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昨日亡くなった末期肺がんの父への後悔で押しつぶされそう

ただぽん
2018年11月30日 18:03

トピを開いて頂きありがとうございます。

31歳既婚 子供(乳児)有、ただぽんと申します。

母と姉と私の三人で昨日末期の肺がんの父を病院で看取りました。
まだ動揺しているため、拙い文章で読みにくいかもしれません。

父は2年前にステージ4の肺がん、間質性肺炎、肺気腫が見つかり、手術しました。しかし今年再発し、夏に体調が急変、抗がん剤治療を受けましたがみるみるうちに悪化し昨日息を引き取りました。

父からは生前「とにかく苦しみたくない。もし死期が迫ればお迎えが早まってもモルヒネを大量に投与してもらって朦朧と意識を混濁させてほしい。本当は安楽死をしたい。」と何度も言っていました。もしそうなったら、とにかく苦しくないようにしてもらうよう要請すると私も家族も胸に刻んでいました。

しかし、最期の父はとても息苦しそうでした。
父が息が出来ずもがき苦しむ姿に、私は泣きむせびながら体をさすったり声をかけることに精一杯でした。

父が亡くなった瞬間、脱力し呆然としながらも「もう父は苦しまないでいいんだ」とホッともしました。

1日経ち、私は父が楽になるためにモルヒネ(痛み取り)とミタゾラム(眠くなる)をもっと追加してくれと看護師さんに言わなかった事に愕然としました。
亡くなる前からモルヒネとミタゾラムは状況を見て看護師さんが投与していました。しかしどのタイミングで投与するかは看護師さんでも判断が分かれるそうです。家族からの要請があれば追加のタイミングを早めてくれていたと思います。

あんなに苦しそうに亡くなった父。苦しみたくないと言っていたのに。亡くなる直前まで苦しめてしまった。
私はなんて事をしてしまったんだと涙が止まりません。
看護師さんは「たとえもがいても意識はないですよ」と言ってましたが、きっと苦しかったはず。


今更どうにも出来ないこと。こちらで吐き出させていただきました。

ユーザーID:5721143822  


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タイトル 投稿者 更新時間
おつらいですね
嗚呼
2018年11月30日 19:18

お悔やみ申し上げます

色々な亡くなり方がある中で苦しそうにお亡くなりになるのを見守るのは
大変おつらかったことと思います

1つ言えるのはご家族に見守られながらお亡くなりになられた事は とても恵まれていた最後だったと思います

どうかご自分を責めませんように お大事にして下さい

ユーザーID:2811124725
本当に看護師さんの言うとおりかも知れない
一子
2018年11月30日 19:23

お父様の最期は、チェーンストークス呼吸のような状態ではありませんでしたか?
もしそうならば、意識はかなり朦朧としていて、
看護師さんの言うとおり、お父様ご自身は、苦しさは殆ど感じていなかったのではないでしょうか。
(周囲からの見た目には、苦しそうに見えます。)

意識が朦朧とする中でも、聴覚だけは、最後まで残ると言われています。
もし、トピ主さんやご家族がお父様に最後の声掛けをしていたのであれば、その言葉はお父様に必ず届いているはずです。

お辛いと思いますが、どうかご自分を責めないようにしてください。
お父様のご冥福をお祈り申し上げます。

ユーザーID:5409981733
お父様は分かってくれてますよ
娘子
2018年11月30日 21:51

私も肺癌の父を看取りました。
父は1週間危篤状態でした。
私は、水を飲みたがっていた父に水をあげなかったことを後悔しています。

ああいう究極の状態だと、思考がストップするのですよね。
親を看取った多くの人が何らかの後悔をしているのではないでしょうか。

でも、トピ主さんのお父様はきっと分かって下さっていますよ。
寄り添ってさすってくれたことをきっと感謝しているのではないでしょうか。
今は難しいでしょうが、トピ主さんが悲しみを乗り越えられますようにお祈りします。
ご愁傷様です。

