他人の何気ない一言に助けられた

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トピ主のみ2

ふくろう

話題

はじめまして
ふくろうと申します。

数年前の話しです。
仕事も資格の勉強も家族とも彼氏とも上手く行かない時期がありました。本当に自分がやっていることが何も報われなくて、毎日悩んでいた時期でした。

ある日残業で終電がなくなったので、タクシーで帰りました。家の近くに着き、支払いを済ませタクシーを降りようとした時に、

『暗いから気をつけて帰るんだよ』

と運転手さんが言いました。
なぜかはわかりませんが、この一言がすごく嬉しかったんです。家に着いてから思いっきり泣いたのを覚えています。
泣いた後はスッキリしてました。

なんでもない一言ですが、当時の私はこの一言に助けられました。

皆さんも全く知らない人の一言に助けられたこと、ありませんか??


⇒【編集部より】このトピが、発言小町大賞2010ベストトピ賞に選ばれました!
発言小町大賞2010のページはこちら
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/besttopic2010/

⇒このトピの続きは、
◇他人の何気ない一言に助けられた<2>
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2010/0507/313396.htm?g=01

ユーザーID:5643892031

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  • うるうるぽかぽか。。。

    何て優しいトピでしょう!
    一つ一つを大事に読ませて頂きました。
    中学生から海外生活40年間私も沢山の方に励まして頂いたのでした.此のトピの御陰で振り返り感謝の気持ちで一杯です..       
    ありがとう御座いました。閉めないでずっと続けて頂きたいですね。 

    此の乱れた浮き世の大事なふれ合いに乾杯!!

    ユーザーID:1682682558

  • 海外の婦人科で

    私は30歳のとき、親の大反対にあいながらも離婚して、外国人の男性と再婚、追われる様に彼の国へ移住しました。
    彼の両親も大反対で、周りには友人知人はゼロ。
    就職できたものの、初めての英語圏での仕事は緊張の連続。
    さらに通勤は、車で2時間の距離。

    もともと生理不順だったのが、ストレスの影響か、来なくなってしまいました。でも、年齢的にも子供がほしかったので、婦人科に通いはじめました。
    産婦人科では高度な不妊治療はできないので、専門医に紹介する、と言われたときに、泣きそうになってしまいました。

    私より10歳くらい年上の白人の女性医師さんは、とってもサバサバした人でしたが、
    「大丈夫、あなたは必ず赤ちゃんを生むことができる。私が保証する。ちょっとヘルプが必要なだけ。赤ちゃんは私が取り上げてあげる。」
    と言ってくれました。
    そのときは、適当なこと言って。。と思ってましたが、その後2年間にわたる不妊治療の間、その言葉を何度も何度も思い出して、体外受精に成功、臨月まで仕事もがんばることができました。

    赤ちゃんはもちろんその女医さんに取り上げてもらいました。

    ユーザーID:3345349649

  • スーダラ節。。。

    若い方は勿論ご存知無いと思いますが植木等さんが歌った流行歌で小さい私は何てふざけた歌を何とふざけたおっさんが歌ってる?と思いましたが年を重ね苦い体験後、なかなかだなあと感心する私がおります。

    人生悲劇は喜劇で終わる。。。

    ユーザーID:1682682558

  • ラジオから

    まだ13年ぐらいしか経ってなかったんだなーってこの投稿をするに当たって時期を思いだしてみました。

    当時自営をしていて借金がふくらむばかり、お金のことでどうにもならなくなってたときです。
    もう死ぬしかないってぐらい追い詰められていました。

    ラジオで野末陳平さんが政治や税金の話をしていてその中で「政治家は政治家でいさえすれば何かしら良い事があるからやめないんだ」・・・と誰かの議員の事を話していたんですね。

    生きてさえいれば犬ですら棒に当たるってことわざ通り・・・って話していました。

    なんかものすごく自分の中でその言葉が響いたのです。
    生きてさえいれば、何かしら見つけられる、良い事が落ちてるって。

    当時はその言葉にしがみついて必死に死んで逃げたい気持ちを抑えてました。
    そして、本当に生きていたらその後良いことがいっぱいありました。
    今はお金の苦労もなく心から幸せを実感しながら生きています。

    生きてさえいれば犬でも棒に当たる。
    ワタシを助けてくれた言葉です。

    ユーザーID:3915417455

  • すごく良いトピですね!

