算数好きの方、算数・数学の教育に携わる方、語り合いましょう!

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DITA

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  • 学校現場の多忙さが順序指導の要因?

    最近、小学校の教員と話すことがありました。その人自身は最初は指導書に従っていて「順序」を教えていたものの、高学年までうるさく言う必要があるのか疑問に思って、中学から異動してきた教員(数学専攻)に質問したところ「全く意味がない」と言われて、それからはうるさく言うのをやめたそうです。

    順序に拘るか、否か、に関して文科省は、どっちの教え方がいいとも、悪いとも言っていません。要は現場の裁量ですが、順序の教え方は最近増えている印象です。

    その教員によれば、現在の学校現場は多忙(原因は色々)で、教員同士が雑談したり飲みに行く雰囲気ではないそうです。この教員は別の教員に質問して「順序をうるさく言う意味はない」と理解した訳ですが、このように「指導書にはそう書いてあるけど、要は生徒が理解できればいいのだから、そんなに拘る必要はないんだよ」という会話が以前はあったが、最近はなくなってしまって、指導書に書いてあることが杓子定規に教えられているのでは、という気もします。指導書の執筆者も「生徒が理解していれば順序は問題ない」と言っているのですが、教員には伝わっていないようです。

    ユーザーID:6600067037

  • トピ主です。学問としての「数学」と授業としての「数学」の差異

    「算数・数学」という言葉を、様々な議論の中で、私も含めて自明の言葉として使っていますが、
     A.学問としての「算数・数学」
     B.授業や教科名としての「算数・数学」
    がありますね。
    Bは、Aを教えるにあたって教育的要素を加味したものと私は捉えていて、
    そのBの指導法がどうあるべきかが話の中心であると認識しています。

    ほとんどの方の論調は、必要に応じてAとBを区別されているか、
    文脈的に差異が問題にならない場合が多いのですが、
    「本当の意味」という言葉が出てきたところで一旦整理したいと思います。

    ● カワリーノさん

    「できる子」「本当の意味での『できる子』」という表現を使われていますが、
    「本当の意味での算数・数学ができる子」という場合、
    その「算数・数学」は、カワリーノさんにとってはAに近いでしょうか?Bに近いでしょうか?

    このあたりの語感に差異がありそうな気がしています。

    「本当の意味での算数・数学」というと、私は間違いなくAを想起しますが、
    「本当」という言葉には「事実」という意味と「本来」という意味があり、
    解釈によってBともとれなくはないので、念のための質問です。

    ユーザーID:3716159584

  • 数学的な議論より教育的な議論を

    計算や公式に当てはめて答えを導くことは得意だが、応用力・考える力が不足しているとして
    台形の面積の公式や二次方程式の解の公式を教えないようになりました。
    しかし、それによって何が起こったのか?
    先のレスでも書きましたが、意味は分かっていないがとりあえずできるという子供が減り、意味も分からないし答えも求められないという子供が増えました。
    それが公式あてはめ型指導(かけ算の順番もその一つ)を否定する人たちの望む結果なのでしょうか?

    「学ぶ」とは「まねぶ」なのです。テンプレ通りに真似をすることを繰り返すことで知識が定着するのです。
    個性も結構ですがそんなものは基本ができてこそです。

    学力低下が叫ばれて久しいですが、原因は演習量不足に他なりません。
    何度も言いますが演繹的に物事を考えられる大人の視点で物事を捉えてはいけません。
    交換法則やこういう考え方もできるといった数学的な議論を主張されている方がいますが、
    広い層を対象とした公教育はどうあるべきかということを考えるべきです。

    ユーザーID:1511092203

  • 丸大ハンバーグのまわし者です

    ここで問題です。
    「我が家の光ケーブルが切断するであろう確率を求めよ」
    この答えを得るためには福沢先生の知識と樋口先生のセンスが必要でした。

    さて本題に戻りますが
     1≠2 と仮定する
    このときこれは等式1=2を否定したのですが、これは不等式1<2までも否定しているわけではありません。
    よって「両辺に0を掛けると」ということができなくなり以下の
     0≠0
     これは明らかに矛盾しているので仮定は違っている。
     よって 1=2
    という論理展開も必然的に不成立となります。

    イコール(=)の否定がノットイコール(≠)であるかのように思いがちですが、等式の否定は不等式でもあるということに気づくかどうかという問題ですね。

    というつっこみでよろしいでしょうか、DITAさん?