ユーザーID:6261742293
今のお父さんはとって楽です。
小貝
2018年11月30日 22:32

10年前にすい臓がんで父を亡くしましたが、似た症状でした。
もともと眠れない体質だった上に、闘病中はますます痛みで眠れなくなり、最後は本当に苦しそうでした。

夏に亡くなり、初めて迎えた冬の晩、ある夢を見ました。
父が私のベッドにゴルフクラブを並べて、7番アイアンを取りに来たと言うのです。
私が、「お父さん、あっちの生活はどうよ。」ときくと、父は「楽でいい。」と答えました。
最後まで責任ある仕事を辞めることもなく、睡眠不足と痛みと戦いながら、残された私達を案じていた父が、
やっといろんなことから解放されてぐっすり眠れてゴルフも楽してるんだなと知って、心から安心しました。

その後、輪廻転生の色んな本を読んで、また会える事も確信してます。どうか前向きに生きていって下さい。

ユーザーID:3216000264
母とよく似てます
おふく
2018年11月30日 23:41

私も11月に母を肺がんで亡くしました。
今年の1月に発覚し、その時既にステージ4。手術は適応外。もともと膠原病の疑いで検査をしていたら肺がんと間質性肺炎が発覚しました。
気胸も酷くて左肺が3回、右肺が2回破れました。
余命半年を言われていましたが10ヶ月ほど持ちました。
間質性肺炎の為に使える抗がん剤も少なく、その抗がん剤もいよいよ効かなくなった後は在宅に切り替えて介護をしました。
肺がん、とても苦しいって言いますよね。治らない事は理解した。治してくれとは言わない。だから頼むから苦しませずに逝かせてあげたいって家族なら思います。
トピ主さん、看護師さんが「意識がなく苦しみはなかった」と言うならそうなんですよ。もし苦しかったのならば看護師はわざわざ家族には言いません。意識レベルがかなり低いから苦しみを感じなかったんだと思います。体をさすったり声掛けをしたり、貴方は精一杯の優しさで看取っています。きっと天国でお父様はのびのびと「ただぽん、ありがとうな〜」って笑ってますよ。

ユーザーID:4664433705
気持ちわかります。
にゃんころりん
2018年12月1日 4:43

ただぽん様

お父様のご冥福をお祈りいたします。

まず、一番大切なことを、ただぽん様がお父様になさったことを忘れないでください。
ご家族で看取られたことです。それはお父様にとって本当に心強かったでしょう。
お父様のとても苦しんだ姿に背を向けずに、最後まで寄り添った ただぽん様の勇気と覚悟は家族といえどもそう簡単にできるものではないです。
ただぽん様がお父様の苦しんだ姿に心を傷めるのは、それだけお父様を愛していた証拠です。

お父様のご病気も死も、ただぽん様にはどうすることもできません。どうか自分を責めないでください。
お父様の苦しかった様子がこれからも悪夢のようにあなたを苦しめるかもしれません。でも、気を強く持って、お父様との楽しかった思い出を思い起こしてください。
家族の皆様とお父様の良い思い出を話してください。
当分は精神的、身体的にとても辛い時間を過ごすことになりますが。できるだけ心休まる時間を見つけてください。大丈夫です。

私は父を亡くして15年が経ちます(心筋梗塞)。私が32歳のときです。。遠方に住んでいたため知らせを聞いて駆けつけても看取る事ができませんでした。
なぜ遠方に住んでしまったのか、病気になぜ気づいてあげられなかったのか。そして、周りからは「若くして亡くなったね」とも言われたのも辛かったです。
とにかく色々と悔しいことがいっぱいです。今でもとても悲しくなることがあります。
打ち勝つというより私の場合は受け入れてきて、気がつけば15年という時が経ちました。

