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発言小町

新しいトピを作成
本文です

ここに書いても仕方のないことですが・・・。

前期高齢者
2017年9月11日 17:25

私はもうすぐ古希を迎えようとしています。68才まで働きました。62才から登山に嵌まり、去年は南アルプス今年は剱岳・立山三山近くは里山から地方の有名山までかなり幅広く楽しんでいます。体力にも年齢の割には自信があります。でも何か物足りないのです。もちろんお金も大してありませんが、この先に見えているのは自分と妻の人生の終焉だけです。山登りも後5年もすれば若い人の足手まといになり、自然と遠ざかるしかないでしょう。エンディングノートも書き出しましたが、今一歩筆(キー)が進みません。災害復旧のボランティアも参加しました。しかし充足感がありません。このまま朽ち果てて行くのは人の常ですが、いっそうのこと早く死んで、もう一度生れなおしたいとも思いますが天から授かった命は全うしなければなりません。このやるせない気持ちの持って行き場がありません。とんだお目汚しを披露してしまいました。

ユーザーID:4222181771  


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タイトル 投稿者 更新時間
よくわかりません
トラキチ
2017年9月11日 21:32

<もうすぐ古希、68才まで働き、62才から登山に嵌まり、幅広く登山を楽しみ、
体力にも自信がある>
普通の人からみれば、これ以上ない素晴らしい人生と思えますが、トピ主さん、
欲張りなんでしょうか。
当方ももうすぐ古希ですが、受験勉強で悲惨な思いをし、最高学府といわれる
大学に入ったものの、学生時代から友達極めて少なく、社会に出ても、友達の少なさ、
孤独であることを周囲に蔑まれ、人間関係でも散々苦労しました。
今も友人は少なく、定義しだいではゼロですが、近所のジムで体を動かし、
同年輩のおじさんたちと時々呑み会を開き、過去を思えば、本当に幸せです。
過去があまりにもひどかったがゆえに多くを望まず、足るを知ったためかと思います。
トピ主さんの物足りなさも、先が人生の終焉だけ、というのも少々理解困難です。
幸不幸は各人の心の中にあり、ですね。

ユーザーID:9779669606
夫と同い年ですね。携帯からの書き込み
秋風
2017年9月11日 21:46

私は14歳下なんですが、、。

私の夫は自営業なので、今でも働いてます。
月に半分くらいですが、、、。

トピ主さんも68歳まで働かれて、立派ですね。
健康だから出来る事です。

仕事のような充実感は、なかなか得られないかもしれませんが
贅沢な悩みに思えます。

色々なことにチャレンジして下さい。

年下が偉そうにと思われるかもしれませんが、夫も今週、古稀を迎えます。何故か親近感がわき、思わずレスしました。

ユーザーID:9477986128
趣味を見つけるのが遅すぎた
50代女性
2017年9月11日 21:59

62歳からの登山も、それはそれで素晴らしいと思います。
でも若い時なら、もっと別の山に登れた。または、いろいろ荷物も持って、カメラや三脚も持って登れた。登るスピードも違う、行程ももっと別なものにできた。。。ということが考えられます。
もっと早くに趣味を持っておくべきでしたね。
そして若い時に、ちょっと無理してでも、いろいろやっておけばよかった。

よく定年してから「さあ、今から何をしようか。時間も多少のお金もある。」と趣味を探す人が居ますが、年とってからだと、覚えも悪いし、体力も無いし、目も見えなくなってくるし、細かい作業もできないという現実にぶちあたります。
私も仕事がひと段落し、好きな本をゆっくり読みたい思ってましたが、目が全然見えなくなっていて、メガネ掛けても疲れるので、もう読めません。
昔読んだ文庫本を読み返したいと思ってましたが、文庫本なんて、とても無理です。

人生やり直しは効かないので、現実を受け入れて、とりあえずやれることをやっていくしかないと思います。
今はまだ元気なのでいいですが、病気が見つかった、手術だとなったら、すぐ寝たきりになりますよ。
今は、まだ元気で動けるということを有難く思って、一日一日を生きなきゃ。
私は癌がみつかって手術から、まだとりあえず自分で動けるということだけでも感謝して生きてます。

ユーザーID:5090684274
キャンピングカーをレンタルして携帯からの書き込み
傀儡課長
2017年9月11日 22:31

3ヶ月ぐらいかけて夫婦二人で日本一周旅行でもしてみたら?

