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母が末期ガン、余命1カ月

はちわれ
2018年4月15日 19:15

都内に住む働く母です。
実家は飛行機と車で4時間かかるところにあり、私は1人娘です。
一昨年末から実母の体調が悪く、色々調べてもらったところ末期ガンということがわかりました。転移があり、延命治療しか出来ない状態で余命は半年から一年。
そこまで仲の良い親子ではありませんでしたが、わかった時の衝撃は今も忘れられません。色々調べても調べても手の施しようがないと言うことがわかるばかり。
どん底まで落ち込みましたが、気持ちを切り替えて、可愛い盛りの娘と一緒に月一で実家に戻り、旅行にも行きました。大学進学と共に家を出たのですが、普通は年に1,2回帰ればいい方でした。一番実家に帰った一年でした。
治療は楽ではなさそうですが、抗がん剤が効き、副作用はありましたが、びっくりするほど普通で、このまま治るんじゃないかと錯覚しそうになるくらいでした。
でもちょうど発覚から一年が経った頃から、がたがたと体調を崩して、入院してしまいました。
そして今日から緩和ケアに移ることになりました。わかった時に覚悟したはずなのに、母ともうすぐ会えなくなると言う事を受け入れられません。でもそう考える反面、苦しそうな母をもう見たくない、早く終わって欲しいと思う自分もいます。休職しずっと自宅をあけて病院につめているので、仕事をして、旦那と娘との日常を取り戻したいとも思います。そんな事を考えてしまう自分が嫌です。

何かアドバイスをお願いいたします。

ユーザーID:6464841606  


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タイトル 投稿者 更新時間
お母さんの意識がはっきりしているうちに携帯からの書き込み
経験者
2018年4月15日 20:50

お母さんとたくさん話して下さい。
緩和ケアなので、痛みを和らげる薬を使うと思います。この薬を使いだすと、お母さんは楽になりますが、トピ主さんはお母さんと話が出来なくなるかもしれないです。

私の母がそうでした。
いきなり医者から言われ(母が話せなくなるとは言われなかった)、私は苦しがっていた母が楽になるならと、薬の使用に同意しました。
その薬を使い出し、母は随分楽になっていたようですが、母と二度と話すことは出来ませんでした。
そんな母が亡くなる前の晩、付き添っていた私に、母が急に「早く寝なさい。」「今日はかわいいね。」と言いました。
それが母の最期の言葉でした。
私はいまだに、あの薬を使ったのは正しかったのか?考えています。

1日でも1時間でも、トピ主さんがたくさんお母さんと話せますように。

ユーザーID:0596105729
私も同じでした
ルーチカ
2018年4月15日 22:45

私も昨年母をがんで亡くしました。
3年闘病し、一昨年はかなり調子が良く治ったのだと思っていましたが、昨年年始に再発、余命半年と言われてから2ヶ月で亡くなりました。
最後まで最新治療を試しており、最後の最後まで希望を捨てられず、緩和ケアに移行したのは亡くなる2日前でした。
もっと早く緩和ケアにしてあげていれば苦しみも少なかったのにと思う気持ちもありますが、最後まで希望を持っていた母の気持ちを思うとそうはできませんでした。
ただ、こんなに早くに逝ってしまうのだったら、もっと一緒にいてあげれば良かった、夫や子供の世話は後回しで良かった、と後悔しています。
医師からは残りの時間を大切にと言われましたが、受け入れられず治るに違いないと思っていたので……
主様が受け入れられない気持ちはとても分かります。
その上であえて、できるだけお母さんと過ごしてあげてほしいと思います。

ユーザーID:4112716402
心中お察しいたします。携帯からの書き込み
あけたまよ
2018年4月16日 0:27

私の母も、末期ガンで余命一年の申告を受け、
しばらくは普通に治療をして、いたって普通な日々でした。
結局は、余命を半年超えて、目標だった"年を越す"事を達成し、寿命を全うしました。
それでも、亡くなる3日前に急遽帰省する事になりましたが、余命さえ詳しく聞かされていなかった事もあり、すぐに逢えなくなるとは思っていませんでした。
病名を聞いてから、覚悟はしていたつもりでした。
でも、いざとなると、全く実感がなく、
全て終えて自宅に帰ってきて初めて
もう、会えない。電話もできない。
と言う事実に、泣くばかりでした。

