運命は決して変えられない

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  • 運命と宿命

    宿命は変えられませんが、運命は変えられます。

    例えば、自分の人生において「マイホームを持つ」ということが決まっているとします。
    それは宿命ですから変えられません。

    しかし、家を建てるのか建売を購入するのか、中古物件を買うのか。
    間取りはどうか、庭は広いのか。

    これらの事項は運命ですから、努力次第でどうにでも変えることができます。

    となると、死ぬことは宿命なので変え(避け)られません。
    けれど、その宿命の中でいかに生きるかは運命なので一人ひとりどのようにでも選択できます。

    ユーザーID:6616552398

  • そうでしょうか?

    人間は、感じる→考える→行動するですよね。

    数秒後に自分がこう考えるということを、既に決まっているとするなら、それは自分の心を、自分自身でないまさに「第三者が操っている」ということになりません?

    決まっているというのは、歩いてきた足跡(過去)が変えられないという事実だけだと思いますが。

    ユーザーID:8445166574

  • 御意見有難う御座います

    「まみ」さん
    >「運」はありますが「運命」なんてものはありません。
    >自分の「運」を変えられないと思ったとき、それが「運命」になるのです。

    であるならば、疑問があります。
    「運はあるけど運命はない」と仰っているのに、最終的には
    「運を変えられなければ運命になる」というのは矛盾してないでしょうか?
    運命というものがあるのかないのか、どちらなのでしょうか?
    又、「運命はない」という結論だった場合、無いというお考えは
    どういった理由からなのでしょうか?

    運命という本内容は「幽霊はいるかいないか?」というものに似てると思います。
    きっと結論はでません。というか誰も出せないでしょう。
    メインは「変えられると断言できる理由」をお聞きしたいという物ですが
    ただ、皆さんが運命というものに対してどう考えているのかという部分も
    非常に楽しまさせて頂いています。

    超自然的という辞書の解釈から、人にはどうすることもできない物という
    解釈が出来ると思いますが、逆をいえば人の意思でどうこうできる物は
    人為的、つまり運命ではないという事になるのではないでしょうか?

    ユーザーID:5551590387

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  • あらかじめ決まっていたら悩みはこの世からなくなりますよね

    トピ主さんのおっしゃるとおりだとすると、

    人生の選択に悩まなくてもよくなりますよね。
    どうせ決まっているのだから。

    そう理解されてから、トピ主さん、悩むのやめました?
    っていうか、悩むのも人生のスケジュールの中にすでに決められてはいっているということですよね。

    へぇー。もうちょっと考えてみますね。

    ユーザーID:8445166574

  • 御意見有難う御座います

    運命:
    (1)超自然的な力に支配されて、人の上に訪れるめぐりあわせ。天命によって定められた人の運。
    「すべて―のしからしめるところ」「これも―とあきらめる」
    (2)今後の成り行き。将来。
    「主人公の―やいかに」

    調べて見たところこのような感じでした。
    超自然的と定義しているところから運命とはオカルトチックな物で
    あり、きっと人には計り知れない物が運命なのかなとも思います。

    であるならば、簡単に「変えられる」というのは滑稽ですし
    「TAC」さんが言うように、仮に治りにくい病を負ったとしても
    余命をちゃんと理解し、受け入れ、そして余命を精一杯楽しむ事が
    人生の素敵な終え方だと私は思います。

    人生は「100」だとどこかのサイトで見ました。
    悲しくてシクシク:4×9=36、楽しくてハハハハ:8×8=64、悲しみ36+楽しみ64=100
    あくまでこれもオカルト的なのでしょうが、人生は楽しい事の方が多いんだという
    運命的な解釈にもなるのかなとも思います。

    あ、ちなみに弁当べんさん。私は逆です。
    人生楽しくてしょうがない、そんな状況です(笑)

    ユーザーID:5551590387

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  • 一つの考え方として。

    こんにちは。

    私は運命など信じてはいませんが、もし運命が存在すると言う「前提」であるならば・・・。
    今この存在している時空にディメンションが多々(無限に)存在し、その時々の分岐においてそれらを選択していると仮定するならば、「運命は変えられる」と言うことになります。しかし残念ながらこれを証明しようにも、「運命は必ず存在する」と言う仮定を証明する位難しいものでしょう。

    簡単に言いますと、バック・トゥー・ザ・ヒューチャーで過去へ移動した時にその時空の流れを替えたためパラレルワールドに入り込んでしまいましたよね。これって運命が変わったと言うことになりませんか?

