喧嘩をしたら終わり・・・

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家族・友人・人間関係

イン・ワンダーランド

43歳独身です。
恋愛経験もないし親しい友達もいません。
そのことを多少寂しいと思いますが、それも仕方がないという気持ちの方が勝っています。
過去の経験から、「喧嘩をしたら終わり」ということが分かっているからです。
私は人から傷つけられるのも、人を傷つけのも耐えられません。
しかし人間はどこにアキレス腱を持っているか分かりません。
思わぬ一言で相手を傷つけてしまうかもしれない、
そしてその逆も・・・
絶対に相手を傷つけない自信も傷つかない自信もない以上、
人と付き合わないのは私にできる唯一の安全策です。

どちらかが相手を傷つけた結果が喧嘩だと思います。
私は傷つけてしまった事実にも、傷つけられた事実にも耐えられません。
「なんだ、あなたは間違いを犯さない神か!」と言われそうですがその逆です。
私ほど無神経で鈍感な人間はいないと思います。
だから喧嘩に至る人間関係を避けています。
ただ、喧嘩をしてまた元通りになれる関係というものがどういうものなのか?
喧嘩をして仲直りができるということはどういうことか、聞かせてくだされば幸いです

ユーザーID:7381507597

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  • きっぱりしすぎの関係?

    喧嘩をしたら終わり、という発想が??と思いました。
    ずいぶんあっさりした関係だなぁと。。。

    トピ主さん、親子だって喧嘩しながらも大方の人は親子関係が続くのではないでしょうか。
    アキレス腱にあたる部分を切っちゃいけませんが、他の部分なら、切ったり切られたりするのが人間関係だと私は思っています。
    トピ主さんは繊細な方なのかな?

    身内よりも他人のほうが、喧嘩をしたら終わりになりがち、とは思います。
    嫌いなんじゃないよ、という思いで、自分の伝えたい事を伝えていけば、傷つけそうなことでもわかってもらえないんでしょうかね?
    日頃の人間関係で私自身をみていただいていれば、相手を怒らすような事でも受け入れてもらえる可能性はあるんじゃないかなと思っています。
    厳しい事を言って相手が怒ってしまえば確かにそれまでかもしれないけど・・・、時間をかけてやっと理解してもらえる事もあるんだなと、最近は思うようになりましたよ。

    ユーザーID:1843589198

  • わかります

    大喧嘩してまた元通りになれる相手は…私の場合、親でした。他は彼氏(結局は別れましたが)仲良かった女友達とは絶縁のまま…喧嘩は避けたかったが言わないと分からない事もあるし言っても分かり合えない事もある。激論しても無理な時は諦めました。仲良くしたい気もあったけど…年月たっても戻らない時は仕方ない!それだけの縁。別れあれば出会いも沢山あるので…親友出来るには時間かかるけど、時には喧嘩もOKでないですか?たとえ分かり合えないみたいでも気持ち伝えたい時あるし〜自分にとって大事な人とは仮面とって向き合いたいと思います!職場ではまた別かと思いますが〜人付き合いしたくない気持ちもわかります。人間関係は難しいとつくづく痛感、難題です

    ユーザーID:6716381540

  • 喧嘩は二種類

    相手を征服するためにする喧嘩と、相手と歩み寄るためにする喧嘩です。
    その違いは相互の愛情の有無で決まります。片一方だけ愛情があってもだめです。両方が互いを愛していないと。
    私が夫とする喧嘩は後者の喧嘩です。
    なので、喧嘩をするほど仲良くなれました。
    喧嘩をすると傷つきます。それは否定しません。
    でも愛のある喧嘩なら、その傷は必ず癒えます。互いにつけた傷を、また互いに癒しあえるからです。癒えた傷は強さをくれます。
    最近では少々の夫の言葉にも「また同じ攻撃?芸がないわねっ」と鼻息で吹き飛ばせるくらい強くなりました(笑)
    互いに唯一無二の存在になるために、私たちに喧嘩は必要でした。
    でも世の中には一度も喧嘩をしたことがない、というカップルもいます。一概に喧嘩が良いとは言いません。
    ただ、仲直りとセットでする喧嘩は、とても素敵なことだと思います。

