文学の研究ってどんな意味があるの?

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趣味・教育・教養

ノールウェーの林

師走のあわただしい時期に浮世離れしたトピックにお付き合いいただき、ありがとうございます。
私の質問は標記の通りです。
私はどちらかというと自然科学系の勉強をして、同じ系統の職業についています。学生時代には人並みに文学作品を読み、その楽しさも理解できるつもりですが、「文学研究」となると、その意義がよくわかりません。

「作家Aから作家Bにあてた書簡が発見された。これは作品aの成立の過程を理解するうえで貴重な資料である」
などといった新聞記事を見かけることがありますが、こういった文学研究は最終的に何を目指しているんでしょうか?

個々の文学作品の成立の過程を解明することで、名作に共通する創作上の普遍的な動機を解明するため…なんてことではないですよね。

このサイトには、文学好きの方や文学部で学ばれた方もたくさんいらっしゃるのではないかと思いますが、文学研究の目的や意義を教えていただけないでしょうか。

よろしくお願いします。

ユーザーID:6114275560

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  • 文学には作家の意図しない側面がある

    国語学者にとつて、日本文学は、日本語の成立と変遷、外国語との接触の過程を辿る最重要の文献です。
    平家、保元、平治、太平記その他夥しい戦記物語はいふまでもなく史料としての価値があります。源氏は平安時代の貴族の、西鶴は元禄時代の大阪商人の風俗や生活様式を伝へてくれます。方丈記や徒然草を始めとする随筆は思想史の資料でありませう。明治大正の文学も、その時代の空気を知らぬ我々にとつては過去をたどるよすがであり、昭和平成の文学も、未来の世代が我々の生活と感情を「分析」する便りとなるでせう。

    まあ私も個々の作家の生ひ立ちにも作品の成立過程にも興味はなく、書簡の発見なぞに心動かされはしませんが、文学にはいろいろな付加価値があり、さういふ研究ならたいへん有意義であると思ひます。

    ユーザーID:9368364555

  • 自然科学系でも

    趣味としか思えない研究はいっぱいありますよ。研究は必ずしも実学思考のものだけでなく、好奇心からのものもあっていいと思います。それが、もしかすると何かに発展していくかもしれないし、しないかもしれない。そんな感じなんじゃないですか?

    ユーザーID:0285765863

  • 知的欲求、文化は力

    今の自分がいる位置を知りたいから、過去の歴史や文学を学ぶのだと思います。
    社交の一種でもあります。他人とつきあうときに話題の幅が広がります。
    昔、某国に行ったときには、文学教養のあることが尊敬される人間の必須条件でした。歴史や文学について話せない人間は尊敬されない国もあります。

    また、文学の解釈も時代と共に変わります。
    研究の意義はあると思います。
    ちなみに、私は最近『源氏物語』を厳しく批判している女性の文章を読んで溜飲をさげたところです。

    ユーザーID:2622195385

  • 疑問・それに対する解決

    自然科学との共通点は、「発見する」ということですかね。
    物理の法則のようなある意味「普遍的なもの」ではなくても、何か新しいor今までと違った考え方、解釈、作者の心情、その根底にある何かを発見するということです。
    最初は空想に過ぎないかもしれませんが、研究者はその空想をできるだけ“論理的に”説明しようとします。その方が説得力を持つからです。
    それが多くの人の同意を得られればそれなりの価値が出るし、同意を得られなければただのいち主張にとどまる。
    それは自然科学でも同じことですよね。

    最終的に目指すもの・・・
    それはどこまでも、ある疑問に基づいた「新しい発見」のような気がします。

    有名作品は、成立の過程や作者の心情、表現やその使用理由、作者の成長の背景などなどなど、研究し尽くされているものが多いです。

    でも!それでもまだ自分はこう解釈するのだ!!
    という自信のもとで研究発表をし、同意を得られれば嬉しいんじゃないでしょうか。

    宇宙の法則だって、疑問があるから研究してる。
    文学作品だって、疑問があるから研究してるんです。
    「なぜ作者はこう書いたのか」。

    ユーザーID:6517818050

  • 文学部卒業です。

    文学研究は、成立した「時代」を知らなければ、
    その作品の価値を正しく判断することが難しいと思います。

    文が、文脈の中で意味を持つのと同じように、
    作品は、時代の文脈の中で初めて意味を持ちます。

    多くの人が何を考え、何をよりどころにし、
    何を課題とし、どのように生きたか。

    その「時代」の中で、作者は「作品」の中で
    どのようなメッセージを発しているのか。

    「蟹工船」がベストセラーになっているようですが、
    プロレタリアートが見直されているのは、
    今がそういう時代だからでしょう。

    対照するものがなければ自分がよく見えません。
    今の「時代」を知るために、様々な時代を知り、
    その中の人々の息づかいを知ることが、
    文学研究の意義だと、私は思っています。

