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事情があって生家がもうないが、とても懐かしくてたまらない方

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家族・友人・人間関係

凛呼

私は18歳まで一軒家で暮らしましたが、父の商売が倒産しその家を売って引越しました。20代前半から一人暮らし、現在35歳、両親はもういません。最近その生家の近くに行く機会があり幼馴染や近所の人と再会し、生家の前も通りましたが、少し改築されてはいたものの大半は変っておらず、もうすぐ20年近く経つというのに、目に焼きついた様々な思い出が浮かんで、しばらくそこを離れられませんでした。

その後毎晩生家の夢を見ます。世の中には生家がない方の方が多いかもしれません。賃貸だったら、引っ越したら終わりですし、転勤族のご家庭で生まれた方も多いと思います。もう生家の建物自体ない、という方もいらっしゃると思います。いい年をして甘ったれたことを、と思う方もいると思いますが、たとえ中は様変わりしていても、又一度中を見せてもらいたい、なんて思ってしまいます。。
もうあの家は他人様のものなんだなあ、、という淋しさが、未だにこみ上げてきます。訪ねたばかりで、まだ印象が強いため、思い出がぶり返してきているだけかもしれませんが、、。
でも、誰でも生家の思い出って、懐かしいですよね??
駄トピでごめんなさい。

ユーザーID:9797939603

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  • 夢に出てくる

    両親が無くなり、実家は弟夫婦が継ぎました。
    実家は築40年のボロ家だったため、改築されました。まだ弟たちは住んでいます。
    家の周囲もだんだん変わって行き、年2回墓参りの時行く位では変化についていけません。
    夢の中には、昔のままの家が良く出てきます。
    違和感無くて、目覚めてから昔の家だと判ります。
    昔のままの部屋に、両親がさりげなく座っている夢を見た後は、
    しばらくぼーとしてしまいます。
    もう現実には会えないものばかりと気付くと、とてもさびしいです。

    ユーザーID:2080871235

  • 35年間の思い出

    私もトピ主さんと同じで、父の経営する会社が倒産しました
    生家も別荘もマンションもビルも工場も全て人手に渡りました
    どこも懐かしい土地です
    生まれ育った家に子供の頃から出入りしていた会社
    近くにいくと寂しくてたまらなくなります

    例え帰る場所が無くなっても思い出だけは消えないですよね

    トピ主さんのトピのお陰で穏やかな懐かしさに触れる事が出来ました
    ありがとうございます

    ユーザーID:1207619989

  • 判ります・・・

    そういう感覚は年齢や、ましてや甘ったれているという事とも違う、
    ごく普通の感情だと思いますよ。
    思い出のご生家が他人の持ち物で、しかもご両親も他界されていると言えば、どれほど寂しい事か・・・お察しします・・・

    私の生家なのですが、取り壊され、もうこの世にはありません。
    ですが、実家の家族がメインキャラの夢の場合、舞台は
    未だに古い生家です。
    私は新築の実家に10年ほど住まい、その後嫁いだのですが
    未だに古い生家の方に愛着が残っているようです。

    私の父も死んだ祖父の夢は古い生家が舞台だと言います。

    もうどこにもない夢の中だけの家・・・私が死んだらいわゆる死後の世界で
    とうに亡くなった祖父や愛犬と古い木造家屋のあの生家でずーっ暮らせたらいいな・・・なーんてセンチメンタルな事を時々妄想しています。

    ユーザーID:1790316731

  • お気持ちよくわかります

    私も親の破産で、生家に戻れなくなった経験の持ち主です。
    年齢のせいでしょうか?(笑)
    ただ、ただ懐かしいですよね。

    私の場合、東京の大学に在学中、就職活動を始める頃に突然両親が上京してきまして、
    「実は・・・」と涙ながらに説明を受けました。

    東京で、自分の将来の事ばかりに気をとられていた私にとっては、
    本当に青天の霹靂のような出来事でした。

    なので、生家とお別れもナシでした。
    本当にあっけなくて、当時は実感がありませんでしたが、
    時間が経つごとに、帰る場所を失ったんだなと実感していきました。

