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「ひよっこ」世代の方と時代を語らう。 携帯からの書き込み

霧子
2017年5月15日 14:28

トピを開いて下さり、ありがとうございます!

先日、住んでいるマンションの正面玄関で、顔見知りの奥さまとNHKの朝ドラ「ひよっこ」の話になりました。
この奥さまは、ドンピシャ「ひよっこ」世代の方。私は40代ですが、父が団塊の世代ですので、時間が合えば、朝ドラを見ているのです。

小一時間ほど盛り上がったところで、私は買い物帰り、相手の奥さまはゴミだしの途中であると気づき、解散となるところに別の奥さまも参加。
こちらは団塊の世代の終わりの年齢とのことで、また違った話が聞けて、3人で大盛り上がりしました。

小町にも、同じ世代の方が参加されていると思いますが、「ひよっこ」はいかがですか?

上記の奥様方は、かなり楽しく、そして、なにより懐かしく見ておられるようです。
上京して初めて入った喫茶店、洋品店、靴屋。それらは、田舎しか知らなかった二人には、外国どころか次元を越えた世界だったそうです。
皆さんもそんな感じですか?
ドラマを見て、「あ、これは同じだ」など、思っていらっしゃるのでしょうか?

せっかくですから、お話をお聞かせください。

ユーザーID:1995878187  


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録画して観てます携帯からの書き込み
デコポン
2017年5月15日 21:10

フルタイムで働いているので、録画して観ています。

昭和40年、私はまだ2歳でしたが幼稚園の頃実家で鶏を飼っていて産みたて卵を食べていたのを懐かしく思い出しました。

ユーザーID:5940692729
なつかしい
ひよこぴよ
2017年5月15日 21:38

私(60・男)は「ひよっこ」の世代より10年若いですけれど、まず番組冒頭主題歌の背景画像(いろいろな物を使って街並みを表現している画像)そのものが私が幼児期にしていた遊びと全く同じなので「びっくりポン」です。

現在の番組はトランジスタ・ラジオ製作工場ですが、あの当時の女性従業員は

「トランジスタ娘」

と呼ばれていましたね。あの当時、トランジスタ1個がだいたい1000円と非常に高価でした。電子部品になじみのある人なら、

「あのトランジスタは 2SC372 あたりだろう」

などと気が付いたと思います。私は「ひよっこ」より10年後輩にあたり 1975/4 高卒で就職しましたけれど、番組の情景とよく似ています。

私は名古屋市在住で喫茶店の多い地域に住んでいますけれど、学生時代に喫茶店へは行ったことがないんです。

当時就職して、たまたま最初の職場が電話線工事、電話工事を担当する電話局でして、当時は毎日のように喫茶店新築開店で電話開通工事に伺い、そのときに初めて喫茶店でコーヒーを飲みました。

私も転勤で東京都に2年間住んでました。

ユーザーID:5481528810
トピ主の霧子です。携帯からの書き込み
霧子(トピ主)
2017年5月15日 22:57

続きを書きたいと思います。完全な雑談ですが、よろしければ、このままお付き合いください。

トピにあったお二人なのですが、仮に一人目をAさん、二人目をBさんとさせていただきますね。

お二人とも、東北(他県)の出身です。
Aさんは山奥の集落の出身で4世代家族。兄二人の三番目で、子供の頃はお兄さんのお下がりばかり着ていたそうです。
物心ついた頃から、物に満たされた生活をしたことがなく、中学卒業と同時に集団就職で上京されました。
ドラマの中で、駅で行き交う人の多さとスピードに圧倒された主人公が、友人と手を繋ぐシーンでは、Aさんも全く同じだったとか。
こんなに沢山の人が、ものすごいスピードで動いているような都会で、やっていくことができるのか、一発で自信をなくされたそうです。
でも、会社に向かう前に、迎えの社員の方がAさんたちを喫茶店に連れていってくれて、生まれて初めて食べたアイスクリームの美味しさに、全身が生まれ変わったような衝撃を受けたそうです。
それまでは、冷たいものと言えば、雪かただの氷しか知らなかったから、と笑っておられました。

