バブルよもう一度!

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湾岸ガール

先日映画バブルへGOを見ました。あの時代の六本木を忠実に表現しお笑い映画なんですが、なんかあの頃の自分を思い出しジーンときちゃいました。バブル期は楽しかったですね〜。皆キラキラと輝いていて。でもタクシーが今のようになかなか捕まらなくて、近場だと乗車拒否もあったしね。そこで、毎日夜遊びしたくて実家を出て(都内ですが)、六本木のマンションを借りようかとまで思ってましたよ(笑)。皆さんのバブル時代はどうでしたか?良く行ったお店なんかも教えてください。皆さんとあの時代、一緒に踊ってたりしてたかもね?!

ユーザーID:1165795600

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  • うーん

    バブルへGO!見ましたけど、あの頃へもう一度!なんて気分になれませんでした。
    映画はハッピーエンディングでしたけど・・・。
    ああいう楽しい時代はもう二度と来ないんだな、と暗くなりました。
    でも、人生の中にそういう思い出があるだけ幸せですよね。
    一度も良い時代を過ごさないで終わる世代もあるかもしれないし。

    ユーザーID:2114883170

  • 懐かしい〜

    バブル!!懐かしいです♪
    私は麻布マハラジャ→KING&QUEEN→ジュリアと移っていきましたよ。
    お気に入りの黒服(死語?)と閉店後に遊びに行ったりもしました。
    あと店名を忘れたけど、当時、千昌夫の経営してるジャズクラブみたいなのが表参道にあり、そこに連れていってもらうと、私も出世したな〜と思ってました(笑)トイレがやたら広くて、金ぴかで眩しかったです。
    あとは日比谷のディスコも流行りましたね。
    そうそう、マハラジャのプリンが美味しかったです。

    ユーザーID:6951886059

  • ほんとにほんとに?

    本当にあんな感じでキラキラしていたんですか?

    私は当時中学生でした。
    父は外資系サラリーマン。母は専業主婦。
    特別お金持ちだったとは思っていません。

    それでも、週末は家族でフレンチだのお寿司だのと外食が多かったし
    母は仕事なんかしなくても家で洋裁だのパン作りだのと楽しんでいたし
    お盆とお正月は家族そろって飛行機で田舎に帰省していたし
    塾や習い事のお月謝だって惜しまず出してもらっていたけれど・・・。

    小町を読んでいると、ものすごく貧乏な家庭で育ったという方も多いですよね。
    日本全国がバブルの恩恵を受けていたわけじゃ・・・ないですよね?

    ユーザーID:2274524524

  • 行った行った!

    私はネペンタに良く行きました。深夜12時を過ぎるとメンズクラブ(月刊誌)のモデルさんがよく現れ、目の保養をさせてもらいました。あとチャ−ルストンカフェに行ったり、モータウンハウスで外国人と遊んだり!!あー楽しかったなー。私もあの頃に戻りたい(悲)。

    ユーザーID:1165795600

  • トピ主のコメント(3件)全て見る
  • 東京在住者ではないので

    当時の六本木の喧騒は分かりません。その後不況に陥った日本だったけど、その六本木を訪れてみたら、まあスッゴイ盛況なこと!不況・ニッポンとは思えなかった(って地元民では無いので、「いや、そういうワケでも無いのよ」っていうご意見もおありかと思いますが、あくまでも「受けた印象」ということでご了承下さい)。あの不況下であの盛況ぶりなんだから、バブルの時は相当すごかったんだろうなぁ。

    さてさて、私が住んでいた地域も、あの時代は皆羽振りよく浮かれてたな。ディスコでは今、こういう踊りが流行ってるのよ〜ん、と女の子達は競い合ってた。「プール・バー」なんかも流行ってたな。そういう場所にたむろするのはもちろん、ワンレン、ボディコンのお姉さん方。私は当時学生でしたが、同級生を見て、大学生なのに何故そんな高価なモノを持ち歩いてるんだ!って叫んでしまうようなお金持ちぶりを発揮。彼氏のお迎えももちろん外車。私には別世界でした。ああ、そのお金はどこから湧いてくるの?ってただただ驚き。

    あの時代を彷彿させる言葉は「ねるとん」「トレンディ・ドラマ」「W浅野」「アッシー」「ミツグ君」。他にもあったかな〜?

