算数好きの方、算数・数学の教育に携わる方、語り合いましょう!

レス341
(トピ主72
お気に入り140

趣味・教育・教養

DITA

DITAと申します。
トピを開いてくださってありがとうございます。

とある算数の問題を解いているうちに、
算数で扱う範囲、考え方、教え方など、いろいろ興味が出てきてしまいました。
一言で「算数の常識」と言うのも、その中身には奥深さがあるんだなぁと。

といいながら、そんな堅苦しい話でなくても、
算数をテーマにした情報交換、お悩み相談など、
語り合いませんか?

ユーザーID:3716159584

これポチに投票しよう!

ランキング
  • 0
  • 0
  • 0
  • 0
  • 0
  • 面白い
  • びっくり
  • 涙ぽろり
  • エール

このトピをシェアする

Twitterでシェア LINEでシェア はてなブログでシェア

レス

レス数341

レスする
このトピックはレスの投稿受け付けを終了しました
先頭へ 前へ
91120 / 341
次へ 最後尾へ
  • >親としての対応

     難しい問題ですね。私自身は主に高校生を教えていて、「かけ算の順序」は、数年前に新聞投書で読んで初めてその存在を知り、驚いた次第です。色々調べていくと、教えている教員自身がよくわかっていなくて、「とにかく順序を正しく」となってしまっているようです。私としては、議論を巻き起こすことで現場の教員にも考えてほしいという思いがあるので、「順序を逆にしてバツを付けられた。納得できない」となったら、ネットで調べたりしてそれなりに理論武装して、教員と話し合ってほしいと思いますが、そう簡単に行かないのが現状だと思います。

     「自分の子どもにとっての最大利益」と考えると、何が最適かはわからないです。小学生に、教師への不信感を植え付けていいのか、あるいは、「納得行かないけど、長い物には巻かれよう」という処世術を小学校のうちから教える必要があるのか、意見を言うことで何か報復されないか、とか色々考えちゃいますね。

     だからこそ教員は力を持っている側にいるという自覚を持つ必要があるし、私みたいな第三者が、授業のあり方について意見を述べる機会があってもいいと思うのです。

    ユーザーID:8503241366

  • 親としての対応

    DITA様、ちょっと横ですが、RESの更新が遅いので、私も
    一言述べさせてください。

    もし、教師がXをつけるとしたら、授業中にこういう問題は
    このように式を立てるんですよと指導していて、それに
    従っていない場合ですね。

    筆順などもそうですが、たとえば上という漢字、最初に
    縦棒から書き始めようが、横棒から書き始めようが、
    どちらが正しいというものではありません。

    しかし、授業中にこの筆順で書きなさいと指導されていて、
    その筆順を問う問題が出た場合、教師の指導に従っていない
    場合、Xにされてもやむを得ません。

    だから、答えは正しいかもしれないが、それを計算する過程で
    先生の指導に従わなかったらXにされてもしかたがない、
    と言ってあげるのがいいんじゃないかと思います。

    ユーザーID:1984691627

  • トピ主です。まとめ亀レスです。

    だいぶ遅れましたがレスです。

    ●数学偏差値40未満さん

    あれってLaTeXの数式ですよね。
    あのフォーマットに慣れると、パッと見で、
    レンダリング後の数式が「見える」ものなのでしょうか?
    人間コンパイラみたいな(笑)

    ●石ころさん

    マーチン・ガードナーの「数学ゲーム」、確か私の家にもありました。
    ただ、第何巻だったのかも、読んだかどうかも覚えていないのですが…。
    とはいえ読んだ事実だけを覚えていても意味ないですね(汗)。

    「数学とは何か」は、難しいですね。
    その言葉を発した人の時代背景も影響しているのでしょうね。
    大昔は「農耕の道具」だったかも知れませんし…。

    ●41歳女さん

    すみません。ご質問を勝手に勘違いしておりました。
    「簡単かどうか」というご質問だったのですね。

    中学・高校の頃であれば簡単だったかも。
    今は「んー。解なしだよな〜。でもそういう代数学ってあるのかなー?」とか、
    あれこれ詮索して結局ウィキペディアで調べてしまった私にとっては「難しい」です(笑)。