    ユーザーID:8204791556

  • 掛け算の順序なんて、誰が考えたの?

    子供に理解させる為とは思えない。
    子供の理解力は、皆同じ訳ではありません。
    算数に対して閃き、センスを持った子供は存在します。
    才能を潰すような画一的な教育は、して欲しくありません。
    教えられたことしかできない子がOをもらい、考えることのできる子がXをもらう事態になりそう。

    元問題児さん、陰ながら応援しています。(レスに書いたら陰じゃないかも)

    ユーザーID:8388433265

  • 正直、心外極まります

    カワリーノさん:
    >失礼ですが、本当の意味での「できる子」ではなかったということでしょう。

    本当に失礼です。当時の私は周囲の誰よりも、数学を(学んでいると意識すらせずに)学んでいました。「できる子」でなかったとは絶対に言わせません。
    ちなみに私は日本でも五指に入る大学で応用数学を専攻しました。現在も専門を生かして世界の最先端を追究しています。

    >本当にできる子は、出題者が何を見ようとしているのか、どういう誤答が多いかということまで理解しています。

    それは「算数ができる子」ではなく「大人の顔色を見ることができる子」に過ぎません。そんなことは算数の授業ではなく自己啓発セミナーでやっていただきたいです。
    それに私は「教科書の説明がおかしい」と思ったから、わざと教科書と違う解き方を書いたのです。

    >100円の商品を3個買ったときの代金を求める式を3×100としている問題集を見たことがありません

    正しいかどうかは問題集が決めるのではありません。論理によって決まるのです。偉い人が何を言おうと「それでも地球は動く」と言うのが科学的態度です。科学教育ではその態度をこそ養うべきです。

    ユーザーID:4828386237

  • トピ主です。背理法の話

    ああ〜〜〜あのフレーズか…。

    ●ugougoさん

    > DITAさんの7月16日 16:19のレスですが、「これ」って何ですか?
    > どこが何をどう応用しているのか、さっぱり分からないのですが、、

    左辺と右辺の両方に対し同じ操作をすると、その結果も同じになる、ということは、
    左辺=右辺の場合ですよね。

    左辺≠右辺であれば、予期しないことが起こる訳です。
    (−1≠1の両辺を2乗するとか)

    「これ」というのは、「左辺≠右辺という数式に対し、両辺に算術を施すこと」で、算術については高校生レベルということで、使えるものを使ったつもりです。

    ですがugougoさんのご説明を読んで納得(笑)。

    ということでヨーデルさんには2点、真意を確認したいところです。

    (1) ツッコミ期待への真意
    (2) ハンドルの真意(もちろん「ハイリハイリフエ 背理法」由来?)

    あと、ugougoさん、かけ算の順序のレスもありがとうございます。
    一般的な「事象をモデル化する訓練」については賛成です。
    異なるのは、私は「そこでやらなくても」と考えている点だけですね。

    ユーザーID:3716159584

  • >「かける数」と「かけられる数」の概念の曖昧性

     これに関して、「個数であればそうかもしれないが、密度×体積や、速度×時間は、この順序でないと駄目」という反論がある。私はそもそも、(1つあたり)×(いくつ分)という順序自体が、かけ算導入の便宜的定義に過ぎないと考えるので、1つあたり=速度 いくつ分=時間 であっても、距離=時間×速度 で問題ないと考える。「かけ算は最初の定義で前後の非対称性が崩れているが、それは見かけ上で本質的に交換可能である」と考える。

     しかし、あくまで(1つあたり)×(いくつ分)に拘っても、5km/hで3時間歩く場合の距離を、3×5 としうる論理はある。

    様々な速度で、3時間でどれだけ歩けるか?と考えると、 1km/hあたり、3km.  つまり、3km/(km/h).   だから、距離=3km/(km/h)×5km/h=15km 
    ここで、数値が整数か非整数かは本質的ではない。

