学校での勉強

レス21
(トピ主0
お気に入り0

趣味・教育・教養

けん

学校での勉強って意味あるんですかね
先生が言ったことを聞いて、ノートに書いて、ってずっと無意味だと思ってたんですが、皆さんはどう思ってましたか
そもそも教科書を読めば分かるし、それをいちいち説明して、しかも書いてあることをノートにまた書く意味が分からない
先生が紙に書いて渡せばいいのになって思ったり
自分は、ほとんど聞いてなかったんですが、みなさんはあのやり方はどう思ってましたか

ユーザーID:

これポチに投票しよう!

ランキング
  • 0
  • 0
  • 0
  • 0
  • 0
  • 面白い
  • びっくり
  • 涙ぽろり
  • エール

このトピをシェアする

Twitterでシェア facebookでシェア LINEでシェア はてなブログでシェア

レス

レス数21

レスする
このトピックはレスの投稿受け付けを終了しました
  • それでけんさんの成績はどうなの?

    私は、授業のやり方はどうでも、その授業を受けた自分がどれだけの点が取れるかが重要だと思ってたので、あのやり方についてはどうとも思わなかったな。
    書く必要がないと思えば書かなければいいし。

    ユーザーID:

  • 授業で吸収するタイプもいるかも

    私は、学校でも家でも勉強しなかったバカなので何とも言えませんが、主人は「学校でマジメに聞いてれば、家でそんなに勉強しなくてもいいでしょ」と言っています。
    できるだけ勉強する時間を少なくし、遊んだり寝る時間を増やす事はできないかと、そんな事ばかり考えてたそうです。

    実際、主人の母に聞いても、主人は放課後は部活動に夢中で、夜はたっぷり寝ていたようですし、週末は部活が終われば友人と遊んでいたそうです。
    勉強が必要な場合は早朝やってたそうで、今も朝型です。
    学生時代の歌やドラマも「あんたよく知ってるねぇ〜」というくらい知ってますし、国立大学に進み、政治経済も何故か詳しく、語学も堪能です。

    普段は、ぬぼ〜っとしてるので、余計に不思議ですが「それでいいんなら私もマジメに学校で授業を聞いてれば良かった!」と思ってしまいます。
    そんな私は、どちらかというとトピ主の考えに近いです。

    ユーザーID:

  • 学校の勉強は学ぶ人次第

    トピ主さんが現在何をしている人なのか、小学校の話をしているのか、中学の話をしているのかわからないので何とも言えません。

    ただ、学校の勉強は「学ぶ人次第」です。
    同じ授業を受けて、それを100%理解できる人、学校の授業をきっかけに自分でさらに勉強を深め、200%まで理解できる人、0%で終わる人、様々です。

    黒板に書いてあることを丸写しするのが授業の目的ではありませんし、トピ主さんが教科書だけで完全に理解できるのなら書く必要はないのでは?
    私は自分なりに理解できるよう、色々付け加えてノートを作っていましたが。

    あと、「先生が書いて配ればいい」というのは受身すぎます。自分でどこが重要なのか判断するプロセスをさぼってはいけないと思います。
    待っていれば要点を教えてもらえる、という姿勢じゃ学校だけでなく、職場でもやっていけないでしょうし。

    ユーザーID:

  • わかればいい

    教科書を読んで理解できるならそれでいいと思います。
    そもそも勉強とはそういうものです。

    ただ、教科書を読むだけでは理解できない人も大勢いることも知っておかなければなりません。
    将来、後輩や部下を指導する立場になったときにうまくいかなくなりますよ。

    ユーザーID:

  • ノート提出がいやだったのかな

    ノート提出があると、板書を丸写しして(さらに余力があればそれ以上のメモやら何やらをつけて)おかないといけないという気分になるものです。

    ただ、私の場合は高校の1年あたりから板書を丸写しすることはあきらめました。自分なりにエッセンスだけを書き留めたので、友人たちには「これだけじゃわかんねぇ」と言われ、提出しても「本当に聞いてる?あとから分からなくなってこれだけで理解の助けになる?」とも言われました。

