台風の思い出

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生活・身近な話題

台風一家

台風のニュースを聞いて、ふと思いました。

30年くらい前、昔って大きい台風が来ると停電しませんでしたか?

学校から帰ると、「今晩は台風がくるからろうそく用意しないと」と母はろうそくを準備していました。

夜、テレビの途中で突然停電。
ろうそくに火をつけて、テーブルに家族が集まって、外の暴風雨に耳をすませる夜。

わたしと兄は、お誕生日みたいだと、そんな台風の夜が大好きでした。

台風一過の翌日の外の掃除も家族みんなで。

いまは送電線がしっかりしていて安全ですが、たまーに停電があってもいいかなあ・・・なんて思いましたが、パソコンがおちたらやっぱり困る・・・。
台風で停電なんてもうないんだろうなあ。停電の夜の団欒が懐かしいです。

みなさんの台風の思い出もお聞かせください。

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  • 父親代わり

    10数年前になります。
    鹿児島に住んでいて、台風が直撃した時の話です。

    朝はそんなに風雨も強くなくて、父は普通に出勤していました。
    学校は台風接近の為、臨時休校となり、自宅待機。
    雨戸を閉めたり、停電対策など母と2人で家の中を走りまわっていました。
    昼過ぎから風雨があっという間に強くなり、暴風雨状態に。
    凄まじい強風で自宅の裏手にあった倉庫の屋根が見事に吹っ飛びました。
    (幸運な事に事に近所に全く被害がなかったです)

    夕方頃には吹き返しで風雨は幾分か弱くなりましたが、それでもザアザア降りの雨の中、倉庫の屋根を一人で修理した記憶があります。

    夜になると台風は通り過ぎ、父も勤め先から無事に帰ってきました。
    両親とも「お前が男でホントによかった。いざという時に頼りになる」と褒めてくれた事が台風が来るたびに今でも思い出します。

    今はまったく逆で、母や妹達に「頼りない息子(お兄ちゃん)」といぢめられてますが。(笑)

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  • 台風の思い出

    小学生の時のこと。

    大型台風に直撃され、何と小学校のポプラの大木が倒れました。
    びっくり仰天しました。

    小さな川が氾濫し、回りが湖状態になったのも驚きでした。
    停電もしましたね。

    学校で、切れた電線には絶対にさわらないように言われたことを思い出します。

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  • 今となれば懐かしい・・・

     私は、鹿児島の奄美大島というところで育ったので、夏といえば台風はあたりまえ。15年くらい前のちょうど小学4年くらいの時の台風はすごすぎました。停電はあたりまえで、昼間はすることがなく、父は公務員なので仕事。暴風で石が飛んできてガラスが割れ、家は水浸し。雨戸がある窓も風圧でガラスが割れ、最悪でした。そのとき覚えているのが、母が泣いていたことくらい・・・(笑)今、横浜で一人で暮らしていますが、関東来る台風の弱さにびっくり。それで学校が休みになるのにもびっくり。そのくらいの台風なら学校もあったし。。。逆にちょっとうらやましい!!

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  • 台風の思い出・・・。

    停電になるといえば台風より雷でした。
    雷がスキなので暗い中見るのはとても
    きれいでしたね〜。

    台風の一番の思いでは親が買った念願の
    クーラーが買って2日目で台風にあい、お隣の
    物置が倒れてクーラーの室外機がつぶれてしまった
    事でしょうか。

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  • 台所と風呂場で大パニック!!

    私も台風というとワクワクしましたね。ちょっと不謹慎ですが、子供のときってそうでしたよね。非日常というのが楽しかったのかも。

    私は幼少期に千葉県船橋市に住んでいました。平屋の小さな一軒家で隣りにドブ川が流れていました。その場所は「なべの底」のような低い土地でした。

    ある日、台風で隣りのドブ川が増水して道にまで水があふれて来ました。そして私の家にも水が来たんです。いわゆる「床下浸水」です。我が家は大騒ぎ!!

    親が学校に避難するかどうか悩んでいたとき、何か変な臭いが「ぷーん」とただよって来ました。台所を見ると、ドブ川の水が「くじらの潮吹き」のようにあふれ出ていました。「うわー!!」

    あわてて母がぞうきんで排水溝をふさぎました。私はイヤな予感がして風呂場を見ました。すると洗い場が「ドブ」と化していました。あー!!臭い!!臭い!!