    ユーザーID:2325135097

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  • 私も思ってた!

    私は、文学(読書)が好きだったので、大学は国文学科に入り、
    近現代文学を「研究」したのですが
    やればやるほど「はてな?」でした!

    だって、作家本人は自分の作品や人生を
    こんなふうに扱われるとは、つゆも思っていなかったはずですよね。
    後世の凡人たちが
    文章をこねくり回したり、
    勝手に日記や手紙を公開したり。
    本当に、失礼だと思います。

    明治時代あたりは、「文学部で行われる研究」が
    もうすこし哲学とか心理学とかの要素も持っていて、
    総合的な教養とか、科学に近い性格を持っていたのではないでしょうか。
    文学研究って、そういうものの名残のような気がします。

    ユーザーID:1462268928

  • レスポンス、ありがとうございます。

    皆様ご指摘のことはよく理解できます。
    ピョートルさま、
    文学作品を国語学や考古学の資料としてとらえる、ということですね。
    国語学や考古学の意義は私も理解できますので、同感です。
    私がわからないのは、文学作品を読み解いていく(?)文学研究というものなのです。

    Kaiさま、
    実学以外の研究の重要性は理解しているつもりです。数学や物理学など、基礎科学の面白さはよくわかります。が、文学研究はなんだか違うような気がしてなりません。

    知りたがりおばさん、
    現在の立ち位置を知るために文学を学ぶ、
    だとすると、それは文学をテクストとした社会学ではないでしょうか。

    文学少女になってみるさん、
    「普遍的なもの」。そう、私の気にかかっているのもそのことです。
    文学を新しく解釈することは「発見すること」ですが、普遍的なものとはいえないのではないでしょうか。

    ちょっと文字数が足りなくなってしまいました。
    稿を改めて私の考えを述べたいと思います。

    ユーザーID:6114275560

  • トピ主のコメント(44件)全て見る
  • 文学研究に普遍性はあるのか?

    文学少女になってみるさんが挙げられた普遍性ということが一番のキーワードですね。

    私の理解している範囲では、文学研究というのは、
    ある文学作品の成立の過程を解明したり、作品間の相互関係を明らかにしたり、作家・作品とその時代背景の関係を論じたりするもの、です。

    数学や社会学などの学問分野は、主題を通じて「普遍的なもの」を発見することを目的としていると思います。
    それに対して文学研究は、いくら突き詰めていってもそのテクストである文学作品の枠内での議論にしかならないのではないでしょうか。

    源氏物語の解釈をいくら新しくしても、その議論は源氏物語を解明するだけで、普遍的な意義を持っていないのではないかと思うのです。
    「紫の上は実はこんな女性だったのだ」ということを明らかにしても、それは源氏物語の中だけで意味を持つことでしかない、というと言いすぎでしょうか。

    文学研究に普遍的な意義はあるんでしょうか。あるいは、
    普遍的な意義を持たない研究って、どういう意味があるんでしょうか。

    引き続きお考えをお聞かせいただければ幸いです。

    ユーザーID:6114275560

  • トピ主のコメント(44件)全て見る
  • なーんにも役に立ちませーん。

    でも、役に立たないことの中にこそ何か大きな意味があるのかもしれないと思っていますよ。

    文学とはかけ離れた仕事をしています。同期は実用性の高い学部卒業の人がほとんどです。
    狭い社会の中のことでじまんにはなりませんが、私がダントツで出世頭です。
    「人間力が高い」と会社のトップに言われたことがあります。
    文学研究は作品を通して他者の思考をトレースし、擬似体験し、分析します。
    その経験が私は仕事に役立っているように思います。

