因果応報についてどう思いますか?

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  • 因果応報

    必ずあると思っています。
    自業自得で、自分の身に返ってくるほうがまだましですよね。
    愛する子供に返ってきたら、自分の身に起こるよりまだ苦しいのではないかと思います。

    若い頃は、正直者がばかを見るなどと思ったこともありますが、
    子供も成人した今、自分の行為の結果として幸不幸があると思います。

    いじめたら、いじめられるように、同じことが返ってくるのかどうかはわかりませんが、
    いじめられた人の辛さを知る出来事があるのではないでしょうか。

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  • 抽象的かもしれませんが

    因果応報というのは人間界を律するために人間が考え出した理屈であって、自然界はそんな法則とはまったく無関係に回っていると思います。

    つまり極端な話、どんな極悪人として生きようと、罰が当たらないこともあるということです。

    ただ、これは私の経験から感じた個人的な感想ですが、いわゆる「罰が当たる」ようなことになった人というのは、自分自身もしたことについて罪悪感を持っていた、という場合が多いと思います。そういう心の作用が、自分を罰する方向へ無意識的に向かわせるのではないかと。逆に言えば、どんなにひどいことをしたとしても、本人にさえ罪の意識や自覚がなければ罰というのは当たらないんじゃないかと思っています。

    人間の道理から考えればまったくもって不条理な話ですが、大袈裟に言えばそれが宇宙の摂理じゃないでしょうか。人間はけっしてこの世の中心的存在ではないので。

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  • 因果応報・・・あったり、なかったり

    すると思います。
    ただのコトワザですから、そんなに重く考えなくてもいいのではないでしょうか。
    たとえ実親でも義理の親でも、反りが合わない相手は世の中にいっぱいいます。
    ストレスから病気になったり不満が爆発する前に、その相手と無意識に距離を置くのは、自分を守る本能と言ってもいいかも。
    別に気にしなくていいと思いますよ!

    息子さんも結婚すれば、もうトピ主さんの家族ではありません。
    結婚後の息子さん一家とは「ご近所に住む他人」同様にお付き合いすれば、いい関係を築けるのではないでしょうか。

    それよりも、他人を妬む気持ちがお強いのが少々聞き苦しいですよ。
    親の大きな家で暮らして、子供の就職が決まった他人が、そんなにうらやましいですか?
    他人のことは放っておきましょうよ。

    自分が幸せで充実した毎日を送っていれば、他人のことなんか気になりませんよ。
    自分が幸せで充実した毎日を送っていれば、結婚した息子の家族のことも気にならずにすむと思いますよ。
    自分が幸せな毎日を送れるように、がんばってくださいね♪

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  • あるような、ないような

    因果応報って呼ぶかどうかは知りませんが、悪い事柄が起こった時それに結びつけて自分の過去を反省する時はあると思いますよ。
    相手の気持ちが分かる時ということですかね。

    でもね、いつでも、どこでも、自分の一番の味方は自分とやっている人の方が強いですね。
    その行いが良いとか悪いとかに関係なく。。。あの時は精一杯やったんだからしょうがないのだと自分の味方をして、自分を許してあげましょう。
    その内、同じ場面に出くわした時、あの時とは違った対応をしよう、とか、違った対応が出来る自分がいますから。ニッコリ笑ってね。

    他人のことは分かりません。
    確かに業が深い人は気づきも遅いです。元々エネルギーが強いので旨く事が運んでしまうのです。
    でも、いつかは、自分のことに気がつく時はきますから大丈夫です。これを因果応報と呼ぶんですかね???

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  • 難しいですね。

    私の母も、父の両親や兄弟に尽くしていましたが、非常識な人たちで裏目に出ることばかりでした。その末あまりにも理不尽な出来事があり、母は心底参ってしまいました。

    父の両親は、母が品物を持って訪問するよりも、お金を送ることの方が嬉しかったようです。それを悟った母は、それ以来彼等が亡くなるまで毎月送金をしていました。それにはお礼の電話やら手紙やらが来ていました。

    もし、ご主人が連絡を取ることであちらのご両親が十分満足されているのなら、それで良いのかもしれません。ご自分がダメになってしまうより良いと思います。

    ただ、私の義姉は、同市内のアパートの部屋の中に両親を入れたことがありません。(何か届けてもドアの所で受け取って終わり)また「先日は有難うございました」とは一切言わないそうです。何か心を許していない感じがします。

    両親は年を取っても元気で自立している人たちなので今のところは平穏に過ごしていますが、ある意味諦めているようでもあります。兄が親思いなのが救いです。
    それが因果応報によるものなのかは、私には分かりません。
    難しいものですね。