    でも、授業を聞くことはムダだとは思いませんでしたね。
    書いて渡す・・・正直、賛同しかねます。それは教科書と何の代わりもありませんから。インタラクティブでない授業は、必要ないでしょう。独学で教科書を読んでおけば終わりですから(脱線する話も案外重要だったりしますしね)。

    ユーザーID:

  • 趣味・教育・教養ランキング

    一覧
  • 自分流で

    別に先生の書くとおり、自分もノートに書かなくってもいいんじゃないですか?
    教科書に線とか引いておいて、「ここ重要」とか書けば。自分が習得できる方法を自分で知っていれば、皆と同じようにしなくても良い、と私は思います。

    ただ私が中高生の時は、ノート点検とかがあって、きれいにきちんと書けてれば良いみたいなのがあって、あれはどうかな、と思いますがね。


    今、海外に住んでますが、この国では、教科書読んでから疑問、質問、批判点、議論、相反する意見などのやり取りが盛んです。ノートをただ書くだけの授業ってこの国の人にはかなり退屈だろうなと思うので、お国柄なのかもしれません。

    まぁ、どのようなやり方でも、自分が最も学習できるスタイルを確立することが大切だと思います。

    ユーザーID:

  • 学生時代くらいいいんじゃない

    先生の授業の実力?にもよりますが
    中学、高校といった学生時代くらい、勉強に
    どっぷり(少なくとも授業中くらい)漬かってもいいんじゃない?と思います
    確かに大学の教養課程などで、10年間変わってないだろうというような板書をしつづけていた教授の授業などは「お互いに時間の無駄だから配ってくれ」と思いましたけど。
    「読むだけ」と「書く」では知識の定着度が違いますよね
    学生時代の勉強なんて、社会に出たら役にたたない、というような議論がよくありますが、目に見えて「使える」ことだけが「役に立つ」こととは限らないと思います。

    ユーザーID:

  • 理解力は人それぞれだから

    学校にはトピ主さんのように、教科書を読んだだけで教科書の言わんとする内容を理解出来る人も居れば、それを逐一解説して貰わなければ理解し辛い人も居ます。

    クラス全体の学力を平均化させる為には、後者に合わせる必要が有るのです。特に公立校ではその傾向が顕著…というか、そうしなければいけない。

    高校や大学も、授業内容は対象とするレベルに因りますが基本は同じ。

    もし、自分が授業を聞く必要も、ノートを取る必要もないと思うなら、そうしたらよいのでは?私は、生徒にノート提出を求める教師は、単なる自己満足を得たいだけだと思っています。

    ユーザーID:

  • 勉強は何のため

    トピ主さんはおそらく大変優秀で、授業を聴かなくても自分で教科書を読んで理解できる生徒さんだと思います。ただ大学、大学院と進むとわかると思いますが、自力で教科書とか論文を読んで一度で理解できることが徐々に少なってきます。日本では飛び級は一般的でありませんが、先輩からテキストを借りるなどして挑戦してみてください。できれば将来その優秀な能力を生かし教科書に書いてないことを発見するような研究者になることをお勧めします。

    期待しております。

    ユーザーID:

  • 「勉強に慣れる」ことも必要

    トピ主さんと同類だと思いますが、私も「学校の勉強なんて一般社会ではほとんど役に立たないことばかり。それよりも社会人になって本当に必要なコトが分かったらその時一生懸命勉強しよう‥」と心に決め殆ど勉強はせず高卒後働き始めました。

    そして、仕事に就いてから必要な勉強も実際にたくさん出てきました。ところが‥‥‥
     取りたい資格で実際に取れたのは車の免許だけ。集中して勉強始めてもせいぜい30分も持たずすぐ飽きてしまうのです。

    イヤなことでも我慢して続ける、勉強することに慣れる、ということも学校の勉強には意味があるんだ、と知ったときはもう手遅れでした。

    ユーザーID:

  • 同じ事を3度勉強する

    予習,授業,復習
    この3回同じ事を勉強するのですよ。
    授業のノートは,貴方が必要と思ったらとればいいじゃないですか。
    分かったと思っても,気付かなかった新しいこともあるだろうし。

    勉強自体何のためにするの?ということでしたら,高校までの勉強は頭の筋肉を鍛えるためとでも言っておきましょうか。
    自分が知りたい専門知識を中心に勉強する大学や大学院と言う場所もあります。

    こんな事って当たり前のことじゃないの?