母からは会いに来てと言うことは一度もなく、苦しさ辛さを最期まで見せない母でした。

今は、
もっと帰ればよかった。
もっと孫たちにあわせてあげれば良かった。
もっといたわってあげればよかった。
もっと母のために何か出来たんじゃないか。

と言う思いに駆られることがあります。

当時は自分でも、仕事をしながら、小学生の子供たちを見ながら、義理実家のこともしながら、手いっぱいでしたので
たまに帰るしかできずでしたが、
精一杯の事はしたつもりでした。
ただ深刻に考えないようにしていた所もありますが。

逢えば強がる母を、分かってあげられなかった。母は文句ひとつ言わず、
遠方だから無理するなという言葉に甘えていて、
気付いた時には、終活も終えていました。

ただ最期の3日間、母に付き添い
痛がる体をさすりながら、腫れた背中を揉みながら、どうでも良い話をしたり、
母がうわごとを言えば、耳を傾けて
水…と言えば飲ませてあげれたことは
良かったようにおもいます。

看病は、する方もされる方も辛いものがありますね。
今は、切なさや苦しみや不安で、心が混乱しているだけですよ。
どうか、
私のように後悔の無いように
親子の時間を過ごしていただきますよう
お祈りいたします。

ユーザーID:1324457593
当然
みどり
2018年4月16日 5:00

お辛い気持ちですね。。。。そういう気持ちは誰にでも良くあると思います。
あなたはよく頑張ってる。そういう優しい娘を持つお母さんは幸せ者だね。

だからこそ、今出来ることに集中する。
つまり、過去の出来事を思い出して落ち込んだり、まだ来ない未来を想像して不安を増幅させたりせず、「いま」「ここ」だけに集中する。
そうすることで、余計な不安や悩みを抱えずに済むようになります。
心配事の”先取り”などせず、私たちには「いま」をどう生きるかしかないということを、改めて胸に刻みましょう。
人は簡単に死ねないですよ!思い込んだらダメ!応援してます。

ユーザーID:3773308442
当たり前の感情携帯からの書き込み
赤い傘
2018年4月16日 6:31

親の余命宣告なんて感情が追いつきませんよ。
主さんの感情に凄く共感します。
心と身体が少し疲れていませんか?

休息を取りながら、残りの愛おしい時間を過ごせるとよいですね。

ユーザーID:3492784150
お母様を、トピ主さん家族の近くの病院に入院させれば?
・・・
2018年4月16日 9:02

お母様を、
トピ主さん家族の近くの病院に入院させればいのではないですか?


それが無理なら、

終盤で緩和ケアとなれば、大変でも、家族と離れてでも、付いていてあげなけれ場いけないと思います。痛みの状態に合わせて、モルヒネ投与などの決断があるので。

勿論、お母様の状態によって、時々、トピ主さんは自宅に帰宅するなどしながら・・・・

でも、本当の終盤になれば、誰か家族が傍にいる必要があるでしょうね。

一人娘さんなら

まずは結婚時に、親のいる地から遠く離れないような結婚を選ぶというところから計画的に生きる方が良いし、

ある時期から、自分の近くへ呼び寄せて暮らすとか・・・

早めの工夫や計画も必要だったと思います。

トピ主さんは、今まで、自分中心の人生を送ってきたんですから、大変でも最後くらいは、傍にいてあげていいんじゃないんですか?

昔は、家を継ぎ親を看取るために、長男は、何があっても、外へは出なかったんです。進学も就職も結婚も、地元から絶対離れない選択をしたんです。(今は違って故郷を出る長男も多いですけどね)

もともと、一人の親を介護して見送るのは、本当に大変なことなんです。トピぬ一山が苦しいのは仕方がないんです。

でも、ご自分の家族との生活ができないのも辛いですよね。

それなら、親を呼びよせることです。

トピ主さんの、今の家族の生活地の病院に呼び寄せましょう。

そうすれば、トピ主さんが、自宅から通えます。

ユーザーID:5173178306
緩和ケアなら
ICHICO
2018年4月16日 11:02

そう苦しむ姿はないですよ。
モルヒネなどを使って痛みを和らげる方法にきりかえますのでね。

ただ・・・・だんだん少量では効かなくなりますので量がふえてきますと滾々と眠り続けることのほうが多くなってしまうのは確かです。

>早く終わって欲しいと思う自分もいます。

これはトピ主様に限った感情ではないと思います。

私の友人のお父様が倒れて自宅療養になって数か月したころに「早く死んでhしいと思う自分が嫌」と涙ながらに訴えてきたときには彼女が痛々しくて見ていられなかったな・・・・。
看病が長引けば長引くほど看護人も辛くなってきます。
まずはトピ主様自信もカウンセリングをお受けになられては如何でしょう。
病院に患者の家族向けのカウンセリングをしてくれる部門があります。

