懐かし物語・昭和レトロ編

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生活・身近な話題

ちょこべー

以前コスメ編でトピをたて、皆さんから懐かしいコスメの思い出話を聞かせていただき、とっても楽しかったです。
そこで、今回はコスメに限らず、昭和を感じる物・食べ物・事柄などで再び楽しく語り合いたいです。

私の中ではやはりシャンプーとか化粧品の香りとパッケージが懐かしくてもう一度手にしたいと思う気持ちが強いです。
あと総柄の千代紙も最近見ないなぁと。
フィンガー5のイラストが描いてあったり、5〜6cmの千代紙の柄にワクワクしたものです。
もったいなくて使えなかった記憶が‥。

皆さんのお話も聞かせてください。
よろしくお願いします。

ユーザーID:7016701500

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  • バスの車掌さん

    トピ主様、こんばんは

    私が、子供の頃の路線バスには、必ず、女性の車掌さんが乗っていました
    ナースキャップを立てに被った様な帽子、紺の制服、紺のスラックス
    ポシェットの様なカバンを腰に付けた姿。

    私は、母の実家に、母と一緒に、路線バスに乗り、遊びに行くのが
    楽しみでした、それは路線バスの車掌さんに会えるのが、子供心に楽しみだったからかもしれません
    「発車オーライ」と言う澄んだ声
    時々、私の頭を撫でてくれて、私は、それだけで大感激。

    ワンマンバスに切り替わった時
    「どうして、車掌の、お姉ちゃんが居なくなったの〜!」
    と泣いて母を困らせた様な記憶があります。

    懐かしい、昭和の記憶です。

    ユーザーID:2356032076

  • のんびりした時代でしたね。

    最近も「復活して欲しい昭和の品」というトピで『手書きの映画看板』・『お膳にかぶせる傘上の蚊帳?』・『ブーブージュース販売機』などのレスをしましたが、まだまだ懐かしいもの、ありますねえ。

    ■ハエとり紙
    天井からぶら下げて、ハエや虫がくっつくもの。
    地方へ行くと、まだ売っています。
    自分の頭にくっついたときに成長を感じました。

    ■お釣り銭のザル
    市場などで釣り銭用に、長いゴムをつけてぶら下げてありました。

    ■新聞紙でくるんだ魚
    生ものは何でも新聞紙でくるんで渡してくれました。

    ■真っ黒けの電話機
    受話器も本体も鉄製で、子供には重たい。
    ダイヤルは真鍮みたいに指の部分だけが金色に剥げて。

    ■テレビ画面前につける青い板
    ブラウン管で目が悪くならないようにと、ぶ厚いレンズみたいな板をつけるんです。
    当然、チャンネルは団子みたいなヤツでガッチンガッチン。
    ずれると映りにくくなるので、タバコのケースを挟んだりして。

    ■トイレの千代紙
    今みたいなロールではなく、隅に積み上げてありました。

    さてトピ主さんは、いくつご存知ですか?

    ユーザーID:7133515481

  • 満鉄様

    おぉ、昭和の匂いが漂いますねぇ。

    私が4〜5歳の頃にワンマンバスになったので、車掌さんは遠い記憶の彼方ではありますが、皮のポシェットのようながま口のバッグだけ鮮烈に覚えています。
    お金やら切符切るハサミみたいなものが入っていたのでしょうか?

    あとバスの車庫入れで車掌さんが「ピピーッピピーッ」て笛で誘導していたのも覚えています。今でも観光地へ行けば時々お目にかかりますが。
    現在駅のバスはみんなロータリーになってますもんね。

    楽しいお話ありがとうございました。

    ユーザーID:7016701500

  • トピ主のコメント(52件)全て見る
  • まっさん様

    まっさん様のお名前よそのトピでもお目にかかりました。

    挙げてくださった物たち、懐かしい物もあれば知らない物もありました。

    ハエ取り紙・お釣り銭のざる・商品を新聞紙で‥は、近所のちっさーい八百屋さんが全て網羅していました。
    通い帳というのか買ったものを小さなノートに付けてもらって月末まとめて払う‥ということもあったと記憶してます。

    真っ黒な鉄製の電話器とテレビの青い板はわからなかったです。
    青い板効果あったんでしょうか?

