バブルへGO!

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生活・身近な話題

つまさき

という映画をDVDで観ました。
バブル当時わたしは結婚したばかりですぐ妊娠し
つわり & 出産  カラダが弱く すぐ発熱していた子育てで手一杯。
東京に住んでいたにもかかわらず
踊るポンポコリンはわたしのはるか上空を過ぎ去って行きました。

当時テレビで流れていた お台場ボデコン扇子や
クリスマスの赤プリ満杯 ティファニー大行列は
本当のことだったのか と未だに疑問です。

そこで バブルを謳歌なさった方に
「バブルってこんなコト出来たんだよ」とか
「今では信じられないこんなひとがいた」という
思い出話をお聞かせしていただいて
バブルの香りをちょびっとでも嗅ぎたいなあと思う次第です。

ユーザーID:2656390435

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  • あまり言いたくはありませんが・・・

     当方に業務で来られた外資系大企業の方が、帰り際に「これから飲みに行きましょう」と言われました。(当時は常識)
     立場上お断りして帰って頂いたのですが、そのすぐ後に外から電話がかかってきて、
     「今、○○(繁華街)にいます。お待ちしておりますので。」と再度お誘いを受けました。
     それでもお断りすると、
     「助けると思って一緒に飲みに来てください。」と言われ、
     「今年度の接待費予算を使わないと来年度の接待費が減るです。」
     とのこと。
     
     でも断りました。 
     
     バブルの余韻のあった昭和63年3月31日の出来事だったと記憶しています。

    ユーザーID:3055579594

  • 超売り手市場

    バブルの絶頂期に大学を卒業しました。
    ボディコンで踊ったりティファニーに並んだりはしませんでしたが、バブルならではの就職状況でした。

    ・6月に内定を1社でも取っていないと「社会人になる気がない」と言われた。
    ・会社の説明会、交通費を会社が持つのは当たり前(参加お礼金も別に出る)。新幹線で来ても、実費+参加お礼金が支払われた。
    ・友達で、説明会参加お礼金をためて電話機を新調した人がいた(当時3万程度)。バイトをするよりも割が良かった。
    ・公務員希望者は「何で今の時期に公務員なのか」と、友達からダメ出しをされた。
    ・内定者を集めての食事会、一流ホテルのディナーは当たり前。中には海外に「事前研修」で2週間オーストラリアに行った人がいた(ちなみに2週間観光メインだったそうで)。私は高級料亭で接待された(学生なのに)。
    ・大学4年11月の就職活動でも一流企業に入れた

    謳歌したかどうかはともかく、当時から「これはおかしい」と思い続けていました。

    翌年、みごとにバブルがはじけたときにはかなりほっとしました。

    ユーザーID:7111098408

  • こんな感じでした。

    私はバブル期が終わりに近づいた頃の証券会社新入社員でした!

    それでも今では考えられない事ありましたね〜。
    忘年会などは一人13000円クラスのふぐコース、帰りは電車のある時間でもタクシー券もらってました。(家まで一時間くらいかな?)
    短大出なのでまだ20歳すぎの小娘なのに!

    2〜3年程度の先輩でもボーナスに帯ついてました。
    臨時ボーナスもあったりして…。

    男の人は株でもうけたお金で若くても4、500万の高級車に乗ってましたね。
    私も21歳くらいで自分の車買いました。(コンパクトカーですが)

    あのころの影響か?今でも金使い荒いです。貯金できません(涙)
    なんていうか欲しいものがあると我慢できないんですよね…。

    テニスして、ゴルフして、スキーして、飲んで踊ってビリヤード(古っ)
    して楽しかったです。

    でも洋服なんかいちいち高かったですよ〜。
    今みたいに安くて可愛い服なんてあんまりなかったです。
    もらった分だけ出て行くそんなバブル期でした。

    ユーザーID:9633038359

  • 私も聞いてみたい!

