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昔のお正月が懐かしい

乙女りんご
2017年12月30日 8:43

50代女性です。

今時のお正月は三が日をダラダラと過ごしがち。
普段とそんなに変わらない。
楽で良いんですが年のせいか子供のころのお正月を懐かしく思い出します。

実家の母やその一族はお正月をきっちり祝う人たちで、元日には日の出前に起きて着物を着、家族全員でお屠蘇を手に新年のあいさつ。
お雑煮を食べた後は初詣と年賀状の仕分け。
その後は父の実家にお年始に行きました。

元日の朝起きてくると普段は使わない火鉢に火が入れられていて、部屋中に炭のにおいが漂っていたこと。
居間も台所も普段とはちがうしつらえがされていて、空気までピーンと澄み切っていたように感じました。

父の実家には茶室がありました。
招き入れられて狭い茶室に入ると、やはり炭のにおいが漂い窯からゆったりと湯気が上がってなんとも言えない雅な雰囲気。
きちんと着物を着た伯母や従姉がお抹茶をたててくれ、慣れない正座に苦労しながら子供には苦いお抹茶をいただきました。

もうこんなお正月は二度と来ないでしょう。
ジャージー姿でこたつにもぐってる自分を眺めながら苦笑してます。

大人の方々、昔のお正月の思い出を語り合いませんか。
私の実家は都市部にあったので、残念ながら地域色豊かなお正月は知りません。
知り合いたちが田舎のお正月を語る時、彼らの顔は一様に幸せそうでうらやましいです。

ユーザーID:9253128833  


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タイトル 投稿者 更新時間
よかったですよね
晴天の霹靂
2017年12月30日 10:39

昔のお正月。
同じく50代です。
昔は三が日は店も全部休みで、道路に車も少なく街全体が静まり返った感じで、何だかよその国に来たように感じました。
空気もぴーんと済んで張りつめた、冬の寒さが心地よかったのを覚えています。
今は元日から店も開いているし、正月らしい空気はみじんも感じられません。
情緒がなくなったな、と思いますがまあそれも時流なのでしょうね。
私は昔の方が好きです。

ユーザーID:8211632399
本家でした
日佐子
2017年12月30日 10:40

60代です。
実家は都内М区で、いわゆる、本家と呼ばれる家でした。(今も身内はそう呼びますが)
ですから、正月はとても人の出入りが多く、家族でのんびりという事は全くなかったですね。

客間には祖父の兄妹(つまり私には大叔父)たちが集まりましたし、茶の間には私の叔父叔母いとこが大集合。
その上、応接間には父の会社関係の若い人たちや、取引先の人も新年のあいさつにやって来ました。
玄関先で、という若い部下を父と母が歓迎してもてなしたので、小学生だった私もあっちの部屋、こっちの部屋と動き回り、一生懸命働いたものでした。

三が日が過ぎると両親からは多額のバイト代を、お年玉とは別にもらいました。
また、お客さんたちからもお年玉を沢山いただいたので、当時の小学生としてはあり得ない位の収入でしたね。

新学期、「お年玉いくらもらった?」など友達に聞かれましたが、あまりに多かったので、友達には嘘をついてごまかしたものです。


今も婚家(都内)では、身内10人程が集まって、新年会をします。
昔と違って特に忙しくはないけれど、今はメニューを考えて私が作らなければならない。
新しい悩みが増えました(笑)
ま、それはそれで楽しいですけど。

ユーザーID:8693997895
古き良き時代ですね
稲妻
2017年12月30日 11:36

でも自宅に茶室があるなんて、それ程のお宅だったんでしょうね。

>もうこんなお正月は二度と来ないでしょう。
勘違いしてはいけません。
ジャージ姿で炬燵に入っている場合じゃありません。
あなたはもう50代。自分がそういうお正月を作り出す立場ですよね。

結婚して(子供が出来て)からずっと、お正月は日が昇る前に起き着物を着て、お屠蘇におせち、そしてお年始のごあいさつに伺うというパターンを作ってくれば良かったんです。
お正月とはこういうものだと子供たちに伝承する立場です。

