匂い立つ70年代への郷愁

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趣味・教育・教養

52歳の抵抗

人は皆、年をとれば、若かりし日のことを懐かしむものですが、そこには、時代の匂いに対する郷愁みたいなものがありますね。

私は、1970年代の東京で大学時代を過ごしました。
入学した年に連合赤軍の浅間山荘事件がありました。既に全共闘運動は終息していたものの、その余韻はキャンパスに充満していました。
ガロの「学生街の喫茶店」が街角に流れ、当時の学生の間で流行った長髪に細いジーンズ、よく解らないまま、高橋和己や柴田翔、吉本隆明などを読んだものです。

そして、ストレートのロングヘアーにミニスカートの女子大生と歩いた東京の街・・・
サイゴン陥落の翌年の1976年、「なごり雪」を聴きながら長かった髪を切って卒業、東京を去りました。
今も、あの70年代の匂いが脳裡に甦り、鼻の奥がつんとなるような郷愁を感じます。
同年代の皆様、70年代への郷愁を語りあいませんか?

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  • 東京オリンピック

    私は60年代に東京で学生時代をすごしました。
    私は東京オリンピックの時には国名プラカードをもって入場をしました。
    年を重ねるとますます過ぎた時間は懐かしいものです。
    多いに語り合って下さい。

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  • 素敵なタイトルだ!

    自分の70年代は小学生の時に始まりました。
    昭和で言えば45年から54年ですね・・・
    80年代・90年代00年代と比べて感じるのは
    子供が本当の意味で子供らしく生きていた時代に思える。小学校の同窓会で感じた。
    幸せだった。思い出すと泣けてきます。

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  • 横ですみません

    完全な横ですみません。同年代の者です。拝見しますと同じ時代に似た様な青春を過ごしたようですが自分は70年代に全く郷愁を感じないので、そんな事もあるのかと、ちょっと驚いてスレしました。失礼しました。

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  • あぁ〜・そぉ〜・ぼぉっ!

    懐かしいですね。

    ハンドルネ−ム『52歳の抵抗』は石川達三のもじりですか?背伸びして読んだけど全然わかんなかったです。あの頃は自分が50代になるなんて想定外でした。

    ソウソウ、きのうテレビで懐かしのフォ−クソング特集みたいのやっていて
    「このオバアサン誰?」と思ったらなんと「リリィ−」さんだったのです。カッコ良かったですよ。
    もちろん「あんたも立派なバアサンじぁ-」と自分に突っ込み入れときましたけど。

    きょうはこの辺で。
    いっぱいレスつくといいですね。ワク・ワク!

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  • ピンクレディー

    私にとって印象的かつ衝撃的な存在はピンクレディーですね。
    私が高校生で若かったのもあるけれど、彼女達が出てくるたびにテレビに釘付けでしたね。
    個人的に好きだったのは「カルメン77」と「Wanted」でした。落ち目になった頃であまり売れなかったけれど「波乗りパイレーツ」もお気に入りでした。
    女子高だったので文化祭の余興は必ず彼女達のパクパクコンテスト(←これも70年代関西で流行った)でした。
    今あれほどの社会現象を巻き起こす芸能人ってあまりいないんじゃないでしょうか。

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  • 光り輝く時代

    貧しさが残っていた60年代に比べると、70年代は庶民が急激に垢抜けていった時代という気がします。
    ちょうど私自身の青春時代とも重なっていて、まさに光り輝く時代でした。

    それでもなぜか、汚らしくて貧乏くさくて人間くさかった60年代に惹かれます。
    60年代には小学生だったので、社会の動きなどまだ理解できず、赤軍や大学紛争の意味も大人になってから知りました。

    それよりもっと身近なことが思い出されます。
    子供の遊び場といえば道端や家の周り。
    チョークで道路に落書きしても、隣の家の屋根に登っても、別に叱られもしなかった。
    子供の社交場は駄菓子屋さんと貸し本屋さん。

