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発言小町

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勝つことの喜びがわからない 携帯からの書き込み

みな
2017年8月5日 16:18

自分で、自分のこの考えに問題があると思っています。
思い返せば、幼少期からそうでした。
「負けん気がない」
母によく言われていました。母は負けず嫌いな性格でしたので、余計にいらだっていたようです。
私は、競争心がありません。
勝ちたい!という気持ちが出てこないのです。
むしろ、勝ち負けがあるものごとについては、負けたほうがいいなら負けたほうがいいのかな、という感じでした。
例えば、スポーツなどで、自チームが勝ったとします。そうすると、当然相手チームは負けて落ち込むわけですが、その落ち込む姿をみて、勝ったことを喜ぶなんて、いいのかな?などと考えてしまうのです。
もし自分が負ければ、相手は喜ぶわけで、そちらのほうがあぁよかった。となり結果的には嬉しいです。
なんだかおかしい気がするので、このようなことを人に言ったりはしません。

勝ってうれしいとはどういった感情でしょうか?

ユーザーID:6776413174  


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タイトル 投稿者 更新時間
競争心がないなら結果負けて嬉しいにならない。
極上ぷりん
2017年8月5日 18:41

母への当てつけ(反面教師)が原因では?
勝ち負けに拘らない幼少期を得て
トピ主が結果負けるのが嬉しいと感じてしまうのはただの思春期や反抗期からの衝動。

幼少期からの感情と今とは結果同じ感情であっても異なる理由からである。

個人競技でもないのに喜べないのは
チームメイトと協力をして勝利したと思っていないのでは?

負けて嬉しいのはただの傲慢・奢り。
自身に言い聞かせている負けた時のただの言い訳にすぎません。

それ以外に理由は
自身のチームが負けて結果嬉しくなるのは
自身のチームが敵チームより嫌いなだけです。
相手チームの喜ぶ姿を見てチームメイトの負けた姿を見ない行動は不可能に近い。

もしくは
自身のチームメイトの負けて悔しくて悲しい姿を見るのが好きなだけです。
反抗期でないならただの変態気質。

競争心がないのなら負けて結果嬉しい良かったとは思わない。
勝ち負けなんてどうでもよくない??

負けても勝ってもどちらかの悲しい姿を見るのが辛いくて喜べないのと
自身のチームが負けて結果嬉しいのとは意味が全然意味が違う。

負けて結果嬉しい感情はチームのことより自身の都合が優先された感情なダケ。

「結果的には嬉しい=勝って嬉しい」が近いのでは?

その場の勝った空気を楽しんでいるダケで勝ちにさほど喜びはないかもしれませんヨ?
経過や継続も関係しますから1度勝った程度では…。

勝ち負けに拘り過ぎているから自身や他人の言動が気になるダケです。
勝っても負けてもどちらでもいいんですよ。
必要な戦いは実になり糧になる。

負けて人生終わりの戦いは稀なのだから。

負けて悔しくなかったり悲しくないのは
成長・学ぶこと(実になる糧)を放棄したに過ぎない。

成長を自ら止めるのは子供のままで居たい甘えの衝動かもネ〜。

ユーザーID:7159932768
勝ち負けの意味の矮小化
サイコロ
2017年8月5日 19:58

失礼ながら、トピ主は勝ち負けの意味を矮小化してとらえています。
勝ちとは対戦相手を基準にしてそれよりすぐれていたことを証明したことになり、すなおに喜べばいいのです。
負けとは対戦相手を基準にしてその域に達しなかったということで、さらに精進してその域に達っするよう頑張ればいいのであって、失望するようなことではありません。
負けた相手もへんな同情をされたくないと思います。

ユーザーID:3576657832
自己肯定術
サマーみんみん
2017年8月5日 19:59

きっとあまり誉められた経験がないのではないですか?
誉めるところはあったはずなのに、親の誉め方が下手だと誉めてもらえないので、できた時とか、勝った時の喜びを知らずに育ちますね。

生存競争の原理から、勝って嬉しいのは自然な感情で、どちらかというと、少しはあったほうがいい感情だと思います。
もう親に誉めてもらう体験はできないので、自分を自分で認めてあげる、自分を誉めてあげる習慣をつけたらいいと思います。

