「乗り越える」って何ですか?

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生活・身近な話題

みゅう

身に降り懸かる苦難には意味があると私は思っています。そしてそれはその時の苦しみや痛みを真正面からがっぷり受け止め、いつ終わるかも知れない暗闇の中でのたうちまわった末に理解出来るもの…それが「乗り越える」という事ではないのでしょうか。辛い作業だけど「乗り越える」事なくして意味などわからない、先など進めないのです。

 一般的に苦難が続く時こそ、ネガティブにならず前向きに考えろなどといいます。

でもそれって「乗り越えてる」んですか?口当たりのいい妄想に浸って、苦しみや痛みから目を逸らしているだけでは…? 

私は障害児の母ですが、ほぼ毎日を年端もいかない我が子の療育に費やす中、そういう意味からすれば私は何も乗り越えてなどいません。あまりにも辛い現実を直視できないまま、ただ時間が経過していく中で悲しみが薄れたに過ぎません。

ちなみに私の場合、それでも何とか希望を見出だそうとポジティブなイメージを持っても、その見通しの甘さをまるで嘲笑うかのように、真逆の事がよく起こります。(愚痴)

「乗り越える」…皆さんはどうお考えですか?

ユーザーID:0221075860

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  • 乗り越え方は色々、そして・・・

    乗り越え方は色々あるし、そして必ずしも乗り越えなくてもいいと思います。

    私は長い間、ある壁の前にいました。
    とてもとても長い間、とてもとても高い壁の前で年月が流れました。
    それをまったく直視していませんでした。
    目の隅に映ってはいたものの、見えないように暮らしていました。

    ある日突然、他人の力によって、その壁の向こうへ私は放り投げられました。
    壁を越えてしまったんです。
    絶対に越えることができないと思っていた壁を。
    何の努力もなしに、こんなことも起こり得るのです。
    だから、絶対に直視するべきだとは私は思いません。

    それ以外のことにおいては、私は何事も直視してしまうタイプです。
    ほかのことは直視できるからしてたんでしょうね。

    悩み苦しんで壁を乗り越えるのも、
    見ないようにして楽観視していつのまにか乗り越えるのも
    どちらもありだと思います。

    壁って、ひとつじゃないですし。
    乗り越えてもいくらでも出てきますし。

    今思えば「もう少し逃げても良かった」と思うことと
    「逃げないでいれば良かった」と思うことがあります。

    ユーザーID:3920523615

  • 苦しい精神的状態から脱すること

    「乗り越えるとは」苦しい精神的状態から脱することだと思います、単純に。
    べつに正面から行く必要も、のたうち回る必要も見出せません。目的は楽になることですから。
    ただ、ご本人が正面から打ち破らないの後々心に残ってそちらの方が精神的に苦痛であるなら頑張ってぶつかるしかないでしょう。もしくは、ここでは苦しくても乗り越えた後にそれを上回るメリットがあるなら挑戦しますね。

    ユーザーID:4972963856

  • 後ろ向きで何が悪い

    前向きになれないから悩んで苦しんでるのに「前向きに考えなきゃダメだよ!」と聞いてもないのに言われた経験があります。

    前向きになれない時はそう思えるまでちょっと後ろを向いたっていいじゃない。って思ってます。
    悲しみや苦しみと共に生きていかれるようになれば自然と前を向けるんだから、それまで後ろ向いてることの何がいけないの?って。

    だから私の「乗り越える」は「前を向いて自然に笑えるようになったとき」ですかね。

    ユーザーID:1866895697

  • 今まさに私がそうです・・


    現在私の状況は全面が高い壁のようでもがき苦しんでます。
    この1月間、とぴ主さんのように、暗闇でのたうちまわる、
    永遠におぼれている・・そのような状況でした。
    現在も進んでも地獄、進まずとも地獄・・そんな感じです。
    しかし、同じ地獄でも自分で選択した地獄ならば、
    潔くないか?
    自分を愛してくれている家族のため、(両親や甥っ子たち)
    そんな人たちに今の前に進まない自分は見せられない!!
    それだけの理由でも、私には乗り越えられるかもしれない、
    もう立ち止まって泣き続けて、恨んで、悩んで・・
    それ自体に疲れたのもあります。
    だから、私は自分で選んだ人生を進む決心をしました。

    乗り越える・・今の私にとっては、失敗しようが成功しようが
    人生の見方を変えることによって生まれる、
    そう思うのです。

    とぴ主さん、同じように苦しんでいる私からですが、
    エールを贈らせてください。

    ユーザーID:3904967982

  • 受け入れです

    私は乗り越えるとは、その物事を受け止めるという事だと思っています。
    苦難がふりかかってきた時に、人は苦しむけど、意味がある事なのだと受け入れ、受け止める。誰のせいでもなく、それが自分の人生に与えられた事、泣いても、叫んでも、物事が変わるわけではない。

