です。
八重
2008年12月11日 19:19

文学研究は、成立した「時代」を知らなければ、
その作品の価値を正しく判断することが難しいと思います。

文が、文脈の中で意味を持つのと同じように、
作品は、時代の文脈の中で初めて意味を持ちます。

多くの人が何を考え、何をよりどころにし、
何を課題とし、どのように生きたか。

その「時代」の中で、作者は「作品」の中で
どのようなメッセージを発しているのか。

「蟹工船」がベストセラーになっているようですが、
プロレタリアートが見直されているのは、
今がそういう時代だからでしょう。

対照するものがなければ自分がよく見えません。
今の「時代」を知るために、様々な時代を知り、
その中の人々の息づかいを知ることが、
文学研究の意義だと、私は思っています。

ユーザーID:2325135097
私も思ってた!
まみ
2008年12月11日 21:29

私は、文学(読書)が好きだったので、大学は国文学科に入り、
近現代文学を「研究」したのですが
やればやるほど「はてな?」でした!

だって、作家本人は自分の作品や人生を
こんなふうに扱われるとは、つゆも思っていなかったはずですよね。
後世の凡人たちが
文章をこねくり回したり、
勝手に日記や手紙を公開したり。
本当に、失礼だと思います。

明治時代あたりは、「文学部で行われる研究」が
もうすこし哲学とか心理学とかの要素も持っていて、
総合的な教養とか、科学に近い性格を持っていたのではないでしょうか。
文学研究って、そういうものの名残のような気がします。

ユーザーID:1462268928
レスポンス、ありがとうございます。
ノールウェーの林(トピ主)
2008年12月11日 21:33

皆様ご指摘のことはよく理解できます。
ピョートルさま、
文学作品を国語学や考古学の資料としてとらえる、ということですね。
国語学や考古学の意義は私も理解できますので、同感です。
私がわからないのは、文学作品を読み解いていく(?)文学研究というものなのです。

Kaiさま、
実学以外の研究の重要性は理解しているつもりです。数学や物理学など、基礎科学の面白さはよくわかります。が、文学研究はなんだか違うような気がしてなりません。

知りたがりおばさん、
現在の立ち位置を知るために文学を学ぶ、
だとすると、それは文学をテクストとした社会学ではないでしょうか。

文学少女になってみるさん、
「普遍的なもの」。そう、私の気にかかっているのもそのことです。
文学を新しく解釈することは「発見すること」ですが、普遍的なものとはいえないのではないでしょうか。

ちょっと文字数が足りなくなってしまいました。
稿を改めて私の考えを述べたいと思います。

ユーザーID:6114275560
文学研究に普遍性はあるのか?
ノールウェーの林(トピ主)
2008年12月11日 21:52

文学少女になってみるさんが挙げられた普遍性ということが一番のキーワードですね。

私の理解している範囲では、文学研究というのは、
ある文学作品の成立の過程を解明したり、作品間の相互関係を明らかにしたり、作家・作品とその時代背景の関係を論じたりするもの、です。

数学や社会学などの学問分野は、主題を通じて「普遍的なもの」を発見することを目的としていると思います。
それに対して文学研究は、いくら突き詰めていってもそのテクストである文学作品の枠内での議論にしかならないのではないでしょうか。

源氏物語の解釈をいくら新しくしても、その議論は源氏物語を解明するだけで、普遍的な意義を持っていないのではないかと思うのです。
「紫の上は実はこんな女性だったのだ」ということを明らかにしても、それは源氏物語の中だけで意味を持つことでしかない、というと言いすぎでしょうか。