    その後、我が家はドブ臭さと格闘することになりました(涙)。すさまじい思い出です。私にとって「台風=ドブの臭い」なんです(笑)。

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  • トピ主さんの台風停電は30年くらい前?

    毎年、台風で大きな被害が出ているのに、トピ主さんの中では、台風は「思い出」ですか?よほど「台風の当たらない地域」に住んでるんですね。うらやましいです。

    私は、つい2年前に台風のせいで、3日間停電の憂き目に遭いました。自治会館で、ガス釜で何升もご飯を炊いて、皆でおにぎりにして地区の人に配りましたよ。電化住宅だったのでお風呂も水浴び。近所の保養センターも稼動してませんでした。信号も街灯も点かず、夜は本当に「闇」でした。

    10年以上前の子供のころの台風でも、「飛んできた倉庫で家がつぶれた!」と、隣の家の方が逃げこんできた事も。その倉庫は、我が家の屋根に引っかかって止まりました。その時も、何日も停電で、水道もにごり、学校もチャイムすらなりませんでした。

    何件も目の前の家が潰れて、「思い出」より「教訓」というか、もっと重い記憶です。記憶というか、今年も備えなくちゃいけないので「未来」?

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  • 怖くて楽しい一夜

    50余年前、当時は台風上陸予報に伴って即小中学校は早引けになりました。
    まだ雨は無いものの、尋常ならざる風が吹き始める中を家路に着く道々、徐々にテンションが上がっていくのを感じた事をよく覚えています。
    家に着くと父も早引けして、忙しく屋根に角棒を打ち付けたり雨戸を5寸釘で止めたり。
    台所では母がもうご飯を炊いていて、食卓には既にロウソクが立てられ、鮭缶やコンビーフが並ぶ。

    外はまだ明るいのに、雨戸を閉めた家の中は夜さながらで私も妹弟と一緒に各部屋にロウソクをしつらえたり、簡易浴を済ませたりして台風上陸を待ちました。

    早めの夕食がまた楽しみの一つでした。
    ごま塩おにぎりに鮭缶コンビーフたくあんというのが我が家の定番で、今思うと缶詰はご馳走だった様です。
    大抵は停電になって、ロウソクの其処だけが赤々とした暗闇での食事、ピーピー雑音付のラジオの台風関連ニュース、なにもかもが非日常の中に。

    きっとあんなにワクワクする事ってもう無いでのしょうね。最早停電も無いし、食生活も変わってしまいましたし。
    豊かなだけが幸せとは限らない事を改めて再認識させられます。

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  • 停電ありますよ

    トピ主さんのように私も停電は昔の事だと思ってました。とある地方に住むまでは…
    3年前と一昨年、台風で停電。3年前は2日間も停電した為、ラジオで情報を得、お風呂にも入れず(スイッチが入らなかった)大変でした。停電していなかった地域のスーパー銭湯は大混雑だったと聞きました。
    一昨年は停電が1日で済んだので、何とか過ごせました。今の生活って電気がないと大変です〜
    小さいとき、海辺近くに住んでいて、台風が近づくと高台からみんなが波を見に行ってました(地元民は海岸近くには絶対近づかない!怖さを知ってるから…)。
    あと、学校が休みになるのが嬉しかったですが、母親となった今では、暴風や大雨じゃない限り登校してもらいたいと願う今日この頃です。

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  • 台風好き

    父親が、地域防災活動をやっていたため、
    台風とか、洪水の危機、とかなると家を留守にします。
    幼少時は、あの状況下で、正直、女子供だけ残されて、
    えらく頼りない思いをしました。

    年齢を経て、だんだん暴風雨や嵐、大雨といった天候を
    好むように(笑)なりました。
    来るとワクワクします。
    台風がほとんどそれる地域に住んでいるから、そんな悠長なこと
    言ってられるのですが(汗)。

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  • バイト先からの帰り

    かれこれ10数年前、まだ学生だった頃。バイトに行ってたけど、リーダーに「台風が来るから、もう帰りなさい」と言われ帰路に着きました。台風はまだ上陸してないというものの、強風がビュービュー吹き荒れておりました。