    私もその映画見ました。
    タイムマシーンに洗剤を入れるところが面白かったですね。

    私はちょうどバブルの頃が高校生から大学2年生くらいまででした。
    地方の高校・大学だったので、テレビでボディコンで踊りまくる
    お姉様の映像を見て、すごいと思ったことを覚えてます。

    私自身はバブルの恩恵は受けてないけれど、ふざけて
    男友達にアッシーくんやメッシーくん呼ばわりしてましたね。
    男友達の方も「たまにはアッシーになってやる」とか言って、
    面白がってました。

    学生だからあまりお金はないのだけど、友達カップルでは
    半年前からクリスマスのホテルを予約している人もいました。
    私は高め(でも10万円くらい)のプレゼントを同級生の彼氏に
    リクエストしたりしてました。

    その後バブルが崩壊して、就職活動は散々だったのですが、
    バブル時代を東京で過ごしたり、社会人だったりしたら
    どうだったかなと思うこともあります。
    私もバブルを謳歌されてたという話、聞いてみたいです!

    ユーザーID:5162720194

  • 楽しい時代!

    バブル時代は楽しかったです。
    会社の経費で色んなところで飲み食いしましたねぇ。
    美味しいお菓子、食事には恵まれました。いつも
    誰かが買ってきてくれる。誰かが連れて行ってくれるって感じで。
    男性たちは気前が良かったです。
    私はモテませんでしたが、私の同僚はよく花を贈られていました。
    みんながハッピーで、気持ちに余裕がありましたね。
    デパートはいつ行っても混んでいて、
    ファミレスも大盛況。夜眠るのが惜しいって、街全体に活気がありました。
    女性たちも綺麗でした。
    女性が女性らしく、男性が男性らしく振る舞うことが出来た時代だと思います。

    高速はいつも渋滞していたなぁ・・・。
    今の方が道が空いていて楽ですけど。

    ユーザーID:9596152560

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  • なんだったんでしょうね・・・。

    昭和63年大学卒業後、証券会社へ入社しました。

    若い姉ちゃんというだけでちやほやされ、接待に同行、某高級料亭で数万円の懐石を食べたり、飲みに行っても、帰りに上司や先輩がタクシー代で1万円くれるのが当り前でした。
    ちゃっかり自分のお小遣いにしていましたけど。(でも、返そうとしても受け取ってもらえなかったりしたので)ランチも昼からタクシーで銀座に乗りつけてんぷら屋、すし屋でお好みで食べさせてもらったり。
    ボーナスがよかったので、夏休みは海外旅行が当り前でした。
    友人は、入社1年目の冬のボーナスで70万近く貰ったと言っていました。でも、物も高かった〜洋服などは今のように安くなかったですし、ゴルフも土日だと35000円位。スキー場もいっぱいでした。
    入るのも多かったけど、出るのも多かったという感じです。

    ジュリアナには恥ずかしくて行った事がありませんし、ブランド品は品切れも多くクリスマスに買ってもらったことはなかったです。
    3つ下の弟に「どうかしてたよ、あの頃は・」と言うと、「どうかしててもいいよ、俺も一度そんな美味しい思いをしてみたかった」
    ですと。

    ユーザーID:3311764187

  • 洋服が高かったー

    ぐみさんもおっしゃってましたが、洋服が当たり前のように高かった。
    私はごくごく普通のOLでしたが、スーツはブランド物でも何でもなくても夏服で5万、冬服で10万円近くしていました。
    アルファキュービックやクリスチャン・ラクロワなんかのブランドがなつかしいですね。
    ショッキングピンクやロイヤルブルーの金ボタン、ボディコンで肩パッドのワンピースに、唇はもちサンローランの19番で決めてました。

