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1990年卒、4大卒女性、どこで働いていますか?

アラフィフど真ん中
2018年10月28日 16:08

大学時代は好景気で、就職活動の8月は、女性総合職採用が活性化していましたね。そして、企業に内定して卒論を追い込んでいた時期に株式バブル崩壊!暗雲が立ち込めました。

入社後、一般職の方は正規採用の女性が採用されなくなり、何年も朝の掃除や茶くみをやらされた人もいました。総合職も、リストラ基調で、「産休は仕方がないけど育休を要求したらクビ」とか、ごく普通でした。

厳しい会社でのサバイバルを乗り切った女性の皆さん、どこでどう働いていらっしゃいますか?今、働く上でどんな悩みをお持ちですか?

まずは、私から。
私は1990年、某一部上場企業に、親の反対を振り切って総合職で入りました。総合職女性は1%未満でした。しかし、残業代のカットや賞与のカット、嵐のような希望退職募集で、暗く閉塞感だらけで苦しく、1996年に割増退職金をもらって退職しました。

転職活動に努力しましたが、なかなか同等の勤務先に内定せず、思い切って国内大学院に入学して、半年後に海外大学院に留学して2年。退職金と貯金800万円を使い切りました。食べて行けるのか不安で不安で眠れない日もありましたが、幸い、帰国後に社員数1000人の中規模企業に入社できました。

30代・40代は出産・仕事を睡眠時間を削って乗り切りました。課長・部長と社内での視野が開けて、仕事の醍醐味も知りました。夫は日本で勤務なので、子供3人を連れて海外駐在を3年、常に張りつめてがんばりました。

50代に突入し、同期で役員になる人も出始め、自分はこれからどうキャリアを設計するか悩んでいます。男性同士の人間関係が良く見通せないこともあり、管理業務では、これ以上の出世を望みません。でも、もうひと花かふた花、仕事で新しいことをやり遂げたいです。子供たちの教育もまだ気を抜けません。

定年まであと20年弱。何ができるかな。

ユーザーID:3154710029  


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定年70なんですか?
minon
2018年10月29日 8:58

1994年卒です。就職活動では、バブル崩壊して法学部と経済学部以外だと人事に無言で電話を切られるような時代でした。
1994年卒業して、小さな辞書や参考書の編集プロダクションに就職、三年後印刷関係のデザイン会社に引き抜かれ(編集プロダクションが激務だったため、喜んで転職)、その後趣味で出会った夫と結婚、夫実家に家業があったため「子供でもできたら会社辞めて(育休などなさげな小さな会社だったため)うちの家業手伝ってほしい」と言われたが、結婚直後に経理をやっていた義父が倒れ、ほぼ寿退社→夫の家の家業に入る
現在そのまま家業で小さな製造業経営してます。夫の代になりかなりの借金して機械をいれかえ最新の機械をそろえたため仕事がやりきれないほど舞い込みもうかりまくってます。
子供は授かりませんでしたが夫婦二人で仲良く会社経営。経営者なので定年はありません。ただ、仕事三昧も嫌ですし、年取って体動かなくなってからリタイヤしてもつまらないのであと10年55歳くらいで会社たたもうと思ってます。今の時点でもう老後遊び暮らしても困らないくらいの金は稼ぎました。従業員いるので今すぐ辞めるつもりはないですが。
今の仕事の悩みは納期が全く間に合わないくらい仕事があって納期の調整が大変くらいですかね。あと税金納めるのが大変です。

ユーザーID:8638903675
1991
みるくるみ
2018年10月29日 10:02

大手メーカーに総合職で就職しましたが、妊娠時(複数回)にトラブって退職。今はただの主婦おばさんです。パートで週1回ほど気分転換してます。私以外の学部同期は皆現役ばりきゃりです。教授職や役員もいます。すごいなー

ユーザーID:9467360133
1992年ですが
moko
2018年10月29日 11:45

1992年卒なので少し後の世代ですが
中高一貫の進学校から早稲田の政経を出て大手都市銀行に総合職として入社しましたが、激務と厳しさに付いて行けず2年で退職し、国内の大学院に進学。
大学院で知り合った夫と結婚し、自分にはバリバリ働く器量はないと悟り、専業主婦になりました。
総合職の同期女性の何人かとは今でも交流がありますが、銀行に残っているのは一人で、大半は専業主婦になっています。
大学の同期でも今でもバリバリ働いている女性はほとんどいません。
トピ主さんは素晴らしいです。尊敬します。

