センチメンタル・ジャーニー/甲南大学 1979

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男性から発信するトピ

なぜかカワサキ

今日、有休をとったので少しバイクで走りたくなり、六甲山に行きました。
山上からは淡路島、紀淡海峡、奈良の山々まで見える素晴らしい日でした。
景色を堪能した後、土日はバイクで走ることができない表六甲ドライブウェイを通って2号線で大阪に帰る事にしました。

帰り道、道路表示の「山本・岡本」という文字を見て、ふと、昔、中退した大学のことを思い出しました。そのまま走り続けましたが、2号線をJR摂津本山を過ぎた辺りで意を決して大学を見に行くことにしました。

道に迷いつつ阪急の北側に出ようとすると、岡本駅の前に出てきました。昔は夏休みだった時期ですが、学生が一杯でした。駅から大学に向かう道は狭く、こんなに狭かったのかと驚かされました。

学生は男子も女子もみんな若くて元気そう、美人の子が多く、大学を離れて30年、自分はこんなところに通っていたのか、自分にもこんな時代があったのかと軽くショックを受けました。

若い頃、心はいつも暗く、未来に希望もなく、高校も大学も全然、面白くありませんでした。
人生色々。様々な人生の変転を経験し、今は、とっても貧乏になったけど、気持ちは昔と比べ物にならないほど明るく、ちょっとしたことに喜びを感じるようになりました。

こんな気持ちで学生時代を送れたらどんなに良かっただろう。。。ふと、考えた小さな心の旅でした。

読んでくださってありがとう。

人生に迷う若い人に人生を抱きしめることができる日が早く訪れますように。

ユーザーID:4841946673

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  • 思わず反応してしまいました。

    今は東京在住ですが、地元出身の卒業生です。

    >若い頃、心はいつも暗く、未来に希望もなく、高校も大学も全然、面白くありませんでした。

    私もそうでしたね。あの頃、10代の自殺は多かったし、そういう時代だったのではと思います。
    希望は無いまま、親に言われるまま大学に行き卒業、親の意向に反して、とりあえず『皆がすなる就職』をしたのが私にとっては転機だったと思います。
    単に親に『誰のお陰で』と言われ続けるのが嫌で家を出たかっただけなんですけどね。

    思いつきのような就活で、新卒時の就職は満足なものでは無かったけど、自分次第で、転職や道も切り開けることも判り、希望も夢も持つようになりました。

    一時流行った『ノストラダムスの大予言』のせいかも知れませんが(笑)昔は30歳を過ぎた自分なんて考えられませんでした。 
    今は、50代、60代・・・とこう有りたい姿が思い描けます。
    叶うかどうかはともかく、そこに向かって日々邁進しております。今の方がずっと明るいです。

    ユーザーID:5672334793

  • レスありがとうございます。

    >後輩さん

    地元の方ですか。
    私はあの辺り、大学と岡本の間ぐらいしか知りません。少し離れた西方には新しいマンションや邸宅が立ち並んでいました。この数十年の間に随分、開発が進んだのでしょうね。

    >親に『誰のお陰で』と言われ続けるのが

    他にも色々あったのですが、私もありました。私は中退してしまいました。中退したことは頭では平気だったのに、長い間引きずってしまいました。

    後輩さんは卒業後は家業か家事手伝いだったのでしょうか(お坊ちゃん、お嬢様の大学なので)。後輩さんは自分で道を切り開かれ、末来を見据えて生きておられるのはとても素晴らしいことですね。後に続く若い人たちも励まされるでしょう。

    >昔は30歳を過ぎた自分なんて

    私は「20歳まで生きられるかなぁ?」みたいな感覚を持っていました。暗いですね(笑)。

    今日、生まれた様々な気持ちの整理はまだつかないけど、何か自分にとって大きいものになりそうです。素敵な方からレスいただけてうれしいです。ありがとうございました。ますますのご活躍を祈ります。


    訂正:道路表示の「"本山"・岡本」

    ユーザーID:4841946673

  • 私の大学も近くです

    六甲の女子大で、国立K大のそばでした。
    お嬢さんばかりで私は少しついていけなくて
    勉強も難しくて、単位を落とした時は落ち込んで
    でも悔しかったので、がんばって次の年(優)を取りました。