    ユーザーID:3716159584

  • トピ主です。かけ算の順序についての理解と疑問点

    ある【かけ算の分からない児童】に対して、式の立て方をテクニックとして教え、
    一定の順序で式を書かせて解けるようにする。
    単位量が十分に理解できれば、交換法則を学ばせ、
    やがて面積計算(小4)を学んだ頃には式の記述も柔軟になってくるだろう
    という個別のケースであれば「そうなのか」とは思えます。

    ただそれだけではなさそうで、以下の疑問点があります。

    (1) すでに算数のかけ算を理解している児童に対して×を付け、
      時にはその理解をくじくようなことをしてまで、
      児童一律に統制させることに教育的価値があるのかどうか

    (2) 交換法則(小2)を学習した後であるにも関わらず、
      小3以降もその方法を一律に叩きこむ先生がいるようだが、それは良いことなのか

    (3) そもそも、かけ算の順序が問われるとしたら、それはいつまでかが明確なのか。

    児童一律に「この順序で書きなさい。逆順に書いたら理解したとはみなしません」という統制をするのであれば、そこには数学的・算数的な根拠があってこそと思いますが、
    今は「理解したかどうかを簡単に把握するために統制する」以上の理由が見えてきません。

    ユーザーID:3716159584

  • 足し算をどうする?

    左が掛けられる数、右が掛ける数。
    そこに異論を唱える人はいないとして。

    何故(1個あたり)『80円』が「掛けられる数でなければならない」かの説明って誰かできるでしょうか?
    『5個』が「掛ける数でなければならない」理由は?


    さて。
    タロー君がアメを4個持っています。ジロー君は3個持っています。
    合計でアメは何個あるでしょう?

    4+3=7
    と答えます。
    この式において4は「足される数」です。
    3は「足す数」です。
    掛け算の論理でいくと、何らかの理由によって、どちらかが「足される数」に決定されるはずです。
    私はタロー君の持っている数を足される数としましたが、これは正解・不正解のどちらでしょう?
    そして、その理由は何でしょう?

    詭弁で良い。誰か答えられる人いますか?


    このへんの問題は「知識が無い人向けの方便」を「絶対普遍の真実」であると信じている大人がいるってことでしょうな。

    ユーザーID:2293259910

  • 親の対応、と掛け算の意味

    記憶は定かではないけど、娘(少6)は先に公文でやっててかなり進んでたので「学校ではとりあえず習った順番で答えとけ、どうせ後になったらどっちでもいいんだけど」と言った様な言わなかったような(笑)。親がこういう性格なもんで娘は苦労してるようです。「パパの説明、いつも長い〜」と嫌がられてます(笑)。

    つらつら眺めててちょっと気になったことがあります。掛け算の最初の説明(定義)として、同じものを何回か足したものを掛け算として計算する、とありますが、最初に触れて後は割りとそれっきりな印象です。変に単位がどーたらよりも、わからない子がいたらここに戻ればいいような気がするんだけど、なんか戻れない理由でもあるのかな。ここで聞いても仕方ない気もするけど(笑)

    ユーザーID:9181712611

  • −数学の本質はその自由性にある− カントール

    >だから、答えは正しいかもしれないが、それを計算する過程で
    先生の指導に従わなかったらXにされてもしかたがない、
    と言ってあげるのがいいんじゃないかと思います。

    こういう事例があります。
    「3時間で15km走った。同じ速度で6時間走ったときの距離は?」
    を「6時間は3時間の2倍だから、15×2で30km」と答えてバツになった。距離÷時間で時速を出して、・・・とやらなかったからと思われる。

     この解答は数学的には非の打ち所はないが、「教えた公式を使うように」と一言あれがバツにしていいのだろうか?