ユーザーID:2666379696
ごくごくフツーの会社員です
ジャスト50!
2018年10月29日 14:53

ジャスト同い年で嬉しくなって投稿しちゃいました。(笑)

1990年に新卒で、業界の一応トップ企業と言われる一部上場会社に総合職入社。
ですが4〜5年勤めて、社風が合わない事と、所謂グラスシ−リングが分かり易く存在することが分かりました。
出世に関して、女性<男性、未婚男性<既婚男性、子なし既婚男性<子あり既婚男性、という優先順位が暗黙のうちにあったのです。
外向けには「女性活用に積極的な企業」だったんですけどね。内情はこんなもんでした。
まあ当時はそんな企業だらけだったんですけど。

そこで思い切って、前職でちょっと絡みのあった他業界に転職。
幸いその会社では水が合い、その後同じ会社でずっと働きました。
トピ主さんのような出世街道ではありませんでしたが、まあ満足しています。

そして50歳になり、子供がいない事もありそこそこ老後資金が貯まったので、思い切って退職しアーリーリタイヤしちゃいました!

振り返って、仕事ですからそれなりにストレスはありましたが、まあ幸せな会社員生活だったと思います。
会社で特にすごい成功を収めたわけではないですが、そもそも私が働く目的は仕事で成功することではなく「経済的に自立した人生を送る」ことだったので、今のところその目的は果たせています。

在職中は、目的がはっきりしていた事があだになって、最後の2〜3年は目的が達成されてしまったのに働き続けるモチベーションを保つのが大変でしたね。
あとは、年齢的なものでしょうか、思考の瞬発力がなくなってきたなぁと感じていました。色々な事を鑑みて決断を下すのに、ある程度時間をかけてきちんと落ち着いて考えないとどこかに穴があくとでも言いましょうか。
そんな事もあって、リタイヤを決断しました。

今はノーストレスで穏やかな生活を送っています。

ユーザーID:8631949982
1990年卒予定だった者でもよいでしょうか?
ロザリアン
2018年10月30日 12:20

ぬるい生活をしている私は、トピ主様の超人的なバリキャリぶりにびっくり!

私は1990年に4大を卒業予定でしたが、大学を通してヨーロッパの非英語圏に留学し、留年でも休学でもない、変な扱いのまま(笑)一年遅れの1991年に卒業しました。

トピ主様と同じく、某一部上場企業に総合職で入社。
ただ、福利厚生が手厚い、お気楽な社風の会社でしたので、産休・育休は取るのが当たり前でしたし、「○○したらクビ」なんて聞いたことがないのです。
会社のお金をがっつり使い込んだ課長すら、降格されただけでクビにはならなかったので、「一体何をしたらクビ??」と不思議に思ったほど、社員に優しいというか甘い会社でございました。
景気の悪化で、新入社員の採用は劇的に減りましたし、残業禁止デー等が設けられましたが、残業代カットや賞与のカットはなかったと記憶しています。
90年代半ばにあった希望退職の募集は、45歳以上限定でした。
私もちょうどその頃会社を辞めたので、45歳以上の方が羨ましかったことを覚えております。

その後、服飾の専門学校に通い、それを仕事にした後、実家が経営する会社を手伝い、その後結婚して引越した後は、あるスポーツのイントラとして10年程を過ごしました。
夫の転勤でイントラを辞め、法律と金融の資格を取って、金融系大手の非常勤となり、今に至ります。
今はまた、別の法律資格の勉強中(40超えたあたりから勉強が趣味となりまして…)です。

服飾の仕事は途切れることなくずっと続けており、有難いことに作れば売れる状況ですので、将来的にはそちらに専念して自宅でお店を開く予定です。
長年趣味でやってきた茶道で、無駄に教授になったり(笑)、道具を揃えたりもしておりますので、その教室も兼ねて。

法律や金融の資格、イントラ資格、語学等は、後々ボランティアにでも活かせれば良いかな、と思っております。

ユーザーID:5476872468
無難に公務員してます
無難
2018年10月30日 20:57

関東圏内の国立大月をストレートで卒業しましたが、仕事に対する情熱もなく、無難に公務員の事務職をしています。
残業なしで年収750万円ほど。
仕事は時間中はガッツリしっかりやっていますが、ワークライフバランスはかなりライフに偏ってます。
産休育休もほどよくとることができ、生ぬるく生きているかもしまれません。