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  • あると思います

    因果応報、あると思いますよ。
    自分がしたひどいことは必ず自分に返ってきますよ。

    私もトピ主さんと同じで姑と衝突しました。
    信じていたのに裏切られていたのです。
    それまでことあるごとに「お義母さん、お義母さん」と慕っていましたが
    今は180度変わりました。
    毎日顔を合わせますが(同居ではありませんが)心は閉ざしています。
    向こうは子供を通じて話をしてきますが、私は必要最低限の答えしかしません。できないのです。
    昔みたいに信じきることも怖いし、衝突したときの数々の暴言を忘れることが出来ないのです。

    姑は例の一件は終わったこと、と思っているようで
    心を開かない私を「しつこい」と思っているかもしれません。
    他の嫁姑の仲良い話を聞いてきては、そうしてくれない私にいらだちもあるでしょう。
    確かに高齢の姑に対して、ひどいとも思います。
    いずれ自分もお嫁さんに同じことをされるかもしれない。
    心ではごめんなさい、と思っていても、もう昔と同じようには接することは出来ない。

    こんな私はきっと数十年後に同じ立場になるかもしれない。
    辛いです。
    でも出来ません。

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  • 同じことが帰ってくるとは限らないと思う

    人生の先輩である父に聞いたことがあります
    応えは「ある」でした。
    何らかの形であるそうです。
    長い間自分もそうだし周りを見聞きしてもあるなぁと
    実感するそうです。
    理屈じゃなく、あるなぁと思うんだそうです

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  • 過去から何も学ばなければ、同じ繰り返し

    「自分の蒔いた種」という様に、自分でそういう縁を引き寄せた結果、という事はあると思います。

    同じ形で返って来ずとも、恨まれる様な事ばかりしていれば、いつ足をすくわれるような事が起きても、不思議はない。

    私も近所の人には随分と理不尽なを事され、恨んだ事もありました。
    けれどこれ以上、その人の抱える深い闇に引きずり込まれるよりはと、結局何もせずに距離を置く事を選びました。

    離れてみると、別に報復などせずともそういう人は、災いの種を自分の周りにせっせと蒔いては、次から次へと発芽した芽に、我が身を絡め取られて行く様がよく分かるのです。
    彼らに起こった事は、日頃の素行から当然の結果とはいえ、笑えるほど軽いものではなく、正直いい気味と思うよりぞっとしました。

    それはさておき世の中、精一杯やっても上手く行かない事の方が、多いかも知れない。
    けど大事なのは、失敗から何を学ぶか、ですよ。
    挫折感(悪い芽)は摘み取り、あなたの辛い経験を後に「お嫁さんを思い遣る優しさ」(良い芽)に活かせたら、きっと違う未来になると思いますよ。
    過去は繰り返す為のものではなく、より良い未来を築くための糧にしましょう。

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  • あったらいいと思います

    でも、絶対あると言う事では無い気がします。

    だって、凄く悪い事してる政治家達もいるのに
    一生お金に困らないで暮らせたり

    犯罪を犯しても何の罰も受けない人もいたり。


    因果応報っていうのなら
    善良な人が殺されても「何かの因果応報だから仕方ない」事になる?
    そんな訳ないですよね。

    何の罪もない小さな子供達が戦争によって殺されても
    因果応報?????


    答えはあるのでしょうか?

    もし自分に反省すべき事があり、その上で起こったことならば因果応報なんですかね?

    私もずっと思っていた事なので明確なご意見が聞けるといいなぁ。

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  • 端的にいえば

    あると思う人にはある
    ないと思う人にはない

    ないと思う人…というより、そんなこと考えたこともないってな人ですね。
    そういう人には因果応報なんてありません。
    どんな悪事をしようと、へっちゃらで幸せに一生を送ります。

    逆に「こんな悪いことをして、私にはきっとバチが当たるに違いない。いい死に方をしないにちがいない」なんてクヨクヨ思う人には、因果応報はあります。
    そういう人は、道で転んでも「あ、これはこのあいだ〇〇をしたからバチが当たったんだ」と思うものです。

    結局その程度のものですよ。
    気の持ちよう。
    論理的には「偶然以外には、そういうことはありません」

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  • 個人的には良い意味でも使っています

     こりこりさんは、因果応報なんて信じない、○○さんはあんなひどいことをしたのにあんなに幸せに暮らしているじゃない、でも義両親と私の間のことは不安を感じる、私も嫁に同じことをされてしまうのかしら。。。と不安に思われているように感じます。
     もし不安に感じられるのでしたら、何かご自分なりに思い当たる節があるのでは。10数年の時を経て、見えてきたものがあるのではないでしょうか。
     私は、因果応報とは自分の心の状態がそれに見合うことを引き寄せること、と自分なりに解釈しています。良いことも、そうでないこともあると思っています。
     私も一時期家族と不仲でしたが、今は線を引いて楽しく付き合えるようになりました。前は心が重たかったけれど、今は心晴々です。気持ちが楽になると、いいことが寄ってくるようですよ。 

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  • 因果応報あります!