    卒業式直前に地震があって
    テストも卒論も送る会も中途半端になって
    …残念でした。

    ユーザーID:4343167434

  • レスありがとうございます。

    >りささん

    表六甲のところですね。後ろは山だし、景色もよさそうなところですね。
    地震は1995年。あの状況では卒業式どころではなかったでしょう。残念でしたね。

    昨日、大学を見て思ったのは、キャンパスは何万人という卒業生や私のような在学経験者の中に生きつづけているのだと。

    りささんの中にある楽しかった思い出、頑張った思い出がきっと今も心の奥深くに響いているのだと思います。キリスト教をバックボーンにした六甲の美しいキャンパスはそれだけでも人生を静かに輝かせる宝物のような気がします。

    卒業生、在校生の皆様の幸せを祈ります。

    ユーザーID:4841946673

  • 懐かしいです。

    同じ駅から反対側へ向かう女子大に通っていました。
    当時の彼が甲南大だったので、岡本駅周辺をウロウロしていました。

    >道に迷いつつ阪急の北側に出ようとすると、岡本駅の前に出てきました。昔は夏休みだった時期ですが、学生が一杯でした。駅から大学に向かう道は狭く、こんなに狭かったのかと驚かされました。

    という一文に、当時歩いた道が思い出されて、若かった頃を懐かしく思いました。

    のん気でぼんやりダラダラとお気楽だった学生生活…勉強も恋も部活も遊びもみんなほどほどで、もっとめいいっぱい「これに夢中で頑張ってた!」というものが無い自分を恥ずかしく思ったこともあります。

    40を過ぎて、ごくありふれたオバサンママになった今、それはそれで昔のキラキラした若い頃の思い出ですね。
    (おっしゃる通り、いいとこのお嬢さんの多い大学ですが、私は普通のサラリーマン家庭の娘だったので「ハイソな奥様(笑)」にはなれませんでした)

    岡本・本山周辺…もう10年以上行ってません。私もセンチメンタルジャーニーがしてみたくなりました。

    ユーザーID:1978002902

  • 私は逆に、

    私も大学を卒業して20年以上になりますが、トピ主さんとは逆に、大学生活をした北摂地区
    に行くと、元気をもらいます。
    大学時代に、辛いこと、悲しいこと、不安なこと、恥ずかしいこと、一杯ありましたが、
    でも、必ず、将来は明るい未来があると信じてました。
    最近、大学が休みの時、大学構内に入ってみました。ふとその時代に戻った感じで、
    昔付き合っていた彼女が向こうから歩いてくるかもという錯覚がありました。

    今は、自分の将来も、ほぼ、見えてきて、どのような人生になるかわかるような気がしてきました。
    人生に少々疲れてきた私にとって、大学近辺は、気持ちだけでも、再度、若さや希望を与えて
    くれる場所のようです。

    ユーザーID:4487815994

  • 思わず

    出てきてしまいました。
    はじめまして、私の兄が甲南でした。
    たぶん、トピ主さんと同じ年齢くらいでは?と思います。

    兄の甲南生活は、THE大学生というもので、当時中学生だった私は
    大学生活に果てしない憧れを抱いていました。
    カレンダーに書き込まれていた、サークル、テニス、コンパ、ゼミ、
    スキー、サーフィンという単語に惹きつけられました。

    が、その兄が、今年の2月に出張先でクモ膜下出血で倒れ、
    1か月脳死状態に陥り帰らぬ人となりました。

    当時の、サークル仲間が多数駆け付けてくれましたが、みなさん
    いいおじさん、おばさんになられ時間の流れを実感しました。

    トピ主さん、色々あられた様ですが、命あっての何とかです。
    多分、トピ主さんと反対の学生生活を送った兄ですが、
    もうこの世にはいません。
    50にもならずに亡くなってしまいました。。。

    トピ主さんに、これから先、様々な幸せが訪れますよう願っております!!

