親子愛について

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家族・友人・人間関係

プリン

たくさんの人の意見が聞きたくて、投稿させていただきました。
今、私には悩んでいることがあります。

それは、親子愛って何だろう、ということです。
親子の愛と、友達や恋人との愛は何が違うのでしょうか。

私には、親子の間にある愛をうまく説明することが出来ません。
親は、子をどのように愛しているのでしょうか。

子は、親をどう愛しているのでしょうか。
皆さんにとって、親子愛とはどのようなものですか?

教えてください。

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  • 親子では

    条件付きでない無償の愛だと思います。
    多くの親は子供に対しての
    最低条件てのが、けっこうあるんじゃないかな。
    いざ何かにつまずいたとき、何かあったとき
    一番大事なものを優先させられるかどうか。。。
    眼に見える、お金やステイタス?とか見栄えの良いものを全てとりはらって
    子供を守れるか、
    親として失敗しても反省して
    あきらめずにありのままを受け入れる親
    そのような関係がこどもも親に対して
    同じように無償の愛を持てるようになると思います。

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  • 一番大切

    私の中では例えば、あまり泳げませんが溺れた我が子を見て咄嗟に飛び込んで助けようとするだろう、ということです。自分はどうなってもいい、この子が助かれば、という思いがあります。

     川で溺れた我が子を助けようと亡くなるかたのニュースを見ると、私も同じだなと思います。

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  • 私の場合

    私には、2歳になる息子がいます。

    「息子のためなら、何でもできる!」と思っています。
    息子が傷つく(精神的にも、肉体的にも)ことは、自分が傷つけられるよりも、何倍も何倍も最高に私にとって苦しく悲しいことです。

    「親子愛」というものをはっきりと言葉にすることは難しいですね。

    お互い駆け引きのない関係、見返りを求めない関係なのかな。

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  • そうですねぇ

    プリンさん、深く考えてしまったのですか?

    私の場合、ですが。
    子どもへの愛は、「慈愛」です。
    子どものためなら、命もすぐ出せます。 
    引き換えられます。

    親への愛は....祈ることはできても、「引き換え」まではいきません。 もちろん大切な存在です。

    「親は子どもを捨てない、子どもは親を忘れることはできる」は、本当かもしれないです。

    ただ、意識して「愛」をもっているのでなく、自然と愛情をそそいでいるものです。
    愛情を注げる相手があることが、とても幸せな私です。

    子どもには、重荷になってたりして。注意します。

    こういう愛情もある、ということで。 

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  • それは

    無償の愛だと思います。

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  • 家族・友人・人間関係ランキング

    一覧
  • 暖かい親子関係が望みです。

     親子だから、何でも許されて、それを、親子愛だなんて、勘違いも甚だしい。親子といえども、互いに違う人間なんだから、相手を尊重すべきですよね。

     それを、分からずに、子供の人格を否定するから、親子関係が、うまくいかなくなるのだと思うのですが、私の両親は、分かってないタイプです。

     よく、弟一家とも、揉めてます。で、その鬱憤を長女の私にぶつけてきます。そこで、私とも揉めることに、なってしまいます。

     もう、いい年なんだから、子供たちと、張り合うのは、止めてと言いたいです。
     自分語りで済みませんでした。

    ユーザーID:

  • 生きていてくれるだけでいい・・・・

    夫や恋人や友達のために、私は命はかけられません。
    でも、子どものためなら命をかけられます。

    夫や恋人や友達に何かをしたら、私は多分見返りを求めます。
    返ってこないと裏切られた気持ちがして悲しくなります。
    でも、子どもには見返りは求めません。
    最後には私を見捨ててくれていいんです。

    私ができることは、自分の足で歩いていけるように
    手助けをするだけ・・・・・

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  • 可愛い愛しいがあるから

    説明できないってことは「親子の愛」を感じられないってことでしょうか?

    私は大きい子(女の子)の親ですが、人前でもキスしたりぎゅうっしたり可愛い可愛いしてます。
    最近は逃げられちゃいますけど。

    そうしてきたことで「愛されてる」って子供も実感してるし、
    学校の先生からは「≪子供は誉めて育ててください≫はこねみさんちが見本です」って言われます。
    ママ友さんからは「少しは子供を誉めすぎるのやめなさい」って言われることもあります。

    これでもか!ってくらい愛情表現して
    この先人生でいろいろあってもママのところに還って来れるって生まれたときの安心感を持っててもらいたいです^^

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  • 子供は親を捨てられないってことでは

    虐待で子供を殺す親とか育児放棄とか、母性は神話だと思います。
    配偶者も交換可能です。

    でも子供は何故か親に愛されたいと必死です。
    いい大人になって、うちの親はほとほとだめだ、つきあっていると精神を病むとわかっていても、呼ばれると実家に戻って傷ついて帰ってくるを繰り返している人がとても多いです。