    ユーザーID:0041544842

  • 都内で高校生してました

    アルバイト、ウェイトレス程度の仕事でも、時給1000円以下なんてやってらんねーなんて言っていました。

    ユーザーID:6817481141

  • わあ。

    皆様お返事ありがとうございます。
    わたしは今も昔も出不精なところがあり 
     あのころのテレビ映像を
    「マスコミはまったく煽ってでたらめばっかしで」と
    きっと一部のポンポコリンになってるひとたちの映像を繋げて作った映像なんだろうとこころのどこかで思っていました。

    いやーホントにあったことなんですねえ。

    なんだか お祭りに乗り遅れて地団駄踏んだ子供時代のキモチを思い出したり。

    とはいえ お調子者のわたしのことだから 
    バブルに乗れなかった当時の状況でよかったんだよ とか自分をなだめたりもするんですけど。

    ああ。お話だけでも夢のようです。

    ユーザーID:2656390435

  • トピ主のコメント(2件)全て見る
  • なつかしい

    ちょうど高校〜専門学校に通っていた時代です。

    親も景気がよかったらしく
    自分はバイトもしてたけど、別でおこずかい+お昼代やら言えばくれたので
    今のお給料よりお金つかってました。

    毎週両親と銀座でショッピング
    ギャルソン、ヨージ、トキオ・クマガイ
    たっかい服を買ってもらって(→似合う顔じゃないんですけど)
    スニーカーなんて1足も持ってなかった。
    ティータイムの紅茶は一杯1200えんなり。
    夜はレカンでフレンチ。

    いまはもう実家も離れたし、真逆の生活です。びんぼーです。

    あのときの生活、私のような性格のひとには毒でした。
    いまだにぱっぱとお金をつかうクセがぬけません。
    皆さん子どもを甘やかすのはやめましょう。

    ユーザーID:0925753380

  • お台場の扇子は

    お台場ボデコン扇子はバブルでしたっけ?
    ちなみにあれはイギリスからきたということで大人なクラブを期待していました。
    私もそうでしたが当初はパンツスタイルの女性もいたんですよ。

    それまでクラブはもちろん、若い女性で扇子を使う人は見たことはなかったのですが、
    暑がりな私は駅のホームなどでも使っていたので、あるとき店内であまりの暑さに扇子を使いました。

    驚きと羨望?の入り混じった視線を感じましたが、その後扇子を持つ人が出てきてあのように
    進化というか悪用?されてビックリしました!

    ところでバブルで一番良かったのは安全です。今は怖くて夜遊びできません

    ユーザーID:8361641492

  • 外から見たバブル

    海外在住で、バブル当時日本に仕事で何度も行きましたが、見るもの聞くものやはり異常でした。  けっして非難しているわけではないのですが、当時私のいたところでは、皆、失業・求職中の知人がいるという状態でしたので、あまりの違いに愕然としたのを覚えています。

    取引先では、全国の各支店に、ゴルフの会員権も持たせた。

    とにかく、新入社員を確保するために、人事は、かなり前例のないことをした。 そして甘やかし、そのつけはすぐに廻って来た。

    泊まっていたホテルの周りには、いつも着飾った若いカップルがたくさん。
    高級品・車でないと売れない。
    若い人は、地味な製造業から、見た目の派手な商業へ流れていった。

    日本に支店を開設する計画があったが、地価の高さ以前に、建築予定の建物でさえすでに完売のような狂乱状態で、白紙になった。

    借金で投資をすることが、当たり前のようになっていた。
    飛行機から降りてくる若い日本人の旅行客は、皆黒い服を来ていた。
    接待費を若い社員が、三十万などと平気で清算していた。 

    ユーザーID:1601634113

  • 2度めのレスです。

    偶然、主人がDVDを注文していてあまりにタイムリーで驚きながら
    昨日観てしまいました。

    もぉーいちいち反応して笑い転げながら、何とも恥ずかしい気持ちに
    なりましたが・・・。

    おネエさんは、ワンレン、原色、金ボタン、超ミニのボディコンで
    下着が見えそうでしたが、同じ露出でも、確かにヒップハングは
    なかったですね。まゆげも「太っ・・」て(笑)
    ディスコの映像も懐かしかったですが、個人的には森永ラブがすごく
    気になりました。タクシーも捕まえるのが大変でした。だいたい空車が走って
    なかったですし。

