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松平容保

門前小僧
2017年8月4日 9:45

松平容保に興味があります。

小説、学術書、なんでも結構ですので、教えて頂けたら幸いです。

松平容保に関しては、京都守護職として尽力しながらも、時の流れで朝敵とされてしまった悲劇の人物、それくらいの印象しかありません。

よろしくお願いします。

ユーザーID:7677241018  


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タイトル 投稿者 更新時間
行基寺携帯からの書き込み
セイノウ
2017年8月4日 13:38


松平容保公は、尾張徳川家 親戚美濃 高須藩 の四兄弟のお一人として、江戸で生まれました。

今でも、岐阜県 海津市 高須町では、松平容保公をはじめ、江戸末期から明治にかけ時代に翻弄されつつも、誇り高く賢く行きた高須四兄弟をたいへん、敬っています。

余談ではありますが、高須藩のご先祖さまが、お眠りになっていて、また松平容保公も愛した、行基寺というお寺があります。

養老山脈の中腹にあり、名古屋市を含む濃尾平野が一望出来て、それはそれは、美しいお庭からの眺めは最高です。

このお寺は、高須藩のお殿様を含む側近しか、入る事はゆるされず、戦後になってようやく一般公開されるようになったそうです。

ユーザーID:2598211109
読売新聞 日曜版にも数年前にありました。
あのー
2017年8月4日 14:07

浄土真宗最初門 検索を。

菩提寺があります。

ユーザーID:9480653506
王城の護衛者
ペケポン
2017年8月4日 14:54

司馬遼太郎の本です。
これを読んで感動して、会津藩が陣を張った京都の金戒光明寺に行ってきました。
是非とも光明寺から京都御所を眺めて見てください。
少し、容保に近づけるかもしれません。
近くに会津藩士のお墓もありますよ。

ユーザーID:0148703454
八重の桜で
八重桜
2017年8月4日 15:19

2013年の大河ドラマ「八重の桜」で綾野剛さんが演じていました。

寡黙で知的な素敵なお殿さまでしたね。

ユーザーID:4609021756
嬉しいです。
会津大好き
2017年8月4日 18:54

会津在住です。
嬉しいトビです。ぜひ、この地まで足を運んでいただき、復元された鶴ヶ城や御薬園、御廟を訪問していただきたいです。

ユーザーID:5264502523
大河ドラマの八重の桜
タルタル
2017年8月4日 22:24

で割と取り上げられていたと思います。
頭は良かったみたいですがちょっと融通の利かない所があった、惜しい人ってイメージですね。新撰組関係だとあんまり良い感じには描写されていない気がする。

ユーザーID:7043613880
図書館サイトで検索
yu
2017年8月5日 9:46

手始めに、

国立国会図書館のウェブサイト

http://iss.ndl.go.jp/

ここで、「松平容保」と入力してみてはどうでしょうか?

すると今日(8/5)現在、
 ・本 163件
 ・記事/論文 14件
 ・レファレンス情報 23件
 ・デジタル情報 127件
 ・立法情報 15件

がヒットします。

お目当てのものを、近隣の図書館で読んだり、取り寄せたり、
楽しめそうです。本や雑誌記事の取り寄せは、
お近くの図書館で相談すれば、取り寄せの対応をしてくれます。

こうして手にした本の「参考文献」欄を見て、
そこに興味のありそうな本や雑誌が載っていたら、
更にそれを読むのもおすすめです。

ユーザーID:9202337150
スタート地点
カエルくん
2017年8月7日 13:47

 最近では「新選組」が再評価されているものが増えています。新選組と会津版は結びつきが深いですが。

 実は会津藩は「朝敵ではなかった」、見直し論が幅を利かせています。
 朝敵でないがゆえに斗南藩として存続したとされています。
 その証拠を突きつめていくともう少し交渉上手であれば良い所、大きい所へのお引越し(転封)出来たんじゃないのかなと考えさせられます。

