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地名の不思議

上洛したい
2017年6月16日 16:17

武蔵、常陸などの名称は、律令制によるものだと記憶しています。

ですから、畿内の視点となっているのだと思います。

例えば、近江、遠江は、畿内から近いうみ(琵琶湖)、遠いうみ(浜名湖)に由来するようです。

それは理解できるのですが、上総、下総については、不思議でなりませんでした。

その疑問が解けたのは、随分と後の事です。

実は、昔は、相模から舟で安房に渡って、上総、下総と旅をした、要するに、当時の旅程としては、畿内から近いのは上総の方だった、それが答えのようです。

とても面白い話だと思いました。

よろしければ、そんな地名にまつわるおもしろ話を披露していただけませんでしょうか。

よろしくお願いします。

ユーザーID:4641727759  


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タイトル 投稿者 更新時間
港区三田と目黒区三田
bubu
2017年6月16日 22:56

間に白金や上大崎があって、全然離れていて関係ないように思える
けど、古い、江戸という地名もまだない時代の一帯の「三田郷」と
いう地域名が別々に残っている。

ユーザーID:7551594697
好字令
さわらび
2017年6月17日 0:22

奈良時代初めの元明天皇が、地名は2文字にすべしと好字令を出し、1文字の地名も3文字の地名も2文字になったそうです。

泉→和泉
火→肥前・肥後
木→紀伊
島→志摩
黍→吉備
蓑→美濃
近淡海ちかつあはうみ→近江おうみ
遠淡海とほつあはうみ→遠江とおとうみ

和泉は1文字目を全く発音しませんから、無理やり感が大きいですね。

ユーザーID:4048365234
私がモヤモヤ思ってるのは・・・
多胡天
2017年6月17日 12:23

前・中・後が付く地名です。

越前・越中・越後。
備前・備中・備後。
中は無いけど、豊前・豊後。
などなど・・・。

駅や郵便局の名前に被せて呼ばれていたりするので結構目にする機会もあり、おそらく都に近い方から“前・中・後”なんだと、そこまでは何となく解ります。
が、「元々は、どういう地名の“前・中・後”なんだろう?」と、いつもモヤモヤし、そしていつしか忘れてました。

ところが『備前・備中・備後』について「ひょっとしたら吉備(きび)地方の“備”なのかな!」なんて考えが浮かんでからというもの、・・・。
「それじゅあ、越前・越中・越後は?」「豊前・豊後は?」と、モヤモヤが倍増しています。

ユーザーID:1954846155
殺人の無いミステリー
はっぱ
2017年6月17日 14:04

なんだか北川薫さんの小説のようで
面白いです。

あ、でもおもしろ話は知りません。
すみません。

ユーザーID:0870365989
前後不覚!?
或る無責任な男
2017年6月17日 14:25

 「越前(福井)」と「越中(富山)・越後(新潟)」は何故離れているのか,非常に気になっております.越前或いは越中が元々「加賀(石川)」も含めた領域だった,とかいうのであれば理解できるのですが,そういうわけではなさそうです.どうにもわけが分かりません.
 この例を見ると,「前(中)後」も「上下」と同様,畿内に近い方から付けられたと考える事ができますが,では「肥前(佐賀/長崎)・肥後(熊本)」はどうなるのでしょうか??確かに,今のJR鹿児島本線は福岡県からほんの一瞬佐賀県をかすめた後熊本県に入ってはいますが,そもそも佐賀〜長崎〜熊本を「肥(火?)の国」と一括りにするのは無理がある気が致します.或いはこれも舟運が絡んだ話なのでしょうか?
 また,「陸前(宮城)」「陸中(岩手)」と言いながら「陸後」はなく,これは「陸奥(青森)」と称されるのも何だか理解できかねるところです.「〜奥」は他に例がなく,何でなのかと思っております.