    劇団ひとりさんが行った卒業パーティのあの船(?)は、
    ディナークルーズで有名で、「部署の納涼会をたまには違ったところで
    したいので下見に付き合って」と彼氏でもない、隣の部署の先輩に連れて行かれご馳走になったことを思い出しました。
    でも、17年前は、もう経済に翳りも見られあそこまで浮かれていなかったと思いますが・・・。あの感じって20年以上前ではないでしょうかね。

    本当に不思議な気持ちにさせられた映画でした。

    ユーザーID:3311764187

  • 私もボディコン、ロングソバージュ派でした

    お台場の扇子お姉様は いわゆる『バブル』ではなかったと思いますが・・・ でもディスコ(クラブとは言いません)は大流行でしたね。綺麗な女の子たちは すぐにお店の人と顔馴染みになって お店の宣伝にもなるので『顔パス(無料)』で入れました。銀行の本店に勤めていましたが、スキーバッグに現金詰めて(一つ2億円くらいだったかな)入金に来てたお客様が時々いましたね。バブル真っ盛りに退職しましたが、いただいた花束はタクシー2台分になりましたが 別に私が特に人気あったというわけではなく 同時はこれが普通でした。すごい時代でした。

    ユーザーID:9017560900

  • 楽しかったです

    当時大学生でした。毎日バイトの後に朝までディスコ、始発で学校にいってました。ブラにTバックにパレオつけて踊ってました。バイト代は洋服とブランドもので全て消えました。飲み代や飲食費は全て男性のおごりでお金払ったことありません。飲んで、踊って、何もかも忘れられるって感じでした。今考えても、異次元世界っていうか・・・体験てきたのはいい経験でした。一言でいうと「バカ」でした。楽しすぎたなぁ・・・
    ただ、就職する前にバブルがはじけて、就職難だし、バブルボケしてた私は社会とのギャップに何年かは死にそうでした。普通の世界が辛すぎて・・・
    それだけ、常識では考えられない世界でした。

    ユーザーID:9399952211

  • 若い女性が綺麗でしたよね・・

    『ホイチョイの久々!の映画』と知り、観てみようかな?と思っていた所、この夏「家族でハワイへ飛ぶ飛行機の中」という思いがけない所で観ました。

    あの頃の風景は、ほぼあの通り・・だったと思います・・遠い記憶ですけど。
    (でも、本当の絶頂期は、あの前じゃないかしら)

    私は一部上場企業の海外営業部門にいたのですが、金曜の夜の接待後、タクシーを捕まえる穴場(新橋第一ホテルの辺り)で、タクシー券を振って空車を捕まえたりもしました。

    又、就職活動の際は、単なる会社説明会であっても交通費が支払われる事は、ごく普通の事だと思っていました。

    思えば、私が20歳そこそこの頃、幼馴染達と瀬田のアメリカ村にあるファミレス群(イエスタデイ、デニーズ、プレストン・ハウス)で深夜お茶したりしたのですが、あの頃からそういう香りがあった気がします。

    深夜も眩しく楽しかった時代。

    映画を観た後、中学生の息子に「本当にこんな時代があったの?あんなお店(ディスコ)に行っていたの?」と聞かれました。
    勿論、正直に答えました・・・ちなみに、私は会社の近所の銀座の「ラジオシティ」が好きでした。

    ユーザーID:5783525454

  • あまり恩恵なかったなぁ

    1つだけ、「あれはバブルの恩恵だったのかなぁ・・・」と思うものが。

    ディスコの只券が当たり前のように手に入っていたので、あまりお金を払ってディスコに行った記憶がありません。しかも飲み放題食べ放題だったので夕飯を食べに行っていたという感じでした。
    当時貧乏学生の私にはありがたいことです。

