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「もうここらでよか」

のんき
2017年7月14日 11:01

「もうここらでよか」

西郷隆盛の最後の言葉です。

西郷は、”ここら”に、どのような想いを込めたのでしょうか。

西南戦争の意義は、それが、日本の最後の内戦であることだと思います。

西郷と、西郷と共に戦った兵士たちを失って、明治の人々は、もうこんなことはこりごりだ、そう思ったのかも知れません。

世界には、内戦で苦しむ国々がまだある事を考えるとき、その意義は大きいものがあるように思います。

西郷隆盛賛歌が意図ではありません。

ただ、、ローリー・アンダーソンが、「歴史は天使」と歌ったのは、このようなことなのかな、と思った次第です。

ユーザーID:4161984441  


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タイトル 投稿者 更新時間
西南戦争の意義を、
鳥羽伏見の戦い
2017年7月14日 16:30

鹿児島でもこれから先日本が近代国家として発展する上で支障のある人物が大かた亡くなった事に見つける人もいるそうですよ。不思議でしょう。小牧長久手の戦いも池田氏があえない最後を遂げました。で秀吉は桃山時代を築けたという歴史家もいます。戦争にムダな戦争はあまり無いそうです。後世の歴史から見れば。西南戦争でも西郷さんや桐野等維新戦争で活躍した多くの功労者が無くなりました。廃藩置県は西郷さん無くしては出来なかった大革命ですが真の革命家は残酷で冷酷な性格でないと事を上手くは運べないそうですよ。だから西郷さん達が居なくなったおかげで日本の近代化が進んだと薩摩の人でもそう言う人がます。小さい声ですが。西郷さん自分の立ち位置をよく分かっていたと思いますよ。鹿児島では「晋どん晋どんもうよかろ」と覚えている人もいますが英雄は己の立場をよく知っていたと思います。革命が成し遂げられた後の事を考えれば。こう考えれば西郷さん可哀想ですが西南戦争は革命成就後の近代日本のためには必要な戦争だったとも言えるのではないでしょうか。私は西郷ファンなのでこの見方には賛成できませんが。それこそBSプレミアムの番組ではありませんが大久保利通の心の中に分け入って見たい気がしますよ。冷徹な政治家でないと本当の政治は出来ないと思いますよ。トピ主旨から逸脱したレスになりましたね

ユーザーID:8751725678
五行目以下は意味不明だけど
tora
2017年7月15日 15:29

徴兵制により一般庶民が兵士になることにより、武士階級が不要になった結果です。
官軍の中心だった、薩長佐賀などの武士階級も容赦ありませんでした。
一部の人たちは栄達しますが、それ以外の武士は特権を奪われました。その不満が爆発して、長州、佐賀、薩摩で相次いで旧武士が反乱を起こします。
その最後が、西南戦争です。

西郷は征韓論が通らずに下野します。征韓論は、旧武士階級の働き場所を海外に求めたのではないでしょうか。働き場所のない武士階級はいずれなくなります。西郷もその辺はわかっていた。

西南戦争は、西郷が計画したものでも、指揮したものでもありません。
西郷を慕う後輩たちが起こした乱に、西郷が乗っただけです。

西郷は、反乱軍の負けがはっきりしたので、「もうここらでよか」と言ったのだと思います。

その心は本人しかわかりませんが、「お前たちも十分戦ったのだから、武士の意地は通せたと思う。世間でもわかってくれたはずだ。もう、ここらで矛を収めてもいいじゃないのか」という意味だったと推測します。

ユーザーID:4638177025
私の想いとおなじです
のんき(トピ主)
2017年7月15日 15:59

鳥羽伏見の戦い様

>トピ主旨から逸脱したレスになりましたね

とんでもございません。

書かれてあること、まさに、私の想いとおなじです。

薩摩の方のお話を知ることができて、大変うれしく思っています。

ありがとうございました。

ユーザーID:4161984441
補足(追記)
のんき(トピ主)
2017年7月16日 6:28

>こう考えれば西郷さん可哀想ですが西南戦争は革命成就後の近代日本のためには必要な戦争だったとも言えるのではないでしょうか。

本を一冊読んだだけなので、ちゃんとした事は言えませんが、近代国家への歩みが、結局は西洋列強を追随する事で、結果、先の戦争に繋がったのだとすると、それだけが選択肢だったのだろうかと考えたりします。

