算数好きの方、算数・数学の教育に携わる方、語り合いましょう!

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  • 理解とは何か?

    > かけ算の順序にこだわることが算数嫌いにする
    > かのように思っている方がいらっしゃいますが
    > それはできる子にとって理解を妨げるものではない

    算数嫌いにならなくてもその算数の授業は嫌いになりますし、
    無矛盾なものに×をつけるというのは最も理解を妨げると思います。
    (「理解」という言葉の意味を意識して書かれていますか?)

    カワリーノさんが本音で言いたいことは、「出来る子には文句を
    つけても計算が出来なくはならないから、画一的に解き方を教え
    込んで、計算だけ出来る子を少しでも増やした方が得。」
    ということでは?

    ユーザーID:6402484983

  • 元問題児さん

    >少なくとも勉強に限っては間違いなく「できる子」でしたが、それによってある意味では「理解を妨げ」られましたし、「歓迎」どころか憤慨に堪えなかったです。

    失礼ですが、本当の意味での「できる子」ではなかったということでしょう。
    本当にできる子は、出題者が何を見ようとしているのか、どういう誤答が多いかということまで理解しています。
    出題者が何を見ようとしているのか分かっていなかったから
    >「掛け算の順序を入れ替えても問題ない」と教師に反論
    したり(そういう問題ではない)
    >なぜ怒られているかも理解できなかった
    のではありませんか?
    算数・数学は答えが合えばそれでよし、ではないのです。

    今まで多くの問題集を見てきましたが、100円の商品を3個買ったときの代金を求める式を3×100としている問題集を見たことがありませんし
    またそのような指導をしているという話も聞いたことがありません。

    ユーザーID:1511092203

  • その順序も言語依存なんです

    むー太郎さんへ:

    >問1)4+4+4 を掛け算を使って書きなさい
    >これの答えであれば、4×3 のみが正解でもいいかとは思う。

    いえ、その問題でさえ、3×4も正解であっておかしくないのです。
    以前にも出た話題ですが、4+4+4を見て「4×3」が自然だと感じるのは、我々が日本語的発想を無意識に数学に持ち込んでいるからです。つまり、この式を無意識に「4が3つ」だと読んでいるから「4が先で3が後」だと思うわけです。

    同じ問題を英語圏の人に出せば「3×4」という式を立てる人が多いはずです。なぜなら、英語(やその他ヨーロッパ系言語)の発想ではこれは「three "four"s」になるからです。文字を使った式では「2x」とか「3y」のように数字を先に書かれることからもこのことは推測できるでしょう。

    しかも、実は日本語では「4が3つ」のほかに「3つの4」という言い方もできます。「4が3つ」ほど使われる言い方ではないにしても、不自然な言い方ではないはずです。「4が3つ」のみを優遇する理由はどこにもないのです(と、小学校の時に担任に主張したら「屁理屈言うな!」と怒鳴られたのですが)。

    ユーザーID:4828386237

  • >「かける数」と「かけられる数」の概念の曖昧性

     これに関して、「個数であればそうかもしれないが、密度×体積や、速度×時間は、この順序でないと駄目」という反論がある。私はそもそも、(1つあたり)×(いくつ分)という順序自体が、かけ算導入の便宜的定義に過ぎないと考えるので、1つあたり=速度 いくつ分=時間 であっても、距離=時間×速度 で問題ないと考える。「かけ算は最初の定義で前後の非対称性が崩れているが、それは見かけ上で本質的に交換可能である」と考える。

     しかし、あくまで(1つあたり)×(いくつ分)に拘っても、5km/hで3時間歩く場合の距離を、3×5 としうる論理はある。

    様々な速度で、3時間でどれだけ歩けるか?と考えると、 1km/hあたり、3km.  つまり、3km/(km/h).   だから、距離=3km/(km/h)×5km/h=15km 
    ここで、数値が整数か非整数かは本質的ではない。

    もちろん、「1時間あたり5kmでそれが3つ分」の方がわかりやすいし自然な発想であり、上記の発想はかなり不自然で無理矢理な解釈ではあるが、間違いとは言えない。自然か不自然かは、感覚の問題であり、算数・数学の正誤とは別である。