    あとトイレの千代紙もありましたね〜。うちは四角い箱に入ってました。

    それと、噴水のように出てるジュース販売機がブーブージュース販売機と呼ばれていたなんて!知らなかったです。私は噴水のジュース(そのままやん‥笑)と呼んでいました。

    いっぱい教えてくださってありがとうございました。

    ユーザーID:7016701500

  • トピ主のコメント(52件)全て見る
  • 夏の思い出

    私が子供の頃は、プールの帽子は今のように伸縮性がなく、頭をすっぽり包んで、
    あごの下でヒモを結ぶタイプでした。ヒモを結ぶとナイロンの擦れる音がボソボソって
    伝わってきて、さあ泳ぐぞ、とワクワクしたものです。

    プールから見上げた紫がかった空、プールサイドで買ってもらったキャラメルコーンが
    小学生時代の夏の思い出です。

    キャラメルコーンは今も健在で嬉しいです。

    ユーザーID:2413252235

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  • やはり駄菓子屋の話になりますね

    子供の頃、確か4歳か5歳の頃コカコーラ、ベプシコーラを飲む事を禁じられていました。駄菓子屋ではコーラ味の今の言葉で言うとキャンディーが売られていてけっこう売れてました。一本5円でした。これも食べる事を禁じられていたのですが「ふがし」と呼ばれたもので見た目は美味そうでした。

    カンシャク玉やら2B弾というのも売っていました。今思うとよくあんな危険な物を子供に売っていたものだと思いますよ。カンシャク玉を大量にポケットの中に入れていて何かがそこにぶつかったらかなりの怪我をしたはずです。2B弾もあれを分解して爆薬だけ集めるとすごい危険物になるのですがよく放置されていたものです。爆竹も同様でしたね。

    もう一つコスメにも今は無いものがありました。これは70年代前半だったと思いますが100円化粧品というのがスーパーで売られていました。お袋は使いたがらなかったので、「これを買えば差額でもっと他の物も買えるよ」と勧めたものです。80年代には姿を消しました。

    ユーザーID:5476950649

  • やっぱり私も昭和の人間

    いや〜この手のトピを見るとついつい参加したくなります。
    今では消えてしまった懐かしのもの、あります。
    木板の床の電車です。田舎に行くときたいていは車でしたが母と二人で行くときは電車でした。京都駅から電車を乗り換え川の流れをみながら電車は走っていきます。ゆっくりとした時間でした。京都駅のホームで電車を待っている間にネットに入ったみかんや平べったい箱に入ったちょっと大人なキャラメル(ハイソフトでしたっけ)をかってもらい、景色を見ながら母と二人ちょっとした旅気分です。今ではトンネルばかりの新しい線路ができ古い線路には観光用のトロッコ列車が通っています。
    そういえばすんでいたところは都会でしたが小学生の頃は市バスも床が木板でしたね。さすがに車掌さんはいませんでしたが。
    まっさん様、今でもうちの実家はトイレの千代紙(こちらではおとし紙といってますが)使ってますよ。父がこれでないとだめみたい。
    昔は家に電子レンジがあるだけでお金持ち!と思ったものですが、、、

    ユーザーID:4965560705

  • かざぐるま様

    忘れていました!そうそうナイロンであごの下で結ぶ帽子でしたね。
    私が小学校4〜5年生でゴムの白い帽子になったので、わりと子ども時代はこちらのナイロン帽の方がなじみが深いのに..。
    耳まですっぽり隠れてちょっと聞こえにくいと言うか、ジャラジャラした雑音が付きまとうと言うか(笑)
    柄も今の子ども用とは違う、サイケな模様がたくさんありました。

    このあごの下で結ぶというのが、小さい子では面倒かもと気を利かした友達のお母さん。片側のリボンは取っ払って、その代わり大き目のボタンを付け、もう片方のリボンはそのボタンがひっかかるくらいの輪っかに縫って、オリジナル帽子を作っていました。すごく便利〜と子ども心に感動し、早速真似して作ってもらいました。

    >プールから見上げた紫がかった空、プールサイドで買ってもらったキャラメルコーン←こういう表現、とても素敵です。情景が浮かんできます。

    かざぐるま様、懐かしい楽しいお話ありがとうございました。

    ユーザーID:5454814380

  • マスカレード様

    レスありがとうございました。

    コーラを飲むと骨がとける..
    私のまわりではそんな話がまことしやかにささやかれていました。
    家は禁止ではなかったですが、三ツ矢サイダーとか、リボンシトロンが主に飲まれていました。
    コーラ味の飴玉は今でも好きです。