    1年前に会社を辞めました。理由は経営不振から、仕事が減り、干されていたので。
    経営不振の原因の一部に、前社長(男性)と総務の女性との関係がありました。

    私費流用(二人の個人的飲み食い、私物購入等限りなく)、彼女に気に入られなかった社員をことごとこく解雇。
    まるで、昔あった、三越事件の女帝(竹久みちでしたっけ?)みたいでした。

    彼女のせいで、前社長も評判を落とし、ひいては会社の評判も落ちてきました。

    私も気に入られて無かったですね・・。

    そして最近、社長が交代したとのことで、その女性はなんと飛ばされました。
    今は、知り合いもいない、土地勘のない場所で一人暮らししているそうです。仕事も今までとぜんぜん違うし。飛ばされた先では、針のむしろで、辞めるのも時間の問題だそうです。

    彼女は20年近く君臨してました。因果応報・・。
    つくづく感じました。私がいた頃には考えられなかったけど

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  • 因果応報と言うよりも・・・

    トピ主さん、こんにちは。

    因果応報が「ある」「ない」と論じるよりも
    もっと大きな視点から考えて見た方がイイと思います。

    悪い事をしないのは、罰が怖いから。ではなく
    「悪い事だからしない」
    良い事をするのは、見返りを求めてする。ではなく
    「良い事だからする」と単純に思った方が心に良いです。

    悪い事をしている人は、誰にも気ずかれないと
    思っても、お天道さまはちゃんと見ていますよ。

    逆に良い事をする人は、誰にも気づかれないような
    小さな事でも、それは小さな種になって、いつか
    大きな花が咲くと思います。自分の行動の判断基準を
    他人の尺度で図るのではなく、自分自身の心に
    委ねる方が、生きやすくなると思います。

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  • あるーーー!

    因果応報あると思います。中学の頃に意地悪女子がいました。クラスの女の子をいじめてました。
    ボス一人にお付が二人という組み合わせでいつも行動していたのですが、ある時お付の二人が共謀して寝返ったんです。ボスを仲間はずれにしだして、とうとうそのボス不登校になったんです。とっても勝気ないじめっ子のボスが不登校になってしまって、私は、人の気持ちが分からない人には身を持って知る時が来るのだなと思いました。

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  • あると思えます

    仏教の考え方になるそうですが、あるようです。
    小学校の時、私を無視したりいたずら電話を無言でかけるような友達がいたのですが(今考えると小学生で無言電話って暗過ぎるんですが、、)でも中学生に上がった時、その子と離れたお陰で私の生活はとても楽しくなりました。反対にその子はクラスメイトから無視をされると言って、校庭で泣いていたのを思い出しました。

    母親とどうしても仲良くなれないと相談した所、インドの手相占いのおじさん曰く、自分が子供を持ったときに立場が逆になる、同じことが起こるから仲良くしなさい。食べものでも持って気軽に遊びにいきなさいって言われたことがあります。必ずそうなるとは思いませんが、同じ形か、別の形で現れるのかなあと思ったりします。
    過去に起こったこと、そこまで引きずるのもだんだん疲れてもうどうでもいい、と最近思えたりします。
    和解出来るような予感もします。因果応報を怖がっている訳ではないですが、全く交流を経ってしまうのは、自ら何かバランスをくずしているような気がしてなりません。

    ユーザーID:

  • あると思います。

    理由は悪いことをするとそれを悔やんでマイナス思考になり、その結果不幸になる。というのが私の考えです。
    ズレますが、トピ主さんの出したお友達の例、実の親と絶縁していたということは相当の理由があったはず、苦労されていたのではないですか?そして現在その家に住んでいる、ということはご実家に住んでいるんですよね?普通ではないかな、と感じました。
    また、トピ主さんが心配されているお姑さんとうまくいかなかったという件ですが、好きでない人とは表面上だけでもうまくやる、ということができないタイプの人はお嫁さんともうまくいかない可能性は低くないと思います。これは、トピ主さんが悪い、悪くないという問題ではないです。

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  • 前世

    前世で悪いことをした人が現世で罰を受けてる…
    みたいな考えもありますよね、仏教だっけ?