    ユーザーID:8503241366

  • トピ主です。背理法の話

    ああ〜〜〜あのフレーズか…。

    ●ugougoさん

    > DITAさんの7月16日 16:19のレスですが、「これ」って何ですか?
    > どこが何をどう応用しているのか、さっぱり分からないのですが、、

    左辺と右辺の両方に対し同じ操作をすると、その結果も同じになる、ということは、
    左辺=右辺の場合ですよね。

    左辺≠右辺であれば、予期しないことが起こる訳です。
    (−1≠1の両辺を2乗するとか)

    「これ」というのは、「左辺≠右辺という数式に対し、両辺に算術を施すこと」で、算術については高校生レベルということで、使えるものを使ったつもりです。

    ですがugougoさんのご説明を読んで納得(笑)。

    ということでヨーデルさんには2点、真意を確認したいところです。

    (1) ツッコミ期待への真意
    (2) ハンドルの真意(もちろん「ハイリハイリフエ 背理法」由来?)

    あと、ugougoさん、かけ算の順序のレスもありがとうございます。
    一般的な「事象をモデル化する訓練」については賛成です。
    異なるのは、私は「そこでやらなくても」と考えている点だけですね。

    ユーザーID:3716159584

  • 正直、心外極まります

    カワリーノさん:
    >失礼ですが、本当の意味での「できる子」ではなかったということでしょう。

    本当に失礼です。当時の私は周囲の誰よりも、数学を(学んでいると意識すらせずに)学んでいました。「できる子」でなかったとは絶対に言わせません。
    ちなみに私は日本でも五指に入る大学で応用数学を専攻しました。現在も専門を生かして世界の最先端を追究しています。

    >本当にできる子は、出題者が何を見ようとしているのか、どういう誤答が多いかということまで理解しています。

    それは「算数ができる子」ではなく「大人の顔色を見ることができる子」に過ぎません。そんなことは算数の授業ではなく自己啓発セミナーでやっていただきたいです。
    それに私は「教科書の説明がおかしい」と思ったから、わざと教科書と違う解き方を書いたのです。

    >100円の商品を3個買ったときの代金を求める式を3×100としている問題集を見たことがありません

    正しいかどうかは問題集が決めるのではありません。論理によって決まるのです。偉い人が何を言おうと「それでも地球は動く」と言うのが科学的態度です。科学教育ではその態度をこそ養うべきです。

    ユーザーID:4828386237

  • 掛け算の順序なんて、誰が考えたの?

    子供に理解させる為とは思えない。
    子供の理解力は、皆同じ訳ではありません。
    算数に対して閃き、センスを持った子供は存在します。
    才能を潰すような画一的な教育は、して欲しくありません。
    教えられたことしかできない子がOをもらい、考えることのできる子がXをもらう事態になりそう。

    元問題児さん、陰ながら応援しています。(レスに書いたら陰じゃないかも)

    ユーザーID:8388433265

  • 丸大ハンバーグのまわし者です

    ここで問題です。
    「我が家の光ケーブルが切断するであろう確率を求めよ」
    この答えを得るためには福沢先生の知識と樋口先生のセンスが必要でした。

    さて本題に戻りますが
     1≠2 と仮定する
    このときこれは等式1=2を否定したのですが、これは不等式1<2までも否定しているわけではありません。
    よって「両辺に0を掛けると」ということができなくなり以下の
     0≠0
     これは明らかに矛盾しているので仮定は違っている。
     よって 1=2
    という論理展開も必然的に不成立となります。

    イコール(=)の否定がノットイコール(≠)であるかのように思いがちですが、等式の否定は不等式でもあるということに気づくかどうかという問題ですね。

    というつっこみでよろしいでしょうか、DITAさん?

    ユーザーID:8204791556

  • 数学的な議論より教育的な議論を

    計算や公式に当てはめて答えを導くことは得意だが、応用力・考える力が不足しているとして
    台形の面積の公式や二次方程式の解の公式を教えないようになりました。
    しかし、それによって何が起こったのか?
    先のレスでも書きましたが、意味は分かっていないがとりあえずできるという子供が減り、意味も分からないし答えも求められないという子供が増えました。
    それが公式あてはめ型指導(かけ算の順番もその一つ)を否定する人たちの望む結果なのでしょうか?