    ユーザーID:1359991220

  • 私も理科系です。

    私も学生の頃、読書は好きでしたが、文学部の方々とはちょっとうまく波長が合わないみたいと思ってました。

    さて、最近、大野晋著「源氏物語」を読みまして、目からうろこ状態です。何より面白かったですし、あれほど有名で、研究され尽くしているであろう「源氏物語」が、まだまだ研究の余地があるのだ、と言うこと、紫式部という一人の人間の心にまで迫る内容は興味深かったです。

    何よりも研究のなされ方、理論の展開が非常に論理的で、説得力があり、何も知らなかった私でも良く理解できました。

    一読をお勧めします。

    ユーザーID:0858931869

  • 解釈する

    自然科学の人がよく陥る思い込みだと思います。
    自然科学では、何か(主に因果関係)を「説明する」ことに意味を見いだします。
    一般化(理論化)して検証するといういわゆる「科学的手法」は、要するに、何事かを説明することです。

    文学などでは、説明を目的とする場合もありますが、多くは「解釈する」ことを目的とします。
    つまり、学問としての方向性がまるで違います。
    解釈の場合、一般化とか理論化には大きな意味がないです。
    ただ一人、ある創作者の、ある作品を解釈することに意味があるわけです。

    じゃあ、解釈とは何かということですが。
    よく高校までの国語とか現代文の問題に、この作品のこの部分の作者の意図を説明せよ、みたいな問題がありましたよね。
    ある作品には、その作者のメッセージが込められているという前提で出される問題です。
    大学以上の文学では、さらにその先まで行きます。
    作品には、作者が意図して込めたメッセージだけでなく、作者の生きた時代や、場所や、経験などが、作者の意図せざる形で作品に込められています。
    それを解釈することを目的としているわけです。

    ユーザーID:8138726420

  • 人間を、己を知る

    浮世離れ、していますか? 私は途中で自分が進むべき道ではない、と諦めましたが、人生をすべてささげても研究しつくせない広大で深い世界だと思いますよ。
    英米文学を学んでいたので、根底の理解にはキリスト教やギリシャ神話も必要とのことで、本は読んでみました。ある先生のお話で、「文学はプロットでなく○○だ」、という分かりやすい解説に感銘を受け、自分でもそれらしいものを、と小説や詩など書いてみたりもしました。
    社会人になってから、三島由紀夫の『音楽』という作品を読み、作家とはここまでの自我や強い内面を持ち合わせていなければならないのか、と衝撃を受けました。

    芸術に目的はない、と横尾忠則さんがおっしゃっていたけれど、芸術や文学をよりよく理解しようと研究することは、人間がどういうものか知る、己を知ることにつながるのではないでしょうか。

    キリスト教文化圏で暮らしていますが、「ミシマを読んだか?」と聞かれたことがあります。「ええ! すごい作家ですよね。」とほぼ初対面の人とでもある種の共感を持って話すことができる、しかも奥深いところで・・・となかなか『音楽』的で密やかな体験でした。

    ユーザーID:3821318769

  • トピ主さんに質問させてください

    自然科学系の勉強をして、同じ系統の職業についていますと書いておられますが、その意義はおわかりになっているのですね。
    文学研究の意義や目的が本当にわからないとは考えられないのですが……。

    文学研究なんて、人間の知識欲を満たすものにすぎませんよ。
    でも、これが社会生活のうえで力を持つことが多々あるのです。
    トピ主さんはありませんでしたか?
    何故と思ったことを知りたいのは人間の本能だと思います。

    ユーザーID:2622195385

  • それは文学が心で出来てるから

    研究に値する文学とは、サンプルに値する文学という事です。

    人がつくったものをサンプルにして、詳しく分解する事で、
    その組成を理解する。分解されるものは人間の心です。

    そもそも文学は心が作り出した虚構であり、読む人がそれを
    評価したという事は、その嘘は、第三者と共有できる
    嘘であるということです。何故、事実でもない
    その虚構を、多くの他人が共有できるんでしょう?