    かんしゃく玉(←同じものではないのかも知れませんが、こちらでは火薬と呼ばれていました)も、今考えると怖いアイテムですよね。
    普通に駄菓子屋さんに売っていました。
    石で叩いて、けむりを出して遊んでいました。
    まったく何の意味もない遊び(笑)

    100円コスメもありました。
    当時子ども用のお化粧品が出始めた頃か何かで、中身よりもそのパッケージに惹かれて私も親に欲しい欲しいとねだっていました。
    値段も高いし、もちろん買ってはもらえませんでした。

    そんなある日..スーパーで売っていた100円化粧品。
    これなら、と言うことでおしろいのコンパクトを買ってくれましたが−金色の花模様というかおよそ子どもにはそぐわない、そのいでたちのコンパクト。
    妥協した自分が悪いのですが(笑)

    ユーザーID:5454814380

  • テレビのチャンネル

    昭和40年代のテレビはリモコンではなく、ガチャガチャ回すチャンネルでしたね。

    中学生になり、試験勉強といって夜更かしが許されるようになった頃、
    深夜(とはいっても11時ぐらいだっと思いますが)の大人向け番組を
    音量を下げて、こっそり見たものでした。
    今なら、親の足音が聞こえたらリモコンでピッとチャンネルを変えられますが、
    当時はガチャガチャ回さなくてはならず、またその音も聞かれてはならなかったので、
    かなり気を使いました。笑

    思春期の良い思い出ですね〜。
    ちなみに私は女です…。

    ユーザーID:7858632243

  • 公設市場

    上の方が、お魚は新聞紙でくるんであったと書いておられますが、
    それに関連して・・。
    昔の魚屋さんでお刺身買った時、木の皮みたいなので作った(折り詰め
    弁当でよく使われる)、舟形のお皿に入れてたような気がします。
    で、わさびをその脇にへらでぺちゃっとつける。
    そうそう、たこ焼きとかもそのお皿に入れて売ってましたよね。

    お魚に限らず、お野菜でも何でも、市場に行くと皆新聞でくるんで
    ましたよね。

    あと、お味噌屋さんでは、たるに入れたお味噌を量り売りして、
    パラフィン紙みたいな紙に包んで売ってくれましたね。

    お豆腐は水から手ですくって切ってから容器に入れてくれる。

    あと、買い物かご。これ昭和です。

    それと、エプロンつけたり、頭にカーラー巻いたまま近所に買い物にいく
    おばさん。
    今では余り見られません。

    当方大阪出身ですが、今はもう公設市場なるものも少なくなって
    いるような・。

    ユーザーID:0726720124

  • テレビ番組欄の「カラー」

    私が小学校3年生の頃かなあ。カラー放送が始まったのは。
    東京オリンピックのあたりからでしたよね?
    幸せなことに我が家は父親の仕事の関係で、いち早くカラーテレビを買ったのですが、

    (クラスで数軒の家庭しか、カラーテレビを所有されてなかった)

    実際はまだまだカラー放送の番組は数える程しかなく、カラーだと番組欄にしっかりと、

    「カラー」と表示されていました。

    懐かしいですねえ・・・

    覚えておいでの方も多いのでは?


    それと、小学校に入った頃はまだ電話のない家庭もあり、
    子供には電話があまり馴染みのない時代でもありました。

    それで国語?の時間に、「電話のかけ方」を習いました。

    かかってきたら
    「はい、山田です」と名乗りましょう。
    お母さんいますか?と聞かれたら、いないよ、などと言わず、
    「出かけています」などと丁寧に・・・とか、ね。

    今では考えられない授業でしたね。

    ユーザーID:5038696178

  • カンシャク玉

    紙に爆薬と小さい石の欠片を包んだものです。懐かしいです。あの爆薬は今でも小銃の薬莢の中に使われていてちょっとした刺激でも発火して大量のガスを発生させます。硬い紙で包んであるので発火すると中の圧力が急上昇して紙が破れると大きな爆発音が出ます。そのカンシャク玉を投げつけると中の小石がこすれて爆薬が発火する仕掛けでした。2B弾は先端部は先端に火をつけるとそれ程急激に発火する火薬じゃないものが燃えて5秒位で中のカンシャク玉の中に使われていたのと同じ爆薬に火をつける仕掛けでした。今思うと分解するだけでも危ないのに怖い物知らずだったなと思います。トピ主さんの記憶の中にあるものもこんな物でしたか?