    子供は親を最期には見捨てられないのが親子愛じゃないかと思います。

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  • 私が思うに

    30代主婦です。親と子の両方の視点から、親子の愛は無償の愛です。そして永遠に不変不滅なもの。あえて違いを挙げるなら2つあると思います。

    1つは、子は成長過程で親を拒絶する時期(反抗期)があること。もう1つは、「代われるものなら代わってやりたい」という感情は「親から子へ」だけのものかもしれないということ。

    恋人の愛は見返りが欲しいもの。減ったり、消えたり、他の人に移ったりすることがありえます。

    友達の愛・・・愛というより情ですね。
    というものの、家庭内で殺人事件が起こることや、貧しい国の人々の事情などを思うと、恵まれた環境の中で「親子愛ってこういうもの」なんて言うのは勝手な発言だったかなと一瞬思ってしまいました。

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  • 本来、愛とは

    無条件なものですよ。

    無償のものです。

    親は子を心の底から愛します。
    たとえ自分の命を犠牲にしても、
    子が助かるなら惜しくない。

    子はその温かな親の愛の中で
    成長し、真実の愛を学び、
    また次の世代へ伝えていく。

    見返りも何も求めない。
    ただ相手があなただから、愛する。
    そういうものだと私は思います。

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  • 絶対的な絆

    この人たちが私を産み育てた、という事実は絶対消えない
    それが土台になっている、無条件の信頼関係。

    って言いたいけど、多様化している今、そう型どおりに行かないですよね
    でも、幼少の頃の母親との関係が大事なように、人間を形成するにあたり、基礎となる人間関係が親子で、親子愛なのではないでしょうか?

    私としては、「愛」などと認識出来ないほど、自分に染み付いて当たり前な感覚です。
    親と心を通わせられた、と思った瞬間は本当に楽しいし、子供のことは無条件に可愛い。
    そういうものかなぁ・・・

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  • 親になれば

    まず、子から親への愛。
    それは私自身、深く考えたことはないです。
    なぜなら親に愛されているというのが当たり前みたいに思っていましたし、その安心感(または愛されたいという気持ち)が親に対する愛ではないでしょうか。
    それが大人になって、ありがたかったなあとか思えるようになってきたんですけどね。

    そして、親から子への愛。
    私も小さな子供を持つ親ですが、子への愛情って本当に不思議です。
    自分の子って可愛くって、大好きで仕方ないんですね。
    育児って本当に大変だし自分の時間なんて全く持てない、でもこの子がいることが嬉しいって思えるんです。
    その子のウンチ(例えが悪くてすみません)ですら、汚いと思わなくなっちゃうんですから。これって本能なのかなって思います。

    血のつながった者どうしって、やっぱり他人とは比較できないような感情が生まれているんじゃないでしょうか。

    トピ主さんはご出産の経験はありますか?
    もしあれば自分の子供がどれだけ可愛いかが分かると思います。
    もしご経験がなければ、これから妊娠、出産、育児という経験をされる中で、親子愛って何かが少しは見えてくると思いますよ。

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  • 遺伝子の繋がり

    精神論が多くなると思いますので、ちょっと別のアプローチを。気に入らなかったら読み捨ててください。

    親子にあって友達や恋人に無い物、それは遺伝子の繋がりです。
    生物とは究極的には己の遺伝子を残すために生きており、それは自己保存本能に勝ります。自分は死んでも子が生き残れば遺伝子は受け継がれる。ですから子の為に命を捨てることはできても親の為に捨てることは難しいのです。

    結局のところ親子愛といえども 自分のためだったりします。

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  • 人間愛と同じ?

    私自身は、人間愛に親子という条件がついたものを
    親子愛というのではないかと思います。

    自分の知っている人・目の前に居る人が不幸せよりは
    幸せな方がいいです。

    よく親から子への愛を無償の愛とする話を聞きますが
    この世に「無償の愛」なんてないと思っています。
    確かに、お金や労働を要求することはないかもしれません。
    でも、必ずといって良いほど「気持ち」を要求してくるようです。
    親は自分はこんな対応をされてしかるべきだと
    思ったら結構きついこと言いませんか?
    「親の気持ちが分かってない」、「お前は冷たい」、
    「一生懸命育ててもなんにもならない」・・・
    親とて所詮人間です、自分の要望が相手にとって
    どういうものなのか考えられない時もあります。
    これは、人間の単なる甘えではないでしょうか?彼らは
    「分かって貰って当然」という認識なんでしょうから・・
    私自身親との折り合いはあまりうまくいってないので
    偏った考えかもしれませんが、現実をみると、
    こういう結論にならざるを得ません。
    でも、私自身が納得の行く反論も聞いてみたいです。
    「無償の愛」と聞くとゾッとするぐらいなので・・・