     常日頃から、「テストには教えたとおりに答えるように」と指導していたら、それとは異なるやり方でやった場合にバツにしていいのだろうか?そのような指導自体が問題あるかと思う。

     「一体その教員は算数の授業で何を生徒に教えたいのか?」と疑問に思うことが多々あります。マニュアルに当てはめさせることに腐心する教員が少なからずいます。「かけ算の順序」の指導もその一環のように感じます。

     大切なのは、考え方だと思います。かけ算の初歩段階であれば、「順序」も理解できるのですが。

    ユーザーID:8503241366

  • トピ主です。二立さんへ

    ●二立さん

    レスありがとうございます。
    過去の鋭いレスについても、併せて御礼申し上げます。

    私の投稿が遅かったり、他の方や私の投稿の反映にタイムラグがあったりはしますが、
    どんな話題でも遠慮なく投稿くださいませ。

    本題ですが、かけ算の順序についての議論は、他にぴったりの類例が
    なかなか見つからないことが、一層、議論を困難にしている気がします。

    たとえば漢字の書き順であれば、とある先生が、
    「"左"も"右"も横棒から書いたほうが簡単だから、そう書くように。
    "右"を、斜めから書き始めたら×にします」
    と指導したとしたら、その指導は明らかに誤りと言えますよね。

    先生がどう指導するか以前に「正しい書き順」というものがあり、
    それに従って指導することが望まれている訳です。

    ですので、「先生の指導」を根拠にするならば、
    指導したという事実関係のみをもって○にするか×にするか、には留まらず、
    その指導そのものが適切であるかどうか、
    算数であれば、算数・数学の教育の一環としてきちんとした指導の根拠があるのかどうか、という議論が必要ではないでしょうか。

    ユーザーID:3716159584

  • 単位に着目させることへの、素朴な疑問なのですが

    >このとき、「答えの単位の数を左」というヒントがあれば
    格段に式が立てやすくなります。

    「何冊か?と聞いている。5冊とあるから、5×○だ」ということで、「みはじ」同様、理解していない解けてしまう。ところが答えは正しいので、本人も教える側も「理解している」と思いこむ危険がある。

     既に書いたように、「考え方を理解するための順序」のはずが、「単位に着目させれば、意味を理解しなくても立式できる」となっていませんか?「『の』とあったら、かけ算」などという文章題攻略指導と同様に思えるのですが。

     一方で、文章の意味を正しく読みとり、「3つのケースの中にそれぞれ5冊あるから」と正しく理解して、さらに「かけ算は本質的に可換」と正しく認識しているので、順序を気にせず3×5とすると誤答になりかねないというのは、やはりおかしく思えます。

     「みはじ」同様、「理解力のない生徒が理解しなくても解ける方法」というならわかるのですが、自転車に乗れる子に補助輪を強要することはないと思います。

    http://math.artet.net/?eid=1051119も参考になります。

    ユーザーID:8503241366

  • 1-1=0の証明

    カル様

    問題をはっきりさせてみました。
    「整数について、1-1=0を証明せよ。」

    以下は、岩波数学辞典による整数の代数的構成です。
    (こんな整数、イヤだ!)

    自然数Nを既知とし、
    Zを、Nと0,およびNの符号を変えたものの全体、とする。
    M=N×Nとおき、Mに同値関係(k,l)〜(m,n)をk+n=l+mで定める。
    (k,l)の同値類をK(k,l)とし、商集合M/〜をM*とおく。
    φ:Z→M*を
    φ(n)=K(k+n,k), φ(0)=K(k,k), φ(-n)=K(k,n+k)
    で定めると、ZとM*は1対1に対応する(同一視できる)。
    加法: K(k,l)+K(m,n)=K(k+m,l+n)
    減法: K(k,l)-K(m,n)=K(k+n,l+m)
    で定義する…

    これだと、背理法を使わなくても、
    代入のみで証明できる感じがしますが、どうでしょう?

