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なめとこ山の熊

小八郎
2017年6月16日 9:05

宮沢賢治「なめとこ山の熊」。

最後の場面、熊が、小十郎に、「殺すつもりはなかった」と語りかけます。

そして、小十郎も、「熊ども、ゆるせよ」と応えます。

人間が自然と自分を区別しなかった精神世界と評されます。

私には、難しい事は分かりませんが、たしかにそうなのかも知れません。

でも、何故か、私には、小十郎が自殺をしたように思えてなりませんでした。

もちろん、わざと殺されようとしたような描写はないので、無意識の自殺と言っても良いかもしれません。

小十郎は、家族を養うために熊を獲りますが、まちではかるく扱われます。

そんな生活の苦労のようなものがあったのではないか、そう感じてしまいました。

みなさまは、この物語をどうお読みになられましたか。

ユーザーID:1543082673  


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タイトル 投稿者 更新時間
対をなす
北国生まれ
2017年6月17日 9:24

同じ鉄砲撃ちの話ですが、作者が書いた『注文の多い料理店』の広告文ではこの作品について、「糧に乏しい村のこどもらが都会文明と放恣な階級とに対する止むに止まれない反感です」とあります。
それに対して小十郎は、ナリワイとして熊を撃ちます。
なので、『なめとこ山の熊」は『注文の多い料理店』と対をなすものと捉えています。

熊もナリワイ=時には(業として)他の動物の命を取って生きています。
ただ、小十郎は熊の胆と皮を取って売ることは書かれていますが、小十郎の手にかかった熊を食べるという場面がありませんね。
それでも熊は、「二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやる」と言い、あまつさえ「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」とまで言います。

なので、『注文の多い料理店』と対をなすとは、命を賭した思いやりと赦しと、救いのことかなと。
(そう言えば新約聖書には「友のために自分の命を捨てること以上に大きな愛はない」というのが、畑正憲の 『青い闇の記録』には「人間は時には熊に殺されるべき」というのがありますね)

ユーザーID:1607182179
勉強になりました
小八郎(トピ主)
2017年6月20日 17:39

北国生まれ様

レスありがとうございます。

>同じ鉄砲撃ちの話ですが、作者が書いた『注文の多い料理店』の広告文ではこの作品について、「糧に乏しい村のこどもらが都会文明と放恣な階級とに対する止むに止まれない反感です」とあります。

検索してみました。

>なので、『なめとこ山の熊」は『注文の多い料理店』と対をなすものと捉えています。

私は、『注文の多い料理店』は、言葉の面白さ、物語としての怖さなどを思いました。

>畑正憲の 『青い闇の記録』には「人間は時には熊に殺されるべき」というのがありますね

宮澤賢治は、法華経の熱心な信者であったと聞きます。

宗教は、倫理を常識から拡大してみたり、あるいは、常識とは逆転させてみたり、がありますから、そんな意味合いも含まれているのかも知れませんね。

動物(自然)と自分を区別しない考え方(思想)は、あるいは、

>なので、『注文の多い料理店』と対をなすとは、命を賭した思いやりと赦しと、救いのことかなと。

赦しや救いとなりうるのかも知れませんね。

私の知らない見方で、勉強になりました。

ユーザーID:1543082673
 
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