もし、西郷が、西南戦争の結果としてではなく、そこに至るまでに主導権を握っていたら違った日本になっていたのだろうかと、本を読んだ際に、チラッと考えた事がありますが、そこまで考えるには、相当の勉強が必要で、自分には出来ない事だと思って、そこまでとしました。

そのような事も含めて現代の日本があるのだと、普通に考えるように、とりあえずしています。

ユーザーID:4161984441
上野の西郷さん
のんき(トピ主)
2017年7月16日 15:30

tora様

レスありがとうございます。

>その心は本人しかわかりませんが、「お前たちも十分戦ったのだから、武士の意地は通せたと思う。世間でもわかってくれたはずだ。もう、ここらで矛を収めてもいいじゃないのか」という意味だったと推測します。

そのような事だったのかも知れませんね。

他、お書きになられていること、特に異存はございません。

上野の西郷さんの銅像の除幕式に、西郷隆盛の妹(姉?)が招かれて、感想を聞かれた際に、「兄は浴衣姿で人前に出る人ではありませんでした」と答えたエピソードがあるそうです。

その話はともかく、上野の西郷さんの銅像が、多くの人に親しみを持って受け入れられているのは確かだと思います。

5行目以降は、そのような事だと思っていただければと思います。

ユーザーID:4161984441
そんな難しい深読み話ではなくて
益次郎
2017年7月18日 14:16

「自分は被弾したのでこれ以上進めない、だからここで自決する」という意味でしょう。

ユーザーID:7025311422
深読みはしないほうが良いと思いつつ、つい・・・。
のんき(トピ主)
2017年7月19日 11:45

益次郎様

>「自分は被弾したのでこれ以上進めない、だからここで自決する」という意味でしょう。

それなりに長い戦いで、九州山地を逃避行した結果ですから、気持ちの整理はついていたのかも知れませんね。

もう、現世に対して吹っ切れていたとしたら、それはそれで、寂しい気持ちもします。

西郷が、目立つように官軍の前に姿をさらして、官軍側が、あの人は撃つなと、逆に兵士に命じたエピソードを何かで読んだ記憶があります。

そのような想いも入った言葉だったのでしょうか。

深読みはしないほうが良いと思いつつ、つい・・・。

ご教授、ありがとうございました。

ユーザーID:4161984441
益次郎さんに同意
宮崎出身
2017年7月19日 15:11

単に、自決の場所としてここが良い、という意味だと思います。

ユーザーID:0589955243
風貌に騙される
ナビ
2017年7月20日 9:15

上野の銅像や肖像画のイメージで、どっしりとした細かいことにこだわらない大人物と思うのですが、経歴から言えば、かなり細かい緻密な計算(文字通り数量を把握する作業)に練達した人だったはずです。だから何というのでなく、イメージは明治政府が一生懸命作ったものではないのかと言いたいわけです。歴史上の人物の実像を知るのは難しいです。

ユーザーID:7928732257
内戦!綺麗ごとじゃないですよね。
おごじょ
2017年7月20日 14:33

鹿児島へ引退した西郷は桐野等に担がれて惨めな最後になってしまった、ただそれだけ。
一部の城下侍の愚かな行動、その為にどれだけの多くの鹿児島人が犠牲になっかです、
辺見十郎太や別府伸介自ら多くの地方の郷士の強制かりだしに関連し、従わぬ多くの郷士が打ち首にされ、従った郷士等は着の身着のままでかりだされ、多くの農民や一般市民も非戦闘員である従僕や輜重兵としてこき使われ命を落としたのが事実です。
桐野等は毎夕宴会!西郷も!それぞれ上層部の反乱者には数人の従僕がおりその下にも身の回りの世話役有り・・・。

官軍に四方は塞がれ、持病や負い傷の苦痛、追い込まれた恐怖やらで、死しかないあがきの懇願でで別府晋介に「晋ドン、もうここいらで良かが・・・ぐにゃぐにゃ・・・ふにゃふにゃ・・」と介錯役を願ったとか!
殆どが城山で戦死か自害をしているので最後の言葉の信頼性は確かではないのでは。
故に「ここら」の意味はなんの意味もないと思います。

上野の西郷の銅像の除幕式で未亡人の糸子の思わず呟いたのが「アラヨウ、宿んしはこげんなお人じゃなかったこてえ!」とあまりにもミスボラシイ恰好に嘆いたとか!

