現在位置は
です

発言小町

新しいトピを作成
本文です

国立大学の一期と二期をご存知ですか?

ひよこ
2009年6月15日 12:43

私が受験生だった頃(かれこれ36年前・・・笑)、国立大学は一期と二期に分かれていました。
一期は、旧帝大を含む総合大学が殆どで、二期は、教育大学や外国語大学など、専門性の高い大学が多かったと思います。

大体は、二期をスベリ止めに受ける場合が多く、受験の申し込みをしても、一期で合格すると、もうそれで受験生を卒業してしまう人が殆どだったと思います。
でも、中には、一期をスベリ止めにして、本命は二期という変わり者(?)もいました。

私の友人は、なんとお茶の水女子大に合格したにも拘らず、大阪外大のイスパニア語学科に入学しました。
他にも、名古屋大学の文学部を辞退した人もいます。
文学と語学の違いでしょうか・・・?

皆さんの受験にまつわる思い出話などありましたら、是非、お聞かせ下さい。

ユーザーID:2126215189  


お気に入り登録数:30
  • 携帯に送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
新しいレス順
レス数:44本

このトピックはレスの投稿受け付けを終了しました。
タイトル 投稿者 更新時間
もう終わりにしましょう。
ひよこ
2009年6月23日 16:09

正直言って、こんなトピを立ててしまったことをとても後悔しています。
もっと、よく考えてから投稿するべきでした。
本当に軽率だったと反省しています。

不愉快な思いをさせてしまった方々には、心からお詫び申し上げます。
読売さんにも申し訳ありませんでした。

以上です。

ユーザーID:6598242806
母に電話をかけました
匿名
2009年6月23日 15:46

H2Oさん、ありがとうございます。私が間違えていました。一橋、東工大、医科歯科は、母の記憶では一期です。東外大は二期で、これは間違えありません。私の記憶が滑ったのは、東外大と一橋は校章が似ており、その昔(一橋が東京商科大学といった頃のことではと思います)一緒の場所に同居していた所から、分かれたと聞いた事があるせいです。訂正してくださってありがとうございます。

ちなみに父は、一期、二期 からつきぬけてしまって、国立大学が一期校、二期校に分かれる前の世代であったことが、電話で両親と話しているうちに判明しました。

つまり大学の区分には、いろいろな変遷があったという事です。

ユーザーID:8823492433
共感できない
あいあい
2009年6月23日 2:28

共通一次最後の世代です。
申し訳ないけど、正直トピ主には共感できません。
トピを読んでどう感じるか、どう受け止めるか、それは人により異なります。
それを自分の意図するように受け取ってくれなかったからと、
読売に苦言を呈する人と、楽しく思い出話なんて出来ないですよね。

お茶の水大学ですが、首都圏の人なら早慶上智の方が・・(もちろん専攻によりますが)
という人もいますしね。外大にしても同じですね。
時代は違いますが、こういう話はいつの世も同じですね。

ユーザーID:2183342977
駅弁大学とは
Ash
2009年6月23日 1:40

花花さんの質問にある駅弁大学は二期校に限りません。全国にあった旧制高校(ナンバースクールとネームスクール)や師範学校が新制国立大学に昇格して7つしかなかった国立大学がン十校に増えた時、大宅壮一というジャーナリストが言い出した造語です。「急行の止まる駅には駅弁あり、駅弁のある所新制大学あり」という意味だそうですごい悪口ですよね。個人的にはそう言いたかった気持ちが分からなくもありません。駅弁大学に対して昭和に入ってから帝大になった大学にも駅帝というニックネームがあったようです。急造の帝大だったからでしょうがこれはもう死語です。

ユーザーID:0518083381
すみません
ttp
2009年6月22日 19:43

2期校だけが駅弁というわけではありませんでした。
語源は検索すると分かりますが、そんなにはっきりと定義があるものでは
ありません。

ユーザーID:8368324751
間違っているかもしれませんが
H2O
2009年6月22日 19:28

一ツ橋、お茶の水、東工大は一期校じゃなかったでしょうか?
庄司薫の小説で、東大が入試がない年に、主人公の友人は理系は
東工大を文系は一ッ橋を受けるという話があったように思います。
主人公は浪人してあくまで東大でしたっけ?
たぶん高校としては日比谷がモデルと思います。気を悪くする人も
いると思いますが当時の日比谷が東大の入試がないにしろ二期校を
第一志望にするとは思えません。