ユーザーID:6300911786
マスターズ陸上を目指されては
るる
2017年9月11日 22:43

90歳から陸上を始め、105歳で世界新記録を出した日本人男性もいらっしゃいます。
女性で90歳で、自動車のタイヤを引きずりながらダッシュなどしてトレーニングしている方もいらっしゃいます。
老化のスピードは加速していきますが、それに抗うことは可能です。
諦めたら全て終わりです。

ユーザーID:9846066352
お気持ちお察しします
のりたま
2017年9月12日 0:20

私の仕事はケアマネジャーです。日々後期高齢者の方と接しており
おのずと人がどんな風に老いていき最期を迎えるか日々直面している分
自分がどう老いて最期を迎えるか容易に想像でき時に暗澹たる思いがします

でも人は与わった分だけ生きる義務があると思います
生き続けるという事は大変な事だと思います

若輩者の私から一つ言えることはどうぞ年齢で自分に制限をかけないで下さい
あと5年たってもあなたはまだ73歳です。平均寿命より遥かに若く
先が続いています。

そして70代、80代、90代の生命力は強く役割もあります
その年でなければできない事はたくさんあるものです

ただ朽ちていくかあがきながら朽ちていくかは
トピ主さん次第だと思います。
どうぞこの先の30年も楽しめるようこのまま体力づくりに
励んでください!

ユーザーID:4405603843
『正法眼蔵随聞記』の中の言葉。『応量器は洗ったか』。1
若き時代の愛書
2017年9月12日 0:22

『正法眼蔵随聞記』(しょうぼうげんぞうずいもんき)は曹洞宗の禅僧の道元禅師の言葉を弟子が書いたものですが、その本の中に、こんな言葉があった。

弟子のひとりが道元禅師に尋ねた。「どうすれば悟りが得られるのですか。」と。

すると禅師はこう答えた。「応量器は洗ったか」と。

その言葉を聞いて、その弟子は、ハッと分かった。

応量器(おうりょうき)とは、禅宗の修行僧が使用する個人の食器のこと。

つまり「「応量器は洗ったか」」とは、「自分がさっき食べたご飯の食器は洗ったか」という意味。

道元禅師が示したことは、「悟り」とは

「どこか彼方にあるものではなく、目の前の必要なことを行っていくことの中にある」

ということ。(解説は本に書かれていなかったので、これは私の解釈。)

主さんの場合、何が物足りないのか〜ですが

その虚しさは
それは一番大事な「生活」=「自分が生きるために必要な事」を、何もしていないところから起こっているのです。

退職した主さんが、為すべきことは

毎日の自分が食べるご飯を作り、自分が食べた食器を洗い、着て汚れた下着や服を洗い干して、しまう。
毎日の食材を買い出しに行き、生活で汚れた部屋やトイレを掃除し、出たごみを捨てる。

そういう、人間が生きるために必用な大事なこと(根本)をしていないからです。

自分が生きるために必要なことは、自分自身で毎日、繰り返し行うのが、人間の暮らし。

毎日、自分で、ご飯を作っていれば、春夏秋冬、旬の野菜や魚が店に並び、今日はたけのこご飯作にしよう。明日は豆ごはんに味噌サバ〜そして好きなお酒一杯

パリッと乾いた洗濯物が嬉しく、雨の日は乾燥機で便利な生活を喜び
菜園で野菜作って食べるも良し。

自分自身で生活することが、人生の味わいや喜び。死ぬその日まで。

『応量器は洗ったか』。人生が漠然としたら、ここに戻るのも一手。

ユーザーID:9181298512
『正法眼蔵随聞記』の中の言葉。『応量器は洗ったか』。2
若き時代の愛書
2017年9月12日 0:28

また、これから老いて弱っていけば、それに応じて、いろいろ工夫をして、体を補助していくのも自分の務め。弱る体は悲しいのではなく、人間として誰もが通る道を歩いているだけ。