    しかも実際には、共有していないのかもしれない。
    また、何通りもの解釈が可能で、思ってもみない所で
    別の共有要素が隠されているのかもしれない。

    その時代や社会や心理状態において、作者がその虚構を
    作り出した。その現象そのものと、描かれたものを
    通して見えるもの。それは他の時代や現代や別の作者や
    読む者と、何の齟齬があり何が共通なんでしょう。

    1つのサンプルを追求する事で、その先に見据えるのは
    人間の内的な普遍性です。

    ユーザーID:9038986632

  • 普遍ではなく個を掘り下げる学問

    kikiさんのレスに既にありますが、私も自然科学や、社会科学と文学の目指す方向性は全く違うと思います。

    自然科学も社会科学も、大雑把に言えば、様々な現象に共通する法則を取り出し、普遍的なモデルを発見するのが目的だと思います。
    文学は、限られた記号で構成されたテキスト(場合によっては図像や音楽)の中に、無限の解釈の可能性を見つけ出すことを目的にする学問です。
    そもそも、数学や物理のように、文学解釈には唯一絶対の正しい答えなどありません。

    私は、文学研究者の役割は、読者とテキストと作者との間に、橋を架けることなのだと考えています。
    例えば、シェークスピアの生きた時代、その演劇の背景となった社会、そこに使われた言語と、現代日本の読者のそれとには大きな隔たりがあります。
    その隔たりを多少なりとも埋め、シェークスピアのテキスト、ひいては作者自身を読者の側に、少しでも引きつけ、読者自らが解釈に能動的に参加する手伝いをすること、それが文学研究者の究極の仕事ではないかと思います。
    様々な個々の相違を超えて、遠くの他人に共感する力、それを探すのが文学です。

    ユーザーID:7681693835

  • ただし訓詁学といふことも必要

    「私がわからないのは、文学作品を読み解いていく(?)文学研究というものなのです」

    しかし、作品の正確な理解が基礎として必要であります。作者の言はんとしてゐるところを誤解してゐては、その先の研究が成り立ちません。論語でも古事記でも、まづ訓詁学から始まります。

    同時代の小説ばかり読んでゐると易しいのでピンと来ませんが、古語にせよ外国語にせよ、我々が使用してゐる言語とは隔たつた、背景の風俗も生活も常識も政治制度もまるで異なる作品に対しては、「何が書いてあるのか」を読解するところから出発しなければなりません。万葉も源氏も、これだけ研究を重ねながら、まだ解釈の定まつてゐない単語や文章があります。近代の小説ではどうでせう。谷崎ならまあたいていの人が読みこなせるでせう。しかし鴎外となると?今の人はかなりむづかしいと感じてゐるのではありませんか?そして現代の小説だつて1000年後の読者には、ちんぷんかんぷんになつてゐるかも知れません。

    専門家が地道な研究の成果として、本文の脇に注釈・語釈を加へてくれるわけです。一般読者にとつて有難いことではありませんか。

    ユーザーID:9368364555

  • 普遍化に意味があるとは限らない

    理系の人が勘違いしやすいことですが、学問は普遍化(一般化、理論化)をしなければならない、というのは思い込みです。
    なぜ普遍化しなければならないのでしょうか?
    文学や、あとは音楽や美術なんかもそうですが、普遍化には意味がない学問があるんですよね。

    たとえば、クラシック音楽は、何百年も前の人の作曲した作品を繰り返し、今でも演奏し続けていますよね。
    音楽を学んでいる人、あるは演奏家は、音楽の普遍的な法則などを明らかにするのではなく、何百年も前に作られた作品を「解釈」し、何度も何度も繰り返し演奏しなおしているわけです。
    それに意義がないのかというと、そうではないから、みんなクラシックコンサートにお金を払っていくわけでしょう?
    演奏するのは同じ曲なのに、バーンスタインが解釈し指揮するクラシックには、他の指揮者にはない何かがあるから価値があるわけです。

    文学だって、たとえば古典文学の研究者は、他の人がそれを読んだのとは違う解釈をしうるから価値があるわけです。
    自然科学では、科学的な発見や理論化に価値があるわけですが、そうではない学問もあるんですよ。

    ユーザーID:0902875700

  • なぜ哲学・社会学・経済学は「文系」なのか?

