東海道五十三次の作者

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ほんだ

 最近レストランへ行ったときのこと、「東海道五十三次」のなかの1枚が飾ってありました。長男(小6)は「この絵の作者は歌川広重だよ」と次男に教えていました。私は「安藤広重じゃないの?」と直しましたが、帰宅後子どもの教科書で調べてみると、「歌川広重」でした。納得できず広辞苑で見ると「歌川広重=安藤広重(本姓)」と書いてありました。私の小学校6年の頃(昭和50年前半)は、「安藤広重」で習ったような気がするのですが・・・同い年の夫も学校で「安藤」と教えてもらった記憶があると言います。いつからか変わったのでしょうか。気になって仕方ありません。皆さんはどのように習いましたか?

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  • 安藤廣重

    貴女の年配から考えて安藤廣重とお習いになったと思います。
    安藤廣重は沢山の名前を持っています。
    言い伝えですが、江戸の下級武士、火消屋敷の同心、安藤源衛右門の子として誕生。
    幼名は徳太郎、後、重右衛門、あるいは徳兵衛と称します。        
    初代歌川豊廣の門下なりました。
    1812年に歌川廣重の名を与えられ、
    1823年家業の火消同心をやめ安藤廣重と名乗りました。
    1830年、一幽斎廣重と名を改め
    1832年、一立齋と名を改めました。 

    人によっては実在しなかったと言う説や、五十三次の風景画から、実際は旅をせず想像だけで描いたと言う説もあります。
    ちなみに、私もそう思うのは三条大橋からの風景画を見ても背景の山と橋の構図は裏返しです。
    あの位置(三条大橋北西詰)から見ると小高い山、比叡山はあの位置にはありませんし、今から50年余り前、担任の国語の先生もそうおっしゃってたのを記憶しています。

    版画を彫るときに裏返しになったんだろうと思っています。
    安藤廣重で良いのですよ。         

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  • 絵師としては歌川広重ですよ

    もともとの姓は安藤です。歌川さんという絵師(浮世絵の絵を描く人)に弟子入りして、歌川広重となったのです。広重という名前は弟子に襲名されて、「歌川広重」は三代目までいます。○代目広重と呼び分けるのが面倒かつややこしいので、「どの広重?」「安藤の広重の絵だよ」という感じで、初代広重を指すときに「安藤広重」という言い方をするのです。厳密には誤りです。やはり歌川広重と呼ぶのが正しいと思います。絵に入っているサインにも「安藤広重」なんてないですからね。。。。実はこれ、高橋克彦という作家の受け売りなんですが(汗)

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  • 歌川広重で合っています。

    安藤広重でも、歌川広重で解答しても、
    マルを貰えました。
    今20台後半。歴史では、両方の名前を習いました。

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  • 我が家

    私(54歳) 安藤
    息子(27歳) 歌川
     
    と、習いました。

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  • 歌川広重

    広重は歌川派の絵師なので、歌川広重と表記するのが正しい、安藤広重では本名と芸名をごっちゃ混ぜにしているようなものだ。同じ意味で曲亭馬琴を滝沢馬琴というのも正しくない、というのを美術の本で読んだことがあります。それ以来、歌川広重で納得しています。

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