愛とは?

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ジェシカ

男女

アメリカ人とお付き合いして数か月。先日とあるきっかけで『love』の話になった時、『人を愛する』には時間がかかる。と言われました。確かにそれは理解できますし、アメリカ人にとって『I LOVE YOU』はとても重い言葉のようなのですが・・・一人になって考えたときに、『愛とはなんだろう?』と真剣に考えてしまいました。

そこで皆様、人を好きになってから段々と愛情に変わっていく際、『この人を愛している』と思うようになる瞬間はどんな時でしたか?
そして『愛する』までの期間はどれくらいかかりましたか?

是非ご意見をお聞かせ下さい!

ユーザーID:1505480709

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  • わたしの場合は・・・

    〜してもらいたい。から、〜してあげたい。に変わった瞬間、愛を実感したかなぁ。

    ユーザーID:3104012287

  • 忘れられない言葉を紹介します

    「情熱がすべて消え失せたあと、そのかわり、情熱のように烈しい炎ではないが、地味な目立たぬ火をいつまでも燃え続けさせようとする二人の努力 ― 時にはくたびれ、時には放棄しようと思うことがあっても、遂に捨てなかった荷物 − それを我々は情熱ではなく「愛」と呼ぶことができる。」

    遠藤周作さんの『恋愛作法』に載っていた言葉で私が忘れられない言葉です。私もそのように思っています。

    一緒に乗り越えてこそ得られる信頼感、安心感、それを積み重ねていくというのが大切だと思います。喜びも悲しみも苦しみも一緒に分かち合うというのが理想です。それは恋愛だけだなく、友だちであったり仕事のパートナーとの間、どの人間関係でも同じですよね。

    大切な人であれば、いつも思いやりの心を忘れずにいたい、その思いやりこそ愛だと思います。

    ユーザーID:6451022023

  • 「愛」=「当たり前」。

    「愛」は、自分の中で当たり前 になるものの事だと思っています。

    なんでしょう。

    例えば夏物の服が欲しくてフリマに行き、
    「○○(友達)はこんな服好きだったよな…」
    と、気が付いたら友達へのプレゼントばかり買っていた、とか。

    映画を頻繁に見に行って、
    「よく生活切りつめてまで映画を観ようって気になるな?」と言われ、
    「え? なんでそれが疑問になるの?」と切り返す事、とか。

    良くしてやろう、とか、見返りが欲しい、とかそういうのではなくて、
    何か、自分の生活の中の選択肢として存在して当たり前 という人や物こそが、
    「愛」とか「愛している」というものなのではないでしょうか?

    ユーザーID:9981025018

  • ありがとうございます!!

    ジェシカです。

    dee様
    レス、ありがとうございます。
    シンプルにそうですよね・・・私はすぐに「何かしてあげたい」と思ってしまうせいか、なかなか相手を理解できないところがあって・・・
    そう思う時間は人それぞれですものね。

    むーむ様
    素敵なお言葉をありがとうございました!
    確かに、燃え上っていた炎がいつしか落ち着き・・・今そんな段階なんだと思います。急がずにゆっくりと、良い信頼関係が築けたら素敵ですね〜

    ユーザーID:1505480709

  • ありがとうございます!! 2

    Joker様
    レス、ありがとうございました。
    「当たり前」に思うこと。とっても素敵な気持ちですね。
    皆様は「好き」なレベルでもそう思わないのでしょうか?
    私が「愛する事」のハードルが低いのかな・・・

    ユーザーID:1505480709

  • 無意識

    私が感じる「愛」もJokerさんに近いと思います。
    一緒にいることが多くなったり共有するものが増えていくと、無意識のうちに相手を思うことがあります。そういうのが「愛」かなって思います。
    小さなことでも「あ、○○○に話したいな」とか「コレ、○○○に似合いそう」、他の誰かといる時に「ここ○○○とも来たいな」などなど。何気なく自然に自分の中に浮かんでくる人が、家族でも友達でもなく彼氏になった時に好きから「愛」になったかもしれないなーって思いました。
    あと期間ですが、好きになるのに時間がかかるので、今の彼氏は告白されて付き合うようになってから徐々に好きになっていきました。
    たまに「も〜、やだ!」って投げやりになってしまうこともありますが、さっき書いたように自然に彼氏が浮かんでくると「ちくしょーやっぱ好きなんだな」って思います(笑)それがなくなったら終わりかも。
    このトピのおかげで色々考えることができました。ジェシカさんありがとうございます!お幸せに♪

    ユーザーID:5547590925

  • 自己愛以上の存在・・かな?

    私の夫は韓国人ですが、交際当初は主さんの彼と同じことを言っていましたね。「君のことを好きだけど、“サランヘ”(愛してる)と言える自信はまだない。それはきっと時間がかかること。いつかは言えると思う」
    と。

    私も考えました。日本人って「愛してる」って日常的に言わない(人が多い)から、それがどういう感情なのかもよくわかってないですよね。

    自分からはどうしてもわからなかったので、ついに彼が「サランヘ」と言ってくれるようになってから「愛される」ということについて考えてみました。彼に起こった変化から、知ることができるかと思って。

    結果、
    彼の基本は「自己愛」(人間皆そうかな?)。
    だけど、唯一「自分と同等、場合によってはそれ以上に大切に思う、
    優先できる」という感情、かな〜と。

