眠れない 修士論文 どうすりゃいいの

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駄目だ 能力なし院生

働く

誰か、よきアドバイスを。この弱虫に。
私は、50代前の社会人院生です。 何を血迷ったか大学院に通っています。血迷ったなんて書いたら失礼かもしれませんね。

私は、学部は理系、今は文系です。 まず、授業の違いびっくりです。
先生が決めた本を輪読し、ディスカッション。先生もわからなことがあったりして。いい加減。中途半端なところで終わってしまうこともしばしば。大学院ってこんなものかとちょっとがっかりしました。

それより、大変なのは修士論文。社会人ということで年齢もいっていることで、論文は書けるだろうぐらいで、合格したのかもしれませんが。指導教官は、参考文献の提示もなく、ここ10年ぐらいのその世界の動向も知らず、自分に聞くありさま。自分は、指導を受けつつ発想し、論を展開していこうと思っていたのですが。先生は、過去のテーマ外の修士の方の論文の感想を語るだけで、内容にまったく踏み込まない。アウトラインも決まらない有様。これは、自分で勝手に進めて決めるしかないのか?どのような姿勢で進めていったらいいのかよきアドバイスをお願いします。他の方に指導を仰いだらいいのか。厳しいご意見を。

ユーザーID:1146441538

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  • 割とそんなもん

    文系といっても色々ありますが、私が所属しているところは、割とトピ主さんのところに近い感じですね。
    ゼミの雰囲気もよく似ています。
    私が先に読んでいて先生に教えてあげた教科書を、先生がゼミで利用することもありますし、現在の研究に関しては、先生より私の方が詳しいかも?と思うこともよくあります。

    私自身は自分の仕事に直結した分野ですし、こんなもの・・・と最初からわかっていたので、自分でどんどん研究を進めるようにしましたよ。
    途中経過等は報告していましたが、別に止められることもなければ、アドバイスが来ることもなく。
    で、そこに所属している人は全員、その状態で何とか論文を書き上げます。担当教授以外に相談している人も中にはいますが、表立ってはしていないかな。いやな顔もされませんけど。
    そんなもん・・・と思えば、その状態の中でなんとかやっていくしかありませんので、どうにかやれるようになるもんですよ。
    っていうか、やるしかないんです。

    ユーザーID:8370109423

  • とにかく何かを始めよう

    つい最近、修士卒業したものです。
    私もつい最近まで同じ状況下だったので、トピ主さんの言う夜も眠れぬ・・・といった気持ちが手に取るようにわかります。私の教授も放任主義だったのでどうやって始めたらよいのかわからぬままでした。

    終わってしまった今、自分がどうやってやり遂げたのか未だによく覚えていませんが、ひとつだけ言えることは「とにかく何かを始めよう」です。何でもいいんです。たった一行でも構いません。その論文になにを書きたいか箇条書きにしてみてください。たとえば、論文の目的はなんなのか、その目的を成し遂げる為にどんな情報が必要なのか、などなど。そうやっていくうちに何を書いたらいいのか、どんな参考文献を集めたらいいのか、おのずと分かってくるはずです。第一章からはじめなくてもいいのです。パズルのようにひとつずつ完成して最後に全部を組み合わせれば論文という一冊の本になります。

    残念ながら白紙を見つめてるだけでは終わりません。そして、論文はあなたの論文であって教授の論文ではありません。白紙の状態では教授もアドバイスしようがありません。ある程度進めてそれを教授に見せたらいかがでしょうか?

    ユーザーID:4212317193

  • それはリサーチ不足では?

     そもそも大学院入学そして指導教授を選ぶ段階で、自分の研究テーマにできるだけ合致した院と教授を自分で選んでいなければ、効果的な研究、論文指導は受けられません。

    >>参考文献の提示もなく、ここ10年ぐらいのその世界の動向も知らず

     というぐらいですから、トピ主さんの研究テーマとその指導教授の研究分野がはなから重なる部分が無きに等しい様な状態なのでは?