はい、これからも、いつでも吐き出していいと思います。

ユーザーID:3946761154
もう苦しくない。
マヤ
2018年12月1日 7:33

今年の8月に私も末期ガンの父を亡くしました。詳細を書くと全然入りきらないので伝えたいことだけ書きます。私もたくさん色々と後悔しましたが、亡くなる前に他に家族を癌で亡くされたお友達からどんなに一生懸命、やっても絶対に後悔するものだと聞いていました。案の定亡くなってからのはじめの2週間くらいは、私がもっと早く救急車を呼んでいればとかあの時になんできがつかなかったんだろう?などなど色々自分を責めたり色々医療関係の人に聞いて回ったりかなり辛い思いをしました。まだ3か月しか経っていないんですが自分の中でだいぶ折り合いがつけられました。まずはもう全く苦しくない事。そしてそこまでが父の寿命だったんだという事。うちは肺がんではありませんでしたが最後は意識もうろうの中かなり苦しそうにぜーぜしていましたが、医師曰く本人はさほど辛くないということ.。何より家族で介護できて家族で看取れた事。うちも急変でした。強い痛みが出てきはじめて前の日もモルヒネを追加等色々ありましたが、考えようによっては(訪問看護の方にも言われましたが)仮になんらかの形で助かっていたとしても、あとは透析や激しい痛みとの戦いで向こう何週間か過ごすことになってたよりは苦しみが長引かずに良かったのかなと思えるようになってきました。トピ主さん、後悔はして当たり前です。家族は試行錯誤してあらゆる手を尽くして助けてきました。全てが正解です。(これもお友達に言われました)ああすれば良かったこうすれば良かったではないのです。何よりも側にいてあげれたのが一番素晴らしかったと思います。とにかく高くてもいいので食べれるもの、食べたいものを食べてとにかく休んでください。当分は色々考えては泣いたり悩んだり続くと思いますが、そうやっているうちにきっと乗り越えられます。 大丈夫ですよ!!!!

ユーザーID:3747244912
トピ主さんはやれることはやった
まさこ
2018年12月1日 7:56

お気持ちとてもわかります。

私は海外に住んでいるので、父が亡くなる時はそばにいてあげることはできず、姉がたまーに父の様子を介護施設に見にいっていたのですが、要領を得ず、イライラやきもきしていました。でも、姉は姉なりに十分頑張ったのです。

トピ主さんも、お母さんお姉さんとともに、お父さんが召される前に、やれることはやったのです。お側にいられた事だけでも、親孝行だと思います。親の死って、何をやっても、悔いが残るものだと思います。あの世に召されたお父さんは、あなたに、“ありがとう、しっかり生きてね!”って天国から叫んでますよ。

だから、笑顔で、元気にお子さんを育て、父さんの分もしっかり生きましょう。

お父様の死去、心よりお悔やみ申し上げます。

ユーザーID:4251959893
大丈夫です。お疲れ様でした。
柚子
2018年12月1日 10:32

大丈夫です。
もう何も心配ないです。よく頑張りました。お疲れ様でした。
8月に同じ思いをしました。
一番大事な人を亡くすのがこんなに辛いのかとビックリしました。
特にその人の人生で一番壮絶な瞬間を見るのだから色々と思うことがあると思います。