    ユーザーID:6078150224

  • 喧嘩の意味

    喧嘩が怖い

    その考えは分かります。
    親であっても友達であっても、喧嘩はしたくない。
    それが普通の考えだと思います。

    でも良く考えてください。
    喧嘩をするという事は、相手の事を良く知っているからです。
    出会っていきなり喧嘩、なんてことは子供以外に絶対にありません。
    お互いが信頼し合っているからこそ、
    喧嘩(結局は自分の考えを優先させてるだけですが)をするんです。
    家族間であっても、お互いに愛情があるからこそ、喧嘩をしてもずっと一緒に居られるんです。
    それこそが、長期間に渡って築いた”絆”です。

    だから心配はいらないと思います。
    ”絆”があるからこそ、喧嘩もする。
    でも、”絆”があるからこそ、喧嘩をしてもまた笑えるんです。

    だらか、喧嘩をする事に恐れないで下さい。
    喧嘩が出来れば、その人は親友であり、理想の恋人のはずです。

    ユーザーID:4227270246

  • 喧嘩できる相手

    喧嘩を避けたいという気持ちは解りますが、相手や場合に寄ると思います。
    喧嘩によって相手をより理解したり、自分を理解されたりすることもあります。
    相手が自分にとってとても大事でその関係をずっと長く続けたいなら、喧嘩になるのを覚悟で物を言うこともあるでしょう。
    喧嘩によって、お互いの気持ちを言い合って話し合って解り合えば、前よりずっと深い仲になれるのではないでしょうか。
    もちろん解り合えずにそのまま関係が終わってしまうということもあるでしょう。
    私が喧嘩をしても仲直りができるのは、夫です。
    昔は親や姉妹でした。
    でも無駄な喧嘩はしませんよ。お互いに嫌な気持ちになったり、する意味のない喧嘩はしません。
    喧嘩をしてちゃんと話し合って、その結果謝ったり認めたり訂正したり、そうやって喧嘩する前よりずっと仲良くなっていくことってありますよ。

    ユーザーID:7199183637

  • 「喧嘩をしたら終わり」の恋愛

    そういう恋愛を1度しましたが、あっという間に終わりました。
    その人には最後まで本音を言えず。包装紙だけの贈り物みたい、中身はふたりで作っていくものなのに。
    その人は結局、自分を変えるのが全く出来ない人でした。自分が1番、いつもその人に合わせる事になるのですが、そんな事も多分気付いてないでしょう。

    人はひとりで生きていけません。寂しいなら自分も変わる勇気がないと。
    たかだか喧嘩位で壊れるのは、その状況から常に貴女が逃げていたのでしょうか。
    多分貴女はプライドの高さを取り違えてるのかもしれません。

    人は結構強いものです。
    でも、その人自身に柔軟性がなければ、当然必ず傷付くでしょう。

    そのつもりが無いなら、ひとりで生きる覚悟をする事です。

    ユーザーID:3829618539

  • 私も同じように考えていましたよ

    言いたい事を言ったら嫌われてしまう と思っていませんか?若い頃の私はそう思って、彼氏に対しても言いたい事をずっと我慢し、限界を超えてドッカーン!でGAME OVERでした。その時に相手が言い訳をしたり謝ったりしてきても、もう別れたいという自分の意思は強固で… の繰り返しでした。
    唯一のケンカできる相手が夫です。
    なぜ夫とだけはケンカできたのか。まぁ怒らせるような事を夫がして、謝ってくれたんですね。それで私も素直に怒ってると表現できました。お互いに怒ったり怒らせたりが何度かあって、徐々にお互いの意見をぶつけ合う事ができるようになりました。それまでの恋愛では、私さえ我慢していれば丸く収まるなら…と考えてしまっていました。夫との場合、ケンカと言っても単なる討論会のようなものですから、言いたい事を言ってもお互いに「自分とは考え方が違うんだなー」で済んじゃっています。ベースに愛情があるからケンカをしても、後々まで残るようなことを言ったりしませんし、翌日まで持ち越すことは殆どありません。
    そう言えば、友達とはケンカしたことないなあ…。激しい討論を交わすことはやっぱりありますけどね。

    ユーザーID:1350720933

  • なるほどー

    そういう考えもありますよね。
    私はトピ主さんとは違ってケンカばかりの人生です。
    本当に労力使うし大変ですけど
    こればっかりはどうしようもありません。