二期校の雄と言えば文系では横浜国大、理系では名古屋工大が
思い浮かびます。東京教育大(現筑波)は一期校だと思いますが、
関西の3つの教育大、大阪教育大、京都教育大、奈良教育大は
二期校でした。関西で教師志望だったら二期校が第一志望になる場合が
高いでしょう。

ユーザーID:8368324751
なつかしい名前!
匿名
2009年6月22日 16:27

私は、国立一期、二期という分け方が好きでした。私自身は東京の一期と二期しか知らないのですが、あの区分は実にはっきりしていました。日本の大学制度、当時は実に明快だったと今でも思っています。

一期は東大を頭に、京都に京大があり、総合大学です。そして、一期にはいるためには、オールラウンド=プレイヤーである必要がありました。つまり全教科に平均して高い点を万遍なく取れる必要があったのです。家は母と兄弟が東京の国立一期、父と私は頭の構造が一点豪華主義で、父は二期でも東京の企業では東大を凌ぐ人脈の政経専攻。

二期は、東京だと単科大学のイメージで、それぞれの専門分野では、多分一期に匹敵する人材を伝統的に生み出していたと思います。でも受験には、専門以外の点が少し悪くても、勘案されるのでした。

東京の二期は、きら星のように有名な単科大学が並んでいました。医学部はお茶の水の医科歯科、政治経済は国立の一橋、工学系は東工大、人文は東外大、という感じです。

私は、二期の学生は威張る人が少なくて好きでした。皆心に誇りを秘めて、でも一番ではないという気持ちからか、虚心坦懐で、でも出来る人が多かったと思います。

ユーザーID:8823492433
九州大学は100周年
ちょっちょっと
2009年6月22日 15:57

すぎたこと さま
横ですが。

一期校の中に「福岡大学」が入ってますが、これは「九州大学」の間違いですよね?

福岡大学は私立大学です。

ユーザーID:4791876537
あの頃
すぎたこと
2009年6月22日 13:45

東京とかのことは知りませんが、当時は高校入試合格者や大学入試合格者は全員地元新聞に名前が載ったんですね。載っているとうれしいものでしばらく切抜きを持っていました。

地元大学へは自転車で通っていましたので、お金はまったくかからなかったですね。小学校から大学まで教科書代参考書代も含めて私の教育費は総額で50万円ほどしかかかってないでしょう。

大学ってなんでしょうね。特に女性が大学へいくようになって晩婚化が進んだようです。昔なら高卒で5年働いて23歳ぐらいで結婚したものです。
日本の大学進学率は50%強。韓国の大学進学率は90%以上とか。なんか異常ですね。

ユーザーID:5077523299
地方在住者、レスします
トピ主さん落ち着いて
2009年6月22日 12:29

東大にも合格したのに、金沢大学に進学した人を知っています。
もともと金沢大学に憧れていて、東大は腕試しだったようです。
金沢大学は元・一期校であり帝大になり損ねた大学ということで、人口の少ない県の国立大学としては優秀ではありますが、やはり、東大をあっさり蹴って進んだ潔さには驚きました。
けれど、合格した大学の中から自分の最も行きたい大学を選ぶ事自体は、変な事だとは思いませんし、当り前の事だと思います。
頭の良い人は選択肢が多くて、それはとても羨ましいですけどね。

一期校・二期校という言葉は、今では殆ど聞かなくなりましたが、私の住む地方に限れば、旧一期校と旧二期校との偏差値の差は明確にあり、旧二期校は、二期校という言葉を知らない人にも「滑り止め大学」と認識されているのが実情で、現役の高校生ですら、進学校から旧二期校に進むのは屈辱と感じているようです。
私は自営で雇う側なので、出身大学の偏差値だけでは社会人としての能力は測れない事を知っていますが、出身大学名なるレッテルの接着力はなかなか強力です。