寝る前に、ノートなどに自分が頑張ったこと、人に喜ばれることをしたことなどを記入します。
それを見て、頑張った、よくやった、私はできる、競争に勝てると言葉に出して言ってみてください。
勝つ喜びは、人を蹴落とすことではなく、自分の心があらゆる誘惑に勝ったことでもあるのです。
人に勝つより、自分に勝つことが真の勝利です。

ユーザーID:0793085625
それわかります
丸茄子
2017年8月5日 20:07

トピ主さんと少し違い、勉強なら勝ちたいと思っています。
でもスポーツの集団プレーとなると、同じで、
負けた人の落ち込みように後ろ髪が引かれ、
嬉しい気持ちが半分に減ります。
あの戦勝ムードにはついていけません。
ひいては、こんなにまでして人に差が出るのは果たして良い事だろうか、
などと哲学的になり、周囲を白けさせてしまいます。

平和な現代に生まれて良かったと思っています。
もしあの大戦のさなかに生まれていたら、
私は周囲と同調できず、目をつけられていたと思います。

ユーザーID:3227240860
私もそうでした。携帯からの書き込み
くりぃむあん
2017年8月5日 20:14

なんか勝つと罪悪感みたいなのがね〜。わかる。わかる。

でもある人に、「それって上から目線じゃない?負けてあげてる…みたいな感じに見える。当事者じゃなくて俯瞰して見てるみたい。何様?」と笑われてはっとしました。

結局のところ負けたいと思う人間は勝ちたいと思う人間と同じで勝負にこだわってるわけですよ。しかもかなり自分本意な考えだってことにも気づかされました。

私は大人になってやっと少しずつ勝ち負けに執着しないようになりました。勝てば素直に喜べるし負けてもあー頑張らなきゃって思えるようになって来ました。

勝っていいんです。負けてもいいんです。喜んでもいいし、喜ばなくてもいい。でも勝ってうれしいと言う人の気持ちに寄り添うことはやっぱ大事ですね。

ユーザーID:7990803055
私もよく似ています
匿名
2017年8月5日 20:37

私もです、トピ主さん。
つい今日もぼんやりとそんな事を考えていました。

勝ち負けってそんなに大切な事なんだろうか…と。
スポーツの世界では切磋琢磨する為に必要なのかも?とも
思うのですが、私はスポーツにはそんなに興味もなく。

優劣をつけたがるのが人間なのか…
でも勝ったからってそんなに嬉しいのか…
私が一番納得いかないのが戦争です。
飛躍し過ぎかもしれませんが。

でも戦争で勝ったからってなんなの?
その為に他の国の人が苦しんで土地を奪ってたくさんの
命や幸せを奪って、一体なんなの?と・・・
そして勝った国は負けた国から憎しみや恨みを買います。

勝つとか負けるとかより、お互いが幸せになる事を
考えたほうが良いのでは?と。

まぁ、こんな人間も居るって事で…

ユーザーID:0341476212
味わった事がないなら、説明しても理解出来ないと思う携帯からの書き込み
匿名
2017年8月5日 20:43

勝つという喜びは、人間の持つ原始的な闘争本能の成せる業だと思う。

トピ主の様に、競争というものに対して遠慮したい、争いたくないと思う人はいますよ。

理解出来ない事を、無理に理解しようと思う必要はないと思う。

ユーザーID:8841184549
喜びの感情は、無理して感じるものではないと思いますよ!携帯からの書き込み
紅茶
2017年8月5日 21:18

貴女の様な性格になりたいと思いました。
私は、今迄 夫と口喧嘩すれば、
勝たないと、気が済まず

言い負かされると
腹が立って
その解消に、ヤケ食い 浪費
で過ごしていました。

貴女のトピを読んで、
何故か
素直に
心に響いてきました。

このトピを立てて下さり
それに目を留める事が出来た
ご縁と運に感謝しています。

世界中の人が 他人の喜ぶ姿を見るのが
自分の喜びになれば、
悲しい事件や、悲惨な戦争も
無くなるでしょうね

貴女と結婚される男性は幸せです。

ユーザーID:3756331159
喜んでくれる人の顔が思い浮かばないんですか?
タルタル
2017年8月5日 21:19

貴方にが勝つことで、それを喜んでくれる人の顔とか思い浮かびませんか? 応援してくれいた人が喜んだりチーム戦なら自分たちのチームメイトが喜ぶだろう事は想像できないですか?
 私もあまり勝ちに拘りが無いですが(私の場合は面倒くさいからですが)、まぁ勝つと喜ぶ人が居るので勝てるように工夫はしていましたよ。
 貴方の場合も、勝てば母親が喜んでくれそうですけどね。