ユーザーID:5351365955
またもや、深読みを・・・。
のんき(トピ主)
2017年7月21日 14:10

宮崎出身様

レスありがとうございます。

>単に、自決の場所としてここが良い、という意味だと思います。

仰ること、特に、異存はございません。

ただ、色々と考えてみたくなりました。

西郷の最後を延ばそうとしたであろう「別府晋介」を気遣った言葉とも思いましたが、私には良くわからないことですので、それはさておいて。

自決の場所を選ぶ事は、自決の時間も延びることを意味しますので、時間的な意味でも、「もう良い」、そう思う部分があったのかな、と思った次第です。

「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」

平知盛のこの言葉には、思い残す事はない、そう考えているであろう潔さのようなものを感じますが、西郷隆盛の言葉に、私は、寂しさのようなものを感じてしまいます。

またもや、深読みを・・・。

ユーザーID:4161984441
ナビ様、おごじょ様 レスありがとございます
のんき(トピ主)
2017年7月22日 13:44

ナビ様

>上野の銅像や肖像画のイメージで、どっしりとした細かいことにこだわらない大人物と思うのですが、経歴から言えば、かなり細かい緻密な計算(文字通り数量を把握する作業)に練達した人だったはずです。

読んだ本でも、そのように書かれていたと思います。

知人の僧と入水自殺(だったと思います)を図るなど、繊細な部分も持ち合わせた人物との印象があります。


おごじょ様

>鹿児島へ引退した西郷は桐野等に担がれて惨めな最後になってしまった、ただそれだけ

地元の方でしょうか。

他の土地の者にはわからない部分があるのだ、そう受け止めさせて頂きます。

内線も、戦争に違いありませんから、もちろん、きれいごとではないと思います。


>一部の城下侍の愚かな行動、その為にどれだけの多くの鹿児島人が犠牲になっかです、

このようなことも、たしかに、あったのだろうと思います。

TVのニュースで報じられるよその国の内戦でも、なぜこのようなことを、と思ったりします。

もし、鳥羽伏見の戦いや会津戦争、西南の役のようなことがなく、現代日本に辿り着けていたとしたら、それにこしたことはないと思います。

ただ、結果として、西南の役の経験が、日本における内戦の終結につながったのであれば、その意義は評価するべきではないかと、そう思った次第です。

取り返せるものなら悲しい過去を取り返したい、でも、過去は取り返せない、ただ、歴史を振り返る事で、前に進むことができる、歴史は前に進む力を与えてくれる、歴史は天使である、引用した歌の大意です(私の記憶で私の理解です)。

お書きになられていること、こころに留めておきます。

ユーザーID:4161984441
現代の内戦も極一部の狂気な人間に牛耳られていませんか?
おごじょ
2017年7月23日 16:36

tora様の『徴兵制により一般庶民が兵士になることにより、武士階級が不要になった結果』は西南戦争には通じないのでは?

薩摩藩の人口の4分の1は郷士を含め武士階級、俸禄制は無きに近く石で暮らす武士はごく一部、大半は自給自足の職人農民漁民であったため維新後に武士の階級が不要になったからと生活が変わる事は無かったのでは?島津の殿様に無給で駆り出される事から解放されてホッとしたと思いますが。

明治維新により城下士出身者の多くは郷里・鹿児島を離れ、藩閥の力で官僚や軍人として立身を目指し、一方の郷士出身者は川路の下で警察に従事中央に出られない者は地元で公務員、教員、警察官に、反乱などとは程遠い事です。

石を無くした武士では無い桐野や篠原等は高級軍人、哀れ近代日本を目指す視野や才覚に乏しく西郷の帰郷に便乗し、私学校で若者を集めてママゴト的な戦争ごっこ中を「さては企みか???」と川路が内偵を鹿児島に派遣した事でハチの巣をつつかれたかたちで大騒ぎ、西郷どん担いで・・イザ東京へと目指したが熊本城で右往左往・・私学校を目の下に城山の洞窟にこもる惨めな存在の成れの果てが「もうここで良か」あっちにもこっちにも行けないここしかない? 
西南戦争に思想は無い無知無謀の歴史の一角。
西郷!英雄の末路哀れかなです。

ユーザーID:5351365955
横ですが、おごじょさんへ
tora
2017年7月25日 15:47

郷士が武士階級なのかは定かでありません。

なにかの本で読んだのですが、薩摩では郷士は武士とは認められず、郷士が薩摩の城下に出るときは、帯刀を禁じられた、と書かれておりました。

薩摩出身の郷士は、警視庁の巡査に採用されたものが多く、西南戦争のときには、政府軍として参戦し、薩摩の直参の藩士にたいする恨みを晴らしたとも書かれております。

東北の戊辰戦争も、もとはといえば、薩長の横暴が招いた結果です。
そのために、二十数万石の会津藩は下北に移され、3万石の斗南藩となりました。「斗南」は、南(薩長)を斗つと意味を込めております。
ですから、西南戦争で政府軍となった旧会津藩士は、これで仇が討てる、と勇んで出兵しました。

