国立大学の一期と二期をご存知ですか?

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ひよこ

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  • ご自分はどうなのですか?

    ご自分の話ではないのですよね。友人なら、なぜそちらを選んだのか聞けばよかったのでは?
    そういう人がいたってレベルじゃないのですか?

    例に挙げてる大学の選択、特にびっくりしません。
    外大にやりたい専攻があったのでしょう。
    偏差値だって上だったかもしれません。
    場所も全然違うし・・。

    トピ主は学校のブランドしか興味ないのでしょうか・・。

    ユーザーID:2356680665

  • なつかしい

     私が受験した1978年(昭和53年)が国立大学が1期校、2期校に分けられていた最後の年で次年度より共通1次試験が開始されました。当時より担任の教師はこの共通1次は受験生に負担をかけるのみで良い受験制度ではないと言っていたのを思い出します。私は今でもこの共通1次(今ではセンター試験)制度には反対です。
     ちなみに私は現役で地方(地元)の国立1期校に合格し街の1開業医としてなんとかやっています。ちなみに私のいとこは、1期校は東大理科2類に落ち、2期校の地元国立大に合格し現在勤務医、義理弟(年齢は1つ上)は現役で東大理科3類のみ受験し合格、現在私立医科大の旬教授。

    ユーザーID:7474726383

  • 二期校最後の年でした

    二期校最後の年に 残念ながら一期校を落ちて 泣く泣く二期校に入学しました。

    今でも悔しくて 残念で、

    一期校の時の 分かっていたのにケアレスミスで点が取れなかった

    数学の1問を覚えていますよ。

    ユーザーID:9451710967

  • つつましかった時代の思い出

    第一子の兄が二浪の末、下宿して私学にいっていたので、
    自分は現役で国立に行くしかないと思っていました。
    私学は受けず、一期校で少し高望みをして落ち、
    二期校の外語大に無事はいりました。
    そのときはお金がないけど、二度チャンスがあってよかったな、
    という感じ。
    今思うと、理系が苦手で文系科目が突出していたので、
    私学ならどこでも行けたはず(科目数が少ないから)、
    奨学金とバイトで凌いで早慶でも行ったほうが、
    将来的によかったかも、と思います。
    そのころの、生真面目な自分が少しいじらしい。
    同じ子どもでも、男の子と女の子に教育の差をつけて当たり前だった
    時代の話です。
    トピ主さんの、「なんと」お茶大捨てて大阪外大に行った、という人の話は
    外大卒業生に対して、少し失礼かな、と思います。
    本人の志望という点はもちろん、
    偏差値的にもどっちが高かったか、わからないですよ。

    ユーザーID:9101318958

  • 三期校もあったよ

    私の受験した年、工学系の新設校が二期校の登録に間に合わなかったか何かで二期校試験のあとに入学試験がありました。
    一、二期に落ちた友人が合格して浪人生活を免れました。

    あと希望の一期校に合格しながら、わざわざ二期校を受験した友人がいました。
    一人の合格者のチャンスを潰すみたいで嫌な感じでしたが、それとは別に一期校でも入学したら補欠組が結構いました。
    一期より二期のほうがレベルの高い大学もたくさんありましたね。
    遠い昔話です。

    ユーザーID:9948399805

  • 一期・二期の頃は一回だけの勝負

    祖父と父と夫が一期校です。弟は共通一次で旧一期校へ。
    一期校同士、何かと昔話をしていますね。昔は良かった。なんてね。
    知人が国立でも「あの人は、二期校だからね」なんて。ちょっとエゲツナイ。

    母は学士会館で挙式・披露宴。
    私もお料理が美味しいと勧められましたが、7月1日に会社を休んでまで並ぶのが面倒だったので別の所へ。

    あれって、変ですよね。挙式する所で、さりげなく学歴をアピールする。
    知らない人は知らないんですよね。

    ユーザーID:0381520948

  • 懐かしいな

    二期校にもえらく競争率が高くて試験も難しいところがありました。東京医科歯科大学はその代表でした。一期校の医学部にうかって、それでも折角受験料を払ったしやっぱり受験してみるかと受けたんですが落ちてしまいました。大学の場所はいいけど何でこんなに難しいの〜と思いました。その次の年は共通一次が始まって一期、二期という区分は無くなりましたね。あの区分の根拠は何だったんでしょう。

    ユーザーID:0518083381

  • ごめんなさい

    一期校への入学が難しかったのですが、二期校通って浪人してやろうと
    思っていました。しかし、ごめんなさい、不遜でした。
    きっちり蹴られました。結果的には浪人して、学部は変えましたが
    第一志望の一期校に入りました。

    ところで外大とか教育大は大都市の話で、地方はそうでもなかった
    のでは?言葉は悪いですがいわゆる駅弁大学です。
    教育学部は多数あったと思います。学部数も多くないので、文理学部なんか
    も多かったのではなかったでしょうか?他には法文学部とか。

    ユーザーID:8368324751

  • 懐かしいナー

     国立一期と二期は列車の一等車と二等車のような感じではっきりしていて好きでした。あの頃は、一期をすべって二期で合格する人には優秀な人が多く、二期校も全盛期だったと思います。今は何もかも一緒くたで、よろしくない学生が多い気がします。

    ユーザーID:5115032227

  • やはり、格差の原因

    私も30数年前、国立大学を受験する時には、1、2期校がありました。
    受験生にとってみれば、国立大学に一年に2度受験できるので、メリットはあった。
    しかも、同じ1期校であっても、受験票だけは、何校でOKであったと思う。
    たとえば、東大、京大の両方に願書を出して、試験当日に、どちらかで受験、他方の
    欠席ということも可能であったと思う。
    しかし、1期校、2期校という意識の上の格差が生じ、やはり、そういう制度は
    なくなってよかったと思う。
    だが、昨今のOA入試とか、前期、後期など、レベルの違う学生が入ることになり、
    センタ−試験とかの2段階方式ではなく、昔ながらの一回だけの勝負(試験)で
    良いと思う。
    『蛍雪時代』や、『ラジオ大学受験講座』など懐かしいモノをある。
    夜の11時頃に、テキストを見ながら、中波ラジオを聞いていた記憶がある。

    ユーザーID:2797533197

  • 返信ありがとうございます。

    お返事がいただけて、とても嬉しく思いました。
    ちょっと懐かしくなったものですから・・・。

    辛い思い出を蘇らせてしまったことに対しては、大変申し訳なく、お詫び致します。

    ユーザーID:2126215189

  • 私は工学部志望で、結局、私立大学に進学しました。

    浪人すると共通一次が‥‥‥という年次でした。
    東京大学理科I類(一期校)と横浜国立大学工学部(二期校)を受験しましたが、結局、W大理工学部に入学しました。
    高い学費を出してくれた両親に感謝しています。(早い話が、東大からは「来なくていいよ。」って言われてしまったんですけどね。)

    知人は、東京大学理科I類(一期校)と東京医科歯科大学医学部(二期校)の両方に合格し、医科歯科の方に入学しました。
    東大理IIIは、ちょっと自信がなかったんでしょうね。

    ユーザーID:2305431832

  • 大昔のこと聞いてどうする?

    辛い、しんどい思い出だけ。
    母親をこ○し○てやろうかと思ったことも。
    自分の子供には強制された勉強じゃなく自発的に
    取り組んでほしいと思った。

    ユーザーID:8227640264

  • 古い話ですね

    そんな時代もありましたね。

    一期校だの、二期校だのといった、くだらないランク分けが無くなっただけ、今の制度のほうがずっと健全ですね。

    それだけです。

    ユーザーID:9182668960

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