ユーザーID:5119529184
勝つことが喜び
かもみいる
2017年8月5日 21:55

勝ってうれしい、という感情はですね、
「相手を負かすこと」が嬉しいのではなく、
「それまでの努力が報われた」から嬉しいのです。

なんにも努力してなかったら、
勝っても、感動は薄いでしょう。

オリンピックでメダルを得た選手が
涙を流したりして喜ぶのは、
4年間、死にもの狂いで努力したからですよね。

ただ、嬉しい、とか悲しい、怒り、喜びなど、
感情は、個人的なもの。
だから、主さんが勝つことへの喜びが薄いからといって
もっと喜べ、と強制はできないもんです。

ユーザーID:7814331701
同じです
同じです
2017年8月5日 22:17

トピ主さんと同じようなことを考えています。
はっきり考えるようになったのは、野球やサッカーなどのスポーツの勝ち負けにまったく興味がない自分に気づいたときからです。

若いころ学生時代はスポーツ全般があまり好きではない自分に気づいてはいました。勝ったり負けたり、はどうしてもなじめなかったので、友達が大騒ぎするのが不思議だなあ、と思っていました。

他人にいうと変だといわれるのでだれにも言ったことはありません。
ただ、私があまりスポーツや勝負事が好きではなさそうとは友達はよく知っているので、観戦などには誘われません。

でも音楽会は大好きです。たくさんの人が協力して一つの音楽を創っている、そのことに感動します。競争はあるのかもしれませんが、それは勝ち負けではなくて競いながら上達するってことだと思うのです。
もちろん、コンクールなどもありますが、コンクールは技の競い合いで試合、ではないですからね。

ユーザーID:1765725520
とりあえず携帯からの書き込み
リョウ
2017年8月6日 4:40

臨床心理士か何かにカウンセリングでも受けてみてはいかがでしょうか?
人の感情なんて人それぞれです
どれが正しくてどれが間違いなのかはわからないと思います

最悪、いろいろなことに対して勝ち続けるのも手かも知れません

ユーザーID:2958434895
それもありですね
清美
2017年8月6日 10:56

ガツガツと勝ち負けに拘らず、なるに任せる、これも生きたとしては

いいのかも知れませんね。

ユーザーID:6088200097
達成感じゃないですか
チュン夫
2017年8月6日 11:17

私はスポーツは超苦手なので、試合では負ける一方ですが、勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。

負けたのは自分に一瞬でもミスや不運があるから負けた。もしくは明らかな力の差があるから負けるのです。「落ち込む」としても、本来はその悔しさをバネにして、次に備えて練習に励むべきものです。

勝った場合、ライバルとなる相手がいてくれて、一緒に競えたから勝てたわけで、相手の健闘を称えることは重要です。

相撲の白鵬関が小学生相手に連続千勝しても、白鵬関は勝ったことを喜ばないと思います。

相手の気持ちを案じて「自分が負けてよかった」と思うのは、穿って見れば「競争相手に対して、自分の全力をわざと出さず、相手に勝ちを譲った」とも受け取れ、相手を愚弄したと思われるかもしれません。