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  • 天道は是か非か

    と、「史記」において司馬遷は言っています。殷王朝を滅ぼした周の粟は食わぬと義を貫いた伯夷・叔斉兄弟は餓死し、その一方で人殺しの大泥棒・盗跖などが裕福に暮らして天寿を全うしている。人の善悪が人の幸・不幸に比例するとは限らない。まさに司馬遷に言わせれば、「天道は是か非か」なのです。
    因果応報とは一種の思い上がった発想かもしれません。それが正しいなら不幸な人はみんな悪党ということになりますね。これを勘違いした人なんかが音羽幼女殺害事件とかで被害者を悪玉扱いし、加害者を悲劇の主人公に仕立て上げたりして自己陶酔していたわけです。
    十戒にも「みだりに神の名を口にするなかれ」という意味の決まりがあったと記憶していますが、はるか昔の人たちの方が、昨今の凶悪犯だけにやさしいエセヒューマニズトよりずっと立派ですね。

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  • あると思いますよ

     因果応報はあるとおもいます。ただ、必ずしも現世であるとは限らないからややこしいのです。現世の行いの結果が来世(とかまた次の人生とか)に現れることがあるんです。でも最後には必ず帳尻が合うようになっているようです。

     ですからこの世の狭い視野だけで物事を判断しても意味がないのです。

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  • きっと、あります。

    きっと、あると思います。でも、それは事を働いた本人にかえってくるとは限りません。もしかしたら子孫に災いが降りかかってくるかも知れません。何百年もたってからという事もあるでしょう。やはり、何か悪い事をすれば、何処かが絶対に歪んでいるはずです。その歪みを修復しなければならない時は必ず来ると私は思っています。

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  • 因果応報はあると思います。

    というかあると信じたい,不条理なのは承知の上で。

    人生が長くなればなるほど周りの人がそのような運命に出会っていくのがみかけられます。
    勧善懲悪の話にあまりにも多く出会ったのが原因なのか・・。

    <<私は息子の配偶者に同じようなことをされてしまうのかしら?と疑問・・

    これからの時代は嫁姑関係は全く変わると(既に変わっている)みるのが妥当ではないでしょうか?息子の未来の配偶者に期待をかけるのは止めましょう。

    それよりあなた自身がきちんと生きていけば必ず認められます。
    両親、義両親だから法的に義務が生じるから否などの問題ではないのです。

    要するに人間として素直に生きていってよいのだと思います。人間関係は複雑です、義両親とは相性が悪くても他の人とはうまくいけばそれでよいではありませんか。
    ストレスで惨めに生きるより、生き生きと楽しい毎日を送るほうが健康的です。

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  • アリとキリギリス

    「するべきことをしていれば、自ずと結果は出る」「するべきことをしないと、そのツケが回ってくる」というのが「因果応報」の意味で、至極当たり前の事です。AをしたからAをされる、という限定したものではありません。

    たとえば勉強をせずに遊んでばかりいれば、いい高校大学に入れなかったり、就職できなかったりします。好きだからと言ってカロリーの高いものばかり食べていれば、生活習慣病になるのは必至です。

    悪いことをしても捕まらない人がいます。また、なんの苦労もなく分不相応な生活を手に入れた人もいます。そういう人たちでも、精神的に病んでいるはずです。当人には自覚があったりなかったりしますが、それも実は罰の一つです。天が下される褒賞必罰ですね。

    「いじめを受ける」というのは、本人がいじめをしたが故のことではなく、そういう攻撃を受けやすい人間に育ってしまったことが大きな要因でしょうね。いじめが非であることは明らかで、だからこそ、徹底抗戦もできるはずなのですから。

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  • あると思う

    戦国武将の斉藤道三は主家を裏切ったり、乗っ取ったりと権謀術数や卑劣な裏切りの限りを尽くしてのし上がっていき下克上の体現者となりましたが、最期は自分の息子に殺害されています。結局、斎藤家自体も僅か三代で滅びています。歴史を紐解くと、因果応報の例が本当にたくさんあって驚かされますよ。

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  • 因果応報ねえ・・・

    周囲に散々迷惑を掛けても、自分の非を全く省みない親友が居ましたが、
    彼女は今頃(これから先にも)報いを受けているのかなあ・・・?と考えてみましたが。
    やっぱり何度でも周りを嫌な気分にさせて、のうのうと生きていると思います。

    個人的にはあって欲しいと思うし、
    自分自身には降り掛かると思って粛々と生きてはおりますが、
    実際には、「弱肉強食」という自然界の摂理もありますからねえ。

    どんなに悪どいと思われる事をしている人間でも犯罪でない限り、
    自分が生きる為にという事であれば、因果応報は当てはまらないのでは?

