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発言小町

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本文です

人生のゴールと幸せ

。。。
2017年10月7日 20:45

36歳女です。

10代後半から、20代後半まで
人一倍努力したり、理不尽な環境に耐えたり、会社に馴染めなかったり、離婚したりなど
自分の人生では、きつかった時期だと思っています。
とはいえ、世の中一般からすると、私立の女子中学校ー大学まで
ぬくぬくした環境で生きてきたのかもしれません・・・。

30代に入った頃から、色々上手く生き始めて(主に仕事)
自分のいる会社の経営に関わり始めたりして
世界が変わってきた気がします。

停滞は退化だとして、常に向上するよう
何かしら目標を持って努力してきたと自分では思ってます。
それは、仕事だけではなく
趣味や、習い事、容姿などあらゆることに対してです。

5年前に、10歳年上の人と結婚し、家庭も円満で、主人に全く不満もありません。
精神的にも、成熟が早まった気もしています。

長くなりましたが、ここから本題で、
ここ1−2年、目標を全く持てなくなってしまいました。

仕事も順調で、やりたい趣味も一通り終え、
食べたいものを食べたい時に食べ、
生きたい場所に行き、
欲しいものは、全て買って
自分の人生に満足したのが、寝てる間に死んでるなら
それはこの先いつきてもいい気がしています。

今まで仲の良かった友達と一緒にいても
話題が合わず、つまらないと感じてしまい
人との繋がりも薄くなってきたような気もします。

目標もなく、生きてることに意味が感じられない毎日です。
このまま、老化して終わっていくのだと思うと、
不安で仕方ありません。

人生のゴールはどこにあるんでしょうか。
幸せとは何なのか。。
もちろん人それぞれだと思いますが、
何もかも手に入ることはそうでもないのかとも思い始めました。

ふざけてるつもりはなく、本当にこの1、2年真剣に悩んでいます。。

ユーザーID:6148160648  


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タイトル 投稿者 更新時間
自分の欲だけですか?
おじさん
2017年10月7日 21:42

私は男性で、普通のサラリーマンです。最近順調で、社会人になったころと比べられないくらい収入も増え、贅沢な旅行もできるようになりました。
他人をうらやみ、欲ばかり大きくなる一方で、周りの人が幸せになる事が非常に嬉しく思えるようになりました。
色々な幸せを感じるようになった気がします。

ユーザーID:2491698883
私は死ぬまで発展途上
発展途上人
2017年10月7日 21:49

>仕事も順調で、やりたい趣味も一通り終え、
>食べたいものを食べたい時に食べ、
>生きたい場所に行き、
>欲しいものは、全て買って
>自分の人生に満足したのが、寝てる間に死んでるなら
>それはこの先いつきてもいい気がしています。

私は間もなく古希ですが、
仕事は、やり残したことがあります(ある記録を達成したかった)!

趣味の旅行は海外100回くらい行ってますが、難易度の高いところ(例:ソコトラ島、ウユニ塩湖、ガラパゴス、エンジェルフォールなど)はほとんど残っていますし、ゴルフも始めて4年目ですが、当初のスコア目標をクリアできていません。

欲しいもので買えていないのは、ポルシェ、釣りに使うボート(既に免許あり)、どこへでも飛んで行けるジェット機(免許は取る自信あり)などなど、たくさんあり過ぎです(笑)。

でも、自分の人生に不満足だらけですが、この辺りで、もういいだろうとの諦観は持っていますよ(笑)

>人生のゴールはどこにあるんでしょうか。

自分のゴールの限界を知って、そこに到達したら満足して死ねるでしょう。
そういう意味で、私はもういつ死んでも満足です!!