    もちろん、「1時間あたり5kmでそれが3つ分」の方がわかりやすいし自然な発想であり、上記の発想はかなり不自然で無理矢理な解釈ではあるが、間違いとは言えない。自然か不自然かは、感覚の問題であり、算数・数学の正誤とは別である。

    ユーザーID:8503241366

  • その順序も言語依存なんです

    むー太郎さんへ:

    >問1)4+4+4 を掛け算を使って書きなさい
    >これの答えであれば、4×3 のみが正解でもいいかとは思う。

    いえ、その問題でさえ、3×4も正解であっておかしくないのです。
    以前にも出た話題ですが、4+4+4を見て「4×3」が自然だと感じるのは、我々が日本語的発想を無意識に数学に持ち込んでいるからです。つまり、この式を無意識に「4が3つ」だと読んでいるから「4が先で3が後」だと思うわけです。

    同じ問題を英語圏の人に出せば「3×4」という式を立てる人が多いはずです。なぜなら、英語(やその他ヨーロッパ系言語)の発想ではこれは「three "four"s」になるからです。文字を使った式では「2x」とか「3y」のように数字を先に書かれることからもこのことは推測できるでしょう。

    しかも、実は日本語では「4が3つ」のほかに「3つの4」という言い方もできます。「4が3つ」ほど使われる言い方ではないにしても、不自然な言い方ではないはずです。「4が3つ」のみを優遇する理由はどこにもないのです(と、小学校の時に担任に主張したら「屁理屈言うな!」と怒鳴られたのですが)。

    ユーザーID:4828386237

  • 元問題児さん

    >少なくとも勉強に限っては間違いなく「できる子」でしたが、それによってある意味では「理解を妨げ」られましたし、「歓迎」どころか憤慨に堪えなかったです。

    失礼ですが、本当の意味での「できる子」ではなかったということでしょう。
    本当にできる子は、出題者が何を見ようとしているのか、どういう誤答が多いかということまで理解しています。
    出題者が何を見ようとしているのか分かっていなかったから
    >「掛け算の順序を入れ替えても問題ない」と教師に反論
    したり(そういう問題ではない)
    >なぜ怒られているかも理解できなかった
    のではありませんか?
    算数・数学は答えが合えばそれでよし、ではないのです。

    今まで多くの問題集を見てきましたが、100円の商品を3個買ったときの代金を求める式を3×100としている問題集を見たことがありませんし
    またそのような指導をしているという話も聞いたことがありません。

    ユーザーID:1511092203

  • 理解とは何か?

    > かけ算の順序にこだわることが算数嫌いにする
    > かのように思っている方がいらっしゃいますが
    > それはできる子にとって理解を妨げるものではない

    算数嫌いにならなくてもその算数の授業は嫌いになりますし、
    無矛盾なものに×をつけるというのは最も理解を妨げると思います。
    (「理解」という言葉の意味を意識して書かれていますか?)

    カワリーノさんが本音で言いたいことは、「出来る子には文句を
    つけても計算が出来なくはならないから、画一的に解き方を教え
    込んで、計算だけ出来る子を少しでも増やした方が得。」
    ということでは?

    ユーザーID:6402484983

  • 区別は必要になった時にする

    > 状況に応じて「正比例型」と「対等型」の考え方をどちらでも使いこなせること

    こういうのってナンセンスだと思うんですよね。代数学的に言うと、
    「実数の集合しか扱わないけど、体とK加群は区別しとくように!」って言ってるのと同じ。
    それだったら体や環じゃない加群の例を出さないと意味がないんですよね。
    具体論で言えば、高校でベクトルが出てきたあたりでこの区別を教えれば良い。

    上の引用文のようなことを本気で言ってる人は
    数学にも算数・数学教育にも向いてないと思います。

    ユーザーID:6402484983

  • 順序自体が理解不能なんですけど

    私自身が「掛け算の順序」が理解不能ですので、子供にも理解不能かと思っていますけど。

    問1)4+4+4 を掛け算を使って書きなさい

    これの答えであれば、4×3 のみが正解でもいいかとは思う。


    問2)リンゴが4個乗った皿が3つある。リンゴは全部で何個か?

    この問題で「4+4+4としなければならない」理由が全く分からんのです。
    3+3+3+3では何故いけないのか?