    良い事も、苦難も、感謝で受け止めていく。

    ユーザーID:9524619036

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  • 私の場合は

    覚悟が決まったとき。
    これだけです。
    ゆるぎない覚悟が自分の中に据わったとき、「乗り越えた」と思います。
    自分の中で覚悟が決まって行動が伴っているとこに後から気づくという時もあります。

    不思議と、覚悟が決まると今まで不幸と思っていたことに有難みを感じます。
    例えば指がなくなった。起きてしまったことは不幸だったとしても、だから学べることもあるし。
    見えないものがみえてくることってとても楽しいし。指があったら多分みえてこなかったものだと思います。
    失うものがあれば得るものはあります。指があることとないこと、多分どちらも幸せかな?
    意地も張らずに虚勢でもなく、不幸を自分の中で不幸と受け止めなくなったら乗る超えていると考えてよいと思います。
    事故も障害も、事象でしかないです。そこに、不幸や幸福の属性はありません。
    自分の中に入ってきてはじめて、自分が不幸か幸福か色分けをするんです。物事を不幸にできるのは自分だけ。

    今まで不幸だと思っていたことが楽しく感じられたりいとしく感じられたりします。
    そういうことかな、と思います。受け入れる準備と覚悟ができたのでしょう。

    ユーザーID:5859161525

  • 私は

    中途障害者です。
    確かに「壁」って生きていく上でたくさんありますよね。
    それは健康な人にも。

    私にだって壁はたくさんありました。
    今まで出来ていたものが突然出来なくなったのですから。

    色々と悩みましたよ。
    「あれも出来ない」「これも不可能になった」と。
    でもある時に知人に言われたのです。
    「出来ないことを数えてもきりがない。今できること(能力)を数えろ」と。

    人は「完璧」を求めようとするから、自ら壁を高くしてしまうのです。
    誰だっていきなりエベレスト(壁)を登ることはできませんよね。
    時間をかけて少しずつ上を目指せばいいんですよ。

    ユーザーID:1368097377

  • 私は 2

    お子さんがおいくつでどれほどの障害をお持ちかわかりませんが、どんな小さなことでも「生きている喜び」を見つけてあげてみてください。
    一歩でも前進できたら一緒に喜んでくださいね。
    家族や周りの喜んでくれる姿が、次の一歩に繋がりますよ。

    時にはつまづいたり、立ち止まることもあります。
    その時はあせらずに。ゆっくり休憩も必要ですよ。

    そして道はひとつではありません。
    ちょっと見方を変えればたくさんあるんです。
    少しのアイディアや道具で可能性は無限に広がります。
    お子さんの可能性を最大限に発揮できる道を家族で探してみてください。

    「笑顔」を大切に・・・。

    ユーザーID:1368097377

  • 私もよくわかりませんが

    たしかに「あれを乗り越えたから今の自分がある」なんて
    言い方をよく聞きますねぇ。

    私は短期間ですが、怪我や病気でとても苦しんだ経験もあります。

    とても苦しんだことも、早くて数年、遅くて十数年の時がたてば
    やっぱりない方が良かったけど、「珍しい経験」となりました。
    その意味で、苦難は神様が下さったものだと思っています。

    会社で困難な仕事がたくさんやってくるときは、
    なんとかして「乗り越え」ます。

    でも、天災や病気や怪我などは「乗り越えた」とは思いません。

    苦しいときは毎日を我慢して(させられて)過ごす。
    気持ちはいつもネガティブ。
    そういう時に「頑張ろう」と気を取り直した直後に
    頑張る気が失せるようなことがしばしば起こりました。

    ですが、先生などに従っていたり、時が経過すると、
    いつの日にか終わっていた。という感じです。

    苦難に立ち向かうのも一つの方法ですが、苦難と
    寄り添って一緒に過ごせばまた別の生き方が
    見えるのではないかと思っています。

    別の生き方が見えたときを「乗り越えた」と
    いうのかもしれません。

    ユーザーID:0912107252

  • 底なし沼

     それでも何とか希望を見出そうとポジティブなイメージを持っても、その見通しの甘さを嘲笑うかのように、真逆の事がよく起こります。

     私も今、まさにそう感じながら過ごしています。乗り越えるってどういうことなのか。私の前には高い壁があるというイメージではないんです。
     底なし沼にはまってる感じです。抜け出そうともがけばもがくほど、どんどん沈んでいきます。
     「時には人の助けをかりてもいい。」叫んでも誰も助けてくれません。 「考え方をかえてみたら?」自分が変わらなければとも思っています。 その努力もしています。
     「無理するのやめてみたら?」時間が解決してくれる事もあるのでしょう。でもいまは限られた時間しかないのです。
      