    ユーザーID:6133874879

  • まず眠る

    学資は参加賞、修士は努力賞、とおっしゃった方がいらっしゃいます。
    お話では理系の学部では手取り足取りだったが、文系の大学院では
    ほっぽり出されて、行き先が分からない、ということのようです。
    今のままでは前へ進まないのでいくつか解決法を、
    1。大学を変える
    2。他の方に指導を仰ぐ
    3。何のために大学院に居るかの再検討をする
     これはもう一つの見方ですが修士は(博士になれない者の)残念賞とも言われています。
    睡眠不足になるほど重要な学位ではないということでしょうね。

    ユーザーID:8423210149

  • あまり厳しくない教授なのでしょうか?

     M1ですか? 輪読は理系でも同じです。問題はどれだけ深くディスカッションできるかで、私は興味のある分野は参考文献を何冊か読みました。

     修士課程は、指導教授から手取り足取り教えてもらうところではないです。普通、M1で1つ発表し、それを修士論文につなげます。優秀な人は2〜3通書いていました。卒論をやった人はすぐできますが、社会人は数倍やらないと厳しいのでは。

     発表すると、修士論文で何をテーマにするか見えてきます。そのために論文をたくさん読む必要がありますが、「参考文献の提示もなく」と書かれてらっしゃるのは気になりますね。自分で探して読むのですよ?学会誌を含め論文は月にどのくらい読んでいますか?学会の分科会等には参加されてますか?

     指導教授の範囲外の研究をしているのでしょうか? それだと「評価できない」と言われて終わったりしませんか? まずはいくつかの題材をそれぞれ数枚のレジュメでまとめて、見てもらうといいと思います。

    ユーザーID:4278097631

  • 極辛口ですが

    > 先生が決めた本を輪読し、ディスカッション。先生もわからなことがあったりして。いい加減。
     文系の多くでは、そのような授業が行われます。院の水準では,教員といえども自分自身のごく狭い専門以外は到底答えられる知識がないのみか、そもそも答えが定まっていない部分がたくさんあるからです。授業というのは、輪読とディスカッションを通じて、その分野の研究手法や思考法を鍛えていくのが目的です。
    > 指導教官は、参考文献の提示もなく、ここ10年ぐらいのその世界の動向も知らず、自分に聞くありさま。自分は、指導を受けつつ発想し、論を展開していこうと思っていたのですが。
     これは論外です。参考文献は自ら作成し、修論のアウトラインを考えて、指導教官に参考意見を貰うものです。文系の大部分の修士は、すでに各々の分野の専門家であり、研究対象については指導教官(とぴったり対象・課題が重ならない限り)より修士の院生の方が詳しくて当然ですから。
     こと文系の大部分の領域では、あなたの発想は、良くて学部並みおそらくは学部3年レヴェルどまりです。教わって学習を進めたいのなら院をお止めになられたほうが良いと思います。

    ユーザーID:0226024931

  • 私もリサーチ不足だと思う。

    とある大学院で事務などのバイトをしている者です。
    学問の道は分からなくても、大学院での人間模様を教授、院生双方の立場から見てきました。

    私もこのトピを読んで、他の方のレスにあったように、リサーチ不足だったのでは?と思いました。
    それから教授にも指導の上手下手があります。
    年配の社会人院生は指導しても将来がないというと失礼ですが、その分野での就職は年齢制限の為、
    とても厳しいです。世間では同じ業績なら、若者を採用しますよね。
    だから、指導に身が入らないといったらこれまた失礼ですが、結婚までの数年間腰掛け程度に就職するOL達のように、
    社会人院生を見ている教授もいたりします。

    まあ、今更そんなこと言っても始まらないので、ご自分で参考文献を調べ尽くして良い論文を仕上げて下さい。
    それと、キツイようですが教授の指導を手取り足取り望むようでは、その学問で自分の花咲く道はないです。
    根性ないなら大学院へ行くな、行ってしまったら根性で乗り切れ!です。

