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昔から恐怖感を持っていたもの:「永遠」というコンセプト

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趣味・教育・教養

ちひろ

最近よく思います。子供の頃怖かったものは、何歳になっても怖いもんだと。恐怖感を抱いたとき、その根底には同じ何かがあって、同じような不快感を持ちます。当たり前といえば、当たり前のことなんですが。

26歳になった今思うのは、年をとるというのは、「変化しながら成長する」というより、「自分はどんな人間であるかを確認する」ことです。

前置きが長くなりました。私が子供の頃(小学校に入る前)よく、「息をする」ということについて考えました。そのたびに嫌な気分になったものです。考えれば考えるほど、息の仕方が分からなくなり、死ぬまでその状態が続くのかと思うと、絶望的になりました。絶望の数が増えるにつれ、子供から大人になるものなのかと思ったりしました。

またその頃何度も同じ夢を見ました。ドミノを並べるんだけど、いつも完成する最後の瞬間に次々とドミノが倒れて、また最初からやり直す、そんなことを永遠と続けなければいけないという夢です。泣きながら目を覚ましたこともあります。

続く

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  • 驚きました

    あなたは、もしかしたら私じゃないかと思えるくらい同じ

    子供の頃、たゆまなく息をし続けることの辛さ、ドミノ倒しの夢…
    胸が押しつぶされそうな絶望的な気持ち
    夜、お布団の中で泣いていたことを思い出しました

    同じことを感じている人がいるんですね
    永遠は絶望的…だから人は永遠に生きられないのかな

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  • 続き

    続き

    両方とも、その根底に「永遠」に対する恐怖感があるように思います。現在も、論文を書いているのですが、言葉を使って あるテーマについて表現する ということに対して、同じような恐怖感を感じます。いくらがんばったって、どれだけの言葉を使ったって、永遠にパーフェクトには近づけないと思うんです。そんな状態が永遠に続きそうな恐怖に襲われます。

    個人的なことをだらだらと書いてしまいました。「永遠」が恐ろしいと思いませんか?

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  • Happy ever after

    真面目で頭の良い方なんですね。
     
     私は「無意味な事はやめよう。」「呼吸したくなければちょっと止めてみよう。」「言葉で表現出来ない事は体現出来るかもしれないし、もっと年を取ったら出来る様になるかもしれない。」といういい加減で暢気な人間ですから、端から期待しないので絶望もしたこと無いです。

     ロシアの拷問で 「積んである土をある場所に移す。そして、その土をまた最初の場所に移す。そしてまた、ある場所に戻す」を延々繰り返すというモノがあったそうですが、続けると発狂するそうです。
     人間は自分で意味を見出せない作業を繰返しさせられると、精神的を病み脳がやられるのでしょう。

     トピ主さんの恐怖の源は「永遠」そのものでは無くご自分が「しなければならない事に意味を見出せない。」事ではないでしょうか?

     私は「永遠」という言葉に、幸福なイメージを持っている人間なので、
     (子供の頃から楽しい時間が永遠に続いたらどんなに良いだろう。といつも考えていたからです。)
     見当違いだったらすいません。


      

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  • パスカルの

    パンセにあるじゃん、
    そういうの。

    矮小な存在に過ぎない人間が「永遠」ということに思いを致す不思議、すばらしさを彼は説いているわけだけど。強い人なのかね。

    人の一生なんて永遠の中の一点に過ぎない。
    そこで何かを完成させようなんて思うこと自体、
    僭越だとは思わん?

    生きるというのは完成に向かうプロセスじゃなくて、
    この限られた時空の中で触れられるもの全てを命の続く限り味わい尽くすこと。

    無から生まれ成長してやがて朽ちて永遠に還る、
    ほんのつかの間のプロセスに過ぎない。

    あれ?全然答えになってないか。
    いや、だからさ、
    呼吸は大事だって。
    どうせいつかは止まるわけだし、
    止まるまで吸うに任せていこうよ。

    違うか。

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  • ちょっと違うかもしれませんが

    小学生の頃、住んでいた団地にキリスト教徒の方がいらっしゃったことがきっかけで子供向けの日曜礼拝に行っていたことがありました。
    気軽に参加できたため同じ団地の友達などと誘い合い、子供会の雰囲気で楽しくお話を聞いたり賛美歌を歌ったりしていたものです。(現在はまったく宗教には縁がないのですが……)
    しかしそのお話の中で聞いた、「死後は天国で永遠に幸せに暮らせる」というのが何故かとても怖くて怖くて仕方がありませんでした。

    もし私が死んだら、キリスト教徒でない父や母はちゃんとそこにいるんだろうか、若くして亡くなった祖父は若いままなんだろうか、永遠に成長しないのだったら子供のままいたい……終わりがないなんていつまで暮らしていればいいの?
    ……などど、寝る前のふとした時間につらつらと考えてしまうのです。
    もし地球が滅びても「天国は永遠」というその説は考えても考えてもその通り際限なく、子供心にとてつもない恐怖でした。
    どうせなら死んだ後は「無」のほうがどんなにマシか……といつも思っていました。

    現在は死後をあまり信じてはいないのですが、その事を考えると未だに恐れを覚えてしまいます。

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  • 永遠なんてない、いつか終る

    物事に長々ととか、延々にとかいうのはあると思いますが永遠のものなどこの世にひとつもありはしません。永遠に思える事もいつか終りが来ます。人間の永遠に対する憧れや恐れがありとあらゆる宗教を産み出して来たのだとも思います。ご心配なく、誰も永遠に生きられる人間など一人もいません。いつか終ります。永遠なるものは死のみ。
    でもご心配なく。死んでしまえば意識も無いわけですから
    考えて悩む必要も無しです。長い歴史をみれば人間の一生などホント短くてほとんど点になってしまいます。過ぎればアッという間かも知れません。