お父様の人生です。
できることはしました。
実際に辛さからは解放されましたし、もう大丈夫です。

これはしょうがないのかな、どうしてもある一定の苦しみを受けないと人は死ねないようで
薬がいくら発達したからってそれは人の手に及ぶところではないのだと思います。

本当によく頑張ったと思います。お父さんもあなたのことわかってると思うので
ゆっくり休んでください。
本当によくやったと思いますよ。

ユーザーID:1016708406
我が家も
通りすがり
2018年12月1日 17:38

夫が 7月に肺癌で亡くなりました。

闘病生活は2年弱でしたが壮絶でした。

最期は危篤の知らせで病院に向かいましたが、下顎呼吸で見るからに苦しそうで

病室に入った瞬間から見るのも辛く私も息子も涙がとめどなく流れました。

夫は翌朝息を引き取りましたが、これでやっと苦しみから解放されたのだなと。

今でも最期の荒い呼吸の様子が脳裏から離れず辛いです。

その時の夫は受け答えが辛うじて出来ており意識はあったのではと思います。

ネットで 調べると下顎呼吸は苦しく無いと書いてあったりもしますが、本当の事はわからないと言う考えも出ておりました。

正直、辛いですが今は安らかにいてくれればと願い手を合わせる日々です。

ユーザーID:3018020997
同じような状況でした。
ゆうの
2018年12月1日 19:24

父は末期がんで、母は父が余命いくばくもないのを信じられず助けようと奔走し、最後の最後まで父の命を引き延ばし、その結果父は、絶望の中、苦しみつつ亡くなりました。
母は後悔しながら、父のように絶望の中で苦しみながら死にたくないと何度も言っていました。でも母のとき、私は最後の最後までどうしても死んで欲しくありませんでした。結局、母は苦しみ、「死なせて」と言いながら亡くなりました。
きっと父も母も、死んで欲しくないという私の気持ちを理解して、許してくれていると思います。
私は、自分が同じように病気で苦しみながら死ぬことになっても、それを受け入れるつもりです。

ユーザーID:1665503679
トピ主です
ただぽん(トピ主)
2018年12月2日 0:57

みなさまレスありがとうございました。
まとめての返信お許しください。

同じようなご経験をされた方の暖かい言葉に胸が詰まりました。私とは違う場所でこんなにも苦しい思いをしている方たちがいるんだ。そして優しく励ましてくれるなんて、見えないけれど支えられていると感じました。ありがとうございます。

昨日泣きながらお風呂に入ったら鼻が詰まり息苦しくなりハッとしました。「父はもっと辛かったんだ…」と思うと怖くなりました。

チェーンストークス呼吸、初めて知りネットで検索しました。父の呼吸はそれだったと思います。父は呼びかけに反応しなかったので、意識はない状態だった思うのですが、意識がないのと苦しくないのは同義なのでしょうか?自分が何者かは分からないけれど苦しいのでは…と考えてしまいます。

チェーンストークス呼吸になる数時間前には腕を振り上げ、苦しそうに酸素マスクを外そうともがいていました。その時は苦しかったのでしょうか?

専門的な事がもし分かる方いらしたらお伺いしたいです。医師へは葬儀が終わった時に病院へ挨拶に行く予定で聞いてみようと思いますが今どうしてもその事が頭から離れません。

ユーザーID:5721143822
トピ主です
ただぽん(トピ主)
2018年12月2日 1:37

父が亡くなる2日前、意識は朦朧としたり時々意識が戻ったりしてほんの少しだけ会話が出来る状態でした。
私はその翌日は予定があったため父に「明日は来られないけれどまた明後日のお昼に来るからね」と言い帰りました。

亡くなる1日前、私は病院に行かないつもりでしたが不思議なことが二つありました。

一つ目は、子供の離乳食を終えキッチンの明かりを点けるとパチッと鳴り電球が切れました。3ヶ月ほど前に変えたばかりだったはずなのに。

二つ目は、パソコンで印刷しなければならないものがあり、プリンターを起動させたのですが、3週間前に全色新品に入れ替えたはずなのに「ブルーとライトブルーのインクの残量が無い」という表示が出ました。予備もないため色々作業してみましたが結局直らず。

「うそでしょう」と軽く流そうとしましたが、とてつもない胸騒ぎがして父の元に行かなくてはと思い、夫の帰宅後に子供を託して病院に行きました。

夜の面会時間終了間際になんとか間に合い、父を見るともう私の知っている父の姿ではありませんでした。私の事は分からず、苦しむ父。たった1日でこんなにも変わってしまうのか。もう奇跡は起こらないという事を感じました。生きていて欲しい。でも生きるより辛い苦しみを味わっているなら楽になっても欲しい。

母はこの日病室に泊まりました。
私は「明日の昼にまた来るからね!」と父を抱きしめ帰りました。

その翌早朝に母からすぐ来るよう連絡があり、父の最期の1時間家族で父の体をさすり、思い出を語ったり、感謝を伝え、大好きだよと言い、頑張った闘病生活を労いました。

私は父の顔を、母は右手を、姉は左手をさすっていました。

まだ終わって欲しくない。
お願いまだいなくならないで
行かないで行かないで嫌だ嫌だ嫌だ・・・!