    ユーザーID:1763157233

  • レスありがとうございます。

    >なんじょさん

    わ! 私の姪も卒業生です。サラリーマン家庭ですよ。
    うーん、よく考えると同じ駅なのに、在校時、甲南女子の子を意識したことがなかったなぁ。今から考えるともったいない人生を送っていた!(笑)

    なんじょさんは謙遜しているけど、今時の40代はキラキラしていますよ。センチメンタルジャーニーでかつての夢や希望に思いをはせるのも、お子さんを少し違った感覚で見れていいですよ、きっと。

    >なっちゃんさん。

    彼女が「なっちゃん」ですか? うらやましい思い出ですね。
    北摂といえば、阪大(+外大)、関大を筆頭にいろいろありますね。
    歩くとそれなりの距離ですが、ごくたまに関大前の駅を利用しますが、学生があふれていても何も感じないですね。人間てすごく内面に左右されているんですね。自分で驚きます。

    子供の頃から何かと六甲山を眺めていたので、大阪人なのに私の心は六甲にあるような(笑)。大学時代、2号線を走ると車のマナーがやたらによく、加えて、芦屋、東灘辺りの空気が生まれ育った地と全然違って、私はその記憶を30年引きずっているのだと思います。

    ユーザーID:4841946673

  • レスありがとうございます。

    >たまさん。

    はじめまして。
    ありがとうございます。そうですね。生きていればこそ、こうして過去を振り返れる心境になりました。生きている間は何とか、生きている人間の使命のようなものを果たして行きたいです。

    お兄さん、残念なことでしたね。ご愁傷様です。
    私も随分前に、同じ小中だった同級生が亡くなっていたと聞かされショックを受けたことを思い出しました。50前は若すぎますね。でも、お兄さんはたまさんの中で永遠に生き続け、愛の絆で結ばれていると思います。心は通じていると。

    ※ 私は1959年8月生まれ。1979年、20歳で中退しました。お兄さんとほぼ同年齢です。

    皆様の人生に幸いがありますように。

    ユーザーID:4841946673

  • またまたでてきました。

    1959年ですか、兄と同い年です。
    兄は6月生まれでした。
    キャンパスで、すれ違ってられたかもしれないですね。
    ちなみに兄は、経営学部でした。

    トピ名の、カワサキというのはバイクですか?
    兄も、カワサキのバイクに乗っていました。

    大学生活は、満喫し父の後も継がず勝手に就職しましたが、離婚など
    色々経験し、それなりの山あり谷ありの人生だった様に思います。
    今回の後片づけも、妻がいないので私がすべて行いました。
    それで、余計に兄の事を身近に感じているのかも知れません。

    若いころは、色々ありますよね。
    兄の事に、便乗していますが私も自身の学生時代を過ごした場所に行くと
    色々思い出します。

    今から思うと、学生時代はなんて貴重なキラキラしたものなんだろうと
    思います。(当時はそうは思っていませんでしたが、、、)

    トピ主さんに、幸せあれと願っております。

    ユーザーID:1485518242

  • レスありがとうございます。

    >たまさん

    HN、その通りです。私はリターンライダーで、数年前に乗り始めた頃、六甲山に行ったら、たまたまなんでしょうがカワサキ車ばかりに出会って不思議に思いました。地元メーカーなんですね。何にも考えずに乗っていました(笑)。

    私も以前、叔父の遺品を「処分」したことがあります。そういう時は本当に色々と想いをめぐらしてしまうものです。私はそれがきっかけになって人生の道を求めるようになりました。叔父のことは今でも私の人生に影響を与え続けていると思います。

    お兄さんと私は同学年ですね。
    私は法学部でした。キャンパスのどこかで出会っていたかもしれません。小町で連絡をとるのは不可能ですが、同じ時代、同じキャンパスの空気を呼吸していた一人として、お兄さんのお話をお聞きしたいし、お墓参りをさせていただきたい気持ちです。

    出会うことはかないませんが、心からお兄さんのご冥福を祈ると共に、たまさん、ご家族の皆様の心に安らぎが戻ることを祈ります。魂は永遠であり、一人ひとりのかけがえのない人生が神(仏)の御手に抱かれ、惜しみない愛が注がれていると信じて。

    ユーザーID:4841946673

  • 今となってはただ懐かしいです。。。

    トピ主さんと同世代です。

    本山、岡本と聞くと少し胸がキュンとなります。
    私は家庭の事情もあり迷うことなく高校卒業後は就職しました。

    同期入社の子が本山在住だったので私はよくJRを途中下車して
    本山駅近くの確かエーデルワイス?と言うケーキ屋さんの
    喫茶でいつもモンブランのパフェを食べては職場の愚痴や
    恋の話で盛り上がっていましたっけ。