文学研究に普遍的な意義はあるんでしょうか。あるいは、
普遍的な意義を持たない研究って、どういう意味があるんでしょうか。

引き続きお考えをお聞かせいただければ幸いです。

ユーザーID:6114275560
なーんにも役に立ちませーん。携帯からの書き込み
国文卒
2008年12月12日 0:22

でも、役に立たないことの中にこそ何か大きな意味があるのかもしれないと思っていますよ。

文学とはかけ離れた仕事をしています。同期は実用性の高い学部卒業の人がほとんどです。
狭い社会の中のことでじまんにはなりませんが、私がダントツで出世頭です。
「人間力が高い」と会社のトップに言われたことがあります。
文学研究は作品を通して他者の思考をトレースし、擬似体験し、分析します。
その経験が私は仕事に役立っているように思います。

ユーザーID:1359991220
私も理科系です。
江戸紫敷布
2008年12月12日 0:33

私も学生の頃、読書は好きでしたが、文学部の方々とはちょっとうまく波長が合わないみたいと思ってました。

さて、最近、大野晋著「源氏物語」を読みまして、目からうろこ状態です。何より面白かったですし、あれほど有名で、研究され尽くしているであろう「源氏物語」が、まだまだ研究の余地があるのだ、と言うこと、紫式部という一人の人間の心にまで迫る内容は興味深かったです。

何よりも研究のなされ方、理論の展開が非常に論理的で、説得力があり、何も知らなかった私でも良く理解できました。

一読をお勧めします。

ユーザーID:0858931869
解釈する
kiki
2008年12月12日 1:56

自然科学の人がよく陥る思い込みだと思います。
自然科学では、何か(主に因果関係)を「説明する」ことに意味を見いだします。
一般化(理論化)して検証するといういわゆる「科学的手法」は、要するに、何事かを説明することです。

文学などでは、説明を目的とする場合もありますが、多くは「解釈する」ことを目的とします。
つまり、学問としての方向性がまるで違います。
解釈の場合、一般化とか理論化には大きな意味がないです。
ただ一人、ある創作者の、ある作品を解釈することに意味があるわけです。

じゃあ、解釈とは何かということですが。
よく高校までの国語とか現代文の問題に、この作品のこの部分の作者の意図を説明せよ、みたいな問題がありましたよね。
ある作品には、その作者のメッセージが込められているという前提で出される問題です。
大学以上の文学では、さらにその先まで行きます。
作品には、作者が意図して込めたメッセージだけでなく、作者の生きた時代や、場所や、経験などが、作者の意図せざる形で作品に込められています。
それを解釈することを目的としているわけです。

ユーザーID:8138726420
人間を、己を知る
リラ
2008年12月12日 2:38

浮世離れ、していますか? 私は途中で自分が進むべき道ではない、と諦めましたが、人生をすべてささげても研究しつくせない広大で深い世界だと思いますよ。
英米文学を学んでいたので、根底の理解にはキリスト教やギリシャ神話も必要とのことで、本は読んでみました。ある先生のお話で、「文学はプロットでなく○○だ」、という分かりやすい解説に感銘を受け、自分でもそれらしいものを、と小説や詩など書いてみたりもしました。
社会人になってから、三島由紀夫の『音楽』という作品を読み、作家とはここまでの自我や強い内面を持ち合わせていなければならないのか、と衝撃を受けました。

芸術に目的はない、と横尾忠則さんがおっしゃっていたけれど、芸術や文学をよりよく理解しようと研究することは、人間がどういうものか知る、己を知ることにつながるのではないでしょうか。

キリスト教文化圏で暮らしていますが、「ミシマを読んだか?」と聞かれたことがあります。「ええ! すごい作家ですよね。」とほぼ初対面の人とでもある種の共感を持って話すことができる、しかも奥深いところで・・・となかなか『音楽』的で密やかな体験でした。

ユーザーID:3821318769
トピ主さんに質問させてください
知りたがりおばさん
2008年12月12日 16:26

自然科学系の勉強をして、同じ系統の職業についていますと書いておられますが、その意義はおわかりになっているのですね。
文学研究の意義や目的が本当にわからないとは考えられないのですが……。

