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足利尊氏

又次郎
2017年6月3日 19:22

私は、足利尊氏が好きです。

政治的な人物としては、日本史では、ベスト3に入るくらいです。

関東から九州にまたがって戦いを繰り広げるスケールの大きさは、どこか、大陸的な感じがします。

また、佐々木道誉のような一癖のある人物を従えるなど、人間的な魅力もあったと思います。

皆様のなかで、足利尊氏が好き、そのような方から、色々教えて頂けたらと思います。

わたしは、さいとう・たかおさん、岡村賢二さんの漫画で読んだのと、1冊にまとめられたものですが、太平記を読みました。

ユーザーID:5658785833  


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レス数:16本

タイトル 投稿者 更新時間
私は南朝が好き
左中将
2017年6月3日 22:09

トビ主さんのHNが「又次郎」ですか。尊氏のことをよくご存知のようですね。
さしずめ尊氏の弟分といったところでしょうか?

私は南朝びいきです。中学生の頃は新田義貞が好きだったのですが、彼は徳が
無く特に戦上手という訳でもないので、名和長年や楠正成、北畠顕家の方が
好きになっていきました。

で、今現在は誰が好きかというと、南朝の絶対的な指導者であった北畠親房で
すね。彼がいなかったら、あっという間に南朝は北朝に白旗を揚げていたでし
ょう。

ユーザーID:4313185893
一座の工夫携帯からの書き込み
湯川
2017年6月3日 23:11

足利尊氏公は、梅松論によると、どんなに疲れていても、どんなにお酒を飲んでいても、寝る前は納得するまで坐禅されたそうです。

いつも、冷静な判断力が出来るように毎日訓練されていたんですね。

「一座の工夫」で調べてみて下さい

ユーザーID:5034975034
ドラマ太平記
姫だるま
2017年6月4日 3:27

あの時の真田広之すてきでした。故義父が太平記にエキストラとして出たのを無邪気に自慢していたのを思い出しました。

ご存知でしょうが栃木県足利市に足利学校、ばんな寺など尊氏関係の物が、群馬県太田市には尊氏の従兄弟新田義貞、叔父の新田義重関係の生品神社、太平記の里などが有るので機会が有ったら立ち寄ってあの時代に思いを馳せるのも一興かと思います

ユーザーID:8521040252
人から担がれるほどの器
抜刀隊
2017年6月5日 10:03

足利尊氏は確かに西に退いてから勢力を再興して最終的に勝利しますから、
単なる戦上手のような「兵に将たる器」というよりも、なんとなく漢の高祖の
ように「将に将たる器」であるように思えますね。

ただ、大陸と決定的に違っているところは、あくまで各地の土地から地生えで
出てきた勢力たちの上に、神輿のように乗るということで勢力をつくった点で、
大陸のように「他人の上に乗ればそれがすなわち専制権を持つ」わけではない
というところでしょうね。

そういう領主たちに配慮する必要があり、恩賞としての土地は気前よく分け
ざるを得なかったからこそ、室町末期には将軍家の土地が少なすぎて兵力が
足りず、部下である筈の大名が幕府を侮り統制がとれなくなってしまった。

ところで、皇国史観的な考え方からすると楠正成こそ忠臣で、足利尊氏は天皇
の権威を蔑にした悪人扱いでした。

幕末の戊辰戦争を指揮した稀代の用兵家大村益次郎も、西郷の反乱を予見し
「足利尊氏のごとき者が九州から出てくるのに備える」として大阪に四斤山砲
を集積させたのは有名ですよね。