    「学ぶ」とは「まねぶ」なのです。テンプレ通りに真似をすることを繰り返すことで知識が定着するのです。
    個性も結構ですがそんなものは基本ができてこそです。

    学力低下が叫ばれて久しいですが、原因は演習量不足に他なりません。
    何度も言いますが演繹的に物事を考えられる大人の視点で物事を捉えてはいけません。
    交換法則やこういう考え方もできるといった数学的な議論を主張されている方がいますが、
    広い層を対象とした公教育はどうあるべきかということを考えるべきです。

    ユーザーID:1511092203

  • トピ主です。学問としての「数学」と授業としての「数学」の差異

    「算数・数学」という言葉を、様々な議論の中で、私も含めて自明の言葉として使っていますが、
     A.学問としての「算数・数学」
     B.授業や教科名としての「算数・数学」
    がありますね。
    Bは、Aを教えるにあたって教育的要素を加味したものと私は捉えていて、
    そのBの指導法がどうあるべきかが話の中心であると認識しています。

    ほとんどの方の論調は、必要に応じてAとBを区別されているか、
    文脈的に差異が問題にならない場合が多いのですが、
    「本当の意味」という言葉が出てきたところで一旦整理したいと思います。

    ● カワリーノさん

    「できる子」「本当の意味での『できる子』」という表現を使われていますが、
    「本当の意味での算数・数学ができる子」という場合、
    その「算数・数学」は、カワリーノさんにとってはAに近いでしょうか?Bに近いでしょうか?

    このあたりの語感に差異がありそうな気がしています。

    「本当の意味での算数・数学」というと、私は間違いなくAを想起しますが、
    「本当」という言葉には「事実」という意味と「本来」という意味があり、
    解釈によってBともとれなくはないので、念のための質問です。

    ユーザーID:3716159584

  • 学校現場の多忙さが順序指導の要因?

    最近、小学校の教員と話すことがありました。その人自身は最初は指導書に従っていて「順序」を教えていたものの、高学年までうるさく言う必要があるのか疑問に思って、中学から異動してきた教員(数学専攻)に質問したところ「全く意味がない」と言われて、それからはうるさく言うのをやめたそうです。

    順序に拘るか、否か、に関して文科省は、どっちの教え方がいいとも、悪いとも言っていません。要は現場の裁量ですが、順序の教え方は最近増えている印象です。

    その教員によれば、現在の学校現場は多忙(原因は色々)で、教員同士が雑談したり飲みに行く雰囲気ではないそうです。この教員は別の教員に質問して「順序をうるさく言う意味はない」と理解した訳ですが、このように「指導書にはそう書いてあるけど、要は生徒が理解できればいいのだから、そんなに拘る必要はないんだよ」という会話が以前はあったが、最近はなくなってしまって、指導書に書いてあることが杓子定規に教えられているのでは、という気もします。指導書の執筆者も「生徒が理解していれば順序は問題ない」と言っているのですが、教員には伝わっていないようです。

    ユーザーID:6600067037

  • できる子って何よ?

    > 本当にできる子は、出題者が何を見ようとしているのか、どういう誤答が多いかということまで理解しています。

    だから、「誤答」ではない、と言っているんですけど。
    出題意図に反していようとも、正解は正解です。

    そもそも、出題意図なるものが有るのであれば、答えがただ一つのみになるように、解釈の差が生じない問題を作るべきなのです。
    「できない教師」に付き合うのが「できる子」ではありませんよ。


    > 100円の商品を3個買ったときの代金を求める式を3×100としている問題集を見たことがありません

    「3×100のみが正しい」なんてモノは恐らく無いですよ。

    100×3、あるいは3×100のどちらでもいい、としている参考書や問題集は私が子供の頃は普通にありましたけど。今あるかは知りません。

    ユーザーID:2293259910

  • 人間は多様です

    よいやみさん:
    応援ありがとうございます!

    >教えられたことしかできない子がOをもらい、考えることのできる子がXをもらう事態になりそう。

    まさに私はそういう目に遭ったのですよ。掛け算の順序を徹底するということはつまりそういう子を作り出すことなのです。

    カワリーノさん:
    >個性も結構ですがそんなものは基本ができてこそです。

    「掛け算の順序」は「基本」などではありません。単なる「嘘」です。創造説といっしょで、教える側が面倒を避けるためにごまかしているだけなのです。「基本」ができた人間にとってはむしろこのようなill-definedな概念(数学的に破綻した概念)は理解不能になります。

    >何度も言いますが演繹的に物事を考えられる大人の視点で物事を捉えてはいけません。

    私は「子供時代に」交換法則など自力発見していました。長方形を描いたり九九の表を眺めたりして極めて「直観的」に理解したものです。

    おわかりでしょうか。あなたの理解にとって都合のよい順序が誰にとっても都合がよいとは限りません。だとすれば、ある特定の人たちの順序に他人を合わせさせるのは有害無益です。