文学研究なんて、人間の知識欲を満たすものにすぎませんよ。
でも、これが社会生活のうえで力を持つことが多々あるのです。
トピ主さんはありませんでしたか?
何故と思ったことを知りたいのは人間の本能だと思います。

ユーザーID:2622195385
それは文学が心で出来てるから
対象Z
2008年12月12日 18:25

研究に値する文学とは、サンプルに値する文学という事です。

人がつくったものをサンプルにして、詳しく分解する事で、
その組成を理解する。分解されるものは人間の心です。

そもそも文学は心が作り出した虚構であり、読む人がそれを
評価したという事は、その嘘は、第三者と共有できる
嘘であるということです。何故、事実でもない
その虚構を、多くの他人が共有できるんでしょう?

しかも実際には、共有していないのかもしれない。
また、何通りもの解釈が可能で、思ってもみない所で
別の共有要素が隠されているのかもしれない。

その時代や社会や心理状態において、作者がその虚構を
作り出した。その現象そのものと、描かれたものを
通して見えるもの。それは他の時代や現代や別の作者や
読む者と、何の齟齬があり何が共通なんでしょう。

1つのサンプルを追求する事で、その先に見据えるのは
人間の内的な普遍性です。

ユーザーID:9038986632
普遍ではなく個を掘り下げる学問
さくらんぼ
2008年12月12日 19:36

kikiさんのレスに既にありますが、私も自然科学や、社会科学と文学の目指す方向性は全く違うと思います。

自然科学も社会科学も、大雑把に言えば、様々な現象に共通する法則を取り出し、普遍的なモデルを発見するのが目的だと思います。
文学は、限られた記号で構成されたテキスト(場合によっては図像や音楽)の中に、無限の解釈の可能性を見つけ出すことを目的にする学問です。
そもそも、数学や物理のように、文学解釈には唯一絶対の正しい答えなどありません。

私は、文学研究者の役割は、読者とテキストと作者との間に、橋を架けることなのだと考えています。
例えば、シェークスピアの生きた時代、その演劇の背景となった社会、そこに使われた言語と、現代日本の読者のそれとには大きな隔たりがあります。
その隔たりを多少なりとも埋め、シェークスピアのテキスト、ひいては作者自身を読者の側に、少しでも引きつけ、読者自らが解釈に能動的に参加する手伝いをすること、それが文学研究者の究極の仕事ではないかと思います。
様々な個々の相違を超えて、遠くの他人に共感する力、それを探すのが文学です。

ユーザーID:7681693835
ただし訓詁学といふことも必要
ピョートル
2008年12月12日 19:55

「私がわからないのは、文学作品を読み解いていく(?)文学研究というものなのです」

しかし、作品の正確な理解が基礎として必要であります。作者の言はんとしてゐるところを誤解してゐては、その先の研究が成り立ちません。論語でも古事記でも、まづ訓詁学から始まります。

同時代の小説ばかり読んでゐると易しいのでピンと来ませんが、古語にせよ外国語にせよ、我々が使用してゐる言語とは隔たつた、背景の風俗も生活も常識も政治制度もまるで異なる作品に対しては、「何が書いてあるのか」を読解するところから出発しなければなりません。万葉も源氏も、これだけ研究を重ねながら、まだ解釈の定まつてゐない単語や文章があります。近代の小説ではどうでせう。谷崎ならまあたいていの人が読みこなせるでせう。しかし鴎外となると?今の人はかなりむづかしいと感じてゐるのではありませんか?そして現代の小説だつて1000年後の読者には、ちんぷんかんぷんになつてゐるかも知れません。

専門家が地道な研究の成果として、本文の脇に注釈・語釈を加へてくれるわけです。一般読者にとつて有難いことではありませんか。

ユーザーID:9368364555
普遍化に意味があるとは限らない
ねね
2008年12月12日 22:25

理系の人が勘違いしやすいことですが、学問は普遍化(一般化、理論化)をしなければならない、というのは思い込みです。
なぜ普遍化しなければならないのでしょうか?
文学や、あとは音楽や美術なんかもそうですが、普遍化には意味がない学問があるんですよね。