    ユーザーID:8088963632

  • 小学生の頃からこういう思考です

    小学生の低学年くらいの頃考えたことがあります。
    その後中学時代に養老教授を知り、「同じ考えの人がいる!」と
    思ったのでもしやメジャー思考?と期待しましたが、やはり
    これはマイノリティ思考のようです。

    運命が存在するとして、それはどこに存在するのでしょうか?
    私は運命は自分の脳内にあり、自分しか作れないものと思います。

    そもそも世界は自分の脳外に存在しているのでしょうか?
    例えばトピ主さんはそこに存在しているのでしょうか?
    私の脳が世界があるとしていてその中に
    トピ主さんがいるのかもしれません。私の脳が死ねば世界はないかも
    しれません。そもそも、脳自体他のものに作り上げられた幻想なのかも
    しれません。脳の外に世界があるなんてどう立証しますか?
    私の脳が止まった時、私はなおもこの世界があると立証できるでしょうか?

    そんなわけで、私は運命なんてものは脳内の産物でしかないと
    思っています。変えられるか?否、脳を制御することなど人には
    現段階では不可能と思っています。が、意識しないという意味で
    存在を無に近づけることは可能でしょう。

    ユーザーID:9155296503

  • 御意見有難う御座います

    500文字じゃ足りないですね・・・

    「猫の尻尾」さんが仰るように選択肢ABCがあったとしましょう。
    選択肢を確認したり、どれを選ぶか悩んだり、結果Aを選んだりと
    先ほどのレスでも書きましたが、選ぶのであれば「変えられる」という
    表現はおかしいですよね?

    「ぼんど」さんに対してですが、回答がハッキリ分かる物に関して
    論争をしても意味がないと思っています。
    例えば「犯罪は良いか悪いか」って論争しても意味ないですよね?
    又、論争とは結果を導く物ではなく、お互いの考えを語り合う事なので
    私自身皆さんの考えを聞き、反論や意見等多くを語りたいという思いで
    トピを立てました。

    皆さんの意見を再度拝見し、運命という物の提議が何なのか?という
    部分で考えや捕らえ方が様々で、主に漠然とした物だという事を感じました。
    ちょっと大袈裟かもしれませんが、
    「運命=漠然としたもの」:「運命の出会い=漠然とした出会い」
    「運命=選ぶもの」:「運命の出会い=自分が選んだ出会い」

    「運命=変えられないもの」:「運命の出会い=出会うべくして出会った」
    文字数足りない・・・

    ユーザーID:5551590387

  • トピ主のコメント(9件)全て見る
  • 未来なんて知るの怖いな

    「運命は変えられる」とは、人生の選択肢はひとつではない、くらいな軽〜い意味じゃないでしょうか。未来なんて誰にも分からない以上、可能性でしかないですからね。悩んでる人は、解決のためにできることがないか探して試してみて!くらいな意味じゃないですかね。言葉ってあいまいなものですから、雰囲気でとらえるくらいなほうがスッキリすると思います。特にこういう話はね。あんまり真剣にとらえなくていいと思いますよ。
    私の友人は、変えられるもの(選択肢があるもの)は運命、変えられないもの(いつか死ぬということ)は宿命と呼びわけてました。

    ユーザーID:1922404102

  • たぶん、誤解コメントがつくな!笑

    たぶん、トピ主にとっては誤解のコメントが付きますね。

    トピ主にとっては、色々な選択肢からどれかを選択するということも運命として決まっているのではという考えですよね。つまり、これは自分で選んだ人生といっても最初から、途中の経過も含めて結論まで全部決まっていてなぞっているだけって発想。