お母様は東京在住ということですから無いことのほうが少ないんじゃないかな。

>抗がん剤が効き、副作用はありましたが、びっくりするほど普通で、このまま治るんじゃないかと錯覚しそうになるくらいでした。

お母様はトピ主様に心配をかけたくなくて、トピ主様と一緒にいるときは気丈に振る舞っていたのだと思います。

緩和ケア
積極的治療とは違うわけですから、できたら傍にいてあげてください。
ただし、それでお母様の心の負担にならなければ良いのですがね。

ずっとそばについていても、自宅に戻っても、残酷なことを申しますが後悔は残るんですよ。

正解はない事です。
お母様の掛かっている病院のカウンセリングを一度おうけになって、自分が納得できるようお決めくださいね。

ユーザーID:6387218926
自分を責めないで
マリーゴールド
2018年4月16日 11:12

私にもはちわれさんと多分同じ年頃の娘がいます。そして私もがんの治療中です。娘はまだわりと近くにいますが、いつ旦那さんの転勤で遠くにいくかもしれません。
でもね多分あなたのお母さんもそういうことはもう割り切っておられると思いますよ。
それにがんは辛い病気ですがある程度自分も覚悟をすることができる病気です。
私は娘には自分たちの生活を第一に考えてもらえるほうがうれしいです。
それにある意味、親が先に逝くのは幸せだと思っています。私にはまだ高齢の母がおり、まさか母より先に死ぬわけにはいかないの一心で治療しています。
はちわれさんもわたしの娘も新しい家族ができたのを見届けられたのは何よりの親にとっての幸せなのです。
親は子供の幸せを何より願っていますよ。
お別れの時がきてもどうぞ長く悲しまないでね。

ユーザーID:7526556377
お気持ちわかります
海賊の妻
2018年4月16日 11:46

私も同じように苦しみました。父も叔父も叔母も同じように見送りました。
叔父いの場合、大腸がんを治したと喜んでいたら、3年後に肺転移、脳転移で3か月の余命と診断されました。
この叔父は私と10才しか違いませんが、一度も兄弟みたいと思った事はないです。いつも叔父としてのふるまいで私を守ってくれました。父が重い病でしたので常に父親代わりとして経済的にも精神的にも助けてくれた人です。
ある日私はショッピングセンターでカートを押しながら無意識に泣きなが歩っていたみたいです。お料理の先生が見ていたらしく「貴女がかわいそうでたまらなかった」と言われました。
私が生きているよりも叔父が生きている方が社会の役に立つと考えた私は神様に私が替わって死にたいです等と祈ったりしました。大事な人が死の間際にいる時には人はなすすべもなく、突拍子のないことを考えるものです。
貴女は十分親孝行をしました。自分の家庭を犠牲にして遠い実家に通い続けました。その上十分悲しみました。お母様にはとても伝わっていると思いますよ。
後は神様がお決めになる事です。あまり自分を責めないでください。
私はその頃川の土手を歩き、電車が来るのを見て「のぼりなら叔父さんが治る。くだりなら私に良いことが有る」と根拠のない占いをしていました。3か月ぴったりに訃報が来ました。

ユーザーID:8713769630
わかります
オラン
2018年4月16日 13:21

私も母をガンで2年前に亡くしました。私も実家から遠いところに住んでいたので、子供2人連れて看病のために帰省しました。毎日病院には朝一番に行って、夜帰ってくる生活。子供連れは一緒に連れて行ったり、一時保育に預けたり。大好きな母には1秒でも長く生きていて欲しい反面、終わったら休めるな、苦しむ姿をもう見ないですむな、とふと思ってしまう自分が嫌で。母が亡くなるのも怖くて怖くて。終わったらもう怖くないな、とも思ってしまったり。ある意味、通常の考え方ができなかったんだと今では思います。

私の母は緩和ケアに入ってから2週間ほどは、このまま治るんじゃないかというくらい元気で、食欲もあって…。主治医から「数値を見る限り、いつ亡くなられてもおかしくない状態です」と言われても信じませんでした。

そうして油断しているうちに、急激に悪くなって立つ事もできなくなり、一日の大半を寝て過ごすようになりました。でも、この間もよくなったし、もう一度よくなるだろうと思っていました。なので、これが最後の別れ、みたいなことは言わないでおこう、と思っているうちに母は亡くなってしまいました。