    そして、こともあろうに当日、最寄の駅〜自宅間を原チャリ使用、その恐怖たるや!ずっと下り坂を降りてる途中も、どうしようにも反対車線に押し戻されてしまう!!いくら踏ん張っても、反対車線に吸い込まれるように、原チャリごとアレレー!と。幸い、反対車線には乗用車が走っておらずよかったものの・・・。

    今から考えれば、当日、台風が来るってしつこくテレビでも言ってたはず。それを私は呑気にも、原チャリで出勤・・・。あー、あまりにも無謀だったわ。

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  • 冗談じゃない

    つい先日まで「台風銀座」と呼ばれる地域に住んでました。特にここ三年、台風の当たり年!雨戸は飛ぶわ、ボイラーは壊れるわ、友達んちの窓ガラスが割れるわ・・・。いつ避難しようかとリュック片手に悩んでました。うちの家族に被害がなくて幸いでした。

    停電どころか、市内あちこちで浸水で自衛隊がボートで救出に出る、橋が流れる(仮復旧まで半年掛かった)、道が土砂崩れで通れない、死者・行方不明も何人かいらっしゃいます。

    南九州のいわゆる「台風銀座」に住んで初めて、台風の威力を思い知りました。今までの本州での直撃とは桁違いでした。確かに都会では停電はほとんどしなくなりましたが、今も被害は出ています。「台風の停電の思い出」なんて軽々しく言っちゃあいけないと思ってます。

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  • トピ主です−1

    たくさんのレスありがとうございます!

    >くまじろうさん
    いざというときにとても頼りになるお兄ちゃんだったんですね。うちの母は山口もえさんのような感じの人で普段はスローなんですが、台風になるとスイッチがはいったようにテキパキと備えに動いていました。とてもたのもしい母と感じていました。

    >五十代さん

    ポプラの大木が倒れたなんてすごい・・・遠巻きに眺めている子供たちが目に浮かぶようです。わたしの学校の近くの小川も氾濫しました。川に近寄るな、電線にさわるなと先生に注意された思い出があります。

    >野菜ジュースらぶさん

    雷はきれいですね。子供の頃近所の大木に雷が落ち、翌日木を見に行きましたが、映画にあるように真っ二つに割れてもいないしメラメラと燃えたあともなくガッカリした覚えがあります。父によると、上のほうの枝に焦げたあとがあったそうです。

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  • トピ主です−2

    >ririkoさん

    雨戸閉めているのに風圧で窓が割れたんですか?す、すごい・・・想像を超えています。
    一昨年夏、関東に大型台風が上陸したとき東京に住んでいたのですが、電車はストップ、道路は浸水してテレビのアンテナがこわれて家に缶詰になったことがあります。仕事は早引けで助かったと思いました。

    >ヒッコリーさん

    潮吹き!いとこのうちのお風呂場が潮を吹きました。台風の翌日いとこから聞きました。ヒッコリーさんは台所もお風呂場も両方だでお掃除が大変だったでしょうね。

    >みおさん
    炊き出しまであったなんて大変でしたね。
    関東にすんでいますが、一番大きかったのは2年前夏東京にいたときの台風です。信号機ストップ、道路浸水、電車ストップで早く退社しなければ帰れませんした。それでも停電はなく、さすが東京(でも交通機能はマヒの東京)と思いました。

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  • トピ主です−3

    >nekomamaさん

    そう、何もかもが非日常になり、子供にはそれがとてもワクワクしたことなんですよね。

    >豊かなだけが幸せとは限らない事を改めて再認識させられます。

    そう思います。ひとつの部屋に集まって家族で密の時間を過ごしたことがとても幸せなことだと思うのです。

    >aiさん
    停電は昔のことじゃないのですか。すみません、関東しか住んだことがなく、科学の進歩で停電はもうないのかと思ってました。
    いまの生活は電気無しでは不便ですよね。いまの家はお風呂は電気スイッチなので停電になったらお風呂に入れません。夏にお風呂に入れないのはつらいですね。

    >猫のごはんさん

    防災活動をするお父さんは頼もしい方ですね。土嚢をつんだりしている大人の人をとてもカッコイイと子供のころ思いました。
    台風がそれるなら仕事や交通の心配あまりしなくていいですね。大人になった今は非日常にワクワクすることはなく、交通手段など現実のことを心配するばかりです。
    昔の大人たちもきっとそうだったんでしょうね。いまの子供も台風にどきどきしているのかな。