    眠れなくとも、とにかく頑張ってください!やるしかないでしょ。

    ユーザーID:9137396547

  • ちょっと辛口ですが

    >参考文献の提示もなく、ここ10年ぐらいのその世界の動向も知らず、自分に聞くありさま。

    海外で博士在学中です。ここはどの大学も基本は放置なのでお気持ちはわかります。自身、博論と指導教授の研究も重ならない部分が多く、動向や文献を聞かれることもあります。

    でもトピ主さん、ちょっと受身すぎるような・・・(ごめんなさい)
    私の場合、(日本での)修士時代は指導教授の研究とほぼ重なる分野で論文を書きましたので、恵まれていたと思います。
    でも!そんな私でも、さすがに参考文献の提示は求めなかったなぁ・・・それは自分で調べるものですって!!指導教授からも参考文献の提示などなかったです。“読んでいて当然”のものとして指導されました。

    院は教わるところではなく、研究するところ。私も社会人入試で、入学当初はその意識が薄かったなぁと今は思いますが、論文って、一分野だけの研究から書けるものはでないでしょう?「自分が」指導教授に求める視点は何のか?足りない部分はどこで補うのか?
    私より年上の方に生意気とは思いますが、研究に年齢はありません。お互いにいい論文が書けますように…

    ユーザーID:2295505677

  • そんなものでした・・・

    国立大の修士に行っていました。先生は、世界的にも有名なかなり優秀な方です。
    でも、学生指導は放任主義の方でしたので、修論のときも参考文献の指示もなにもありませんでしたよ。

    ゼミはまさに本の輪読でしたが、学部と違って、大学院では、解けていない問題が残っている分野に入るので、当然、
    先生が答えを全部知っているわけではありません。

    何より、学生が、発表し説明し質問し議論することがメインであり目的なので、特に学生の側の準備が不十分ならば、
    中途半端なところで終わることもありました。

    先生が解説したりなどは、基本的にはありません。
    むしろ、「ここはどうなの?」と学生が聞かない部分を質問するのが教官の役割でした。

    テーマを決めから、参考文献探しなどは、すべて自分でやりました。

    その段階で相談に行きますが、論文を書く以上、自分の方が専門家になるのは当然なので、
    具体的な動向などは自分のほうが当然詳しく、先生も自分に聞いてきます。そしてその情報を基に、論文の方向性などの指導を(少しは)して頂きました。

    苦しかったなあ・・・。頑張って下さいね。

    ユーザーID:3075749122

  • それ、羨ましい環境ですよ

    文系の大学院の授業はそういうものです。
    ○○学の××分野が専門の教員に、○○学の△△分野の知識があまりないのは普通です。
    それと、自然現象を相手に実験してデータを取るのが基本の理系の学問と異なり、人間が創り出したもの(史料・物・制度)や人間の行為をデータにするわけですから、正しい答えがあるわけでもないし。
    正しい答えを提示するのが目的ではなく、一番妥当と思われる解釈を導き出した上で、それが妥当な解釈だと読み手が納得するような論文を書く、それが文系の学問です。
    早く馴染んでくださいね。

    学部卒ということで研究というものをしたことがなかったからだと思いますが(文系でも理系でも、はっきりいえば卒業論文は研究の真似事です)、勉強と研究の区別がついていないようですね。
    論文執筆に必要な知識は自分で勉強して覚えます。参考文献を探したり論文の概略を決めるたりするのは研究活動の一部で、本人がやるのが当然です。章立てと節立てを大まかに決めたら、指導教員にみせて助言をもらえばいいだけです。

    勝手に修論を書き進められる環境のようで、自分の修論のときの環境と比べて羨ましい限りです。

    ユーザーID:8269856194

  • 文系と理系の違い

    まず文系と理系の違いから理解しましょう。

    理工系というのは基本的には出来合いの知識をできるだけ効率的に入れ、社会の役に立つ人材を育てるってのが前提になっています。

    なので、理工系だと教科書があり、簡単なものから難しいものへと段階的に学ぶシステムができています。ところが、文系だと教科書のない分野ってのがあります。つまり、文系ってのは段階的に学ぶようにできてなかったりするんです。
    社会科学では経済学が教科書が段階的にそろっている分野ですが、それ以外は怪しくなります。

