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運命は決して変えられない

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じゃじゃじゃじゃーん

話題

運命というものがある、という前提でお願いします。
運命とは人生の様々な出来事が決まっているスケジュール表だと
自分では考えています。

よく「運命は変えられる」という話しを聞きますが、疑問点が1つ。
そう言ってる人というのは、自分が死ぬまでのスケジュールが
分かってて言ってるんでしょうか?例えば
"19年7月10日の12時30分00秒に昼食を食べ始める"という運命があり
又、それを事前に知っていれば01秒に食べ始める事で運命を変えた
という事になりますが、自分の未来なんか分かるはずもないのに
何故変えられると言えるのでしょうか?

次に、「行くはずだった旅行に行かなかった」という設定とした場合
運命を変えたのではなく、結局は「行こうと思ってたけど行くのを
やめる」という運命なんだと思います。

そもそも何故こういうような疑問を思うようになったかというと
これまでにTVや本等で「運命は変えられる」というような
内容を濁しもなく「断言」している事からでした。

本内容に反論や御意見あれば、良い意味で皆さんと論争してみたいので
宜しくお願い致します。

ユーザーID:5551590387

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  • ふむふむ…

    なるほどと思いながらトピを読みました。確かに未来が分かる人はいませんよね。

    考えてみますと、運命は変えられるというのは、決まっている未来を変えたというよりも『思っていた未来より成功した』という意味ではないかな、と。
    一生サラリーマンだったかもしれないのが起業して社長になっている、とか。普通に結婚して家庭を持つつもりが国際結婚して海外移住している、とか(事例が貧困ですみません…)。
    程度の違いは別として、想像していた以上の生活を手にできたために運命が変わった、変えたと感じるのではないかと思います。
    事実、本やテレビで取り上げられている事例って会社を立ち上げたとかお店を開いたとかいう方たちが多くありませんか?
    夢をかなえようと頑張っても実現しないことはよくあります。それは努力が足りない場合ももちろんあるでしょうが、自分の運命上にない方向に努力して実現できないということもあると思いますね。運命を変えたと言う方たちも大変な努力をされているでしょうが、元々そうなる運命として素質をお持ちだったと私は思うので、そこのところはトピ主さんのご意見に近いかもしれません。

    ユーザーID:5265405539

  • そうそう。

    「運命」という言葉の解釈が、まさしく多岐に渡っているからでしょうね。
    出典というか、本来の意味は私にも分かりませんが。。。
    トピ主さんが不思議に思っている、彼らが言うところの「運命」の意味合いっていうのは、「人生」そのものなんじゃないでしょうか。
    「運命は変えられる、
    人生は変えることが出来る」、と。

    ユーザーID:4312793774

  • 思考も運命のうち

    トピ主さんが例にあげられている事柄は「行動」の部分。
    でも人の行動というものは全て感情が元になっています。
    運命があるとしたら、その時こう感じたああ感じただからこういう発言をするという「思考」すらも運命のうちではないでしょうか?
    「運命は変えられるのだ」と断言する人の運命には、そう考えるようプログラムされているだけなのだと思います。

    感情が発生して思考し次の行動が決まる・・・この一連の働きは切っても切り離せないものなので「なぜこの人はそう考えるのだろう?」ではなく「この人はこう考えるようプログラムされた運命なのだ」と考えれば、「運命というものは決まっている」という前提に当てはまるのでは?