    ですから、トピ主に対して、選択肢が複数あるとか、どれを選ぶかは決められるというコメントをする人もいるかもしれませんが、それはトピ主に対する反論にはなりません。

    ちなみに、私のコメントの「どっちでもいいことですが!」というタイトルは、「決まってても、決まって無くても、私にとってはどっちでもいいことです」って意味です。笑

    あと、私は出かけたときにトイレにいきたくて、帰りの電車の指定を無駄にしたことがあります。他の人も私に付き合って電車に乗れませんでした!そうしたら電車が脱線して横転しました。

    これも運命で決まっていたのかもしれませんが、こういうことが多いので、普段も第六感を優先させることにしています!運命で決まっているにしても、嫌な気がしたんだよなと思いながら、嫌な目にあいたくは無いからです。笑

    ユーザーID:4545764060

  • 御意見有難う御座います(続きます)

    一通りレス読ませて頂きました。
    皆さんが一貫して共通してるのは、運命を変える・変えられないじゃなく
    運命を決める・選ぶという風な点だと感じました。

    では「選ぶもの」と仮定した場合、表現としてはどうでしょうか?
    「運命は変えられる」という表現は適さないですよね?
    これからの人生でいくつかの道があり、それを選んでいくのが運命なら
    「運命は選べる」という表現が妥当ではないかと考えます。

    「ぷん」さんが仰るような「その後の行動はいくつもの選択肢の中から本人が選ぶ」
    というものであれば、全員とまでは言いませんが老衰以外で死ぬ人は
    この世にはいなくなるんではないでしょうか?
    「33歳で事故」→「選択肢を選ぶ」→「生きる」
    「33歳で事故」→「運命」→「死亡」
    きっとどのパターンにも当てはまると思います。

    ちなみに「くわばらくわばら」さんのレスを拝見しましたが
    人間の頭の中の事ならば、それは言葉にする事が出来ます。
    思う・思わないに論点を置いているのならば、あなたがどう思って
    そしてどう変えていったか、言葉にできるのではないでしょうか?

    ユーザーID:5551590387

  • トピ主のコメント(9件)全て見る
  • 横気味ですが

    運命は変えられる。
    なぜなら、「命を運ぶ」と書くから。
    でも宿命は変えられない。
    なぜなら、「命が宿る」と書くから。
    と聞いたことがあります。
    その時は、なるほどー!と思いましたが、実際はどうなんでしょうね。

    ユーザーID:8228213489

  • 宿命は変えられない。

    友人が事故死したときに父に言われた言葉です。
    「人間って生まれ時からきっと「宿命」が決まっているのかもしれない。」と

    運命は考え方によって変るかもしれない(例えば結婚相手)
    宿命は変えられないのかな〜。

    と今は感じてます。

    >自分が死ぬまでのスケジュール
    は「運命」ではなく「宿命」というのが
    私の解釈です。

    ユーザーID:4017413185

  • 私が思うには

    運命というのは「そうなるべくしてなること」ではないかと思います。
    物事には原因と結果があります。原因となること(元)を変えることを
    すれば結果も変えられるのではないかと思うのです。

    でも、それを運命を変えるというかどうかはわかりません。
    トピ主さんのお考えをお借りすれば「元を変える」という結果にもその
    元があるのかもしれませんよね。

    つきつめていくと、私という人間が生まれたということ、あるいはそれ
    よりずっと前・・・ビッグバンにまでさかのぼって、最初から全部が
    決まっているのかもしれないですから。

    でもね、過去を変えることは絶対にできないけれど、将来ならば、
    ある程度は自分が思った方向にしていくことはできると思います。
    自分でやればいいんだから。