自分で楽をしてしまったのだから仕方ありませんね。
まさに苦笑です。

ユーザーID:4235383418
大人は大変だった
年末だねー
2017年12月30日 11:42

ご自分に苦笑しているとありますが、こういうのって大人がやらなきゃどんどん廃れていくんですよね。
私もトピ主さんの文章にあるような感じの(とても似ています)お正月を幼少期過ごしました。実家も祖母宅も都内で。

現在は海外で年末年始もなかなか帰国できず、海外の「年が明けたらはい、おしまい」的な新年に慣れきってしまっていますが、つくづく思うのは私が子供の頃、おばあちゃんやおばさん、母親たちは大変だっただろうなあという事。
当時は男連は殆ど何もしなかったと思います。女たちが一生懸命に働いたことで、今も残る素敵で大切な思い出を当時子供だった私たちが持てているんですね。

平成の世、どのくらいのおばあちゃんやお母さんたちが今も年末年始、休まず働いているのかな。。尊敬します。

ユーザーID:3843550301
懐かしい、色々‥…。
ぺこ
2017年12月30日 12:31

思えば簡単、手抜き?。‥…実家は戦前に建てられ、二人で抱えるほどの、大黒柱。焦げ茶色の。年末に餅花技を、その大黒柱に飾るのが、亡き父の仕事。神様棚にも。
凝ったお節ではなく、焼き鯛、大根、高野豆腐、人参、筍、煮しめ。筑前煮。茶碗蒸し。ニシン、ごぼう、インゲン入りの昆布巻き。黒豆。なます。などなど重箱に。雑煮の底に薄切り大根を(お餅が器にくっ付かない様に。祖母の教え)。専業農家でお正月も、隣町の温泉宿(蟹すき鍋)の野菜注文が有り、多忙。。杵つき餅。丸餅。鏡餅は床の間に。(初日の出の)掛け軸に。薄いピンクの、かき餅(冬のおやつ)。。二日は善哉と決まってました。丸餅の薄切りを2枚。それに善哉を載せ、神様にお供え。
嫁ぎ先は機械つき餅。小さな鏡餅。「門徒」とかで飾り無し。煮しめ。黒豆。数の子。あとは蟹すき。牡蠣。贅沢。黒豆煮て、味見する度?べちゃ甘いっ。義父が目を盗んで、水飴いれてた(怒)。義弟妹家族で宴会、ビンゴ。義父が亡くなり、お互いのコの受験で集まりなく、義母と夫の出来合いお節と蟹すき二人正月だったらしいです。
転勤で核家族に。ノンビリ、自由にしていました。昆布巻きも圧力鍋で炊く。筑前煮。有頭海老。なます。鴨入り雑煮。茶碗蒸し。玄関に、お正月リース。内には銀色おめでたそうな、簡単生け花。。義母と同居、椎間板ヘルニアで、チョット無理‥…。ニシンと昆布が!作れるかな?実家から、杵つきお餅&苺&野菜が届くかなぁ~な状態(困)

ユーザーID:2301317132
分かる気がする携帯からの書き込み
るい
2017年12月30日 12:46

私の実家では30日から、おせちの準備を祖母と母でしてました。
本当に昔ながらの「おせち」と、ぜんざいです。
大晦日、父親が仕事を終え家で呑んで、新年に変わる前、私達も起こされ(小学生)新年の挨拶をし、真夜中から母方祖父母の家に(広島→島根)おせち持参で向かいます。 祖母は、きちんと手作りのおせちを一緒に作り、元旦から帰省させてあげる?!姑でした(到着は午前2時〜3時)今、思えば迎える側も大変だったと思います(苦笑)
母方祖父母に新年の挨拶をし、祖父と父は、そこから酒盛り第二弾?!
子供だった私達も、各自好きな時に寝る?!
父は昼〜夕方に帰ります。 母と私達は、そのまま何泊かしてました。
その間、親戚が来て、酒盛りしたり、同年代の子達と一緒に遊んだり、退屈はしませんでした。

ユーザーID:4551072519
ああ懐かしきお正月
千両
2017年12月30日 13:47

地方の田舎育ちです。
手伝ってた餅付き、長のし餅、きび、よもぎ。
こたつ、箱買いしてたみかん、レコード大賞受賞者の涙、
紅白歌合戦の点数付け、
夜中に黒豆や煮しめをずっと作ってた母。
地味な陶器の重箱は茶色ばかりの色。