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  • 屋根が飛ぶ

    まだあります。思い出しました。

    今から10年以上前、築ン十年の古い社宅に住んでた頃、隣のお宅のお風呂の屋根が吹っ飛び、停電。ちょうど入浴中のご主人は、真っ暗の中手探りで着替え、屋根を探しに…。
    屋根は数軒先の家の前に落ちてたそうです。

    一昨年の停電時、小学生だった息子の学校では、停電の中授業をし、コピーは先生の車(ハイブリッドカーだったので)でし、給食はパンと牛乳という非常食でした。…停電でも通常授業をするという学校の心意気(?)に感動しました。

    関東の方は遠い思い出なんですね〜。台風が毎年来る地域では懐かしくもなんともなく、ただただ大変なだけです…

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  • 軒下に

    まだ私も姉も小学生だった頃、大きな台風が来た日、軒下に当時飼っていた十姉妹(ジュウシマツ)をぶら下げていることを思い出し、姉と二人で
    「ジュウシマツを助けに行こう!オー!」
    と威勢よく掛け声かけてかごを取りに行きました。
    でも、気付いたのが遅く、ジュウシマツはぐったり。
    その後死んでしまいました。
    とてもとても悲しかったです。

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  • 試験が延期になった

     台風が接近したため、高校の期末試験はずらされました。
     しかし帰りが大変でした。わたしの仲間は4人いて、いつもいっしょに帰っていたのですが、準備の悪い一人は、学校貸与の校章と学校名がでかでかと書いてある置き傘を借りて帰らなければなりませんでした。

     表通りではなく、裏通りを通学路にしていたので、すごい悪路で、途中、巨大な水溜りに遭遇しました。面積はだいたいわかったが、深さが見当つかない。大胆な仲間はそのままずんずん進んでいきましたが、おかげでひざ上くらいの水深であることがわかりました。それで、水溜りの端っことおもわれるところをそろりそろりと爪先立ちであるいて向こう岸にわたりました。と、そのとき、突風が吹き、学校の置き傘はばらばらになってしまいました。
     なるべく被害に遭わないように、みんな一かたまりになって歩いていきました。
     
     なお、中央線で通学していましたが、わたしたちがのりこんだすぐあとの列車は止まってしまったということです。

     

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  • 会社の屋根が飛んだ

    夜中にすごい台風が上陸し、次の日会社に行ったら、屋根はない、壁はない、パソコンは水浸し。
    社屋を作るのに、経費をケチったのがばればれ。
    そういや、ちゃちな社屋だった・・・・・

    去年、ハリケーン「ウィルマ」が来た時、停電が三日続きました。
    やっとこさスーパーマーケットが開いたので行ってみたら、店内は停電で真っ暗。店に入るのに、人数制限で1時間以上待ち。まるでスペースマウンテン待ってるみたいだった。
    店の前には、大型の銃(機関銃?)を持った警備員が待機。
    ガソリンスタンドでも、3時間待ち。

    いい加減、フロリダ出たい!今年も来るのか・・

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  • そういえば・・・

    小学校の校庭にに、「元気」「根気」「勇気」という、三本の木がありました。

    子供のまっすぐな成長を願ったものだと思います。

    が!
    が、しかし!!

    なんと、「根気」だけ折れてしまったのです。


    今の世の中を象徴しているような木がするわねぇ〜と、家族で、苦笑いでした。

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  • 世界遺産が壊れた・・・・・

    15、6年前だったかな?台風が直撃した時、うちの家の網戸がとんでいっちゃいました。
    そんなことよりも、そのときの暴風雨で今や世界遺産の「安芸の宮島の能舞台」が大破壊しました。その数日後、私は修学旅行で宮島を訪れ、先生方の「こんなことはもう一生ないだろうから、ぜひとも記念写真を撮っておかねば。君たちが類い希なる歴史の瞬間に立ち会った証拠に・・・・」という意見で、さんざんに破壊された能舞台の前で集合写真を撮りました。
    一生ないだろう・・・という先生の予言ははずれ、数年後の台風で、またこわれちゃいました。
    類い希なる、ねぇ??