ユーザーID:1995878187
トピ主です。続きです。携帯からの書き込み
霧子(トピ主)
2017年5月15日 23:09

Bさんの方は、Aさんほどのカルチャーショックはなかったものの、それでも東京の人、物の多さに目が回りそうだったとおっしゃいました。
さらに、密かに驚いていたのは音の多彩さ。車の音、電車の音、人の話し声、それから何だかんだよくわからない音まで、あっちこっちから始終聞こえるし、休日のデパートには音楽が流れていて、まるで別世界。
そんな中に、ふと、すれ違い様に、誰とも知らない懐かしい東北訛りの声を聞き、父親を思い、泣いてしまったこともあるそうです。

と、いう話をご近所さんから聞いて、とても興味深かったし、勉強になったよ、と実家の母に伝えたところ、溜め息をつれました(笑)。また、そんなに長い間付き合わせるなんて、加減を知りなさいと、注意を受けました。
昔から、好奇心を押さえられない性格です。
図々しかったと反省しつつも、やはりお話を聞けて良かったと思っていますし、皆さんのお話がこちらに上がるのを楽しみにしてしまいます。

ユーザーID:1995878187
妹弟世代です
わかば
2017年5月16日 9:05

同時代を生きてきたので、毎日楽しみに見ています。
小学校1年生の時に東京オリンピックがありました。
なので、みね子の弟くらいの世代でしょうか。

今日は上野駅で澄子を皆で探し回る回でしたが、ひとつ気になることが・・・。

病院で澄子が食べていたバナナ。ナレーションでは、バナナはこのころとっても高かったと・・。

昔はバナナはとても貴重品で、病気の時とかしか食べられなかったという話は聞いています。 でも、物心ついてからの実感として、そんなことはありませんでした。
そこで、ちょっと調べてみるとバナナは1963年には自由化されていました。東京オリンピック前年ですね。自由化されて2年も経っていますが、当時はまだ高価なものだったんでしょうか。幼かった私が気が付かなかっただけなのかな。 当時、もう金銭感覚のはっきりしていたお姉さまがた、どうでしたか?

ユーザーID:1751107363
あの時代そうでした。
ひよこ豆
2017年5月16日 10:22

主人公みね子と同じ年の姉が(20代で事故死)、ダブって見えて毎日観ています。
私は数歳下ですが、同じ時代を生きているので、全てがあのような時代で、「そうだわそうだった〜!」と思い返しながら、時にはウルウルしながら観ています。

今朝(16日)のバナナの話もそうです。風邪などで寝込んだ時だけにしか食べさせて貰えない貴重なバナナでしたよ。
今は飽きるほど食べられるバナナですが・・・

街並みや洗濯機など(洗濯機に付いているハンドルを手で回して洗濯物を絞っていた)、懐かしいものが見られて、感動しています。

ユーザーID:9465123195
「こんなうまいものが世の中にあったのか」体験
れんこん
2017年5月16日 23:14

私は昭和34年生まれ。
まさに、脚本家の岡田さんと同年齢なんです。

「ひよっこ」でいえば、みね子の弟の進くんと同世代かな。

我々より少し上の世代の人はよく
「東京へいって初めてハンバーグステーキを食べて、こんなにうまいものがあったのかと驚いた」
「洋食屋でアルバイトをして、ポタージュスープを飲んで驚いた」
という、食の驚き体験をしているんですよね。

まさに、みね子の驚きと同じです。

みんな貧しかったですが、それゆえにいたるところで
新鮮な驚きをたくさん味わえて、
幸せを実感できる時代だったと思います。


前作と前々作が、戦後〜昭和を描く話でありながら
さまざまな描写がまるっきり絵空事で、
やはり平成育ちにはわからないんだろうと思っていたので
今回は本当に楽しいですね。

ちなみに私は、中学2年生の冬休みにお年玉をもって友達と原宿に行き、
ケンタッキーフライドチキンを食べた思い出があります。
日本第1号店でした。そりゃあもう「なんだこれ」ってぐらいうまかったですよ。