ウールのアンサンブル着物で初参りに行った。
冬やすみの宿題もあった。
正月の空気が冷たく、キーンとしてた。
火鉢で餅を焼く。

大晦日に、頭元に、ジャンパー、とか置いてた。
元旦に新品をおろさせてもらえた。

三が日はどこの店も休業。
妹は母と祖父母の床へ。

私は昔も今も、インドア派のテレビっ子。
懐かしいお正月です。

ユーザーID:6111721313
お店が全部休みだった頃が懐かしいです
ピナッコ
2017年12月30日 14:13

40代です。

私が小さい頃は、祖母の家(都市部)に親戚一同が集い、大人はお酒を飲みながら談笑。
子供たちは別室で毎年新しく用意されていたボードゲームやカルタなどでわいわい遊び、テレビでかくし芸などを見て過ごしていました。
祖母が亡くなったあとはだんだんと親族一同で集まる事もなくなってさみしい思いをしました。

何より懐かしいのは商店街や町の風景です。
昔は年始は4日、5日頃までどこのお店もお休みで、どこのお店もシャッターがおりていて商店街には琴の音のお正月らしい音楽が流れていてゆっくりとした時間が流れていたように思います。

今は大型商業施設は年中無休で、それはそれで便利なのですが、お正月ではなくて日常の延長のようで寂しいなと思う今日この頃です。

ユーザーID:5808132755
思い出しました
Nana
2017年12月30日 14:43

もうすぐ五十路です。
着物ではないのですが、今は亡き実家の母は毎年元旦には家族全員分の新しい洋服(セーターやシャツ、ワンピース等)をおろしてくれて、それを着込んでお屠蘇をいただきました。
母はそのセーターの上にやはり真新しいエプロンを付けてお節料理やお雑煮を並べてくれました。
父から子供達にお年玉が手渡されるのですが、必ず一言人生訓のような説法が添えられました。
その後旅支度をして父の実家、そして母の実家へも順に泊りがけで集合しました。
どちらの実家でもそれぞれの従兄弟達と夜通し、コタツでカルタやゲームをして遊び、いとこの男女比率がちょうど半々だったので、男女対抗の百人一首は定番でした。
年に一度、夜更かしをしても叱られない日で、この日をワクワクしながら待ったことを思い出しました。

今はトピ主さんと同じで、部屋着のままダラダラ過ごすお正月です。
大学生の娘は元旦からバイト、受験生の息子は予備校の正月特訓があるそうで何となく気忙しいです。
今年は何か身につける新品を用意して元旦を迎えようかな。
そう思い立っても大晦日までお店は開いているし、便利な世の中になりましたね。
でも不便だったであろうあの頃の、何かゆったりした時間、なつかしいですね。

ユーザーID:0288394025
優雅ですね〜。
カーネーション
2017年12月30日 15:14

私も50代ですが、私からしてもトピ主さんの昔のお正月は「一昔前」と
いう感じがします。
向田邦子さんの世界みたいで、素敵ですね。

レコード大賞から紅白まで真剣に見てたのを覚えています。
ごく小さい頃は羽子板で羽根つきしました。

そうそう、百人一首を祖母や叔母たちとしました。白熱した取り合いでした。
あれも今思えば優雅でしたね〜。

ユーザーID:9375442831
参加させて〜
ねこな
2017年12月30日 16:50

東京育ちの65歳です。ピーンと張り詰めた空気感よ〜く覚えています。

我が家は朝一番にくんだお水(井戸水でした)を神棚に供え、新しい衣服を着た家族が父の先導で拝礼、お水を頂きます(若水と言ってました)。

朝のお節を頂く前に年齢の若い者からお屠蘇をついでもらい「あけましておめでとうございます」とご挨拶して飲みました。最後に父がお屠蘇を飲みその後食事になります。
父宛ての年賀状は厚さ15センチ位になり「お父さんはすごいなぁ〜」と子供心に
尊敬したのを覚えています。
昼からは親戚が来て従兄弟達と『百人一首』や『坊主めくり』羽子板で羽根つきもしました。大人達は宴会。頂いたお年玉で唯一営業しているおもちゃ屋に買い物に行けるのも嬉しかった〜。
シーンと静まった道路、清清しい空気、お正月は【ハレ】の日、本当にスペシャルな日でした。思い出させてくれたトピ、ありがとうございます。