    う〜ん、語りだすときりがないですよね。

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  • きたない小学生

    、、、でした。70年代は。
    でも、トピ主さんとは違った視線から、懐かしい時代です。

    浅間山山荘事件は確か小学1年生。もちろん大人が何を騒いでるのかは、さっぱりわかりませんでしたが(それ以前に知ろうとも思わなかったかな)、何か怖いことが起きてるのだけはわかりました。

    社会的な出来事で、なぜか覚えてるのは沖縄返還。担任の先生が説明してくれ、子供心に「日本が広くなったのかー」くらいにしか思っていませんでした。

    自分の身の回りに直接影響したのは物価の高騰。当時読み始めた少女漫画雑誌が、月単位で(!)値上がりしていっていたのを覚えてます。まあ、自分のお金で買うわけではなかったんですが。。。(笑)

    大人の世界は不安に包まれていたようだけど、自分自身はぬくぬくと、クラスの中でいち早く買ってもらったテープレコーダーや、漫画の付録で遊んでいた70年代。親から禁止されるほどテレビッ子だった70年代。戻りたくはないけど、温かい気持ちになります。

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  • 翔龍さんと同じ歳です!

    64年(昭和39年)生まれではないでしょうか?

    小学入学と同時に突入、中学卒業と同時に80年代へ・・・。
    私がいつも懐かしく感じるのは、なぜか中1の時です。

    中学生活の中で特に仲良しの友達がいたわけでもなく、他の2年間より充実度は低いのですが、懐かしい香りがするのは中1なんです。

    27歳のオリビアニュートンジョンをおばさんと思い、ABBA、ノーランズ、ビージーズ、忘れもしないベイシティローラーズ(フアンではなかったですが)。映画は小さな恋のメロディなど。1年後SW公開されてリアルタイムで映画館で観たのを息子達に自慢?しまくりました(苦笑)

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  • 1976生まれです

    私は、76年生まれで、思い出みたいなものは

    おぼろげなのですが、70年代と聞くと、きゅん、と

    なります。なんというか、憧れの気持ちというか。

    60年代はかっこいいなあーという感じですが

    70年代は切ないのです。何故かなあ。

    匂いたつって、すごく70年代な感じです。


    その当時の記憶が鮮明なトビ主さん方のお話

    純粋にもっと聞いてみたいです。


    私の祖母の家の敷地に、長男である叔父が

    お洒落な奥さんの趣味で家を建てたのが70年代、

    その後離婚し、その家はそのまんま。

    今までずうっと70年代の空気のままです。

    エアコン、カーテン、壁紙、照明、、

    なんというか、カラフルで幾何学的なパターンの

    柄が多く、落ち着かないような落ち着く空間です。

    花柄のポットとかですね、白と黄緑のしましまの壁紙

    樹のシルエットの壁紙、カーテン、

    お風呂の床のタイルは水色の小さな丸いのがびっしり、

    和室は砂壁、格子のフローリング、橙色のカーテン。

    雰囲気解る方いらっしゃるかなー。


    ファッション、インテリア的には今、70年代の

    流れを感じますね。。

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  • ああ、あの時の高校生のお姉さん。

    子供でした。雨の中をランドセルをしょって下校するわたしに傘を差しかけてくれた近所の高校の制服を着たお姉さん。
    ときめいたなあ、、。

    そして自分がその年になってもあんなしっとりした女子高校生には到底なれなかった。
    持ち物が既に大人っぽかったですよね、今のものよりずっと。
    子供ながら憧れていた、おとなの世界。
    映画館のポスター、フォークソング、カバーの掛かったテレビ、分厚い辞書、タバコのにおい、純喫茶。

    ケータイなんかあるわけもなく、クルマもあたり前ではなく、でもちょっとずつ、でも確かに上向きになっていく、
    それが本当に良かったのかどうなのか、
    60年代ではなく70年代。

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  • あります

    郷愁感。
    私は、70年代は生まれてもいないので
    リアルタイムではまったく知りません。
    肌で感じていないけれど、
    それでもなぜか郷愁があります。

    できれば、60年代〜70年代にかけて
    青春を送りたかった!てことあるごとに言ってます(笑)
    赤軍のことも、知らないうちから単語を聞いただけで
    とても懐かしく思ってしまう。

    学生運動とか、肌で感じたかったし、
    その頃の本やフォークソングを聴くと
    どうしてこの頃に10代、20代じゃなかったの?て
    思ってしまいます。

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  • 生まれた!