    大学院ですが、理工系であれば修士というのは、学部よりも高度だけどある程度一般的な共通知識を学ぶ場であったりします。修士でて就職するのが普通ですしね。
    でも、文系は分野によって必要な知識が違うので、共通知識を学ぶという場所ではなくて、修士の段階で自分で専門の分野を勉強していく必要があります。

    参考文献の定時が無いのは当たり前です。指導教官の真似をしたいのしょうか?自分で探してもっていきましょう。
    先生もわからなことがあるのも当たり前です。それに先生の答えを聞いて納得してちゃダメです。

    ユーザーID:3896898367

  • たかが修士論文

    ちょっと厳しいことを言うかもしれません。日本の国立大で博士号を取って、ヨーロッパで研究職についています。文系です。

    たかが修士論文です。とりあえず書く。自分の考えを書く。それだけです。

    指導教官の仕事はトピ主さんの研究をリードすることではなく、トピ主さんが自分でされる研究を、筋が通っているか、読者の関心を惹きつけ、納得させることができるかを確認し、足りないところを指摘することです。文系は結局個人試合ですから、それぞれの研究者が自分の分野のトップでなければ意味がないのです。指導教官があなたの分野の知識が少なくても、それはむしろ当然です。

    学部とは違い大学院以降は自分で切り開くものです。大学院に入られたくらいですから、研究されたいことがあるのでしょう。どんな論文を書きたいのか、ご自分で考えて、アウトラインもご自分で建てるのです。それを教官に持っていって、それが学界で通用するものかどうか確認しながら、ご自分でどんどん進めていくものです。最初にも言ったようにたかが修士論文です、恐れるものではありません。

    卒業されて何年もたってから研究に戻られる決意、尊敬いたします。がんばってください。

    ユーザーID:2129370799

  • テーマは自分で探すものでは?

    文系と理系の違いなのかもしれませんが、修士課程ですしある程度自分で模索するものではないでしょうか?

    私は10数年前、社会学部を卒業しました。修士へは進みませんでしたが、そもそも学部の卒論の研究テーマでさえ、自分でゼロから見つけてきましたよ。

    指導教官の指導不足を嘆いていらっしゃるようですが、修士課程、しかも社会人でいらっしゃるのですから、研究したいことがあって院にいらっしゃるのですよね?

    院なのですから自分でどんどん参考文献を読んで、独自の論文を書けば良いかと思います。

    ユーザーID:6009553129

  • そんなもんでした

    修士の授業も論文指導もそんなもんでした。

    学士はすでに定説になっていたり誰かが証明済みの知識を詰め込むところ、修士は自分で考え新しい説を出していくところ、でした。

    教授が既に知っていることや世間様が証明済みのことを取り上げて
    論文にしても、何の利益にもならない訳で、それよりはほんの小さなことでもいいから、新しい着眼点や新しい考え方を(後に論文を書く人々のだめに)提供するほうが大切だと思います。

    内容にもよるかもしれませんが、自分ひとりで完結しようと思うより、将来誰かが自分の論文を参考文献として、更に素晴らしい論文を書いてくれるといいなぁと思うほうがいいのでは?

    で、修士の論文指導は、その書き方を教えてくれるだけのものでした。内容はある程度しか分からなくても、書き方は指導できるもんです。

    ユーザーID:9182899754

  • わかるかも

    私も文理両方を経験しました。
    もちろん私の感じたことが=常識ではないと思いますが、
    論文に対する考え方の違いに天地がひっくり返る思いでしたよ〜。

    理系学部では、基本的に研究室で行われている研究をするのが一般的で、学部生は「うちでやってる研究がこれこれだからひとつ選んで」って言われて選び、研究方法など相談しながら書くって感じですよね。
    学部のときは先輩達が手取り足取りで教えてくれ、
    修士になると少し自分の色が出るか…くらいでしょうか。