    ユーザーID:1586063521

  • 今さらですが(1/2)

    DITAさん、丁寧なコメントをありがとうございます。
    ずっと気にはしていたのですが、遅くなってしまいました。
    トピはすっかり他の話題で盛り上がっているようで、今さらなのですが、いちおう回答します。

    > まずugougoさんと私の考えの違いは、(中略)、合っていますでしょうか。
    > また、(中略)、「数を作る」ことが明記されている仮定の上ということで良いでしょうか。

    先に2つ目のご質問についてですが、その通りです。
    「仮定」というよりも、私は、元の問題文には「数を作る」と明記されていると「確信」しています。
    理由は元トピにくどくど書きました。

    その上で1つ目のご質問ですが、「基準」と「常識」と「さじ加減」の使い分けがよく分かっていないのですが、おそらく合っています。
    私の理解では、DITAさんと私の考えの違いは、出題者の「気持ち」だと思います。
    都合4つある条件の中で、「先頭に0がきた場合は、次は必ず小数点がくる」という条件が一番頭を使わないといけないということは、私にもよく分かります。

    ユーザーID:7063437247

  • 今さらですが(2/2)

    DITAさんは、だからこそ「あえて」この条件だけ但し書きをつけなかったとお考えです。(よね?)
    私は、「数」といえるかどうか判断に迷いそうな条件に但し書きをつけていったら、この条件だけ但し書きがつかないことに「たまたまなってしまった」と考えています。

    まあ、出題者の「気持ち」など、どうでもいいと言えばどうでもいいのですが、時間が経って自分で思い当たったのは、私は、この問題を、学習効果の高いとても良くできた問題だと考えています。その問題が「題意があいまいだ」と切って捨てられようとしているのが、私には我慢できないのだと思います。それで、「出題者はむしろ題意を明確にするためにこのような但し書きのつけ方をしたのだ」と強調したくて、ここにやけにこだわってしまうのだと思います。

    > 小数点の位置を、捨象の対象としなかったのはなぜでしょう。(中略)つまり「よく目にする」であれば「よく」の基準です。

    ご質問の主旨がよく分かりません。
    「よく」の基準は、出題者の主観ではないでしょうか。他に何か基準があるでしょうか?

    ユーザーID:7063437247

  • 最近の話題にも乗っかりたい

    (1)
    DITAさんの(未来の)お子さんには、「5×80でももちろん合っているんだけど、テストでは80×5と書いておいたほうがいい。だって、『かけられる数』と『かける数』の区別がついてないと先生に思われるのはシャクじゃない?」とアドバイスしたいです。

    例えば、英文和訳でも、「こなれた」日本語ではなく、「ちゃんと構文とイディオムを理解してますよ」とアピールするような直訳を書きますよね?あれと同じです。
    学校のテストなんてそんなものだ、ということです。

    (2)
    私も格言(?)を思い出しました。
    “数学は、基礎の積み重ねではなく、基礎の積み直しである。”
    東京出版の増刊号のどれだったかに書かれていた言葉です。「数学とは」ではなく、「数学を学ぶときの心構え」ですけど。
    ここで言う「積み直し」とは、かるさんのおっしゃるところの「上書き」と同じ意味だと思います。

    (3)
    1=0.999・・・の「=」は、「いくらでも近づけることができる」と頭の中で翻訳しろ、と教わりました。
    全国共通の教え方だと思っていたのですが、そうではなかったのですね。

    ユーザーID:7063437247

  • 二立さんに質問です

    >だから、答えは正しいかもしれないが、それを計算する過程で
    先生の指導に従わなかったらXにされてもしかたがない

    「かけ算は、(1つ分)×(いくつ分)の順序で」と指示があった場合に

    「4人に蜜柑を3個ずつ配る。蜜柑の個数は?」を、4×3と答えたら誤答にしていいのでしょうか?

