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弁慶(駄)

土佐坊
2017年8月31日 12:39

絵本の弁慶は、色んな物を背負っていたと思います。

でも、よくよく考えると、人間相手に戦うには、あんなものは必要ありません。

弁慶は、なんのために、あんなものを背負っているのでしょうか。

ご存知の方、教えて下さい。

ユーザーID:7725161791  


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タイトル 投稿者 更新時間
取り上げた武器だったと思う
ねこねこ
2017年8月31日 13:17

確か・・牛若丸に会うまでに対戦して倒した相手が持っていた武器だったような・・
コレクターだったんですね。

ユーザーID:8353536216
七つ道具
常陸坊
2017年8月31日 13:51

弁慶の七つ道具ですね。

・鉄の熊手、騎馬武者をひっかけて引き摺り下ろす道具
・大槌、・大鋸、・鉞(まさかり)、ハンマーにノコにオノだから敵の陣地を壊すのにも、味方の陣地を作るのにも使える。
・突棒、・刺股、・袖搦、三つとも捕縛用の道具

そして手に持っているのが薙刀。

実際の戦闘で必要なのは熊手まででしょう。
しかし戦争は戦闘だけではありません。
陣地を攻めたり、陣地を作って守ったり。
その為の道具も必要でしょう。

また、騒乱鎮圧や雑兵狩りなど、相手の命を奪うまでもない時の武器も必要でしょう。

と、いいますか、負けが込んでくると逃亡生活に入りました。
野宿の際にはノコやオノで薪を作る事も出来たし、ハンマーで杭を立てて簡易テントを作ることもできた。突棒や刺股はその支柱にも転用できたはずですから、実にありがた道具だったことでしょう。

強引な解釈ですが(笑)
実際、弁慶の七つ道具の中身も諸説あるようですよ。

ユーザーID:8466367594
たしか戦利品じゃなかったかな?
お節介男
2017年8月31日 16:55

 夜な夜な街中を出歩いて強そうな相手に出会うと喧嘩を吹っ掛け、負けた相手の獲物をまき上げて背中にしょった籠に入れて歩いていたのではなかったかと思います。
 牛若丸と出会った時、勝てば「千本目」の刀を手に入れられるはずが逆に手玉に取られて主従の契りを結んだという話ではなかったでしょうか?
 なんせ60年ぐらい前によんだ童話の話なのでうろ覚えですが。

ユーザーID:8163226956
そりゃもう
おひま様
2017年8月31日 22:28

絵本でしょ?
そりゃもう、子供の目をひきつけるためです!

って書いたけど、どの絵本?
文章は?
曖昧過ぎてわかんなーい!

ユーザーID:1546486110
千本の太刀
Ken
2017年9月1日 11:30

弁慶は1000本の太刀を奪おうと悲願を立てます。

弁慶は道行く人を襲い、通りかかった帯刀の武者と決闘して999本まで集めたところで、五条大橋で義経(牛若丸)に出会います。

その太刀を集めている様を表現するのに「武器をたくさん背負っている」と表現されるようになったのではないでしょうか?

ユーザーID:8957470591
刀狩り中だったからかな
アラフォ
2017年9月1日 14:30

そんないろいろ背負ってたかな?と思って検索してみました。
五条大橋でのシーンならあの弁慶は1000人から刀狩りをしている最中だから
今迄戦って勝った人たちから集めた武器を背負ってるっていう設定なんじゃないかな。

僧兵はそうでもないけど、修行僧や山伏は常に荷物を背負ってるイメ―ジですね。
弁慶はそれプラス長刀なかんじ。

ユーザーID:1522498468
必要に応じて
ナビ
2017年9月1日 16:51

薙刀・鉄熊手・大槌・大鋸・さすまた・つく棒・袖搦

これが、弁慶の七つ道具とされるものです。さすまたは、今や学校に備えられているはずです。その時の状況に応じて使い分けると考えられます。また、義経公のボディーガードですから、色々と道具が必要です。
弁慶は大変強いので、多くの道具を背負っても戦いに差し支えないのです。

ユーザーID:4630686131
戦は人と人との戦いだけでない
tora
2017年9月1日 17:42

鎚とか鋸、鉈などは城門を壊したり、柵を作るときに使います。工作兵です。

ユーザーID:9569650202
コレクション
しずのおだまき
2017年9月2日 3:31

たしか戦った相手からぶんどった武器をコレクションしていたんじゃなかったでしたっけ。
あと1つで百本とか千本とかに達して満願のはずだったのに牛若さんに負けてしまったんでしょう?

ユーザーID:8683343269
ツンデレ
土佐坊(トピ主)
2017年9月3日 10:29

お返事ありがとうございます。

ねこねこ様

>コレクターだったんですね。

言われてみると、どこか、オタクぽい気もしますね。


常陸坊様

>弁慶の七つ道具ですね。

そうか、七つ道具でしたね。

詳しいご解説、痛み入ります。


お節介男様

>牛若丸と出会った時、勝てば「千本目」の刀を手に入れられるはずが逆に手玉に取られて主従の契りを結んだという話ではなかったでしょうか?

元祖、ツンデレ、かも知れませんね。

ユーザーID:7725161791
文化ですよ
土佐坊
2017年9月3日 15:54

おひま様

お返事ありがとうございます。

>絵本でしょ?
>そりゃもう、子供の目をひきつけるためです!