    運命って、過去を思い返して初めて「ああ、それが運命だったのね」と
    思えるようなものかもしれません。

    ユーザーID:3004490723

  • 運命と宿命

    私が人から聞いたり本を読んだりして納得している説明です。『「運命」は変えることができるけれど、「宿命」は変えられれない。』

    「宿命」は逃れられないものだけれど、「運命」には選択権がある。「宿命」の例はというと親。生まれてきたものは変えられないです。「運命」の例えは結婚相手。人生に何度か違う運命の人に出会うものの、結婚を決定するのは自分自身で、その選択支によってその先の運命・人生が変わるというもの。人生の岐路に立たされるたびにこの言葉を思い出します。

    自分の人生の舵は自分がとっているのだ。と思うと結果が良かろうと悪かろうと自分が決めたことだと腹をくくることができるので、この解釈、結構気に入ってます。

    ユーザーID:6950753007

  • 「運命」などありません。

    そもそも、前提が間違っていると考えます。

    人の行動や生死が既に決まっていると言う「運命」などありません。
    人は自分の生き方を、自分の選択によって切り開いているのです。

    「運命」などというのは、怪しげな占いや新興宗教が、人を追い込む為に
    使う方便でしかないです。

    「運命」によって決まっている、を前提とするから
    「運命」は変えられると言う言葉との間に矛盾が生じるだけの事です。

    ユーザーID:5032241737

  • この世は修行の場だと思います。

    多分振り返ってみて分かる物だと思います。100歳で臨終間際にああそういえば。みたいな感じでしょうか?そういう私の今までの人生は小中高と非常に家庭が貧しく、その為色々と悔しくて悲しくて辛い経験ばかりしてきて漠然と27歳で死にたいな、それまではがむしゃらに働いてお金だけは残しておこうと思っていましたが、正にその27歳になった頃主人と出会い、結婚し出産し世間で言う所の女の幸せなる物を掴めました。今では綺麗な家に住んで欲しい物も買えて綺麗な服も着れる。何て幸せなんだろう!っといつも主人に感謝してます。で、結婚を機に姓名判断した所、やはり私の旧姓は字画が最悪で30歳頃までは苦労が耐えないというものでした。なるほどな〜だからか〜何て妙に納得しました。(そればかりではないとは思いますが)まぁ人生山あり谷ありでだからこそ人間に産まれて来て幸せだし、修行ですよねいわば。五体満足で目も見えるし、耳も聞こえるし日本にいれば何とか毎日御飯は食べれるしね。世界は広くていろんな人々がいて皆生きてる。世界が平和になれれば自分の人生何て今後どうなるか気にはならないと思います。それに気付いたのは14歳の頃です。

    ユーザーID:8587451186

  • 少なくとも

    こんなことを思い煩うのにかまけていても、いい人生にならないのは確かだと思います。

    どうせなら、その能力を何か身になる努力とか、楽しみとか、人のためとかに使いましょうよー。

    ユーザーID:6571829161

  • 前提が間違っています

    「運」はありますが「運命」なんてものはありません。
    自分の「運」を変えられないと思ったとき、それが「運命」になるのです。

    ユーザーID:8575368696

  • 私も実はそう思っています

    今をどう生きようが明日は変えられないんですよね。過去も未来も無くて「今」しか存在しないので「今を」懸命に楽しく生きるのが正解と思っています。

    でもこういう考え方が仮に真理だとして一長一短あると思います。長所はいたずらに明日を悲観したり昨日を後悔しなくなること。今!今!今!で今の連続だって捉えてると気も楽です。

    短所は「今この人とこうしてるのはあの時あの彼と別れたからだわ」とかいうロマンチックなところが無くなっちゃいますよね。あと「ターミーネーター」みたいな映画に思いっきり感情移入できなくなっちゃいます。

    ユーザーID:4959865040

  • 堂々巡り

    運命が変わるように努力したとして、そのように変わるように運命で定められていた、と考えたら、運命が変わるということは絶対にないんですよね…

    「運命は変えられる」という広告を出している業者は、過大広告で訴えられないんでしょうかね。

    ユーザーID:0826900768

  • つまらない意見で申し訳ない。

    私は運命論者ではありません。

    病院と比較してみましょう。
    例えばあなたが頭が痛くて病院に行ったとします。
    色々な検査を通して原因が特定できなったらあなたは
    どう思いますか?
    この病院は信じるに足らないとは思いませんか?