    ユーザーID:4828386237

  • 先ほどのレスにミスがありました。

    >> 100円の商品を3個買ったときの代金を求める式を3×100としている問題集を見たことがありません
    >「3×100のみが正しい」なんてモノは恐らく無いですよ。

    ごめんなさい。「100×3のみが正しい」と読み間違えていました。

    ユーザーID:8503241366

  • 生徒ではなく教師側の問題


    >Bの指導法がどうあるべきかが話の中心であると認識しています。

    いえ、私はそうは思いません。
    教える時は特定の方法を手本にして教えてよいけれども、
    それ以外の方法で解いてきた場合も正解とすべきだと言っているのです。

    私が教えていた経験ではそういう生徒は必ず出てきますし、
    採点がおざなりになっている時には、そういう解答をバツに
    したくなることがあるのも理解できます。
    つまり問題になっているのは、生徒の理解力ではなく教師の能力です。

    ゆとり教育の見直しを行う前に、
    「これから教員のレベルが落ちていくので、ゆとり教育を見直して
    公式をどんどんあてはめるような教育方法にしないと
    教員がついていけなくなる。」
    という議論がありました。
    その通りの方向に進んでいるようですね。

    ユーザーID:6402484983

  • 算数・数学以前に

    元問題児さんの場合は、算数・数学以前に、生徒と教師との
    間の人間関係に問題があるように思います。

    教師の教えたやり方と違うやり方で、しかも正解になる答えを
    出してくる生徒、それを目の敵にして頭ごなしにXにする教師、
    といった図式が思い浮かびます。

    生徒と教師との間の人間関係、あるいは信頼関係がうまくいって
    いない場合はこういうことになるんでしょうね。

    この場合悪いのは絶対教師です。教師のほうが大人なんですから
    人間関係構築のリードは教師に責任があります。

    ”それに私は「教科書の説明がおかしい」と思ったから、わざと
    教科書と違う解き方を書いたのです。”

    僕が教師だったら、こういう生徒がでてきたら大歓迎です。
    「教科書の説明がおかしい」なんて発想は、いろいろ拡大して
    いけますが、最近の学校はそんなに教師に余裕がないんで
    しょうかね。

    元問題児さんは、算数以外の他の教科の場合はどうだったんで
    しょうか。

    ユーザーID:1984691627

  • トピ主です。背理法遊びは続く

    ●ヨーデルさん

    突っ込む側はどっちだったんだろう〜?というのはさておき(笑)

    > 「両辺に0を掛けると」ということができなくなり

    できるのは、左辺=右辺の場合であるが、
    「左辺≠右辺」でも上記操作ができる仮定であることは前述しましたので、

    > イコール(=)の否定がノットイコール(≠)

    ここですね。

    まず、論理的にも代数的にもAの否定はnot Aではないのですか?
    x=yの否定はx≠yであり、その否定はx=yで問題ないはずです。

    x,yを実数とすると大小の比較ができますが、
    それでも、x=yの否定はやはりx≠yでは?
    不等式を使って表現するなら、
    x≠yは(x>y または x<y)と等価
    x=yの否定は(x>y または x<y)
    その否定は(x≦y かつ x≧y)で、これはx=yと等価
    「x=yの否定はx>yで(も)ある」というのは否定ではなく否定の必要条件です。

    不等式の両辺に0を掛ける可否に言及していないという指摘ならば、
    x=yを背理法で証明しようとする場合、矛盾を導く仮定を(x>y または x<y)とするか、
    それと等価なx≠yとするかは解答者の自由なのでは?

    ユーザーID:3716159584

  • 順序の話は数学と関係ない方向へ向かう

    立ち位置について聞かれた気がするので書きます。
    ・順序に拘る教え方を「どう思うか」
    迷惑な話だ。
    ・順序に拘る教え方を「許容するか」
    許容する。(というか、そう教える先生がいるなら仕方なかろう。)

    ここら辺は「犯罪は許さない」という心情と「世の中から犯罪者がいなくなることはない」という現実と同じものです。

    ・算数と数学について
    別モノ
    ・現在の〜過去を〜というレス題について
    「別モノ」という前提で、数学を学び、数学を知ってから、数学の道理を算数にあてはめてどーこー言うのは違う。
    ・上書きされるというのは
    算数・数学ができる子なら、数学で習うより自由度の高い「順序拘らず」方式で効率よくやっていくでしょう。
    ・そもそもろんとして
    教育と学問は違う。大学に入ってまず言われたことは「高校までの教育」と「大学での学問」の違いだった。「受け身」な教育と「能動的な」学問。