ユーザーID:6180663202
ひょっとして
碁キチおじさん
2017年10月7日 21:52

いわゆるburn out syndromというやつでしょうか。
人生のきつい時期を乗り越えて落ち着いた瞬間に突如、虚しさを
感じる時があるようです。
「寝てる間に死んでるなら、それはこの先いつきてもいい気がする」は当方含め
多くの人がある時期からもつ感情と思います。
辛口ですが、36歳は中途半端な時期です。平均的な人間が20代前半でもつ
虚無感を今感じてらっしゃるのかな?
アドバイスはできませんが、誠実に日々を過ごしておれば、ある日突然、霧が晴れ、
すっきりするときもくるかと思います。
誰もが一人一人の固有の人生を生きているのです。

ユーザーID:1629961409
自分の人生に目途がついたなら。
ガル・ヴィハーラ
2017年10月7日 22:12

他者のために生きてみてはいかがですか。

ボランティアなど、いかがでしょう。

ユーザーID:2737922515
マラソン、トライアスロン、ウルトラ・トレイルに挑戦!
孤高の人
2017年10月7日 23:56

>やりたい趣味も一通り終え

いえ、これ間違ってると思います。やりたい事はこの世の中にはたくさんあって、色んな興味がある人には無限にあります。多分とぴ主さん、ちょっと精神的に休みが必要です。

先ずは体の運動から始めてみてください。それから、ジムに通って体を鍛える事です。それからの目的はマラソン、トライアスロン、ウルトラ・トレイルに挑戦する事です。 そんな事私のやりたい事じゃありませんとスルーされるかもしれませんが、それが間違いです。 毎日エクササイズで体が健康になって、自分の脳にも変化が訪れて来ます。そしたら、もっと人生に興味が湧いてきて新たな幸せ、冒険、’趣味が待ってます。

読書による勉強も無限にありますよ。 これも怠らないように。心と体は一体です。両方鍛えてください。

ユーザーID:8384859002
人とのつながりが課題
石楠花
2017年10月8日 0:16

人生にゴールを設けることはあまり重要ではないと思います。
ほとんどの人は、ゴールを設けることなく、毎日を過ごしています。
ご飯が食べられる生活、家のある生活、健康に気を付けて、できるだけ人に迷惑をかけないように自分自身をケアしていくことだけが、全てなのではないかと思います。

ただ今のあなたに欠けていることが、これからの課題(目標)だとすると、それは人とのつながりです。
人間年を取っていくと、何が大切かというと、人とのつながりが一番の財産と気が付いてきます。
お金がなくても助けてくれる友達がいることで、人生なんとかなるぐらいです。
助けてくれるといっても、お互いさまです。
あなたも誰かを助け、そして助けられる。

今からでも、人とのつながりを大切にするようにしたら、今後の人生は彩あるものになると思います。
話題が合わない、つまらないは、自分ばかり大切にしているのでは?
人とつながるためには時に我慢もいるでしょう。
友人への思いやりを忘れずにいれば、老後は苦労話でもなんでもできるようになります。

ユーザーID:5520698567
老婆心のまなざし
無常の風
2017年10月8日 3:55

あなたの人生にゴールと幸せを設定すれば、それは未来に実現するものです。そのような未来を設定すれば、努力しつづける現在を生きるしかありません。努力した結果が常に気になるのです。自分が願った結果にならなければ行き詰まり、努力する気持ちが起きなければ不安になるのです。

努力すれば報われるという在り方だからでしょう。裏を返せば、努力しなかったら報われないので、不安を覚えるのです。そうなれば、自分の行き場を失い、今の生きる場所に安住できなくなります。その帰結は「努力してきた私の人生は何だったの」と自分に問うて答えが得られずに苦しむことになるのです。

これは努力した結果を未来の天命に委ねる在り方です。良い結果を出すために努力したという自負心が残ります。しかし天命は時として暗い運命になりかねません。努力しても安住できず、努力しなければ不安に陥るのです。

結果を未来に委ねる在り方とは別に、努力している現在に天命を受ける在り方があります。努力出来ることが与えられたことであり、それが生きることだと考えることが出来れば、未来の幸せを願う在り方から、現在の幸せに感謝する在り方に変えることが出来るのです。

ユーザーID:8504322250
平穏な日々に感謝
年代おばさん
2017年10月8日 5:51

目標を持って頑張り達成できるのは素晴らしいです。
目標を掲げての達成感だけが幸せと捉えれば、その目標が無くなれば虚しくなるのだと思います。
何事も起こらない(家族の病気や不幸、事件など)退屈な日々ほどありがたいものはありません。
それこそ何も起こらない日々が平穏であることが、小さな幸せと感謝であると私の年齢になれば思えます。