    ユーザーID:8579530078

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  • いや〜。いい時代だった。

    いや〜。あの映画。前半はグダグダだったけど、後半、面白かったですね。
    阿部寛も薬師丸ひろ子もあの当時の人間だし。
    私は、バブルに掛かり始めた頃まで大手町勤務でソバージュや白のでかいイヤリングや肩パットで時折タクシーチケットをもらったり、三越のティファニーのオープンハートとかカルティエの三連リングとかそれなりに楽しかったものです。マハラジャの頃には結婚で田舎に引っ込んでしまったのでそれ以降はご縁はなかったのですが。

    ところで、あの頃のキラビヤカさだったら「私をスキーに連れて行って」を忘れてはいけません!プリンスに泊まってユーミンを聞き、トレインしながら滑り降りてくる。いや〜。恥ずかし〜。
    有給も給料も全部使ってしまったし。貯金は残せなかったけど、いい思い出です。

    ユーザーID:4791237185

  • バブルよもう一度!


    バブル期、んバブル前?…OL時代によく行った西麻布のレッドシューズ!

    いまは子供もあり夫ありで、なかなか遊べない。
    バブルよ 再びこ〜い!

    ユーザーID:7033348906

  • 遊びたかったな

    バブルの頃、子育て真っ最中だったので、遊びまくったって言う話を聞くと羨ましいです。
    都会の若者が青春を謳歌しているとき、私は赤ん坊のおしめを換えていました。
    でも、私にもいい事がありましたよ。
    バブル前に買った不動産が、ブクブクとバブルのように値上がりして、絶頂期の時に売りました。
    かなりのお金は手にしましたが、プラス少しは遊びたかったなあ。

    ユーザーID:6904346167

  • 小金はありましたね

    当時、都内で仕送り無しの学生だったので、殆ど毎日居酒屋でバイトしてましたが、普通のサラリーマンの方からチップとかお小遣いみたいな臨時収入がちょくちょくあって、友達とちょっと食事や飲みに行く程度の小金には全然困りませんでしたね。今思えば、確かに金が余っている感じでした。

    アパートが三軒茶屋だったので、主な夜遊び場は渋谷・下北沢でした。夜の六本木や昼間の自由が丘は貧乏な私の行く場所じゃない、て思いこんでましたね。でも憧れてはいましたけど。(笑)

    一度だけ遊び人の友達に服を借りて、一緒にマハラジャも行ったことありましたが、それはもうドキドキしたのを覚えています。

    ホイチョイプロの映画は殆どあの頃のノリですから、「私をスキーにつれてって」などを観ても、本当に懐かしい気持ちになります。

    ユーザーID:2455411424

  • うううぅ・・・

    ごめんなさい、トピ主さん。趣旨とは思いっきりずれているとは分かっているのですが・・・別の意味で、バブルよもう1度!!

    だって、私が大学入学した年、バブルは弾けてしまったんです(号泣)

    ボディコンやコンサバ(懐かしい)系の格好で大学に通う近所のお姉さま方を見ながら、大学生になったらディスコに出入りできるのだ、ヨットでパーティー♪等と夢見て猛勉強。したにも関わらず・・・

    しかも、私が女子高生の頃に持て囃されたのは、女子大生。
    そして、いざ女子大生になってみると、コギャルへ移行。
    次はまたまたOL??なんて期待してたら、コギャルかよ〜〜〜!
    へ??私達は??おまけにOLって死語??
    思いっきり置き去りでした。

    はぁ・・・青春、なかったなぁ・・・

    たのも〜〜〜
    バブルよもう1度!!!
    失礼しました。

    ユーザーID:5784407288

  • 私の中でも、あの時代が一番でした。

    1966年生まれです。今は日本国外におりますが、”バブルでGO”の映画の宣伝をみて、私もいつか日本に里帰りしたら見てみたいと思ってました。
    短大を卒業して有名メーカーに入社。あの頃は、学生が有利でいくつもの内定をいただき学生側が行きたい会社を選ぶ立場でしたね。

    私が入社して海外に出るまでの3年間は、まさに80年代 後半。バブル絶頂でした。
    東京でなかったのですが、みなさん仕事の後は食事やショットバー(カフェバー)、クラブ(ディスコ)に繰り出して夜中まで遊んでました。