    そういった意味で算数という教育は、一番底辺に合わせて行われてもいいもので、その過程で順序に拘る先生がいても許容される。

    ユーザーID:6816460365

  • トピ主です。別の指導例(約分問題)について

    約分の問題について、二立さん、文句言いのおっさんさん、北のおっさんさん、積分定数さん、むー太郎さんからレスいただきました。

    二立さんの説かれる、具体→抽象という(学習)段階については異論ないのですが、
    「段階」を、私は児童個人の到達段階と捉えているのに対し、
    二立さんは児童総体としてのカリキュラムと捉えている、と私は解釈しました。

    「段階」は児童個々にあるものなので、抽象を理解したとみなせた児童を、具象に後退させるべきではない
    というのが私の考えです。

    > その段階で、男子が3人、女子が18人、男子の割合を分数で
    > 理解するというとき、3/21が正解で、1/7になるのは困る
    > わけです。

    「困る」という表現がとても引っかかるのですが、「困る」の主語は何でしょう。
    「先生を困らせないために3/21と書くべき」という主旨なのでしょうか?

    仮に上の(計算?)問題なら、クラスの何人かは「3/21と1/7は同じなんじゃないか」と考えても不思議はないと思いますが、
    「1/7じゃダメですか?」という質問は、困る性質のものでしょうか?
    (回答に窮する先生が世の中にいるのは否定しませんが)

    ユーザーID:3716159584

  • 雪が解けたら何になる?

    2009年7月20日 22:11の私の投稿ですが、その前にもう一つ投稿したのですが、それが掲載されていないので意味不明となっています。無視して下さい。

    「雪が解けたら何になる?」という質問に、「春になる」と答えた子がいて、「子どもの発想は素晴らしい」という話がある。事の虚実は知らないし、その子の発想が素晴らしいかどうか私にはわからない。

    しかし、「掛け算に於いて、(1つ分)と(いくつ分)は原理的に区別できない」「全ての角が直角の四角形が長方形であるなら、正方形は長方形」と、素直に考えて正しく認識した生徒を、教師が「屁理屈言うな」と一蹴する教え方はあってはならないと考える。

    教員は「自分より理解力のある生徒がいるかもしれない」と心に留めて授業をすべきだと思います。また、嘘を教えるときは、嘘だとわかって上で教えるべきだと思います。「かけ算の順序」を方便であることを理解しないで、絶対的ルールであると思いこむことで、おかしな事になっていると思います。

    ユーザーID:8503241366

  • 自由と自分勝手は違う

    1984は読んでいませんが(オマージュ作品の1Q84も読んでませんが)、人が集団生活を送る以上、「完全な自由な社会」はないかと。

    学校教育は「集団生活を送る」ことも教える場だと思います。
    その点では結果を出せばほかの拘束はない大学の研究室とかとは違う場所です。
    独自学習で中学数学まで理解してても、小学校での評価は「小学算数の理解度」でしかありません。
    国際A級ライセンス持ってるからと言って、日本で一般道の右車線を時速200km/hで走るのは認められません。このルールに理不尽さを覚える…のが元問題児さんの小学校時代です。

    日本の学校では2+2=4と叫んでかまいません。
    80x5=400や5x80=400が間違ってるとは言ってません。

    いまここで問題になっているのは「1個80円のリンゴ5個」=「5x80」なのかどうかです。


    この「掛け算の順序」問題は「全体主義」とか「自由主義」とか…政治イデオロギーまで発展していくのだろうか。

    ユーザーID:6816460365

  • トピ主です。博士さんへ

    ●博士さん

    いつもレスありがとうございます。ご挨拶が遅れてすみません。

    > >Bの指導法がどうあるべきかが話の中心であると認識しています。
    >
    > いえ、私はそうは思いません。
    > 教える時は特定の方法を手本にして教えてよいけれども、
    > それ以外の方法で解いてきた場合も正解とすべきだと言っているのです。

    博士さんが一貫して主張されてきたことを、私のAとBを用いるなら
    「数学の教育(B)は、数学(A)の真理を歪めるものであってはならない」
    と、私は捉えています。