    血を分けた家族に対する感情と同等にもっていくわけですから、
    そりゃあ時間がかかるわけですよね。

    色気のない話ですいません。

    ユーザーID:9793127497

  • 愛ってほんとになんなんでしょうね。

    個人的には、
    愛とはともに生きたいと願うこと。
    と思っています。


    いつから愛してたかという問ですが……
    仲良くなってから1ヶ月です。
    でも、もっとずっと昔から愛していたような気がします。

    恋心に似ているけど、もっと複雑で重層的で奥に響いてくるようなわけのわからない感情がどんどん噴き出してきて、これはもう愛としか言いようがないな、と思いました。

    愛していると感じてすぐに口をついたのは
    「好きです、つきあってください」という台詞ではなくて「愛してる」、
    向こうからの返事は、『どのくらい?』

    その時、私は片思いしかしたことのない中学生で、向こうはそれまで片思いすらしたことない恋愛経験ゼロの高校生でした。

    今ですか?二人とも成人してしばらく経ちましたが、やっぱり変わらず愛しています。
    この人に対する感情以外、愛なんて呼べません。

    ユーザーID:8089437339

  • ちょっとだけ補足。

    もう一つ伝わりにくかったですよね、すいません。

    「愛」=「当たり前」。
    当たり前に好き、というのではなく
    「生活の中の選択肢として当たり前に存在する」という意味で、
    自分の人生の選択肢の中にまんまと「居て当然」の人や物への、
    この曖昧で、如何にも言い表しにくい感情を 愛 というのだと考えています。

    日本人ならご飯に味噌汁は当たり前
    の「当たり前」に近い感覚でしょうか。

    疑問を挟む余地が無い存在。

    だからこそ、無くなるなんて思えず、無くした時に実感がなく、
    ふと実感した時に涙が溢れかえったりするのかも知れません。

    ユーザーID:9981025018

  • 『喜び』と『悲しみ』と『幸せ』と。

    私は愚かものです・・・喪ってはじめて、自分がそれをいかに愛していたか気付されてばかり。。。
    でも「離れたくない(離したくない)」っていう思いがある間は、本当の意味で愛してはいないんだろうな、って思います。それは、「好きなものを失う悲しみを避けたい」っていう自己愛に囚われているだけ。

    人はいつか必ず死す定め―――だから、どんなに好きなものとも、遅かれ早かれ別れなければなりません。
    それは、決して避けることのできない悲しい出来事。
    もし『好き』なだけだったら、その別れと悲しみをただただ『不幸』なことと思うだけでしょう。

    でも、もし生涯のうちに『本当に”愛する”もの』と出会えたなら、たとえどれほど深い別れの悲しみが待つ運命だったとしても、そんな存在に出会えた縁(えにし)を素直に『幸せ』だったと感謝し、そしてそれほどまでに別れを惜しみ哀しめる関係を築けたことを心から『誇り』に思えるものだと思います。

    だから私にとって、『好き』から『愛している』に変わるときは、『喪失の悲しみを幸せの証として誇りに思えるとき』なのだと思います。
     

    ユーザーID:2959004698

  • 男女の愛

    親が子供を愛する愛なら、子供さえ本当に幸せになるなら、自分は喜んで犠牲になれて、見返りは求めようと思わないのが本当の愛だと思います。

    でも、男女の間の愛ということなら少し違うかな?相手を喜ばせてあげたい気持ちもあるけれど、相手からも反応が欲しいと思うのはごく自然ではないかと。一方が尽くしても、相手はあまり喜んで受け取ってくれない、そんな一方通行じゃやっぱり幸せになんかなれませんよね。

    そうですね、愛って、相手のためなら死ねる、くらいの強い思いではないでしょうか。

    恋したり好きになるのはどっちからでもいいけれど、そういう愛をくれるべきなのはまず男性が先じゃないかな?そうすれば女性も同じ愛を返せる、という気がします。

    夫と出逢って一緒に過ごしていくうち、彼は、決して私を軽んじて裏切らないこと。それから、たとえば私が車に轢かれそうになったとき、この人は必ず身を投げ出して救ってくれる、と確信した時、いっそう大好きになり、この人の幸せのためなら何でもできる!応援する!と思えました。

    ただ、愛は、時が経ってもおろそかにしないよう、注意しないといけない気もします。

    ユーザーID:1114933861

  • ありがとうございます!!

    うま塩様
    単純な質問かな。と思いながらトピを立ててしまいましたが、良かったです。ありがとうございました!うま塩さんもお幸せに(*^_^*)

    みれ様
    日本人にとっての「愛してる」と外国人(ひとくくりにするのは、違うかもしれませんが)にとって捉え方、重みが違うのでしょうかね?
    最後のお言葉、納得できました!

    ムウ様
    すごいです!そんな若くして「愛」を経験できるなんて素敵ですね〜。これからもお幸せに♪

    ユーザーID:1505480709

  • 〆られましたかね?

    愛の定義は難しいですね。
    昔は『好き』の最上級だと思ってました。

    人間だから嫌なところや不完全なところはみんなにあるんですよね。
    生み育ててくれた両親にさえ。
    それでも『愛している』と思います。
    不完全なところをひっくるめて。
    伴侶に関してもそうです。

    無いと寂しいもの。
    あったら縋ってしまうもの。
    縋っても受け入れられる関係。
    縋られても手を伸べたくなる気持ち。
    時には叱咤し、される関係。
    同じ空気を共有できる心地よさ。
    信じて信じられたい
    知って知られたいと思う欲望。

    全く愛というものは不思議です。
    愛しいという気持ちは自分のどこから湧いてくるのでしょう。

    ちなみに私は…
    今の伴侶との一年に渡る同棲を両親に咎められ
    反対されたとき
    この生活が終わるのは嫌だと自覚したときが
    『この人(伴侶)を愛しているんだ』と自覚したときです。
    親を捨ててもいいとさえ思ったんです…。

    ユーザーID:1687646833

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