算数好きの方、算数・数学の教育に携わる方、語り合いましょう!

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  • トピ主です。続・背理法の話

    ●ヨーデルさん

    いけずと言われると、某「美麗トピ」を想起します…。

    認識の違いはあれど、少なくても、
    ヨーデルさんが期待されたツッコミを私ができなかったのは確かですね。
    「ごめんなさーい!」のまま逃亡していれば良かったか(嘘)。

    ところで話は変わりますが、
    「背理法」を、論理学や数学を使わずに説明するときって、どうすればいいのでしょうか?

    昨日、酒の席でそういう話題がありまして、
    「旦那さんが釣りに行くと言って出て行ったけど、釣りに行ったと仮定すると、晴れの日なのに日焼けしないで帰ってきたのは矛盾、みたいな?」
    と某トピの例を言われ、

    「ん〜どこで釣りするかにもよるな〜」と思いながらも、
    ま、大雑把にそんなもんだということになりました(笑)。

    数式を使わずに、うまいたとえって、どんなのがあるんでしょう。

    ユーザーID:3716159584

  • 公式当てはめと将来の貧困

    「公式に当てはめられる人」の延長線上に
    「公式、アルゴリズムを(再)構築できる人」
    があるのでしょうか?
    私は、大きな断絶があると思います。
    現状の教育に、これを補完する仕組みはあるのでしょうか?

    私は、この断絶は、貧困に結びつくという意味で重要と考えます。

    日本のGDPが世界第2位になるまでは、前者は有効でした。
    しかし、今後は、新興国と仕事を取り合うことを考えると
    「前者に重点のある人」→ 貧困に陥り易い
    「後者に重点のある人」→ 貧困に陥り難い
    という構図があるのでは、ないでしょうか?

    この当たりについて、教育に携わる人々はどう捉えているのでしょうか?

    ユーザーID:7820407887

  • 「かけ算の順序」のメリットは?

    カワリーノさんにお聞きしたいのですが、「かけ算の順序を教えること。答えとしてそれを強要すること」の積極的理由は何なのでしょうか?

    指導要領にも書かれていない、将来的には役に立たない、むしろ桎梏になりかねない、数学的には何の価値もない「かけ算の順序」の積極的意義は何なのでしょうか?

    >小学生の文章題はかけ算を習ってるときはかけ算ばかり、わり算を習ってるときはわり算ばかり出てきます。
    >理解できている子とそうでない子を峻別する意味でも小学生の段階ではかけ算の順序にこだわるべきだと思います。

    とのことですが、順序を「正しく」書いても、理解していない可能性はあります。また、「2km離れたスーパーに歩いていきました。そこで蜜柑を、・・・」とダミーの数字を混ぜたり、足し算や掛け算の問題を混ぜることで、敢えて数学的にナンセンスな「かけ算の順序」を導入しなくとも、生徒が理解できているかどうか判断できると思います。

    「かけ算の順序」は、教え方の流儀の1つに過ぎません。それが今大きくなっているような印象ですが、数学的整合性を破壊してまで教えるほどのメリットがあるとは思えません。

    ユーザーID:8503241366

  • 九九を習ったとき

    1の段から始まり、2の段、3の段と進んでいって、ややこしくなってくるのが7の段や8の段です。
    7×4で悩んだときは4×7に置き換えてました。
    友達もみんなそんな感じでした。
    先生に習わなくても、答えが同じだということに気づいていたんです。
    大人は頭がかたくなってるから、子供が理解できてるか〜?なんて心配するんでしょうが、子供は(そういうものだ)と感覚的に理解できてるものなんです。
    文章問題でも然りです。子供は知らず知らずのうちに頭を使い分けています。
    大人が正しいと思うレールをわざわざ敷いてあげなくても、自分で考え、この問題の式はこう書いた方が意味がよく通ると思えば、かける数とかけられる数を意識して書くし、順序を求められていないと思えば、やりやすいように解くものじゃないでしょうか。

    ユーザーID:9131702941

  • 子供を型にはめすぎです

    そもそも、「教師が意図したとおりの解答のみが正解」という発想が硬直しているのですよ。

    たとえば、掛け算の順序を教えた順序と逆に書いた子供がいたら、呼んで聞いてみたらいいのです。「どうして教えた順番と逆に書いたのかな?」と。で、子供が「だって、掛け算はひっくり返しても一緒なんだから順番関係ないでしょ」と言えば「えらいね、よく知ってるね」と言って○にすればよいし、出てきた順番に数字を書いただけなら「どうして掛け算なのかよく考えようね」と言ってもう一度教えてあげればいいだけのことではないですか。
    中途半端な教え方をして、それに沿わない解答は許されない、というのはギリシャ神話の「プロクルステスの寝床」と同じことです。