    70年生まれです。母が浅間山荘事件をTVで見ているとき、私はお腹の中にいました。
    70年代、祖母の家にはまだ家具調白黒テレビ、五右衛門風呂、手回し脱水機つきの洗濯機、金物でできた洗面器が有り、オイルショックで大人たちはバタバタし、仮面ライダーやウルトラマンはヒーローで、東京は憧れの地でした。蛍も虫も沢山いて夏はムッとした草の匂いがし、東京から遊びに来たいとこはTVの子役のようにお洒落な洋服を着てて、洋風なピザやスバゲッティなど(!)を知っていて、地方と東京の格差も今より大きかった気がします。
    大人たちは上昇気流にのって、キラキラしてましたね。(貧乏人も多かったですが)勉強すれば立派な人になれる、なんて教育がまだあった頃。
    郷愁といえば郷愁なのでしょうか。

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  • 懐かしいです。。。

    1970年代(昭和40年代)。。。とっても懐かしいです。
    あの当時、自分が50代になるなんて考えもしなかったです。

    70年の大阪万博には、地元だったので何度も足を運びました
    歌の世界では、グループサウンズ全盛でしたが、
    男子が長髪という理由で紅白出場も出来なかったですね。
    今では考えられない事です。
    ピンキーとキラーズが活躍し、その後、森進一、五木ひろし、クールファイブが出てきました。
    まだ歌謡曲と言ってた時代です。

    こうして書いていても、当時の事が思い浮かび、
    懐かしさが込み上げてきます。
    トピ主さん、素敵なトピをありがとう!

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  • 70年代オーラは健在だ!

    なんだか、タイミングがぴったりでびっくりしました! ここのところ、私の頭の中は「70年代っていいよなぁ。70年代・・70年代」ってぐるぐる回っていたので。
    私はとび主さんよりひと世代若い40歳ですが、20代の頃から、「70年代に青春時代送りたかったなぁ」ってずぅっと思ってました。世相も文化もなんだかごちゃごちゃでちょっと退廃的でもちろん、ファッションもそれに然り。建築デザインもインテリアの流行もあの頃のってたまらなくいいでしょう。これって世代を通り越して、たまらなくひきつける(まさにとび主さんがおっしゃったような)“匂いたつ”魅力なんだと思うんですよ。不思議ですね。
    教習とはちょっと違う、なんだろうな。とにかく70年代のオーラって、いまだ生きてる気がするんです。
    それにしてもこのトピいいですね。通じる人がいるってこと嬉しいです!

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  • あぁ〜・そぉ〜・ぼぉっ!

    又、遊びに来ちゃいましたぁ!(笑)
    このトピ読んで思い出した事があります。
    私の娘はしゃがむとオシリの割れ目が見えちゃいそうなジ−パンをはいておりますが、
    「何、おしりが半分出そうなスカ−トはいてるの!」と
    三十年前に母親に言われたのは何を隠そうこの私です
    〈おしり〉つながりで恐縮ですが「まさに歴史は繰り返すのです・・(次元、低すぎ!)
    意味もなくVANの紙袋を小脇に抱えて歩き
    ソウソウ、平凡パンチの表紙でお財布を作りホ−ムル−ムで糾弾されたのもこの私です。
    新宿西口広場(死語)でお兄さんやお姉さんに混じりフォ−クゲリラ(何と平和な響き)の集会に参加して大人になった気分でした。う〜ん、懐かしい!
    でも、今の平和も大変な苦労をされた人生の先輩たちのお蔭を忘れちゃいけないですよね。