    昨年やっと色々な事に片がつき、両親も揃って地元に行き、墓参りをする事ができました。
    自然が多い田舎なのですが、見ていて子供の頃が懐かしくなり、
    それがきっかけで、その頃を思った散文のようなものを、ブログに書き始めました。

    トピ主さんも、色々な思い出を書き出してみては?
    文でも、絵でも、似た風景の写真でも。
    家族に、近所のおじさんやおばさんに、自然に、
    愛されて育ったんだなと改めて感じます。

    懐かしむ事は、悪いことじゃないと思いますよ。

    ユーザーID:3738497635

  • 転勤族でしたので

    子どもの頃の思い出のある土地へは、引っ越し以来一度も行っていません。もう二度と行くことはないでしょう。
    親はもとより、兄弟の間でも、自分が育った土地、と思う場所がそれぞれ違い、思い出を共有することすらできません。
    ふるさとを持つことができないのは、寂しいですよね。

    ユーザーID:1925853731

  • 家族・友人・人間関係ランキング

    一覧
  • 懐かしいです

    私の家も、もう人の手に渡っています。
    両親は二人とも、この世には居りません。

    親戚の話では、今でも建物も庭もそっくりそのまま残っているそうです。
    私は涙が止まらなくなりそうで、引越しをしてからは一度もその家を見に行ってはいません。行けない、というのが正直なところです。

    夢の中で時々、家族で暮らしていた家を見ます。
    とても寂しい気持ちになりますが、仕方のない事だと諦めるしかありません。

    私は現在32歳です。去年結婚して子供はまだ居ません。
    それなりに幸せですが、両親がいて、帰る事ができる懐かしい「家」があったら…と、時々思ってしまいます。

    でも、前に進んでいく事しかできないんですよね。
    また穏やかで幸せに暮らせるように…私も頑張ります。

    ユーザーID:3779148136

  • 私もそうです!

     私の実家は親がアパートに建て替えてしまいました(泣)。その後に住んだ家は大学3年からでしたので、家も街も何となく他人って感じで今に至ります。

     時々、見回りの為アパートに行きますが、周りはほとんど昔とは全く変わってしまって、知らない家がドンドン建っていっています。裏にあった高校は道になってしまうし、幼稚園もなくなってしまい、あるのは廃校寸前の小学校だけ。

     電車もホームがすっかり近代的に・・。何もかも変わってしまったんだなぁ・・て思います。
     
     夢にも沢山生家は出てきましたが、不思議と戸建を買ってからは出てきません。今住んでいる家って環境とか家の向きが生家にそっくりなんです。ちょっと小さいけど。
     生家が無くなって悲しいけど、その代わり稼いでくれる物件に変わったので、それはそれで良いかな?って思えるようになりましたよ。

    ユーザーID:6655142761

  • 優しい記憶

    凛呼さんこんにちは。私は夫と猫と暮らす60歳の主婦です。

    実家は20代の頃に建て直し、10年前には高齢になった独り暮らしの母の為に大幅な改築を施し現在に至ります。
    言うまでも無く、建て直しや改築を経た現在の家が一番立派です。
    それなのに、夢に出てくるのはいつも決まって幼少時の古い狭い家なのです。其処に居る私が子どもなら納得なのですが、何故か今の私だったりもするのです。
    日常に紛れ、普段は思い起こすことも忘れているのに、夢の中の記憶は驚くほど鮮明で、他の方も仰るように、目覚めた直後は懐かしさと、もう還れない悲しみに胸が痛みます。
    夢を見てしばらくは、ふと昔に帰って記憶を辿ったり、幼友達に思いを馳せたり。
    ケンカもあったし、嫌なことも少なくなかったはずなのに、記憶はそれら総てを浄化してくれ、ひたすら懐かしいのです。

    凛呼さんのご実家は大半が変わらずお在りとのこと。人手に渡ってはいても無くなってはいないのですね。
    最早夢でしか遭えない私に比べたら羨ましいです。
    実家は東京の真ん中で、家ばかりか街自体がすっぽり消えて無くなり、夢でしか遭えなくなりました。