    4人に1個目を配り、2個目を配り、・・・とすれば、(1つあたり)=4、(いくつ分)=3です。

    「(蜜柑の個数)×(人数)の順序で」という指示なら、4×3は誤答というのは理解できますが、これだとそもそも出題意図が理解できないですね。

    それから、他の「順序の指導」の重要性を主張する方にもお聞きしたいのです。

    「3×4と4×3は答えは同じでも意味が違う」という人がいます。意味が同じか違うかは抽象度によって変わってきて、ある程度理解すれば抽象化して両者を「同じ」と認識できるのですが、「小学校で違うと習ったから違うのだ」と思いこんでいる人がいます。

    「順序の指導」は、このような誤りを助長することになりますが、それでもいいのでしょうか?

    ユーザーID:8503241366

  • なぜ「2つの割り算」を区別しない?

     「20÷4」には2つの意味があるとされる。「20の中に4がいくつあるか?」(包含除)と「20を4等分すると1つあたりは」(等分除)。これは4×5と5×4の「違い」に対応している。20個を4等分する場合は、ABCDに1個ずつ置いて、2個目を置いて、とすれば20の中に4がいくつあるか?というのと同じ事になって、包含除と等分除の区別は、かけ算の順序同様、見かけ上のことでしかない。

     かけ算の順序と割り算の包含除・等分除は表裏一体の関係である。ところが、「20個の蜜柑を4人に等しく分けると1人分は?」と「20個の蜜柑を1人4個ずつ配ると、何人に配ることになるか?」の式はどちらも「20÷4」で正解となる。

     私はこれで構わないと思うが、かけ算の順序にこだわる立場からしたら、「20÷4(等分)」「20÷4(包含)」などと区別しないと整合性がないと思える。

    どちらも同じ記号「÷」を使うから敢えて区別する必要がない、ということなら、積もまた同様である。4×5、5×4という2つの表記があるので、2つの異なる意味を割り振らなくてはならない、という道理もなかろう。

    ユーザーID:8503241366

  • 順序ではなく単位の問題

    >このとき、「答えの単位の数を左」というヒントがあれば
    >格段に式が立てやすくなります。

    では、縦 5cm、横 3cm の長方形の面積はどうしますか?
    あるいは、時速50kmの車が3時間走った時の走行距離はどうなりますか?

    正しくないものを敢えて正しいと教える時は
    相当注意深くする必要があるのです。
    小学校の先生であれば少なくとも6年生までの指導内容を
    全部確認してから教え方を決めるべきです。

    今回のケースでは掛け算の順序より単位を理解する方が重要でしょう。
    式の意味を問いたければ、
    問題文に「計算とともに単位も書きなさい」と入れれば良いのです。
    80 (円) × 5 = 400 (円)
    5 × 80(円) = 400 (円)
    は小学生的にはいずれも正解としても良いと思いますが、
    80 × 5 = 400
    5 × 80 = 400
    は単位がないので両方とも減点で良いと思います
    (両方マルでも良いですが、片方だけ×はあり得ないです)。

    ユーザーID:6402484983

  • トピ主です。親としての対応

    ● 積分定数さん

    理論武装して先生と話す場合ですが、
    相手となる先生も十分に理論的でないといけないですし、
    「理論武装」自体も、数学的な正当性に留まらず、
    児童への教育的効果を考慮したものでないといけませんね。
    でないと、ただのモンスターと思われかねないです(笑)。

    毎年、かけ算の順序を徹底する先生がいて、
    一定割合の子供が×をもらい、
    その中の一定割合の親がびっくり&憤慨する、というのが繰り返されているようですが、
    私個人としては恐らくびっくりも憤慨もしない気がします。
    そういった先生の存在や、主張の内容をすでに知っているからです。

    私もちょっと想像してみましたが、
    もし、私が×を食らった親の立場なら、
    文章題から「もとになる数」がどれかを答えさせます。
    理解が確認できれば、子供に対し「数学的にはどちらでも構わないが、小学校によっては、単位数を先に書くことが"作法"になっている」
    といった説明をするのではないかと思います。