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  • 文化大革命

    70年代の半ばまでは文化大革命がなんだかとってもいいことなのかと思っていました。「サイゴン解放」などと報道した新聞もありました。
    今からみると60年代の高度成長の反作用だったのかと思います。

    「死霊」をありがたがって読んでましたが、
    冷静に考え直すと大した内容ではなかったですね。「共同幻想論」しかり。

    郷愁もないわけではないですが、私にとっては反面教師と捉えている時代です。

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  • 70年代か

    浅間山荘事件の時は中2だったのでトピ主さんとはほぼ一回り下になります。76年の4月に大学1年になりました。学生運動をやっている連中は余り見かけませんでした。確か横溝正史原作の金田一シリーズの映画がかなり流行ってましたね。テレビやラジオから流れる曲はフォーク調が多かったような気がします。今聞くと随分のん気で単調なメロディーだなと感じますがセピア色の思い出を切なく感じさせます。PCやワープロ、コピー機も無かったわけで単位をとるだけでいいやという科目の問題、回答集が上級生から回ってきた時もそれを手書きで写しました。
    そうそう、教養部の2年間はほぼ毎晩マージャンをやってました。私の楽しい青春の思い出ってやはりこれに尽きます。不健康だったけど楽しかった。

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  • 郷愁とは異なれど・・・我らが日々

    私は「22才の別れ」を聴きながら、70年代後半に大学を卒業して就職し上京しました。22才の別れも経験しました。カレシとではなく、恋愛未満と思っていた2学年上の先輩との別れでした。大卒女子で下宿生となれば、就職先など皆無に近かった不景気な年、あそこもここもダメだったとその頃聞き役になってくれいつも笑わせてくれた、そして何故かいつも嬉しそうだった先輩。もう会社への就職を諦めかけた頃、欠員補充のように東京が本社の大企業への就職が決まり、大得意に報告した学生街の喫茶店。顔色を変えた先輩。それからもう二度と目を合わせてくれなかった。「変わる、変わる、君は変わるよ」
    変わったのは先輩じゃないか。どうして目も見てくれない。泣きたいけれど、泣くもんか。泣いたら何かに負ける。やっと就職が決まったのに喜んでくれると思ったのに。どうして放り出すの。いつも私の憎まれ口を笑顔で受け止めてくれたのに。先輩には恋人が居て、私にはカレシができたことを報告した時も笑っていたじゃないの。どうしてもう会えないの。もう、ずっと会えないんだ。ずっと。

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  • 窓の下には神田川♪

    私もトピ主さんと全く同時代に東京で大学生活を送っていました。
    学費値上げ反対闘争でストがあって授業が受けられなかったり、オイルショックで喫茶店に入っても暖房がなくコートを着たままだったり。。。
    何と言っても、ミニスカートと、ベルボトムジーンズ! 髪はウルフカット!
    長髪の男の子達が就職活動が始まると髪を切っていくのが、なんとも切なかったです。

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  • 私もお仲間に入れてください。

    私はトピ主さんより、少し年下になると思うのですが、70年代は小学生から、高校時代を過ごしました。小学生の時おたふく風邪にかかり、学校を休んで布団の中で見た、浅間山荘事件の生中継は、強烈覚えています。あの大きな鉄球が別荘を壊していく様子は忘れられません。でも、浅間山荘事件ってなんだったのか、今でもわかりません。

    それから、私が卒業した小学校は歴史が古く、木造の講堂があったのですが、掃除の時間にその講堂の壇上で、「周恩来と佐藤首相ごっこ」というのをよくやりました。なぜそんなことが楽しかったのかわかりませんが、その当時の世論が、周恩来さんと佐藤首相のことを騒いでいたのでしょうか。それと、70年代後半は、私はフォークソングとラジオの深夜放送にはまっていました。バンジョーが弾きたくてしかたなかったですが、ギターもろくに弾けないのであきらめました。が、いまもずっと初期のフォークソングを愛しています。最近の流行音楽にはついていけません。