    ユーザーID:9318411166

  • 思い出と生きていく

    昨年のちょうど今頃、ふるさとの生家が人手に渡ったという電話に、
    とてもショックを受けました。弟の家族と母は新しい家に住んでいます。

    人に貸すことはあっても、まさか売るとは思っていなかった。
    田舎の古い家で、改築もしていたけれど、少なくとも室町時代からその土地にあった、父も含め、その上で名も知らない先祖たちが生まれたり死んだりを繰り返してきた場所です。
    私には、生活に困ったとき以外は値段なんてつけてはいけないと思えたのに。もう終わってしまったけれど、この思いが伝わらないことが、なにより悲しかった。以来生家の近くには行っていません。


    あの家でのことは全部思い出になってしまった。失って初めてわかることですが、帰省しても、ただいまって言っていたのは、あの家に対してだったような気もします。切ない。

    まだ若いトピ主さんの控えめな書き込みに、じん、ときちゃいました。
    雨なんか降るとなおさらです。その家を覚えている誰かと話すだけでも
    違いますね。さよならだけが人生じゃない。
    それぞれの思い出、大切に大切に生きていきましょう。

    ユーザーID:4875519627

  • 火事で・・・

    私は賃貸でしたが、産まれてから28歳まで住んだ集合住宅を火事で無くしました。
    無くしたと言っても集合住宅なので私達が出たあとは改装して綺麗になっているんですけどね。。
    あれから10年、まだその集合住宅は残っていて、きっと誰か住んでいると思います。
    たまに何故か懐かしくなってそこへ行きたくなちゃいます、、、
    車でノロノロ運転しながら、火事ですべてを失った時の事を思い出し、結局ドップリと悲しい気持ちになって家に帰ります。。。
    私と同じ年月経っている鉄筋の住宅。いつか取り壊されるんだろうなぁ〜〜
    そう思うと余計に寂しいです。。。
    懐かしいけど、私は寂しさもこみ上げてしまいます・・・。

    ユーザーID:8520943554

  • 阪神大震災

    12年前の阪神大震災で、育った家を失いました。
    全壊で、家全体が傾いてしまい、壁も落ちてしまったため、あの日を最後にその家で生活することはできなくなりました。その後、両親は同じ土地に家を建て直しましたが、もう、思いでいっぱいのあの家は跡形もありません。兄としるしあった柱の傷も、いつも遊んだ屋根裏部屋も、もう思い出の中だけです。
    家だけでなく、町全体の景色がすべて変わってしまいました。
    自転車で走り回ったあの町は、もうありません。味気ないコンクリートの町に変わってしまいました。
    感傷的すぎる、といわれるかもしれないけれど、一度でいいから震災前のあの町を歩いてみたい。あの家で両親や兄とごはんを食べたいです。

    ユーザーID:4629176948

  • お気持ちわかります

    6歳まで住んでいた借家がとても懐かしいです。
    6歳のときに事情でその借家から車で2時間の今の実家に引越し、
    その後は行っていません。
    今でもあるのかどうかと思い、パソコンの地図で航空写真でうっすら
    とまだたたずまいが見えました。
    その借家はわたしと父と兄の3人で暮らしていました。
    母は闘病中でした。
    本来なら寂しいはずの環境なのに、父と兄にたっぷりと遊んでもらい
    毎日がとっても楽しかった、思い出深い家です。
    家の中を見たい気持ち、とってもとってもわかります。
    運良く今の住人の方が情のある方なら見せてくれるかもしれませんが、
    やはりお願いしにくいですよね。。
    前を通りかかることなら出来ると思います。
    もしかしたら、わたしがこの世で一番行きたい場所かもしれません。
    写真は自宅の前でとったものが一枚あるだけです。
    今まだわたしは30代ですが、これから年をとって家の中の景色や思い出を忘れないように時々思い出しておきましょう。

    ユーザーID:7249595224

  • 懐かしいわが家

    わたしも、実家は父の家業の倒産で高校時代に競売に掛けられました。
    玄関で私が大泣きしながら、ふと祖父を見るとやはりだまって涙を流しながらただ門標をなでていました。