    よくお考え下さい。これが数学ではなく英語だったらどうでしょうか。
    帰国子女の子供(そもそもこの子が英語の授業に参加する必要があるかはともかく)が、英語をネイティブ並の発音で読んだとき「ここは日本の学校だから」とカタカナ発音を強要するのでしょうか?

    数学的真理は英語の発音よりもさらに曖昧さがないのだから、「掛け算の順序の強要」は「カタカナ発音の強要」以上におかしな話なのです。

    ユーザーID:4828386237

  • 根本がズレている?

    > 次に同じ答え方をした場合は×にする。

    問題文に「小数を使うな」と指定していれば×で良いですよ。
    その指定なしに×にするのは『不適切』です。
    小数を使って答える子がいると分かっているならば、『適切な問題文』を出題するべきです。
    要は教える側がサボりたいだけでしょう。


    > それに意味を理解しなくてもいいんです。できるようになることが目的ですから。

    できるようになるのは最低限です。理解させるのが目標。
    そんなことも分からんのですか?最初から「理解させる」を捨ててどうするんですか。


    > 「かけ算の順番が逆でも問題ないけど、小学校では(1個あたり量)×(個数)と書くようにしなさい」
    > 何か問題でも?

    「問題ない」と言っていながらバツにするのは問題ありです。
    問題ないならばマルにならなければ筋が通りませんよ。


    > 決して公式を覚えることでそういった考えができなくなるというわけではありません。

    『公式以外のやり方はは許さん』と言っていれば、そういった考えができなくなるでしょう。

    ユーザーID:2293259910

  • >数学を道具として使うこと

    >じゃあアルゴリズムを一意にして機械的に解かせたら、
    >道具として使いこなせるようになるのか

    十分条件ではないが必要条件、と言ったところでしょう。


    台形の面積についてですが、現実問題として使うことはないでしょう。役に立つか、と言われればNOでしょう。
    ただ、台形の面積の公式は『公式に値をあてはめる』練習でもあるのです。
    二次方程式の解の公式も同じですが、考えることを重視したあまり、考えることも答えを求めることもできない子が増えるという状況に陥っています。
    「できる」よりも「分かる」の方がレベルが高いことであるのに、できない子供に「分かる」を要求しているのです。

    >面積を求めることになったら、結局、台形の面積を正しく
    >計算できることよりも、三角形に分割するというアイデアを
    >持っている方が役に立つと思うんですよ。

    できる子は多角形の面積を複数の三角形に分割して求める方法も知っています。
    決して公式を覚えることでそういった考えができなくなるというわけではありません。

    ユーザーID:1511092203

  • >方便は方便2

    >見積書や請求書にはそう書くものです。
    >それを理解できない人を増やしかねない教育が『正しい』のでしょうか。

    その心配はご無用です。
    プログラマーがa=a+1という表現に違和感を感じて仕事ができないなんてことはありませんね。

    >「本当は違うけれど、今はこう覚えておきなさい。●年生で詳しく習います」と。

    それでいいではありませんか?
    「かけ算の順番が逆でも問題ないけど、小学校では(1個あたり量)×(個数)と書くようにしなさい」
    何か問題でも?

    ユーザーID:1511092203

  • >方便は方便1

    >わかっている子に、方便を「押し付ける必要」などないと言っているんです。

    あまりのあるわり算のテスト(まだ小数を習っていない段階)で、公文などですでに小数を習っている子が17÷5=3.4と解答した場合どうするか?
    私なら一度目は○にした上で次からは3あまり2と書くよう指示する。次に同じ答え方をした場合は×にする。
    これと同じ事です。
    分かっている子は状況に応じて期待される答えを書くものです。
    それができないのは分かっていないか反抗しているかのどちらかです。(うっかりという場合もあるでしょうが、そういう場合は自分でも納得するでしょう。)

    >大人である私に理解できないことを、子供に理解できることを期待するのは間違っている。

    それは貴方がやり方を徹底的に叩き込まれなかったからです。
    ある程度の中学を受験するレベルの子は十分理解できてますよ。
    それに意味を理解しなくてもいいんです。できるようになることが目的ですから。