ユーザーID:6921096896
私も同じ事考えてました
アリママランチ
2018年10月31日 7:13

1989年入社です。
バブルの絶頂期に入社しました。
男女雇用機会均等法施行第1期です。
入社して2年程でバブルが崩壊しました。

私は、有名私大を卒業後1年アメリカに留学。
帰国後一部上場の会社に入社。
5年勤務後に主人と知り合って寿退社。
すぐ子供も出来て暫く専業主婦で子育て。
派遣で社会復帰するも二人目が出来て退社。
子育てしながら勉強し、ある資格を取得。
二人目が保育園に入ったのを期にその資格を使って社会復帰。
子供二人が小学生の時、私と三人で海外へ2年間親子留学。
仕事絡みではなく主人は日本にいました。
帰国直後、主人が転勤になり
現在の地に引越しマンション購入。
取った資格を活かせる会社に再就職。
で、現在に至っています。

実はつい最近、独身の時に勤めていた会社の
同僚6人と20数年ぶりに再会しました。
どんな素敵な年の取り方をし、充実した人生を
送っているのだろうと期待して行ったら
ほぼ全員が専業主婦にドップリ浸かっていて
話題は子供の事オンリー。
私が資格取ってフルで働いている事、
一念発起して親子で留学した事を言うと
全員が驚いていました。
皆の向上心のない生活ぶりに落胆して
さっさと帰宅しました。
私は一生懸命に何かに没頭している人が好きなんです。
トピ主様、素敵です!
会って話をしたいくらい共感しました。

入院、手術も経験したので、
今後は体調管理をきちんとしながら
今の会社に60まで、出来たら再雇用して65まで
働かせてもらって、65になったら主人と
海外旅行三昧しようと思っています。
兄が航空会社に勤務しており飛行機代はタダのような
値段で乗れるので。

最後に、、、
海外に住む兄弟と協力し、
日本の商品を海外で売る仕事もしています。
趣味も兼ねているので楽しいです♪

まだまだ頑張りますよ。
トピ主様も頑張れ!

ユーザーID:3378253794
同じ年です
れもん
2018年10月31日 7:33

とてもがんばってこられたのですね。
女の人生いろいろです。

私はちょっと特殊な国立大に入りました。
高校時代のいじめ等を引きずり、人間関係が苦手で
あまりなじめなくて理系だったにもかかわらず、学部卒でなんとか就職しました。
世の中は売り手市場だったのかもしれませんが
コミュ障の自分とは無縁でした。
そこでも、うまくなじめず、自分は人とできるだけ接しない生き方をしようと
転勤が迫っている人と見合いをして結婚。
旦那の転勤についていき、知らない土地で二人の子を産みました。
その過程で人間関係も少しづづ上手くやれるようになってきました。

15年間専業主婦でしたが、10年前に首都圏に戻り
家業を継ぎ、さらにもう一つ自営で始め、複数の仕事をしています。
定年は自分で決められます。
やっと、国立大を出たことが、生きてきたようです。

子供は社会人と大学生です。
子供達はなぜか、同性にも異性にもモテます。
自分と違って良かったとつくづく思います。
何より有難いことです。

幸い、旦那には恵まれ、真面目で私のすることには文句は言わない人です。
金銭的に恵まれてきたので、最近は気持ちに余裕ができてきました。

周囲の知り合いには、旦那と不仲で悩んでいる人もおり
でも、経済的な理由で離婚もできす、子供にも悪影響が・・・
という例があります。

これからは健康と、懐に余裕があるかないかで
違ってくるのでしょうね。
人生100年です、もうちょっとがんばりましょ。

ユーザーID:2710611262
同学年かな?
一応、派遣歴21年
2018年10月31日 12:10

1968年2月生まれの者です。
トピを読むと、同学年の方かなぁと思い
思わずレスしてしまいました。

私自身は短大卒なので
1988年に新卒で就職しましたが、
大学に進学した同級生はまさに1990年3月卒業です。
たった2年で就職状況が全然違ったので、
大学進学に反対した両親をなじってしまいましたねー

その同級生は、消息を知る限り全員『先生』です!
50歳を過ぎているので、
それなりに責任のある地位にいるようです。


蛇足ですが、短大卒の同世代になると、
大手企業で働いているか、家庭に入ってるか極端ですね。
私のように派遣やフリーランスで身を立てているのは、
あまりいません。

ユーザーID:8405888881
教職です。
母親
2018年10月31日 17:05

独身時代は専任でしたが、結婚出産夫の転勤を経て講師に。ほどほどに働いています。同僚女性が男性並みを求められる状態の働き方で、何人が若くして亡くなったことか。

娘には、自分の命を削って仕事をして欲しくないですね。働き方改革が進んで、家族がともに時間を過ごし、バランスよく生活できる人生を送れることを願っています。

ユーザーID:2314735480
93年卒です
tabio
2018年10月31日 17:35

まず・・定年は70歳過ぎなんですか?
まだまだ稼げますね!

