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『史記』四面楚歌について 携帯からの書き込み

あおだぬき
2017年11月14日 21:52

教科書の四面楚歌で最後に(項羽本紀)と書いてありますがこれはどういう意味ですか?
誰かわかる方よろしくお願いします!

ユーザーID:6378306581  


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タイトル 投稿者 更新時間
え!?
2017年11月14日 22:46

出典が『項羽本紀』という書物だということです。

『項羽本紀』が何かは、ネットでもすぐ出てきますが、司馬遷の書いた『史記』という歴史書の中で、項羽(項籍)のことを書いた第7巻『項羽本紀』のことです。四面楚歌という熟語がここから派生しています。掲示板で聞く前にネットで調べた方が早いですよ。

ユーザーID:0876042930
司馬遷の史記の一節です
プチ大家
2017年11月14日 23:25

秦帝国の末期、項羽は西楚の覇王でしたが、劉邦(後の漢帝国の初代皇帝)との戦に敗れ垓下城に籠城します。
その時の情景を司馬遷が歴史書史記にしたためたもののことです。
城を取り囲む四方の敵兵から項羽の本拠地である楚の歌が聞こえてきたことで、味方の多くが敵に寝返ったことを悟ります。
この故事にならって、進退窮まったこと(回りは全て敵)を「四面楚歌」と言います。
ちなみに、項羽は辞世で、
山を抜くほどの力があり、気は世を覆っている自分が時運に恵まれず、愛馬の推が走らない。推が走らないのをどうすれば良いのだろう。愛する虞美人よ、あなたをどうすれば良いのだろう。
と残して最愛の虞美人を殺し、最後の出撃をするという内容です。
のちに虞美人が死んだ場所に一輪のひなげしの花が咲きます。別名を虞美人草と言われるゆえんです。
楽しんで勉強して下さい。

ユーザーID:2407153199
中学校の宿題ですか?
雍歯
2017年11月15日 0:38

「本紀」は王や皇帝の伝記。
『項羽本紀』は項羽の伝記であり『史記』の一部。
四面楚歌のエピソードは項羽本紀の一部。
歴史上の項羽は王にはなっていませんが、司馬遷は王に準じた扱いとして項羽本紀を立てました。

ところで学校の宿題くらい自力でやりましょうよ。
ネットで検索すれば上記の知識くらいはすぐに出てきます。まともに検索もできないのですか。恥ずかしくありませんか。汝を奈何せん。でも中学生ならば仕方ないですかね。

ユーザーID:9516710161
むかしむかし、中国で
maru
2017年11月15日 7:47

項羽と劉邦という2人の武将がいました。
彼らは最初協力して秦という国を倒しましたが次第に対立をしていきます。
最初は戦争に天才的な才をもった項羽が優勢で進みましたが
次第に形勢は逆転し項羽はついに垓下という地で劉邦に追い詰められ包囲されます。
そんな中包囲されている項羽の軍勢に衝撃的な出来事が起こります。
それは包囲している劉邦の陣から項羽の出身地である楚という地の歌が聞こえたのです。
これは相手を動揺させようとする劉邦軍の作戦でした。
歌を聞いた項羽軍の将兵は戦う気をなくし大半が脱走したり降参してしまいました。
敗北を悟った項羽は最期の戦いを挑み戦死してしまいました。