みね子たちでいえば、21〜22歳ぐらいのことになるでしょうか。

ユーザーID:3102099097
アラ還の私。
若葉
2017年5月17日 23:19

みね子がもらった初給料、手取りで6500円でしたね。
余りにも少額なのでこのドラマの時代設定はいつだろうと思いました。
でもその中から5000円を田舎に仕送りする関心な子ですね。
親は使うのがもったいなくて、みねこの名で貯金をしただろうなと想像した私です。

さて、友人や私が結婚前に働いていた当時、親元に仕送りしていたかどうかで話が
盛り上がりました。結果は初給料とかボーナスをたまに送っていたぐらいだったかしらとは
ほとんどの友人の話。

今時の子はどうなんだろう?
ちなみに3人いるわが子から仕送りしてもらった事は一度もありません。一度、旅行券とか服は買って
もらったから良しとしましょう。
一般的に生活が昔と違い豊かになった事が一因かもしれませんね。

懐かしさが頻繁によみがえってくるドラマです。

ユーザーID:7694211292
みね子より6歳年下ですが
W
2017年5月20日 0:38

同じく東北の小さな町で育ちましたがAさんの例は
かなり特殊なのではないでしょうか?

同級生で中卒は2〜3人程しかいなかった様に思います。

小学生の時から大学には行くと思ってましたし高校は
進学校でしたので同級生も殆ど大学進学です。

列車で30分の所の市にはデパートがあり休日におしゃれして出掛けて、
最上階にある食堂で食事をしソフトクリームを食べるのが楽しみでした。

小学一年の時にテレビを買って見てましたので田舎に住んでいても
東京の情報は共有していたと思います。

高校の規則は厳しく喫茶店に入るのは禁止でした。

喫茶店に入るのが不良という価値観でした。

グループサウンズの影響でエレキギターをしてるのも
不良のレッテルを張られた様に思います。

教育熱心な親だったのか小さい時からピアノも習ってましたし
いいとこの生まれではありませんが知的レベルの高い所だった
様に思います。

近くに開拓地があり他所から入植した方もいて違う価値観の方が
入る事で活性化してたのかもしれません。

みね子が持ってるバッグは懐かしく感じました。

同じ様なものを使ってました。

ユーザーID:9849958880
私は50代ですが、楽しんで見てます。
犬のスーさん
2017年6月2日 9:19

霧子さん、はじめまして。

前作「べっぴんさん」がいまいちだったので、楽しみに待っていました。
私は50代ですから、ちょうどまさにラジオの工場でのシーンと同じころに生まれました。
今日の放送回では、豊子が「いやだ」などと言いながら工場に閉じこもりました。
それでも愛子さんはじめとした一同が説得してようやく出てきました。
今どきではかなり少なくなりましたが、当時は集団就職で、中卒は「金の卵」なんて言われていた時代だったそうですね。
豊子は中学校で成績優秀だったにもかかわらず、家庭の事情で仕方なく就職し、つらい思いを抱えてたのが最後になって出てきたんだなと思います。
今後の展開にも期待しましょう。

ユーザーID:5344115243
下町の工場の娘でした。
よちよち
2017年6月2日 16:49

しばらく小町にご無沙汰してましたが、「ひよっこ」の話を誰かしてないかなと検索して参りました。
だいぶ時間が空いてしまいましたが、失礼いたします。

私は、みね子の妹くらいでしょうか? 東京オリンピックは小学校5〜6年頃です。
小学校の近くの道路に聖火ランナーが通りました。
先生の指示で小旗を白紙と赤クレヨン、割り箸で作り、ランナーを迎えましたが、あっという間に通過して行ってしまいました。

家は、小さな縫製工場でした。物心付いた頃からお姉さんたちが一緒に住んでいました。
お姉さんたちの出身は、まさにあの通りです。
ドラマのように宿舎が別に有り、コックさんがいるなんて、恵まれています。
私のところでは、母が仕事もしながら、ゴハン作りしていました。