私は93年卒でバブル崩壊の序章の年でした。
男子と比べると就職活動の感触は悪く、かといって縁故は嫌なので、なんとか自力で業界2番手の上場企業に総合職で就職しました。

花形といわれる部署に配属されて最初の3年ほどは楽しく仕事していましたが、激務過ぎて、仕事は嫌いではなかったのですが、子どもも3人は欲しかったので、遠距離恋愛していた彼が海外転勤するときに退職して帯同し2年ほどそちらで大学に通ったりしてました。

帰国後、前職で契約社員で働き始めましたが1年後の出産の時にそれも退職し、実家の家業を手伝い始めました。
小さなメーカーですが特許もあり、ニッチな業界なのでバブルもリーマンショックもあまりかぶることなく、今もそれなりに順調です。
総務や経理は私が1人で担当しており、社労士や税理士の資格も取り、私なりにがんばっています。

3人の子どもたちはすでに大学生と高校生、みんな進路を決めて頑張っています。
学費も十分貯まっていますし、夫も多忙ですが、今は本社で異動も当分なさそうです。

子どもたちの学校の役員や幹事なども引き受け、地域の委員なども任されることが増え、仕事以外の役割も増えてきました。
家事は外注なども頼みつつ、1日24時間では足りない日々を送っています。

私は会社員は性に合ってなかったようなので、今の状態にとても満足していますし、財産形成も順調にできたのもそのおかげだと思っています。
夫のお給料はほぼまるまる残る形になったのも家業を継いだことが大きかったです。
今はお正月に家族で毎年ハワイで過ごすことが励みとなり頑張っています。

定年もありませんし、体が動くまで仕事と地域の役割を続け、子どもたちが家庭を持ったら、子育ての手助けなどもしたいと思っています。

ユーザーID:5464093559
トピ主です
アラフィフど真ん中(トピ主)
2018年11月1日 5:15

minon様
>今の時点でもう老後遊び暮らしても困らないくらいの金は稼ぎました

さすが自営業ですね。従業員への給与・後から来る税金、など勤め人よりずっと大変ですが、働き甲斐もあるでしょうね。

私の勤め先は、たった1000人の中規模企業なので常に人手不足です。「給料高いよ、技術力高いよ、海外売上高も高いよ、でも非上場だよ!」のうち、最後の部分がひっかかって優秀な人が採れません。そのため定年がちょっとずつ伸びて70歳。いいのか、悪いのか?

みるくるみ様
>妊娠時(複数回)にトラブって退職

そうですよね、あの頃は育休取ったらアウトでしたし、産休も歓迎されませんでした。とても優秀な同期が妊娠中毒症で早めに入院したら退職の流れに・・・。今でも、彼女が残っていればどんなにか仕事ができただろうに、と思います。

moko様
>銀行に残っているのは一人で、大半は専業主婦に

とってもよくわかります。都銀の一般職の友人は少し残っていますが、総合職の人は残っていませんね。新聞記者になった友人も出産で退職しました。技術系企業で踏ん張った友人は、上場企業の執行役員です。男性に比べて、「退職」か「初の執行役員」のような極端な例しかないですね。

ジャスト50!様
>年齢的なものでしょうか、思考の瞬発力がなくなってきたなぁと感じて

私も45歳ぐらいでそう感じました。しかし、面白いもので、瞬発力が減じる分、粘りのある思考ができるようになってきたな、と。若手の出する企画の穴がよく見えて、実現のために何をするべきかがとか、法律・制度面でどこに気を付けるべきかなどは、手に取るようにわかります。失われる能力あれば、培われる能力あり、でしょうか。