>精神的にも、成熟が早まった気もしています。
友人たちをつまらないと感じてつながりが薄くなって・・・とその年齢で思うのは、貴女が精神的に成熟したのかもしれないけど、言い換えれば成熟したと勘違いして上から見下す行為になっているのかもしれないです。時にはそのようなおごり的な時期があったりもするので気を付けなければいけないかなとも思います。自分の精神的な言動が作り出す今の貴女の思い(環境)になっているからです。

そしてまだ30代これからが人生の荒波は待ち受けているかもしれないです。
明日は何が起こるか分からない(良いにつけ悪いにつけ)のが人生です、だからこそ大きな幸せ探しでは無くて、足元に転がる何でもない小さな幸せでも満足する心も大事かなと思います。


後1年少しで古希になる母親ですが、自分の人生を振り返って思うには、荒波台風のような人生でした。
それを自分だけが不幸とは思いませんでした。
大変なその中でも自分なりの小さな幸せ感はいつも持ち、日々を今を懸命に生きることでポジティブに来れました。
結果晩年に入っているこの年齢で、本当に幸せな人生を送って来たと言えます。
それこそ仕事もしていない現在、若い人よりははるかに退屈な日々ですよ。
夫も亡くなり今は一人暮らしなので、余計に暇すぎるけど、それも贅沢な時間と捉えているので、毎日行動的に動いてスポーツ趣味にと枯れない生き方をしています。
小さな幸せを持てば心が満足して不満なんて探しようもないです。

ユーザーID:0638392696
「幸せは自己申告」(笑)・・といいますから。
ルバーブ
2017年10月8日 6:33

「綾小路きみまろ」さんのネタです。

「あれから40年」・・トピ主さんはまだ30代、
「その顔で」・・トピ主さんは容姿に自信有りなのね。

自分がそう思えば、
他人が、
「あんたその程度で幸せなの?」と言っても、
幸せであると思います。

今のトピ主さんは、
その逆なのかしら?
「充分恵まれてるよ」と言われても、
ちゃんと不幸を経験したよと言いたいのでしょう。

不思議なもので、
人は、
他人から、
「あなたは幸せですね」
「あなたは不幸ですね」
と決められるのは嫌なものなんです、
そこに「含み」を感じるから。

ゴールなんかないよ、
90歳の老衰の人は知らないけど、

みんな、
道半ば、
何かをしている途中で死ぬんだから。

悔い無いという人は、
ちょっとは他人に反省して死ねという話です(笑)。

ユーザーID:2818104256
安心するのは早い
いそじオバサン
2017年10月8日 6:51

すべてが順調であっても、それは踊り場的な時期かもしれません。
明日交通事故にあって、その前提が全部崩れるかもしれません。
だから死ぬまでこのまま…なんてことはありえないのでご心配なく。

それと、トピ文を読んでいて感じるのは、トピ主さんは大過なく暮らせればいい、という視点しか持っていないんだな、ということ。
人生は自分との勝負です。
自分がいかに社会の一員として他人の役に立てるか、自分を深めていけるか、それには終わりがないはずです。勉強に終わりが無いように。
「意味が感じられない」と思うのは、それを放棄している、または見失っている証拠です。

他人なんて関係ないです。友達と話題が合わなくても関係ありません。
人生は自分との勝負だから。

ゴールは無いです。あえて言えば、死ぬ時がゴールでしょうか。
幸せが何かって、精一杯努力しているこの一瞬こそが幸せであり、空虚さを感じるならそれは幸せにもう一歩のところまで来ているんだと思います。

ユーザーID:3751598042
生きる屍
ゆか
2017年10月8日 8:15

トピ主さんと似た感じです。人生の折り返しの年代だと思います。私は子どもがいないので(出来なかった)、同年代の人が子の為に頑張ってる姿を羨ましく思います。

今まで楽しかった旅行や趣味、食事等も味気なく興味が持てなくなりました。人は人のためには生きられるが、自分の為には難しいのだなと痛感しております。

60歳になったら人生終えようかと考えていますが、その年月が苦痛で。逆に決めたら生きやすくなるかと思いましたが、そう言うわけではないのだなと思いました。

生きていれば良かったと思われる瞬間も多いですから、少しの希望を持って頑張るしかないと思ってます。ただ、苦悩があっても、ダメな人生だからなんだろうなと諦めている自分もいます。