    本気でぶつかればケンカになるのは仕方ないことでは
    ないでしょうか?
    ケンカもできない家族や友達は本物じゃない気がします。
    怖いと思うでしょうが小さいことでいいので
    自分の意見を出すようにしてみてはどうでしょうか。

    ユーザーID:2820085658

  • レスありがとうございます

    「喧嘩」ということ、
    そもそもそれがよくわからないのかもしれません。

    というのも、本当の意味での・・・というのもへんですが、
    「喧嘩」というものをしたことがありません。
    そういう意味での「喧嘩をしたら終わり」ということだと思います。

    「あなたのこういうところが!」というのは、
    「あなたと言う人はだからダメなんだ!」
    という風に聞こえてしまいます。

    喧嘩とは相手との関係を終わらせる目的でするものではなく、
    相手に自分をわかって欲しい為に生じる結果の一つに過ぎないという意見もあります。

    けれどもそのような手段としての喧嘩(口論?)が
    私には関係の幕引きになってしまうのです。
    「分かって欲しい相手」=「分かっていない私」
    という方程式が私を苦しめます。

    「マイナスの瞬間があるなら、それ以外にプラスな時間があるとしてもでも誰とも付き合いたくない!」
    オールorナッシングの世界です・・・

    「喧嘩とは」破壊ではなく「建設」だという意見ですね?
    無論頭では理解できます。
    しかし理屈でなく心がついてこられません。

    ユーザーID:7381507597

  • 心で感じる

    喧嘩、嫌ですよね。
    40歳独身、喧嘩は避けたい、恥ずかしながら引きこもる性質の人間です。
    こんな私ですが喧嘩をしたら終わり、とは思っていないです。

    頭で考えるのではなく心で感じた事が嫌ではなかった経験、でしょうか。

    感情的に支離滅裂に暴言を吐いたり、突飛な行動に出た相手を嫌だと思わなかった。また、気持ちが勝って(滅多にない)感情的になった私を否定されなかった。

    逆に故意に相手を怒らせたり、嫌な気持ちにさせて感心を引く?という事をする悪趣味としか思えない場合は気持ちが醒め、今後一切関わらないモードになってしまいますね。

    喧嘩をせずに穏やかに暮している方は沢山いらっしゃると思います。そういった方々とお付き合いされたら良いのでは?

    ユーザーID:1433308041

  • 必要な人かどうか

    >ただ、喧嘩をしてまた元通りになれる関係というものがどういうものなのか?
    >喧嘩をして仲直りができるということはどういうことか、聞かせてくだされば幸いです

    究極、突き詰めて考えてみると、
    「相手にとって、必要な人かどうか」ということではないでしょうか?
    喧嘩をしても、それでも、離れたくない、別れたくない、
    そういう人かどうか?
    そういう「必要な人」なら、喧嘩をしてもまた元通りになろうとすると思います。

    どうでも良い薄い付き合い、究極、自分の人生からいなくなってもいい、と思える人なら、喧嘩したあとは縁が切れてしまうと思います。

    逆に、喧嘩しても別れたくない、一緒にいたいと思う相手なら、
    喧嘩をしたあとも、「前のように仲良くなっていこう」と努力するのではないでしょうか。

    ユーザーID:4879627793

  • 聞いても無駄

    どういうことか、聞かせてください、ですか?

    でも多分、どれほどの言葉を尽くして説明しても、ムダだと思います。それは自分で体験してみないと分からないものだから。

    傷つくのがイヤだろうが、傷つけたくなかろうが、それでも体験してみないと分からないのです。いやな思いをするかもしれないし、そういう友情は思ったほどいいものでもなくて失望するかもしれないけど、それでも、体験してみるしか理解する手立てはないのです。

    一生このまま知らないか、傷つく覚悟で飛び込むか、どちらかしかないと思います。

    ユーザーID:6327043165

  • 深い付き合い

    傷つかない部分で深く関わらずうまく乗り越えていくことももちろん可能ですし
    そういう生き方も否定はしませんが。。
    読んで思ったのは、全て自分の気持ちに寄り添って同じ考えを持ってくれる人は
    自分のコピーロボットしかいないということです。
    ぶつかる事があってもハッと気がついたり教えられる事がよくあります。
    自分と違うものを受け入れるのは苦しいですが
    それを受け入れて人を認めないと人とは打ち解けられないと思います。
    私も人間関係で悩む時、自分に向かって上記のことを思い
    反省しつつ関係を大切にしようと心がけています。