ユーザーID:0802379374
もうすぐ50代突入です
たろすけ
2017年12月30日 18:56

北陸出身、今は東京にいます。夫の希望で、正月は自宅で過ごします。子どもは小学生が二人。

私が幼いころは、元旦は初詣。二日は、父の実家に親戚が集まり、父の長兄の奥さんは、兄弟が少なくとも4家族集まるので(もちろん祖父母も)大変だったと思います。もう40年以上前ですが、子どもだけで12人。おせちに加え、当時からデリバリーでエビフライなどを取り寄せていました。ストーブの上には、秋に冷凍してあった松茸を戻して、お吸い物が大鍋で用意されていて、いい香りが漂いました。

ほどなく、父が起業し、二日は従業員の皆さんが年賀に朝から夕方まで入れ替わり立ち替わり訪れ…

年末は、おもちつきしたりしたんですけれど、お節の記憶がないのです。

で、結婚したら、自宅で正月。お節って?と、手探りで19年目です。
夫との結婚、結納返しは結城紬のアンサンブルだったので、お正月は着物です。
元旦は初詣、二日には、義弟家族が挨拶に来てくれます。
全然、ゆっくりできません。でも、そういうお正月を、夫が望み、それが我が家のお正月です。息子は夫を手伝って、神棚のお世話と松飾りを整えます。大晦日に一日中台所にいる母を、娘は見ていると思っています。食いしん坊の娘はお節好きなんですよ。

ユーザーID:1185566431
素敵ですね
食洗機
2017年12月30日 19:29

トピ主さんより少し下の世代ですが、一族(?)が集まって、餅つき、お節、ご馳走、集合写真と懐かしいです。

茶室がある都会のお家って、ちょっとハイクラスですね。

私は、田舎の父親が長男、祖母と同居でしたので、父親の兄弟家族が三が日に集まってました。

そうです。同居家族です。
いつの頃からか、私は、ひたすら、食器を洗う係。よく働いてました。


そして、私は、家を出て、祖母が亡くなり、父も亡くなり、遊びに来ていた伯父伯母も亡くなり、子供の数も少ないので、わりと静かなお正月です。


それでも、洗い物係は私です。

ユーザーID:4591950580
お正月といえば!携帯からの書き込み
昔子供
2017年12月30日 19:35

父方祖父は和菓子屋でした。
田舎の和菓子屋といえば、のし餅のご注文を承るのです。年末手伝いに行く父について行くと、ガシャントンガシャントンと機械が石臼で餅をつく音がしていました。
お年始に挨拶に行くと、親戚が泊まりにきていて(大人子供合わせて宿泊客は14人)、年始挨拶に来た親族も揃い、いとこ14人全員勢ぞろい。お年玉いくらもらった〜等のヒソヒソ話のあとは、大人子供合わせて26人で食卓を囲みます。

祖母以下お嫁さんたちは立ちっぱなし。男衆は飲みっぱなし。

トランプ、花札、すごろく…大人も混じって遊びました。勝つとお小遣いがもらえたり。

子供だったので、楽しかったですね。
今思うと、伯母は大変だったと思います…それから嫁さんたちも…。

30名近く泊まれる祖父宅も凄いなあ〜と今更ながら思いました。

ユーザーID:8589884006
確かにピーンと澄みきってましたね
ゆきんこ
2017年12月31日 0:36

父も母もお正月だけは、お着物。

家中ピカピカで、美しい漆の重箱に詰まった宝石のようなおせちの数々はすべて母のお手製。

恒例のお年玉。年賀状。

その後はぎゅうぎゅう帯を締められ晴れ着となって家族写真を撮影。

百人一首に、羽根つき、凧揚げ。
ひと通りやってましたね。

昨日の事のように思い出すけど、その後の記憶が薄いのは父の会社の倒産、愛人騒動、母の再就職と、我が実家の氷河期に突入したからか。

その前の、穏やかなほんの数年のお正月の想い出です。

ユーザーID:3547000725
私には嫌な思い出です
kokoro
2017年12月31日 2:36

私の実家は、人が沢山集まる家でした。
冬休みに入ると、母はお節料理の準備に追われ、父と子供の私は大掃除をしました。
元旦早朝にお参りをした後、ゆっくりする暇もなく宴会準備です。
訪ねてくる親戚は、酒に酔って歌い、おしゃべりをし、
「酒もっと。」「水くれ。」「お酌して。」など好き放題。
こっちは子供なのに、後片付けでぐったりしました。
同じいとこでも、来る方はテレビを見たり、ゲームをしたりで、恨めしかったです。

