全ての原因は自分から?

レス39
お気に入り1
トピ主のみ0

よしお

健康

このトピのレス

レス数39

レスする
このトピックはレスの投稿受け付けを終了しました
  • 『全ての原因は自分から』と考える人の方が好かれる

    と思います。
    何でも他人のせいにすることは容易です。
    しかし文句ばかり言ってる人は尊敬されないし、行動力がないと見なされます。
    相手に非があっても、結局は自分が動かなければ状況は変わりません。

    ユーザーID:

  • 与しやすい、ということはあるかも。

    あなたにすべての原因があるかどうかはわかりません。が、多くの人間は「あいつは手強いな。無礼をしたら十倍返しで噛みつかれるだろうな」と思うような相手には、そんなに迂闊なことはしないものです。

    40歳なら、ある程度の利用したりされたりはあって普通だと思いますが、あなたが、明らかに相手に非がある場合でもあまり文句を言ったりはしないほうなら、あなたを背いたり利用したりする人には「よしおさんはお人好しだから大丈夫」くらいには思われているのかも知れませんね。

    ユーザーID:

  • そうですね。

    「全ての原因は自分から」というか、「全ては自分で変えられる」と私は思っています。
    もちろん他人からもたらされる「嫌な事」もありますが、それを受け取るか?受け取らないか?受け取るとしてもどう受け取るか?自分で決められます。

    「あの人はどうしてああいう人なの?」と思う事もあるけど、他人を変えようとするのは困難ですし傲慢という物です。
    自分が変われば全てが変わる。
    そう考えると本当に物事がスムーズに行くようになりました。
    それに、「自分の周りの人間は、全て自分の鏡」だとも思います。
    嫌な目にあっても、それは自分が何かに気付き成長できるチャンスなのだと。

    私の経験上では本当にその通りです。
    こんな風に理解していても、傷つくこともあれば、他人を恨みそうになる事だってあります。
    でも少しずつでもいいから、上記のように理解して自分を成長させられればいいな、、と思っています。

    ユーザーID:

  • そういうものかと

    違うと思えば反旗を翻すし翻されるし、利用価値が有れば利用したりされたり、じゃないですか?

    そういうパターンが多いという事は、「違う」と思われる事が多く、利用価値が有ると思われることが多いという事でしょうか。

    ユーザーID:

  • 戦うべき相手は自己

    すべての事を自分が起こしている、というよりは、
    本当の敵は自分なんだと思って生きています。
    裏切りと感じたり、利用されたと思っても、
    相手がどのようなつもりだったかは、その人にしか知りえない。
    遭遇する試練を乗り切ったときに、心底腹の据わったかっちょいい人間になるのだと自分に言い聞かせております。
    奮闘を祈ります。

    ユーザーID:

  • 自分だと想いますよ。

    僭越ながら、どう表現すればお気に召されるかは解り得ませんが、
    貴方のおっしゃる「ソコ」に至る迄には、「無数の選択の機会」が「貴方にも与えられていた」筈ですよね。

    その事実と申しますかその「覚悟」に、あと今一歩で、まだお気付きになられていないだけかもしれません。


    解り易く申し上げるなら、
    「あの時、ああすれば良かった…」「こうしていれば…」等と「後悔する事」は人生には付き物かと想いますが、そこから更に踏み込んで、「あの時、自分がこうしたから…」「あの時、自分が何もしなかったから…」

    「今がある」

    と言う意味なのですが。


    個人的には「自分は悪くない」と言う考え方は嫌いではありませんが、
    自分で決断して選んだ結果なら、例え好まない状況になったとして、目的を見失わずに済むのでは無いでしょうか?


    人生は、選択の連続と言う事で。

    ユーザーID:

  • 対策の立て方

    >全ての原因は自分なのでしょうか

    そういう場合もそうでない場合もあるでしょうね。
    ただあまりにそういうパターンを多く経験してるなら、原因が自分に無いか検討してみるのも得策かもと思います。
    貴方自身の言動がそういう結果を招いているのか。
    あるいはそもそも「付き合う人」の質に問題があるのか。

    いずれにせよ「自分は何も悪くないのに運が悪いだけで自分は不幸」と単に考えるより、「自分に何か原因があるのでは?」と考えて再考してみた方が、何らかの打開策に取り組めるのではないかと思います。
    もっとも、「自分は何も悪くない、悪いのは運だけ」と考え、占いや神頼みに頼るという選択肢もありますが。

    年齢の割りにやわなご質問でした。

    ユーザーID:

  • それ以外に何が?