    ユーザーID:5476950649

  • くろにゃんこ様

    いつでも何度でも参加してください〜。

    京都で木板床の電車ですか、風流ですね。
    電車に乗る時ってキャラメルやみかんやゆで卵が定番でした。いつも食べてるキャラメルなのに、なんか嬉しいんですね。

    木板床の電車もですが、こちらでもすごくローカルな電車が走っていました。一両編成でドアは自動でなく手動。田舎の可愛い電車でしたが、経営難になり違う鉄道会社になってしまって、もう普通の電車になってしまいました。


    くろにゃんこ様ありがとうございました。

    ユーザーID:7016701500

  • トピ主のコメント(52件)全て見る
  • 職場に・・・

    ハエ取り紙がいくつも下がってましてよ?
    成田の隣なんですが。

    ユーザーID:5046844317

  • 昭和48年生まれです

    ・ジュエルリング:指にはめて舐める飴。手もベトベトになっちゃいました。
    ・名前は覚えてないのですが、ピンクや緑の宝石が入ったように見えるアイス。ちょっとお姫様のような気分になって食べてました。
    ・花壇といえばビール瓶:最近はオシャレにレンガや枕木などで囲いをしますが、
    昔はよくビール瓶を逆さにして埋めて囲いにしてませんでした?
    うちだけ?
    ・電車の切符:改札周囲が切符の切れ端だらけでした。
    カチカチとリズミカルにパンチみたいな道具を鳴らす駅員さん、なつかしいなぁ。

    ユーザーID:7380950763

  • まっさん、まっさん・・・そりゃ「チリ紙」

    いやぁ〜〜〜・・・懐かしい。
    「公設市場」にいたっては思わず涙ぐんでしまいそうでした。
    私が住んでいた団地の市場は「小売公舎」と呼ばれていいました。
    肉屋八百屋洋裁屋魚屋薬屋雑貨屋八百屋駄菓子屋金物屋魚屋乾物屋刃物屋電気屋靴屋・・・みたいなね。
    鍵っ子だった私は親が勤めから帰って来るまで、それはもう世話になりました。

    ところで、まっさんさん。
    さすがに「トイレの千代紙」ってのはタイプミスですよね。

    私らの年代では「千代紙」ってのは、和風の文様が印刷された「折り紙」に近いもので、
    あれでお尻拭いたら・・・痛くないですか?
    私の住む地方ではトイレの紙は「チリ紙(「チリガミ」または「チリシ」)」と呼んでいました。
    今でも売っているんですよね〜。だれが買ってるんでしょか。

    ユーザーID:4041141217

  • ポン菓子屋さん

    トピ主様、こんばんは

    2回目のレスです。

    丁寧な返信、ありがとうございます。

    もう一つ、懐かしい、昭和の記憶があります。

    頭に、捻り鉢巻をした、おじさんが、リアカーに大砲の様な機械を乗せて
    ケトルポットの様な「ピ〜!」と言う音を響かせながら
    私の町内に、やってきます。

    私は、その音を聞きつけると、急いで、家から、米やトウモロコシ、マカロニ、などを持ち出しておじさんに、渡します
    おじさんは、それを大砲の様な機械の中に入れます
    その機械の横に、メーターが付いていて、そのメーターが、一定の目盛りに達するとおじさんが「サー!いくぞ!」と言って
    鉄の棒で、その機械を叩きます
    そうすると「ボ〜ン!」と言う爆音がして、機械の前にある籠に、ポン菓子が一杯入っていました。

    そのポン菓子が、とても美味しかったです。

    今でも、この商売は、当たるのではないでしょうか?

