母をなくして・・

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家族・友人・人間関係

まゆみ

私は3年前に母をなくしました。この7月が命日です。
拡張型心筋症でした。65でした。

発病した時は肺に半分水がたまり、心筋もかなり壊死していて、余命一年とされました。
 実は私はその前から鬱にかかり、母にずいぶん心配をかけました。母は時々心臓を苦しそうに押さえて、うずくまっていた、気づいて上げれなかった。自分が一番辛いと思っていました。

なんて親不孝をしたんだろう・・結婚もせず、病気の私を心配しながら母は亡くなりました。
安らかな顔でした。
「私は生きていても楽しいことはあまりなかった」と
苦労ばかりした母でした。

今でも夜、起きると、思い出して、奈落のそこに突き落とされた気分になります。
母は天国に行ってやっと幸せになたのかな?安らかに眠ってるのかな?本当に親友でした。今でも信じられません。時はとまったまま。

3年もたつと母の話をする人がいません。生きていた証をここに残しておきたいと思い投稿しました。

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  • わたしも・・・

    3年前に母を亡くしました。その2年前には父もです。親友だったんでしょう?じゃあ何かあった時、お母さんがいたらどんな風に言ってくれるかあなたにはわかるはず。あなたにしかわからないはず。

    親孝行は亡くなってからもできるのよ。それはあなたが「生まれてきて良かったなあ」って思えること、たくさん積み重ねるの。

    大げさなことじゃなくていいの。美味しいもの食べるとか、ふと空を見上げたら綺麗な雲があったとか。

    そんなわけでわたしは親孝行娘のまま暮らしています。

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  • 僕もです

     僕は去年の暮れに母を亡くしました。
     実は、僕も鬱にかかっていて、休業し始めて、二日目に母が倒れ、その二日後に亡くなりました。

     呆気なかった。
     硬膜下血腫・・・六十四歳でした。
     二年三ヶ月前くも膜下出血で倒れ、高次脳機能障害は残ったものの、奇跡的にほぼ普通の生活に戻りました。
     その矢先です。

    彼女のかの字すら見せてやれませんでした。
     母にいつもおんぶにだっこで、心配ばかりかけていました。
    母は、僕の一番の理解者で、ジャレ仲間でした。
    その時に、死にたいと言う気持ちが消えました。
    母が身を持って教えてくれたんだと思います。

    そして、母が残してくれた、鉢植えや、球根あと家事全般のノウハウを、守っていこうと思いました。

    そして、何時までも思い出して、いようと思いました。
     トビ主さん、あなたもお母さんから色々教わったと思います。それを守ることが一番のお母さんに対する、親孝行だと思います。それで、お母さんも喜ぶと思います。

    嫌悪感を感じるのは、お母さんを心配させるだけです。
    お母さんがあなたに託した、遺産を守って、素敵な女性になってください。長くなりましたが・・・

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  • 生きてきた証は

    母が生きてきた証は,わたしの中にある。
    わたしの生き方の中に母は生きています。

    うちの両親も60代で亡くなって,平均寿命から見たら短い,苦労の少なくない人生だったけど父ちゃんや母ちゃんが残してくれてものはちゃんと生きてるって思ってます。

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  • トピ主さん、虹子さん、 ああくんさん

    お辛かったですね。
    読んでいて泣いてしまいました。

    私は皆さんのお母さまの歳にはまだまだ遠いですが、子どもを持つ身。

    親の立場で考えると、自分が逝ってしまった後に我が子がずっと悲しいんでいるのは本望ではないでしょう。明るく元気に人生を送っていってほしいと思うはず。皆さんのお母さまもきっとそうです。

    どうら笑顔を取り戻してお母さまも分まで素敵な人生を歩んでください。

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  • 私の母も65歳になったばかりで他界しました

    今秋で10年が経ちますが、亡くなった朝をよく覚えています。ガックリと肩を落とした父、涙を精一杯堪えていた弟、現実として受け入れられない私が病室にいました。私の出産時の輸血が原因で肝臓を患い、私が母を死なせたように感じました。元々病身の父は早く母の元へ行きたい一心で、治療を放棄して「緩慢な自殺」を選びました。

    泣いてばかりの父を持て余した私は、優しい言葉をかけることもなく、数年後のお盆の入り日に後を追うように旅立ちました。周りは「母迎え」と言いましたが、相次ぐ不幸で悲しむ心の余裕など皆無でした。ただ辛かったです。

    その半年後に弟も事故で亡くなり、本当の一人になりました。個人主義の集団の我家でしたから、早く一人になってしまったのか…と時々思います。損得抜きで力になってくれる者はこの世で誰一人居りません。

    出産が望めない年齢になり、親不孝をしたと思いますが、今更どうにもなりません。姿のない里帰りのお盆を迎え、仏様達のお陰の毎日を感謝します。お正月もいつも一人の私は、お盆だけが一人でなくなる安らぎの日です。僅かでも前向きに生きること、それだけが唯一できる親孝行だと思っています。

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  • つらいですよね

    昨年の4月に母を亡くしました。私の母は67歳でした。長年病気で通院生活の日々でした。その間、私も結婚し母となり、それでも何かと手助けしてくれた優しい母でした。いつも旬の物を使って料理し、頑固な父にも尽くしていました。兄が新築し、そこに同居して3か月も住むことなく急変し、あっけなく逝ってしまいました。父、叔母たち、兄家族、私の家族全員で看取ることができたのが救いです。亡くなるまでの数ヶ月間はより体調が悪そうでした。でも、不思議なことに息を引き取ってから、お棺に入るまでの死に顔がすごくニコニコして「いい顔」でした。
    それを見たとき「人よりは短い人生だったけど、苦労もして病気で苦しんだけど、父と過ごした人生は幸せだったんだ」と思えました。母のように私もがんばって子供たちを育てていきます。

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