ユーザーID:8736375755
楽しい話題ですね
airasaria
2017年6月17日 21:42

知っている地名の由来は、ご存じかも知れませんが、

東京の八重洲、信州の海、黒潮が結ぶ紀州・徳島と房総半島、佐賀県と茨城の鹿行地方。

お調べ頂くと楽しいですよ。

ユーザーID:9301953611
JR両毛線・・
ねこだ
2017年6月18日 11:55

 7年前、高崎駅からJR両毛線で小山まで行った。
 なんで両毛?・・・3年前、小山(おやま)駅で駅員さんに
 「どうしてですか?」「わかりません・・・」
 そこでねこだは考えた・・! 上洛したいさんと同じ・・。
 高崎は 上野(こうずけ)で、小山は 下野(しもつけ)だ。
 ここまでくるとあとは一直線でした。群馬は 上野毛 で、
 栃木は 下野毛 だ。それで高崎小山間の鉄道は「両毛線」で
 いこうじゃないか・・。考えた人は偉い!
 上洛したいさん、いかがでしょうか?
 昔は「都」を中心にして考えたんですね、越前・越中・越後や
 豊前・豊後、備前・備中・備後等など・・。
 お粗末でした・・。今度小山駅に行ったら駅員さんに
 教えてあげようかと・・。

ユーザーID:3528960915
つま
上洛したい(トピ主)
2017年6月20日 9:22

或る無責任な男様

>.「〜奥」は他に例がなく,何でなのかと思っております.

薩摩は、”さ”(接頭語)+”つま”で、”つま”は、主たるものに対して従的なもの、刺身のつま、夫婦関係におけるつま(万葉の頃は女性から男性への呼称でもあった)等、を意味するようです。

特定の地域ではなく、方面を表す”あづま”も、”あ”(接頭語)+”つま”のようです。

ですから、陸の行き詰まるところとして、「陸後」はなく、「陸奥(青森)」としたのかも知れませんね。

単なる思い付きですが。

ユーザーID:4641727759
おもしろいですね。携帯からの書き込み
みかんの木
2017年6月21日 7:32

 山口県の下関、人口も多くそこそこ有名だと思います。
他に、山口県には上関町が有ります。
(熊毛郡上関町)
 そこで子どもの頃の私は考えました。
「中関は?」
 山口県防府市に中関という地名の所が有りました。

 多分、江戸時代に大きな関所が有ったのだろうと。
特に下関は、本州最西端、関門海峡を越えたら九州です。少なくとも、県内ではかなり大きな関所が有ったのでは?と。

 今回、ちゃんと調べたら大体合ってました。
番所が有ったそうです。

ユーザーID:2476415344
airasaria様、ねこだ様 レスありがとうございます
上洛したい(トピ主)
2017年6月21日 9:10

airasaria様

週末に検索してみますね。


ねこだ様

>高崎は 上野(こうずけ)で、小山は 下野(しもつけ)だ。
>それで高崎小山間の鉄道は「両毛線」でいこうじゃないか・・。

言われてみると、そんな気がします。

>昔は「都」を中心にして考えたんですね、越前・越中・越後や豊前・豊後、備前・備中・備後等など・・。

現代人は、地図を見慣れていますから、どうしても直線で遠近を考えてしまいますが、人や物資の移動を考えた場合は、山や湿地帯などの障害物、陸路や海路の選択など、当時の事情に照らし合わせてみる必要がありそうですね。

或る無責任な男様が挙げておられた

>そもそも佐賀〜長崎〜熊本を「肥(火?)の国」と一括りにするのは無理がある気が致します.或いはこれも舟運が絡んだ話なのでしょうか?