    ●をリンゴとすると

    ●●●● ←1皿目
    ●●●● ←2皿目
    ●●●● ←3皿目

    さぁリンゴは何個か?
    4×3であり、3×4ですよね。
    何の問題があるんでしょう?

    掛け算ってこう考えるものでしょう?
    こう考える子にとっては『理解を妨げるものではない』どころか、無用な混乱を与えるだけです。

    ユーザーID:2293259910

  • カワリーノさんへ

    > かけ算の順序にこだわることが算数嫌いにするかのように思っている方がいらっしゃいますが、それはできる子にとって理解を妨げるものではない(むしろ歓迎)し

    おそらく私のことだと思いますが、これには賛成しかねます。謙虚に言っても私は、少なくとも勉強に限っては間違いなく「できる子」でしたが、それによってある意味では「理解を妨げ」られましたし、「歓迎」どころか憤慨に堪えなかったです。

    実際、私は「かける数」と「かけられる数」の概念の曖昧性など自分ですぐに気づきましたし、そのことを説明して「掛け算の順序を入れ替えても問題ない」と教師に反論したのですよ。そうすると「屁理屈をこねるな!」と言って怒鳴られ、親には「この子は協調性がない」と言われるような目に遭ったのです。
    まだ小学校低学年で、「先生の言うことはすべて正しい」と素朴に信じているような年齢でしたから、なぜ怒られているかも理解できなかったですし、何が正しいかも訳がわからなくなりました。そういう意味では間違いなく「理解」を妨げられました。

    多様な発想を抑圧して画一的な思考を強要して「考える力」が育つわけがありません。

    ユーザーID:4828386237

  • 「できる」→「分かる」2

    計算や公式にあてはめて解くことはできるが、考える力が不足しているとして、学習内容が大幅に削減された(ゆとり教育)わけですが
    結果は「とりあえず解けるが理解は十分でない」層が減り「解くことも理解もできない」層が増えたのです。
    「分かる」を重視しすぎるあまり、演習をないがしろにしたからです。

    対数の理解について文系・理系云々というレスがありましたが、これを以て公式あてはめ主義に異を唱えるのは暴論です。
    公式を使って演習することが悪いことでありません。
    先のレスで述べましたがなく、一通り演習を終えたあともう一度基本に立ち返って公式の導出という作業をしなかったことが問題なのです。(なかなかその時間が取れないという事情は分かりますが)

    ユーザーID:1511092203

  • 「できる」→「分かる」1

    かけ算の順序にこだわることが算数嫌いにするかのように思っている方がいらっしゃいますが、それはできる子にとって理解を妨げるものではない(むしろ歓迎)し、できない子にとっては理解が不十分であることを自覚するいい機会になるものだと思います。
    私が小学生の時、塾で「『の』はかけ算」と形式的に教えられ多くの演習をこなしましたが、それが以後の数学を理解する上でよかったのだと思っています。
    子供にとって学習手順は「できる」→「分かる」なのです。大人のように抽象的な論理から一般化して考えることは難しいのです。
    初めのうちは意味など分からなくてもいいのです。まずは「できる」ことを目標に。
    そしてある程度できるようになったら、そこでもう一度基本に立ち返って原理を理解する。

    続きます

    ユーザーID:1511092203

  • 具体から抽象へ

    算数教育において、大きな問題は具体から抽象へということです。
    りんご3個とみかん4個であわせていくつですか、という問題は
    なんとなくついてこれますが、象3頭とのみ4匹で、あわせて
    何匹ですか、という問題だと混乱します。
    猫3匹とねずみ3匹であわせて何匹ですか、という問題の答えが
    3匹、なぜなら猫がねずみを食べてしまったから、というような
    ことも起こりえます。
    1万円札が3枚、千円札が5枚、あわせて何枚ですか、なら答えが
    出ますが、あわせていくらですかなら混乱します。

    かといって、小学低学年の段階で最初から抽象の話もしにくい。
    その段階で、男子が3人、女子が18人、男子の割合を分数で
    理解するというとき、3/21が正解で、1/7になるのは困る
    わけです。具体的な話をしているときに勝手に抽象化して約分
    されると、クラス全体は7人ですか、ということになり混乱し
    ます。