    夢を見るときは、いつも自分が育った家です。結婚しても子どもが出来ても、なぜか自分の家で、今でも間取りもすべて思い出されます。
    広く、贅沢な作りの家で、まだちゃんと残っているようです。・・・というのは、私は引っ越してから全く家の前を通ったことがなく、(通れなかった)大学進学を機に上京したため、育った市にでかけても、自分の家の近所には近づかなかったのです。

    もちろん、父には家の話は全くしたことがありません。祖父母も死ぬまで、人前では懐かしがりませんでした。一昨年亡くなった祖父は最後に、「僕は家に帰るんだ」と言ったそうです。祖父にとっての家は、私たちと一緒に暮した家なのか、その話を伯母に聞いて涙が止まりませんでした。

    ユーザーID:1868871081

  • アパートですが

     生家ではありませんが、家族が一番幸せだった時の家(アパート)はあります。今はほとんど人が住んでおらず、いつ壊されてもいい感じです。
     
     その前に佇むと、当時の懐かしい思い出が目に浮かびます。
      周りをぐるっと散歩すると、嫌な事も吹っ切れる気がします。

     ずーっと残っててほしい。
     
     

    ユーザーID:7163766565

  • 映画「ALWAYS三丁目の夕日」が・・・

    東京で生まれました。

    生家はもともと賃貸で、家が立ち退き・引越しした後、再開発され、もう建物どころか地籍も跡形もありません。ちょうど、映画「ALWAYS三丁目の夕日」の昭和33年の風景を10数年くらい経過させたものが、私にとっての原風景です。東京オリンピックは済んでいたので首都高もあり、ビルも建っていました。

    けれど、共有の井戸水が路地奥にあり、神社のお手水からは冷たい水が沸き、木造の家の裏手には大きな柿の木が茂り、トイレは汲み取りで隅に便所紙が置いてありました。板塀は黒くすすけ、通りに面した庭とは到底呼べない細い細い土地からは、湿った土と苔の匂いがしていました。

    「戻って生活をしたい」とはお世辞にも思えない、質素な家でした。
    でも、映画の中で、ガラス格子の引き戸がガラガラ開けられる音を聞いて、なんともいえない懐かしさがこみ上げてきたのは、本当です。

    ユーザーID:3907318568

  • お気持ちお察しします

    トピ主さんとは事情が違いますが、
    実家の商売の都合で増改築が重なり、
    生家はまったく原型をとどめていない者です。

    現在海外で賃貸に住んでいますが、
    思い出すのは増改築の始まる前の古びた建物です。
    私もまだ7,8歳で、弟も妹もっと小さくて、
    思えばあの頃がいちばん幸せだったかなぁ。

    どなたかがブログをつけることを
    お勧めしていらっしゃいますが、私も賛成です。
    いつか生家に上がれることができればいいですね。

    買戻しも夢ではないかもしれませんよ?
    ご多幸をお祈り申し上げます。

    ユーザーID:1026060624

  • 生家に住んではいるんだけど

    廻りが凄まじく変わってしまいました。生家自体も正確に言うとかなり手が入っているので、生まれた時とは違います。

    私の場合、昔の町並みが懐かしくて懐かしくてたまりません。
    今はもうなくなってしまったお風呂屋さんの、九谷焼の鯉と富士山のペンキ絵。縁日の露店、近所にあった煮売り屋さんのしょうゆ漬けのお魚。ちょっと甘めの大豆の煮物。お菓子屋さんの小さなアイスクリームケース。

    人間ボケはじめると一番幸福だった時代しか思い出さないって言うけれど、小さな子供で、安心して両親に頼っていられた頃が、きっと私にとっては一番幸せな時代だったのでしょう。

    母が亡くなる時、家に帰りたいといいましたが、それはやはり自分が生まれ育った田舎の家の事でした。その家は今、やはり人手に渡っています。胸がつぶれる程切なかったです。

    実家も両親が亡くなり、商売も辞めたため、誰も来なくなりました。変わっていく町並みの中で取り残された一角です。兄弟は懐かしんでくれるけど、私としてはなんとも複雑な思いです。