    ユーザーID:0974104710

  • 興味

    少なくとも、喧嘩は相手に興味がないと出来ません。

    確かにその『興味』も好感があるものから嫌らしいものまで様々だと思います。

    でも本当に嫌いな相手なら、喧嘩すらしません。最初から嫌いな相手を自
    分の中では無き者にし、完全に無視・シカトするでしょう。
    傷付くのも嫌ですが、このような形で処理されるのも私はもっと嫌です。上辺だけのお付き合いもこの仲間に含むと思います。だって全然相手の心が伝わってこないし会って別れた後、とても虚しく寂しい気持ちになりますから。

    それを考えると喧嘩とは、確かに相手は怒っているけどその根底にはアナタに分かって欲しい・自分を受入れて欲しいと言う気持ちがあるのだと思うのです。

    私は喧嘩や怒られることは多々ありました。
    傷付くことも多かったけど、『こんな考えもあるんだなあ』と人間としての幅が広がった気がします。
    特にその相手が夫だと、より相手の心に近づいて愛しい気持ちが増幅される気がしました。

    トピ主さんは喧嘩に何かトラウマがあるのでしょうか・・?
    喧嘩の意味を知ることも大事ですが喧嘩を恐れてる原因も探って見るといいかもしれませんね

    ユーザーID:2872754315

  • 雨降って地固まる

    相手の行動が気になって言いたくなる時もあるでしょうし、
    自分の我侭を押し通したい時に、強い口調になる時もあるでしょう。

    その行為が、お互いに未熟な部分を論うというか、
    批判しているように感じるのではありませんか?

    批判を口にする時、相手に準備が出来ているときは良いのですが、
    別の事にとらわれていたり、プライドや、いろんな要素があって素直に聞けない。
    その結果、喧嘩になってしまうのではないかと、私は思います。

    人間ってそもそも未熟で傲慢な生き物で、
    人を思いやれなかったり、自分の思い込みで偏っていたり・・。
    誰かに教えてもらわないと、わからない時がありますよね。

    でも相手に準備が出来ている時なら、言い合いにならないのではないか?
    と思う事は、経験上、多くあります。
    言い出すタイミングや言葉を選んだら、すんなり行く事もあるのではないかと。

    お互いに意見を言い合い、冷静にわかりあう努力が出来るのであれば、
    「わからない!」と突っぱねる喧嘩にはならないのではないでしょうか?

    喧嘩が嫌だからと教え合いが出来ないのは、勿体無い事だと思います。

    ユーザーID:2049970956

  • 遅すぎる・・・

    <ただ、喧嘩をしてまた元通りになれる関係というものがどういうものなのか?
    <喧嘩をして仲直りができるということはどういうことか、聞かせてくだされば幸いです

    これは経験しないと分かりません。普通は2,3歳までには経験しますが。人は他人がいて、初めて自分という存在が発生します。あなたのように、何も経験しないで寂しいと思いながらも、それが仕方ないのなら、何もわざわざここで質問する理由はないのでは?

    あなたの中に、人と関わりたい、喧嘩が大切かも、と思う心があるからトピをお立てになったのではないですか?

    経験せずにその世界を覗き見だけしようとしたいのは分かりますが、人と人、ある意味ぶつかり合うのが喧嘩です。ここでいくら聞いても答えは出ません。

    かといって、今からの喧嘩はきついですよ。子供の時のように掴み合いはできないし、大きな声も出せないし。ヘタに喧嘩すると変な奴扱いされるかもしれないし。
    年齢からするとそれ相応の地位もおありでしょうし、今のままの暮らしが賢明では?