    ユーザーID:1653478246

  • 運命の定義が私と違ってます

    私は運命はいつどこでだれとなにをどうした、というひとつひとつの行動ではないって思うんです。
    もっと大局的な流れ、例えば思いがけず故郷を遠く離れる、事故にあって半身不随になる、玉の輿に乗る、早くして親に死に別れる、具体的に言えばそういうことであり、トピ主さんのおっしゃるスケジュールとは異なる定義付けをしています。

    自分がいつどこでどうやって死ぬかって知る事が出来たらスケジュールたてられていいでしょうけどね…でも絶望してその場で死んじゃうかもね。

    ユーザーID:7563730932

  • 同じです・・・

    似たようなことを考えます。
    例えば「誰かの代理で急に出かけることになり、出先で転んで怪我をした」とします。
    本来だったら「行くはずだった人」がいることだけれど、その人が出かけられなくなる、代理で「私」が行き、そこへ行ったがために転んでしまった。
    悪い偶然が重なったように見えますが、これは本当はそうなる運命で、最初から決められていたことなのではないか、と思うんです。
    「本来行くはずだった人が行けなくなることで代理で出向き、そこで転ぶ」ということが。
    なので「あのときああしておけば」と悔やむ気持ちを切り替えるために「ああしないように運命の道筋ができていた。もしかしたらあっちの道に行ったかもしれない選択もあっただろうが、最初からこっちの道を行くように道順が決められていたんだ」と思っています。
    余談ですが、阿刀田高先生の短編にこのトピックと似たようなものがあります。タイトルを忘れてしまいましたが、じゃじゃじゃじゃーんさんにはぜひお勧めしたいです。

    ユーザーID:4739456715

  • そうですね。

    運命は変えられる、と言うのは、
    「ご飯を食べる時間」だとか、
    「旅行に行くのを止めた」とか、そう言う事ではなく、
    もっと大きな意味で、
    「あの時期、死に物狂いで頑張ったから、今の自分がある」とか、
    「あの時、失恋して落ち込んだが、もう一度自分を磨きなおして今の彼を見つけた。」とか、
    何かを努力して新しい運命を切り開く、と言う意味で使われるのではないでしょうか。

    人生に対して、前向きに生きていけば、
    きっともっと良いことがある。という教訓のように思います。

    未来の事なんて、誰もわからないですもんね。
    運命が変わったのか、それとも全てが運命だったのか、、、
    どちらも断言はできませんが、
    運命は変えられると思う事で、
    辛い人生を乗り越えられる人も居るんじゃないでしょうか。

    もし、全てが運命のままに生かされてる、と思うなら、
    なんだか味気ないじゃないですか。
    ただし、「彼は運命のひと」と思うのは素敵ですけど♪

    ユーザーID:2199100225

  • 物事の捉え方

    トピ主さんのいわれる「運命は変えられない」ということは物事のネガティブな捉え方。で、「運命は変えられる」は物事のポジティブな捉え方。と私は考えます。
    トピ主さんは、人生に疲れていらっしゃるのでしょうか…

    ユーザーID:0175978746

  • 思い込み!

    「運命は変えられる」というのは、まず「これが運命なんだ」と思い込んでる事が先にあって出てくるもんだと思います。
    これが運命だと思い込んでる人は、それを変えようとする時に
    「運命は変えられる」なる言葉を発するのだと思いますよ。

    しかし、テレビは本に出てくる言葉は単なるあおり文句だと思いますよ。
    ドラマやマンガなら「そういった方が感動的」程度の物で
    本気で思ってる人はいないと思いますけど。
    逆に思ってたら、思い込み激しすぎて怖い。

    ユーザーID:1203007512

  • 運命=予定

    運命って、要するにこの世でやることになっている大きな「予定」のことだと思います。
    ”何時何分にご飯を食べる”っていうのも、つまりは与えられた条件の中で言えば、決められた運命とも言えるでしょう。
    つまり、大統領であればホワイトハウスで食べることは「運命」、教員であれば教室で食べることが「運命」って言えるかも。
    でも本当の意味での運命とは、最初に言ったようにこの世でやること(学ぶこと)だろうと思います。
    たとえば17歳で初恋の人に振られることや、33歳で交通事故にあう、21歳で信頼していた人に裏切られる、など。
    そしてその後の行動はいくつもの選択肢の中から本人が選びます。
    事故後同じ症状でも、環境や気質により、リハビリを頑張って退院して職場復帰する人もいれば、リハビリをやる気が出ず入退院を繰り返す人もいる。
    そしてその先に続く道にはそれぞれまた”学ぶテーマ”が用意されている、運命として。
    でもそれら沢山の運命から、自分がどの道を行くか、どう生きるかは、やはり本人の選択次第、それが人生であり運命だと思いますよ。
    全て決まっているともいえるし、全て自分次第とも言えます。