    文系では、学生のやりたいことに対して、教授はフンフン聞いて論文として破綻がないかアドバイスする感じでした。
    教授と異なる分野で書くこともわりとよくあるように思います。

    理系では、常に細かいアドバイスが得られる代わり、指導教官の名前を常に感じました。
    文系では、誰にアドバイスをもらっても書いた論文は自分のものだから、執筆者の権利を侵されることはないかわりに内容の責任も自分で取れ、と言われました。
    トピ主さんと同じように、へ〜違うもんだなぁという感想を持ちましたよ。

    ユーザーID:2593060926

  • テーマと文の構成について

    私も専業主婦+社会人学生で修士課程を修了しましたが
    私の場合アメリカの大学だったので日本のゼミの雰囲気や、やり方がわからないので参考にならないかもしれませんが。。

    私の場合、自分の学部で学んだ事を通して書くことのできそうな テーマをまず決めました。 自分の実体験がなるべく入るようなテーマがやりやすいと思います。

    あと 何からどうやって書けばいいんだろう。。。という事については物事を色んな面から分析すると 色々面白い見方ができて 書くことが増えます。

    例えばそのテーマを 政治、文化、テクノロジー、経済の面から考えてみる。
    外出してても、トイレのなかでも、思いついたら どんどん、紙に書いていきます。 どんな短い文章でもいいから残していきます。 それを後で 組み合わせていく。必要があれば文献を探し、関連つけて行きます。
    私の場合は、そうする作業をしていくうちにアイデアも広がりました。 とにかく、考えるより、まず、書き出してみる。
    キーワードで サーチし、アイデアを得る。。
    色々やりながら、ゼミの教授のアドバイスを仰ぎ、やっていく、、、というのはどうでしょうか。

    ユーザーID:2170979647

  • 本当のところを少しだけ・・・ 

    どんな事情で修士課程に入られたのか分かりませんが、修士論文なんて(少し品の無い表現をあえて使っております)審査(主査・副査)の教授以外の目に触れることはほぼ皆無です。審査する方もすこし面倒に思って、仕方なく読んでいるのだと思いますよ。

    なにか適当な事をもっともらしく書いておけばOKです。大丈夫、大丈夫!!

    本来は論文内容の新奇性(大袈裟ではなく、世界中での)が問われるのですが、実際のところ修士の学生にそのような事を求めても無理というものでしょ?
    あなたの大学のホームページで教官の業績を調べてみればすぐにわかりますが、ほとんどの教官も論文(簡単な、大学内だけで通用する総説のような雑文ではなく)が書けていないはずですよ。

    ユーザーID:9720490875

  • 駄目院生 自分の考えが甘い

    みなさんのご意見とても参考になります。
    みなさんのご意見がほぼ一緒ということは、自分の考えがとても甘いということ
    なんですね。

    研究ってのは、そのようなものなんですか。

    ほとんど、自学の世界ならば、 学位をもらう以外は、大学院なんて
    意味がないような気がするんですが。
    学位の必要がなければ、自分で勉強し、それに関して興味のある仲間と
    議論していればいいのですから。わざわざ高いお金を払ってまで行く必要が
    あったのでしょうか?

    それと、先生が論文の研究内容についてわからなくて、よく論文の指導、審査が
    できるものかと不思議です。

    内容より論理的であるかが問題なのでしょうか。
    あと1年切ってしまいました。がんばらないといけないのですが、まだ...。

    やめちまえ〜 以外の厳しいご意見お願いします。

    ユーザーID:8366413424

  • 理屈を並べる前に・・・

    >ほとんど、自学の世界ならば、 学位をもらう以外は、大学院なんて意味がないような気がするんですが。

    一面の真実を含んでいると思います。  ただ、上述のようなシニカルな発言ができるのでしたら、自学で“意味の無い修士論文”でも良いですから、まず、書いてから言ってください。学位をもらってみて下さい。

    博士課程にでも入れば、少しは研究者らしくなれるかもしれません(研究の何たるかを少し理解できるようになるのかもしれません)。御託はそれからでもOKなのではありませんか?