ユーザーID:3154710029
1990卒
mari
2018年11月1日 20:08

トピ主様、とてもがんばってこられたのですね。

世の中が男女平等へ、と動いている中、男性優位の家庭で生まれ育った私は
実家から離れることだけを目標に就職活動をしました。
元々は金融希望でしたが、当時は実家住まいでないとなかなか採用は難しい時期だったのでほんのちょっとの興味があったIT関連の会社に就職、
文系出身にも関わらず、むしろまっさらな人を採用して会社で養成してくれる、というありがたい環境でした。
30直前に結婚して退職。
下の子が幼稚園に上がる頃から派遣で社会復帰、最初は週に3日とか、午前中だけとか、あくまでも家庭を優先する形で子育て期間は楽しみました。
子供の習い事に付き合い、ママ友付き合いを楽しみ、中学受験なども済ませました。
下の子が中学に上がる頃から仕事の量を増やし、高校に上がるタイミングでそこそこのPCスキルと英語で外資系企業に正社員で拾ってもらいました。

トピ主さまの足元にも及ばないなんの華々しいこともない社会人生活ですが、
その時々を精一杯楽しんで今があるという感じで後悔はありません。
今は健康に気をつけて余裕ある老後のために頑張っています。

ユーザーID:0883512000
93年卒です
ぺこ
2018年11月1日 22:37

ちょっと後輩、バブルも弾けて氷河期ははじまってました。
六大学の結構上の方卒業。
銀行とかお約束事の多い職場は合わないと思い、某プロフェッショナルファームへ。マニアックな人が多い職場だったけど(笑)4年務めて、もっと勉強したいな、と思って大学院へ進学、卒業後外資のIT企業に転職してもっと上に行くには留学、となり3年勤めた会社を退職。
留学して戻って、望みのポジションに付きました。
結婚は37になっちゃった。
相当遅くなったけどいい人と会えたし41で子供にも恵まれました。
今の会社で5社目です。
簡単に書くといいことばっかりだけど(笑)山あり谷あり。
でも、常に辛くない場所を探していました。
自分の力が生かせる場所がどこかを探る力と行動に移すエネルギーって必要ですね。

ユーザーID:9602863945
返信ありがとうございます
アラフィフど真ん中(トピ主)
2018年11月2日 11:22

同世代の皆様、ご返信ありがとうございます。
社内には同世代の女性は契約社員さんぐらい、業界や他社を含めてもごく少数、掲示板上ではありますが、お話しできてうれしいです。

組織の中で生きている人、結婚して退職後に制約条件の下で最大限に努力して才能を生かしている人、誰にも守られず一国一城の主としてたくましく歩まれている方・・・本当にそれぞれですね。我々は、才あっても生かせない女性が多かった最後の世代なんでしょう、契約社員の年齢制限を撤廃したところ、3カ国語の堪能な47才とか、プログラミングの経験豊富な43才とかの女性が来てくれて、まさにこの世代の女性は、宝の山だと実感しています。

ひと回り下の世代は、共働きがアタリマエに変わっているので、均等法世代(総合職女性のほとんどが独身)--アラフィフ世代(結婚後も働くが、出産で退職する総合職の時代)--出産後も働き続ける総合職の時代、と変化しているように思います。

結局、働く総合職女性の抱える問題は、男性と競争しながら、種々の仕事の舞台に登り続けていられるか、豊富な業務経験を蓄積し、年齢なりの決断力やリーダーシップが取れるようになれるか、でしょうね(書いてみて男性と変わらないと気づきました)。50歳ならば、大きな資金のプロジェクトが動かせないとだめだし、より広範に責任を負う覚悟が必要なのでしょう。

また、働く総合職・子持ち女性の抱える問題は、上の条件に加えて、今もあの頃も夫婦間の働くバランスの問題であり、俯瞰すると夫の会社・妻の会社の問題なんだ、と思います。夫の働く環境(夫の会社)を優先しすぎると、妻は会社から「制約の大きすぎる正社員は要らない」と言われます。それは、企業間の関係からすると当然のことだと思います。

ユーザーID:3154710029
会社の働かせ方の問題は大きいと思う
るう
2018年11月3日 20:54

トピ主さんの直近のレスを読んで思いました。私は94年に米国の大学を卒業して、いわゆる外資金融で働き(自分が海外だった時期もあり)、30代でリタイアしたアラフィフ女性です。

日本で働いていた時期もあって知ってるのですが、欧米人で日本に赴任してくる人の配偶者には、会社が無理やりでも仕事をつくってました。なので夫婦共働きが継続できる状態です。配偶者は女性のほうが多かったですが、男性の場合もありました。かつ、家賃は中堅社員でも100万くらいのとこ、会社負担で住んでました。

私はというと、早々に引退しましたし、特別裕福というわけではないですが、悠々自適にはあてはまるかもしれません。結婚も出産もしなかったですが、その後、別の形で次世代を育む機会に恵まれたのは幸いでした。