    ユーザーID:2356032076

  • 蒸気機関車

     昭和40年前後のことと思います。大阪北部に当時住んでいた私は、よく東海道線を利用していました。

     当時の私にとって、駅の中でもっとも恐ろしいのが、蒸気機関車でした。

     真っ黒い巨大なモノが、物すごい騒音と煙を発しながら、駅に入ってくる。
     1万本のビール瓶が一挙に割れたような音を立てて、停車する。
     そして、また、1万本のビール瓶が一挙に割れたような音を立てて、発車する。

     幼稚園に入る前の私にとって、これらが怖くして怖くてしかたありませんでした。

    ユーザーID:0694129489

  • ギター流し

    昭和40年代の頃は酒場にいくと、流しの人が演歌を歌ったり、伴奏をしてくれたりしていた記憶が残っています。
    その頃は若い女性が酒場に入るなんてことは気後れしたものでしたが、仕事の慰労会や忘年会などの後に、無理にひっぱられて行ったものでした。
    今みたいにカラオケなんて無い時代でしたので、こういう職業があったのでしょう。
    普通はもっぱらみんなの手拍子で歌ったり、大声で流行り歌など合唱したりして、他のお客も参加したりで大盛り上がりしたこともありました。

    今も都会には流しという職業があるのでしょうか。

    ユーザーID:5291977596

  • 大好きな話題です

    是非仲間に入れてください。昭和三十年代後半の生まれです。昭和といえば・・ 部屋一杯につるす蚊帳、木箱に入ったアイロン、アイスクリームが溶けてしまう冷蔵庫(家は中々買い換えなくて高校生までこれでした)
    お手洗いの近く、軒下につるした“手洗い機”、それからお手洗いの小窓から泥棒が入る事件が続いたとかの理由で家のには外から!フックで鍵が掛かるようになってました。かなり古い家にすんでいたので平均的なお家よりも時代が前になってしまうかと思います。漫画では「バレエ星」「おばけのQ太郎」「ベルバラ」かしら。

    みなとさん  「カラー」と書かれたテレビ欄に白黒しかなかった我が家のテレビでもカラー番組が見られると喜んでいた幼い日を思い出しました。カラーテレビのある友達がすごく羨ましかったです。

    四十路さん  チャンネル、全く同じで笑ってしまいました。目一杯力を入れてゆ〜っくり回すと音があまりしなかったと記憶してます。ふすまがいきなり開かないかと冷や冷やしてました。今思えば大して問題のある番組でもなかったんだと思いますが。リモコンにはない“味”でしょうか。

    ユーザーID:6514012700

  • また来ました

    二槽式の洗濯機です。
    さすがに脱水はレバーをくるくる回して絞るやつではありません。
    ファジーという言葉とともに、全自動洗濯機に押し流されていったような感じがします。(わたしだけか)
    電気屋さんにいくと大小さまざまな最新洗濯機に追いやられながら隅っこにひっそり一人いるのを見つけると
    「おっ、いたいた。がんばってるな。」
    と妙に励ましてしまうのです。
    二槽式の洗濯するほうって、みててすごく面白かったですね。
    くるくる水流にのって回る洗濯物。渦の真ん中には泡がプリン型に盛り上がって。その泡を手ですくって遊んでました。
    冬の水の冷たい時期はホントにつらかった。洗濯物を洗濯槽から脱水機に入れ替えるとき、手がだんだん痛いほど冷たくなって途中で何度も手を出して休めたな。
    確かに昔のお母さんはあかぎれだらけの手でしたよ。
    不便さが懐かしくなるなんて、その当時は思いもしなかったでしょうね。

    ユーザーID:4965560705

  • 四十路様

    読みながらウフフと笑ってしまいました。わかりますっ!私も経験アリです。
    すんごく気を遣いながらそーっとチャンネルを回すんだけどやっぱりカチャって音がするんです。家はテレビがある部屋の横が親の寝室だったためそりゃもう細心の注意をはらって観ましたよ。

    今はリモコンで静か〜ですね。
    四十路様楽しいレスありがとうございました。

    ユーザーID:5454814380

  • 昭和44年生まれ様

    木の皮みたいな舟形の入れ物、私はたこ焼きしか思い浮かばなかったのですが、魚もそれに入れてくれてたのですね。

    新聞紙は大活躍してました。八百屋さんは新聞紙で袋を手作りしてました。あ、今でも新聞紙を包装紙がわりに使っているだんご屋さんが近所にあります。おっちゃんがひとりでやっていてそこだけ昭和が漂っています(笑)

    昔は容器を再利用していましたし、無駄がなかったんだなぁと思いますが、当時主婦だったみなさんは、スーパーで何でも買える様になった時、やはり便利だ、いやいや個々のお店で買いたいわー、どちらの感じ方だったんでしょう?