絵本も、いうまでもなく、文化ですよ。

ユーザーID:2005180257
逃亡生活に必要な「七つ道具」だと思う。
旅女
2017年9月3日 21:34

義経は頼朝の追っ手を逃れるために、あちこち逃げました。

京都の鎌倉寺で成長した義経は、源頼朝の追討を受け、

奈良の山奥の吉野山や
北陸を通って東北まで

逃げに逃げました。

山の中の道なき道や
海岸端の浜辺の洞窟や

ありとあらゆる環境を逃げて生きたので、

寝る場所を作るために、下草を刈り、例えば雨季なら、木を切り足もをと浮かして寝床を作ったり。
草や灌木を切って割って、草を刈って、川魚を食べる火を燃やしたり米を炊いたり、

生活するための道具が必要だったと推測します。

そのためには、鋸(のこぎり)や鎌や鉈や、いろいろな道具を持ち歩く必要があり、
力がある弁慶が、それを背おい、旅をしたんだと想像します。

最後は義経を守り、東北まで逃げ延びて暮らし、ついには討伐された義経と弁慶。

京都から北陸・・東北と、裏日本を旅すれば、義経と弁慶と一行が逃げ延びた場所の言い伝えがあちこちに残っています。途中で一行のお供の人たちとの別れの場所もあり、胸打たれます。

弁慶が、その逃亡の旅生活を支えた。その必要な道具が、その「七つ道具」だったと、私は想像します。

義経と弁慶は、東北に逃げ延び、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受けて、一息ついた暮らしをしていたが、結局、頼朝の追っ手に討たれました。

ちなみに、平泉の中尊寺の坂の上り口そばに、弁慶のお墓があります。旅で手を合わせてきました。

ユーザーID:6509581826
根本を見失っていました
土佐坊(トピ主)
2017年9月5日 7:05

お返事ありがとうございます。

Ken様

>その太刀を集めている様を表現するのに「武器をたくさん背負っている」と表現されるようになったのではないでしょうか?

たしかに、子供に訴えやすそうな気がしますね。


アラフォ様

>僧兵はそうでもないけど、修行僧や山伏は常に荷物を背負ってるイメ―ジですね。
>弁慶はそれプラス長刀なかんじ。

今風に言うと、サバイバルな感じでしょうか。


ナビ様

>薙刀・鉄熊手・大槌・大鋸・さすまた・つく棒・袖搦

>これが、弁慶の七つ道具とされるものです。

お手間を取らせてしまい、恐縮です。

>さすまたは、今や学校に備えられているはずです。

捕物帳などでも目にする、あれですよね。

>また、義経公のボディーガードですから、色々と道具が必要です。

平泉への逃避行など、きっと、そうであったでしょうね。

>弁慶は大変強いので、多くの道具を背負っても戦いに差し支えないのです。

あいたたた、肝心な点を失念していました。

常人ではない弁慶と、その弁慶を打ち負かした超人牛若丸、根本を見失っていました。

ユーザーID:7725161791
「夏草や 兵共が 夢の跡」
土佐坊(トピ主)
2017年9月5日 7:24

お返事ありがとうございます。

tora様

>鎚とか鋸、鉈などは城門を壊したり、柵を作るときに使います。工作兵です。

インフラが整備されていないあの時代、弁慶も苦労が多かったのですね。

私も、漫然と日々を送っていては、弁慶に申し訳ない気がしてきました。


しずのおだまき様

>あと1つで百本とか千本とかに達して満願のはずだったのに牛若さんに負けてしまったんでしょう?

弁慶は、コレクションが未完成に終わる悔しさよりも、義経と出会えた喜びの方が大きかったでしょうね。

義経を打擲したあとに泣きむせぶ勧進帳の弁慶や、自害する義経のための時間を作らんと全身に矢を受けてハリネズミのようになりながら、立ったまま死んだ衣川館の弁慶の原点が、五条大橋にあるのは疑いのないことだと思います。

松尾芭蕉が、感慨深く

「夏草や 兵共が 夢の跡」

の句を残しているのも、もっともだと思います。

ユーザーID:7725161791
お気持ちがこちらまで伝わってきます
土佐坊(トピ主)
2017年9月6日 13:52

旅女様

お返事ありがとうございます。

全体的に胸に染み入る文章で、

>ちなみに、平泉の中尊寺の坂の上り口そばに、弁慶のお墓があります。旅で手を合わせてきました。

お気持ちがこちらまで伝わってきます。

>弁慶が、その逃亡の旅生活を支えた。その必要な道具が、その「七つ道具」だったと、私は想像します。

絵本では、牛若丸と対峙した時から「七つ道具」を背負っていたように思いますが、お書きになっている事が背景にあって、後世に、そのように言い伝えられるようになったのかもしれませんね。

現代人は時間軸を絶対視しますが、それが全てとも限らないかもしれませんね。

あるいは、義経のために超人であろうとした弁慶の気持ちの具現化なのかもしれません。

(名文をありがとうございます。)

ユーザーID:7725161791
再度(訂正)鞍馬寺
旅女
2017年9月6日 14:44

訂正です。


京都の鎌倉寺で成長した義経

〜の「鎌倉寺」は間違いです。

義経が修行したのは「鞍馬寺(くらまでら)」でした。

×鎌倉寺
〇鞍馬寺

ユーザーID:6509581826
なんか違う気がする
tora
2017年9月8日 14:40

主さんのコメントがしっくりしません。

現代でも、兵を派遣する場合は正規の戦闘員以外に、工兵部隊や補給部隊が付きます。

川などで兵が渡れない場合には仮設の橋をかけたり、野営陣地の設営もします。

ですから、工具なども持って移動します。

ユーザーID:9569650202
承知しております
土佐坊(トピ主)
2017年9月10日 18:22

tora様

お返事ありがとうございます。

>現代でも、兵を派遣する場合は正規の戦闘員以外に、工兵部隊や補給部隊が付きます。

承知しております。

皆様のご意見、楽しく読ませてもらっています。

まだ、私の知らない事がたくさんありそうで、それを教えて頂けたらと思っています。

ユーザーID:7725161791
 
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