    昔、大学から文学部をなくそうという風潮がありました。
    その時に文学部の教授が言った反論はこうです。
    「文学を研究するということは『なぜ生きるのか』ということを追究することだ。それを潰すということは、人が生きる理由を考えなくなることだ」と。
    トピ主さんからそれは社会学ではないかというコメントもありましたが、そもそも文学を含めた文系と呼ばれる分野はおしなべて人間について考える学問です。ただ、その方法が思考(哲学)であったり分析(社会学)であったり表現(文学)であったりするわけです。

    そこに普遍的な意味がなければ、知りたいと思ってはいけませんか?
    そのことについて考えたいと思ってはいけませんか?
    価値がなければ、研究してはいけませんか?
    利益に結びつかない研究は、無意味ですか?
    明確な目的がなければ、研究とはいえませんか?

    トピ主さんの疑問は、この問いに対するトピ主さんの答えと理由が解決してくれると思います。

    ユーザーID:4249467166

  • そもそも研究自体がそういうものなのです。

    文学に限らず、物理化学等々研究自体が、やってる本人以外
    なぜ、何のためにと思うようなものでよいのじゃないですか。
    おわんクラゲから発光蛋白を見つけ、ノーベル賞を受賞した
    研究でもやってる本人はノーベル賞を取ろうとか、世の中の
    役に立つ研究だとは思っていなかったようです。
    本来、研究とはそういうものだと私は思っています。
    趣味の延長線上にあり趣味に比べて違うところはとことんその研究に
    没頭するところだと思います。

    ユーザーID:9446989740

  • 普遍性・・・

    トピ主様、ご返答ありがとうございます。
    一つの文学作品の枠を出ないのでは?ということですね。
    答えはNOです。
    というか、枠を出そうとするのです。

    紫の上はこんな女性だった―ということがわかったら、多くはそれを現代に投影します。もちろん現代でなくても江戸でも明治でも戦国でも。
    投影しなければ、おっしゃるとおりなかなかその作品の枠を出ず、身近には感じられないでしょう。
    投影していくと、「現代でいうと彼女はどんな立場なのか?」とか「女性は紫の上をどう思うか?」などを考えるようになります。
    そうして、平安時代の宮廷に生きた女性と、平成の世で生きている女性の共通点、相違点がわかります。
    そこから「女性の」普遍性を見出す。あるいは「愛される女性の」普遍性、「恋をする女性の」普遍性を。。
    対象Zさんがおっしゃっている「人間の内的な普遍性」を見出す、まさにその通りだと思います。
    ただ、その普遍性は物理的実験や根拠では証明できません。
    人間の内面を語ることなので、それは唯一の物理的要素である「書物」をどう読み解き、説明してどれだけ多くの人を説得できるか、ということです。

    ユーザーID:6517818050

  • ”面白いから”じゃダメでしょうか・・

    難しいトピに至極単純な回答でごめんなさい。
    単純に「楽しいから」じゃダメですか?

    私は芸術学部卒です。
    全く違った仕事をしているので
    何の役にも立たないと言えばそうかもしれません。
    酷い人は
    「一体何を勉強する場所?」などと
    聞く人もいます。
    でも、その勉強をしていると楽しいし
    やりがいもあります。

    私は元気な頃、数学や英語の勉強をするのが
    大好きな父の背中を見て育ちました。

    病気で入院する70歳半ばまで、何日もかかって
    高校数学の問題を解き、楽しんでいました。
    家族にイヤミな爺さんと笑われながら(笑)
    英字新聞を電車で読むヘンな爺さんでした。

    よく、資格取得に関しても「何のため?」と言われるのを
    耳にしますが、
    「勉強する事が楽しいから」じゃダメなのでしょうか。

    ユーザーID:3689499057

  • サンプルする

    対象Zさんとほぼ同じ意見です。文学研究は文学という対象を分析、サンプリングすることを通し、普遍的な何かを導き出すことだと考えます。それが意味があることかというのは受け取り側の価値観によるのではないでしょうか。

    私は文学修士を持っていますが、学生時代、芸術関係の人に「自然科学研究とか文学研究とか何の意味があるの?あるものをあるって言っているだけで、何も新しいものを作り出していないよね?詩とか小説を書くっていうなら意味があると思うけど・・・」と言われ、ひとの価値観っていろいろだなと思ったことがあります。

    その後、自分でも研究の意味を見出せなくなり大学を出て、全く関係ない仕事(製造関係、渉外など)をしていますが、不思議なことに勉強したこと(他人の考えや心が反映されている文学作品を徹底的に読み込む経験)が役に立つと感じることがとても多いです。新卒でないにもかかわらず、会社内での評価もお給料もよくて感謝しています。