    昭和44年生まれ様、レスありがとうございました。

    ユーザーID:5454814380

  • みなと様

    覚えています〜【カラー】って新聞に書いてあったこと..。
    我が家は昭和47年にやっとカラーテレビになったので、今まで観ていた番組がこんな色だったのかぁと感激していました。

    電話は家で何度も何度もかけ方・受け方を練習させられました。

    今では、まだ言葉もおぼろげな小さい子が電話に出たりして、こちらがびっくりすることがあります(笑)

    みなと様ありがとうございました。

    ユーザーID:5454814380

  • マスカレード様

    とってもくわしく書いてくださったマスカレード様、再度レスいただきありがとうございます。

    夫に聞いてみたところ、かんしゃく玉と私が思っていた「火薬」と呼ばれる物は違う物のようでした。
    確か、おもちゃのピストル用の火薬で、ロール状になっていました。
    ピストルに入れて遊ぶよりは、みんなそのロールを伸ばしてコンクリートの上に置き、石で火薬の部分をカンカンと叩いて、音とけむりを楽しんでいたと言うか..。あぁ恐ろしい(笑)

    かんしゃく玉はそれよりももっともっと怖いものだったんだろうな〜。

    ユーザーID:5454814380

  • 国際都市住民様・みなお君様

    ハエ取り紙今でもあるんですね。やはり付きがいいのでしょうか。
    効果のほどはいかがですか?
    レスしてくださってありがとうございました。


    昭和48年生まれと言うことは、私はみなお君様より 若 干 歳上になります(笑)
    ジュエルリングが流行ってた頃は少し大きくなってましたので、実際に指にはめて舐めたりはしませんでしたが、お店で見てわー可愛いなぁと思ったものです。やっぱり手もベトベトになっちゃいましたか。

    そして、こういう昭和レスで人気のアイス「宝石箱」ですね!ピンクレディがCMしてた..これはよく食べました。黒い入れ物にキラキラの宝石っぽい模様が入っていたような。高かったんですよね。
    ピンクレディってクランキーチョコみたいなものがコーティングされていたアイスバーも出てませんでしたか?あたり付きで連続二回当ったことがあります。あんまりこちらのアイスバーは話題に出ないのでご存知の方みえませんか?

    駅員さんごっこができる紙のバッグに入ったおもちゃを思い出してしまいました。あのパチパチはさみ憧れだったな。

    懐かし物をたくさんありがとうございました。

    ユーザーID:5454814380

  • 大酒飲み様

    公設市場‥う〜ん私はわからないです(悔しい)
    何だかたまらなく魅力的な場所ではありませんか!
    商店街ともまた違うのですか?

    あとトイレの千代紙、障子紙をもっと薄くした感じで袋に「高級お千代紙」と書いてあったモノが存在したような‥

    それとは別で、いかにも混ざりものいっぱいって感じのクレープ地のようなトイレ紙もありました。
    う〜思い違いだったらすみません。

    レスありがとうございました。

    ユーザーID:7016701500

  • トピ主のコメント(52件)全て見る
  • 満鉄様

    うぉー再度レス本当にありがとうございます。

    ポン菓子屋‥それを私達はパッカンと呼んでいました。
    お米持って行くんですよね。
    今でもこのお菓子大好きでスーパーで見かけるとカゴへ入れてしまいます。

    マカロニとかでも出来たのかー知らなかったです。
    食べてみたかったな。

    ユーザーID:7016701500

  • トピ主のコメント(52件)全て見る
  • メタボおじさん様

    蒸気機関車が怖い‥なんかわかります。
    真っ黒で大きな音をたてて、子どもの頃は確かに怖かった。でも普通の電車ばかりになってしまった時、なぜか隅に追いやられてしまった感が強く、ちょっと機関車に悪かったなーなんて大人になってから思いました。

    きかんしゃやえもんと言う絵本を読んだからかな。今はあの機関車に乗ってみたい気持ちが強いです。

    レスありがとうございました。

    ユーザーID:7016701500

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