    導入段階で具体的な話をしているときに、抽象的な答えを出して
    こられると、教師としては困ります。僕としては○をあげても
    いいんですが、クラスの他の子供たちが混乱するようだったら
    ×にすることもありえます。

    ユーザーID:1984691627

  • 問題3修正版やってみる

    ABCDE - FGHI = 33333

    Aが3か4のどちらかであることは明白である。
    B-Fの組み合わせの少ない方から考えてみる。(笑

    ということでA=4とすると
    B-F={1-7,2-8,3-9,1-8,2-9}

    んじゃあ、頭のB=1、F=7としてみると
    C-G={2-8,3-9,2-9}

    C=2、G=8とすると、D-H={3-9}、E-I=×
    C=3、G=9とすると、D-H={2-8}、E-I=×
    C=2、G=9とすると、D-H={6-3,8-5}

    あれ?500時以内で答えの1つが出ちゃった…。(笑
    字数余ってるから引き続き。


    B=2、F=8にすると。
    C-G={1-7,3-9}
    どちらも4。3になる繰り下がりパターンが無いので却下

    B=3、F=9では
    C-G={1-7,2-8,1-8}
    C-G={1-7}とすると、D-H={2-8}、E-I=×
    C-G={2-8}とすると同様に E-I=×
    C-G={1-8}とすると、D-H={5-2,8-5}、はいムリね。


    B=1、F=8にすると。繰り下がりに使える組み合わせが無いので…
    あら字数制限。ここまでか(笑

    ユーザーID:2293259910

  • ハイリハイリフレ、ホーホー

    ヨーデルさんがおっしゃりたいのは、
    1−1≠0と仮定する。
    両辺に1を加えて
    1−1+1≠1
    ∴(1−1)+1≠1
    ここで仮定より括弧の中が0にならないので、このあと1≠1とは変形できないということです。

    DITAさんの7月16日 16:19のレスですが、「これ」って何ですか?
    どこが何をどう応用しているのか、さっぱり分からないのですが、、、

    ユーザーID:7063437247

  • やっと結論

    先の、どちらが「かけられる数」でどちらが「かける数」なのかが明確な出題だけにするべきだろうかという疑問に戻ると、私の結論は「否」です。
    もちろん、学年に応じて徐々に難しくしていくという配慮は必要だと思います。しかし、「80円のりんごを5個買うといくら?」なら、2年生でも80円が「かけられる数」だと分かってしかるべきです。

    以上により、5×80=400という答案に対しては、私なら「式は×、答えは○」と採点します。

    念のため、先のレスにも書きましたが、長方形の面積に関しては、「縦×横」という順序に一切の意味はありません。どちらかを先にしないわけにはいかないので、便宜上、縦が先になっているだけで、どちらが先でも構わないと子供たちに明言するべきです。
    「縦×横」という順序と、「かけられる数×かける数」という順序を、同じ意味合いだと子供たちが理解しているとすれば、それが一番の大問題です。

    ユーザーID:7063437247

  • 掛け算学習の最終的な目標

    話を元に戻して、私は、掛け算学習の最終的な目標は、上の例のように、状況に応じて「正比例型」と「対等型」の考え方をどちらでも使いこなせることだと考えています。
    もう少し一般的な言い方をすれば、
    ・現象を状況に応じて適切にモデル化できること
    となります。

    この目標設定について異論も多いと思いますが、以下、とりあえずこの前提で話を進めます。

    この観点から見れば、どちらが「かけられる数」でどちらが「かける数」なのかを子供に考えさせることは、モデル化の訓練(私、この言葉好きですね)として必須となります。考えることを通じてしか、モデル化のセンスは学べません。
    したがって、「左側の数の単位=答えの単位」などという安直な教え方は最悪です。どちらを「かけられる数」としたほうが適切だろうかと、いちいち考えさせるべきです。

    ユーザーID:7063437247

  • 人月

    このことをもっとはっきりさせるために、「人月」を取り上げます。

    「人月」は、単位の違う数同士の掛け算ですし、双方が変数です。(金額や面積と違い、人為的に定義された量にはこのようなものが多いと思います。)