    ユーザーID:3037379063

  • 話題提供者より、お礼とコメント1

    多数のレスポンスをいただき、ありがとうございます。いずれも示唆に富んだご意見ですが、とりわけ、kikiさん、さくらんぼさんはじめ、いくつかのご意見にあった「自然科学と文学研究の方向性の違い」という言葉は、私の疑問をかなり明確にしてくれました。

    自然科学、社会科学の研究とは個別の事象を一般化できるような普遍的な法則の発見を目的とするもの。方向性としては、広がっていく方向(外向き)に矢印をつけることができそうです。
    文学研究は作品を掘り下げること(=解釈)が目的です。矢印の向きは個々の作品の内側に向いているように思えます。

    とすれば、文学研究の重要性は作品自身が持つ重要性を超えることはないのではないでしょうか。

    ピョートルさん、
    本文の脇に注釈・語釈が加わることによって、より多くの人に作品が読まれるようになるというのは理解できますが、それでは、文学研究の価値は作品の補助にすぎないのではないでしょうか。

    続きます。

    ユーザーID:6114275560

  • トピ主のコメント(44件)全て見る
  • 話題提供者より、お礼とコメント2

    承前

    すぐれた文学作品が多くの人に感動を与えている場合、それに対する解釈の研究は何をもたらすのでしょうか。新しい解釈が与えられ、さらに多くの人に読まれるようになったとしても、その研究が作品自身を対象としている限り、その重要性の広がりは限定的ではないでしょうか。
    さくらんぼさんは、文学作品の中に“無限の解釈の可能性を見つけ出す”とおっしゃっていますが、一つの作品の中に「無限」があるという主張には無理があるような気がします。

    私には、対象Zさんのおっしゃる“人間の内的な普遍性”というものがよくわからないのです。また、なぜそれが“1つのサンプルを追求することで”見つかるのかもよくわからないのです。
    さくらんぼさんのおっしゃる“遠くの他人に共感する力”というのも内的な普遍性と同義かと思うのですが、これについてもよくわかりません。

    このあたりに文学研究の意味を理解する鍵がありそうに思うのですが…。

    続きます。

    ユーザーID:6114275560

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  • 話題提供者より、お礼とコメント3

    八重さん、“時代を知るために”
    まみさん、“哲学や心理学の要素”
    リラさん、“己を知ることにつながる”
    いずれも文学をテクストとして歴史学や心理学を研究するということをご指摘のようですが、そういう研究であれば、私もその重要性は十分にわかるつもりです。文学作品を解釈することを目的とした文学研究にはどのような意味があるとお考えでしょうか。

    国文卒さんのご指摘は、トレーニングとしての文学研究ということでしょうか。トレーニングだけやっても意味がないのと同様、文学研究にもなにかほかの意味があるように思います。

    江戸紫敷布さん、
    大野晋さんは確か著名な国語学者ですね。私も一般向けの本を読んだことがあります。面白そうな著作の紹介、ありがとうございました。

    知りたがりおばさん さん、
    ご質問の内容がよくわかりませんでした。
    人間にとって知識欲が重要な欲求であることには全く同感ですが、研究という行為には単なる個人的な欲望の充足ではない、何らかの普遍的な価値があると考えています。文学研究がもたらす普遍的な価値が何なのか、知りたいと思っています。

    ユーザーID:6114275560

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  • 猫に小判

     例えば、絵画の場合、1枚の作品が数十億円、あるいはもっと
    高額で売買されるものがたくさんあります。絵画の値打ちのわかる
    人にはそれだけの価値がありますが、絵画のわからない人には
    ただの飾りで、額縁代プラスアルファの値打ちしかありません。

     文学もそれと同様で、値打ちのわかる人にはその時代背景や、
    作家の個性のことなど、知りたくもなるし、研究する値打ちの
    あるものですが、興味のない人には価値はありません。

     文学は、印刷されて多くの書物になりますから、1冊あたり
    の値段はそう高くありませんが、絵画のように1つしか本物が
    ない状態になったとき、数十億、数百億の価値があるような
    ものがたくさんあります。