ユーザーID:4638177025
消極的な事にも意味がある、そう思うのです
のんき
2017年7月25日 23:05

おごじょ様

レスありがとうございます。

>西南戦争に思想は無い無知無謀の歴史の一角。
>西郷!英雄の末路哀れかなです。

何も分かっていない私が、好き勝手な事を言ったのが悪いのかな、と思ったりします。

積極的な事だけに意味があるのではなく、消極的な事にも意味がある、そう思うのです。

勉強不足、恥じ入る次第です。

ユーザーID:1267957829
武士の割合
tora
2017年7月27日 15:34

だいぶ前に、東北の某藩の人口構成を調べたことがありますが、「士」に属する人(家族も含めて)は人口の1割程度でした。

その藩では、ロシアの南下を警戒して、蝦夷地などの北方防備を命じられており、「士」階級だけではまかなえず、農民兵も徴用しております。

ですから、幕末期の東北の各藩は、武士だけではこの国を守ることができないことを、薩長以上に肌で感じていたと思います。

幕末から明治初期の内戦の功といえば、幕末の最初の戦は、鎧に身を固めた戦国さながらのいでたちでしたが、次第に武器を調達し、兵の訓練も西洋式を取り入れ、実戦を通して、近代戦に対応できるようになりました。
西洋諸国もこれを見て、日本を植民地にする考えは消えたと思います。

その仕上げが、西南戦争だったと思います。

ユーザーID:4638177025
ありがたい人
メタボ
2017年7月27日 15:42

西郷って、人情家ですよね。
意味を持って生きることをよしとする、武士らしい人ですよね。


西郷は初めから、負ける事を分かってたという説が強いですよね。
銃に刀は勝てないですから、、、。
負けると分かってても、大将をする事が必要だと判断したと言われてますよね。
政府軍の大将が親友の大久保利通というところが、運命的というか、、、。


話はズレますが、上野の西郷さんメタボだけど、
すごく親しみの持てる、愛される銅像ですよね。
敗将なのに、愛される英雄として祀られてるんですよね。
多分、西郷って敗将じゃないんでしょうね。
実際は勝った武士なんですよ。

ユーザーID:6267829993
近代国家
のんき(トピ主)
2017年7月29日 14:58

tora様

レスありがとうございます。

>西洋諸国もこれを見て、日本を植民地にする考えは消えたと思います。

>その仕上げが、西南戦争だったと思います。

西洋のような近代国家になったこと、すなわち、内戦が終結したこと、と理解してよろしいでしょうか。

ユーザーID:4161984441
(私の空想です)
のんき(トピ主)
2017年7月29日 15:29

メタボ様

>西郷は初めから、負ける事を分かってたという説が強いですよね。
>銃に刀は勝てないですから、、、。
>負けると分かってても、大将をする事が必要だと判断したと言われてますよね。

自分が一緒に死んであげよう、そう思ったのでしょうか。

人間、持って生まれたものには、なかなか逆らえないものかも知れませんね。

江藤新平が反乱に失敗したあとに、西南の役が起こります。

西郷は、自分が失敗すれば、もう内乱を起こすような者は出てこないだろう、そんな事を思ったりしたのでしょうか(私の空想です)。

ユーザーID:4161984441
何の資源などない日本・・・
おごじょ
2017年7月29日 15:57

西欧に追いつけの近代化を目指したが日本に資源は無い、やたらと隣国を突いて資源を持ち帰る、隣国の先住民を追い払い日本からの移民を送りこむ。
新政府のこの調子に乗った誤った富国強兵に止めを刺したのが国際連盟(?)により日本への石油石炭の供給を絶った・・
して石油源の南方目指して日本は太平洋戦争へと・・

西洋諸国は何の資源などない日本を植民地にする要素は無かったのでは?

その仕上げが、西南戦争だったとは思えません、英仏ともに日本をあの当時征服しようと本気で思えばホイホイのホイだとしても議会がなんの資源も無い東洋の片隅の日本を植民地にしようなどと・・国民の税金など使うなどと・・!!!

ユーザーID:5804701288
 
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