ユーザーID:8389374312
ふうむ
そうなんだ
2017年10月8日 9:29

人生のゴール、それは寿命が尽きる時。
生きている意味がわからない? そんなのわからなくてもいいんじゃない?
何故意味がないと生きてちゃ駄目なのか、またはつまらなく感じるのか。
それはあなたの考え癖だと思います。

それを突き詰めたいなら哲学でも学べばいいけど辛いならそこを脱却するのが道かもね。

毎日ただ意味もなく生きているのだって、素敵じゃないですかね。
生きているというか生かされてる、だよね。
太陽の光が眩しいとか星が綺麗だとか鳥が可愛い、花が綺麗、それを見てほっこりできるのも生きていればこそ。そういうの最近感じてますか?
それに何の意味があるのか、辛いってなっちゃうの?
それは疲れるだろうなあ。

とあるお坊さんもそんなことを言ってましたよ。生きてるだけで尊いって。
あなたのような人は何か究極な事が起こって生死の境をさまようような体験をしないと気付かないのかな。生かされてる幸せというものに。

ユーザーID:6482073412
誰かのために生きる時期
みつばち
2017年10月8日 13:00

トピ主さんにお子さんがいないという前提で…

同年代の私も、同じような感じです。
毎日楽しくて充実しているけど、もういつ死んでもいいような…
もちろん夫や両親を悲しませたくないので死なない方がいいのですが、自分としてはいつ命が終わっても問題ないと思っています。

34.5歳くらいから、自分のための事はもういいかな、という気持ちが出てきました。
当り前ですよね。周りの同年代は子育てで忙しい時期です。
生物学的には私も子育てに全力を注いでいるはずで、自分以外の何かを守り、世話をする時期なのかなと思っていました。
だから自分自身にさほど興味が無くなっているのかと。

私は元々「生きる意味」なんて無いと思っているので、これからも毎日それなりに過ごす生活で問題ないのですが。
もしトピ主さんが何かを求めているならボランティアのようなものを始めて他人とのかかわりを持ってみてはいかがですか。
何かが変わるかもしれませんよ。

ユーザーID:5798453157
みなさんと同じ回答になるかと思いますが携帯からの書き込み
ななみ
2017年10月9日 11:02

こんにちは。お子さんのことが書いてなかったけれど、何かどうしようもない理由がないのでしたら、妊娠出産子育てに挑戦されては。
私は38、39で2回妊娠しました。はじめての妊娠は早期に流産してしまいましたが、二人目は慎重にして無事に産まれ今4才です。余計なお世話だったらごめんなさい。
36才、まだまだこれからです。全てを自分の為以外に使う、って経験はけっこう良いものです。新しい自分に出会えます。

ユーザーID:5926394462
年齢的にこれから
パ好き
2017年10月9日 12:34

ご主人、四捨五入で50歳に近い年齢ですね。
節制し健全な生活を送っている方でも、避けて通れないものがあるのが健康面。
私、50手前ですが、これから色々きますよーほんとに。
あんなことで悩んでいられた頃が幸せだったのかも・・・なんて思える日がくるかもしれません。

ユーザーID:8876692547
たぶんそういう為の学問携帯からの書き込み
いもこ
2017年10月9日 18:43

同じ年の者です。
私達世代は就職も超氷河期の不遇の時代でしたよね。
受験・就活・婚活・妊活・保活等、
何かを掴むために常にかなりの努力を要し、掴んだものを守り育てるためにさらなる努力を続けて来なければならなかった世代だったと思います。

それを頑張ってくぐり抜けてきたトピ主さん、お疲れさまでした。

さて、目標を見失った件ですが、そういう時の為に幼少期から勉強してきたのだと私は思っています。
古来から学問はずっと人間の拠り所だったようです。人との繋がりも必ずしも要しません。
中学受験からしてきたトピ主さんなら、きっと勉強の仕方・好きな学問の見つけ方・学ぶよろこびを、幼少期から教わり身につけてきたと思います。私もです。