結婚して家を出てからは、実家に小一時間しかいないようにしてます。
自分が嫌でたまらなかったことを、次の世代にもさせたくないからです。

元旦にお参りした後、ファミレスで朝食をとり、家でゆっくりすることがここ数年の過ごし方になりました。
今のほうがずっといいです。

ユーザーID:8419306075
北国の正月
おばさんはつらいよ
2017年12月31日 9:49

同じく50代です。

北海道生まれです。

母や祖母の作った正月料理が懐かしいです。

研きニシンや山菜がいっぱい入った煮しめ、真鱈の子と糸こんにゃくを炊いたもの、ホッケや鮭の飯鮓などが卓に並びました。

木の枝に紅白の餅を模したものをつけたものが正月飾りで、そこに小判や宝箱、金の玉などおめでたいお飾りを下げて座敷に飾りましたねぇ。

真っ赤に燃える石炭ストーブの上で餅を焼いたり、スルメを焙ったり、、、

あの頃、集まっては酒を飲んでいた父を始め、親戚の叔父、叔母たちもほとんど鬼籍に入りました。

あの人たちを偲びながらお正月にはお酒をお供えしたいと思います。

ユーザーID:2833241331
懐かしい携帯からの書き込み
映画好き
2017年12月31日 9:57

私のうちには、電動の餅つき機があり、12/28頃にいつも餅を自宅で用意していました。
あんこも自家製であんの入った餅、豆餅、のし餅、鏡餅までみんな作ってましたね。
今は全部買って手軽に済ましていますが、味は自宅で作っていたもののほうがおいしかったような気がします。
餅米の炊けるいいにおいを懐かしく思います。

今は便利な世の中になって結構なことですが、風情や季節感がなくなってしまいましたね。

ユーザーID:1770244676
本家の正月
Heather
2017年12月31日 11:35

トピ主さんが羨ましいです。
お父様の実家を訪問ということは、接待される側だったのですよね。

私の父は長男。父方両親と同居。
たいした家ではないけど、形式的には「本家」です。

お正月と言ったら苦痛でした。
父方の親戚が大集合。父の従弟夫婦に子供まで年始に来ましたから。

学校が冬休みになったころから憂鬱。
年末はお節料理の仕込みで終わりました。
きんぴら、なますなどで大量のごぼう、だいこん、にんじんを千切りに。
冷たい板の間に正座して大なべを脇に置いて。
伸し餅を切るのも小学生には辛い仕事でした。
新巻鮭を下準備するのはさすがに大人がやってくれましたが、塩気、冷たさ、生臭さに堪えながら大量の昆布巻きを巻いていくのは私の仕事。

確かに昔ながらの日本の正月を経験させてはもらえましたが、二度とやりたくないです。

祖父母が老人ホームに移ってから、やっと幸せなお正月が来ました。
「長男家なんだから」と今までどおりにしようとした親戚を押し切ってくれた父親のことは尊敬しています。
「これからは家族で過ごす」と宣言してくれました。

それからは伝統のお節料理なんて無視で、家族みんなの好きなものを作って食べるお正月です。
ほんの数年しか味わえなかったけど、あれが私にとっての幸せなお正月の思い出です。

ユーザーID:2305690270
それは「子供時代が懐かしい」と同じこと。
ルバーブ
2017年12月31日 12:13

うちも旧家ですが、
今はのんびり何もしません。

でも、
不思議なことに、
「日本の正月」の空気は、
確実に昔と変わらずあります。
ちゃんと残ってる、
というか、
受け継がれています。

私にはそれがわかります。

どんなに時代が変わっても、
人が変わっても形が変わっても、
日本のお正月の空気は変わらないですよ。

ユーザーID:1881550250
 
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