    それに対し「数学の教育(B)上、数学(A)の真理を歪めてもやむを得ない」
    という対立軸(私ではない)があり、
    両者の論点として「Bの指導法がどうあるべきか」と考えています。

    > つまり問題になっているのは、生徒の理解力ではなく教師の能力です。

    生徒の理解力が問題ではないことは同意ですが、
    積極的に×とする考えを教育委員会や教育産業などが推進する動きもあり、
    私は、もはや教師だけに留まらない、根深い「指導法の問題」と考えています。

    なお「指導法」ですが、カリキュラムだけを指すのではなく、指導一般を意図しています。

    ユーザーID:3716159584

  • 具体段階

    DITA様

    >「困る」という表現がとても引っかかるのですが、「困る」の
    主語は何でしょう。

    引用文以外のところに書いてあるので、全体を読んでもらったら
    わかりますが、困るのは教師で、理由はそれによって混乱する
    生徒が出るかもしれないからです。

    男子3人、女子18人で、男子は全体の3/21と表せる、
    そこへ男子がもう一人入ってくると男子は4/22になります。
    それを1/7としてしまうと、男子がもう一人入ってきた
    ときに。また3/21に戻して計算せねばなりません。

    さらに、具体的段階のときは集合の考え方なども入ってきます。
    男子ではなく犬が1匹入ってきたら、数字として抽象化
    すれば、3人、18人、1匹で、3+18+1というような
    計算も可能ですが、犬というのは生徒という集合に入らないので
    3+18+1という計算は、人数の合計をを求める方法としては
    無意味です。

    分数を抽象化して約分を学習した後なら、3/21と
    1/7は同じ値ですが、その前段階で、人数という具体的なもの
    を分数で表す練習をしている時は、全体が21人そのうち男子
    が3人というのをすなおに分数にしてほしいものです。

    ユーザーID:1984691627

  • >覚えていないだけと思うが

     少なくとも私は、「掛け算の順序についてとやかく言われたことはない」とほぼ確信しています。

    「割り算って、20の中に4がいくつあるかも、20を4等分すると1つあたりは、も同じ20÷4で出るのだな。不思議だな。でも、かけ算に順序は関係ないのだから、当たり前だな。でも不思議だな。面白いな。」と小学生のことに考えた記憶があります。

    柱の体積=底面積×高さ だけど、高さが1の柱を段重ねにして考えてもいいし、底面積が1の細長い柱を束ねたと考えてもいいと思っていました。掛け算に順序は関係ないというのは、当たり前のように考えていました。 

    もし、「順序云々」を言われていたら、「それはおかしい」と思ったり、何か記憶に残っていると思います。

    繰り返しますが、「順序を正しく」という指導に関して、文科省は「そのように教えろ」とも「教えるな」とも言っていません。


    「順序はどっちでもいい」と教えている教員もいます。↓
    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1227858512

    ユーザーID:8503241366

  • トピ主です。二立さんへ

    ●二立さん

    > 男子3人、女子18人で、男子は全体の3/21と表せる、
    > そこへ男子がもう一人入ってくると男子は4/22になります。
    > それを1/7としてしまうと、男子がもう一人入ってきた
    > ときに。また3/21に戻して計算せねばなりません。

    「3/21に戻して」という表現からして、
    これは、「約分を知らない児童に対し、『1/7を(唯一の)正解とする』」とした場合の反論ですね?

    私が言っている、「答えは3/21であるが、1/7とも表せる」ことの反論ではないように見受けられます。
    約分を習っていない以上、模範解答は3/21なのですから、戻るも何もないと思いますが…。

    仮に、黒板を使ったステップバイステップの授業を想定されているのであれば、「戻る」ように見えるかどうかは板書の描き方の問題では?
    (あまり実践論の話まで広げたくはないですが)

    余談ですが、500文字制限はきついですね〜〜〜。

    ユーザーID:3716159584

  • トピ主です。議論はいずこへ、な雑談

    ●かるさん

    > 「全体主義」とか「自由主義」とか…政治イデオロギーまで発展していくのだろうか。

    論客にもよりますが、過去の議論を見る限り、イデオロギー方面に行くことはあんまりないです。

    言語学的・文化的・歴史的方面に進むときはあります(笑)。

    まあ、少なくてもイデオロギーの話になったら私はついて行けないので、
    私に関してはお茶を濁すか、適当な算数問題で別の話題を振るでしょう(笑)。

    多いのは、「画一的な指導は問題。児童個々の理解に応じた指導をすべき」というところから、
    「現実的に、そこまでの余裕がない」という、教師のキャパシティの話になり、
    その背景としての校内の実情や家庭やPTAという、極めて現実的な話になることのほうが多い気がします。