    ユーザーID:3716159584

  • 『5個』が掛ける数でなければならない理由

    算数のステップでは加算、減算、積算、除算の順です。
    積算を習う段階で加算からのステップアップを図ります。
    つまり、「80円のものを5個買いました。」は「80+80+80+80+80=400」が元です。4個なら「80+80+80+80=320」です。
    ここから、「同じ数字」を「繰り返し加算」する場合は掛け算にできるよ、となります。
    なので、「掛けられる数」は「繰り返される数」であり「掛ける数」は「繰り返し回数」です。
    単位の話も出てますが、このステップアップ法で「円」の加算を起点にするので「円/個」「個」は実は式中では意識されません。

    タロー君の飴とジロー君の飴の合計数の問題では4+3=7も3+4=7も正解です。問題分から「寄せる」ベクトルが書かれていないため。
    「タロー君が持っている飴を全部ジロー君に渡しました」とか書かれれば
    3+4=7に拘る先生もいるかもしれませんが。

    ユーザーID:6816460365

  • 1−1=0を背理法で証明すると

    1−1≠0 と仮定すると

    −1を右辺に移項して

    1≠1

    これは明らかに矛盾しているので仮定は違っている。

    よって 1−1=0 が成り立つ

    (証明終わり)

    誰か必ずつっこんでくださいね。

    ユーザーID:8204791556

  • 市教委指導主事とこの件を話し合ったことがある

     主事によれば、「最初は具体的イメージを捉えることが大事。『4人に3個ずつ蜜柑』が配り方の違いで、4×3ともなりうると言うなら、『3つの蜜柑が入った袋を4人に配る』という具合に、3が4つという具体的イメージが思い浮かぶ問題にすべき。採点のとき、みんなの答えが両方あると、問題の作り方がまずくて、1つ分といくつ分が明確でないのか、と反省する」とのことです。

    単なる数え方の問題で具体的配り方によらず、4×3も3×4も正解だと思う。4つの袋に蜜柑を詰める作業で、1個ずつ、・・というのも可能。
    私が教員で、どっちでもいいのに全員が3×4としたら、むしろ気持ち悪いと感じると思うが、感覚が違うようだ。

     「4人家族がいて、みんな毎日1個ずつ蜜柑を食べる。3日間でこの家族が食べた蜜柑は何個?」は、1つ分といくつ分が不明瞭だから、「悪い問題」なのかな?
    1つ分といくつ分が明瞭でない問題は出せない、となると、かけ算の有用性を制約することにならないだろうか?

    順序にこだわるから、「1つ分といくつ分が明瞭な問題しか作れない」という、これまた奇妙なルールが出来てしまう。

    ユーザーID:8503241366

  • 大学時代も単位で苦しんだが

     順序にこだわる人がいう「単位」って、「文章題に出ている数値についている単位」の事のようですね。

    「4人に蜜柑を3個」は、「3×4」を書かせたいけど、わからない子もいるから、 3(個)×4(人)=12(個) 4(人)×3(個)=12(個)を比較して、「両端の単位が一致している前者が正解。後者は、4(人)×3(個)=12(人)になってしまう。」ということのようです。

     そうすると、「4人が各自1日1個蜜柑を食べる。3日では?」は、3(日)×4(人)=12(日) 4(人)×3(日)=12(人)となって回答不能となる。

     「ちゃんとした」単位なら、一人あたり1日あたり食べる蜜柑=1(個/日・人) 
    だから、1(個/日・人)×3(日)×4(人)=1(個/日・人)×4(人)×3(日)=12個

     中途半端な単位の導入はかえって混乱を招きかねないと思う。

    小学校で「20本の花がある。5本で1つの花束を作る。花束はいくつ出来る?」を、「4束」と答えて誤答になった例がある。正解は「4つ」。
    この教員、「単位の大切さ」を教えたかったのかもしれないが、何か勘違いしている。

    ユーザーID:5774133129

  • もっと単純に高校レベルで

    1−1=0を背理法で、と言ったのは高校で習った背理法をそのままあてはめるだけでいいのかなぁ…と思っただけで。

    1−1≠0と仮定する。
    両辺に1を加算する。1−1+1≠0+1。
    1≠1となり、矛盾する。
    依って仮定が誤り。
    故に1−1=0
    みたいな。