    続く

    ユーザーID:1511092203

  • 生徒の理解度

    前レスの追加です。

    分数を始めたばかりの生徒が対象。約分はまだ教えていない。
    分数を使って、全体のどれだけ(割合という用語はまだ使わない
    ので)ということを表すことができるということを指導
    している段階とします。

    1.教室に男子が3人、女子が18人います。男子は全体のどれ
    だけにあたりますか。
    2.そこへ男子がもう一人入ってきました。男子は全体のどれだ
    けになりますか。

    教師の期待する答えは、1.は3/21、2.は4/22です。
    それを、
    (A)1.は1/7、2.を2/11 と答える子がいれば
    その場合は、どちらも正解にしてもいいと思います。

    それを、
    (B)1.を1/7と答えた結果、2.を2/7とか、2/8とか
    答える子がいれば、それはこの子が1.の段階で、なまじ約分
    を聞きかじって答えを出し、2.の段階でつまづいたということ
    です。

    こんな時、この子の1.の1/7を正解にするかどうか微妙ですね。

    人数が多いときは、(A)の子も含めて、約分はまだ指導して
    いないからという理由でXにすることもありえると思います。
    僕個人としては、(B)の1/7も○にするほうですが。

    ユーザーID:1984691627

  • 数学を道具として使うこと

    多くの人にとって数学が道具だというのは納得できるのですが、
    じゃあアルゴリズムを一意にして機械的に解かせたら、
    道具として使いこなせるようになるのか、
    って言ったらだいぶ疑問なんですよね。

    例えば台形の面積の公式を教えれば、
    確かにより多くの子が試験で台形の面積を正しく出せる。
    でも例えば、その子が測量技師になって、五角形や六角形の
    面積を求めることになったら、結局、台形の面積を正しく
    計算できることよりも、三角形に分割するというアイデアを
    持っている方が役に立つと思うんですよ。

    あるいは、三角形の面積なんて学校を出たら一生求めない、
    という人も多数存在するでしょう。そんな人生にとって、
    論理的思考力の訓練と、
    アルゴリズムに従って答えを出す訓練の
    どちらが有用でしょうか?
    両方いらないかも知れないけど、
    前者の方がまだ役に立つと思うのです。

    そういう意味で、数学をアルゴリズムとして教えるのは
    教師とできない生徒の双方にとっての自己満足ではない
    のかなあ、と思ってしまうことが多いです。

    ユーザーID:6402484983

  • トピ主です。博士さんへ(訂正)

    ●博士さん

    読み返してみると、どうも私が拡大解釈していたようです。

    > 教える時は特定の方法を手本にして教えてよいけれども、
    > それ以外の方法で解いてきた場合も正解とすべきだと言っているのです。

    博士さんのスタンスは、私の
    ・カリキュラムに内包されている、数学的真理と教育上の都合による内容との矛盾の可能性については言及しない
    ・児童の解答への正誤については、数学的真理を歪めるものであってはならない
    で、ほぼ近いでしょうか。

    私の、
    > 「数学の教育(B)は、数学(A)の真理を歪めるものであってはならない」
    だと、大雑把ですね。

    ユーザーID:3716159584

  • ああ、そうか

    7月13日 0:01の博士さんのレスを読んだときには全然ピンときていなかったのですが、7月18日 20:21の元問題児さんのレスでやっと気づきました。
    たしかに、2xと書くとx+x(xが2個)のように見えますね。
    私のレスは、もちろんy=80xを「80がx個」と読む前提です。

    私の6連投は、博士さんのレスをあえて無視したような形になってしまっていますが、たんにおっしゃることを理解できていなかっただけですので、念のためお伝えします。

    今振り返ると、私のレスの内容は「正比例」を持ち出す必要はまったくありませんでした。
    「同数累加」に置き換えていただければ幸いです。

    九九を習った直後に、この2つの法則を習うようです。
    http://www.shinko-keirin.co.jp/sansu/WebHelp/html/page/22/22_07.htm
    前者は同数累加を、後者はかけられる数とかける数の対等性を強調しています。
    私が言いたいのは、要するに、掛け算はこの両方の側面があるからこそ便利なのだ、ということです。
    どちらかに絞るのはもったいないことだと思います。