でも私は、西郷含めそういう人物こそ面白みがあると思っています。

ユーザーID:7137527495
私には気の毒に思われました
又次郎
2017年6月5日 17:59

レスありがとうございます。

>で、今現在は誰が好きかというと、南朝の絶対的な指導者であった北畠親房で
>すね。彼がいなかったら、あっという間に南朝は北朝に白旗を揚げていたでし
>ょう。

北畠親房は、惜しい最後を遂げたようですね。

懸命に後醍醐帝の期待に応えようする姿は、若者らしい混じりけのない忠心を示していて、私には気の毒に思われました。

>中学生の頃は新田義貞が好きだったのですが、彼は徳が
>無く特に戦上手という訳でもないので、名和長年や楠正成、北畠顕家の方が
>好きになっていきました。

義貞の鎌倉入りは、映画十戒のクライマックスシーンにも似て、なかなかの名場面だと思います(但し、私は映画十戒は観ていません)。

因みに、楠正成は、新田義貞を追放して、尊氏を中心に政権を運営すべきだと後醍醐帝に進言したと何かの本で読んだ覚えがありますが、はっきりしたことは覚えていません。

九州へ落ちていった尊氏を追撃する機会を逃したのは、義貞のために、残念な事だったと思います。

ユーザーID:0800842160
勉強になります
又次郎(トピ主)
2017年6月5日 18:59

湯川様

レスありがとうございます。

>「一座の工夫」で調べてみて下さい

書籍も出ているようで、気に入ったものがあれば、読んでみます。

因みに、私の読んだ漫画にも、尊氏が座禅を組んでいるシーンがあったように思いますが、それが、教えて頂いた事を表しているのかも知れません。

勉強になります。

ユーザーID:5658785833
行く機会があれば、何よりと思います
又次郎(トピ主)
2017年6月6日 10:47

姫だるま様

レスありがとうございます。

大河ドラマで太平記があったのですね。

ネットで検索してみたら、今でも、最高傑作との評価もあるようですね。

「平家なり太平記には月を見ず」

などの言葉もありますが、そんな事でもないように思います。

土岐頼遠は、乱暴者の印象がありますが、どこか真直ぐな感じがして、私は好きです。

先に挙げた佐々木道誉や高師直など、個性の強い人物を上手く使うあたり、政治家として、そうとう優秀な人物だったのではないかと想像します。

中世の武将の城館として、足利屋敷が紹介されているのを雑誌で見たことがあります。

ご教示頂いた地など、行く機会があれば、何よりと思います。

ユーザーID:5658785833
通じるものがあるのかも知れませんね
又次郎
2017年6月6日 19:36

抜刀隊様

レスありがとうございました。

>幕末の戊辰戦争を指揮した稀代の用兵家大村益次郎も、西郷の反乱を予見し
>「足利尊氏のごとき者が九州から出てくるのに備える」として大阪に四斤山砲
>を集積させたのは有名ですよね。

知りませんでした。

勉強になります。

>でも私は、西郷含めそういう人物こそ面白みがあると思っています。

西郷隆盛の研究者が、一般向けに書いた本を読みました。

その方は、西郷が、九州山地を鹿児島に落ちていくルートを、全てでないようですが、自ら辿ってみるほどの熱心な方のようでした。

その方の本によると、西郷隆盛はとても勉強家で、西洋の事情にも通じていたそうです。

征韓論も、世間一般には誤解がるような事を書かれていました。

西郷隆盛は陽明学も熱心に研究していたそうで、湯川様によると、足利尊氏も座禅をしていたようなので、どこか、通じるものがあるのかも知れませんね。

ユーザーID:0800842160
抜刀隊様へ、前半で書かれている事に対して、意見交換として
又次郎
2017年6月7日 13:56

尊氏は、しぶとく勝ち抜いた印象があり、苦戦を強いられても最後は勝つ、そんな印象を持っています。

それはそれで尊氏の大将としての力量を示していると思うのですが、不思議なのは、負けた場合でも、尊氏が殺害まではされない事でした。

>神輿のように乗るということで勢力をつくった点で

神輿として担ぐに足る人物は、血統も含めて、そうそういない、そんな存在だったのかも知れないと、レスを拝見して思いました。

足利政権は、守護大名の勢力の均衡の上に成り立っており、脆弱であったと評されるようですが、それが良い方に作用する事もあるようですね。

足利義満は、明に対して日本国王を名乗ったり、今谷明さんの「室町の王権」によると、嫡男に将軍を継がせ、次男は天皇にしようとしたようです。

その意味では、日本史上、最強の政権であったとする評論家もいるようです。

古代から続いてきた制度のようなものが完全に崩れ去るのは、地方の勢力が、分国法などの独自の制度を作るまでに発展する事によると思います。

足利政権は、そのような過渡期に成立していた、私は、そう理解をしています。

ユーザーID:0800842160
地蔵菩薩携帯からの書き込み
湯川
2017年6月8日 1:25

丁寧な返信ありがとうございます。

足利尊氏公は、伝記によりますと尊氏公のお母様が地蔵菩薩にお願いに行って授かったご子息だそうで、

その有り難みを信じていた尊氏公は、終生地蔵菩薩を信じていたそうです。
尊氏公の描いた地蔵菩薩も何点か残されており、写真でしか見た事ありませんが、ビックリするぐらいお上手です。
また、あるお寺の地蔵菩薩に尊氏公と義詮公の髪の毛が安置されているのも、発見されたそうです。
もし良かった調べてみてくださいね。

尊氏公は、坐禅といい地蔵信仰といい自らの心を落ち着けるのにそうとうなご苦労なされたなぁと思いました。

尊氏公のお墓や信仰的な側面から見ても、 新たな発見があるかもしれませんね。

追伸 2代目の足利義詮公の眠っているお墓を調べてもいいかもしれませんね。

ユーザーID:5034975034
2度目です
左中将
2017年6月8日 22:23

皆様のレスについて少しコメントさせて下さい。

トビ主さんへ

>北畠親房は、惜しい最後を遂げたようですね。
>懸命に後醍醐帝の期待に応えようする姿は、若者らしい・・・・
  ↑↑
『若者らしい』とありますが、親房は若い時は目立ったことはしていません。
彼が表舞台に現れたのは、ある程度の年になってからです。
従って、これは親房ではなく、息子の顕家のことではないでしょうか?