心の声が出てこずただ「お父さん」と言いながら泣き続けることしか出来ませんでした。

ユーザーID:5721143822
トピ主です
ただぽん(トピ主)
2018年12月2日 17:16

みなさま本当にありがとうございます。
ひとつひとつ大切に読ませていただいています。

同じような経験をされた方がパソコンの向こうにいて私を励ましてくれている、それを知ったら大変ありがたく涙が溢れじんわりと胸が熱くなります。
そして少し冷静になる事が出来てきました。

父を家族全員で看取ったというと円満な家庭に思われるかもしれません。
実はつい2、3年前まではとても仲の悪い家族だったのです。

母のみ控えめな性格で、父姉私は頑固で譲らずお互いぶつかり合ってばかりでした。約10年ほとんど交流がなかった時期もあるくらい冷え冷えとした家族関係でした。

姉と私の結婚出産で家族が会う機会が増えたのでお互い過去の思いをぶつけ合い傷つけ合いましたが、徐々にしこりが取れていき、父の病気に家族全員で向き合っていくことが出来ました。
父は孫をとても可愛がり、孫の成長を楽しみにしていました。
過去の不仲だった時間を取り戻すかのように私たちは仲良く過ごしました。

父の入院生活中、父が自分の家族のことで大変な苦労をしてきた過去を話してくれました。薄々感じてはいましたが、父の口から語ってくれました。自分がした苦労を絶対に妻と子供たちにはさせまいと、不器用ながら必死で育ててくれていたんだなと分かりました。

過去のわだかまりが消え、私たち家族はこれからとても良い関係が続いて行くんだ。苦労してきた父がようやく幸せになれたんだ。そう思っていたのに、それなのに何故いま父を連れて行ってしまったのか。もっと幸せな時間を孫たちと過ごして欲しかった。