    ユーザーID:7063437247

  • 方便は方便

    > しかし、多くの人にとって必要とされる算数・数学は道具でしかないのです。
    > その多くの人が使える道具にするためにどういう教育がなされるべきかを考えるべきです。

    だから、それは「方便」を『絶対普遍』として扱う理由にならんでしょう?
    わかっている子に、方便を「押し付ける必要」などないと言っているんです。
    わかっていない子を少しでもできるようにするための方便でしょうに。


    > 何度も言います。この程度の強制はできる子の芽を摘むものではありません。

    では、私も繰り返します。
    大人である私に理解できないことを、子供に理解できることを期待するのは間違っている。


    社会に出れば「数量×単価=金額」です。
    見積書や請求書にはそう書くものです。
    それを理解できない人を増やしかねない教育が『正しい』のでしょうか。
    順序にこだわるなら現実社会に照らし合わせた順序にするべきでしょうに。


    算数に限らず、小学校教育では「方便」が多用されます。
    しかし、あくまでも方便であり「絶対普遍ではない」ことも併せて教えるべきです。

    「本当は違うけれど、今はこう覚えておきなさい。●年生で詳しく習います」と。

    ユーザーID:2293259910

  • 混沌とした議論の中ではつっこみ(ボケかな?)は無用かな?

    「等式の否定は不等式でもある。」と「x=yの否定はx>yで(も)ある」、
    この二つの文章は一見よく似た文章ですが意味合いは違いますよね。
    わざわざ漢字で書いたのに、いけずDITAさん。

    最初の背理法の証明のように一見成り立っていると思われるものの中からその落とし穴を見抜く、つまりx≠yはx=yによって一意に定まるxとyとの関係性を否定しているだけで、xとyとの関係性全てを否定しているわけではないということを見抜かせる“問題”かと思っての書き込みでした。

    私の深読みでしたか?。ポリポリ

    ユーザーID:8204791556

  • トピ主です。議論はいずこへ、な雑談

    ●かるさん

    > 「全体主義」とか「自由主義」とか…政治イデオロギーまで発展していくのだろうか。

    論客にもよりますが、過去の議論を見る限り、イデオロギー方面に行くことはあんまりないです。

    言語学的・文化的・歴史的方面に進むときはあります(笑)。

    まあ、少なくてもイデオロギーの話になったら私はついて行けないので、
    私に関してはお茶を濁すか、適当な算数問題で別の話題を振るでしょう(笑)。

    多いのは、「画一的な指導は問題。児童個々の理解に応じた指導をすべき」というところから、
    「現実的に、そこまでの余裕がない」という、教師のキャパシティの話になり、
    その背景としての校内の実情や家庭やPTAという、極めて現実的な話になることのほうが多い気がします。

    先生の負担が大きいのは心情として理解できるのですが、
    さっきまでの、順序に意味があるとかないとかいう議論をしていたのは何だったんだ〜。
    と思うことが多々あったりも(笑)。

    とはいえ、ここは発言小町ですから、「発言することの楽しみ」が重要かなと思います。
    このトピについては、性別的に小町というより妹子な感じもしますが…(小野つながり)。

    ユーザーID:3716159584

  • トピ主です。二立さんへ

    ●二立さん

    > 男子3人、女子18人で、男子は全体の3/21と表せる、
    > そこへ男子がもう一人入ってくると男子は4/22になります。
    > それを1/7としてしまうと、男子がもう一人入ってきた
    > ときに。また3/21に戻して計算せねばなりません。

    「3/21に戻して」という表現からして、
    これは、「約分を知らない児童に対し、『1/7を(唯一の)正解とする』」とした場合の反論ですね?

    私が言っている、「答えは3/21であるが、1/7とも表せる」ことの反論ではないように見受けられます。
    約分を習っていない以上、模範解答は3/21なのですから、戻るも何もないと思いますが…。

    仮に、黒板を使ったステップバイステップの授業を想定されているのであれば、「戻る」ように見えるかどうかは板書の描き方の問題では?
    (あまり実践論の話まで広げたくはないですが)

    余談ですが、500文字制限はきついですね〜〜〜。

    ユーザーID:3716159584

  • >覚えていないだけと思うが

     少なくとも私は、「掛け算の順序についてとやかく言われたことはない」とほぼ確信しています。

    「割り算って、20の中に4がいくつあるかも、20を4等分すると1つあたりは、も同じ20÷4で出るのだな。不思議だな。でも、かけ算に順序は関係ないのだから、当たり前だな。でも不思議だな。面白いな。」と小学生のことに考えた記憶があります。