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  • 片想い

    私の場合、自分の母は友人的な存在ですが、どんな友人よりも貴重な存在です。話が合う、よく自分を理解してくれる、許容量、知恵、教養などもある素敵な人間で、尊敬と友情が入り混じった「愛」です。

    でももしも自分の母がそういった人間でなかったら自分の母親でもそこまでの「愛」はできないと思います。概に私は自分の父に「愛」と呼べる感情を持っていませんし、私の夫は自分の母親に対してそういった感情は持っていないようです。

    だから子供が親に持つ「愛情」は「無条件」とはいえないと思います。でも親が子供に持つ感情に「無条件の愛」というのは多いみたいですね。悲しいけど要するに片想い・・・という関係は多いみたいです。

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  • 考えるより先に・・

    家族で川原にバーベキューに行ったとき、ちょっと目を離した時、子供が川に流されました。(当時小3)

    後から考えれば10メーターも流れればそのまま足首までも深さのない所に流れ着くような川なのに、「ママ助けて!!」の一言で頭の中は真っ白になり、履いていたサンダルも脱ぎ捨てて子供の所に猛ダッシュしてました。

    お陰で私の足は川原に落ちていたガラス片でザックリ切れて血まみれに。

    その時‘自分の命に代えても守りたい’愛しさを実感しました。

    私の場合これが子供に対する愛ですかね?(でも普段は怒ってばっかり!!)

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  • 私の考えるところでは

    夫婦愛は「夫とともに生きたい」、
    親子愛は「子供のためなら死んでもいい」
    と思ってます。
    自分が子供を持ってはじめて、親の愛というものが
    分かったような気がします。

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  • 引き合うものと、切っても切れないもの、かな

    友達とか、恋人は、最初は何もない関係から始まってお互い惹かれあったりするものだけれど、

    親子の場合、もともとくっついているところから始まって、切っても切れない、という関係かな。相手がどういう人間であれ、あるいは合う合わないがあっても、離れられない。
    親の愛は子どもをつぶすこともありますね。
    どんなにひどい親でも子どもは「捨てないで」とすがります。

    でも恋人や友人とのものと同じ部分もあると思うし。

    しかし、どうして「うまく説明できない」になったんですか、説明する必要が何かあるんですか?

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  • 理想と現実は違う

    トピ主さんは、子の立場の人かな。

    親子愛は、子どもの時、結婚したいほどの恋人が出来た時、自分が親になった時、親の老いを感じた時、どんどん1人の人の心の中でも変化していくものだと思います。

    私は、我が子が親以上に結婚相手と愛し合い、親以上に産んだ子供を愛する人になって欲しい。それが私の「親としての愛」です。

    子は親をどう愛するか・・・。私は自分の親とは精神的に隔たりができてしまったので、いいお返事ができません。所詮、親は子供の理想からかけ離れた人で、子どもは親に失望することがあってもよっぽどの事がない限り気になり続けるという事です。

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  • 信頼関係の下

    築かれる関係だと思います。
    虐待などを受けた場合は、この信頼関係が築かれず、親子愛なるものが存在しないと思います。

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  • 語りようがないよーな・・・

    誰かさんがおっしゃってますが、一言でいうと「無償の愛」かな・・?
    見返りを期待しない愛。
    だって、産まれたばかりの我が子は壊れそうで、守ってやらないと!とまず思ってしまうんですよね?
    私もそうでした。自分の親といえども、むやみに触られるとふーっと逆なででしまう感情に自分でも驚くし。

    いわゆる男女の愛とは全くの異質のものだし。比べようが無いと思いますが・・・。
    だって、それがなきゃ、とっくの大昔に人類は滅びてしまってますよ〜。

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  • 究極の自己愛

    かなぁ〜。

    親→子なら責任ある一番濃い血縁なんで、一番自己を投影出来る人物な訳で。
    いわゆる親ばか、というものが微笑ましいけれどウザイのはそこから自分ダイスキ〜♪なオーラが出まくってるからでしょう。

    私の思うところの無償の愛は、相手が他人じゃないと成り立たないです。養子を育てる、とか・・。

    子→親は愛情というか、慕う、イメージです。私はもう40近いですが(子どももいます)、親が優しかったら(今のところツメタイ)懐きたいので。

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  • それは、「子どもからの信仰」です

    「『自分は親に愛されてる』と信じ込むこと」によって生まれる無限のパワーを、世の中では「親の愛」と呼んでいるのですよ。

    子ども自身にとっても、そんなチカラが自分の中にあると思うよりも、「親からの愛なんだ!」って思っとくほうが強力だし安定感も増します。

    自分が親の立場になってから「親の愛のすばらしさ」を熱烈に語る人が多いですが、それは自画自賛や信仰の押し付けみたいなもんですね。

    けれども、こんな事実にうっかり気づいてしまうと、現実では、親の側も子の側も生きる希望を失います。だからみんなで「親の愛はすごい、スバラシイ」と言い続ける必要があるのですよ。なぜならば、この世に生きる誰もが(たとえ親の立場になろうとも)、永遠に「誰かの子ども」の立場にあるからです。