ユーザーID:5336340738
駅弁大学ってどういう意味ですか?
花花
2009年6月22日 9:20

30代後半の共通一次受験者です。

全くヨコですが、なぜ二期校を駅弁と呼ぶのか気になったもので・・・

ユーザーID:1301304982
チャンスが1回で
ちょっと残念
2009年6月21日 23:53

共通一次第一期生です。家の経済事情が苦しかったので、下宿不可、国公立限定、浪人不可という条件で志望校を決めました。幸い首都圏に住んでいたので、選択の幅は結構ありましたが、「去年だったら、2校チャレンジできたのに」と、そのときはちょっと残念でした。

外国語の勉強がしたかったので、文学部や教養学部よりも、外国語学部に行ったほうがよいのかなと考え、外語大1校だけを受験しました。当時は「大卒女子の就職は厳しい」という噂もあったので、「実践的な学部を出たほうがよいかも」とも考えました(高校生の考えですから、今振り返ると、単純でしたね)。

結果的には、私にぴったりの学校だったと思います。専攻語の国が身近に感じられ、奨学金で留学でき、それが縁で就職。今、30年前に戻っても、同じ選択をしそうです。

ユーザーID:7070809891
完全に1期>2期ではなかったような
共通1次世代
2009年6月21日 23:48

共通1次世代なので、門外漢かもしれませんが、兄弟などが1期2期世代ですので、何となく感覚は分かります。
確かに概して、1期にトップ校が集まってる感はありましたが、国立大学の中で完全に真ん中で分かれてたら受験機会として公平を期さないので、交じり合ってたように思います。1期校には東大〜中位、2期校には上位〜下位と分布していたように思いますし、一般的にもそう認識されてたと思います。
既に例にも出てますが、2期だった東京医科歯科大、東京外語大は当時も現在もトップクラスの国立大として認識されてると思うのですが。
ちなみに私の同級生で、北大を蹴って大阪外大に行った人がいましたが、何の違和感もありませんでした。
お茶大は大変優秀だと思いますが、共通1次世代的にはそこまで大阪外大と差があるという感覚はありません。
国立の外大は2つしかないですし(今は阪大になったのでしたか)、国の専門機関に近い感覚がありましたから。

ユーザーID:4991130492
みなさん〜楽しくやりましょうよ〜
ええやんか
2009年6月21日 22:29

受験の話題は扱いが難しいですね。それぞれ思い入れもあるし、良い思い出、辛い思い出がありますから。
でもちょっとひっかかりすぎじゃありませんこと?


御茶ノ水女子大学じゃないですよ、「お茶の水女子大学」ですよ。

>現在は、なんと、あなたの大好きな旧国立一期校で、なおかつ旧帝大系の、大阪大学の外国語学部という存在になっています。
旧帝大ですか、すごいですね!なんか、威厳がありそうです。現在は・・・というところが可愛らしいなと思いますが。

見下していると思うなんて、逆に、隠れたコンプレックスがある?と思ってしまいますよ。どちらも立派な大学です。Qさんは卒業生ですか?自信を持ってくださいね。
外国語学部なんて格好良いです!

ユーザーID:7822120735
私は理系ですが
私も共通一次世代
2009年6月21日 22:02

共通一次世代なので、原則として国公立は1つしか受験できませんでした。
旧一期校に合格するレベルだと担任に勧められながらも、あえて旧二期校の大学を受けました。

そちらの方が、専門の細分化された学科が豊富で、より自分の志望分野に合致していたからです。それと旧一期校では修士課程までしかなかったけど、博士課程まであったことも決め手になりました。
同級生にはそういう理由で入学して来た人が多かったです。

お茶の水を蹴って大阪外大に入った人も、たぶんイスパニア語のパイオニア的学科があったからではないかと思いました。
それと共学は男子学生から受ける刺激が全然違いますね。