    柱の体積=底面積×高さ だけど、高さが1の柱を段重ねにして考えてもいいし、底面積が1の細長い柱を束ねたと考えてもいいと思っていました。掛け算に順序は関係ないというのは、当たり前のように考えていました。 

    もし、「順序云々」を言われていたら、「それはおかしい」と思ったり、何か記憶に残っていると思います。

    繰り返しますが、「順序を正しく」という指導に関して、文科省は「そのように教えろ」とも「教えるな」とも言っていません。


    「順序はどっちでもいい」と教えている教員もいます。↓
    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1227858512

    ユーザーID:8503241366

  • 具体段階

    DITA様

    >「困る」という表現がとても引っかかるのですが、「困る」の
    主語は何でしょう。

    引用文以外のところに書いてあるので、全体を読んでもらったら
    わかりますが、困るのは教師で、理由はそれによって混乱する
    生徒が出るかもしれないからです。

    男子3人、女子18人で、男子は全体の3/21と表せる、
    そこへ男子がもう一人入ってくると男子は4/22になります。
    それを1/7としてしまうと、男子がもう一人入ってきた
    ときに。また3/21に戻して計算せねばなりません。

    さらに、具体的段階のときは集合の考え方なども入ってきます。
    男子ではなく犬が1匹入ってきたら、数字として抽象化
    すれば、3人、18人、1匹で、3+18+1というような
    計算も可能ですが、犬というのは生徒という集合に入らないので
    3+18+1という計算は、人数の合計をを求める方法としては
    無意味です。

    分数を抽象化して約分を学習した後なら、3/21と
    1/7は同じ値ですが、その前段階で、人数という具体的なもの
    を分数で表す練習をしている時は、全体が21人そのうち男子
    が3人というのをすなおに分数にしてほしいものです。

    ユーザーID:1984691627

  • トピ主です。博士さんへ

    ●博士さん

    いつもレスありがとうございます。ご挨拶が遅れてすみません。

    > >Bの指導法がどうあるべきかが話の中心であると認識しています。
    >
    > いえ、私はそうは思いません。
    > 教える時は特定の方法を手本にして教えてよいけれども、
    > それ以外の方法で解いてきた場合も正解とすべきだと言っているのです。

    博士さんが一貫して主張されてきたことを、私のAとBを用いるなら
    「数学の教育(B)は、数学(A)の真理を歪めるものであってはならない」
    と、私は捉えています。

    それに対し「数学の教育(B)上、数学(A)の真理を歪めてもやむを得ない」
    という対立軸(私ではない)があり、
    両者の論点として「Bの指導法がどうあるべきか」と考えています。

    > つまり問題になっているのは、生徒の理解力ではなく教師の能力です。

    生徒の理解力が問題ではないことは同意ですが、
    積極的に×とする考えを教育委員会や教育産業などが推進する動きもあり、
    私は、もはや教師だけに留まらない、根深い「指導法の問題」と考えています。

    なお「指導法」ですが、カリキュラムだけを指すのではなく、指導一般を意図しています。

    ユーザーID:3716159584

  • 自由と自分勝手は違う

    1984は読んでいませんが(オマージュ作品の1Q84も読んでませんが)、人が集団生活を送る以上、「完全な自由な社会」はないかと。

    学校教育は「集団生活を送る」ことも教える場だと思います。
    その点では結果を出せばほかの拘束はない大学の研究室とかとは違う場所です。
    独自学習で中学数学まで理解してても、小学校での評価は「小学算数の理解度」でしかありません。
    国際A級ライセンス持ってるからと言って、日本で一般道の右車線を時速200km/hで走るのは認められません。このルールに理不尽さを覚える…のが元問題児さんの小学校時代です。

    日本の学校では2+2=4と叫んでかまいません。
    80x5=400や5x80=400が間違ってるとは言ってません。

    いまここで問題になっているのは「1個80円のリンゴ5個」=「5x80」なのかどうかです。


    この「掛け算の順序」問題は「全体主義」とか「自由主義」とか…政治イデオロギーまで発展していくのだろうか。

    ユーザーID:6816460365

  • 雪が解けたら何になる?