    ユーザーID:7381422610

  • あるとしても

    原因があって結果があるわけだから、今現在の全ての状態を完璧に観測できれば、将来における全ての事柄を完璧に予測できそうですね。これを指して運命と呼ぶことはできそうです。しかし、今のところ現実的には「全ての状態を完璧に観測」すること自体が不可能です。(天気予報すらしばしば外れますし。)

    テレビや本にあるような断言って別に厳密な意味で「運命」を語ってるわけじゃないと思います。ある程度予測(主に悪い予測)が立つ事柄に対して、何らかの努力によってこれを覆すことが可能だ、という程度の話でしょ。あるいはただのオカルトか。

    ユーザーID:6209025661

  • 運命

    >運命というものがある、という前提でお願いします。

    どんな人間でも最後は死ぬ運命にあります。
    そういう意味では「運命」は存在しますね。

    >運命とは人生の様々な出来事が決まっているスケジュール表だと
    >自分では考えています。

    そこがナンセンスだとおもいます。
    運命とは文字通りそういう意味ではないとおもいます。
    ワタシが、あと何年先かには必ず死ぬのは避けることができない運命でしょうが、今日の夕食に何を食べるかまではスケジュール表には載っていないと思いますので。
    そして、今日なにを食べたかで結局は健康状態が左右され、ひいてはいつ死ぬかの遠因になるんでしょうから、運命は「変わる」んでしょうね。

    ということで避けられない運命をおもいつつ本日は鶏の唐揚に決定!

    ユーザーID:9887808854

  • 運命というものがある・・・という前提?

     それだと、「変えられる」か「変えられない」かのどちらかしか選択できないことになりますね。

     私は、運命はそのようなものではなく、自分で作り上げていくものだと思っています。
    もし、スケジュールのように決まっているのであれば、別に何もしなくてもいいわけですし・・・それよりそのスケジュール、一体誰が作っているのか気になるのですが。

     運命とは真っ白な雪の上につける自分の足跡のようなもの。
    右足を踏み出せば右足の足跡が、左足なら左足の足跡が・・・そして、手をつけると手形がつきます。
    全ては自分で決めるのです。だから皆、悩むのだと思います。
    決まっていれば悩む必要も無いのですから・・・

    ユーザーID:8164687933

  • では…

    なぜ、運命は変えられないのか教えて下さい。
    大きな意味では、変えられないのかもしれないなと思うことはありますが。だだ何かを決定する時、いくつかの選択肢があると思うんですが、選択肢がA、B、Cとあった場合、Aを選んだ場合とBを選んだ場合とCを選んだ場合では結果は違ってくると思いますが、それすらも運命なんでしょうか?

    ユーザーID:7871252160

  • どっちでもいいことですが!(まるでパスカルやね)

    まず前提を書きます。
    運命が決まっていたとしても、人はそれを知ることはできません。
    運命が決まっていなかったとしても、人はそれを知ることができません。

    さて、こういう状況下でどのように行動するのが適切だと思いますか?
    決まっていた場合には何をしても無駄といえば無駄です。でも、仮に未来が決まっていなかった場合、「決まっている」と考えて行動すると、他の選択肢を選んだ時よりも未来が悪くなる可能性があります。それに、どちらにしても未来をいいものにしようとしておいたほうがリスクも減り、精神的な満足が増えます。