    あの映画、私も見ましたが、あれに出てくる学生主催の船上パーティーなんかは知らない世界ですね。

    ユーザーID:1950383317

  • 88年新卒組でした

    大学新卒後、広告関連の仕事に就きました。
    右も左もわからない若造なのに、企画書を書くだけで広告予算がつく。しかも1000万円単位。

    仲のいい取引先と「接待」と称して高い店にいきまくり。午前1時じゃタクシー拾えないからと、3時くらいまでハシゴするのが当たり前でしたね。
    有名ディスコ入口の「服装チェック」待ちの列の横をズカズカ進み、名刺でフリーパスってのも快感でした(笑)。

    給料は残業代青天井だったので、手取りで40万円くらい、ボーナスも1年目の冬から100万円オーバー。
    2年目にはそこそこの値段の輸入車を新車で購入しちゃったり。

    スキー場の大混雑も、今ではありえない現象でした。苗場スキー場や神立高原スキー場は夜が明ける前から「逆ナイター」状態で営業していたし、週末のリゾートホテルは予約でいっぱい。
    「平日にスキーしたい」という理由で、わざわざスキー場を使うロケを仕立てたなんてことも…。

    あの当時は「こんなのずっと続くわけない」って思っていましたが、その一方で「ずっと続いてくれたらうれしいな」という複雑な気分も心の片隅にありました。

    ユーザーID:1401216538

  • 高校〜大学生でした

    高校のときの修学旅行にクラスメート数人はヴィトンのでかいボストンでやってきて、普通の子がラルフかハンティングワールドで。
    シャネルのバックを持っている子もいたし。
    時計もカルティエ、シャネルなど、高校生らしからぬ時計をしている子が多かったです。

    大学時代は年末年始のバイトで、30万近くを稼ぐことができました。
    当時知り合った同い年の男の子たちは株式投資を盛んにしており、「しないやつは馬鹿だ」といっていました。

    ハイウエストのスカートやパンツ、ロングソバージュに前髪は犬のウ○コのようにきっちりカールさせて・・・。青ピンクのシャネルの口紅もしてました。スーツは相場で6万円くらい。学生なのに・・・ね。
    異様な時代でした。

    あ、就職時は氷河期です。

    ユーザーID:2434515403

  • すみませんが、誤字訂正を・・

    瀬田にあったのは「プレストン・ウッズ」だった!と、前回の書き込みを送信してから気付きました。

    そして、「ラジオシティ」は銀座と言うより、日比谷ですね。
    原田知世さん主演の映画『黒いドレスの女』のワンシーンで、このディスコが使われています。


    この映画を観ながら、タイムマシンがあって、もし・・バブルの頃に戻れたら、私は絶対!貯蓄に励むぞ!・・と思ったのでした。

    ユーザーID:5783525454

  • いちばん幸福だった時代

    私が大学生だったのが昭和の最後で、入学は61年でしたからほぼバブル世代と言っていいと思います。

    私の目からはたぶんちょっと皆さんと異なり、一番の思い出は「POPEYE」「HOT-DOG-PRESS」の雑誌2冊のことです。あのぺラッとした誌面の2週間に一度出る雑誌…毎日の生活や女性とデートという時大きな影響を受けたものでした。

    雑誌の中で提唱されるようなやり方はお金もなく無理でしたが、よく待ち合わせの前に街へ行き、道順を確認して彼女に格好のいい所を見せようとしたり、とにかくいい意味での無理や見栄を張ろうと、背伸びの頃でした。変に自然に自分らしくと、物分かりのよさがない、上昇志向の強さが自分のバブルで、いちばん幸せな時代です。

    すでに20年以上の時間も経ち、あの頃も、人も本当にあった事なのか時として感じるほど昔の話と記憶になってきました。今も時々思い出します。

    ユーザーID:4335312537

  • あのころは楽しかった!