    先生の負担が大きいのは心情として理解できるのですが、
    さっきまでの、順序に意味があるとかないとかいう議論をしていたのは何だったんだ〜。
    と思うことが多々あったりも(笑)。

    とはいえ、ここは発言小町ですから、「発言することの楽しみ」が重要かなと思います。
    このトピについては、性別的に小町というより妹子な感じもしますが…(小野つながり)。

    ユーザーID:3716159584

  • 混沌とした議論の中ではつっこみ(ボケかな?)は無用かな?

    「等式の否定は不等式でもある。」と「x=yの否定はx>yで(も)ある」、
    この二つの文章は一見よく似た文章ですが意味合いは違いますよね。
    わざわざ漢字で書いたのに、いけずDITAさん。

    最初の背理法の証明のように一見成り立っていると思われるものの中からその落とし穴を見抜く、つまりx≠yはx=yによって一意に定まるxとyとの関係性を否定しているだけで、xとyとの関係性全てを否定しているわけではないということを見抜かせる“問題”かと思っての書き込みでした。

    私の深読みでしたか?。ポリポリ

    ユーザーID:8204791556

  • 方便は方便

    > しかし、多くの人にとって必要とされる算数・数学は道具でしかないのです。
    > その多くの人が使える道具にするためにどういう教育がなされるべきかを考えるべきです。

    だから、それは「方便」を『絶対普遍』として扱う理由にならんでしょう?
    わかっている子に、方便を「押し付ける必要」などないと言っているんです。
    わかっていない子を少しでもできるようにするための方便でしょうに。


    > 何度も言います。この程度の強制はできる子の芽を摘むものではありません。

    では、私も繰り返します。
    大人である私に理解できないことを、子供に理解できることを期待するのは間違っている。


    社会に出れば「数量×単価=金額」です。
    見積書や請求書にはそう書くものです。
    それを理解できない人を増やしかねない教育が『正しい』のでしょうか。
    順序にこだわるなら現実社会に照らし合わせた順序にするべきでしょうに。


    算数に限らず、小学校教育では「方便」が多用されます。
    しかし、あくまでも方便であり「絶対普遍ではない」ことも併せて教えるべきです。

    「本当は違うけれど、今はこう覚えておきなさい。●年生で詳しく習います」と。

    ユーザーID:2293259910

  • ああ、そうか

    7月13日 0:01の博士さんのレスを読んだときには全然ピンときていなかったのですが、7月18日 20:21の元問題児さんのレスでやっと気づきました。
    たしかに、2xと書くとx+x(xが2個)のように見えますね。
    私のレスは、もちろんy=80xを「80がx個」と読む前提です。

    私の6連投は、博士さんのレスをあえて無視したような形になってしまっていますが、たんにおっしゃることを理解できていなかっただけですので、念のためお伝えします。

    今振り返ると、私のレスの内容は「正比例」を持ち出す必要はまったくありませんでした。
    「同数累加」に置き換えていただければ幸いです。

    九九を習った直後に、この2つの法則を習うようです。
    http://www.shinko-keirin.co.jp/sansu/WebHelp/html/page/22/22_07.htm
    前者は同数累加を、後者はかけられる数とかける数の対等性を強調しています。
    私が言いたいのは、要するに、掛け算はこの両方の側面があるからこそ便利なのだ、ということです。
    どちらかに絞るのはもったいないことだと思います。

    ユーザーID:7063437247

  • トピ主です。博士さんへ(訂正)

    ●博士さん

    読み返してみると、どうも私が拡大解釈していたようです。

    > 教える時は特定の方法を手本にして教えてよいけれども、
    > それ以外の方法で解いてきた場合も正解とすべきだと言っているのです。

    博士さんのスタンスは、私の
    ・カリキュラムに内包されている、数学的真理と教育上の都合による内容との矛盾の可能性については言及しない
    ・児童の解答への正誤については、数学的真理を歪めるものであってはならない
    で、ほぼ近いでしょうか。

    私の、
    > 「数学の教育(B)は、数学(A)の真理を歪めるものであってはならない」
    だと、大雑把ですね。

    ユーザーID:3716159584

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