    でも、本山や岡本辺りで女子大生らしき子たちが
    OLの自分よりも高価な洋服やバッグで着飾っているのを
    見ると何となく自分の境遇が惨めな、いや!恥じる事はないんだ!
    と言うような思いが湧き上がって何とも複雑な心境でした。

    今となってはその職場で夫と出会い、3人の子にも恵まれ
    子供たちも大学生活を謳歌する年頃になり
    その当時の自分をただただ頑張ってたよね、まだ随分と中身は
    未熟だったけど。。。と振り返る事が出来ます。

    どんな境遇でも挫折はあり、また希望もありでひとつひとつが尊いですね。

    ここ数日少し落ち込むことがあったのですが今日このトピに出会う事が出来て
    パワーもらえました。感謝です!!

    ユーザーID:1181055551

  • レスありがとうございます。

    >ラベンダーさん

    何だか恥ずかしいです。私はどちらかというと環境派で、贅沢はしないようにしていましたが、それでも、昔はぬくぬくと生きていたと思います。

    後から気づいたことですが、高校や大学で出会った、多くの若者が憧れるような生活をしている人たちも何か心に虚無を抱えていたように思います。お金はあっても、愛情や人間の絆のようなものが欠けていたのでしょうか。そんな心に穴のあいた人たちよりラベンダーさんの青春は輝いていたのではないかと感じます。

    そういえば、実家の近所では、私を含め自営業者の家で大学中退が続いたので、別の自営業者の子は大学進学をやめて、手に職をつけることにしたと聞きました。お金があっても人生の目的を持てないのは不幸なのだと思います。

    書いていて、人生の充実は「人生の目的」の有無にあることが見えてきました。例えば、夫であれ妻であれ、「家族のため」という自分を越えた目的意識が人間を成長させ、人生を充実させ、幸福感を与えるのだと。

    ありがとうございました。

    ユーザーID:4841946673

  • いやぁ〜懐かしい

    私は1984年 南女卒です。
    大学を卒業して25年????あ〜〜信じられません。
    就職なさるんですかぁ〜なんてゼミの人達や、学生課の職員の人からも言われながら自力で就職しましたよ(笑)

    岡本駅、摂津本山駅、芦屋川駅周辺は懐かしい想いで一杯ですね。お好み焼き屋さん、パスタ屋さん、ケーキ屋さん友達と良く行きました。
    合コン!!なぜか周辺大学の医学部との合コンが多かったけど、恋は実りませんでしたねぇ(笑)
    あの頃は学生生活を楽しんだと言うか、勉強もクラブ活動も課外活動も。

    仕事が忙しかったのと、途中で引っ越したのとで、卒業以来一度も行っていません。いつか行ってみたいです。
    あの頃は30代、40代なんてなんとおじさん、おばさんなの?って思っていましたが、実際に40代になっても、気持ちはなんにも変わってないわ。
    現在はアメリカに住んでいるんですが、アラフィフになった今、お母さんも良くやるねぇなんて言われながら、なぜかまた学生に戻っています。25年前の学生のころよりは一生懸命勉強してます(笑)

    ユーザーID:4143585004

  • 懐かしすぎる・・・

    トピ主さまこんにちは。
    私は一昔前に甲南大学を卒業したものですが、
    岡本、本山の文字に惹きつけられ、初めて投稿します。
    私は県外出身者でとにかく神戸という街に憧れて
    大学を決めたようなものです。
    心配する家族をよそにサークル、コンパ、ファッション、恋愛と
    まさにThe 女子大生を満喫していました。

    試験後の旅行を楽しみに、大阪に向かう特急電車を待つ駅で
    震災のニュースを知りました。
    ようやくJRが復旧したころ、久々に帰った地は戦場のようで
    どうすることもできない変わりようにただただ自分の非力を嘆きました。