盆休みや正月休みで故郷に帰り、そのまま戻らないお姉さんがポチポチいました。
そりゃそうですよね。里心付きますって。若いんだもの。

今と比べて昔の東京―東北間は、とても遠く感じられたでしょう。
列車の速さ、道路交通、テレビ内容の発達、情報、ケイタイ、ネット・・・
今は、とても近く感じられるようになりました。

ユーザーID:5873134003
生まれた年です
昭和40年生まれ
2017年6月3日 20:20

私が生まれたのが昭和40年の年末。
なので、みね子たちの時代を興味津々で見ています。

父母はみね子よりちょっと年上。
母は高校卒業後にまず大阪に集団就職で実家を離れ、その後親類を頼って東京へ出てきました。

なので、母もこんな感じだったのかなあとか、自分が生まれたときってこんな感じだったのかなと思ったりしてます。

自分が小さいときも
・洋食屋さんは相当ごちそうだったなあ。
・アパートの四畳半一間(トイレ共同・風呂なし)に夫婦子供3人で住んでる人がいたなあ。
・母はソーダフロート好きだなあ。
とかいろいろ。

今日の放送のあたりの時期でそろそろ私が生まれています(ふふふ)。

ユーザーID:5644629677
みね子さんは恵まれいる方かな
なんとも
2017年6月4日 15:23

 私は男です。昭和39年の東京オリンピックの時に聖火リレーに参加しました。聖火ランナーは高校生で、中学生が聖火の後ろを日の丸の小旗を持って走ったのでした。

 その頃に中学校を卒業して就職をしていった人たちのほぼ全員が中小や零細企業でした。大きな企業は紡績工場でした。女子の多くが紡績工場へ就職していきました。

 ですから、みね子さんは恵まれた職場に就けたので、うらやましく思いながら観ています。

ユーザーID:9087753008
トピ主です。携帯からの書き込み
霧子(トピ主)
2017年6月12日 1:32

前回より間があいてしまい、失礼しました。
トピ主の霧子です。

皆さんの思い出話、どれも楽しく読ませていただきました。
正直な感想ですが…私は皆さんが羨ましいです!
時代の変化を直に体験されたこと、歴史的イベントに立ち会えたこと、その感動は一生ものではありませんか!?
いいなぁ!羨ましいなぁ!以外の言葉がありません。
私も一応、IT革命という、時代の変化を体験した者ではありますが、大騒ぎしたわりには肩透かしを食らった印象がぬぐえません。当時、「これで紙の文書の時代が終わる」と言われつつも、実際には各種支払い明細がなくなったくらいしか、私の生活に変化をもたらしませんでした(笑)。
あとは、ゲーム業界は躍進しましたね(笑)。

それはさておき。
今日は母の話を書きます。

母は、団塊の世代のすぐ下の世代です。
母の就職先は、超有名百貨店でした。女子の花形職業だったらしいです。
仕事帰りには洋裁学校に通い、レストランで友人と食事をするという、なかなか優雅な生活をしていたそうですよ。
一方で、実家通いだったため、地元の終電、終バスを逃さないためにダッシュの日々だったようですが。

ユーザーID:1995878187
トピ主です。その2携帯からの書き込み
霧子(トピ主)
2017年6月12日 1:34

当時、母の実家あたりでは、まだまだ喫茶店や映画館に行くことが不良行為と言われていたので、すごーく見に行きたかった吉永小百合さんの映画を諦めざるをえなかったと、未だに悔しがる母なのです。
仕事仲間の中でも、田舎の子だけが行けず、それだけ農村部と都市部の親世代の意識は違ったんだよ、とのことでした。

私だったら、行ってしまいますけどね。
それは今の感覚で、母の時代には、親の言いつけに逆らうなんて、あり得なかったのかもしれないですね。
まあ、母にもそんなウブな時代があったということでしょう。
今は貫禄たっぷりのおばあちゃんですが。