    ユーザーID:3541229594

  • 喧嘩、したいですよ・・・

    みなさんお忙しいところ、たくさんのレスを書いてくださりありがとうございます。
    この前のレスでも書きましたが、補足の意味で書き足します。
    一般の多くの意見は「喧嘩」は「起点」であって「終点」ではない、
    ということのように感じています。

    質問の仕方に問題があったと思いますが、
    私には「喧嘩」の経験はありません。

    画家のホイッスラーは、「この絵を否定することは私のこれまでの全人生を否定することだ!」と。
    これは独特の感じ方で理解を求めるのは困難ですが、
    私には、「部分否定」ということがわかりません。
    ホイッスラーの言葉を借りれば、「お茶の飲み方」を否定(注意)されたということは、
    私には「私という人間全体を否定されたこと」になってしまうのです。

    同様の考えが相手に対してもあるので、相手の一部を否定することは相手の存在を否定することと思い、
    嫌なことも口にはしません。

    皆さんのレスを拝見して、
    そもそもの質問の最後の2行は不要だったと感じました。

    言いたいことも言わず、相手の批判に耳を塞いで生きるのに疲れました・・・

    ユーザーID:7381507597

  • 筋トレです

    喧嘩って筋トレに似てます。

    筋トレって、筋肉に負荷(攻撃)を加えて傷をつけるんです。
    そうすると筋肉って、傷を治すのと同時に太くなるんです。

    喧嘩って、まさにこれだと思ってます。
    絆を深めたいから喧嘩するんです。衝突を厭わないんです。洗いざらいぶちまけるんです。
    だって、そうすれば太くなるから。
    本当に大切な相手とは小さなことから大きなことまで、お互い主張することを心がけます。
    それで関係が一時的に悪くなることはあっても、必ずその関係は太く密接へと変化します。今まで以上に。
    一回も転んだことがないと、転んだときの痛みに弱いでしょう。
    でも、何度も転べば平気になったりします。喧嘩って心を強くするものだと思います。
    喧嘩の根っこは愛情と誠意です。悪意ではありません。
    否定ではなく、受け入れるから衝突するんですよ。
    言ってみれば感情的なじゃれあいであり、甘え行動ですよ。

    そもそも喧嘩は否定じゃないんです。「あなたのそういうところ嫌い」といわれても
    それは否定でも拒絶でもない。受け入れなんです。
    注意や批判は非難ではありませんよ。

    ユーザーID:6403742785

  • 幼少時の育てられ方

    子供の頃に、親に叱られたその後、受け入れられた経験が希薄なのではないでしょうか。
    普通は、怒られても、そのあと抱きしめられたり、笑顔で話しかけられたりして、
    「怒られること、イコール、存在否定」にはならないと思います。

    ただ、極端な育てられ方をして、
    怒られたその後、「受け入れられた」という記憶が無いと、
    否定されてそのまま受け入れてもらえなかった記憶だけが残り、
    「全肯定」か「全否定」の、両極端という価値観になってしまうと思います。

    そして、自分で無意識のうちに、そういう人とばかり縁を持つようになりがちです。

    ちょっと気まずくなっても、その後、何事もなかったかのように
    さらっと、もとの普通の関係に戻る人もたくさんいます。
    そういう人と積極的に縁を持つよう、意識を変えてみてはいかがでしょうか。

    ユーザーID:9815946401

  • 追伸

    「ヤマアラシジレンマ」という言葉を聞いたことがある方も多いでしょう。
    2匹のヤマアラシがお互い暖をとる為にくっつこうとするのですが、
    お互いの針が刺さって近づけない・・・

    ユーザーID:7381507597

  • ヨコ気味かもしれませんが…

    >画家のホイッスラーは、「この絵を否定することは私のこれまでの全人生を否定することだ!」と。
    私は絵を描くことを生業にしているので、この言葉は共感&理解できます。
    純真無垢な気持ちで本気で嘘偽り無く、全身全霊をかけた作品を、自分の一番認めてもらいたい人たちに否定された時、まさにそんな気持ちでした。
    しかし、そんな時は大人になるとそうそう無くなりました。防衛本能が発達し、自分への甘えや、ごまかし、またそれによって、一番認めてもらいたい人を見る目も濁っています。そもそも、絵を描く自分と、ほかの事をしている自分は別になりました。だから、今は否定されてもホイッスラー程の言葉にはなりません。(ホイッスラーは恐ろしく純粋に自分を愛しているのでしょうね)
    ちなみに私は、分かり合うための喧嘩は好きです。否定されても大丈夫。私にはいろんな部分があるし、目の前にいる人によっても違う。何より自分の知らない自分をまだまだ知りたい。それには人が必要です。そこに摩擦があるのは、ごく当たり前に思えます。
    ホイッスラーにつられて登場しましたが、見当違いならすみません。