姫だるまさんへ

>尊氏の従兄弟新田義貞・・・
  ↑↑
尊氏と義貞は従兄弟ではありません。血が繋がった男子直系ですが、数代前
まで遡ります。


ついでに・・・。
尊氏は誠実な大いなる凡人だと思います。それ故に、一時は南朝に降伏したり、
敵側の後醍醐天皇の菩提を弔うために天龍寺を作ったのです。
また、足利氏は源氏の中で最も勢力が大きかったので、尊氏は征夷大将軍に
なれたのです。
もっとも、根が善人なので幕府の力は始めから脆弱でしたが。

ユーザーID:4313185893
時代が味方をしたから
又次郎(トピ主)
2017年6月10日 18:25

>尊氏公は、坐禅といい地蔵信仰といい自らの心を落ち着けるのにそうとうなご苦労なされたなぁと思いました。

湯川様は、公を付けられるのですね。

でも、故もなく私がそうするのもどうかと思いますので、尊氏で通させて頂きます。

尊氏は、天下を取ると予言された2代前の当主が、自分の命を縮める代わりに2代後(尊氏)に天下を取らせて欲しい、と懇願して自死したとの物語がありますから、何か大きな物を背負っていたのかも知れませんね。

また、何よりも、多くの武家の期待を背負っていた、その意味では、その時代を体現したと言えるのかも知れませんね。

一時的に劣勢に陥っても負けない尊氏、それは、時代が味方をしたから、そう言えるかも知れませんね。

>2代目の足利義詮公の眠っているお墓を調べてもいいかもしれませんね

父尊氏の後を受けて、動乱を上手く治めて、3代目義満の隆盛に繋げた、その意味では、大政治家と言えるかも知れませんね。

ユーザーID:5658785833
時代精神
又次郎(トピ主)
2017年6月11日 15:13

>従って、これは親房ではなく、息子の顕家のことではないでしょうか?

ご指摘の通り、顕家のことです。

ありがとうございます。


>もっとも、根が善人なので幕府の力は始めから脆弱でしたが。

どんな英雄と言えども、時代を離れて存在する事はできないと言います。

また、逆に、時代精神をいち早く察知して、その実現を図るのが英雄とも言います。

足利政権が、徳川政権に比して、単純に脆弱と言えるかの問題はあるかと思いますが、その時代時代の政権が作られる、そう理解するのが妥当だと私は考えます。

ユーザーID:5658785833
大河ドラマ太平記
ナビ
2017年6月12日 19:08

今、キャストを見ると、物凄い豪華なメンバーです。覚えているシーンはいくつかありますが、尊氏が幕府軍だったとき検問をしていて、役者の一行を質すところ、このなかに荷車引きに変装した楠正成が紛れ込んでいた。そこで尊氏(真田広之)は「そこの車引き、舞ってみよ」と言う、車引き(武田鉄矢)は、コミカルに歌って踊って見せる。それで検問の通過を許す。一行が通過してから「殿ならどうなさいますか?」と問われると尊氏は「わしも舞いのひとさしくらいはできる」と笑い飛ばす。勧進帳を借りてきた想像上のシーンと思われますが、尊氏が情のある人に描かれていました。

このとき高氏だったと思われますが尊氏と表記しました。

ユーザーID:2275987090
多面性
又次郎
2017年6月15日 12:53

ナビ様

レスありがとうございます。

>勧進帳を借りてきた想像上のシーンと思われますが、尊氏が情のある人に描かれていました。

尊氏は、自分は帝に逆らうつもりはないと出家しようとしたり、出家をしても許されないと周りの者に諭されて、されば武門の意地にかけて新田と刺し違えん、と翻意したりしますね。

尊氏のこの側面を、優柔不断と評価する立場もあるようですが、揺れ動く時代の精神を的確に捉えている事の証のように、私には思えます。

素人の浅はかな捉え方だと思いますが、建武の新政における公家勢力は、時代を押し戻そうとする勢力でしょうし、初めての武家政権として成立した鎌倉幕府も、公家勢力と相克のなかで現状維持勢力に後退してしまった?のでしょうし、高師直や土岐頼遠などは、時代を推し進めようと勢力で、その中から守護大名が勃興して来る、そんな事ではないかと思います。

もちろん、それは、ナビ様の感じられるように、情としても現れてくると思います。

多面性を持つ人物の一つの表出として。

ユーザーID:0800842160
横ですが
あお
2017年6月25日 3:14

>左中将様

二度目のレス、とても感慨深かったです。
南北朝を深くご理解なさっているのですね。

尊氏は「あっちがダメならこっち」と院を担ぎ出したり、実弟を殺したり。
人間的ではありますが、ちょっと好きになれないタイプです。

ユーザーID:9773836981
 
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