    ユーザーID:6816460365

  • 連投してみる。疑問点への個人的見解

    DIVAさんの疑問について。
    (1)教育的価値があるのかどうか
    ない。

    (2)それは良いことなのか
    その先生にとっては「良い」
    ほかの先生、生徒、親にとっては「悪い」

    (3) それはいつまでかが明確なのか
    拘る先生が担任の間。運が悪ければ小六まで。

    >>「理解したかどうかを簡単に把握するために統制する」以上の理由
    教職という職業を「公務員の一部」と認識してる先生にとってすれば、「効率的に仕事を進めるうえでの一手段」としてこの理由で十分だと思います。

    現在、教育学部は文系に分類されます。(各予備校の大学学部偏差値一覧で文系のライン上にあります)
    教員には大別して2種類いるかと思います。
    「先生になりたい」という夢を叶えた人と、「食いぶちとしての職業」として「公務員の一部たる教員」を選んだ人。後者は文系に進みつつ教員になってますから、中には「数学アレルギー」がいるかもしれません。
    そんな先生は「数学的にどーこー」より、「タスクとしての結果」で十分と考えるのでは?。
    「授業をした」→「生徒が理解している」これだけがその人にとっての結果です。

    ユーザーID:6816460365

  • 連投してみる。3x4と4x3

    今のところ、「80x5=400を×」とした先生に肯定的な回答をしているので
    >>他の「順序の指導」の重要性を主張する方
    に含まれている気がするので答えてみます。

    >>「順序の指導」は、このような誤りを助長することになりますが、それでもいいのでしょうか?
    その誤りを持ち続けて尚、数学の世界(学者や研究職)にいらっしゃるなら、稀有な存在だと思いますので、是非論文を書いてもらいたいところ。
    そうではなく、一般社会(普通の(?)会社員、家事手伝い、主婦、中学生、文系高校生など)にいらっしゃる方なら問題ないかと。
    算数と数学って多分何か違うんです。
    このトピの初めの方に出てきた鶴亀算は算数です。しかし同じ問題を解くのに連立方程式を使うと数学です。

    算数では「意味が違う」と教わった人もいる。
    数学では「同じ」だと教わる。
    数学に携わってない方が数学を理解してなくてもいいかと思います。

    あ、それと別に「重要性を主張」してるわけでもなく、「見方によっては、それもあり」という立場でしてます、念のため。

    ユーザーID:6816460365

  • トピ主です。ugougoさんへ(1)

    私が、いくつか意味不明の質問をしてしまったようですね。

    以前「極めて実務的な理由」と書かれていたことから、
    何か機械的な(誰が出題しても同様になるような)ルールや基準が存在すると受け取り、
    その客観的な基準の存在が論点となるのかと思っていました。

    (実務的イコール機械的ではないのですが、「極めて実務的」というところから主観性・人為性を排除している?というニュアンスを感じた訳です)

    今回、ugougoさんが、出題者の「気持ち」「主観」について言及されているので、
    単に私のピンボケな質問だったようです。

    > DITAさんは、だからこそ「あえて」この条件だけ但し書きをつけなかったとお考えです。(よね?)
    > 私は、(中略) この条件だけ但し書きがつかないことに「たまたまなってしまった」と考えています。

    私の認識はおっしゃる通りです。
    問題作成にあたっては、児童に気付いてほしい「着眼点」があり、
    今回のケースは小数点カードを用いたことから、小数の表し方がテーマと考えられ、
    「0が先頭に来たら次に小数点が来るという並びのルールに気付くこと」
    を着眼点としているように見受けられました。

    ユーザーID:3716159584

  • トピ主です。ugougoさんへ(2)

    先頭と末尾の小数点は、算数で習う「数」の表し方ではあり得ないが、
    着眼点に直接関わりないので付けた。
    zero-paddingについては、着眼点そのものなので付ける訳にいかなかった。
    という想像です。