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  • 神田川/同棲時代

    <神田川>の哀愁帯びたメロディーが流れるなか、彼と同棲してました。四畳半の安い部屋、風呂も無く(トイレも共同)、近くの風呂屋に二人でセッケンかたかたさせて通っていました。

    でも二人とも夢に向かってまっしぐらー寝る暇もなく、学業とバイトに明け暮れた70年代でした。仕送りも無く、極貧でしたしが、ロングヘアーにミニスカート、エネルギーに溢れ、素晴らしい仲間もできました。(いまだ交流があります)

    その彼と結婚して、二人ともなんとか夢を実現させました。

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  • やや分かります。

     よく高齢者に「東京オリンピック知らないの〜?かわいそうに・・・。」と言われます。 又、3億円事件や浅間山荘事件、母は「買い物にも行かずにテレビにかじりついてた。」と言います。
     私は小学生の頃、隣のお兄さんが「ジンギスカン」や「モスクワ」あとローリングストーンズを聴いていた記憶があります。 又、年上のお兄さん、お姉さんから「明星」「平凡」をもらったり・・・。
     だんだん思い出してきました。 マーガレットなども好んで読んでいましたね。 あとは遊具でホッピングや、ローラースルーゴーゴーを買ってもらったのを覚えています。 私は渋い子供だったので、「尾崎清彦?」の「また会う日まで」を歌っていました。 山本リンダも大好きでした。
     

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  • あっと驚くタメゴロウ〜♪

    小学校一年生だった1970年、あのころ「ゲバゲバ90分」という奇想天外のお笑い番組が放送されていて、「あっと驚くタメゴロウ〜♪」という歌舞伎調のギャグがはやっていた。
    「モーレツあ太郎」のニャロメやべしを一生懸命、ノートに書いていたのもその頃であった。
    大阪万博に行ったのもそのころ。南春夫の「こんにちわ〜こんにちわ〜世界の国から」という万博ソングが町に流れていた。
    世の中がのんびり、ゆっくり成長していたあの日本、ミニスカートが流行り、その何年か後にはマキシが流行る。札幌冬季オリンピックのトワ・エ・モワのオリンピックソングもはっきり耳に残っている。
    子供時代のあんなこと、こんなことが、皆思い返される。レコード大賞や芸能ネタも、当時の小学生の話題の中心であった。

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  • 71年生まれ

    折しも浅間山荘事件の頃、よくぞ「洋子」って名前をつけてくれました。タイムリーな親です。

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  • 切なさ、優しさ、退廃ムード

    浅間山荘事件は高校生の時でした。

    何かが起きそうな何でもできそうな新宿、渋谷を擦切れベルボトム、ピースマークTシャツで歩き回り、若者がたむろするサテンやズージャ喫茶に入れば誰かが話しかけてきてすぐにトモダチになりました。店のには学生運動関係やアングラのポスターが張ってありました。毛沢東語録も持っていました。奇妙な優しさの時代でした。

    わかりもしない「都市の倫理」「朝日ジャーナル」を抱え、フリージャズをしかめ面で聞き、ロングピースを吸ったフリし「まともな人間は狂っている人間だ」「共同幻想」などと言い「連帯」のために男の子と片端から付き合いました。

    ●平連はエライ、強いもの、大きな組織を「権力」イコール「悪」と単純に決め付け、ハイジャック亡命や交番襲撃を英雄的行為だと思い込んでいました。

    その後「神田川」を聞きながら同棲し「なごり雪」を歌いながら別れました。

    あの夕暮れの街角にこれから自分が何処にいのか、切なさと茫洋とした不安を感じながらポツンと立っている自分が見え、自分が「あの世」にいるような気がします。

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  • 69年生まれです。

    前出のレスにもありましたが、70年代前半の女子高生は、「若い大人」という感じで、とてもしっとりとして素敵でした。
    私の育った田舎では、当時は女子が故郷を離れて進学することなどあまりなく、高校卒業後数年で結婚して主婦になるのがスタンダードで、いまどきの女子高生と比べて地に足の着いた雰囲気でしたね。