    また原因が特定できたとして「これこれこういう原因で現在頭が
    痛くなっています。当然のことですのでどうにもなりません」と
    言われたら納得できますか?

    だからそういうものを売りにしている人達はあなたの現状を
    運命というもので説明し、且つ解決策を示すために「運命は
    変えられる」と言わざるを得ないのです。

    これは単純に言葉遊びですが変えられないからこそ「運命」
    と呼ぶのではないでしょうか。

    ユーザーID:8288449734

  • 運命というのは結果論だと思います

    私は運命というのは、
    「枝分かれして選択肢が沢山あるように見えて実は選択先はすでに決まっている」
    と思ってます。
    そして、本当の意味で未来までの運命を見ることはできず
    結果として「運命だった」と思うことしかできないと思っています。

    トピ主さんの例でいうと
    01秒に昼食を食べ始めたのならば、それが本当の運命であり
    「00秒に食べ始める運命を見たから(運命を変えるために)01秒に食べよう」と思うこと自体やはり運命なんだと思います。
    そして「00秒に食べ始める」という運命は、「誤った運命」を見る運命だったのと思います。

    つまり、運命を変えたのではなく、「その運命を見たこと」「変更したこと」
    これらも初めから運命だったのではないでしょうか?

    運命は、結果に対し感謝したり諦めたりする理由に過ぎず
    確定した未来を必ず見れるとは限らないと思います。
    結果ばかりが運命ではなく、その為に行ったことそれも運命なのでしょうね。

    ユーザーID:5549128199

  • 言葉の定義自体が違う

    基本的にそういう場で語られる「運命」というのは、「悪いもの、あるいは平坦な刺激のないもの」だと思います。でも自分がやる気を出して、逆風にめげずに頑張って思ったよりも良い結果が出た時、それを「思ったよりも良い結果が出た」ではあまりインパクトが無いので、「運命に打ち勝った」と大げさに言っているのではないでしょうか。

    ですから
    >運命とは人生の様々な出来事が決まっているスケジュール表だと
    >自分では考えています
    >
    というトピ主様とは言葉の定義・前提条件が違っています。前提条件がそもそも違うので、「運命を変えた」と断言することも可能である、という事になります。

    あまり面白味のない意見になってしまいますが、結局は言葉のインパクトで番組の視聴率を上げたり本をたくさん売ったりしたいだけだと思いますよ。
    そして実際に視聴率も本の売れ行きも上がるという事は、騙される人が多いのか、騙されたい(夢を見たい)人が多いのか…。真面目に考えても肩透かしなだけかもしれませんね。

    ユーザーID:7133564820

  • 運命を変えられるという意味

    言葉通りに受け取るとトピ主さんの言う通りなのかもしれませんが
    俗に言う「運命は変えられる」という言葉の意味は
    「このまま行くしかなく、このまま行くとこうなる」という思いこみを捨てて
    「このまま行かずに別の道がいくらでも選べる。そうすれば今思い描く未来と違う未来が
    手に入る」ということですね。

    アレはできない、コレはできない、親が言うから、決まっているから・・・
    いろんな理由で動けなくなっている人に
    多くの可能性が目の前に広がっているということを
    教えるための言葉かなと思います。

