肺がん末期の様子

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心や体の悩み

なぎさ

もしも悲しいことを思い出させてしまう内容ならば本当にごめんなさい。

同居の祖父が3月に肺がん末期と医師から宣告されました。
早く退院しないと家に帰れないかもしれない程だ、とも言われ、慌てて退院。
悲しむまもなく在宅看護の手続き等済ませました。
でも、今も本当に末期なの?と思うほど比較的元気です。

今は往診で月に一回診察を受けています。レントゲンを撮るわけでもないですし、病状の詳細はわからずにいます。

でも外来で待って診察を受ける体力はありません。入院検査は本人が拒みます。

本人には告知していませんが、もともと肺き腫の病気があるのでそれが悪化していていっているものだと今も思っています。

もしもご存知の方がいらしたら、肺がんの末期はどのような症状が出てくるのか教えてもらえないでしょうか。
お年寄りなので進みがゆっくりなのでしょうか?

今は息苦しさと少しの胸の痛みを訴えています。
常に在宅酸素療法で、酸素を吸っています。

ユーザーID:6182948937

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  • ご本人の希望を尊重して

    先日家族を肺がんで亡くしました。
    診断の時点で余命3ヶ月、肺に水がたまっているので、
    それを抜いたら一時帰宅しましょう、といわれていたのですが、
    抜いても抜いてもたまってしまって。
    でも、それ以外は余命宣告が信じられないくらい、元気でした。

    1ヶ月半後に多少水が残ったまま、酸素を吸って帰宅。
    数日すごし、急に具合が悪くなり、病院に戻りました。

    そこからは坂道を転がるかのごとく、痛みも出てきて、全身のむくみも
    ひどくなりました。食事もとれず、あっという間に衰弱し、
    激しい呼吸困難が数日続き、本当に3ヶ月で旅立ってしまいました。

    入院する数日前まで、旅行に行っていたくらい元気だったんです。
    でも、お医者さまいはく、肺がんは腫瘍の部位によってギリギリまで症状は出ないけど、
    進行がストップしているわけではないので、残念ながら元気に見えても楽観はできないと。

    それに、肺がんは脳への転移が多いそうです。幸い私の家は転移はしませんでしたが、
    脳転移すると、急変して亡くなることも非常に多いそうなので、
    残りの時間をどうぞ大切になさってください。

    ユーザーID:3775683679

  • お辛いでしょうが

    私の母は乳がんが肺と肝臓に転移して末期と診断されてから、いわゆる在宅のホスピスケアに移行して、8か月の後亡くなりました。
    亡くなる1か月前までパートの仕事もしていたくらいだったのですが、最後の1か月はあっと言う間に悪くなりました。それでも亡くなる前日まで立って歩いてましたよ。

    母はその時50だったのですが、お年を召された方だと進行が遅いとききます。病気の進行度合がはっきりわからずお辛いでしょうが、無理に外来に連れていくよりは、往診の先生にお任せした方がよいかと思います。
    また、痛みが強いようでしたら、痛みを和らげるケアに移行した方がよいかと…。ほんとに見ているほうも苦しくなってくるので…。ただ、ご本人に伝えていない状態での移行は難しいかもしれませんが…。

    在宅看護は体力的にも精神的にも楽ではありませんが、ご自身も無理のないよう、おじいさまを支えてあげてくださいね。

    ユーザーID:8930258024

  • 家族も辛かったです。

    私の父は肺がんで亡くなりました。46歳になったばかりでした。
    末期の症状としては・・・
    1胸水(?)が溜まり呼吸が苦しい。
    2痛みが酷く、本人も苦しいし何も出来ない家族も苦しかった。
    3抗がん剤の副作用で吐き気が凄まじく、食べ物が取れなくなる。
    4モルヒネの副作用も酷く、意識朦朧・・・などでしょうか?
    がんの末期はホントに本人が一番辛いし苦しかったと思いますが、家族も辛かったです。
    あれから20年経ってますので、医療も進んで、薬もよくなってると思います。
    参考にならなかったら申し訳ないです・・・

    ユーザーID:3235571948

  • 母も祖母も肺がんでした。

    母は48歳の時に末期がんの宣告をされ、余命3か月と宣告をされ、1年4か月、抗がん剤投与と放射線治療のための入院以外は自宅療養の末、49歳で亡くなりました。
    祖母は伯母が面倒を見ていたので、経過を詳しくはわかりませんが、80歳で高齢だったので進行はかなり遅かったようです。

    共通に言えることは、ビックリするほど元気でした。
    本当に末期がんなの?このまま消えてしまえばいいのに!と何度も願いました。
    しかし、ある時から、せき込んで息苦しさで寝れないようなことが徐々に増えていきました。
    それから胸水が溜まるので、体を起こして寝ていました。
    何度も何度も昼でも夜中でも必死に背中を叩いたり擦ったりしました。
    母の背中も祖母の背中も今でも感触をしっかり覚えています。