    ユーザーID:5771167817

  • 懐かしいですね。

    生家ではないですが,子供時代を過ごした,父の仕事の都合で行った地方に
    賃貸の農家の一軒家を借りて住んでいました。
    その後,私たち子供が独立し,父は亡くなり,母も自分の実家に帰り,
    新しい借り手の方もいるので,その家に戻ることはできません。

    ただ,母は梅農家である大家さん老夫婦との交流が今もあるようで,
    この季節になると大量の梅を送って下さいます。
    それで梅干しを漬けるのが母の毎年の楽しみでして,それを
    食べるたびに,私たちを育ててくれた第二の故郷を思います。

    ちなみに,今その家にお住まいの一家には,私たちの子供の頃に
    負けないくらいの悪ガキが3人いて,お孫さんが遠くに住んでいて
    なかなか会えない大家さんたちはその子たちにメロメロだとか(笑)

    ユーザーID:2478443582

  • 皆さんありがとう!!

    皆さん同じような思いをされていると知り、なんだかほっとしました。。
    認知症になってホームに暮らしている叔母も、”家に帰る”という時の家は、嫁いで子育てをした家ではなく、戦災でとっくにない生家のようです。今の私たちのような意識がしっかりしている年齢でもこれだけ懐かしいのだから、老いて認知症になってくるとやはり記憶に残るのはその家だけになるのでしょうね、、、。

    皆さんも実家の家業が倒産、競売に、、という方が少なくなかったですが、私はその頃自分に夢中になるものがあった高校生、幸い学校まで転校しなくていい距離だったので学校も変らず、そのときはあまり淋しさや悲しさ、を感じなかったんです。新しい環境、家もそれなりに楽しめる若さでもあったし。
    ただ、今考えるとあの時の父と母は本当に身を切られるような思いだったんだろうな、、、と思います。
    もう少し、考えてあげればよかった。。。
    悔やんでも遅しですね、、、。

    あれから10日。生家の近くを訪れてから数日は続いていた夢も、見なくなりました。でもきっとふとした時にまた見ると思います。

    ユーザーID:9797939603

  • もうあんな思いは二度としたくないですね

    私も親の破産で実家を失いました。
    家の中を清算する(処分したり売却したり)場面が
    あまりに辛くて、最後の思い出は泣いて喧嘩したり
    体がボロボロになったり・・・最低最悪です。
    だからかもしれませんが、持ち家というものに
    逆に全く憧れが持てません。

    エリアと広さで人気のマンションだったらめ、
    何年も待っていた方が即購入されたようです
    次こそ、良い人が住んでいたら良いのになぁと思います。

    懐かしい風景でもありますが、
    今現在私たちがそれぞれの場所で
    それぞれの思いで暮らしているように。
    そこは、よその暮らしがあり、
    違う思い出が広がっているはず。

    家の前を見ることはあっても、中の方に声を掛けたりは
    しないでくださいね。

    夢にもたくさん種類があり、
    予知夢のようなものばかりではありません。
    仕事で悩んでる人が仕事の夢、
    借金で悩んでる人はお金の夢、
    私は、赤ちゃんが欲しいと思っていた時に
    赤ちゃんの夢ばかり見ました。
    考えてることがそのまま出ていることも多いのです。
    いつか見なくなりますよ。

    ユーザーID:1170007777

  • 自慢のわが家は

    がらーんと広い純日本家屋になぜか事務所らしきスペースが併設。風呂は五右衛門風呂。母がまきを割って火をくべていた姿が懐かしく思い出されます。トイレはぼったん式の蓋付き。便器には唐草模様が描かれていました。台所は土間にあり流し台は石造りでした。

    玄関先の庭には大きなイチジクの木があり、夏になると母と弟と私の三人で木に登って実をもいでいました。縁側のある中庭にはカエデやヤツデが植えられており大きな石のオブジェ?が置いてありありました。そのオブジェの上でポーズをとっている写真は大切な宝物です。夏の夕暮れには、西日の当たるもう一つの中庭の植物が部屋に影を落としてなんともいえない風情を醸し出していました。