      首まで沈んでしまって顔だけでてる私の顔は、それでも笑っています。正気を失わずにいられるでしょうか。次気付いたら、誰かが引っ張りあげてくれているなんてこと起きるのでしょうか。
      本音は早く楽になりたいです。できるなら、心から笑える日がきてほしいです。

    ユーザーID:3617425880

  • 私の場合

    つらいことや嫌なことから目をそむけると、その事はモンスターのように成長してしまいます(もちろん私の意識の中だけで)。
    逆に怖いけど意を決して絶対乗り越えてやる、と正面から立ち向かっていくとその事は思っていたよりもずっと小さくなります。
    私も自分の人生におこることは必ず意味があると思っていて、困難にあうことは今しっかり自分で乗り越えるべきことだと思っています。

    つらいお気持ちはお察しいたしますが、たとえばお子さんはあなたがより素晴らしく成長するための神様からのプレゼントという考え方はできませんか?とりあえず表面的にポジティブになるのではなく、その全てをしっかり受け止めてあなた自身が踏ん張って乗り越える時なのではないですか?

    すみません。。ちょっとえらそうな感じになってしまいましたが乗り越えることに関する私の心得をちょっとでもお役にたてばと思い書かせていただきました。

    ユーザーID:9651888599

  • 私も友達だよ。

    「乗り越えようとすればするほど、間逆(正反対)のことが起こる」。
    その一文が、私と境遇は違えども、常々私もそう思っていた為、
    思わず出てきました。
    「まるであざ笑うかのように、、。」
    全くそうですよね、と共感します。
    人生って本来苦難の連続なんですよね。
    近年流行の「前向き思考」が辛いです。
    ギブアップしても良いじゃないですか、ねえ、、。

    「雨が降れば雨の中を、風がふけば風の中を、、、」
    でいきませんか。
    乗り越えなくてもかまわない、
    「苦しい」と思いながら生きていきませんか。
    その苦しみこそが人生だから。

    ユーザーID:9289292549

  • だって生きているじゃない!

    >口当たりのいい妄想に浸って、苦しみや痛みから目を逸らしている・・・
    どんなに妄想に浸ってみても、苦しみや痛みから目を逸らしてみても、それでも現実が変わるわけでもないことを、苦しみや痛みが消えてなくなるわけでもないことを、あなたはもう十分知っていますよね。

    「>その時の苦しみや痛みを真正面からがっぷり受け止めて」いるからこそ、直視できないほどに現実が辛いと感じる。
    「>暗闇の中でのたうちまわって」いるからこそ、時に「>妄想に浸って、苦しみや痛みから目を逸らし」たくなる。
    現実を直視できなくたって、そこから逃げ出さずにちゃんと生きていることが、「乗り越える」ということだと私は思います。

    ユーザーID:8631095017

  • 乗り越える=前向きかどうかわかりませんが

    皆さんがおっしゃっているように
    受け入れるに近いものではないでしょうか?

    苦難が続く時、のた打ち回った末の理解は大切です。
    それがなければ、苦労をする意味がないとさえ思います。

    でもその苦労、苦しみってなんでしょうか?
    お金のない苦労、病気を持つ苦しみ、いろんな苦しみがありますが、
    まず頭に完全なものを思い描いているから、
    そこに到達できない現状を嘆き、苦しんでいるわけですよね。

    お金がないなら、節約の過程で喜びを見つける。
    病気でも、家族が協力し仲良くできる喜びを味わう。
    現状を「苦しみ」として受け入れるのではなく、
    なにかしらの「喜び」として受け入れられないものでしょうか?

    障害を持つお子様の事。
    お気持わかりますと簡単に言えないほどの悲しみや苦労が多い事と思います。
    でもお子さんを得た事=苦しみではないですよね、きっと。

    雨が降っている時に
    「いつか晴れる」という思考は逃避。
    「どうせ晴れを望んだって今現実には雨。仕方ない」これは悲観的。
    「草木が潤って丁度良いかも」と良い面に目を向けることが前向きではないでしょうか。

    ユーザーID:5613347892

  • 言葉の解釈は人によって違うので

    他の人の「乗り越え」経験を聞いてトピ主さんがそれを「乗り越えた、とは
    思わない」と感じたとしても、何の問題もありません。
    客観的に見て全く同じ問題だったとしても、それをどのくらい重大なものと
    とらえるかは人によって違いますよね。

    > 口当たりのいい妄想に浸って、苦しみや痛みから目を逸らしているだけでは…?