    2009年7月20日 22:11の私の投稿ですが、その前にもう一つ投稿したのですが、それが掲載されていないので意味不明となっています。無視して下さい。

    「雪が解けたら何になる?」という質問に、「春になる」と答えた子がいて、「子どもの発想は素晴らしい」という話がある。事の虚実は知らないし、その子の発想が素晴らしいかどうか私にはわからない。

    しかし、「掛け算に於いて、(1つ分)と(いくつ分)は原理的に区別できない」「全ての角が直角の四角形が長方形であるなら、正方形は長方形」と、素直に考えて正しく認識した生徒を、教師が「屁理屈言うな」と一蹴する教え方はあってはならないと考える。

    教員は「自分より理解力のある生徒がいるかもしれない」と心に留めて授業をすべきだと思います。また、嘘を教えるときは、嘘だとわかって上で教えるべきだと思います。「かけ算の順序」を方便であることを理解しないで、絶対的ルールであると思いこむことで、おかしな事になっていると思います。

    ユーザーID:8503241366

  • トピ主です。別の指導例(約分問題)について

    約分の問題について、二立さん、文句言いのおっさんさん、北のおっさんさん、積分定数さん、むー太郎さんからレスいただきました。

    二立さんの説かれる、具体→抽象という(学習)段階については異論ないのですが、
    「段階」を、私は児童個人の到達段階と捉えているのに対し、
    二立さんは児童総体としてのカリキュラムと捉えている、と私は解釈しました。

    「段階」は児童個々にあるものなので、抽象を理解したとみなせた児童を、具象に後退させるべきではない
    というのが私の考えです。

    > その段階で、男子が3人、女子が18人、男子の割合を分数で
    > 理解するというとき、3/21が正解で、1/7になるのは困る
    > わけです。

    「困る」という表現がとても引っかかるのですが、「困る」の主語は何でしょう。
    「先生を困らせないために3/21と書くべき」という主旨なのでしょうか?

    仮に上の(計算?)問題なら、クラスの何人かは「3/21と1/7は同じなんじゃないか」と考えても不思議はないと思いますが、
    「1/7じゃダメですか?」という質問は、困る性質のものでしょうか?
    (回答に窮する先生が世の中にいるのは否定しませんが)

    ユーザーID:3716159584

  • 順序の話は数学と関係ない方向へ向かう

    立ち位置について聞かれた気がするので書きます。
    ・順序に拘る教え方を「どう思うか」
    迷惑な話だ。
    ・順序に拘る教え方を「許容するか」
    許容する。(というか、そう教える先生がいるなら仕方なかろう。)

    ここら辺は「犯罪は許さない」という心情と「世の中から犯罪者がいなくなることはない」という現実と同じものです。

    ・算数と数学について
    別モノ
    ・現在の〜過去を〜というレス題について
    「別モノ」という前提で、数学を学び、数学を知ってから、数学の道理を算数にあてはめてどーこー言うのは違う。
    ・上書きされるというのは
    算数・数学ができる子なら、数学で習うより自由度の高い「順序拘らず」方式で効率よくやっていくでしょう。
    ・そもそもろんとして
    教育と学問は違う。大学に入ってまず言われたことは「高校までの教育」と「大学での学問」の違いだった。「受け身」な教育と「能動的な」学問。

    そういった意味で算数という教育は、一番底辺に合わせて行われてもいいもので、その過程で順序に拘る先生がいても許容される。

    ユーザーID:6816460365

  • トピ主です。背理法遊びは続く

    ●ヨーデルさん

    突っ込む側はどっちだったんだろう〜?というのはさておき(笑)

    > 「両辺に0を掛けると」ということができなくなり

    できるのは、左辺=右辺の場合であるが、
    「左辺≠右辺」でも上記操作ができる仮定であることは前述しましたので、

    > イコール(=)の否定がノットイコール(≠)

    ここですね。

    まず、論理的にも代数的にもAの否定はnot Aではないのですか?
    x=yの否定はx≠yであり、その否定はx=yで問題ないはずです。

    x,yを実数とすると大小の比較ができますが、
    それでも、x=yの否定はやはりx≠yでは?
    不等式を使って表現するなら、
    x≠yは(x>y または x<y)と等価
    x=yの否定は(x>y または x<y)
    その否定は(x≦y かつ x≧y)で、これはx=yと等価
    「x=yの否定はx>yで(も)ある」というのは否定ではなく否定の必要条件です。

    不等式の両辺に0を掛ける可否に言及していないという指摘ならば、
    x=yを背理法で証明しようとする場合、矛盾を導く仮定を(x>y または x<y)とするか、
    それと等価なx≠yとするかは解答者の自由なのでは?