たとえば、クラシック音楽は、何百年も前の人の作曲した作品を繰り返し、今でも演奏し続けていますよね。
音楽を学んでいる人、あるは演奏家は、音楽の普遍的な法則などを明らかにするのではなく、何百年も前に作られた作品を「解釈」し、何度も何度も繰り返し演奏しなおしているわけです。
それに意義がないのかというと、そうではないから、みんなクラシックコンサートにお金を払っていくわけでしょう?
演奏するのは同じ曲なのに、バーンスタインが解釈し指揮するクラシックには、他の指揮者にはない何かがあるから価値があるわけです。

文学だって、たとえば古典文学の研究者は、他の人がそれを読んだのとは違う解釈をしうるから価値があるわけです。
自然科学では、科学的な発見や理論化に価値があるわけですが、そうではない学問もあるんですよ。

ユーザーID:0902875700
なぜ哲学・社会学・経済学は「文系」なのか?
ハトリ
2008年12月12日 22:30

昔、大学から文学部をなくそうという風潮がありました。
その時に文学部の教授が言った反論はこうです。
「文学を研究するということは『なぜ生きるのか』ということを追究することだ。それを潰すということは、人が生きる理由を考えなくなることだ」と。
トピ主さんからそれは社会学ではないかというコメントもありましたが、そもそも文学を含めた文系と呼ばれる分野はおしなべて人間について考える学問です。ただ、その方法が思考(哲学)であったり分析(社会学)であったり表現(文学)であったりするわけです。

そこに普遍的な意味がなければ、知りたいと思ってはいけませんか?
そのことについて考えたいと思ってはいけませんか?
価値がなければ、研究してはいけませんか?
利益に結びつかない研究は、無意味ですか?
明確な目的がなければ、研究とはいえませんか?

トピ主さんの疑問は、この問いに対するトピ主さんの答えと理由が解決してくれると思います。

ユーザーID:4249467166
そもそも研究自体がそういうものなのです。
yann
2008年12月13日 1:06

文学に限らず、物理化学等々研究自体が、やってる本人以外
なぜ、何のためにと思うようなものでよいのじゃないですか。
おわんクラゲから発光蛋白を見つけ、ノーベル賞を受賞した
研究でもやってる本人はノーベル賞を取ろうとか、世の中の
役に立つ研究だとは思っていなかったようです。
本来、研究とはそういうものだと私は思っています。
趣味の延長線上にあり趣味に比べて違うところはとことんその研究に
没頭するところだと思います。

ユーザーID:9446989740
普遍性・・・
文学少女になってみる
2008年12月13日 9:52

トピ主様、ご返答ありがとうございます。
一つの文学作品の枠を出ないのでは?ということですね。
答えはNOです。
というか、枠を出そうとするのです。

紫の上はこんな女性だった―ということがわかったら、多くはそれを現代に投影します。もちろん現代でなくても江戸でも明治でも戦国でも。
投影しなければ、おっしゃるとおりなかなかその作品の枠を出ず、身近には感じられないでしょう。
投影していくと、「現代でいうと彼女はどんな立場なのか?」とか「女性は紫の上をどう思うか?」などを考えるようになります。
そうして、平安時代の宮廷に生きた女性と、平成の世で生きている女性の共通点、相違点がわかります。
そこから「女性の」普遍性を見出す。あるいは「愛される女性の」普遍性、「恋をする女性の」普遍性を。。
対象Zさんがおっしゃっている「人間の内的な普遍性」を見出す、まさにその通りだと思います。
ただ、その普遍性は物理的実験や根拠では証明できません。
人間の内面を語ることなので、それは唯一の物理的要素である「書物」をどう読み解き、説明してどれだけ多くの人を説得できるか、ということです。

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