トピ主さんの考え方を変えるのは難しいと思いますが、トピ主さんが何かの努力をして「達成感」を味合うことは可能です。

勝負で勝って嬉しいのは「達成感」を味わえるからだと思います。

山登りだと、たとえ低い山でも、自分が登りたい山に登り、途中でバテてあきらめたら悔しいし、頂上まで登って景色を眺めれば「達成感」が得られます。

競争心がなくても、自分のやりたいこと、やるべき事に真摯に向き合えばいいのです。

仕事でも遊びでも、目標を定め、それが達成できればトピ主さんだって「嬉しい」でしょう。それが勝ったときの気持ちと同じです。

ユーザーID:5736322501
自分を主役でなく、好きな選手とかを想う
絹子
2017年8月6日 13:17

例えば、スポーツとかに置き換えて、好きな選手とかいませんか?
私は、たいがいの日本選手を応援していて、勝った試合を見るのが好きです。

相撲とかだと、稀勢の里が勝てばうれしいし、女子バレーボール、なども応援しています。
他にも、感動の勝利とかには、涙しています。

自分でなくても、勝利の味って、味わえると思います。

ユーザーID:4371618893
う〜ん
ぽむぽむ
2017年8月7日 7:31

トピ主はかなりお若い方でしょうか?
珍しいとは思いますが、その考えが悪いとは思いません。
しかし残念ながらあなたを取り巻く「世の中」というものは全くの正反対です。
みな表面上は取り繕っていて、ギラギラした目付きはしていません。
社会に出て働くようになると、嫌でも競争、比較、優劣、その結果としての評価と報酬。
報酬の多い少ないは自分の生活レベルや質に直結します。
また、多くの人には自尊心を満足させたいという自然な欲求があります。
そのため他者より優れていることを目指し、自分より優位な者には嫉妬し、そうでない者は見下して自尊心を満足させる。
そういう世界ではトピ主は「餌食」の対象となりやすい可能性が考えられます。
このような書き方をすると、人間は何と汚い生き物なのかと感じるかもしれませんが、競争や他者より優位を目指す事は、実は発明や発展など種の存続に重要な要素でもあります。
他者を貶めてまで優位に立つというのは感心できませんが、正当な競争は必要なのです。
少し話が外れますが、競争をせず皆平等に富の分配をするという主義・考え方があります。
平等に共存する、その思想はとても理想的ですが、
これを実現できた国家はないと記憶しています。
人の数だけ考えや欲があり、情熱にも温度差があり、差があると粗密が生じる。
持つ者と持たざる者が生じるのは致し方ないでしょう。

他人事ながら心配なのはトピ主の人生です。
無欲であることは、強欲であることよりも美徳とされる世界・分野もありますから、そういうところで平穏に生きていけるとよいですね。
(但し、そういう世界にも序列は必ず存在します)

ユーザーID:0565415542
おいくつですか
おっちゃん
2017年8月7日 11:26

もしかして、未成年ですか。

たとえば受験に置き換えて考えて見てはどうでしょう。志望校に受かる。滑る。受かるは勝ちで滑るは負けです。それでも負けがいいですか。

ユーザーID:8859483703
答えるぜ
田中
2017年8月7日 12:31

練習の成果が実って結果が出た、これに尽きるぜ。

ユーザーID:6946314948
競争
ぴい
2017年8月7日 17:10

あまり、競争率の高いものに挑んだ事がないのかもしれませんね。
難しい資格試験、自分の入りたい企業、昇進、恋人。
こんなのにも、「負けても(自分が選ばれなくても)、他の人が喜んでるから自分は嬉しい」と思えるのですか?
多分、会社の営業や経営をしても、使い物にならないでしょうね。

ユーザーID:1377189558
勝ち負けは流動的なもの
徒然草
2017年8月7日 22:56

運動神経がよくスポーツが得意です。

もちろん、勝ち負けのあるスポーツも色々してきまして、勝って喜んだり、負けて泣いたりしてきました。でも、勝ち負けってそれだけではないのです。

勝負のはっきりしないスポーツでも、自己更新記録を打ち立て時は、かなり嬉しいです!フルマラソン4時間切れると大喜びの普通のランナーですが、夏に走り込んだあの努力が報われた気がします。

また、勝負のはっきりするテニスやゴルフなどは、勝ち負けが一定しません。今週優勝しても、翌週は最初の組で、あっけなく敗退します。子供のスポーツでもオリンピックでも、一生負け続ける事も一生勝ち続ける事はないです。

勝った時に嬉しくて喜ぶ、来年は(もしかして)負けて泣いて悔しがる・・・

勝負事ではなく、勉強の成績だって、仕事の業績も流動的なものです。人間ですから、喜怒哀楽、色々な感情がでてきます。一つの感情がずう〜っと、人生最後まで続く事はありません。

ユーザーID:0710493355
 
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