    ユーザーID:3716159584

  • 算数・数学以前に

    元問題児さんの場合は、算数・数学以前に、生徒と教師との
    間の人間関係に問題があるように思います。

    教師の教えたやり方と違うやり方で、しかも正解になる答えを
    出してくる生徒、それを目の敵にして頭ごなしにXにする教師、
    といった図式が思い浮かびます。

    生徒と教師との間の人間関係、あるいは信頼関係がうまくいって
    いない場合はこういうことになるんでしょうね。

    この場合悪いのは絶対教師です。教師のほうが大人なんですから
    人間関係構築のリードは教師に責任があります。

    ”それに私は「教科書の説明がおかしい」と思ったから、わざと
    教科書と違う解き方を書いたのです。”

    僕が教師だったら、こういう生徒がでてきたら大歓迎です。
    「教科書の説明がおかしい」なんて発想は、いろいろ拡大して
    いけますが、最近の学校はそんなに教師に余裕がないんで
    しょうかね。

    元問題児さんは、算数以外の他の教科の場合はどうだったんで
    しょうか。

    ユーザーID:1984691627

  • 生徒ではなく教師側の問題


    >Bの指導法がどうあるべきかが話の中心であると認識しています。

    いえ、私はそうは思いません。
    教える時は特定の方法を手本にして教えてよいけれども、
    それ以外の方法で解いてきた場合も正解とすべきだと言っているのです。

    私が教えていた経験ではそういう生徒は必ず出てきますし、
    採点がおざなりになっている時には、そういう解答をバツに
    したくなることがあるのも理解できます。
    つまり問題になっているのは、生徒の理解力ではなく教師の能力です。

    ゆとり教育の見直しを行う前に、
    「これから教員のレベルが落ちていくので、ゆとり教育を見直して
    公式をどんどんあてはめるような教育方法にしないと
    教員がついていけなくなる。」
    という議論がありました。
    その通りの方向に進んでいるようですね。

    ユーザーID:6402484983

  • 先ほどのレスにミスがありました。

    >> 100円の商品を3個買ったときの代金を求める式を3×100としている問題集を見たことがありません
    >「3×100のみが正しい」なんてモノは恐らく無いですよ。

    ごめんなさい。「100×3のみが正しい」と読み間違えていました。

    ユーザーID:8503241366

  • 人間は多様です

    よいやみさん:
    応援ありがとうございます!

    >教えられたことしかできない子がOをもらい、考えることのできる子がXをもらう事態になりそう。

    まさに私はそういう目に遭ったのですよ。掛け算の順序を徹底するということはつまりそういう子を作り出すことなのです。

    カワリーノさん:
    >個性も結構ですがそんなものは基本ができてこそです。

    「掛け算の順序」は「基本」などではありません。単なる「嘘」です。創造説といっしょで、教える側が面倒を避けるためにごまかしているだけなのです。「基本」ができた人間にとってはむしろこのようなill-definedな概念(数学的に破綻した概念)は理解不能になります。

    >何度も言いますが演繹的に物事を考えられる大人の視点で物事を捉えてはいけません。

    私は「子供時代に」交換法則など自力発見していました。長方形を描いたり九九の表を眺めたりして極めて「直観的」に理解したものです。

    おわかりでしょうか。あなたの理解にとって都合のよい順序が誰にとっても都合がよいとは限りません。だとすれば、ある特定の人たちの順序に他人を合わせさせるのは有害無益です。

    ユーザーID:4828386237

  • できる子って何よ?

    > 本当にできる子は、出題者が何を見ようとしているのか、どういう誤答が多いかということまで理解しています。

    だから、「誤答」ではない、と言っているんですけど。
    出題意図に反していようとも、正解は正解です。

    そもそも、出題意図なるものが有るのであれば、答えがただ一つのみになるように、解釈の差が生じない問題を作るべきなのです。
    「できない教師」に付き合うのが「できる子」ではありませんよ。


    > 100円の商品を3個買ったときの代金を求める式を3×100としている問題集を見たことがありません

    「3×100のみが正しい」なんてモノは恐らく無いですよ。

    100×3、あるいは3×100のどちらでもいい、としている参考書や問題集は私が子供の頃は普通にありましたけど。今あるかは知りません。

    ユーザーID:2293259910

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