「父」との思い出 (駄?)

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家族・友人・人間関係

totoro

長年”もやっと”してたものが、最近やっとはっきり解りました。特にここで述べる
ことでもないのですが…。

もう高年者になると言うのに、男性の足を広げて椅子に座ってるのを見ると、どこか
懐かしいような、あの足の中に入って落ち着きたいような、そんな気分にちょくちょく
なってたんです。どうしてなのか、さっぱり訳は解らずにいましたが、最近やっと
解りました。

「父の膝」なんです。小さい頃弟妹に母の膝を奪われてからは、私は父の膝に抱かれる
ようになりました。 
時々膝を立てて私を中に入れてくれ…、私と言えば「あ〜お風呂だ〜」と言いながら、
首など洗う真似をしてみたり…、そんな事をしていた、その名残だったようです。

あまりにも幼い頃の思い出なので、思い出すまで時間がかかりました。でも、その父も
もうとっくに他界してるのに、また、私もこんな高年者の年になってるのに、こんな
幼い頃の思い出が身についてた?とは驚きです。

皆さんにも「お父様」との思い出が、色々あると思います。ここでよかったら、
発表してみませんか。

*こう言った思い出も、亡き者にとっては「供養」になるでしょうか。

ユーザーID:8281528747

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  • 私も考えました。

    高年者と言うにはまだまだの年齢ですが、父は他界しています。
    何年か経ちましたが、まだ、日が浅いのでアレコレ思い出しますよ。

    思い出を共有するのは「供養」になると思います。例え、見ず知らずとの人と、でも。
    私は、まだ家族と口にすると込み上げるものがあるので、あまり口にはしないですが、
    いつも思い出しています。
    思い出してあげる事で、父は又別の形の「生」を受けるのだろうと思います。

    私にとっては、父の原風景って何だろうかと考えると背中かもしれないです。
    近所をよく父の自転車の後ろに乗って走り回ったり、休日に一緒にゴロゴロ布団の上で
    していた時に見ていた大きな背中かな。

    なんか、思い出すとまだ切ない気分です。

    ユーザーID:1788396964

  • 良い供養になってよかった

    そうですよね、思い出す事も良い供養になりますよね。

    とてもお父様と仲良くしてらしたんですね。親子の仲がいい事は、家族にとってもひいては社会にとっても、良い事だと思っています。良いお父様だったからこそ、なお更思い出すと涙する期間が長くなるのでしょう。

    ここでも少しでも、お父様の供養になってると思うと私も嬉しいです。

    ユーザーID:0711638302

  • 駄じゃないですよ

    男性の膝と言えば私にとってはむしろ祖父ですね。丁度いいサイズなんですよね、子供がすっぽり収まるあの空間。
     父はまだ健在ですが、今は離れて暮らしていますので、大人になって独立するまでの父との思い出となると…会社員でしたが、なかなか家庭サービスも良い人だったので、小さな頃によく連れていってくれた海水浴、プール、遊園地、冬はスケート。公園でバトミントンの相手をしてくれたり、縄跳び、コマ回しなんかも教えてくれました。私が10歳の頃に接待ゴルフなるものが流行り出し、打ちっぱなしにもよく連れていかれました。なので、アクティブなイメージがある反面、囲碁や庭仕事(いまどきのガーデニングではないですが)なんかにも凝ってて、今思えばよく遊ぶ人ですねぇ(苦笑)。当時の父の年齢をそろそろ越しそうな私ですが、あんな元気はありません。
     祖父母を今でも偲ぶことはあります。子供時代の幸せな思い出が凝縮されてますから。供養になってたら嬉しいです。お墓参りもままならないので。
     
     

    ユーザーID:5964063049

  • わぁ、良いトピですね

    totoroさん、全然「駄」じゃないです。なんだかしみじみしてしまいました。

    私も父が大好きでした。娘を身ごもった年に他界してしまい、孫の顔を見せられなかったことが一番心のこりです‥。

    小学五年までは父と一緒のおふとんで寝てましたが、冬場私の冷たくなった足を父の足の間に挟みこんであっためてもらってたんです。
    なんの文句も言わず私の足があったかくなるまでずっと。

    安心して眠りについた覚えがあります。

    今も季節関係なく、夫の足に自分の足を挟んで眠っています(笑)