    昭和40年代後半。豊かな情緒を育んでくれた自慢のわが家は、実は父の勤務する会社の所有物でした。いまは取り壊されて会社の駐車場になっています。

    ユーザーID:4753749522

  • 映画のよう…

    トピを拝読させていただき、まるで1本の映画を見たような気持ちになりました。
    誰にでも懐かしい場所や、心が帰っていくところがあるんだと思います。
    それが生家であれば思い入れはなおさらでしょう。

    私は生家ではないですが、20代の前半の頃暮らしていた都内の木造アパートのことを時々思い出します。
    その場所が夢に出てくることもしばしばです。実際に生活していたときにはお金がなくて苦しいことばかりだったのに、今ではその場所が、社会人としての自分の原点となった懐かしい場所になっているんです。一度だけ近くに寄った際に、そのアパートの前を通ってみました。10年以上経過していましたが、古いアパートは昔と変わらない状態で、少しほっとしました。でも、築30年以上たっているので、きっとあと数年以内には取り壊しになると思います。

    なんだか胸がきゅっと締め付けられるような気分です。

    ユーザーID:3361372350

  • 良い手があります!

    トピ主さまのおっしゃっている事はまったく当たり前です。私も夢は生家ばかりです。
    生家の近くに行っただけで、頭の中が煮えてくる感じがします。(大笑)

    そこでそのおセンチ(古いね)を解決する良い方法があります。

    私はあの「3丁目の夕日」の時代に育ったのですが、生まれて初めて食べたコッペパンが忘れられませんでした。
    それは学校給食用に焼いているパン工場が昼時だけ、小スペースで小売をやっていた処のコッペパンなんです。

    それが最近行って見たら、なんと驚き、まだ昼時だけパンを売っているんですよ。
    同じ種ですから、当時と全く同じ味!

    食べた瞬間、全身に再起動スイッチが入りました。(!!!!!)
    とても言葉では表わせない震えが来ましたよ。

    ですから、トピ主さんも生家には入れないにしても、
    どこか子供の頃食べた食堂なり、お菓子なり、想い出の味を
    生家の近くで食されるといいですよ。

    これは理屈じゃないです。
    ぜひ試してみてください。

    ユーザーID:9016428326

  • きっと自然なお気持ちですね…

    私も生家がありません。
    建物だけでなく、家族全員を僅か数年間に病死・事故死で亡くしました。

    それぞれの遺品を我家に少々持帰り、思い出の品の中で暮らしています。
    最後に他界した家族を看取ってから、この夏で丸3年が経とうとしているのに片付けができません。
    ある意味「平成ゴミ屋敷」かもしれません。
    早く整理すればとお元気な方は思うかもしれませんが、怠け者なのと心療内科で治療中の今はやめています。

    この家に誰一人帰ってくることはないのだなぁ…

    ○○はあのお店のカステラが大好きだったけ…

    和服で日傘の女性にすれ違ったりすると遠い日の授業参観日のこと

    あの和室の座り机で、年賀状を書いていた父の後ろ姿
    などなど
    独居中年なので、第三者に話したら本当につまらないことを繰返し、考えてしまいます。

    私の心の中に生家も家族もずっと存在しているのだと思います。
    7月のお盆の「姿の見えない里帰り」だけが1年で何よりも待遠しく、大切な日になりました。

    最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

    ユーザーID:0481910726

  • 何時になっても思い出します

    生家ってほんとにいいものなんですね。私などもう高年者に足を突っ込んだ年齢だと言うのに、今もって時々思い出すぐらいです。とっても懐かしい。10年だけしかいなかったのに、私が最初にうまれた子だからでしょうか。他の兄弟より思いもひとしおの感があります。

    最近思いついたのですが、当時の家を絵に描いて残したいと思うようになりました。幸い娘が絵が上手いので、画いて貰おうかと思っています。今少しスケッチしてるんですよ。

    ユーザーID:5462992229

  • 父が引退します

    子供の頃から引っ越しが多くて、「生家」はないのではありますが、父が商売をやっていて、その機材や設備、事務所の雰囲気が私にとっての「生家」ですかね。

    その父もとうとう引退を決め、地方に移り住みます。打ち合わせで帰省した実家(私は暮らしたことがない)は、既に片付けモードで商売道具が整理され、処分を待っている状態でした。事務所兼実家も既に売却先が決まり、引っ越しを待っている状態です。