それはまた、老いを生き、生命がある限り生きるという、当たり前の姿。

足が痛くなれば杖をつき、膝サポーターをつけ、歩けなくなれば車いすに乗り、自分でできる限り移動し、自分で無理になれば人の力も借り、・・・・それらは自然な姿です。そういう時も人は生き続けるんです。当たりまえの姿です。

もっと老いると、自然におむつが必要になります。でもそれも人間の自然な姿です。オムツが必要になればオムツをつけて外出もできます。

元気で人の前で立派にやっているだけが、生きるということではありません。老いを生きるというのも、どういう姿であれ、人が生きる立派な姿です。寝たきりになっても同じです。寝たきりを、如何に自分で工夫して生きるかが、生きる姿です。

生きる本質は

どういう時も、今のその自分を『活かして』生きることです。

言ってみれば、
子供時代に遊んで勉強したのも「生きる姿」
若い時に働いてお金稼いだのも「生きる姿」
老いて、老後を生きるのも「生きる姿」

全て、その時その時を生きることが生きること。

老後に、何か楽しいことしたり、趣味を頑張ったりするのも、また良いですが、
それでも虚しくなれば、

「自分の生活をする」「日々を生きる」という原点に戻ってみませんか。

まずは、自分がさっき食べたご飯の「食器」を、当たり前に、洗ってみませんか。

それが人が生きる基本ですから。死ぬその時まで続く「自分が生きるための生活」ですから。

ユーザーID:9181298512
お気持ち、とてもよく分かります
大腸亭
2017年9月12日 0:53

 私は、現在67歳です。
 65歳で一応の定年、それから少しずつ仕事を減らしながらやって来ました。後、何年かは、こうした状態が続くでしょう。

 趣味は、多い方だと思います。東海地方に住んでいますが、東京や京都、宝塚などの劇場や寄席によく出掛けます。軽自動車で300km以上のロングドライブをすることもあります。パソコンを自作したり、スピーカーやアンプなどのオーディオ装置を組み立てたりもします。

 しかし、昔ほど忙しくない所為でしょうか、トピ主様と同じく、持って行き場のないやるせなさに襲われることが多いのです。
 だから、トピ主様のお気持ち、とてもよく分かります。

 心が鬱々とする時、私はこんなふうに考えるようにしています。
 このやるせなさに耐えるのが、現在の修行なのだと。

 仕事にせよ人間関係にせよ、人生には辛いことの方が多いように思います。私たちは、何時かその辛さから抜け出そうとして努力しています。
 そして、どうやら少し抜け出せたと安堵した晩年に、〈やるせなさ〉が襲って来るのではないでしょうか。

 私たちは、人生を、我慢と努力の青壮年期と、その成果を手にする晩年という、二分法で捉えがちです。
 だから、晩年に〈やるせなさ〉という苦痛が生じると戸惑ってしまうのです。

 身も蓋もない考えですが、人生とは、ただ辛さの質が変わってくるだけで、永遠に辛いものと観念してしまえばどうでしょう。

 仕事の辛さ、人間関係の辛さと同様に、〈やるせなさ〉の辛さもある。そうしたものに順々に耐えて行くことが、人生という修行だと覚悟する。あるいは諦める。
 これで、心が楽になるとはとても思えませんが、少なくとも、晩年特有の模糊とした苛立ちからは、逃れられるような気がします。

 勝手な思いを書かせていただきました。お笑い捨て下さい。


 
 