    ユーザーID:2621040922

  • すっかり埋もれてしまって

    Nさん良く相手してくれる、いいお父様でよかったですね。うちの父は昔人間なので、ほとんど相手はしてもらえませんでしたが、それでも、珍しい事があったんですよ。
    一度でしたが遠くの町まで出かけた折に、クリスマスケーキを買ってきてくれた事があります。当時は田舎にはこんなハイカラな物はなくて、町でもあまり目にしない時代だったので、箱を見た時は家族みんなが驚いたのですが、、、
    それが開けて見たら、箱を横にして小脇に挟んで持ってたせいで、せっかくのケーキもすっかり崩れてしまってて。それでも何とか分けて食べたのですが、、、何故か私は味を覚えてないんですよね〜。初めて口にしたケーキなのに。

    望菜桃さん、子供が生まれる前に、父が他界したのは私も同じです。やはりちょっと残念でしたね〜。 
    後々少しばかり俳句を詠むものですから、その中に子供を入れるようにしました。例えば、「初孫の 麦藁帽子 祖父のそば」などのように。 

    単に一人で作って楽しんできた俳句ですが、こんな所で役に立つ?なんて、愚作も続けててよかったと、こんなに強く思った事はなかったです。

    ユーザーID:0711638302

  • 懐かしい思い出

    うちの父親は大酒飲みで稼いだお金は全て酒代に消えていたので、実家は大変貧乏でした。そんな父も私には甘くてよく一緒にお風呂に入っては、私の髪をとても丁寧に洗ってくれました。そんな時必ず、手の甲を濡らさない様に私の髪を洗ってくれるのですが、毎回手の甲が乾いているのである日何気無く聞いてみると「おまえの目元や額にアワが付いたらいつでも拭けるから濡れない様にしてるんだよ」っと・・・その時は自分が非常に大事にされているんだなと感じて嬉しかったです。後は家族で海に行った時に広い背中に捕まって海に潜った事や、ジュースやハムを買って兄と三人で山奥の滝まで車で行って、沢の水にそれをつけて冷えた頃おいしく食べた事や、いなごの佃煮作りを手伝わされた事や、飼ってた鶏の首を絞めて涙ぐむ私に羽をむしりとらせたり(その後おいしく食べた私って)父親なりに私達を思いやってくれていたんだなという事を最近しみじみ思い出してます。ですがいろいろあって今では音信不通です。孫の誕生も知らないしこれからも合せようとは思いませんが・・・

    ユーザーID:9804752153

  • とーちゃん大好き!

    私の父は私が結婚式を上げた半年後亡くなったのですが 兄二人のあとの私だったので本当に可愛がられてました おいでと言われてよく父のアグラの上に乗ってました 私は今6歳と3歳の息子に おいでと言って用もなく呼び寄せ膝に乗せてます 冬は冷たい手を私のお腹で暖めてます 父の真似をして自分が癒されてます 今もなんか困ったとき『とーちゃんど〜する』と心の中で頼るし 夫と喧嘩した時も『とーちゃんに言いつけちゃる!』と思ってます
    あ〜 とーちゃんに会いたいよ〜
    トピ主さんありがとう
    なんかね嬉しいです

    ユーザーID:8999439390

  • ゆび

    私の場合、父は健在ですが高校生の頃から別居していて、一緒に暮らしていた母は険悪でしたが他界しています。
    私が新婚の頃、よく夫の膝の上に向かい合って乗ったり、夫の指の関節を噛むのが好きでした。
    しばらくして、私が幼稚園位の時、まだ家庭円満で、父の膝に座ってじゃんけんしたり、歯がむずがゆくて父の指を噛んでいたのを思い出しました。
    子供を産んでから気付いた事は、体質が母に似てきたのか、昔母が好きだった食物が食べたくなったり、自分の布団に入った時、ふと子供の頃、母の布団で昼寝した時の匂いを思い出すのです。