    父の生きてきた証(まだ生きてますが)が、いよいよ処分されてしまうと思ったら、何とも言えない気持ちになって、親しんだ道具達やがらんとした事務所を愛おしく感じました。なんだか、父の下で育った子供時代がなくなってしまうような、大切なものを失うような。

    実家を出て20年も経つのに、こんな気持ちは初めてです。
    書く機会をくださってありがとうございました。

    ユーザーID:1619050946

  • トピックのタイトルを見て・・・

    ビックリしてしまいました。知らない間に私が立てたのかと・・・。

    私も事情があり、15歳で生家を離れました。今はその古い家は取り壊され、土地も人手に渡り、新しく建てられた家に知らない人達が住んでいます。

    今年初め、偶然生家のあった場所の前を車で通り過ぎました。垣根はなくなり、亡き祖父が植えた姫林檎の木はあとかたもなく、思い出の海棠も金木犀の木もなく、見たこともない立派な家が建っていました。

    あの家でずうっと暮らしていたら、と思わなくもありません。生家を離れたことでそれまで考えていたことと違う選択をせざるをえなかったことがこれまで生きてきた中でいくつかあります。でも、それらの選択が違っていたら今私はここにいなくて、今だから出会えた愛する彼ともすれ違うこともなかった人生を送っていたのかも知れないとも思います。
    生まれ育った土地を離れて現在は両親の故郷の県で暮らしています。でもいまだに父は本籍をいまはもう私達とはなんの関係もないあの生家のままにしています。独身の私の本籍もあの家の場所。父は死ぬまで本籍をうつすことはしないでしょう。私も父の籍にいる間はあの場所と繋がっています。

    ユーザーID:5761093791

  • これから

    トピ主さん、はじめまして。
    私は生家を離れてだいぶ経ちますが、
    最近事情があり生家が売られることになりました。
    広い庭に砂場や鉄棒まであって、小さい頃は幸せ
    でしたので、人手に渡ったらもう前を通れないと思います。
    きっと涙がこぼれてしまいそうです。
    両親はもっといろんな思いがあると思います。
    心の中でずーっと懐かしく想ってます。
    トピ主さんの思いもよくわかります。

    ユーザーID:0083864843

  • 大切な思い出です

    現在32歳、5年前父が経営していた会社が倒産、実家が
    差し押さえられました。

    その当時すでに私は結婚して家を出て県外におり、
    20年以上暮らした家を追い出された母と妹の切なさなど
    理解できるはずはありませんでした。

    その後、帰省した際、もう入れなくなるからと最後に
    家の中を見てきました。写真も撮ってきました。
    改築してあまり好きな家じゃなくなっていたけど、
    物であふれ返っていた家の中はがらんとしていてむなしかったです。
    20年前に買ってもらった勉強机、中学、高校、
    大学のノート、教科書、転勤族で荷物を増やせないと
    そのほとんどを置いてきました。

    切なかったです。
    自分の子にこういう思いだけはさせちゃいけないと思いました。

    しかし今は、母と兄弟3人で集まったときに小さい頃は
    きちんと家族の形があった、結果としてこうなったけれど
    悪い思い出ではないとよく話します。
    物は無くなるけれど、人の記憶は、思い出は消えないと
    身をもって知った出来事でした。

    ユーザーID:2914036226

  • 10年前までは健在していた2つの家

    幼少の頃に住んでいた家です。昨日このトピを思い出してその家のあった2つの場所を見にいきmした。
    1つ目(平屋建て)の家・・・・きれいなマンションが経っていました。
    2つ目(2階建て)の家・・・・月極駐車場となっていました。
    砂利が一杯の自転車を引いて、人一人しか通れない急な坂道も、今は整備されて車が通れるようになっている。
    大きな庭の緑もすんなりとなくなり、コンクリートとなっている。
    当時の面影はない。だが、その土地を見てむしょうに懐かしさが込みあげた。(つづきます)

    ユーザーID:5548925522

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