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  • 説明難しいです

    すごく難しい質問ですね。でも、これって色々な答えが出ると思うので、最終的には「これが自分の〜」と自分で答えを見つける必要が出ると思いますよ。

    私にとって親子愛というのは、無償の愛というのとはちょっと違います。子供の事を無条件に可愛いとも私は思わないので。(冷たい母?)私の場合は「この目が可愛い」「この物言いが可愛い」と可愛いと思う条件の集合体が子供という感じがします。

    私の場合は、子供に関しては頭よりも体が先に動くという感覚でしょうか。見えない力で背中を押され「頑張んなきゃ、ここは親が頑張ってやんなきゃ」という使命感が子供に対してはあります。この使命感が私の「子への愛」ですね。

    でも、これが親に対してはここまでの使命感がないんですよ。(苦笑)だから、自分の子供に対しても、親への使命感を「押し付け」てはいかんな〜と思います。

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  • わかりません

    私は両親が離婚していて、それぞれ再婚して新しい配偶者がいるので、
    親にはめったに会えません。
    実家もありません。

    こんな環境だったので、みなさんおっしゃる「無償の愛」
    というのが分かりません。
    母はいまだに父の悪口&自分を正当化、主張する癖が治りません。
    子供のことより自分が大事みたいです。

    私は兄弟と他人(彼や友達、そして旦那さん)の愛を感じてやってきました。これもよかったと思います。

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  • 愛というより義務

    私は神様に課せられた義務だと思っています。
    子供の顔、体、その命、どれを取っても自分がお腹の中で作ったとは思えない。大体命なんて私に作れるはずがない。
    だから神様の作ったものを「一生懸命大きくしてる」に過ぎない・・・と思っています。
    それは大変重大な義務だから、どんなに疲れていてもご飯をあげない訳にはいかないし、どんなに腹が立っても他人みたいに縁を切ってほったらかすなんて出来ない。
    人間を(動物も)誰かが作った時点でそうプログラムしてるんでしょう。だって初対面(出産)で「かわいい!大事!」になっちゃうところがもう怪しい。義務を愛として刷り込まれたに違いない。
    大事な預かりものと思えば、変な見栄や挫折感に振り回されることもないですよね。独占欲から虐待することもないのでは。
    子供にとって親は「作ってくれた、産んでくれた恩」それに尽きるかな。産んでくれた時点で「感謝」だと思う。どう生きるかは子供次第です。

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  • ちょっと違うかもしれませんが

    ドーン オブ ザ デット(ゾンビ映画)見てる時に
    こどもがゾンビになったら 食べられてあげようと思っちゃいました。
    (ちょっと所か、全然違うかも ゴメンナサイ)

    真面目に、、、 生まれて初めて代わりに死ねると思った相手は14年前に生んだ息子です。なんとなく(聞いたことはありませんが)私の母も私に対してそう思ってくれていると感じます。

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  • 愛は醒ますものではありません。

    恋人や夫への愛は勝手に自分が選んだ愛。
    別れようがどう仕様うが、全く個人の問題です。けれど恋人愛も性欲も、子が生まれ易い様にと天が仕組んだものです。

    子供が出来たその瞬間から、自由な恋人達の愛の意義は変質してしまいます。その男女の愛はもう個人の問題ではなく自由でもない。

    夫婦愛とは良い育児をする為に必要な感情。

    近年では、意味も考えずに唯「愛」の言葉だけが氾濫し、「愛至上主義」で愛の意味も混乱し始めた。

    自由で「個人的な愛」を主とすれば、当然育児や出産は「従」になる。天の意志とは方向が違う。
    そうなれば、育児は単なる邪魔なお荷物。実際に現実はそうなっている。

    育児への使命感を知らなければ、そうなるのは当然。

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  • 親の愛は無償

    ●恋人愛は、人が自分の心で選んだ自由な愛。

    ●子への愛とは、天から「愛して育てるように」と命じられた使命。
    だから子は可愛いから「愛し育てる」のではなく、可愛くなくても愛し育てる。使命だからお返しなど要求できない無償の愛。

    子とは、天から「預かった」生命。「貰った」ものではありません。

    ●恋人は、子が生まれた時から結ばれた縁になる。
     この使命感を意識しないと、面倒と子を放任したり、簡単にさっさと離婚したり出来てしまう。

    ●子は親の愛を要求する権利をもって生まれている。
    けれど親は、子に愛を要求する権利はもっていない。

    慈しまれた子は、当然親に感謝し愛したいという人間としての情を持ちがち。
    けれどこの情には天の関与はありません。

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