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  • プロセスが大事なのでは?1

    私も幼稚園の頃から、同じようなことを考えていました。私の場合は,つばを飲み込んだら、すぐにまた口の中がつばでいっぱいになってしまって、これから死ぬまでこれをやらないといけないのかと,絶望しました。
    たしかに、結果を重視するといろんなことが無意味なように思えることがあります。何かに向かって努力をしても,完璧にはほど遠かったり。でも、その過程も大事だと思いませんか。例えて言えば、小説を読んだり映画を見たりしても、しばらくたつと細部は覚えていませんよね。でも、その読んでいる時間、見ていた時間はなくなったわけではなく、確かにあって経験したわけです。   つづきます

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  • プロセスが大事なのでは?2

    文章をかいていらっしゃるのであれば、大量の言葉で何かを解こうとするプロセス、プラクティスが大事なのでは?その中にしか、答えはないと思っています。続けることですね。

    以前は、日常的に繰り返すこと、永遠に続くことは絶望的だと思っていましたが、ある時自分がそのことに興味があって固執しているから、おそろしいのだということに気がついたんです。抽象的ですけど。その恐怖とともに生活して行くのは可能ですよ。諦めではなく、生産していく糧ともなると思っています。

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  • 八百比丘尼にはなりたくない

    怖いです。
    人魚の肉なんか絶対食べたくないと思うもん。
    あ,そういう話じゃない?

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  • 読んでみてください

    もし読書がお好きでしたら、大崎善生さんの“アジアンタムブルー”をぜひ読んでみてください。
    ちょっと気持ちが楽になるかもしれません。

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  • 永遠

    死は一瞬だが永遠である。と何かの本で見つけました。

    それより、頭が良い方なんですね、トピ主さんは。私も同じようなこと、感じました。あと生きている間に何回呼吸をするのだろうか。その回数を考えてみては打ちのめされたり。そういうことを言葉にして表現するのは簡単なようで難しいですよね。

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  • 死んでる状態

     私は死んだら夜眠っているときのような意識のない状態が永遠に続くと思ったら、胸がざわざわとします。意識がないんだからわからないんだけど、それでも怖い。家族や友人と永遠に会えないなんていや〜〜〜!
    ちょっとわけわかんないですね。
    すみません。

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  • 永遠って何だろう

     『永遠』と『呼吸』について、私も就学前から恐怖心を持っていました。
    幼い頃から、『自分の意思とは関係なく繰り返される事』と『永遠』という言葉に恐怖を持っていました。

    私も、一番恐怖と絶望を感じたのは『呼吸』です。

    外気が、絶え間なく体内に入ってくる不快感と、いつまでも続く反復運動に、絶望と恐怖を感じていました。そして、『骨の海をひたすらに泳ぎ続ける夢』を見ては、よくうなされました。
    死後、何かしらのモノとして永遠に漂う自分、に恐怖を感じてもいました。
    今から考えれば、死んでみなきゃ解らない事なんですけどね。
     
    今考えると、その恐怖って、『時間』だったと思うんです。
    自分の中に流れる『時間』と自分の外に流れる『時間』のズレ。それを自分の中に取り込む事の難しさ?ゴメンナサイうまくいえませんが・・・
    でも、時間って何なんでしょう?物理も哲学もよく解りませんが、ちひろさんの発言を読んで、勉強してみようかなと思いました。
     
    私は、人間って、恐怖や不安を糧に生きていると思います。ちひろさんは論文を書いていらっしゃるそうですが、その思いが、論文にも深みをもたせるのではないかと思います。

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  • 思ってました!

    トピ主さんほど深くは考えてなかったと思うけど、私も子供の頃「永遠」について考えていたら、怖くて眠れなくなる事がよくありました。
    息のこと、わかるなあ・・・。

    子供ですから当然「死ぬのって怖いなあ、いやだなあ」って思ってましたが、同時に「もしず〜〜〜っと死ななかったらどうなるんだろう」って考えたらゾッとしました。
    また、絵本で読んだ「無間地獄」の話も、怖くて怖くて・・・・。かと言って天国に行けたとしても、そこでお花に囲まれて永遠に過ごす・・・というのも怖くて怖くて・・・・。

    やっぱり物事は限りがあるから楽しいし、美しいんですよね・・・ってありきたりの〆でスミマセン(恥)。

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  • 永遠との共存

    私は永遠なんて、絶対なんてありえない
    そう考えていました
    絶対という言葉や永遠という言葉には嘘偽りがあっては
    いけないものだと感じています
    私の場合は、それが恋愛でした
    愛する事に永遠はなく、絶対もないと
    言葉のあやかもしれませんが使いたくない
    使う事で、恋愛をばかにするかもと感じていました
    でも旦那と結婚する事により、永遠を誓いました
    永遠を感じていたいと思うようになりました
    今はそれと共存中です

    あれ意味違うかなぁ

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  • 福猫石さんと同じです

    子供のころから、そうです、夜眠るあの状態が、死んだら永遠にこういう状態が続くんだろうな・・と想像して怖くて寝られず、今となってもたまにふとそれを考えてしまって、涙が出ることがあります。。

    今見えてるものや、やっていること(呼吸?)などについては「永遠」があるとは思えず、必ず終わりがあると思います。

    私にとったら、永遠といえば=永遠の無=死 という感じです。怖いです。。!

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