私の同級生の弟さんに、東大に受かったけれど、京大に進んだ人もいました。(センター試験世代でA・B日程の2回チャンスがある)
これも、学風の違いでその人の進みたい分野は、京大理学部の方が研究が進んでいるという理由でした。
もちろん京大も難関ですから、どちらが高い偏差値という問題じゃなくて、要は大学名より中身を選ぶ人が、一期校・二期校の時代からいたんですね。

ユーザーID:6467835515
トピ主さまへ
笹屋
2009年6月21日 21:06

あなた様が”何気なく”書き込まれた例えによって、傷ついた方がいたということですよ。

私も何気なく喋ったことで人を傷つけることがあります。
お互い気をつけましょう。

ユーザーID:6509314321
共通一次さん、昔の外大生さんに同感
平凡女子
2009年6月21日 21:03

とぴ主さんは、36年も前の
受験の話をしたいだけなんですよね。
恐らくは、お子さんが受験生なのかな?

それなら、「昔の大学受験はどうでしたか?」
で良かったと思います。
具体的な学校・学部名はもちろん、
一期校・二期校も不要だったでしょう。

身内に、トピ主さんが挙げた
大学の卒業生がおりますので
見下されたようで、正直、気分が悪かったです。

ユーザーID:9931811720
昔の思い出話をしようというのに
隠居
2009年6月21日 20:28

そんなにケンカごしでやり取りするようなことでしょうかね。こういう制度はなくなりましたし、他大学に吸収されて存在自体がなくなってしまった大学もあります。そうそう、そんなことがあったね、で済む話です。トピ主さんも子供っぽいケンカを売らずに、レスから透けて見えてくるコンプレックスを内心で笑っていればよいのでは? 

ユーザーID:2195484520
国立二期校推薦辞退して就職
ひよこぴよ
2009年6月21日 19:57

一期校・二期校懐かしいです。当時(1974年度)工業高校3年だった私は、

「ただ 単純に 2回に分けているだけだろう」

と思っていました。私は担任の先生から「名古屋工業大学・工学部・電気工学科」に推薦入学を奨められるも、当時の日本電信電話公社に就職しました。

私は工業高校生でしたから、就職活動、大学入試、国家試験受験、国家公務員受験、そのほか気象大学校受験などいろいろ受験しましたけれど、最終的には就職を選びました。

就職は大学進学よりもはるかに困難(健康が絶対条件)でしたが、就職してしまえば同級生が4年間大学へ学費を支払っているあいだ、こちらはお給料いただいて多額の貯金ができます。

ただ当時の国立大学の授業料は、私の弟が大学に進学しましたけれど1ヶ月8000円でした。あの安さなら進学したほうがよかったかもしれない・・・と後年になって後悔したことも何度かありました。

「高卒で就職して本当に良かった」と感じるようになったのは入社して10年ぐらいたった頃でした。そのぐらい経つと高卒でも実務経験などから大卒レベル以上になり4年間の差は貴重と感じました。

ユーザーID:9967184919
昔むかし・・・
すぎたこと
2009年6月21日 18:02

私もトピ主さんと同じ年代でしょう。
何だかんだと言っても、一期校は二期校より上でした。一期校って旧帝大というイメージですね。または政令指定都市のような大都市にある大学。北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、神戸大学、福岡大学、あとは金沢大学ぐらいがさっと思い出されます。二期は「駅弁大学」なんて普通に言われていたことでしたね。

私は一期は公立大学、二期は地元大学を受けました。授業料が月3千円の頃でしたが、一期も受かりましたがお金がなかったので地元にしました。というか、試験慣れのために一期も受けただけです。今は国立でも年50万円ぐらいとか。とても受験さえできなかったでしょう。親も何も言わない親でした。

当然、塾なども一度も行ったことがなく、受験勉強も全然しませんでした。行く気になれば京都大学は行けたと思います。実際、京都大学に受かった同級生も同じ二期校に入りました。その子とトントンの学力でしたから。
でも京都大学へ行ったから幸せになれたかは分かりませんので、どうでもいいです。そういう人生(運命)だったんです。

ユーザーID:5077523299
 
現在位置は
です