正直、私の世代ですと、よほど惚れ込まないかぎり日本人と結婚ってなんだかなあ、という感じでした。稼ぐのも、子供を産むのも、育てるのも、家事も全部私かあ、みたいな。。

それこそ、日本では、職場の日本人の同僚とか、結婚こそがゴールみたいな女性が群がってきてる感じでした。そんなの私は太刀打ちできないよー、みたいな。でもその後リーマンショックやらなにやら、人生様々です。

ユーザーID:8593861798
気づいたらガラスの天井が消えた、困惑と孤独
アラフィフど真ん中(トピ主)
2018年11月3日 21:58

我が家は、産休を私が取るので、保育園に入園できる12週(当時)までの育休は夫が取る、というのが結婚当初からの約束でした。子供の病休時の有給も、できるだけ半々になるように取りました。当時は珍しかったのかも。そのせいか、夫は頭脳明晰な人にもかかわらず、一時期出世コースから外れました。しかし、"超一流の有能なお父さん"です。最近は、また、やりがいのある業務が回ってくるようになったそうです。

私の30代から40代の悩みのひとつは、同性総合職からの「働き方への批判」でした。
「あなたが産休しかとらないから、育休利用が拡がらない」とか、「あなたが1歳未満の子供がいるのに宿泊出張に行くことが、他の人にもそれをしろという圧力になる」とか、「子どもが1才過ぎたら海外出張を再開するのは、いくら総合職でもやりすぎ」とか、言われました。

ただでさえ、夫との時間のやりくりでギリギリの状態で、睡眠不足でふらふらなのに、辛かったです。しかし、3年の海外駐在でモヤモヤが吹っ切れました。

私もささやかながら、私自身と後ろに続く女性の役に立つように、会社と何度も交渉をして柔軟な就労環境(夕方16時に帰宅し、夜21時からの2時間程度、自宅から時差のある海外との打ち合わせ業務をする等)を切り拓きました。今もこの制度は多くの社員に利用されています。

今の悩みは、ずっと頭上にあったガラスの天井が「突然、消えた」ことです。いきなり役員会に投げ込まれましたが、男性同士ならわかる力関係が、私には全然わかりません。権力闘争も派閥の力関係も見えません(派閥があるようですが誘われません、笑)。役員会出席者には他に女性はいませんし、男性のメンターもおらず、五里霧中です。

年齢的に決断力の必要な仕事が回ってくるのは仕方がないにせよ、あまりに孤独で、同世代の皆さんがどうされているのか知りたく、トピ立てさせていただきました。

ユーザーID:3154710029
2度目です
tabio
2018年11月6日 9:55

組織で働くトピ主さんと自営の私だと、働き続けてる女性でもずいぶん違うなと感じました。

自営なので出産育児休暇はありませんから、出産前日まで仕事をし、動けるようになったら出社し、赤ちゃんを別室で寝かせつつ、産後8週目(私の時は)で3人とも保育園に預け、それぞれ3人の子どもたちが違う保育園になった時期もありました。
夫は当時、長期出張で不在でしたし、妻は専業主婦がほとんどの会社なので育児休暇どころか有給休暇も取れなかったです。
家族には誰にも頼れず、保育園のママ友に助けてもらい、地元のありがたさを痛感した日々でした。

自営業(といっても一応は会社組織なんですが)は休みは取れないし仕事から解放されることは全くないけれど、ちょっとの時間の融通は自分でいくらでもつけられることです。
そして私も子どもたちも基本的に丈夫なので、3人育てることができたのだと思います。

また、私がいる業界も男性ばかりの古い体質の業界なので、日本のムラ社会的要素満載の業界です。
IT化ももちろん遅れていますし、いまだにゴルフで相手のショットを褒めちぎるような接待をすることもあります。

でも時代は変化します。
仕事の仕方も環境も、めまぐるしいですよね。
私にもロールモデルは存在しません。
先代のやり方はもう通用しませんし、判断も決断も従業員の生活も私にかかっていますので失敗は許されません。
だから、多くの人たちは変化を嫌うんですよね。時代の変化に対しても否定的です。幻想にすがりたい人たちも大勢います。
トピ主さんの今の立場は、夫も同じような感じです。
時代の変化で夫の部署は重要なポジションになり、役員になったのも夫が初です。
何かと苦労はあるようです。

すでに仕事だけでなく、家族の健康、親の介護や病気も生活の中にあります。
お互いに健康に気をつけたいですね。

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