は、私も疑問に思った事がありました。

あるいは、風土記を調べれば分かるのかもと思いながらも、博多から舟で唐津へ周って、有明海まで陸路を行って、そこから舟で熊本へ渡る、それが時間的にも労力的にも有利であったのかもと想像したりします。

ユーザーID:4641727759
備前・備中・備後 ですが…
備後人
2017年6月22日 18:23

吉備国を3つに分けて「備前・備中・備後」にしました。
だから、「備○」の「備」は「吉備国」をあらわします。

ちなみに3つに分けた後、備前国を備前国と美作国に分けたので、
最終的に「吉備国」は4つに分けられた事になります。

ユーザーID:0047561382
みちのく
さわらび
2017年6月23日 16:41

みちのく一人旅という歌が昔ありましたね。色々と調べてみました。
陸奥と書いて読みは「むつ」「みちのく」「りくおう」。

現在の東北地方の太平洋側と青森、極わずかの秋田の東端は、明治に変わる迄は全て陸奥の国。
江戸時代まで、東北の秋田と山形を除いた地域は全て、陸奥の国だったんですね。

日本の律令制は660年代から10世紀で、前に書いた地名に好ましい良き字を用い2文字に変える好字令は713年で、律令制の流れの中ですね。

712年の古事記には「道奥」と書いて「みちのおく」でした。
道は都道府県にも含まれるように、昔は国の意味もあり、諸国の奥で「道奥」に。

表記は720年の日本書紀では道奥が減り陸奥が増えるものの、読みは「みちのおく」のまま、平安頃には詰まって陸奥「みちのく」という読みに。

「みちのく」が「むつ」になったのは、信濃の国が信州、紀伊の国が紀州と呼ばれるように、陸奥の国は陸州で、御祝儀袋に壱・弐・参と書く大字の六が陸であるので、陸州をむつと呼ぶようになった説。

「みちのく」が「みちのくに」になり、「むつのくに」になった説があるようです。

明治以後、5分割され、陸奥(りくおう)・陸中(りくちゅう)・陸前(りくぜん)・岩代(いわしろ)・磐城(いわき)に。

陸後ではなく、陸奥なのは、元々全て陸奥の国だったので、名称を残したのでしょうね。

「こしのくに」は福井県敦賀市から山形県庄内地方までの国でした。
初めは「高志の国」。現在も新潟・富山・福井に高志の地名があり、古志もあります。(山古志村)

689年〜692年の大宝律令で3つに別れ、、越前、越中、越後となり、三越(さんえつ)に。

その後、越前から能登が、ついで加賀が分かれ、また越後の出羽郡が出羽に郡から国へ変更されています。
能登も加賀も元は越前だったのですね。

豊前・豊後も元は豊国(とよの国)でした。

ユーザーID:8855046823
或る無責任な男さん
Char
2017年6月23日 19:36

加賀国は越前から別れて出来た国です。
 越国 → 越前1・越中・越後に分離
 越前1 → 越前2・能登に分離
 越前2→ さらに越前3・加賀に分離

肥前・肥後は仰る通り肥(火)国から別れて出来た国です。
令制国成立前後の国わけは当初かなり領域が広く、それが分割されるというのが全国的に起こっています。

陸前・陸中・陸奥(+岩代・磐城)に関しては、長い間福島・宮城・岩手・青森の4県まとめて「陸奥」だったものが
明治になって分割されたものです。
元々「奥」が都から遠いという意味が入っていること、
丹波から丹後が分割されたときに「丹前」に解消されなかった前例があること、
などから旧来の「陸奥」を流用したようです。

ユーザーID:8721455970
海路の関かも知れませんね
上洛したい(トピ主)
2017年6月24日 8:55

みかんの木様

レスありがとうございます。

検索してみました。

畿内に近い方から、上関、中関、下関、となっているようですね。

>今回、ちゃんと調べたら大体合ってました。
> 番所が有ったそうです。

しかも、海岸沿いであるようですね。

もしかすると、海路の関かも知れませんね。

とすると、私にとっては、新しい知見です。

興味深いお話ですね。

ユーザーID:4641727759
縁のある土地のような気がしています
のんき
2017年6月25日 6:49

備後人様

レスありがとうございます。

>だから、「備○」の「備」は「吉備国」をあらわします。

若いころ、上田秋成の「吉備津の釜」を読んだことがあって、何故か、それからは、自分に縁のある土地のような気がしています。

「吉備国」は、筑紫や、出雲、大和と並ぶ勢力を誇った国のようですね。

ユーザーID:8233125101
列島に住んでいた人々の営みが目に浮かぶようです
上洛したい
2017年6月25日 18:52

さわらび様

>「こしのくに」は福井県敦賀市から山形県庄内地方までの国でした。
>初めは「高志の国」。現在も新潟・富山・福井に高志の地名があり、古志もあります。(山古志村)