    結局は想像に過ぎないのですが、
    出題者であれば、着眼点とヒントとのバランスやトレードオフについては、
    少なからず考えるのではと思っています。

    逆に、出題者が、zero-paddingについても「書いておいたほうが無難」と考え、
    「たまたま」ただし書きを付けたとしたら、
    何を着眼点とし、何のために小数点カードを使ったのか良く分からない問題になっていたと思います。

    「題意があいまい」という声については、
    トピ文面の出題文に「すべて」使って「数」を作る、と補完しない限り曖昧さが解消しませんので、
    トピ文面への指摘については仕方ないですね…。

    あと、かけ算の順序について、アピール的要素という点でのアドバイス、ありがとうございます。
    和訳という、ある程度の記述の自由度があってこそとは思いますが、
    確かに、私も問題に応じて直訳したり意訳したり、それなりに順応していた気がします(笑)。

    ユーザーID:3716159584

  • >親としての対応

     教員からしたら想定内の毎度のことだから、親が言っても、かみ合いそうにないですね。実際私自身、市教委指導主事(教員経験者)と話して、かみ合いませんでした。「4人に3個ずつ蜜柑を配る」が、「4人に1個目を、2個目を、」だと「問題文が違ってくる」と言われたときには、永遠に分かり合えない気がしました。「所詮そんな物」とやり過ごすのも仕方ないかも。

    ■教員の側が算数・数学をわかっていなくて、「順序」が方便だと理解していない。だから、数学的にいくら「順序」がナンセンスと言ってもわからない
    ■方便に過ぎないとわかっている指導書執筆者や算数教育専門家が、一般の教員の算数力を過大評価していて、「順序」を教条的に教え込んでいる教師の存在が見えていない。

    ということだと思います。だから現場の教師に言ってもピントはずれの対応だし、指導的立場の人に言っても理想論・建前しか返ってこない。

    >「タロー君が持っている飴を全部ジロー君に渡しました」とか書かれれば
    3+4=7に拘る先生もいるかもしれませんが。

    かけ算の順序に拘るなら、当然この場合も拘るべきですよね?

    ユーザーID:8503241366

  • 自分でつっこみ

    いやいや、かるさんとかぶってしまいましたね。

    自分はわざわざ移項と書いたのですが、カルサンはその点をわかりやすく別の書き方にしてしまいました。
    ここで誰かがつっこまないといけませんよ。

    この後はお願いしま〜す。

    ユーザーID:8204791556

  • 興味深い話ですね

     掛け算の順番に関して、小学校での指導がどうなっているか皆様が書かれているのを見て、そんなことで×を付けられたらたまらないなと思いました。
     積分定数さんの7月10日14:53分のレスに書かれている市教委指導主事の対応は、暗い気分にさせてくれます。そういう単位を含めた話は、むしろ大人になってからしっかり考えるべきもので、子供にはツールとしての算数をしっかり教えて欲しいと私は思います。

     1−1=0の証明ですが、これはまず引き算が定義されなければ証明も何も無いと思うのですが、それは自明なのでしょうか? 光文社から出ている「無限の果てに何があるか」の中で、1+1=2の証明について、自然数を定義し直す話が書かれているのですが、それと同様な定義の問題にしか、私には見えないのです。

    ユーザーID:6645818105

  • 当事者の教員と議論しても

    なんか、かみ合いそうもないのが予想できちゃうのがなぁ。

    とはいえ、トピ主さんの「作法」ってのなんかしっくりきちゃいました。結局はそこに落ち着いちゃうというか。高校までは、算数、数学といっててもその根底に算術道、算道みたいな発想の流れがあって、最後は理屈じゃなくなってるというか。それも「算道の作法」って思うとなんか妙に納得してしまう自分がいます(笑)。こんどから娘にはそれでごまかそうっと。

    ユーザーID:9181712611

先頭へ 前へ
91120 / 341
次へ 最後尾へ
レス求!トピ一覧