    企業も景気がよかったので、会社の接待などで食事や飲み会の付き合い(もちろん、帰りは会社からタクシーチケットをもらって)もかなり多い時代でした。
    休みはゴルフ、海外旅行、スキー・・と景気のよい遊び。私の場合、20代前半の遊びたいさかりの独身時代がバブルだったので、得にその楽しかった時代が今でも時々懐かしく思い出されます。

    タイムマシーンに乗って1日好きな時代に戻れるなら、もちろん80年代後半です。もちろん、あんな時代がいつまでも続くわけないのですが、でもバブルを経験できてある意味よかったです。バブルでGO見たいです。

    ユーザーID:9037726921

  • 姉が・・・・・

    皆さん投稿ありがとうございます。

    上記の(踊り好き)は私の姉が勝手に投稿し、とぴ主となっておりますが、とぴ主ではありません。混乱させて申しわけありません!
    姉も何か一言書かなきゃ済まなかったようです(笑)

    マハラジャさん!私もあの時代はマハラジャで踊ってました。もちろん、ボディコン着てましたよ。太めでしたが気にしませんでした(汗)。

    あと、銀座のディスコ何ていいましたか・・・?名前すら忘れちゃったけど行きましたねー。六本木の芋洗い坂近辺やスクウェアビルのディスコには大変お世話になりました!スクウェアには何軒もディスコが入ってましたね。面白くなかったら次ぎ行こう!みたいな。

    インビテーションティケット手に入れるのに必死な日々でしたが楽しかったな。みなさんの投稿ドシドシお待ちしております。

    ユーザーID:1165795600

  • トピ主のコメント(3件)全て見る
  • バイト

    私はその当時花の(!?)女子大生!Mza有明でバイトをしていました。
    ほとんど遊んでいて、一日3万円くらいのバイト料。ランチにはうな丼とかとってくれてましたね。ミックジャガー等もスタジオを使いに来たため、よくおしゃべりしましたよん。

    ユーザーID:9181510525

  • 私はキサナドゥかな。

    ネペンタ...私も行きましたよ〜。確かタダ券に像の絵があったような...なつかしいです!!
    私はキサナドゥがお気に入りでした。
    会社が赤坂だったのですが、赤坂や六本木をただ歩いてるだけで大量のタダ券をもらい、毎日のようにあちらこちらのディスコへ出かけていました。
    食事も出来るし、飲み物も無料。踊ってストレスも発散できたし、本当に楽しかったなあ。
    あの頃流行った曲を聴くと、と〜っても懐かしいです。
    私の青春の1ぺーじです!

    ユーザーID:0152439134

  • もう一度来たら体が持たないかも

    バブルのときは、本当に気が狂ったように連日接待ということで飲んでいました。
    そのときの勤務先は総合商社でした。
    (今はコンサルティングファーム)
    あのような連日の「夜のお付き合い」があると、正直体というか、肝臓が持ちませんし、あの世行きになっていたと思います。
    会社のお金で連日銀座・赤坂・六本木のクラブや料亭に行っていましたし、毎晩のように午前様でした。
    今思えばやはり異常な時代ですね。
    今はごく普通の平和な日々を過ごしています。

    ユーザーID:4508035907

  • トピ主です。

    皆さん投稿ありがとうございます。
    直接、間接的に皆さんもバブルの恩恵受けてたんですね〜。
    あの当時会社の新人だった頃、週何度も飲み会ありました。ほとんどが皆さん同様会社の経費でそれか上司のおごり。良く飲んだものです。
    居酒屋さんだってかなり景気が良かったはず。
    私の友人は(外資系)、あーラーメン食べたいと思うと飛行機で札幌まで食べに行った子が1人いましたよ(驚)!でも忙しいので、もちろん日帰りでした。
    eruさんの投稿でエムザ有明が出てましてね。私も良く足を運びましたよ。
    特に外タレが来たときには姉と2人でライブ会場の一番前を陣取ったものです。
    今は結婚してその有明近辺に住んでます。
    今でもその周辺何もないです(笑)。

    ユーザーID:1165795600

  • トピ主のコメント(3件)全て見る
  • おー!懐かしい!