ユーザーID:8137615859
何故生きるのか・・・
れれれ
2017年9月12日 7:32

私も時々考えます
病気の辛さに負けそうになるのです

でも人は「生き抜くこと」が大切なんだそうです

だからどんなに辛くても生きなきゃならない・・・それを知ってから
私はふんばれるようになりました

主さんは本当に頑張りやなんですね
しかも肉体を使って動くことができる・・・羨ましいです

ボランティアができるのは素晴しいことですね

主さんの助けが必要なところはたくさんあると思いますよ

ユーザーID:8146348874
同感です
佐久太郎
2017年9月12日 8:47

S24年生まれの68歳の男です。トピさんはS22年生まれですよね。

我々戦後直後生まれの団塊世代ですよね。

戦後の高度成長時代をまっしぐらに駆け抜けてきた世代ですので、先短いこの

歳になるとフッとしてしまいますよね。

余り先のことを考えず健康に留意して今を楽しみませんか?

無の心でいませんか? きっとお迎えが来ますから。

ユーザーID:6267340026
間もなく古希を迎えます。
間もなく古希
2017年9月12日 9:16

地球上に生命が誕生して40億年経つそうです。私を遡れば、生命誕生の瞬間まで到達出来ます。私のDNAは、その時に出来たことになります。私には子どもがいます。孫もいます。私が死んでも、孫が子を産めば、悠久の生命は続きます。

28歳で就職、60歳で退職、年金生活も10年目です。悠々自適とまでは行きませんが、人並みに人生を楽しんでいます。以下が、私の人生三分論です。

前期30年間:専門知識と学位を取得しました。知るとことは人生を豊かにすることと同値です。
中期30年間:自分のため、家族のため、有意義なサラリーマン生活を送りました。子どもに、自立するための知識と学位を取得させました。
後期30年間:正に余生です。時々旅行、毎日語学、楽しんでいます。孫がどの様な人生を歩むのか、見ています。


纏まりの無い、愚にもつかないことを書きました。私は今を生きています。私自身は間もなく灰になりますが、私のDNAの一部は未だ暫く生き残ります。これで"良し"です。

ユーザーID:4297124235
何かを習う
にゃんこ
2017年9月12日 9:38

何か習い事されてみては?ピアノなど。いままでと畑違いのことを選ぶのがよさそうに思いますよ。時間はあるのですから、出かけて行ってすることは卒業してみてはいかがでしょうか。

ユーザーID:1505652791
大体皆さんが感じていることと同じです
2017年9月12日 10:25

 トピの内容は、大方の方が感じていることです。

 その中で、多くの方よりは、楽しく人生を過ごせたのではないでしょうか。定年後まで充実して溌剌と過ごそうと考えること自体が変です。

 そのような人生は、どこを探してもありえません。リタイアした後は、余生といわれるようにユックリと坂道を下るものです。少しやり残した、こんな筈ではなかった、もっとやれた、土砂降りだったなど感慨がありますが、どう転んでも、その他大勢の人生だったのです。その他大勢の悲哀というか、虚しさというか、誰の胸にも去来する思いです。(その他大勢には、大会社の重役も含まれますから人生は厄介です)