    ユーザーID:5480601373

  • すごく、トピ主さんに共感。

    特に・・
    >どちらかが相手を傷つけた結果が喧嘩だと思います。
    >私は傷つけてしまった事実にも、傷つけられた事実にも耐えられません。

    私も全く同じ考えです。私も耐えられません。

    私は、他人との議論が苦手です。
    相手を納得させるだけの上手な話し方が出来ません。
    負けないように言おうとすると、ものの言い方がストレートになり、相手を思いっきり傷つけていると思います。
    その言葉に逆上して、相手は喧嘩の内容とは全く関係の無い事を持ち出してきて私を傷つけ様とし、そして私は酷く落ち込むことに・・

    なぜかそういうパターンが多く、なのでほとんどの場合余程の事でない限り、自分の意見は飲み込んでいます。

    本気で喧嘩をする時は、相手と縁を切る時。
    また相手が夫だったら、『離婚も覚悟の上で』だと思っています。

    言いたい事を言いケロッとしてられる人が、羨ましいです。

    ユーザーID:8459318706

  • 関係ない

    「ヤマアラシのジレンマ」は古典ですから知ってる人も多いでしょう。
    それは別にいいです。でも、「けんかをしても修復できる間柄」とは関係ないでしょう?

    やはり、自分の主張を固めるために余計なもので武装して「傷つきたくないんだから、みんなあっち行って!」と叫んでいるという印象です。

    中学生くらいの方の相談ならまだ荒療治のアドヴァイスもできますが、私とほぼ同世代の方には、荒療治は危険すぎる気がして何も言えません。若い頃は傷が治りやすいから怪我を覚悟で荒っぽいスポーツもできるものですが……

    他の方もおっしゃってますが、やはりここは、今のままで穏便にすごしていったほうが良いのでは、という意見に、私も傾いてまいりました。

    ユーザーID:6327043165

  • 一番たくさん喧嘩した人

    私が中学時代から三十路の今まで親しく付き合っている友人は、
    一番たくさん喧嘩した相手でもあります。
    最後に喧嘩したのは二十代前半だったでしょうか。
    そのときは散々「あんたのそういうところがキライなんだよ!」
    って互いに言い合いました。
    でも息が上がり始めた頃相手が忌々しそうに、
    「あんたってイヤなとこが一杯あるのに、なんで私はこんなにあんたが大好きなんだろう」
    みたいなことを言ってくれて、「それはこっちのセリフだよ」でつい笑ってしまい、仲直りしました。
    それからは彼女とは全然喧嘩をしなくなったなぁ。
    あの喧嘩が大人の友人関係に進化するための、通過儀礼だったのかも知れません。
    今では励まし合い支え合う頼もしい友人である彼女とは、きっと一生友だちです。
    人間ですから、年を食っても欠点は未だ残っている二人ですが。

    欠点だらけでも、喧嘩して時に傷付け合っても、どうしてだか好きなのが友だちです。
    トピ主さんはまだ「友だち」を知らないのだと思います。

    ユーザーID:4575216090

  • 喧嘩しないように生きる

    傷つくのが嫌なトピ主さん。
    ということは、相手を傷つけることは極力言わないよう、常に細心の注意を払っているのでしょうね。思慮深い方なのではと想像します。

    ならば、喧嘩せずに自分の意見を言う方法を身につけたらどうでしょうか?今はいろいろなセミナーもあるようですし、アンテナを立てておくことをお勧めします。

    喧嘩をしないことと、人と付き合わない、自分の意見を言わないというのとは、ちょっと違う気がします。
    傷つけられたくない気持ちは分かりますが、自分が自分を責める以上にひどいことをいう人って、意外といないものですよ。
    図星を指されるから傷つくのであって、自分の嫌な部分は、それはそれであっても良いと認めると、少し気持ちも楽になります。

    終わりで良いじゃないですか?
    喧嘩別れしても今のままでも、結局一人なわけですし、
    傷は出来るかもしれませんが経験も出来ます。
    安全に飽きたら、少し冒険してみても・・・いろんな人と積極的に関わる努力をされてみてはどうでしょうか。