     懐かしいですね〜、バブル時代。
     私は昭和62年4月にマンションデベロッパーに新入社員として入りました。
     いやー、すごかった時代でした。
     会社のお金が余っていた実感がありました。
     新入社員から交際費は月5万までなら何も言わずにOK、10万以上は稟議が通ればOK(いつも問題なくOKでした)でした。
     社員旅行だって一泊二日で一人20万近くかけて最高級旅館で騒いでお土産もたっぷり・・・。
     他にも毎日のように寿司屋やしゃぶしゃぶ・・・うどんすきなんて定食のイメージで・・・。
     
     でも、仕事もいっぱいやってた。
     連日12時過ぎまで会社にいて、ある日10時半に自宅に着いたら「うわ、はや!30分はゆっくりできる!」って本当に嬉しかった記憶があります。

     バブルは自分で稼いだお金じゃなかったのにみんな自分の能力で儲けていたと勘違いしてましたね。
     私は戻りたいとは思いませんが「私をスキーに連れてって」はDVDまで持っていて、見る度にあの頃のどこか無責任な、でも勢いだけはあったことを思い出しますねぇ。

    ユーザーID:2300899976

  • 東京オリンピックの年の生まれです

    '64年うまれ、地方国立大の修士を出て昭和63年に某製造業に就職した者です。

    恩恵といえば、就職情勢がかなりの売り手市場だったことと、
    親父が50すぎてリストラにあっても個人で商売が始められたことくらいでしょうか....

    首都圏郊外の工場勤めなんで、華やかなアフターファイブには縁が無く
    メーカーだから給料は安いし、一番下っ端だから忙しいばかりで経費が使える訳でもなく。
    恋人もなし、趣味に投入できる時間も資金もごくわずか、という環境で
    『世の中にはオイシイ思いしてる奴もいるってのに、
     オイラはいい学校でてマジメに働いててもどうしてこんな有様なんだろう』って感じで
    屈折した青春を送っておりました(笑)

    ユーザーID:0050332930

  • 悲しいけど

    無縁でした。
    学生だったし。
    だけど、アルバイト代を普通預金に預けていただけで今思えば恐ろしい利息がついたのだけは覚えてます。

    でも、無縁でよかったとも思うんです。
    いい時代を知らないから、「あの頃はよかった」と思うことも無い。
    現実を冷静に眺められるのはバブルと無縁だったからだと自分で勝手に思ってます。

    ユーザーID:3684332128

  • 懐かしい〜!!!

    バブルの頃は、六本木に学校があったので、夕方になるとDISCOの黒服だらけでした。あの頃は、原色のボディコンに金ボタン。ロングソバージュかストレートのワンレン。
    六本木なんかタクシーつかまらなかったですし、男も初期のシャランQのツンクのような原色のスーツ着てましたね。髪の毛は前髪が立っていて。そして車は左ハンドル当たり前でね(笑)

    飲みにいけば、お金持ちの男性(当時用語でヤンエグ-笑)に声がかかり、おごってもらえるわ、帰りは外車で送ってもらえるわで、本当にその頃の生活忘れられないですわ。
    銀座なんかも、平日からすごい人で原色のスーツが飛び交ってましたね。今の平日の銀座なんていくと、人通りが少なくて寂しく思います。銀座といえば、ラジオシティよく行きました。あそこは丸の内のサラリーマンのメッカで、質のいいお兄さん狙いで行ってました。

    バブルはじけて、その後クラブが台頭しましたが、ディスコのあのきらびやかを知ってしまうと、どうも地味に思えてしまいます。

    あの頃は黒服と付き合うのがスティタスのような感じもありましたね。良く黒服とも遊びました。あ〜もう一度やっぱり戻りたいですね

    ユーザーID:5411161338

  • 懐かしい

    私の年の友人が大学生の頃にバブルが崩壊しました。
    だから仲間内は全員バブルの恩恵を受けてません。

    でも私は16歳の頃から夜の商売についていたので
    バブルの恩恵を受けてました。

    当時チップだけで生活できるくらい。
    16歳でしたが年齢をごまかしてディスコに
    入りびたり楽しい青春時代を過ごしましたが
    同世代の友人とは話が合いません。

    高校卒で就職する人はぎりぎりバブルの
    恩恵を受けてましたが、大卒組は氷河期に突入。
    高卒がする仕事と同じ仕事をしていましたね。

    ちなみに10歳年上の主人は当時フリータだったからか
    バブルの恩恵を受けてません。

    ユーザーID:6751038234

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