     そのような作品の成立過程を研究することは、作品の価値の
    わからない人にとっては、猫に小判ということです。

    ユーザーID:2848828145

  • トピ主さん、難しく考えすぎです

    私も半分以上理系頭なので気持ちは分かりますが、難しく考えすぎです。
    自分が納得して喜ぶため。これに尽きるでしょう。
    自分の好奇心のための研究ですから、そもそも普遍的な意義なんて必要ないんです。

    そして、一見なんの役にも立たない自分だけのための研究も立派に人の役に立っています。先行研究は他の「自分が納得して喜びたい人」に研究の材料、つまり納得の種を提供するんですから。人の喜びに貢献するというのは掛け値なしに立派なことだと思います。

    でも、どんな分野の研究でも結局のところ役に立つかどうかなんてどうでもいいんじゃないでしょうか。
    一体なんの役に立つのかと問われて「俺が嬉しい。なんか文句あるか」と胸を張って答えられる。そんな研究者が私は大好きです。
    社会的意義とか応用の可能性とかいったお題目で世間や自分自身を誤魔化す必要のない、ゆるぎない好奇心に動機付けられている。それこそ研究者のあるべき姿だと思います。
    また、そういう人たちを本気でバックアップするかどうかで、その国の文化度が計れると思います。大学は産業界のニーズに応えていないなんて寝ぼけた台詞が新聞に載る日本は文化国家ではなさそうです。

    ユーザーID:4701353711

  • 普遍性の定義が違いませんか。

    専門分野によるんだろうけど「普遍性」を知るって何でしょうね。自然科学が専攻ということはご年配の方で学習がニュートン力学までの時代の方なのでしょうか。
    文学研究については八重さんと知りたがりおばさんさんのレスがそのものずばりだと思いました。(若輩者には参考になりました。ありがとうございました。)
    文学を読むのが主観的な作業だからこそ研究による客観的視点を持つ作業に意味が生じるのでは?この感覚を否定すると社会学等人文系どころか科学を否定することにもなるような?
    ぜひ普遍性の定義を知りたいです。

    ユーザーID:1724604573

  • 話題提供者より、お礼とコメント4

    引き続きご意見ありがとうございます。
    せっかくいろいろなご意見を頂いているのですが、まだよく理解できていません。

    文学少女になってみるさんから、文学研究の普遍性について解説をいただきました。
    紫の上の人物解釈から”「女性の」普遍性を見出す”ということですが、これは社会学になるのではないでしょうか。
    八重さん、まみさん、リラさんと同様のご意見ですね。

    文学研究というのは、文学をテクストとした社会学、歴史学、国語学、心理学等々であると言ってよいのでしょうか?


    正反対のご意見として、ねねさんは、文学は”普遍化には意味がない学問”であると述べています。
    ハトリさんも同様に、文学研究は普遍化を目指すものではないということをおっしゃっています。
    これは私にとって理解の難しいことです。
    たとえば、作品中のある特定の登場人物の人物像を明らかにすることにどういう意味があるのでしょうか。
    ハトリさんいわく、このような研究が”『なぜ生きるのか』ということを追究すること”につながるということですが、私にはそのつながりがわかりません。

    続きます

    ユーザーID:6114275560

  • トピ主のコメント(44件)全て見る
  • 話題提供者より、お礼とコメント5

    承前

    ねねさんはクラシック音楽を例に引いておられますが、これは文学研究とは違うと思います。
    音楽は楽譜だけでは完成していません。演奏されて始めてひとつの作品となります。
    作曲家と演奏家が組み合わさることで別の作品になるわけですから、百年前に作曲された音楽であっても現代の演奏家の手によって新しい作品となり、鑑賞の対象となります。

    しかし文学は、それ自身が完成された作品です。すべての意味をそれ自身の中に含んでいます。
    もちろん、宝石の原石のように、新たな解釈によって磨かれて大きく輝くこともあるでしょう。
    文学研究の意味が、作品の解釈によって新しい魅力をあたえることにあるのなら、研究の意味は文学作品の補助ということなのでしょうか。

    文学研究は長い歴史を持つ知的な活動です。文学部のある大学も多くあります。
    文学研究は文学作品の鑑賞を補助するだけでなく、大きな意味のある行為だと確信しているのですが、それがどんな意味なのか良くわからないのです。

    続きます

    ユーザーID:6114275560

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