さて、「ひよっこ」は、新たな舞台に移りましたね。
私は大家さんから目が離せません。毎回、出てくれないですかねぇ。

ユーザーID:1995878187
皆さんのお話がほんとうに興味深いです
42年生まれ
2017年6月14日 0:25

 自分が生まれる前後の昭和時代が舞台になっているという事で、ドラマ開始前から楽しみにしていました。茨城編の最初の方で東京の工事現場で事故があり、美代子さんとみね子がいてもたってもいられず電話を掛けたシーン、市外通話をつないでもらうのに30分以上かかったとナレーションが入った時は、思わず実家にTELして、かつて電電公社の交換手だった母に「そうだったの?」と聞いてしまいました。市外通話が地方まで完全に自動化されたのは70年代後半ぐらいと聞いてびっくりしました。谷田部家には電話がなく離れた家まで借りに行ったのも、そういえば私が小さかった頃、ドラマより10年ばかり後でもまだ電話番号の抜き書き帳には「呼出」と〇するところがあったので、アパート住まいのお宅などは自宅に電話をひいていなかったんだなぁと思い出しました。

 すずふり亭編が始まってドラマ内ではただいま昭和41年。最終的にはどのあたりまで時代は進むのでしょうか?みね子達ひよっこの成長っぷりだけでなく、大きく変ってゆく時代背景にも興味が尽きません。こちらのトピでも、もっともっと当時のリアルなお話が拝見出来たら良いなと思っています。

ユーザーID:7340326975
ひよっこ世代より少し後
パインガーデン
2017年6月16日 14:35

毎回楽しく見ています。

自分は37年生まれで小さかった頃は母方の実家で祖母も一緒でした。
昭和40年代、祖母が同じ敷地内に木造2階建てのアパートを持っていました。家賃は、大家である祖母に毎月直に支払いに来られていました。

アパートはそれぞれ一間でそれに小さな台所とトイレだけ。お風呂はなしでたぶん近くの銭湯を利用していたと思います。入居していたのはご夫婦とか近所で働く独身の単身者でした。電話が部屋にある人はいなかったと
思います。

電話の「呼び出し」はたまにありました。
自宅玄関から少し上がったところに黒電話を置いていたので、呼びに行って上がってもらってそこからかけたり受けたりしていました。どうしても必要な時だけです。

通話が終わると恐縮そうに10円玉を1枚か2枚置かれて行ったのをおぼえています。

ひよっこ、場面展開が早いですね。乙女ちゃんたちもう少し見たかったな。これからどうなっていくのか楽しみです。

ユーザーID:6441752879
2回目の投稿です。
よちよち
2017年6月24日 16:43

昭和39年の東京オリンピックの事で、書ききれてなかったことがありましたので、もう一度レスさせていただきます。

家の白黒テレビで開会式を観ていました。
自衛隊の飛行機が、青空に五輪のマークを煙で描きました。
でも白黒テレビなので色はわかりません。
そこへ「外から見えるぞ!」と兄の声。
慌てて玄関を出たら、斜め上の空に五輪のマークが見えるじゃないですか!!
もちろんカラーです。

アラ還になってから、遅まきながらひとつ疑問がわきました。
待てよ、こっちは東京の隅っこなんだから、いくらなんでも五輪のマークが見えるはずがない・・・なんか位置がヘンじゃないかしらん?

まもなくNHKの番組で、その秘密がわかりました。
国立競技場の真上では、観客全員から五輪が全部見えない。
その為、ワザと下町寄りの空にマークを描いたということです。

そうそう、あの開会式は、学校のクラス委員ふたりが招待券をもらい、見に行きました。
去年、高校時代の人たちと会った時に、オリンピックの思い出話が出て分かったのですが、当時オリンピックの券を東京都が都内の学校に配ったらしいです。
私の小学校は開会式で(たぶん6年のみ?)クラス2枚の割り当てでしたが、他の学校では、柔道競技でクラス全員とか、卓球とか・・・
ガラガラだったとか・・・そういう券だったみたい。開会式はラッキーでした。

ただし私は何も見に行ってないので、今度のオリンピックは大人買いして見に行こうと思っています。

ユーザーID:5873134003
 
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