    当時住んでいたお洒落なマンションとか
    流行の洋服、ブランドのバッグや靴のことを多少なりとも
    心配していた自分がすごくすごく恥ずかしかったです。

    昨年、約10年ぶりに岡本の地を訪れました。
    サークルの待ち合わせ場所だった十二間道路を通って
    住宅街を過ぎ、細い坂道を登ると懐かしい学び舎が
    今もそのままあり、やっぱり少し涙が出ました。

    夫に手を引かれて坂道を下る長男の後姿を見ながら
    また10年後にここに来ようと強く思いました。

    ユーザーID:1345744078

  • ホッとするようなトピですね

    トピ主さんの投稿も、レスされている方々の文章も、とても心なごむ内容でやさしい気持ちになりました。

    私の妻が甲南です。
    カワサキさんより4歳上ですので、キャンパスですれ違うこともなかったでしょうが…
    妻はおそらく、カワサキさんのような悩みを感じることもなく、4年の在学期間、青春を謳歌したのだと思います。
    昔の話をする時は、本当に楽しげにしますし、今も当時の友人連中やサークル仲間との会合を持っているようです。

    この春、娘が、先にレスされている「りささん」の出られた大学に入学しました。
    今は楽しくて仕方ないようです。

    人それぞれの人生がありますよね。
    楽しいことばかりが記憶に残るという人もいれば、辛く苦しかったことしか覚えていないという人もいます。
    でも、そうした時間を経て今の自分がいることを、ちょっとした機会に想うことって大事なんだと思います。
    どんな想い出も大切にしておかなければと、そう気付かされました。

    ユーザーID:7806607653

  • 日本疾走/Certain工業大学1967

    カワサキさん、こんにちは。昨年3月末に定年退職した4WDです。

    良いトピですね。一連のレスも良いです。読んでいて、心が仄々としてきます。

    大学、大学院を修了して、40年弱。当時の大学進学率は16%程度でしたので、出来の悪い私でも研究職に就けました。どこでもそうですが、在職中はいろいろあり、心房細動を発症してしまいました。大男なんですが、気は小さいんです(笑)。今は前期(?)高齢者として生きています。

    私の学んだ大学は辺鄙なところにあり、通学するのに一苦労でした。休講になっても行くところがなく、図書館とか製図室で時間を潰したものです。もちろん女子学生なんて殆どいない分野です。男ばかりでしたが、実験や実習結構面白かったです。

    カワサキさんはバイクに乗られるんですね。私は車、特に4WDが好きで、妻と二人で全国の主要なところは走破しましたよ。今も乗っていますよ。環境破壊で申し訳ないのですが、もうしばらく走り続ける予定です。

    私も近々大学に4WDで行こうと思います。ビルの集合体のような大学になっているそうです。

    取り留めの無いことを書いてしまいました。失礼します。

    ユーザーID:3745966420

  • 六甲で記念写真

    トピ主さんと同世代です。
    出身も学校もその地域ではありませんが、学生時代に付き合っていた彼女が大阪だったので卒業後に遊びに行き、六甲周辺を案内してもらいました。

    ポートピアが開催されていた頃で、六甲から下ってくる道のどこかでポートアイランドを背景に写真を撮った覚えがあります。

    その彼女と結ばれることはありませんでしたが今でもよく思い出します。
    その後結婚した相手は東京出身ですが、ポートピアで働いていたということでした。それを聞いたとき、前の彼女と一緒にポートアイランドを見下ろしていた頃、まだ知り合ってもいない未来の妻がそこにいたのかと思い不思議な感じがしました。

    つい最近ユーミンの古いレコードを聴いていて、「♪ポートピアも終われば・・・」というフレーズが出てきたのでこれまた懐かしく思ったのでした。

    私も去年から25年ぶりにライダーになりました。小さいバイクなのであまり遠くへは行けませんが休みの日には乗り回して楽しんでいます。片岡義男の「彼のオートバイ 彼女の島」もあの頃でした。

    ユーザーID:9808465687

  • たくさんのレスありがとうございます。

    >すいかさん

    ちなみに私の同僚女性(40代前半)も「気持ちは20代!」ときっぱり、宣言されてました(笑)。すいかさんは昔も今も人生を充実して生きておられるのですね。今現在も学生とはうらやましい限りです。学生生活を楽しんでください。