    まさに、バブル全盛時に某メーカに就職しました。
    非常に忙しく残業が多かったですが、残業代がすべてついていたので、新人でも手取り40万以上ありました。毎年新しいスキー用品を買っていた記憶があります。
    また、当時タクシーチケットでよく都内から千葉まで帰ってました。15000円程かかったと思いますが、会社のお金だからと全然気にしていなかったですね。

    >40代勤労妻さま
    瀬田の「イエスタディ」懐かしいですね。学生時代よく行っていました。また、日比谷の「ラジオシティ」もよく会社帰りに行きました。人数制限があったので、男性は身元のチェックをされていましたね。この時ばかりは大手メーカに入って良かった(笑)と思いました。

    ユーザーID:2801052624

  • 父が…

    平成元年に証券会社に入社しました。
    証券は他に先駆けてバブルがはじけたのですが、それでもボーナスがすごかったです。

    当時、公務員だった私の父は、夕飯時、私のボーナスの額を聞いて「はあ〜」っとため息をついてました。

    同業他社にいた友人は、ランチのときに財布を持っていったことがないと言ってました。

    バブルも若さも、気づけば過ぎてました(笑)

    ユーザーID:7127721957

  • 昨日みました!

    いや〜本当にこんな時代があったんですね。
    昨日DVD観たばかりなんですが「いいなぁ〜!」なんて思って見ていました。当時私は田舎の中学1年生。テレビなどでセンスを持って踊る綺麗なお姉さん方を見ては「早く大人になって私も行きたい!」と。。結上京した時にはテレビで見たディスコはなくなってました〜。
    その後就職した先に「バブルっ娘」の先輩がいましたが、不思議ですね〜何となくバブルオーラが漂っていました。一緒にいるだけで「少しバブル」を体感できました。

    ユーザーID:2967174826

  • 時給5000円のアルバイト

    1988年、地味な国立の教育学部の大学生だった私は、時給も聞かずに、中学生の家庭教師のアルバイトを引き受けました。週に4時間教えて1ヶ月後に受け取った金額は8万円。驚きました。親御さんは、某デザイナーズブランドのハンカチやマフラーを生産する縫製工場をやっていたと思います。

    次の月には、その子の友達2人を教えるようになり(口コミ)、週12時間働いて月に24万円稼ぐようになりました。所得税もなしなので、本当に効率がよかったです。3人とも自営業の親御さんでした。

    ところが私は地味な国立の教育学部生。ジャージやスニーカー、こざっぱりとしたスカートにブラウスで十分です。グッチのバッグを持っていても変な模様・・・と言われるぐらいでしたから、お金はたまる一方。親からはきっちり仕送りをもらっていたので、卒業するときには貯蓄が800万ぐらいになっていました。

    私の生活は入りはバブル、出る方はバブルに乗り切れていませんでした。

    ユーザーID:5922077420

  • 接待で呑んでたなぁ

    バブル・・・
    当時大学病院の研究施設内で仕事してたので
    知り合った脳外科の先生たちが
    「今日さ、○○製薬の人と飲むからおいで〜♪」
    としょっちゅう誘ってもらってましたねぇ。
    そんで毎回タダ呑み。
    製薬会社の方は毎回律儀に無関係の私達(いつも5人くらい誘ってた)にまで名刺をくれてましたっけ。
    だいたい、2次会3次会と梯子した挙句〜
    「じゃ、あとヨロシクねぇ〜」
    と先生は営業マンに清算をまかせて解散・・・ってパターンだったな。

    ユーザーID:1004409167

  • まわりに振り回されている感がありましたよ

    就職は理系だったせいか、ちょっと説明会を聞きに言っただけで別室に呼ばれた。
    大学に行くと大企業の人事の方が教授のところに来られていてやっぱり別室に呼ばれた。
    友達は「説明会でお土産やお弁当、交通費が出ない会社は行かない」と言っていた。
    内定をくれた企業が学生を囲っていかに豪華な接待をしたかがよく話題になった。
    就職面接で「落ちる」などということは絶対無いと思っていた。