    ユーザーID:

  • 読むだけで

    覚えられるのならそれでいいと思います。
    でもそれをさらに噛み砕いてわかりやすく教えるのが先生の仕事ですよね。
    読むだけでは分からない人も、先生の話を聞くことで理解出来るでしょうし、さらに書くことで記憶出来るということもあると思います。
    そしてそれをまた誰かに説明出来れば忘れなくなるのでは?

    まあそういうことも含めて勉強なのではないか?と大人になった今は思います。

    ユーザーID:

  • いざやりたいことをするために

    学校の勉強は当初は無目的なものです
    しかし何か目標ができたときに
    ひととおり習熟していれば選択範囲も広がるのです

    自分の進みたい道に必要な勉強ができる学校が
    ○○大しかないという場合
    成績が優秀であれば簡単に行けるでしょう

    きちんと勉強をしておけばよかったと思っている大人は
    多いのではないでしょうか
    大人になってから勉強をしようと思うと
    仕事や生活に縛られて大変ですが
    子どものうち勉強に専念することはたやすいでしょう

    よく「こんな勉強必要ない」というひとがいますが
    こういった発言をするかたはたいてい
    必要ないからしないのではなく
    できないから必要ないということにしたというひとが多いです
    できないことが自慢になるということはありません

    ユーザーID:

  • 新しいノートをおろした時だけ。

    学生時代の話です。
    新しいノートをおろした時だけ、最初の数ページは、優等生ノートです。
    ですが、だんだん落書きが入り、適当な言葉が入り、自分ですら「?」なモノもあったりします。
    でも、見返していくうちに「あ、そうそう」と授業内容を思い出したりもしますので、「書く」という行為は私は必要だと思います。

    大学時代に、先生がノートのコピーらしきものを全員に配布し、黒板にはちょこっと書いただけの先生がいましたが、あまり頭に入っていなかったのを思い出しました。

    ユーザーID:

  • それは・・・・

    科目はいくつもあるけれど、脳みそは1つしかないというのが答えかも。
    要するに勉強してるときの自分も、友達と遊んでるときの自分も、デートしてるときの自分も気分や態度は変わることがあっても「元の自分は変わらない、全部繋がってる。」ということです。

    ユーザーID:

  • わかるなら、いかなくてもいいよ!笑

    んとね、学校に行って話を聞く目的は、書いてないことを感じるためです。ですから、書いてあることをそのままなぞるだけの授業ならでる必要はありません。ちゃんとした授業なら、書いてない何かを感じることができます。もっとも、小・中・高は勉強をする習慣づけの意味もありますけどね。

    まあ、社会にでて話しながらメモを取らないといけないこともありますので、その練習だと思ってもいいんじゃないでしょうか。

    それと、ノートというのは、講義で言ったこと、黒板に書いたことをそのまま書くものではありません。それならコピーで十分です。
    講義を聞きながら自分でわかりやすいように整理しながら書きます。また、説明や板書から発展して後から調べておこうとおもった疑問点や、思いついたことを含めて整理しながら書きます。

    最近は話を聞くと黒板が写せない、黒板を写してると話が聞けない、ノートがろくに取れない学生が多いです。簡単に言えば、さまざまな経路で入ってくる情報を整理してまとめる能力がないって事です。

    ユーザーID:

  • 人それぞれ

    小学校のときは授業を聞いてノートとってました。中高のときは授業を片耳で聞きながら自習をしてました。でも授業時間を勉強時間の目安にしてたので(例:数学の時間内は数学の自習をする)、一応授業を活用していたつもりです。

    大学・大学院では、自分で講義が選べて、聞く値打ちのある講義も増え、適当な教科書が存在しない分野もあるなど、講義は活用しました。一方、教科書を自習すれば試験をパス出来る必須科目などは自習にして、その時間に別の講義を聞きに行きました。

    けんさんにとっては、授業の速度が遅すぎて合わないのだと思います。わたしが自習形式を始めた理由も授業が遅すぎて集中力を保つのがしんどいからでした。皆で同じ速度で進む以上、そういう人はいて当然です。

    でもあの形式に意味がないとは思いません。小学校以来の見様見真似で、教科書を読むだけでなくノートにアウトプットする習慣がつき、その後の自習時に役立ちました。体系的な学習のための科目選択、適当な教科書の推薦、学習継続のための機会の提供、勉強仲間の存在なども学校の役割です。それらを提供する方法の中で比較的安上がりなのが大勢への一斉授業方式だと思ってます。

    ユーザーID:

  • 自分で考えよう

    大学で教えていますが、黒板や教科書の文字を写すだけという、ノートの書き方が分かっていない学生が多いですね。そう言うノートの使い方は無駄です。

    無駄だと思うなら効率の良いノートの使い方を自分なりに開発していく、そういう発想がでないものか。

    ユーザーID:

  • 学校で習って初めて知るのは恥

    私は中高では勉強は自分でするから、学校の世話になるなんてまっぴら、習って知るなんて恥、自分で学ぶのが真の学問だと思っていました。しかし授業中はきちんとノートをとり、授業での配布物は完璧にファイリングしていました。それは、授業態度の良さを先生にアピールし、先生の心象を良くするためでした。授業を聴きノートをとってはいましたが、理解しようとはしていませんでした。実際の勉強は自分で教材を探し年間計画を立てて自学自習を原則に進めていましたので、勉強の本番は授業中ではなく帰宅後・休日等の自習でした。

    そのため授業以外の勉強が必然的に長くなるので、部活や遊びなどの経験が全くありません。通常であればこれが苦痛となるところですが、私は今どきの若者みたいにらくをして流されて生きたくないという思いがあり、授業以外の勉強時間を増やすかということに燃えていたため、全く苦痛ではありませんでした。

    ただし、成果は全く出ませんでした。周囲からもあれほど熱心に授業を聴き、たくさん勉強しているのになぜこれほど成績が悪いのかと不思議がられるほどでした。成果はともかく、若者らしさを排除できたことは今でも満足しています。

    ユーザーID:

  • 手を動かすと効果がある

    私は学校の授業は全然聞かない人だったので、何か気持ちはわかるような気がします。

    ただ、「手で書く」事には意味があります。手は第二の脳とも言われ、思考するために重要な働きをしています。人間の注意力は短時間しか持たないので、聞いているだけだと言葉が頭の中を素通りしてしまいます。わかった気になっているが、頭に残ってない、という状態になります。目で見て、字を読まないとノートは取れませんから、ただの丸写しでさえ、何もしないよりはマシなんです。

    理想的には、ノートは丸写しではなく、「自分の理解で取る」というスタイルが良いです。そうすると「考える」プロセスが生まれ、より記憶に残ります。

    以上は凡人の話ですから、何もしなくて、聞いているだけで偏差値70取れる人は参考になりません。でも、そうでないなら、手を動かすと効果があると思います。

    ユーザーID:

  • 虹の秘蹟さんのレスを読んで、納得。

    学校の勉強は必要みたいですね。

    ユーザーID:

あなたも書いてみませんか?

  • 他人への誹謗中傷は禁止しているので安心
  • 不愉快・いかがわしい表現掲載されません
  • 匿名で楽しめるので、特定されません
[詳しいルールを確認する]
レス求!トピ一覧