    「そう思った方が好かれる」という意見は有り難いですが、トピック名だけ見て、「それ以外に何の原因が?」と思いました。良くも悪くも、全てについて。
    だからこそ、自分で対策の立てようがあります。でなければ、万事神の意のまま、虚しいことこの上なしです。

    人間知性を信じすぎる自分の性分も欠点があるとは思いますが、たいていは盲点に気がつくだけでなんとかなりますよ。第三者として観察してくれる方に、個別の問題ごとに相談されたら。

    ユーザーID:

  • そう考えたほうが楽かも知れない。

    けれど「ああ、そうよ、全部私が悪いのよ」
    ってなっちゃっても思考停止っていうか、困るから、ここは理論的にパターン化してみることはできないでしょうか。
    ご自身の性格と、起こる出来事に、ある決まり事があれば、それを変えてみたら良い。
    内省的なトピ主さんは、周りのせいにする人よりも好感が持てるはずですから一度、他人事のように分析してみられては。

    ユーザーID:

  • かもしれません

    私は人間関係においても正のエネルギーと負のエネルギーは、基本的に均衡すると思っています。

    他人に対して与える正のエネルギーが低い人は、他人から与えられる負のエネルギーも低い。
    でも他人へ与える正のエネルギーが高い人は、それだけ負のエネルギーを他人から与えられる可能性も高い。

    反旗を翻されるということは、翻されるまでは、たぶんその方々達と蜜月状態くらい濃い?良い?関係であったのではないでしょうか。

    密な関係は家族関係と似ています。愛憎が同居している関係です。
    関係が濃いほど愛憎は同居しているものです。家族関係はいったんこじれると、他人との関係以上に修復に時間がかかるものです。

    それは、お互いへの「甘え」「遠慮の喪失」、お互いの気持ちへの「配慮の希薄化」「緊張感の低下」等が、関係の密度に比例しているからと考えられます。

    よしおさん、周りの人の気持ちの変化に気がついていますか?
    親しい人達は反旗を翻すずっと前から、何らかの不満のシグナルを発している可能性は高いです。
    それらを見落とし続けると、最後に反旗を翻されるのだと思います。

    ひとつの可能性としてご検討ください。

    ユーザーID:

  • トップのレスの通り。

    きっちり反省ができて、全ての事の原因は、自分のせいなんだ。と考えることのできる人は、カッコいいと思います。
    自分も目指したい。

    人のせいにして、周囲に当り散らして、自分以外の何者かに原因を求めて、自分を省みない人間より、ずっとずっとカッコいい。そう思います。

    全て人のせいでもなく、全て自分のせいでもない。
    必ずしも、全ての物事がなんでも、自分だけに原因があるとも限らないと思います。

    ユーザーID:

  • 自戒のために

    自分が傲慢な振る舞いをしないために、そう考えて
    自戒することは、トラブルを防ぐひとつの手だと
    思います。
    ただ、すべて悪いことを自分のせいにして、自分を責めてしまうと、自信喪失のきっかけにもなりかねないので、ほどほどが良いと思います。
    悲しいですが、作為的に人を落としいれようとする人も
    間違いなくいますし、嫌な思いをせずに生きていくこともできません。
    辛い出来事は、何かに気付くきっかけなのかもしれないと思っています。
    (自分の悪いところとか、周りへの感謝とか)

    ユーザーID:

  • ぎりぎりの段になって・・・・

    こそ、始めてその言葉の意味が飲み込めるのでは。何でもかんでも本当に自分が悪いのかといえばそうではないですよね。それに誰しもが自分が間違っているなんてまずは思っていないでしょう。

     ただ、自分が悪くないのに、何でや・・・と思っていたらその気持に縛られてしまいますよねー。その気持を掴むのが間違っているから,心がいらん感情の芽を出します。

    そしたら苦しいです普通は。(人を責める事ばかり。ほかに気がつかなきゃいけない事がある)もし、その気持を掴まなかったら楽な自分がいます。相手を突き放せたからですよね。極端に言ったら相手なんてどうでもいいんです。自分なんです

    。色々な自分と対面し”苦しいを満喫した時、本当に身にしみて”分るかと思います。でも、何でもかんでも自分を責める必要はないですよ。脱線しない(度を越さない)、コントロールする術さえ持ってれば。無理したり、我慢したりしすぎると、心療内科が流行ってしまう結果になるでしょうね。

    「善悪」けじめと、見極めを持ちつつも全て割り切れるものではないです。世の中の風潮にあまり呑まれないようにする事が肝要かと思います。

    ユーザーID:

  • 追伸

    PS挿入です。極端に言ったら・・・・の次、もっと極端に言ったら「相手は実は自分なんです」
    字数制限故、漏れました。失礼しました。

    ユーザーID:

  • 全ては鏡

    45年ほど生きてきて有る程度悟ったことは、結局人間関係は思った通りになっていくということです。
    全ての原因は無意識のうちに生み出してる自分がいるのです。
    いつも相手に嫌味を言われたのは私の何がいけなかったのかとか私のここが悪かったからだと気がつくことが出来ない人は一生人のせいにし愚痴を言い相手の性格の悪さや否定観念に囚われる。
    全ては自分の気の持ちようで相手も変わってきます。

    そう気がついてから人間関係もスムースに。
    何かあった時にはまずは自分自身を反省材料にすると素晴らしい人達に恵まれていきます。

    ユーザーID:

  • そしてまた人に対して失望したり批判の心が芽生えたら、また原点に返るのです。
    誰も他人を非難抹消、相殺することはできないと気がつくでしょう。
    そのように愛を持っている人間として確実に素晴らしい人間関係が築けます。

    ユーザーID:

  • 自分の有り様

    自分の有り様が、自分の人生を表しているような気がします。

    ユーザーID:

  • 息切れしないよう・・

    ゆっこ・・さんの
    >>「自分の周りの人間は、全て自分の鏡」だとも思います。嫌な目にあっても、それは自分が何かに気付き成長できるチャンスなのだと。


    正しく、ジャストミートな教訓だと感じました・・

    ・・自分は人間関係に精神がまいり、来春退職するのですが・・自分の態度で周りを変えられます。ですが、それも疲れが伴います。
    10年以上もそれをやって息切れしてきました。
    何でも、自分にあった方法があって・・無理をすると長続きがしません。次の職場は長く居れるよう・・模索しています。

    ユーザーID:

  • その通りだと思います。

    私達は明るく生きる為に自分のモチベーションを上げようと日々努力します。
    なので自分がしてしまった理不尽な事、言ってしまった都合の悪い事は忘れるのがその一つです。

    記憶から抹消された時に自分の蒔いた種が芽を出してきます。

    それに気づいてからは

    どうしても嫌な事を言わなければいけなかったり、仕方なく裏切る事になってしまったり、結果として利用してしまっていたりした時、話をできる人であればお詫びし、そうでなければ心の中で深く反省します。

    でも返ってくる時はあります。

    なのでその時は「自分も同じ事をしたんだな」と思うと消されていた記憶がよみがえります。違った角度から見れて余裕ができて相手を恨まなくなります。

    ユーザーID:

  • そういうものです

    はい。そういうものです。生き馬の眼を抜く様な、という表現があるじゃないですか。

    ちょっとナイーブすぎるのではないかと存じます。40にもなったら、悟った方が良いのではないでしょうか。

    私、男で、たまたまここを見てコメントさせてもらって、ちょっと口幅ったい様ですが、こんなところに、こんなトピックをエントリーして女性に慰めてもらいたいなんて思っているのだったら、お門違いだと思います。

    ユーザーID:

  • 見方を変えましょう

    人との関わり合いの中で起こる様々なことは、「他人に原因がある」と考えても、解決しないのです。

    他人に心を入れ替えて変わって頂くことを期待するより、「自分ができること」つまり「自分側に原因があること」を見直していくほうが、現実的です。

    ユーザーID:

  • 主観の世界

    我思う ゆえに我あり

    自分がどう捕らえるかで、死ぬことすら栄光に変わったりします。
    現象は全て自分で決めることができないですが、
    世界は全て自分で決めることができると思ってます。

    ユーザーID:

  • 理不尽なことには

    同感です。私も同じようなことをもう10年くらいぐるぐると毎年考えております。
    つきつめて考えると、本当にしんどいですよね。

    顔つきからして「いいひと」そうに見えるらしい私は、人との距離感を一定に保つことが難しいようです。妙なものをうかつに近づけてしまったりします。

    しかしながら、どうしても納得できない理不尽なことからはできるだけ逃げることにしました。
    自分が悪くなくってもトラブルの中に放り出されたりってこと、あります。

    たんたんと生きてゆくのはなかなか大変だけど、
    できるだけ意識するように、してます。

    ユーザーID:

  • そう思うようにしています。

    私はそう思うようにしています。相田みつおさんの書記にすべては身から出たさびという主の句があります。そう思うと、他の人のせいにするわけでもなく、運の悪いことも、ついていないことも、そのまま受け止めれるようになります。

    もちろん、そんなことを言っていても納得のいかないこともありますが、なんとなく前向きな姿勢になれるし、じゃ、どうやったら今の状況から抜け出せるかと考えるようにもなります。心の平和を取り戻すにはいい考え方かと思います。

