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秀吉の駒落ち

トピ主
2017年8月1日 16:54

AIや連勝記録など、将棋が話題になっていますね。

みなさまは、「秀吉の駒落ち」をご存知ですか。

駒落ちは、上級者が、下級者と対戦する場合などに、ハンディとして、自分の駒を落す事を言いますね。

秀吉が、部下と対戦する時に、「どうじゃ。駒を落してやろうか。」と持ちかけます。

相手は天下人ですから、「お願いします。」と言うしかありません。

そうしたら、秀吉が、飛車先の歩を落した、そういうお話です。

皆様も、将棋に関する面白話を披露して頂けたらと思います。

よろしくお願いします。

ユーザーID:4285254390  


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肝心な事を書き忘れていました
トピ主(トピ主)
2017年8月1日 17:42

肝心な事を書き忘れていました。

駒落ちは、上手(上級者)が先手です。

ユーザーID:4285254390
兄達は頭が悪いから東大へ行った
緑鍵盤
2017年8月2日 7:20

「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった。」

米長永世棋聖の言葉として伝えられている言葉です。
 
実際米長永世棋聖の3人の兄上は東大に行っています。

細かく言えば、上記セリフは芹沢九段の創作ですが、あながち間違いではないとのことで米長氏も否定しなかったとされています。

ユーザーID:1586661850
ルールを知らないとわからないよね
あっは〜ん
2017年8月2日 9:27

この話の面白さはルールを知らないとわかりません。

将棋は飛車が成って龍になると断然有利ですが、普通は飛車先に歩があるので簡単には成れないですが、この話では、秀吉がちゃっかり飛車先の歩を落とした、ということです。
上手が駒を落として先手をとるので、後手になった下手は自陣の歩を守ることができません。ですので、最初の一手で秀吉は勝ちも同然の状態になってしまうのです。
もちろん飛車先の歩を落とすなんてことは、普通の駒落ち将棋ではあり得ません。

私は、このトピでこの話を初めて知ったのですが、凄い作戦(笑)ですね。
この作戦は秀吉自身が考え出したものでしょうか?
だとしたら、相当な策士ですね。さすが天下をとるだけのことはあります。また、勝ちへのものすごい執念を感じさせる面白い逸話です。

トピ主さん、面白い話をありがとうございます。

ユーザーID:8652349094
将棋ではないですが
金将銀将どうしよう
2017年8月3日 18:30

 たぶん加藤一二三九段の話が出てくるだろうなと予想しつつ、あえて同じ時代の
囲碁の話を一つ。

 織田信長が毛利攻めに自ら出向くときに京の都で囲碁の対局を見物した。
この碁、三コウという特殊な状況となり、勝負がつくことはなかった。
(将棋でいう千日手の状況に陥った。)信長は対局者二人を帰し、自らの宿所に戻った。
 翌朝、宿所(本能寺)を明智光秀に襲われて信長は死亡。この碁の再戦を見ることは
できなかった。

 この話、真実ではないと言われているけれど、いかにもと思わせる話です。

ユーザーID:6329034651
なるほど、と思います
トピ主(トピ主)
2017年8月4日 9:13

緑鍵盤様

お返事ありがとうございます。

>細かく言えば、上記セリフは芹沢九段の創作ですが

ご本人が、折に触れて口にされていましたので、 米長永世棋聖一流のギャグだと思っていました。

米長永世棋聖は、芹沢九段を敬愛されてたようですから、なるほど、と思います。

ユーザーID:4285254390
秀吉の対戦相手
ピルチャード
2017年8月6日 0:45

トピを読んで初めて知りましたが、「太閤将棋」という名前まで付いているんですね。なるほど、確かに駒を落した側が必勝に近いです。
ちなみに、この時の秀吉の対戦相手は初代名人の大橋宗桂だったとしている話もあります。真偽は別として、その方が納得できますね。相手が名人だったら、これでも勝つのはけっこう大変かも知れません(宗桂も秀吉にとっては部下には違いありませんし)。

それから秀吉にちなんだ将棋の話としては、「王将」という駒は秀吉が作らせたという説もあります。それまでは両「玉将」だったとのことです。

ユーザーID:0515818601
8月6日 0:45 ピルチャード様までお返事します
トピ主(トピ主)
2017年8月7日 18:27

お返事ありがとうございました。

あっは〜ん様

>この話の面白さはルールを知らないとわかりません。

丁寧な解説、痛み入ります。


金将銀将どうしよう様

>翌朝、宿所(本能寺)を明智光秀に襲われて信長は死亡。この碁の再戦を見ることはできなかった。

とても面白い話ですね。

信長を悼む気持ちが生んだ話でしょうか。


ピルチャード様

>それから秀吉にちなんだ将棋の話としては、「王将」という駒は秀吉が作らせたという説もあります。それまでは両「玉将」だったとのことです。

聞いた事があるような気がします。

自分が相手と同じ「玉将」なのが気に入らなくて、自分の方を「王将」にした?

違っていたらごめんなさい。

ユーザーID:4285254390
 
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