まだ会話ができているうちに、母のことがどれだけ大好きで、感謝してもしきれないこと。反抗期や成人してから色々心配させてごめんね、と言っておいたら、と今でも後悔しています。

ので、トピ主さんも伝えたいことがあれば、ぜひ話してあげてくださいね。

ユーザーID:7680536708
流れに任せて
WANKO
2018年4月16日 15:49

私が父を見送った時もそうでしたが、
「もう週単位ですね(一ヶ月以内ですね)」と言われたときはショックでした。

でも、市内の総合病院にお世話になりつつ都内に通勤もこなしていましたので、
仕事はしないといけないし、日常生活上の雑事雑念はあるし、病院の支払いなど大変だったし、色々な思いがグチャグチャしていました。
テレビドラマのような穏やかな見送りは中々出来るものじゃありませんよ。

「逝かないで」と思ったり「早く終わって」と思ったり「いつ普通の生活に戻れるのかな」と思ったり、心が乱れるのは当たり前なので、もうちょっとの間、流れに身を任せてみてください。
見送りが済むと、拍子抜けするほど一気に日常生活に戻りますから、もう少し頑張って。

ユーザーID:4883823941
大丈夫です。みんなそう。
ちび
2018年4月16日 17:15

こんにちは。大丈夫ですか?
どうかできる事をなさってください。
文面を読んで、とても心配になりました。

私はずいぶん前に父をガンで亡くしました。
私もトピ主さんと一緒でした。
苦しむ姿を見ていたくない、早く終わって欲しい、
だけどそれ以上に、「その時」が来るのが怖くて仕方がなかった事を今でも思い出します。
それが明日来るかもしれないというのに、その明日がまだ1ヶ月くらい先の感覚で
父がいなくなってしまう事が信じられませんでした。

だけどどうか、
トピ主さんの時間もお母様の時間も一緒に流れている今、
どうかその時間を慈しんでお過ごしになれれば良いな、と私は思います。
その時間が、共に生きた証になるのではないでしょうか。

ユーザーID:5173033820
アドバイスなんてできませんが
43歳 おじさん
2018年4月16日 17:29

私も母を癌で亡くしました。

『もっと実家に帰ればよかった』『もっと病院にも行けばよかった』

「もっと親孝行すればよかった」と後悔だらけです。
トピ主さんは親孝行した方でしょう。
でも、後悔すると思います。こうすればよかった、と。

たぶん、どれだけやってもキリがないのでしょう。

母が亡くなって、喪主をしました。知らないこと、分からないだらけでした。

葬式のマナー、お布施、お礼参り…
母の生前の付き合い、仕事…

その後もお墓の事や1周忌、3回忌

親はいなくなってもまだ色々と教えてくれます。

ユーザーID:5569442013
私も・・・
ななかまど
2018年4月17日 11:33

父が末期がんです。
日ごと病気にむしばまれていく姿は耐え難いです。
「早く終わってほしい」のお気持ちわかります。
本当にそう思います。
でもいつか旅立つ日が来るので悔いの無いように過ごして下さいね。

ユーザーID:6796111355
トピ主です
はちわれ(トピ主)
2018年4月18日 14:21

トピ主です。
こんな書き殴ったような文章を気に留めていただき、レスを下さった皆さまありがとうございます。
43歳おじさままで一つ一つ読ませていただきました。まとめてのお礼になってしまい申し訳ありません。
緩和ケアの病院に転院して数日が経過しました。転院初日は移動の疲れか母の体調がかなり悪くなってしまい、また余命日単位という事実もわかり途方に暮れておりました。
ただ次の日からは緩和ケアの病院のお医者さま、看護師の皆さまのご尽力により苦痛は概ね取り除けております。もう通常のコミュニケーションはかないませんが。
覚悟は出来ているなんて書いてましたが、転院初日看護師さんの前で大泣きしてしまいました。その時に看護師さんが、緩和ケアは患者さんのためだけでなくご家族のためにもあるので、辛くなったらいつでも話しかけてくださいとおっしゃいました。なんてありがたいんだろうと。
一度泣き出してしまうと何を見ても涙が出てしまい、泣いてばかりいますが、泣きたい時には泣いていいんだとやっと思えました。母はもう数日で旅立ちますが、私の心の中にずっと居てくれると思います。今を大切に1日1日を過ごしたいと思います。
ありがとうございました。

ユーザーID:6464841606
 
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