    確かに、修士論文は名前は論文でも、実のところ学術雑誌の審査員(エディター、レビュアー)の関門を通ってこなければ論文を出したとは言えません。確か記憶では、修士論文、博士論文は国会図書館で誰の目に触れることもなく廃棄される時を待っているだけだと思います。

    ユーザーID:9720490875

  • 専門家になるための作法をまなぶところ

    何に研究する価値を見出すかは個人の問題です。それが社会的に認められるかとは別の話です。
    ですので、基本は自分でやるわけですし、自分の関心を持ったことは価値のあることなんだと認めさせるように論文を書くわけです。

    何のために大学院に行くかといえば、作法を学ぶため、姿勢を学ぶためで、それをマスターしてますという証明のためです。

    作法というのは、その分野を研究していくための手法全般です。
    調査の仕方、まとめ方、論文の書き方は分野によって違います。それを学ぶ必要があります。

    姿勢というのは、研究というのはどういう心構えで、生活の中でどれくらのウェイトで行うべきかという部分です。これは、指導教官も含めてまわりいる研究者と接していくことで理解できてきます。

    先生が論文の内容についてわからなくて指導できるかについては、作法の部分でわかるんですよ。きちんとした調査をしているか、それをきちんとまとめているかを見れば、言ってることの正確さも検討がつきます。

    なお、お金を払う価値があるかと感じるということは、歴史好きとか文学好きみたいな感じで仲間と話して刺激を受けるのでも十分かもしれません。

    ユーザーID:3896898367

  • よくわかっていらっしゃる。

    >ほとんど、自学の世界ならば、 学位をもらう以外は、大学院なんて
    >意味がないような気がするんですが。

    そうですよ。学位がどうしても必要だから大学院に行くのです。

    >学位の必要がなければ、自分で勉強し、それに関して興味のある仲間と
    >議論していればいいのですから。

    興味のある仲間が周りにいますか?
    仲間内の議論だけでは満足できなくなったから、大学院に来たのではないのですか?

    >わざわざ高いお金を払ってまで行く必要が
    >あったのでしょうか?

    トピ主さんの今の状態では、必要なかったかもしれません。

    そもそも、トピ主さんがゼミに満足できていないことが問題だと思います。指導教官は若いのでしょうか?
    私は教授に一度も相談できないまま修論書きましたが、指導教官の力量に不満を持ったことは一度もありません。
    教官は私の専門分野については何もご存じありませんでしたが、それでも教官の言葉は斬新な発想にあふれていて、いつも自分の固定観念を見直すきっかけになります。
    文系の学問で教官から教わることは、こういう形のないものが重要だと感じます。

    ユーザーID:8420160975

  • よくわかっていらっしゃる。続き。

    トピ主さんは、実はゼミの議論についていけてないのではないでしょうか?

    中には確かに「ハズレ」もいますが、仮にもよい大学で教授になった方々は、専門分野ではなくともとても鋭い指摘をします。
    トピ主さんの言葉を借りれば、論文の内容がわかっていなくても指導はできるのです。
    院生にあきれられるほど無知であるとは正直考えにくいです。

    お年をめされてから院に入られた方を今まで10人くらい見ましたが、その内の8人は言葉は悪いですが頭が固くなって思考力が非常に低下しており、研究は全くできていなかったです。ゼミについていけない人はたくさん見ましたが、ゼミが退屈なほど優秀な社会人院生は見たことがありません。
    失礼ですが、トピ主さんは本当に若い人たちを対等に尊重し、意見交換していますか?無意識に上から物を言っていませんか?敬語でしゃべっていますか?
    この業界では、年はとっていればとっているほど不利なのです。

    まずは、自分から変わってみることが必要なのではないかと思いました。

    高いお金を払っているのだから、がんばって勉強してぜひ元をとってください。

    ユーザーID:8420160975

  • 頑張って!