    「口当たりのいい」というのは「聞こえのいい」ということでしょうか?
    苦しみから目をそらすことがあったって、いいじゃないですか。
    何とか向き合える力がつくまで待ってもいいですよね。
    一生目をそらしつづけたとしても、それで済むならそれでいいじゃないですか。

    他人のことは他人のこと。トピ主さんとは感覚が違って当たり前。
    そう考えると少し楽になれませんか?

    例えばトピ主さんにとってお子さんのことは「乗り越え」られるようなことでは
    ないですよね。
    でも、向き合っていくことはできますよね。それでいいんだと思います。
    ただ、向き合い続けるのも大変だと思うので、時々自分を解放できるといいですね。
    お子さんのことと同じくらい、ご自分を大切に。

    ユーザーID:7543718017

  • トピ主です

    沢山のレス、ありがとうございました。皆さん一人一人の了見豊かなご意見で、心がとても軽くなる思いがしています。

    補足的になりますが、障害が分かってから今日まで、浮かんでは消えるのは

    一人目、更に二人目といわゆる「五体満足」な赤ちゃんを産み育てている友人・知人達の事。

    なんで……どうして?????私の所に生まれてきた子は、幸せになる資格すら与えられずに放り出されてきたのか?

    親として子供の未来に夢描く事すら奪われた毎日を過ごす私と、何かしらのマイナートラブルこそ日常的に抱えつつも、その対極にいる彼女たち。悔しくて悔しくて仕方ありませんでした。

    …わかってるんです。そんな羨みが自分をどうしようもない底なし沼へと引き込んでいるのを。頭では分かっているけど、本当に理解するのは簡単な事じゃない。おそらく人づてで我が子の事を耳にしているであろう彼女たちとの交流をこちらからスッパリ絶ち切った頑な気持ちと、けれどそれを越えた向こうの世界に何とかして辿り着きたい。今もそんなジレンマと闘い続けています。

    ユーザーID:0221075860

  • 障害者でも誰でも幸せになる資格があります

    2回目です。

    お子様に障害がおありだったことは、母親にとって
    言い尽くせないショックな出来事だとお察しします。

    もし、我が子に障害があったら、私も、父親として
    もがき苦しむと思います。

    >私の所に生まれてきた子は、幸せになる資格すら与えられずに放り出されてきたのか?

    障害があったら幸せになる資格がないのですか?
    それはおかしいでしょう。

    自分が幸せかどうかなんて、人と比べて決めるのではありません。
    親が押しつけるものでもありません。

    子供が自分で育ちながら、自分自身で意識していくのです。

    いわゆる五体満足な人でも親の価値観を押しつけられて、
    もがき苦しんで、幸せになれない人もいます。

    子供は子供の価値観で生きています。
    生まれ育ったときの状態・環境が子供にとっては
    「普通」「あたりまえ」のことなのです。

    その中で、子供にとってふさわしい生き方や価値観を、
    子供と共に一緒になって考えるのが「幸せ」につながると思います。

    ひょっとして、あなたは子供抜きで、
    自分だけで「乗り越え」ようとしていませんか?

    ユーザーID:0912107252

  • 誰のせいでもないんです

    >私の所に生まれてきた子は、幸せになる資格すら与えられず

    今親子になったことが「幸せになる資格」じゃあありませんか。情報が今はたくさんあり、これから発展していくだろうこの時に親子になったということは・・・。

    梨木香歩さんが「ぐるりのこと」という著書で「その人生はその子供自身しか意味づけができない」というようなことを仰っていました。トピ主さん、子供の力を信じましょう。誰のせいでもないことも、子供の人生も全て背負わないで。

    トピ主さんは今苦しんでいますね。でもその苦しみは、いろんな人たちを導くことができるんです。そしてそれはトピ主さんにしかできない。トピ主さんが今苦しんでいることも、彼等には共感という力になるはずです。

    アガサ・クリスティが自伝の中で「通り過ぎてきたからこそ(クリスティの生涯もいろいろありました)、人生は素晴らしいといえる」と言っています。
    通り過ぎるくらい時間がたたなきゃそこまでの境地にならないかーと思いながらも、その言葉は私にとっては力になります。もがき苦しむことも無駄にはならないのだと。

    ユーザーID:8289618774

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