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  • 私は狭間の世代

    私は昭和30年代半ば生まれです。何につけても「間に合わなかった」感が強いです。

    洋楽に興味を持った中学生の頃には、すでにビートルズは解散し、ジョン・レノンが「イマジン」を歌っていました。

    ミニスカートが大流行した頃は子どもで、スカートは普通にミニでしたが、ポップな柄のベストやヘソ出しの服を、戦前生まれの親が子どもに買い与えるはずもなく。そして学生時代はハマトラ全盛で、思えばオーソドックスな服ばかり。

    高校に入れば「昔の生徒は燃えていて良かった」と先生方から比較され。

    会社に入れば主張がきつい団塊の世代と、さらに主張がきつい団塊ジュニアのバブル入社世代に挟まれ。

    思い起こすと、リアルタイムで面白いことがあんまりなかったような気がしたりします。70年代フォークも同棲だ、闘争だ、挫折だって、子どもには手の届かない世界だったし。

    逆にピンクレディーは、同世代だからTV観て一緒に踊るほど子どもじゃなかったし。ジュリアナで扇子を振って踊りまくるには年食ってたし。

    あ〜なんか、うらやましいなぁっ。

    同世代の方、私達って、なんかドでかく面白いことありましたっけ?

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  • 懐かす〜い!

    1970年に中学校に入学し1980年に第一子を出産した私にとって70年代はまさに青春そのものでした!
    当時の時代設定の映画などを観ても懐かしさに胸が締めつけられるような思いです。
    モノ、ヒト、デキゴトなど数え上げればキリがありませんが私が一番に思い出すのは吉田拓郎とカップヌードルです(笑)

    ユーザーID:

  • 判りました!

    パンダがやってきて以来、私は中国に憧れていました。大学時代、念願の中国へ留学。
    何だか「なつかしいなー」と思えたのは、90年代の中国の雰囲気は70年代の日本と同じだったからかも知れません。
    蒸気機関車が消えつつあり、屋台もこぎれいな店舗にかわりつつ、洋風化でマックやケンタが出来始め、人々の人民服が次第にジーンズになりつつあった中国。今は都市部はすっかり別世界。

    上記レスで書き込んでから、ふと思い出しました。
    あの懐かしさは、自分の育った環境と似ていたからなのでしょうね。

    ユーザーID:

  • あぁ〜・そぉ〜・ぼぉっ!

    又、又、遊びに来ちゃいました。
    最初このトピ発見した時はトピ主さんと年齢が近いのと
    ただただ懐かしい思いだけで胸一杯だったのですが
    連合赤軍・文化大革命等に及ぶとはしゃいでばかりもいられなくなりました。
    自分はOL一年生で良い人達に囲まれ怖いもの知らずで
    キャピキャピしておりました。
    70年代は多種多様・混迷の時代だったのでしょうか。
    その頃、正義感ゆえ時代の波に飲み込まれていった若者達・・今どうしていらっしゃるのでしょう。
    〜それはさておき70年代を自分の年代の視線からしか見ていなかったのに気がつきました。
    音楽にしても南春夫からフリ−ジャズまで。
    インテリア・流行(はやり)言葉・文学の世界・ファッション・建築様式も然り。
    色々な世代の人達にセピア色の70年代があるのですね。当たり前のことなのに新鮮な驚きでした。
    きょうも馬鹿なこと書き込もうと思ったのですが気が変わったのは外のお天気のせいばかりでもないようです
    こんな機会をくださったトピ主さんに感謝!

    ユーザーID:

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