    例えば、今度のプロジェクトは4人割り当てたら5ヶ月くらいかかるから20人月か、というような話をしているとします。
    このとき、頭の中には漠然と4[人]×5[ヶ月]の長方形が浮かんでいるのではないかと思います。つまり、どちらかと言えば「対等型」に近いイメージです。

    ここで、プロジェクトの規模が2倍に膨らんだとします。
    誰かが「それなら10ヶ月かかるなあ」と言ったとき、彼の頭の中は、「かけられる数」=人数、「かける数」=月数の「正比例型」に変わっていると思います。
    逆に、「いや、納期は遅らせられない。8人に増やそう。」となれば、今度は、「かけられる数」=月数、「かける数」=人数の「正比例型」になります。

    ユーザーID:7063437247

  • 「正比例型」と「対等型」

    さて、ここで、いったん横道にそれて、掛け算を「正比例型」と「対等型」の2つに分類してみたいと思います。

    例えば、1個80円のりんごを1個買えば80×1=80円、2個買えば80×2=160円、、、というのは正比例型です。a=80[円/個]が比例係数で、それにx[個]をかければy[円]になるというy=axの形をしています。
    また、縦3cm、横4cmの長方形の面積が3×4=12[cm2]というのは対等型です。y=x1×x2の形をしています。

    正比例型は、片方が固定値であるという点が楽なのですが、単位の違う数同士をかけなければいけません。
    逆に、対等型は、単位は同じもの同士なのですが、双方が変数となります。

    ところが、りんご1個の値段は日々変わるでしょうから単価も変数といえば変数ですし、縦を固定すれば横と面積は正比例の関係になります。
    つまり、題材が同じでも、状況によって、「正比例型」と「対等型」のどちらと考えるといいのかが変わってきます。

    ユーザーID:7063437247

  • 「かけられる数」、「かける数」という表現のあいまいさ

    ここで、「かけられる数」、「かける数」という表現のあいまいさの問題があると思います。

    「80円のりんごを5個買うといくら?」という問題なら、明らかに、「かけられる数」=80、「かける数」=5ですが、「4人にりんごを3個ずつ配ると全部で何個?」は少し微妙だと思います。
    普通は、「かけられる数」=3、「かける数」=4だと思いますが、問題を少しひねって「4人にりんごを3個ずつ配るのと5個ずつ配るのでは、合計個数は何個違う?」だと、4×(5−3)と感じる人が多いと思います。

    それなら、どちらが「かけられる数」でどちらが「かける数」なのかが明確な出題だけにするべきだろうか、という疑問が出てきます。
    この疑問について考えようとすると、掛け算学習の最終的な目標をどこにおくかが問題になってきます。

    ユーザーID:7063437247

  • 「式を立てる」ことと「計算し答えを出す」ことは別だと思います

    以下、ものすごく長いですが、考えた順に書きましたので、追いかけてもらえれば幸いです。

    まず、与えられた問題文から「式を立てる」ことと、立てられた式を「計算し答えを出す」ことを、別物と教えるべきかどうか、という問題があると思います。
    私は、別物と教えるべきだと考えますし、実際、そのように教えているようです。
    http://www.shinko-keirin.co.jp/sansu/WebHelp/html/page/22/22_01.htm
    かけ算の意味とその結果の求め方とは区別して取り扱って、、、

    よく、途中の計算が間違っていても考え方は合っている場合、部分点をもらえることがありますが、それはこの方針によるものだと思います。
    例の5×80=400という答案に対しては、これのちょうど逆で、「少なくとも答えは○」という採点が正しいと思います。

    すると、「式の立て方」は○にすべきか×にすべきか、という問題が残ります。

    ユーザーID:7063437247

  • 予習の落とし穴

    クラスメートは分数の割り算をやったけど、その子はやっていないという状況(事情は割愛)の子に分数の割り算を教えたことがあります。

    20÷4は、20の4等分、あるいは、20に4がいくつあるか、という割り算の意味を復習し、1÷(1/2)をやって、1÷(1/3)をやって、と簡単な具体例から徐々にやったのですが、次に来たときは教えていないのに、誰かに教わったらしく「分母と分子を逆にして掛ける」というのが出来てました。仕方ないので、割り算の学習はそこで終わり次に進めました。
    しかし、結局、感覚として習得しているのではなく、操作方法を覚えているだけなので、案の定後で混乱することになりました。