    デタラメな生き方をした分、後からそのツケが回って来るという事はありますが、
    それを因果応報というのか、自業自得というのかは良く分かりませんね。

    存在はすると思いますが、因果応報というのは必ずしも現世だけのものとも思い難いですし。

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  • そう思わないとやってられない人生ですけど

    基本的には犯罪を防止するための「方便」です。
    中世には「幼児を強姦したものは死後地獄で肛門に焼けた鉄棒を突っ込まれる」という教えがありました。
    かつて四国には「巡礼娘に乱暴したら地獄に落ちる」という言い伝えがありました。
    罰金値上げによって飲酒運転が激減したのと同じ理屈で、罰が重くないと心に歯止めがかからない人が多いのです。
    彼らに対して「仏様が見ている。人の道に外れたことをしたら絶対にその報いがある」と教え込むことで凶悪犯罪を防いだのです。

    現実に起こるかと言えば、どうでしょうか。
    因果応報は仏教の言葉です。
    でも釈迦のパトロンだったアジャセ王は父親を幽閉したあげく餓死させて即位した人ですが、同じ目にはあっていません。
    そんなものだと思います。

    ただトピ主さんの義親にとっては「嫁につらい思いをさせる」「絶縁される」というわけで因果応報は成立しているように見えます。

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  • 因果応報って・・

    自分を正すためにあるのだと思います。

    人から見てどう見えるかでなく、その人がどういう気持ちでしたことなのかによるのではないのかな。

    他人の不幸を、因果応報って言うことは、ちょっと違うと思います。
    自分に向けるのと、他人に向けるのは違いますよね。

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  • 報徳の教え

    ありますね、因果応報。
    ただ、トピ主さんが考えているように、

    いじめてた人→いじめられる

    というようなケースだけではなく、いじめてた相手に頼らなくてはならないようなハメに陥ったり、他人のいじめ・いじめられ問題に巻き込まれてひどい目にあったり、というようなケースも多いように思います。

    二宮尊徳の教えにある「ナスの種を蒔けばナスの花が咲き、ナスの実しか成らない。ナスを植えて米が出来たりはしないもの」のたとえにもあるように、人生のどこかで「悪行」という種を植えれば、それに相応する悪い花が咲き、悪い実が成るんではないでしょうかね。

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  • 自分の心の中に

    自分で後ろめたい気持ちがある時は、無意識のうちに物事を悪い方向へ持っていってしまい、しまいには人間関係や体調に大きな影響を及ぼしてしまうように感じます。
    その反対に、自分で罪に意識がなければ、なにかの災難にあっても因果応報とは感じないでしょう。
    ただ、ひとつわからないのは、相手に相当非常識なことをされ耐えかね、こちらから距離をおくような場合、それでも自分に因果応報がふりかかるのでしょうか。
    それは理不尽すぎるな。

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  • ないと思う

    因果応報が実際にあったらいいですが 周りや社会を実渡すと 理想論でしかないと思います。
    この言葉を信じている人が増えれば悪い事が出来ないので 社会には善人が増えます。

    現実には 思いやりがありすばらしい人が早く死んでしまい いじわるで我が儘で他人に迷惑をかける人が長生きしていたりするし 戦争犯罪者等が楽しく人生をすごし長生きしている事もあるし  事故や災害で死ぬ人達は皆過去に悪い事をしたから神様に選ばれたとは思いません。 

    因果応報が実際になくても 弱い者にとっては 悔しい思いを強者にぶつける気持の中で因果応報を望む事で胸の内をさっぱりする事ができるので因果応報という言葉は 必要 かも知れません。

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  • 仏教の戒め

    悪いことをすると、めぐりめぐって自分に返ってくるという仏教上の戒めだったと思います。倫理の方では、何か非のあることをすると、子どもや子孫にそれが祟っていくことをいうらしいです。盗みをすれば、濁った声になるし、それが治らないとか。
     トピ主さんは何も悪くないと思いますが、ひょっとして自分の親や祖父母が、何か姑たちといざこざがあるという因縁も考えられます。それが子孫である貴女に返ってきたのです。確か、昭和初期の倫理ではそういう説明をするのではないでしょうか。
     なるべく、お姑さんたちによくしてあげて、善行を積むとよいですよ。それが、因縁を断つということになると思います。私も舅や姑に仕えることは勉強だと思っていますが、自分がしてもらう以上に尽くすことが和合の秘訣のように思います。お互い思い合う心って大事ですよ。

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