    ということで、トピ主は良い意味で論争したいと書かれていますが、論争したからといって白黒が付く問題ではありませんよね。
    こういうわからない問題は正しさを考えたり、論争をするだけ無駄です。どのように考えると自分の人生にが有意義になるかを考えましょう。

    ちなみに、これと同じようなことを、パスカルが神について考えていて、神がいるかいないかは理性ではわからないので、そういうときにどのように行動したらいいかを「掛け」に置き換えて考えています。パスカルの『パンセ』を読まれることをお勧めします。

    ユーザーID:4545764060

  • 答えは結局出ないけれど、、、

    数年前思いがけず会社を辞めることになってしまい落ち込み、いろいろな方の考えや本を読んでいるうちに「これは最初から全て決まっていたことだったのかもしれない」と思った時期がありました。そう考えた方が、悩んだり人を恨んだりせずに、受け入れやすかったからです。一方、よく接する考え方で、人の一生のだいたいの筋書きや枠は決まってるけれど、自分で変えていける、というものがあります。

    運命はすべて決まっていると受け入れていたら虚しくなってきてしまい、その状態があまり好きではなかったので今は「運命が決まっているかは私は分からないんだから、決まっててもいいから今までどおりのようにやっていこう」です。

    変えられる、という方がモチベーションも上がり努力し希望も夢も出てくるから馴染みますが、時々慰めの方便、精神論と感じることもあります。その場合どういう根拠で変えられると言っているのか、という説明まで求めると「変えられる」夢を見ることができなくなってしまいます。かといって「決まっている」と断言されてもその証明や根拠は何だろうと疑問に思います。
    全然意見になってなくてスミマセン。

    ユーザーID:7574967349

  • 運命はひとつではない

    運命を川の流れのように想像してください。
    今、あなたがいる川は終着点は決まっています。これが今言える運命。
    あなたが平行して走っている別の川に移動したとします。
    移動するにはあなたの意思が入っています。
    意思がなければ元の川にいたままのはず。そして運命も占いの通り。
    あなたが自分の意思で別に川に移動したとき
    その川の終着点は今までいた川とは違っています。
    これが運命を変えるということ。
    隣の川に移動すれば運命は変わります。
    変えられるというか選べると言ったほうがいいでしょうか?
    ただし選ぶには少々自分を変える必要がありますが、、、
    何もしなければ占い師の言う「運命」のとおりになるかも。

    ユーザーID:1505073032

  • 運命を変えられるという意味

    言葉通りに受け取るとトピ主さんの言う通りなのかもしれませんが
    俗に言う「運命は変えられる」という言葉の意味は
    「このまま行くしかなく、このまま行くとこうなる」という思いこみを捨てて
    「このまま行かずに別の道がいくらでも選べる。そうすれば今思い描く未来と違う未来が
    手に入る」ということですね。

    アレはできない、コレはできない、親が言うから、決まっているから・・・
    いろんな理由で動けなくなっている人に
    多くの可能性が目の前に広がっているということを
    教えるための言葉かなと思います。

    凝り固まった頭に、多くの可能性を指し示し光明を与えるってことでしょうか。

    ユーザーID:0710181341

  • 言葉の定義自体が違う

    基本的にそういう場で語られる「運命」というのは、「悪いもの、あるいは平坦な刺激のないもの」だと思います。でも自分がやる気を出して、逆風にめげずに頑張って思ったよりも良い結果が出た時、それを「思ったよりも良い結果が出た」ではあまりインパクトが無いので、「運命に打ち勝った」と大げさに言っているのではないでしょうか。

    ですから
    >運命とは人生の様々な出来事が決まっているスケジュール表だと
    >自分では考えています
    >
    というトピ主様とは言葉の定義・前提条件が違っています。前提条件がそもそも違うので、「運命を変えた」と断言することも可能である、という事になります。