    私も社会人院生をやっています。理系から文転しました。

    >これは、自分で勝手に進めて決めるしかないのか?

    答え、出ていますよ。自分で勝手に決めてください。
    でも、そのように割り切ることができないのなら、
    先輩の院生に相談するのも手。
    修論を書いたばかりなので、当面の目的に役立つ
    情報・経験談をくれる場合がありますよ。

    参考文献は、大学の図書館で。
    図書館内のPCにキーワードを入れれば、関連文献が出力されます。
    それらを斜め読み。借りるのは何冊かだけ。あとは、必要な部分をコピー。
    参考文献作りが完成する頃には、方向性が見えてくることでしょう。

    このように、自分で動かないと、院は何も与えてくれません。
    しかし、動きさえすれば、
    「自分で勉強し、それに関して興味のある仲間と議論」
    するための環境が、これ程整っている場所もありません。

    図書館には、高額の専門書が大量に揃っているし、
    ゼミ発表や修論の形で、自分に研究を課すことができるし、
    先生や他の院生との話は刺激になる。
    この環境を自前で作れるのなら院に行く必要はありませんが。

    ユーザーID:4911197717

  • 学外に目を向ける

    辛口をご希望ということなので。。。

    大学院の先生なんだから立派であって欲しいですが、研究業績が厳しく求められていない大学もあることは確か。もしかしたら、トピ主さんの指導教授のレベルは低いのかもしれません。せっかく入った大学院の指導教授のレベルが低いというのを認めるのは残念かもしれませんが、その場合は学位をもらうまで我慢するか、立派な研究者のいる大学院に移ったらいかがですか?やめちまえ〜という意味ではありませんよ。

    じゃ、誰が修論の指導をしてくれるんだ?となるとですね、トピ主さんの業界で優れている人々の論文を読んで考えるしかないですね。学会とか行かないですか?学外に立派な人もいるでしょう。そういう人たちと意見をかわすことができると修行になります。

    たしかに修論は日の目を見ない事もありますが、学術雑誌に載るレベルの修論を書く人もいます。修論に限らず論文は全て、内容、論理性、ともに重要だと思います。

    指導教授にはトピ主様が最新の研究動向を簡潔にまとめて教えてあげましょう。研究室で一番博識かつ鋭くなりましょう。

    ユーザーID:8419854703

  • 逃げる理由探しに必死?

    >学位の必要がなければ、自分で勉強し、それに関して興味のある仲間と
    議論していればいいのですから。わざわざ高いお金を払ってまで行く必要があったのでしょうか?

    ほぼ、あなたのおっしゃる通りです。ただ、たとえ22−24歳でも大学院で勉強⇒研究への道へ進もうとしている方は、上述のような幼い発言はしないと思いますが。

    あなたの年齢だけから判断して、学位の必要が無いのであれば、大学院で勉強するのは確かにほとんど意味は無いと存じます。逆に、学位の必要があるのでしたら、修士論文(気分は修士雑文でも書くつもりで)程度は誰でも書けますので、少しくらい頑張ってみても良いのでは?

    ユーザーID:9720490875

  • ちょっと、ちょっと!

    >ほとんど、自学の世界ならば、 学位をもらう以外は、大学院なんて
    意味がないような気がするんですが。

    そう考えてしまったら、みなさんも励ましようにもアドバイスしようにも手段がありません。いろいろ悩んで、その人なりに苦労して、『自分でやり遂げること』に意味があるんじゃないですか?これは、理系だろうと文系だろうと関係ないと思うのですが。結果が出ないから意味がない?いいえ、結果はあとからついてくるのです。口で言うのは簡単です。行動してから大学院に行く意味があったかなかったか判断して欲しいものです。

    教授の論文を手伝いで書いているわけじゃないのですから、自分で殆どやらなきゃいけないのは当たり前のことです。

    ユーザーID:2611886336

  • 勉強と研究の違いを早く把握して

    >ほとんど、自学の世界ならば、学位をもらう以外は、大学院なんて意味がないような気がするんですが。

    誤解がありますね。勉強の蓄積や延長が研究ではないんですよ。勉強はいくらやっても勉強にすぎません。自学を踏まえた上で研究し、その成果を論文(ここでは修士論文)にするんです。で、論文に対して修士号が与えられる。