    前に書いた、対数の問題も、理系の生徒は、公式を知っていたことが徒になったわけです。

    やはり基本概念の習得は手間を掛けてじっくりやるべきだと思うのです。ただし、「だからかけ算の順序は大切」という主張がありますが、以下の様な出題には、大いに疑問を感じます。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q121569682

    ユーザーID:8503241366

  • 自力で見つけたなら、絶賛すべき。

    例えば、!(階乗)の表記を教えていない段階で、ABCD 4文字の並べ替えは何通りか?に、4!=24 と答えた場合、バツもあり得ると思う。本人が自分で考えて!を見つけることは不可能。

     ちなみにこの問題、「一番左に入る文字は4つあり得る。その次は3つ・・・」となると、4×3×2×1となるのが自然に思えるけど、かけ算の順序に従うと、1×2×3×4としなくてはならない。「まず、Aを置く。次にBをAの右か左に置く。次に、Cを左端か、AとBの間か、右端に置く、・・・」だと、それぞれ逆順になる。

     約分に関しては、本人に確認して自分で見つけたなら絶賛すべきだし、教えて貰っていた場合にも理屈がわかっているなら○でいいと思う。理解していなくて「約分だから」だけだと、減点も仕方ないと思う。習った後なら、理解していなくてもOKなので矛盾しているように思うけど仕方ない。

     「本人が自分の力で試行錯誤して見つけた」ということは最大限評価する。「理論の理解抜きで、前倒しで、解法や公式を覚え込む」ということは、奨励されるべきではない。

    というのが、私の基本的スタンスです。

    ユーザーID:8503241366

  • 学問は自由。自由とは、正しいことを正しいと言えること

    子供の頃、約分や掛け算の順序などの問題に悩まされた者です。

    私は子供の頃算数が好きで、自分で本を読みふけっていた結果、小2の頃には中2レベルの数学を全部理解していました。そんな私にとって学校とは、教科書と違う解法で問題を解いたり、習っていない漢字を使ったりすると協調性がないといって非難される理不尽きわまりない場所でしかありませんでした。

    「教えた以上はその通りに回答すべき」という理由で×を付けることは子供のやる気を削ぐだけのやり方だと思います。「学校では習った通りに回答する」というのはいわゆる「大人の事情」的な世渡り術であって、勉強の本質とは関係ありません。10歳前の子供にそこまでの世慣れを要求するのは酷すぎます。
    かといって、「定義・証明されていない事実は用いない」というような、大学生レベルの態度を小学生に要求するわけにもいかないでしょうし。

    極端な全体主義社会を描いた「1984年」という小説の中には、主人公が「自由とは結局2+2=4と言える自由のことだ」と独白する一節があります。残念ながらその正反対の場所に成り下がっている日本の教育を支持する方の多さには呆れるほかありません。

    ユーザーID:4828386237

  • トピ主です。ハイララライホ〜♪(「背理法」と言いたい)

    ●ヨーデルさん

    > 1−1≠0と仮定したのですから、当然この背理法の証明は成り立ちません。

    これを許すと、何かと応用が利いちゃう(笑)のですよね。

    たとえば、1=2を証明するなら、

    1≠2 と仮定する

    両辺に0を掛けると

    0≠0

    これは明らかに矛盾しているので仮定は違っている。

    よって 1=2 が成り立つ(おしまいっ!)

    ユーザーID:3716159584

  • トピ主です。別の指導例の補足の補足…の補足(汗)

    いつも自分で読み返して、言葉足らずなところを突っ込まれるんじゃないかと恐れるチキンなトピ主ですが、
    今回はかなりひどいので…。

    > ●出題形式を穴埋め式ではなく計算問題とした
    >  (計算過程を穴埋めするなど、解答欄にそう書くべき
    >   十分な合理性があれば、その合理性が不正解の
    >   理由になっていたと思われるため)

    ●出題形式が不明だったため、「穴埋め式ではなく計算問題」とした

    が正です。その理由については同じです。

    ユーザーID:3716159584

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