>689年〜692年の大宝律令で3つに別れ、、越前、越中、越後となり、三越(さんえつ)に。

この他、私が知りたいと思っていた事に全て答えて頂いた感があり、感謝します。

陸奥について、蛇足にもならないのですが、

>江戸時代まで、東北の秋田と山形を除いた地域は全て、陸奥の国だったんですね。

これは、江戸時代までは、日本海側の方が、交通(海運)が発達していた事と関係するのでしょうか。

畿内からは、秋田や山形の方が、当時は近かった、そのような事かも知れないと思いました。

何やら、列島に住んでいた人々の営みが目に浮かぶようで、楽しくなります。

ユーザーID:8233125101
下北半島
tora
2017年6月25日 21:20

地図上は上だけど「下」がついている。これも都から見ると下になる。

ユーザーID:5283027705
中国地方、山陽道、山陰道
上洛したい(トピ主)
2017年6月26日 11:31

日本の中国地方と中国の関係を不思議に思っていました。

もう随分と前の話で、記憶も曖昧なのですが、確か、折口信夫さんの「死者の書」に載っていたと思います。

中国地方の由来は、中(なかつ)国(くに)で、都のあった畿内(奈良・京都)と、その出先機関である大宰府の間にある国々、の意味のようです。

これは、私の勝手な想像ですが、陸路ではなく海路(船旅)での光景のような気がします。瀬戸内海を舟で行き来する際に目に入ってくる国々なのかなぁと。

この話と同列かと思いますが、山陽道(さんようどう)、山陰道(さんいんどう)は、山陽道(やまのひなたみち)、山陰道(やまのかげのみち)のようで、ここでの山(やま)は中国山脈のことのようです。

これも、瀬戸内海からの視点だとすると、分かりやすい気がします。

因みに、隣国の中国は、中華思想は知られていたとしても、国号=王朝名であったので、中華民国から略称としての”中国”が誕生したと理解していますので、日本の中国地方とは、漢字が同じだけで、何の関係もないと思われます。

ユーザーID:4641727759
スッキリ
多胡天
2017年6月26日 19:44

地名(旧国名)のモヤモヤで前レスを書きましたが・・・。
さわらびさんの2つのレスを読んでモヤモヤがスッキリしました。

備前・備中・備後は「吉備からの分割かも」の想像は前にも書きましたが、筑前・筑後も博多駅の出口に“筑紫口”の名称を見つけ「筑紫からの分割かも」と想像してました。
そのため「旧国名は2文字、分割される前の国名も2文字」との思い込みが出来てしまいました。
昔は1文字や3文字の国名もあったのですね。
豊の国から分割されて、豊前・豊後。
肥(火)の国から分割されて、肥前・肥後。
越(高志)の国から分割されて、越前・越中・越後。
本当に目からウロコ、です。

トピ主さん、楽しいトピをありがとうございます。

ユーザーID:1954846155
上関、中関、下関、関ノ浦
チュン夫
2017年6月27日 10:28

香川県の荘内半島の細い道を海岸へ降りると、「関ノ浦」という地名の海岸がありました。

説明板に

「鎌倉・室町時代に、沖を通る船舶から通行税を取っていた所で、山口県の上関・中関・下関と共に、四大関所と呼ばれるほど重要な関所だった」

とあります。これで、下関は関所の名前だったのだと、初めて知りました。

関ノ浦は、今は、小さな砂浜の海岸だけとなっています。

いろいろ散策していると、突然、地名や由緒などのつながりが発見できて面白いです。

ユーザーID:5815181713
 
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