 証拠は扇子だったと記憶しますが、スタート地点の設定によりいかにも解釈の出来る動乱のヒーローであることは間違いありません。

 後の西南戦争における会津藩の人、長州藩の陰謀すら感じます。

ユーザーID:8776151706
忠臣
Mr.ますりん
2017年8月8日 12:26

孝明天皇から宸翰(天皇自筆の書のこと)と御製を下賜された忠臣だと思います。そういう武士は数が少ないはずです。

ユーザーID:1567178463
真面目なお殿様
みうみう
2017年8月9日 5:56

会津家訓十五カ条は、読んでいて身の引き締まる思いのするものばかり。
東北の地でそれを守り生きてきた会津藩士たちのイメージはとにかく真面目一徹です。
そこのお殿様であった松平容保は、容貌も美しかったので幕末の混乱に巻き込まれたいち歴史人物としてとても印象に残っていますね。

真面目一徹の家風の下で育ったがゆえ、時代の変化に上手に順応し、流れに乗るという事が最後まで理解できなかったのかな。

ユーザーID:4973050989
8月8日 12:26Mr.ますりんまで拝読しました
門前小僧(トピ主)
2017年8月10日 17:42

みなさま、お返事ありがとうございます。

おかげさまで、より、イメージが鮮明になったように思います。

ご教示頂いた検索方法を含め、自分にあったものを探して読んでみようかと思います。

ユーザーID:7677241018
実直で愚直なイメージです。携帯からの書き込み
カッツ
2017年8月11日 1:52

実直で愚直過ぎるが故に薩長の策略に嵌まってしまった!(この時薩長が利用した錦の御旗は偽物です。)偽物と分かっていても手を出せば、朝敵に為ることは必須。
その後薩長率いる明治新政府に寄り執拗なまでの会津攻め。薩長の会津攻めが、俺は許せない!

ユーザーID:9452492909
ありがとうございました
門前小僧(トピ主)
2017年8月13日 5:29

お返事ありがとうございます。


みうみう様

>東北の地でそれを守り生きてきた会津藩士たちのイメージはとにかく真面目一徹です。

藩士について考えた事はありませんでした。

必要な視点だと思いました。


カッツ様

>その後薩長率いる明治新政府に寄り執拗なまでの会津攻め。薩長の会津攻めが、俺は許せない!

薩長による会津攻めは、あえて敵を作るの感があると、私も思いました。


なかなかできない話を皆様とできたことに感謝しています。

読んでみようと思う本も見つかりました。

お返事は、ここまでとさせて頂きます。

ありがとうございました。

ユーザーID:7677241018
セイノウ様
トウモロコシ
2017年8月13日 18:26

浅学菲才、うろ覚えですが、

高須の四兄弟は江戸生まれで、領地に帰った人物はいなかった気が致します。 お部屋様でしたので、会津とかに養子で出されたものです。 

尾張徳川の支藩でしたので、家老も他の上層部も殆どが尾張徳川家からの出張役人で地侍との確執はひどかった様です。 まあ、其の様な譜代・外様関係は高須家臣団のみの問題では無く、どこにでもあった様ですが、、。 土佐の一領具足が頭に浮かびます。 

ですので、会津についていった家臣団も高須の地侍では無かったのでは?  

ユーザーID:5595299404
個人的感情が、入ってしまいました。携帯からの書き込み
カッツ
2017年8月14日 23:12

ただ容保公は、孝明天皇への忠義を尽くした人だと思います。慶喜公などが、容保公に無理矢理?京都守護職に指せられた!しかし引き受け病に犯されながらも会津の教訓を守り最後まで自分達に誠が、あると信じて生きたと思います!容保公と会津藩士達は、自分達の汚名が晴れる日を信じそして明治政府も最終的にそれを認めました。当時の会津藩士達は、泣いて喜んだと記憶してます。

ユーザーID:9452492909
 
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