項羽本記とは史記という歴史書の項羽について詳しく書いてますよ、という本です。

ユーザーID:9096158269
中国歴史書独特のルール
かんぴょう
2017年11月15日 7:55

日本で歴史書というと、その殆どが時系列で語られます。
いつの時代にこのような事があり、その翌年にこんな戦いが有った・・・みたいな感じです。

ところが、中国の歴史書(正史)の書き方は、必ずしも時系列とは限らず、人物や出来事をピックアップして書きます。

なので、項羽(項籍)の人生や出来事を纏めた部分こそが「項羽本記」となります。

つまり四面楚歌のエピソードは、項羽の視点から描かれた物であり、事実楚歌を聴いた項羽は、自分の最後を覚悟したとあります。

参考になれば嬉しいです。

ユーザーID:7235823548
史記
焼肉園
2017年11月15日 9:13

史記は
・本紀12巻
・表10巻
・書8巻
・世家30巻
・列伝70巻
計130巻から成っている

本紀第7巻が項羽本紀

四面楚歌は項羽本紀がその出典になっていますよという意味です。

何を今更感満載ですが。

ユーザーID:7609141127
古代中国の帝王に関わる歴史書の一部。携帯からの書き込み
ヒストリアン
2017年11月15日 11:29

史記は、古代中国の歴史書。

筆者は司馬遷。

史記は、書かれているテーマ別に、「本紀」、「世家」、「列伝」、「表」、「書」に分類されます。

このうち「本紀」とは、帝王について書かれた編年史です。

秦帝国滅亡後項羽は「西楚の覇王」と号し、事実上の皇帝になりました。
このため司馬遷は、彼を帝王のひとりとして認め、「項羽本紀」を執筆したのです。

もちろん漢帝国の創始者、劉邦も皇帝ですから「高祖本紀」が書かれております。
ちなみにその劉邦の死後、漢帝国は劉邦
の妻、呂后による独裁によって支配されました。司馬遷は彼女を帝王のひとりとして認め、「呂后本紀」が纏められました。

ユーザーID:5641003496
簡単に言えば
船長
2017年11月15日 12:46

カッコ内は出典です。
この場合は史記の中のどこが出典かということを示しています。
項羽本紀は史記の中の章立ての一つ。
児童書やマンガ本でも、各巻やストーリーのまとまりごとに「○○の巻(まき)」とか「○○の章」などという見出しがついていることがあるでしょう。それと同じですよ。
史記の構成を調べたらわかることですが、史記は巻一の「五帝本紀」から始まり、「項羽本紀」は巻七にあたります。

ユーザーID:9471525469
本紀とは。。。
あらいぐま
2017年11月15日 14:10

司馬遷は史書編纂の元祖ですが歴史に名前を残すべき人々を皇帝、諸侯、その他の優れた人々に分類してそれぞれを記述する紀伝体という書き方を採用しました。ですから司馬遷の「史記」は大別すると皇帝の人と業績を描く「本紀」、諸侯の動向や人と成りを家別に記述する「世家」、その他の卓越した人々を記述する「列伝」によって構成されています。他にも地方の動きを記述した「載記」や人間が主人公ではない(例えば動物の変わった生態や天変地異?)ジャンルも構成要素ですが地誌や博物誌に属するようなので説明は省きます。

さて、ご質問は「項羽本紀」ですね。今までの説明で劉邦と戦って敗れて「楚」を国号とする王朝を建国することに失敗した項羽の人生の記述が皇帝の人生と業績のジャンルに入れられていることはお分かりですね。項羽は実際には皇帝にならなかったのにもかかわらずです。これは軍人の李陵(中島敦の同名の小説有)を弁護して宮刑という恥ずかしい刑に処せられた司馬遷が負け組擁護ために皇帝の部に項羽を入れたのか、あるいは単に勝者劉邦と敗者項羽を並べることによって勝者たる条件をあぶり出しそうとしたからなのか。。。想像をめぐらせながら読むと面白いかもしれません。あと、詳しい方に伺いたいのですが、紀伝体の歴史書を編纂した後世の歴史家で実際は皇帝に即位しなかった人物を本紀に入れた人がいるのかどうか、興味深いです。

ちなみに、ジャンル別人別で編纂する歴史書の「紀伝体」に対してジャンルや人を問わず時系列で事象を記述する歴史記述法を「編年体」と言い、北宋時代の歴史家司馬光(1019 - 1086) の「資治通鑑」が分量でもリアルさでも断トツだそうです。毛沢東が生前十数回繰り返し読んだというこの本の現代中国語訳が台湾でベストセラーになっているそうですが、現代中国語訳からの又訳日本語版があれば、日本の行く末に不安を抱く人は読むべきです。

ユーザーID:1015648226
説明出来ないことは無いですけど!携帯からの書き込み
やっさん
2017年11月15日 23:16

自分でググって下さいね、そしたらよく分かると思いますよ、あとは小説の項羽と劉邦か本宮ひろ志先生の漫画の赤龍王を読まれても、よく分かると思いますよ!

ユーザーID:7523003110
 


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