    余命宣告を受けても、母とは銀座や新宿でショッピングしたり、旅行に行ったり、あの頃は本当に末期がんであることが信じられないくらい元気でした。
    今年で8年経ちますが、治療も患者が選べるような時代になって、苦しさを和らげる薬も多々あるようですから、当時とはまた違うと思います。。。

    ユーザーID:4762917479

  • 義父の場合

    私の義父も71才肺ガンで亡くなりました。
    余命は宣告されませんでしたが、末期であることは確かでした。
    (手術は無理なので化学療法のみでした)

    宣告された当初は、自分で車も運転して抗がん剤治療を受けていました。
    体力はなくなっていきましたけど、10ヶ月ぐらいは息苦しさが多少ある程度で、普通の暮らしをしてましたが、徐々に食欲がなくなって、息苦しさがひどくなってから、入院。
    そこからは徐々に寝たきりに近い状態になりました。
    すでに治療法はなかったので、酸素療法だけでしたが、
    その頃から痰が出始め、それが苦しかったようでした。
    咳き込んでも自分の力ではどうにもならなかったようです。
    生きてる事が苦しみとなり、
    『死にたい』と思ったこともあったようです(義母談)

    最後は自分から担当医に少しでも楽になる薬をと・・・
    死を覚悟してモルヒネの投与となりました。
    モルヒネの量を増やし、後は眠ったままの状態でしたが、最後はおだやかに眠ったまま永眠となりました。
    苦しさから逃れられてホッとしてあの世にいったかもしれません。

    ユーザーID:1963952878

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  • 身内が肺がんでした

    最近身内を肺がんで亡くしました。
    肺がん末期は急変することがあるので気をつけてください。
    風邪をひかせると命取りになりかねません。
    身内の場合は入院していましたが、酸素ボンベを引きずりながら元気に病院内を歩き回り、食欲も旺盛で本当に肺がん末期なの?と思う状態でしたが突然急変しました。
    最後は溺れているような苦しみだそうで、モルヒネで眠らせて間もなく息を引き取りました。
    その日がいつきてもおかしくないことを残念ながら覚悟しておいた方がいいと思います。

    ユーザーID:9694349965

  • 父が肺がんでした

    父も酸素ボンベを購入して在宅療養で、1週間に1度はタクシーを呼んで通院していました。
    冬だったので、風邪をひかせないよういつも部屋は暖かくしてました。
    父は常に咳とたんに悩まされていましたが、処方された薬で押さえ、調子がよいと酸素ボンベを持って、母が付き添いゆっくり散歩してましたが、食がどんどん細くなり、見る見るうちに動けなくなり痩せ細り、見ていてすごく辛かったです。
    それでも、どうしても暖かい沖縄の海が見たいと言い張り、医師の診断書とレントゲン、それに酸素ボンベを持って行ったときは、本当にうれしそうで、急に元気になって食欲もでて、散歩を楽しんでました。

    今思うと早いうちに沖縄で療養させたかったです。

    最後は脳に癌が転移し、入院してすぐ亡くなりました。かなり神経質な性格が災いして70歳の父の癌の進行は驚くほど早かったです。

    なぎささん、診断に納得がいかないなら、他の病院でセカンドオピニオンを求めては如何ですか?有名大学病院でも誤診や、見過ごしはありえます。

    最後に、おじいさまがなぎささんご家族と楽しい時間を少しでも長く過ごされることをお祈りしています。

    ユーザーID:6327710530

  • 私の祖父も肺癌でした

    私の祖父は、肺癌で天に召されました。

    通院看護で、抗がん剤はなし放射線治療と痛み止めだけでした。
    痛みはあったけどすっごく元気で、旅行にもたくさん連れて行きました。
    自力で歩いていたし、本人に悲壮感はなかったです。

    最期の方は酸素を吸ってました。

    いよいよ弱ってきたな〜と思った時、母と伯父で今後を考え、今をときめくH先生のホスピスにお世話になる事に決めました。

    ホスピスに入った時は車椅子だったけど、それでも元気でしたよ。
    私もまだ退院すると思っていた位ですから。

    臨終の時間は結構短かったと思います。
    肺が悪いのだから、酸素が取り込めなくなったら、人間は誰だって3分で死んじゃいますものね。

    モルヒネを使用していたので、ペインコントロールは出来ていたのですが、息が吸えない苦しさを軽減する事は、薬では出来ないそうです。

    喋る力もない中、家族をいたわる言葉を書き残して亡くなりました。

    でも、余命宣告から2年近く長生きしましたよ。
    本人は「いつ死ぬか迷っちゃうよ〜」って言っていました(笑)