    凝り固まった頭に、多くの可能性を指し示し光明を与えるってことでしょうか。

    ユーザーID:0710181341

  • 運命はひとつではない

    運命を川の流れのように想像してください。
    今、あなたがいる川は終着点は決まっています。これが今言える運命。
    あなたが平行して走っている別の川に移動したとします。
    移動するにはあなたの意思が入っています。
    意思がなければ元の川にいたままのはず。そして運命も占いの通り。
    あなたが自分の意思で別に川に移動したとき
    その川の終着点は今までいた川とは違っています。
    これが運命を変えるということ。
    隣の川に移動すれば運命は変わります。
    変えられるというか選べると言ったほうがいいでしょうか?
    ただし選ぶには少々自分を変える必要がありますが、、、
    何もしなければ占い師の言う「運命」のとおりになるかも。

    ユーザーID:1505073032

  • 答えは結局出ないけれど、、、

    数年前思いがけず会社を辞めることになってしまい落ち込み、いろいろな方の考えや本を読んでいるうちに「これは最初から全て決まっていたことだったのかもしれない」と思った時期がありました。そう考えた方が、悩んだり人を恨んだりせずに、受け入れやすかったからです。一方、よく接する考え方で、人の一生のだいたいの筋書きや枠は決まってるけれど、自分で変えていける、というものがあります。

    運命はすべて決まっていると受け入れていたら虚しくなってきてしまい、その状態があまり好きではなかったので今は「運命が決まっているかは私は分からないんだから、決まっててもいいから今までどおりのようにやっていこう」です。

    変えられる、という方がモチベーションも上がり努力し希望も夢も出てくるから馴染みますが、時々慰めの方便、精神論と感じることもあります。その場合どういう根拠で変えられると言っているのか、という説明まで求めると「変えられる」夢を見ることができなくなってしまいます。かといって「決まっている」と断言されてもその証明や根拠は何だろうと疑問に思います。
    全然意見になってなくてスミマセン。

    ユーザーID:7574967349

  • どっちでもいいことですが!(まるでパスカルやね)

    まず前提を書きます。
    運命が決まっていたとしても、人はそれを知ることはできません。
    運命が決まっていなかったとしても、人はそれを知ることができません。

    さて、こういう状況下でどのように行動するのが適切だと思いますか?
    決まっていた場合には何をしても無駄といえば無駄です。でも、仮に未来が決まっていなかった場合、「決まっている」と考えて行動すると、他の選択肢を選んだ時よりも未来が悪くなる可能性があります。それに、どちらにしても未来をいいものにしようとしておいたほうがリスクも減り、精神的な満足が増えます。

    ということで、トピ主は良い意味で論争したいと書かれていますが、論争したからといって白黒が付く問題ではありませんよね。
    こういうわからない問題は正しさを考えたり、論争をするだけ無駄です。どのように考えると自分の人生にが有意義になるかを考えましょう。

    ちなみに、これと同じようなことを、パスカルが神について考えていて、神がいるかいないかは理性ではわからないので、そういうときにどのように行動したらいいかを「掛け」に置き換えて考えています。パスカルの『パンセ』を読まれることをお勧めします。

    ユーザーID:4545764060

  • では…

    なぜ、運命は変えられないのか教えて下さい。
    大きな意味では、変えられないのかもしれないなと思うことはありますが。だだ何かを決定する時、いくつかの選択肢があると思うんですが、選択肢がA、B、Cとあった場合、Aを選んだ場合とBを選んだ場合とCを選んだ場合では結果は違ってくると思いますが、それすらも運命なんでしょうか?

    ユーザーID:7871252160

  • 運命というものがある・・・という前提?

     それだと、「変えられる」か「変えられない」かのどちらかしか選択できないことになりますね。

     私は、運命はそのようなものではなく、自分で作り上げていくものだと思っています。
    もし、スケジュールのように決まっているのであれば、別に何もしなくてもいいわけですし・・・それよりそのスケジュール、一体誰が作っているのか気になるのですが。

     運命とは真っ白な雪の上につける自分の足跡のようなもの。
    右足を踏み出せば右足の足跡が、左足なら左足の足跡が・・・そして、手をつけると手形がつきます。
    全ては自分で決めるのです。だから皆、悩むのだと思います。
    決まっていれば悩む必要も無いのですから・・・

    ユーザーID:8164687933

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