    あまり面白味のない意見になってしまいますが、結局は言葉のインパクトで番組の視聴率を上げたり本をたくさん売ったりしたいだけだと思いますよ。
    そして実際に視聴率も本の売れ行きも上がるという事は、騙される人が多いのか、騙されたい(夢を見たい)人が多いのか…。真面目に考えても肩透かしなだけかもしれませんね。

    ユーザーID:7133564820

  • 運命というのは結果論だと思います

    私は運命というのは、
    「枝分かれして選択肢が沢山あるように見えて実は選択先はすでに決まっている」
    と思ってます。
    そして、本当の意味で未来までの運命を見ることはできず
    結果として「運命だった」と思うことしかできないと思っています。

    トピ主さんの例でいうと
    01秒に昼食を食べ始めたのならば、それが本当の運命であり
    「00秒に食べ始める運命を見たから(運命を変えるために)01秒に食べよう」と思うこと自体やはり運命なんだと思います。
    そして「00秒に食べ始める」という運命は、「誤った運命」を見る運命だったのと思います。

    つまり、運命を変えたのではなく、「その運命を見たこと」「変更したこと」
    これらも初めから運命だったのではないでしょうか?

    運命は、結果に対し感謝したり諦めたりする理由に過ぎず
    確定した未来を必ず見れるとは限らないと思います。
    結果ばかりが運命ではなく、その為に行ったことそれも運命なのでしょうね。

    ユーザーID:5549128199

  • つまらない意見で申し訳ない。

    私は運命論者ではありません。

    病院と比較してみましょう。
    例えばあなたが頭が痛くて病院に行ったとします。
    色々な検査を通して原因が特定できなったらあなたは
    どう思いますか?
    この病院は信じるに足らないとは思いませんか?

    また原因が特定できたとして「これこれこういう原因で現在頭が
    痛くなっています。当然のことですのでどうにもなりません」と
    言われたら納得できますか?

    だからそういうものを売りにしている人達はあなたの現状を
    運命というもので説明し、且つ解決策を示すために「運命は
    変えられる」と言わざるを得ないのです。

    これは単純に言葉遊びですが変えられないからこそ「運命」
    と呼ぶのではないでしょうか。

    ユーザーID:8288449734

  • 堂々巡り

    運命が変わるように努力したとして、そのように変わるように運命で定められていた、と考えたら、運命が変わるということは絶対にないんですよね…

    「運命は変えられる」という広告を出している業者は、過大広告で訴えられないんでしょうかね。

    ユーザーID:0826900768

  • 私も実はそう思っています

    今をどう生きようが明日は変えられないんですよね。過去も未来も無くて「今」しか存在しないので「今を」懸命に楽しく生きるのが正解と思っています。

    でもこういう考え方が仮に真理だとして一長一短あると思います。長所はいたずらに明日を悲観したり昨日を後悔しなくなること。今!今!今!で今の連続だって捉えてると気も楽です。

    短所は「今この人とこうしてるのはあの時あの彼と別れたからだわ」とかいうロマンチックなところが無くなっちゃいますよね。あと「ターミーネーター」みたいな映画に思いっきり感情移入できなくなっちゃいます。