ユーザーID:4403161552
私はまだ現役ですが
これは団塊の世代
2017年9月12日 11:04

人生占いの館にいかれたら
先々何か見えてくるのでは

ここで独り言を言われても

愛妻ともども
国際フーテンの寅さんをされたら
どうですか

エコノミー症候群に気をつけて
お金を気にしないならビジネスでもフアーストでも
二ュヨークで1か月暮らす
ペルーのクスコで1か月

ブラジルの港町で1か月
オーストラリア
タイのバンコク

インド
スペインで半年
イギリスで1か月

観光もですが
人情あふれる人間臭い下町で
お金が尽きるころ
気力が尽きるころ

やさしいお迎えが来るかなと

認知症になって終わりのコースもありました

生まれ変わりは期待なされ無い方ほうが
向こうは向こうの都合があって

ひどい生まれ変わりになっても大変ですから

ちなみに
私は手のひらに
三奇紋があります
線というかすじですけど

ユーザーID:7869213420
そうですね携帯からの書き込み
うん…
2017年9月12日 12:12

宿坊体験したり写経したらどうですか

ユーザーID:7174216402
時間はたっぷり
みね
2017年9月12日 18:02

私(72男)も山が好きで、学生時代は、定期試験の最中でも、息抜きと称して一人で出かけていました。でも結婚し、体力的にムリとなり、諦めました。その代わり、趣味がたくさんできました。

リタイヤした今は、新しいことを手掛けてみようと、今年から多肉植物の組織培養に取り組んでいます。周囲に誰も教えてくれる人がいないので、ネットで勉強です。きょうも植物を切出して、寒天培地に植込みをやりました。明日は種を蒔く予定です。私もお金は無いけど、勉強する時間はたっぷりあります。

主さんは体力に自信があるのだから、エンディングノートなんて必要ありませんよ。誰しも死ぬけど、死ぬことがゴールではありません。毎日を楽しく生きること、それが私の目標です。

主さんは霧にまかれて登る山が見えなくなっている状態ですよ。そんなときは腰を下ろして、握り飯でも出して、かぶりつきましょうや。

ユーザーID:6657366254
まだまだエネルギーがあります
まっしろ
2017年9月13日 11:30

こんにちは。お仕事やボランティア活動お疲れさまでした。充足感がないのですね。

何も気の利いたことは申せませんが、まだエネルギーが余っているようにも感じます。後ろ向きなことおっしゃらずに、無理ない範囲でやりたいことを貪欲に楽しんでください。

自分は50代で焦るわりには何もやれてないです。一日が過ぎていくのが速いです。

まだ先はきっと長いです。

ユーザーID:9482371672
みなさまさまざまなお考え方をご教示ありがとうございます。
じいさま(トピ主)
2017年9月13日 16:58

所詮は自分がこれからの人生を、どう捉えながら生きて行くかと言うことに尽きることであることはよく分かっているつもりが、実は分かっていないと言うのが実情であり問題点なのでしょう。まあこれが正確に理解できかつ自分が正直に受け入れることができることが所謂≪悟り≫なのでしょうか?凡人中の凡人である私には到達し得ない境地でしょう。まだ体力・気力もあるが故の懊悩かとも思います。老いを素直に受け入れざるを得なくなったときあるいは気づくのかも知れません。これにてクローズさせて頂きます。みなさまありがとうございました!

ユーザーID:4222181771
やりたいことをやる!
山歩き
2017年9月13日 17:41

 タイトルの通りです。当方も古希目前、65歳まで働いた。40代から山歩きを始め、連れ合いとは富士山以外の国内の三千M級の山は殆ど登った。ここ数年、毎年のように海外(スイス、イタリア、マレーシア他)の山といっても二千〜三千M程の山歩き、ハイキングを楽しんでいる。

 他には月2〜3回のゴルフ、昔の友人、連れ合いも含めたプレーを楽しんでいる。昔なら関心のなかった歌舞伎・ミュージカル鑑賞も楽しめるようになった。まだまたやりたいことが沢山ある。でも身体が、無理がきかなくなった。

 自分は何者なのか、どこから来たのかの思いから、数年前にある大学の歴史学科に入り、関西の寺院・遺跡を先生と回り、坊さんの話を飽きるほど聞いた。面白かった。今でも、月に1回、歴史の勉強会に参加している。

 ただ最近感じているのは、自分が楽しむだけでいいのかということ。ボランティアも含め、世のため、人のために為すべきことがあるのではとの想い。これからは出来る範囲でやろうと思っている。

 トピ主も元気なうちに、やりたいことをやって、悔いのない人生を送ってはどうか。

ユーザーID:6030643944
 
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