    「ロペ」とか「アトリエサブ」とか「ニコル」とかいわゆるDCブランドの服を着ていた。(この当時の服は、今は絶対着れない!!)
    秘書室や受付の女の子達は全員シャネルバッグでご通勤。下々(労働者系)は全員ヴィトンのバッグでご通勤。
    女の子のヘアスタイルは、ワンレンもしくは鶏のトサカじゃないけど前髪をクルッと上に丸めて立てているかどちらか。たまにソバージュという人もいた!
    金ボタンやチェーンのベルトを常に身に着けている人を「ヒカリモノ系」と呼んでいた。

    「クリスマスの赤プリ満杯」、「ティファニー大行列」は本当です。

    ユーザーID:5684633905

  • 楽しかった

    バブル期に東京は原宿でバイトしてました。
    バイト先の社員は社員旅行にイタリアへ行ったと言ってました。翌年の社員旅行は温泉・・・それでも参加者は一銭の出費もありませんでした。(全て会社の経費)
    私も当時19や20歳くらいでしたけど、財布の中には常に万札が何枚か入っていました。今じゃ我ながら信じられませんね。
    ほぼ毎晩、仕事が終わるとみんなで飲みに行ったり、ディスコ行ったり、ビリヤード行ったり・・・楽しかったです。どなたかも仰っていましたが、安心して夜遊びが出来た時代だったと思います。

    映画は見ていませんが、86〜89年頃が絶頂期だったんじゃないかなと思います。
    ジュリアナでボディコン着て扇子を振り回しながらお立ち台で踊っている女の子たちを、同性の目から見ても「恥ずかしい」と思っていました。

    今はどうか分かりませんが、コーヒーの専門店へ行くと、一杯1200円とかでした。
    カップもその人に似合ったものを選んでくれて、豆もその場で調整してくれて・・・そんなコーヒー専門店って、今でもあるんでしょうか・・・?

    ユーザーID:1679112388

  • あのお金はどこへ・・?

    私は、バブルの最盛期は、まだ大学生でしたので、本当の恩恵は受けてませんが、財布には、常に10万円は入っていました。
    女の子とデートすると、最低1日3−5万は使ってしまいましたが、なぜかすぐに、財布にお金が補充できてました。

    確かに、タクシーは捕まりづらかったですね。女の子なんか特に、乗車拒否されるので、大変だったと思います。

    あの頃使っていたお金が、少しでも残っていたらと重います。

    ユーザーID:9416933766

  • OLでした

    毎晩残業でデパートが空いている時間に買い物が出来ないので、昼休み日比谷から銀座までタクシーで往復して買い物に行っていました。普段のランチは大体1回1500円〜でしたが、給料日はランチ1万円でフルコース、夜は銀座でお寿司死ぬほど食べて3万〜なんてことをやっていました。勿論その後はタクシーで。洋服は上下で10万〜。靴は一足2万〜。バッグは当時フェンディが好きでしたが、一度に型違い、色違いまとめ買い。10万20万なんて1日で使い切っちゃう額でした。海外は年2回。100万の予算で買い物し放題でした。

    取引先の証券会社(もう今は無い・・・・)からの接待で巨人の開幕戦をドームのVIP席で見たり、大相撲も升席ご招待。こちらからの接待となると予算が一人5万円〜。今の家族3人1ヶ月の食費より高い・・・何食べてたんでしょうね?

    今は専業主婦で細々とやり繰りしています。楽しかったなー。まぁ独身OLだったから思いっきり使えたんだろうなと思います。今この年で同じ状況になっても学資保険と介護保険で消えそうな気がします。

    ユーザーID:2523171083

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