    ユーザーID:4959865040

  • 前提が間違っています

    「運」はありますが「運命」なんてものはありません。
    自分の「運」を変えられないと思ったとき、それが「運命」になるのです。

    ユーザーID:8575368696

  • 少なくとも

    こんなことを思い煩うのにかまけていても、いい人生にならないのは確かだと思います。

    どうせなら、その能力を何か身になる努力とか、楽しみとか、人のためとかに使いましょうよー。

    ユーザーID:6571829161

  • この世は修行の場だと思います。

    多分振り返ってみて分かる物だと思います。100歳で臨終間際にああそういえば。みたいな感じでしょうか?そういう私の今までの人生は小中高と非常に家庭が貧しく、その為色々と悔しくて悲しくて辛い経験ばかりしてきて漠然と27歳で死にたいな、それまではがむしゃらに働いてお金だけは残しておこうと思っていましたが、正にその27歳になった頃主人と出会い、結婚し出産し世間で言う所の女の幸せなる物を掴めました。今では綺麗な家に住んで欲しい物も買えて綺麗な服も着れる。何て幸せなんだろう!っといつも主人に感謝してます。で、結婚を機に姓名判断した所、やはり私の旧姓は字画が最悪で30歳頃までは苦労が耐えないというものでした。なるほどな〜だからか〜何て妙に納得しました。(そればかりではないとは思いますが)まぁ人生山あり谷ありでだからこそ人間に産まれて来て幸せだし、修行ですよねいわば。五体満足で目も見えるし、耳も聞こえるし日本にいれば何とか毎日御飯は食べれるしね。世界は広くていろんな人々がいて皆生きてる。世界が平和になれれば自分の人生何て今後どうなるか気にはならないと思います。それに気付いたのは14歳の頃です。

    ユーザーID:8587451186

  • 「運命」などありません。

    そもそも、前提が間違っていると考えます。

    人の行動や生死が既に決まっていると言う「運命」などありません。
    人は自分の生き方を、自分の選択によって切り開いているのです。

    「運命」などというのは、怪しげな占いや新興宗教が、人を追い込む為に
    使う方便でしかないです。

    「運命」によって決まっている、を前提とするから
    「運命」は変えられると言う言葉との間に矛盾が生じるだけの事です。

    ユーザーID:5032241737

  • 運命と宿命

    私が人から聞いたり本を読んだりして納得している説明です。『「運命」は変えることができるけれど、「宿命」は変えられれない。』

    「宿命」は逃れられないものだけれど、「運命」には選択権がある。「宿命」の例はというと親。生まれてきたものは変えられないです。「運命」の例えは結婚相手。人生に何度か違う運命の人に出会うものの、結婚を決定するのは自分自身で、その選択支によってその先の運命・人生が変わるというもの。人生の岐路に立たされるたびにこの言葉を思い出します。

    自分の人生の舵は自分がとっているのだ。と思うと結果が良かろうと悪かろうと自分が決めたことだと腹をくくることができるので、この解釈、結構気に入ってます。

    ユーザーID:6950753007

  • 私が思うには

    運命というのは「そうなるべくしてなること」ではないかと思います。
    物事には原因と結果があります。原因となること(元)を変えることを
    すれば結果も変えられるのではないかと思うのです。

    でも、それを運命を変えるというかどうかはわかりません。
    トピ主さんのお考えをお借りすれば「元を変える」という結果にもその
    元があるのかもしれませんよね。

    つきつめていくと、私という人間が生まれたということ、あるいはそれ
    よりずっと前・・・ビッグバンにまでさかのぼって、最初から全部が
    決まっているのかもしれないですから。

    でもね、過去を変えることは絶対にできないけれど、将来ならば、
    ある程度は自分が思った方向にしていくことはできると思います。
    自分でやればいいんだから。

    運命って、過去を思い返して初めて「ああ、それが運命だったのね」と
    思えるようなものかもしれません。

    ユーザーID:3004490723

  • 宿命は変えられない。

    友人が事故死したときに父に言われた言葉です。
    「人間って生まれ時からきっと「宿命」が決まっているのかもしれない。」と

    運命は考え方によって変るかもしれない(例えば結婚相手)
    宿命は変えられないのかな〜。

    と今は感じてます。

    >自分が死ぬまでのスケジュール
    は「運命」ではなく「宿命」というのが
    私の解釈です。

    ユーザーID:4017413185

  • 横気味ですが

    運命は変えられる。
    なぜなら、「命を運ぶ」と書くから。
    でも宿命は変えられない。
    なぜなら、「命が宿る」と書くから。
    と聞いたことがあります。
    その時は、なるほどー!と思いましたが、実際はどうなんでしょうね。

    ユーザーID:8228213489

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