    トピ主さん 今を楽しくしてあげて下さいね。

    ユーザーID:2640081132

  • 身内の体験ですが

    今年の6月叔父が53歳で肺がんで亡くなりました。励みになる内容ではないかもしれませんが、一例としてお話しします。
    癌の診断が下ったのが1月、ステージ3で手術不可能。転移はなかったので放射線と抗がん剤治療で癌が小さくなれば手術可能とのことで希望を持っていました。しかし治療の甲斐なく5月始めにリンパに転移し、その時に余命3ヶ月宣告と、ホスピスへの転院を勧められました。
    叔父の家族は家で看取ることを選択し、6月初めに退院しました。その前から肺に水がたまるようになり、酸素吸入機も手放せなくなりました。また痛みが強くなりモルヒネで眠っている時間が長くなりましたが、起きているときは普通に話し食欲もありました。ただ息苦しいらしく、しばし発作を起こしました。何回目かの発作の後、あっけなく息を引き取りました。余命宣告から1ヶ月も経っていませんでした。叔父はかなり進行が早かったですが、これは人によって様々です。ただ最後はやはり緩和治療が必要になるので在宅では難しい面もあります。ホスピスも念頭に置き、万全の体制を整えられることをお勧めします。おじい様との限られた時間をどうぞ大切にお過ごし下さい。

    ユーザーID:6011109749

  • ありがとうございました

    貴重なお話、本当にありがとうございました。
    先が見えなくて不安な気持ちが募っていたので頑張ろうという気持ちがわいてきました。
    最近ちょっと我がまま?なことをよく言います。
    やはり体調が悪くて機嫌も良くないのかと思います。
    明るく要望に答えて行きたいと思います。

    医学書やインターネットではなかなか知れなかったことばかりで本当に励みになりました。感謝いたします。

    ユーザーID:6182948937

  • 肺転移発見後、3ヶ月で亡くなりました

    父は59歳でした。 余命1ヶ月と宣告されましたが実際は3ヶ月長らえてくれました。

    宣告直後は、息苦しさを訴える程度でしたが、徐々に高熱を出すようになり、明け方は39度の熱をだすので熱さましの氷が必要でした。 酸素吸引が必要になった頃からは、(呼吸が浅くなるのか)仰向けで寝ることを嫌がりました。ベッドか車椅子でテーブルに前かがみになって寝てました。

    浮腫(むくみ)も酷くなり、下半身が通常の1.5倍程に腫れ、マッサージをしてあげると喜びましたが、強く揉むとベトベト湿った液体のようなものが私の手に付きました。

    最期は全身の痛みを和らげるため、強いモルヒネを投与。 お見舞いに行った娘や妻のこともよく分からないようになっていたと思います。その翌日に帰らぬ人となってしまいました。

    癌ってつらいですよね。 人間の体の中が、小さな細胞レベルから破壊されていくのを間近でまざまざ感じた日々でした。 7年前のことです。
    おじい様のことでトピを立てるなんて、なぎささんは優しいお孫さんなんですね。 あまり無理をせず、ただおじい様にたくさん楽しい思い出を作って差し上げてくださいね。 

    ユーザーID:0128386320

  • ありがとう

    この話題、今の自分に必要なトピです。トピ主さん、レスされてる皆さん、ありがとうございます。
    去年60代の母が末期であと3ヶ月と診断されてから、骨転移の痛み緩和のための放射線、抗がん剤の入院治療→通院治療で1年になります。
    抗がん剤通の院治療と民間療法やサプリを続けながら日常生活を続けています。
    少し痩せ、副作用のしびれと時々転移の腰痛がある以外は、がんのことを忘れてしまいそうで、日々のルーチンに慣れてしまってました。このまま治ってくれるんじゃないかと淡い期待を抱いてしまします。がんはあまり小さくもならず、マーカーも少しずつ上がっているのに。
    周りの者は咳や胸水に注意しなければいけないですね。

    母は「とにかく誰にも絶対に知られずに死にたい」と、ずっと塞いでいます。病気の事を知っているのは私と父以外、母の兄一人と近所の友人一人のみです。患者会などもってのほか、担当医にカウンセリングを薦められても一切拒否です。母の意志を尊重したい一方で、私と父以外ほとんど接触がないのもよくないと思います。
    母の気持ちを軽くできることはないのでしょうか…

    ユーザーID:4058949152

  • 私の祖父の場合

    同居していた祖父(94歳)を亡くした者です。
    本人が入院を拒否した為、在宅酸素と投薬のみの治療でした。

    末期の肺がんと診断されてから6ヶ月目で、食欲が落ちてきました。
    入院前日も、1食分を「美味しかった」と平らげました。
    その後、意識不明になり、救急車で搬送後、人工呼吸器をつけ、約1ヶ月入院後、旅立ちました。

    ぎりぎりまで自宅で過ごす事ができて、今は良かったと思っていますが、その当時は、家族も切羽詰って、気づいてあげられない事がありました。

    ・体が痛むようになるとトイレが大変で、早いうちからパンツタイプのおむつを提案するべきだった(本人が落ち込んだ)

    ・手やおでこが冷たい(熱はない)と思っていたら、酸欠状態になっていて、肺炎をおこしていた(入院してから知った)

    意識がなくなる何日か前には、薬のせい?で昼と夜の区別が曖昧だったようです。夜中に「朝なのにカーテン開けないのか!」と祖母にあたっていました。我侭を言ったのは、これくらいでした。

    同居のお孫さんですと、大変な事も多いと思いますが、どうぞ明るく支えてあげてくださいね。

    ユーザーID:6815719350

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