    他人が解明した既知の事柄をそのまま理解するのが勉強。
    未知の事柄を自分で解明しその妥当性を論文や学会発表などで他の研究者に問うのが研究。

    先行研究を読んで理解するのが勉強。当該分野における論文の一般的な書き方を習得するのも勉強。
    自分の論文に必要と思われる複数のデータを集め、それぞれ分析し解釈する。全体としてデータ群から何が言えるのかを考察する。考察した事柄が、従来の研究では指摘されていなかったことを、新奇で独創的なものであることを、結論として示す。以上が研究です。

    論文も普通はこういう流れで書きます。先行研究の紹介と批判、自分の研究の目的、データの提示と解釈、データ群の考察、結論、という流れ。

    大学院では勉強自体は重要ではなく、研究が重要なんですよ。

    ユーザーID:8269856194

  • よくいるタイプですねー

    もっと勉強したいんです!って、大学院を勉強させてくれる所!と勘違いして入ってくる年嵩いった学生さんにありがちな思考ですねー。
    大学院って勉強するための所じゃなくて、研究の下地を作る所ですよ。
    作法を覚える・・・と書かれていた方もいましたが、まさにそんな感じ。
    そして、受身じゃだめでしょ。
    悪いけど、若い学生は、将来かけてんですよ。
    「お勉強」して、自己を高めにきてるわけじゃありません。
    このあと研究者になれるのか、それとも就職先をどうするか、がつがつしたもんです。

    さて、トピ主さんは、大学院に何を求めて入学したのですか?
    そこから考え直した方がいいかも。
    私も今年40になる社会人学生ですけど、ずばりタイトル!そして、研究できる実力をつけること、が目標でしたよ。

    若いコのアグレッシブさを、見習うのもいいと思うけどな。

    ユーザーID:8370109423

  • 全部自分で。

    研究テーマを決めるのも、文献を蒐集するのも、テーマについて考察するのも、文章におこすのも、推敲するのも、全部自分でやることです。自分の研究は自分でやるしかありません。参考文献の提示なんて論外です。そんなことを指導教官に伝えたら、指導教官は目が点になると思います。大学院はそんなお勉強をするところではないのです。

    文献の蒐集において、大学院に籍を置くことはかなり有益なはずですよ。わたしの場合は、読みたい文献、手元に置きたい資料はすべてそろえることができました。

    トピ主さんは勘違いしていると思います。仕事との両立は困難も多いと思いますが、せっかく大学院で学べる機会を得たのですから頑張ってください。

    ユーザーID:6151153909

  • 先生と話してみては?

    内容を決めて参考文献をあさるのは書く者のやることで、先生が動向を聞いてくるのは、ちゃんと調べているか確認しようとしているのでしょう。他で指導者を求めても、進み方はほぼ同じになると思います。

    このテーマで行くと決めて、そこで、いや、それは指導ができないからやめろと言われなければ(全くわからない研究領域なら、当然指導できないので、そう言われる筈です)、あとは1章書き上げたところでなど、随時先生に読ませて、突っ込みを入れてもらえます。議論がはじまるのは叩き台ができてからなので、まずなにか作ってみせないと。

    何十枚分も言葉を費やしてものを論じ、それを専門家がまじめに読んでくれるなんて環境は、大学院でも行かないとないから、学位以前に、その環境を買うのではないでしょうか。

    思うに、一度先生に指導に関する疑問を述べたほうがいいのでは? たぶん先生は、この人はそこまでわかっていなかったのかと愕然とするでしょうが、なんとか立ち直って、いや、これはこうこうこういうものでと説明してくれるのではないかと。早く誤解を解いて研究に集中できる状況を作った方がいいと思います。あと1年ならこれからが勝負でしょう。

    ユーザーID:1647530782

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