    >ポポさん

    震災世代ですね。
    あの震災は感受性の豊かな若い人に相当大きな影響を与えたでしょうね我々の頃は世界はまだ確かなものであり、JJ の世界に生きていても何の問題もなかったのです。
    バブル崩壊や震災は本当に大切なもの、本当に頼れるものは何かを問いかけた出来事だったのでしょう。大きな出来事を経験した人は、意識することがなくてもその後の人生で何らかの使命を果たしているのだと思います。

    ユーザーID:4841946673

  • レスありがとうございます。

    >mintさん

    奥さま、卒業してもずっと交友が続いていること素敵ですね。
    そして、お嬢さんのご入学おめでとうございます。
    こうして皆さんのレスを読んでいると、六甲の山すそ以外の大学を選ぶ理由がないような気がしてきました。明るく、伸びやかで海を臨む土地はきっと人間形成に大きな影響を与えていると思います。

    記憶、想い出、確かに仰るとおりですね。
    人生の光ばかりで闇を忘れたり、闇ばかりで光を忘れるのも間違いですね。人間の記憶はその後の思考によって強化されたり、忘れ去られたりするのでしょう。それを忘れないようにしておきます。


    >何故か4WDさん

    4WDさんは戦後を支えた世代。日本の変化と共に歩まれた人生ではなかったでしょうか。1960年代後半−私のイメージは大学紛争です。また、「金の卵」がもてはやされていた頃でした。隔世の感がありますね。
    甲南大学も昔はグラウンドだったところも含め、キャンパス内は建物がびっしり建っているようでした。

    お身体を大切になさって、4WDをお楽しみください。

    ユーザーID:4841946673

  • レスありがとうございます。

    >SUZUKIライダーさん

    ポートピアつながり、面白いというか、人知の及ばないご縁ですね。
    昔、家内が私の通っていた小学校区内に住んでいて、義弟は同じ幼稚園と聞いた時、不思議な気がしました。

    ユーミン。片岡義男。懐かしいですね。
    「ニューミュージック」もすっかりオールディーズになってしまいました。

    お互い、怪我しないよう、いつまでもバイクを楽しみましょう。

    ユーザーID:4841946673

  • 派手な側面、地味な側面

    正に79年、南女に通っていました。もう30年にもなるんですね。
    当時私は「花の女子大生」を満喫していて今で言うチャラい女の子でした。あちこち派手なイベントに出たり、ファッション雑誌にもよく載ったりもしました。読者モデルのハシリでしょうか。周りの大人から見たら「何という能無しの遊び人、親の脛かじり」だったかと思います。

    今になって言い分けする訳ではないですが、派手な生活の内実は違ったものがありました。週の半分は祖父母の家に通い介護の手伝い、下の世話もしていました。
    それから派手な表の顔とは別にオタクな顔もあって、天体観測会や歴史古文書のサークルに参加していました。大学の友だちも派手な世界の友だちもそっちの私の顔を全く知らなかったはずです。オタクの世界にいる時は本来の自分(の一面)を取り戻せたようなホッと出来る時間でした。

    でも卒業後の友人たちの動向を見ると、どうも「隠れオタク」(笑)は少なからずいたのかなと思ったりします。
    今時の化粧のきつい女の子やチャラい男の子を見ても、「違う側面もあるんだろうな、表だけの顔で判断しちゃいけないな」と感じています。

    ユーザーID:4858864000

  • レスありがとうございます。

    >スクールバスさん

    ちょっとスゴイ青春時代ですね。
    読者モデル(タレント?)、介護にマニアックなサークルのかけもち。
    私のような平凡な人間には想像もつかない学生生活を送られたのですね。そして、その経験から、人間の内面に思いをはせることができる。−−−とても素晴らしいと思います。私も心に留めておきたいと思います。

    ユーザーID:4841946673

  • こんにちは

    関東在住の 神戸っ子です。 あの街には なにか強力な引力があるのか 帰れない日々の中でも 強い郷愁を感じ 2年ほどまえ 始発の新幹線に飛び乗り 六甲を まわり 日帰りで帰京しました。 もんたよしのりさんの 歌に 神戸に帰りたい という歌があります。。まぶしくて キラキラして でも 深い悲しみを 知ってしまった街。今年は 秋ごろ 帰れそうです。

    ユーザーID:4251574625

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