    ユーザーID:0933688707

  • わたしも感情のある人間です。

    「関係ない」とわざわざ断り書きをしながら自説を述べられる方、
    どういう気持ちでレスを書き込まれておられるのでしょうか?
    ホイッスラーの故事にしても、ショーペンハウエルの寓話にしても、
    わたしはそれらを以って理論武装したり、自己の感受性の正当性の補強にしているわけではありません。
    現に皆さん、ホイッスラーやショーペンハウエルの言葉をかいくぐって
    私に前向きに生きるようにアドバイスしてくださっています。
    無論ここは賛同や励ましだけが許されて反対意見が排除される場所ではありません。
    しかし「関係ない」と前置きしながら、

    >傷つきたくないんだから、みんなあっち行って!」と叫んでいるという印象です。

    と、知ったような顔で人を裁くのはあまり傲慢に過ぎませんか・・・
    「本当のこと(真実)を言っているだけですが?」と仰るかもしれませんね。
    しかし人は真実で生きているのではありません。
    むしろ真実だけでは生きられません。
    だから嘘が必要なのです。

    ユーザーID:7381507597

  • つづき

    あなたのお嫌いな喩え話をひとつ。

    子供がビタミン剤を持ってきて、
    「これ乗り物酔いにスッゴく効く薬なんだって友達が言ってたけど本当かな?」
    「それはビタミン剤だから乗り物酔いには利かないよ!」・・・これは(正しい)知識。
    「ああ。そうそう、それはほんとうによく効く薬だよ、良かったネェ!」・・・これは智慧。

    変わりたいと言う私や、喧嘩ってあなたの思ってるようなものじゃないよ!と
    私の誤認を正して下さっている皆さんのやり取りに水を差すような発言は控えていただければありがたいです。

    関係ないのですから・・・

    ユーザーID:7381507597

  • みなさんありがとう。

    みなさんのご意見身に沁みました。
    とにかく、今のままでいいとはまるで思っていません。
    >安全に飽きたら、少し冒険してみても・・・いろんな人と積極的に関わる努力をされてみてはどうでしょうか。

    仰る通りですね。

    別に主義で孤独を死守してるわけではないのだし。
    「もう遅い」とか「変わらないよ」といわれても、そうですかでは済まないのです。

    一朝一夕に変わることはないでしょうが、
    考え方を変えることからはじめようと思います。

    案ずるより産むが易し。

    励ましのお言葉、ありがとうございました。

    ワンダーランドにて・・・

    ユーザーID:7381507597

  • 喧嘩しないと駄目だと分かったのは年を取ってから。

     私は、子供の頃は大人しくて、喧嘩を避けて通っていたと思います。ただ、年を取るにつれ、喧嘩すべきときは喧嘩しないと駄目と考えるようになりました。

     否定の強い意志表示が喧嘩です。自分の考えと異なる場合、あるいは理不尽な要求等に対して否定しないことは、相手の言い分を認めてしまうことを意味します。どんな場合でも、相手の言い分を認めてしまうことは、自分の存在意義や価値を否定することでもあります。

     自分より強い人の影に隠れて、そういう強い人の庇護のもとに生きるというのもひとつの生き方ですが、それでは、何のために生まれてきたのか分かりません。一度しかない人生です。何かを残していく気持ちは持っておいたほうが良いと思います。

    ユーザーID:1309250425

  • 愛情まみれ、喧嘩まみれで絆が堅くなっていく

    会って以来10年以上になる彼氏とは、相手のことを考えるあまりに苦言を呈さねばならない時や、本当の自分をお互いに理解してもらおうとするあまりに、スッタラモンダラの喧嘩になることはしょっちゅうです。

    極端な直情径行型、ストレートな性格同士ですので、喧嘩になってくれば、それはもう激しいです。
    「アホ、バカ、マヌケ!」「わからずや、地獄に落ちろ!」(全部英語ですが)それは激しい本音の応酬。
    感情がほとばしるあまり、電話を叩きつけて切ったり、ドアをバタンと閉めたりすることも、お互い100万回くらいあります。
    お互いの言葉に傷つき合って、満身創痍になることもあります。

    しかし、しばらく離れて頭を冷やせば、傷つけられた気持ちよりも、相手に会いたいという気持ちの方がお互いに強くなってきて、
    また一緒にやっていこう、となるわけです。

    幸い、うちの場合は「雨降って地固まる」で、全てを出し合った後はその問題に関しては解決、進展しますし、どんな喧嘩になっても、愛情がベースという自覚、お互いに見限れない間柄であることの自覚が双方にあるので、「絆」は堅いと思います。

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