    ユーザーID:2945359685

  • 私の父について

    私の父は、2年前にガンで亡くなりました。
    父は、幼少の頃に結核になり、以後、脊椎カリエスを患い身長140cm足らずの身体障害者でした。
    しかし、この事実を知ったのは父が亡くなる1年前。
    医師から教えられたのです。それまで父の体型については、小さい頃に事故でそうなったのだとずっと聞かされていました。
    ところが、父が入院した際に医師から「お父さんは、昔に結核になってられますね。」と確認されました。結核菌が脊椎に入り体型を変形させたのだと言うのです。え?事故だと聞かされてますが・・と、途中で気づきました。結核は、昔は世間から恐れられていた病だった事。そうか、そうだったのか・・事故ではなく病気をだったのだ。医師も驚いてましたが、父の長い間の私への思いやりを褒めてもくれました。
    昔、父への好奇な目線が恥ずかしくて、若い頃の私は父と離れて歩いてました。思い出すと今でも胸が痛みます。私は、身長162cm。
    父の死後、脊椎カリエスを検索してみて正岡子規も同じ病気であった事を知りました。その後、「病床六尺」を読んで改めて父を偲び泣きました。
    父一人子一人の二人だけの親子でした。

    ユーザーID:3753451696

  • 優しいお父様でしたね

    あやままさん、今は音信普通とか、、、でも、思い出してみると、そのようにとても大切に育てて下さってたんですね。 成人するにつれ家庭にも色々ありますね。これからも会う積もりもないのは、とても残念な事ですが、それぞれの人生がありますから、仕方ないですよね。

    良い思いでだけたまにでも思い出してあげるのが、一番の親孝行かも知れませんよ。

    そう言えばうちの父も若い頃は大酒のみで、おまけに機嫌が悪いと、何故か台所の洗った茶碗皿を入れてあるかごを、外に投げ飛ばす癖がありましたね〜。 何度かあって母もその後が大変だったと思いますけど、田舎の事で、結構昔からの茶碗皿が沢山揃ってたので、次々と出して使ってたようです。(じゃあ私の子供時代は、よくよく古いお茶碗を使ってたのね。今気がつきました。)

    その元気のよかった父も年には勝てず、往年はワインに切り替えてたようですが、(すっぱり止めればいいのに、、)時すでに遅しで”肝硬変”で亡くなりました。 やはり飲み過ぎは肝臓をやられますね。まだ64歳と言う若さ?でした。もう少し長生きしてもらいたかったです。

     

    ユーザーID:0711638302

  • 沢山の書き込みありがとう

    皆さんの沢山の書き込みありがとうございます。 最初ぽちぽちだったので、お一人お一人にお返事しましたが、どうぞこれからは、ご自分の思い出のたけを、存分にここでお話下さい。 私はお返事しないかも知れませんが、読ませて頂きますので。

    親の子への思いやりは、何かを越えたものがありますよね。その深い思いやりは、親が我が子へだから出来る事、なのかも知れませんよね。ありがたい事です。

    ユーザーID:0711638302

  • 親父の思い出

    楽しい思い出って言えるのは小学校低学年まででした。よく山へ昆虫採取に連れて行ってもらいましたよ。当時は首都圏の土地開発が進みつつありましたがそれでもまだ自然は豊富にありましたから、カブトムシやクワガタは獲り放題でした。今考えると彼らに気の毒なことをしたと思います。20世紀の最後の年、親父の葬式の後、その場所に行ってみたのですが市が企業の自然破壊を止めているそうで昔のまま残っていましたが、昆虫が群れていた木々が歳をとって樹液も出ないようでもう何もいませんでした。諸行無常を正に肌で感じましたね。

    ユーザーID:6133164348

  • 子供の為に何かをしてあげる

    カブトムシやクワガタを取りに行くのは、子供の特権みたいなものですね。 Jean Pualさんの為にと、山へ行かれたのでしょうが、きっとお父さんも一緒に童心に返ってたのかも知れませんね。

    自然破壊を止めてるのは、ほんとにいい事だと思います。それにしても、虫たちが樹液を吸って(食べて?)生きてたとは、ちっとも知らなかったです。 

    人間も年を取ると皺が増えたり、お肌の瑞々しさが失われたりしますけど、木も同じなんですね〜。良い事を教わりました。

    ちなみに樹液は、私実は使ってるんですよ。目薬の代わりに使ったり、化粧水や飲み水に混ぜて使ったりしてます。健康に良いとかで初めたのですが、目にもいいのはちょっと驚いてます。勿論精製してあるものです。

    ユーザーID:0711638302

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