    私は主人に不倫をされ、相手女につぎ込んだお金が私名義の借金として残っています。この句に会うまでは、「なんで私ばっかり」、「なんで旦那の借金まで」、「主人と相手女なんて地獄に落ちればいい」と人を憎む日々が続きました。

    でも、「何でも自分から出たさび」と心で唱えるようになってから、心なしか気が楽になった感じです。心が平和だと、そのまま顔にも出るみたいですね。きっと前は鬼のような顔をしていたのではないかと思いますが、最近は見知らぬ人にもあいさつなどされ、ますます気分のいい日を過ごすことが多くなっています。

    ユーザーID:

  • 例えば

    ご自分のまわりで
    人間関係がうまくいっている人っていませんか?(もしいなければ昔のクラスメイトや著名人等)
    その人があなたの立場にいたら、こういう状況にはならないんじゃないかと思いませんか?

    私のまわりで、誰からも好かれいつも良好な環境にいる知人がいます。
    この人を知れば知るほど、本人の努力や相手に対する思いやりを感じるんです。

    この人はいい人ですが誰もこの人を利用しようとはしません。というより利用するような人間と付き合っていないんです。

    自らいい環境を追い求めるって大事だと思いますよ。
    「この人には魂胆がある」と気付いたらその人から遠ざかる勇気が必要だと思います。

    ユーザーID:

  • わたしもそう

    私の場合、夫と喧嘩をするたびに原因はわたしだ、
    みたいなことをいわれます。
    事の発端は全てわたしが作ってると。
    なんか寂しいです。
    自分がいつも悪い、自分さえいなければ、
    こんなこともたまに思ってしまいます。
    よくないとは思ってるんですが。

    ユーザーID:

  • 努めて気にせず

    今、そう感じていらしゃるのであれば、あと数年経つとまた違った考えも出来ると思いますのであまり気にせずに行きましょう。
    自分も40歳過ぎたころ、若いころより自分の立場や周りのことも見える様になり、余計にそう感じるような気がしました。

    講習会等で「人間の運命は変えられない、回りにいるすべての人や物が存在してかろうじて人は”生かされている”、自分の周りからすべてのものがなくなってしまった状態を想像出来ますか?」という話を何回か違う人から聞いて少し納得できるようになって来ました。

    好きな人や苦手な人が周りにいてこそ自分の立場を保っていられるのかも知れない、と考えると苦手な人に対しても感謝の気持ちが湧いてきます。

    意地悪されると悲しいですが、相手は同じことを考えていないと勝手に想像すると、不思議なことに自分に意地悪する人がかわいそうに見えてきます。

    私、変な46歳ですか???

    ユーザーID:

  • 他人は自分の思うとおりにはならない

    この一言につきると思います。
    他人が自分が思っていた通りの言動や、行動を起こすとは限りません。人それぞれの考え方・価値観・思想・心情があります。だから途中で自分の考えと異なった言動があっても、それはそれで仕方が無いものです。
    只、長く付き合いしお互いに同じ程度の信頼感がある間柄となれば、お互いの考えや行動がある程度予想されますね。そうなると許容範囲は広がるものと思います。
    相手の考えとは別に自分勝手な思い込みでいるとショックを受けるのではないでしょうか。

    ユーザーID:

  • 何も返ってこないと思って、

    人のために良かれと思ってしてあげてもそれが受け入れられない事って多いです。
    この小町でも、姑さんの悪気はないのは分かってもして欲しくないとか、一生懸命教えて挨拶一つなしでやめられたとか、色々ありますね。

    私は何か頼まれてもハッキリ「お願いします」と言われない時以外は決して「手」を出さない事にしています。そして手を貸してあげても、返ってくる事はないと考えて忘れる事にしています。

    今は、「お世話になった」という意識を持っているひとは少ないと思っていたほうがいいです。

    だって、生んで育てて教育して、それが親としてアタリマエ、と思っている人のなんと多いことか。

    ユーザーID:

  • そうかもしれないですが

    少なくともそれが間違っているとは言えないです。

    ただ私は、そう考えることに慣れてしまった結果、客観的な分析をしなくなってしまう事が不安ですね。
    当事者でありながら、客観視して分析するということは、非常に難しいことです。しかし、とても大事なことですし、
    そこには、"過程の分析"も含まれます。それを放棄してしまう結果になりそうに思えます。
    もうひとつ言えば、客観視できる立場の人に、分析を依頼するという機会も、放棄してしまう結果になるようにも思えます。
    それによって、もしかしたら次回は回避できるかもしれない可能性まで、失くしてしまいそう。

    自分が原因なんて結論出すのは、個別に分析した後。最後の最後でいいんじゃないですか?

    ユーザーID:

お気に入りに追加しました

レス求!トピ一覧