今はただ父に会いたい。
あんなに大嫌いだと思っていた父のこと、本当は大好きだったのだとやっと気づいた矢先だったのに。

すみません、まだ全然冷静になってないですね・・・。

ユーザーID:5721143822
お気持ち分かります
雪うさぎ
2018年12月3日 22:50

お悔やみ申し上げます。

私も2週間前に最愛の父を癌で亡くしました。

何をしても色んな後悔の気持ちは残ると思います。

でも最後はご家族に見守られきっとお父様は感謝し旅立たれたはずです。

父も1度危篤になり意識混濁した時は鼻から入れる酸素の管を取ろうとしたり着てた寝巻きをむしろうとしたり苦しそうに見えましたが

医師はこれは本人は意識が無く苦しんでいないです。と言われました。


私は最後の入院中は仕事も休み1ヶ月半毎日朝から夜まで母と付き添いました。

個室に移ってからの1ヶ月は毎日母が泊まり込みの看病で私も一緒に出来るだけ泊まりました。

いつもは必ず8:30には病室に行っていたのに亡くなった日に限って朝から子どもの用事がありそれを済ませて病院に向かってる最中に

母と姉から「早く来て!」と連絡があり病室に着いた時には2分前に亡くなっていました。

まだ温かい父を抱きしめて「遅くなってごめんね」と大泣きしました。

なんであの日に用事入れてしまったんだろうと今でも後悔が絶えません。

いつも私が行くのを楽しみに待っていてくれた父。最後にお別れの言葉も言えずに申し訳なくて今でも毎日泣いてばかりです。

母も姉も「毎日付き添っていただけでもお父さんが喜んでたからそれだけで十分親孝行したから後悔しないで」と言ってくれますが

亡くなる時に手をさすることも顔を撫でてあげることも出来なかった自分を責めてます。

たんぽぽさんはお父さん様が苦しそうにしてる中でも励まし最後まで見届けたんですからお父様は安心して旅立たれましたよ。

大切な親を亡くすのはこんなに切なく辛いんですね。

まだ気持ちの整理はつかないですが少しずつ前に進むことが父への供養になるのかなぁと思い気持ちを奮い立たせてます。

ユーザーID:4754167114
人生の課題を終了したから
えるる
2018年12月4日 2:15

トピ主さん、私の家族は正に父の終末期を迎えていて、同様のプロセスをたどっています。(ですのでトピ主さんのお気持ちがよくわかります)。

私は、死は「人生からの卒業」だと思っています。今生での課題を終了し、安楽の地に行くような。。。。「過去のわだかまりが消え、私たち家族はこれからとても良い関係が続いて行くんだ。苦労してきた父がようやく幸せになれたんだ。」とトピ主さんはお書きになりましたね。 だからこそ「卒業された」のかもしれません。
どうぞご自愛くださいね。

ユーザーID:6104337123
トピ主です
ただぽん(トピ主)
2018年12月5日 15:07

ご報告

昨日父の火葬を終えました。

このトピを立てた時には頭が真っ白で、地に足が着いていない気分でした。
何人かの方から「寿命だった」「やれることはやった」「看取れたことは恵まれていた」と言っていただいた事がつい数日前までピンときませんでした。

今やっとその意味を分かり始めている気がします。

関わった何人かの医師、看護師、相談した医療関係者の方たちのここ半年位に言われた言葉を反芻していたら、あぁ寿命だったんだなぁ父は・・・と落ち着いてきました。

医師からは寿命がみえていたんだと今なら分かります。
それでも希望があるに違いないと信じて調べてる私たち家族を否定せず付き合ってくれていたんだと思いました。
私たち家族だけが奇跡を信じていたんですね。

父を看取れたという事に焦点を当てていませんでした。

私は祖父もがんで亡くしており、亡くなる2日前に見舞い亡くなってからすぐも駆け付けたので「死」というものを身近で学んでいたつもりでした。

けれど命が消える間際と瞬間「看取り」は比べ物にならない時間でした。
うまく言葉には出来ないけれど、深く重く苦しく心に刻まれる時間でした。

亡くなった直後に看護師さんに体や顔を綺麗に整えていただき、顔色が良く見えるよう化粧を施し生前に近い姿にしていただいたので、苦しんで亡くなったようには見えない姿になりました。

看取れたことは幸せなこと、自信をもってそう言えるまでにはまだ時間がかかる気がしますが、ゆっくりと父の死が過去になっていくのかなと受け止めつつあります。


私の中で確かになったことは「死ぬ時まで生きなければならない」ということです。当たり前のことなのに理解してなかったのです。

ユーザーID:5721143822
トピ主です
ただぽん(トピ主)
2018年12月5日 15:20

ありがとうございました。

ご自身の辛い経験を話していただいた方、大変励まされました。見ず知らずの私に寄り添い心配して下さったこと本当に感謝申し上げます。簡単に乗り越えられることではないと思いますが同じ経験をされたみなさまの様に、いつか私も誰かに寄り添える優しさを持ちたいと思います。

感情に任せ書いてしまったので、生々しく不快に感じられた方もいっらっしゃた方もいるかもしれません。

このトピを書いたり読んだりする時間で落ち着くことが出来ました。

父に寄り添い続けた母が倒れないか心配なので、今月は母の所に出来るだけ顔を出そうと思います。


もう読まれることはないかもしれませんが、49日となる来月16日を過ぎましたらまたこちらで報告させていただこうと思います。

本当にありがとうごました。

ユーザーID:5721143822
 
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