世の中には自分の知らないことが沢山沢山あって、一生をかけてもそれを学び尽くすことはできない。
人生やり尽くした感があるのかな?と思いますが、いろんな学問に向き合っていくのはどうでしょうか。
人生のゴールというのとは違うかもしれませんが、私達は平均でもあと50年生きます。
学び尽くすことはできなくても、学び続けて死んで行けるのなら、幸せかなと思います。もちろん私の個人的意見ですが。

ユーザーID:6244106848
これからは携帯からの書き込み
華麗なるひらめ
2017年10月9日 21:27

これまではご自分のために生きてこられました

そろそろ人のために生きる時期がきたのだと思います

一つの手は出産
育児で10数年は、自分は後回しになり目的云々なんて言ってられなくなります

それ以外ではボランティアなんか、いいです

仕事も大局的な視野で、社会貢献を意識するようにシフトを切るなど


自分のためだけに生きるって若さの特権で
年を重ねると、案外難しいんですよね

密かに同じような悩みを抱えている方、他にもいるのではないかと思います

ユーザーID:9842045435
ゴールね?
デラシネ
2017年10月10日 2:35

ゴールってあるんですか?
人生にゴールがあるとすれば、瞼を閉じた時かもしれませんが。

「幸せ」って、来る波を乗り越え、また乗り越えていくところにあるのじゃないかなと思っています。
一所懸命に、ひたむきに生きていれば、疲れも出てくるのじゃないでしょうか。

温泉あたりにゆっくり浸かって、ぼーっとするのもいいもんですよ。

求めている答えじゃないかもしれませんが、人生なんてそんなもんじゃないですかね。

ユーザーID:1563053525
誰からも共感はされないだろう
不屈闘志
2017年10月10日 22:53

表題は俺のことだが、理解されなくてよい。
俺はここ何年かまでしか味わえないであろう、
「幸せだ」と思うことを失ったので、それ以外のちょっとしたことを
「幸せだ」と思うことにした。
元気で働ける、それで食べていくことができ、住む家があり、着る服もある、それで幸せだ。
食べたいものを控え、行きたい所へは行けず、欲しい物は手に入らず、
それでもそんなこと、要するに自分の余分な欲を満足させることなどは、
失ったものに比べれば取るに足らない小さなことだから、何の不満もない。
人と会い、話が合わなくても、その人と会えて話すことができただけ奇跡的だと思うし、
自分の趣味は突き詰めれば深過ぎて、とても思い描くレベルまで達成できないので、
これをやれる間は冗談でも終わらせようということなど微塵も考えつかない。
多分、特にトピ主にはわからないだろう。

ユーザーID:3774675428
人生のゴールと目標は違います。
アルファロメオ
2017年10月11日 10:13

人生のゴールは「死」であると思います。生きているものは必ず「死」を迎えます。この世に生まれ落ちた瞬間から、誰もが「死」に向かってまっしぐらに進んでいます。しかし死は目標ではありません。目標はそのプロセスにあって、それは「幸せ」になることです。

「幸せ」は一度経験したからよい!というものではありません。人生のどのプロセスにおいても「幸せ」でなければなりません。

人生の目標を仕事や結婚や趣味や友人や食べ物・・・に求めてしまうと、トピ主さんのようにある程度のひととおりのことを経験してしまうと、やることがなくなって、目標をなくしてしまうことがあります。なぜならそれらは人生の目標ではなく、生きていくための手段、つまり道具に過ぎないからです。

どんなにいい道具を手にしても、人生の目標を達成した!とは言えないのです。

仕事や結婚や趣味や友人・・・それらを手に入れることを目標とするのではなく、「幸せ」になることを目標にすべきだと思います。「幸せ」は、道具が与えてくれるものではなく、自分の心が感じるものですから、自分の心を育てる必要があります。

心を育てるとは、体を鍛えるのとおなじように、心のトレーニングが必要です。その方法についてはスペースの関係でここでは書けませんが、心が育ち充実感で満たされるようになると、生きる意味は何か?という疑問は消滅します。

また、幸せのために仕事や結婚や趣味や友人・・・に執着することもなくなると思います。

ユーザーID:4613950783
 
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