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  • 40数年前の話

    子供の頃鹿児島に住んでいました。
    台風の時だけ許されることが二つあり、それが楽しみでした。

    1つは、必ず停電になるので何も出来なくなる。蝋燭の明かりで親子4人で出来るもの。それは「花札」でした。
    子供心に絵のついたトランプのようなものが面白かったのでしょう。

    2つめは、鯨の肉の缶詰です。何もおかずが作れないので鯨の缶詰を買い込んで食べていました。

    「津波が来るから高いところへ逃げてください」という避難命令に、両親と小高い丘まで走って逃げたことがあります。5歳くらいのことで、「津波」が何なのか分からないけれど、とにかく大の大人が逃げるのだからよっぽど怖いものだろうと思って必死に逃げましたね。

    台風の目に入ったとき、父と外に出た経験があります。異常に静かで不思議な気持ちがした思いがあります。

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  • 堤防決壊 風速50メートル

    ものすごい経験を2回しました。
    1回目は小学生のとき。
    近くの長良川の堤防が決壊して、見る見る間に川の水が濁流となって・・・
    命からがら小さな子供を肩車して逃げてくる人を何人も見ました。学校も水がひくまで何日も休みになりました。

    2回目は産後10日ほどたったころ。
    山口に風速50メートルの台風が。里帰りしていなかったため新生児と二人きりで、停電、水道も使えず・・。外の電柱が崩壊して漏電しており、真っ暗な中、花火のように放電していて。怖かったー。
    車はごろんごろんとひっくり返っており、空にはジュースや缶がびゅんびゅん飛んでました。
    もう二度と経験したくありません。

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  • 頻繁でしたね

    思い出しました。

    現在のように断線等、設備に何らかの被害が出てのものではなくて、
    被害が出た際の二次被害(?)を防ぐ目的だったのか、台風やカミナリがあると、
    数分から数時間の停電が、頻繁にあった記憶があります。
    トピ主さんが書かれているように、現在では設備等に対策が施されたのか、
    そういう類の停電は、ほとんどなくなったようですね。
    カミナリの際に、ほんの一瞬途絶えることはありますが。

    私が子供の頃、台風やカミナリが怖かったのも、停電の恐怖という面が
    強かったのだろうなと思います。
    電気は点かず、父は帰らず、不安な一夜を過したことが懐かしいです。

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  • 九州人には

    上の方で何人か書かれている台風ではないかと思いますが、10数年前に本当にひどい台風が九州を直撃したことがあります。 
    そのとき我が家は、夫の仕事の関係で関西に住んでいました。そこは団地になっていて、同じ仕事をしているそれこそ北は北海道、南は沖縄まで全国各地から来たいろんな家族が住んでいました。
    こっちに進路をとっているのをニュースで見て、これは大変とベランダのものを片づけ、物干しざおも外して下に降ろし、いろいろ台風に備えて準備をしていました。
    一息入れて窓の外を見ると、向かいの棟で同じように台風に備えてベランダを片づけているのは、見事に九州出身の家族ばかり。洗濯ものひらひら、ごみ箱など出しっぱなしの家は、確かに余り台風直撃など体験してなさそうな所から来た家族ばかりでした。

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  • 今年もそろそろ来ますね

    九州出身、関東在住です。
    何人かの方が書かれている15年前の台風…あれは凄まじかったです。

    トピ主さんは関東に2年前にやってきた台風が人生最大、とのことですが、私にとってはあれは『久々に"台風"と呼べるものが来た』って程度でしたね。
    東京が停電しないのは、停電するほどの台風が来ないからじゃないでしょうか。
    もちろん首都機能が集中してますから、他地域より強いとは思いますが。

    ここ2・3年は本当に台風が多くて、鹿児島・宮崎・高知あたりの方は大変だと思います。
    特に今年は豪雨もありましたし…
    これからの台風シーズンが心配です。

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  • ありますあります

    かれこれ15年ほど前でしたか、日本を縦断して多大な被害をもたらした台風の思い出が。

    四国在住ですが、私の住んでいる市は台風が来る来ると注意を呼びかけられても、台風がすぐ近くを通過してもほとんど影響のないところで、そのときも全く気にもしなかったのです。
    しかし、このときの台風は違いました。
    とにかくあの猛烈な強風は初めて体験しました。住んでいるマンションが揺れましたもの。
    これは停電するかもと思いましたが、時既に遅く。
    大変な被害が出ました。

    生まれて初めて自然の驚異を思い知らされました。

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