    結婚して10年目。子供の持病に悩み、ママ友とのトラブルも有り、精神的に参ってる時に、夫の浮気が発覚。

    転勤族で地元から離れ、頼る人も無く、実家に戻りたくても両親は厳しくて、甘えを許さない人達だったの親には黙ってずっと我慢していました。

    でもある日、あまりに辛くて父親に電話してみました。きっと『お前が悪い!』と怒られるのを覚悟で報告したら

    『そっか、そっか。戻って来い、戻って来い。』との一言。

    それ以上根掘り葉掘り聞くでも無く、夫の浮気には『ま、男だからな』と寛大で(これにはムッとしましたが)今まで我慢してたモノが溢れ、電話先で号泣しました。

    今は実家の近くに戻り、何故か夫も一緒に付いてきて未だに夫婦ですが、両親の近くで両親の手伝いが出来て幸せです。

    傷ついている時は、沢山のありふれた慰めの言葉より、心ある『一言』が効きますね。

    みなさんのレスを読んで号泣中です。化粧ボロボロ〜。

    トピ主さん、本当に素敵なトピありがとうございます。

    ユーザーID:1266326393

  • 良いトピですね。

    良いトピで思わず泣けてきます。

    自分も以前レストランで働いていたとき、カウンターキッチン内でお客さんと話さないといけなかったのですが、初対面の人と話すのが苦手で苦痛に思っていた時期がありました。
    「自分は料理を作りに来てるのに」と。

    ある時、常連のお客様が知り合いを連れてカウンターを占拠され、ちょうど手の空いてる時間だったので談笑していました。
    しばらくして新規のオーダーが通り、取りかかろうとしたときにお連れの方に「こいつ、接客の時はチャラチャラ笑い話するくせに、料理を作るときは目が変わるんや」と言って頂いた時は本当に嬉しかったです。

    いろいろあって悔しくてカウンターの隅っこで涙を流した事も、料理長と大喧嘩したことも(自分は副料理長)今となっては良い思い出です。
    今は職も離れその店ももうありませんが、頂いた言葉は胸の奥にしまい込んで、時折取り出して励みにしています。

    ユーザーID:4502446619

  • レスになっていなくてすみません

    良いトピですね。

    私自身はそのような体験がなく、
    レスになっていなくて申し訳ありませんが、
    みなさんのレスを読んで、何度も涙を流しています。

    このようなトピが
    ランキング上位を占めてくれると良いな・・と思います。

    ココロ温まるトピをありがとうございます!

    ユーザーID:5731277885

  • 駅のホームで

    長男が一歳になりたての頃、電車を待っていたらホームで見ず知らずの女性に話しかけられました。
    「その子何歳?」と。私が「一歳になったばかりです」と応えると
    「よく頑張りましたね。この子表情が素敵ね」とそれだけ言って行ってしまわれました。

    当時は初めての育児と周りの心無い言葉等で育児ノイローゼ気味だったので、この言葉のおかげで救われました。

    ユーザーID:9777075284

  • 主人と結婚した日に


    主人と結婚した時に義母から抱きしめられて言われた言葉です。

    「○○(私の名前)、あなたには今までお母さんがいなかったけど、あなたは今母親も、それに優しいおばあちゃんだって2人も出来たのよ」って。

    私には母がおらず、父とも疎遠で。
    義母は本当に理想の優しい母でした。
    その後行ったカフェで、義母はいきなり店員さんに向かって

    「見て!この子私の新しい娘なの!可愛いでしょう!!」って。

    国も言葉も違う私を本当に大事にしてくれる母です。
    生まれて初めて、母親の愛情を感じることができて、
    主人と結婚したことをとても幸せに思いましたし、
    国際結婚の大変さも、全て楽しさに変えることができた言葉でした。

    今でももちろん仲良しです。

    ユーザーID:1534078629

  • 「おめでとうございます」

    息子はアナフィラキシーを起こすほどの食物アレルギーです。
    アレルギーということがわかった生後半年くらいからは
    何を食べさせるにもドキドキして
    毎日3回の食事が緊張の連続でした。

    そんな中迎えた2歳の誕生日。
    注文していた息子の誕生日ケーキをお店に取りに行きました。
    もちろんアレルギー用のケーキです。
    中身を確認して受け取り、会計をすませ、店を出ようとした時
    店員さんに「ありがとうございました」と言われるものと思っていたら
    「おめでとうございます」と声を掛けてくれました。

    今思えば、マニュアル通りだったのかもしれません。
    けど、アレルギーのことでいっぱいいっぱいで、
    毎日眉間にしわを寄せていた私に
    その言葉は大事なことを思い出させてくれました。

    「生まれてきてくれてありがとう。
    今日はとてもおめでたい記念日だよ」ということを。

    ユーザーID:1483507163

  • 傘に入れてくれた女性

    いい話すぎて涙が止まらず、最後まで読めませんでした。

    私も先日、彼氏と大ゲンカの末に別れて、
    寂しさと悔しさを常に心の中に抱えている状態でした。

    先週の真冬並みの気温で雨が降った朝、
    傘を持っていくのを忘れて、駅から勤務先まで一人濡れながら歩いてました。
    速足で抜き去った女性が後ろから、
    「傘、よかったら一緒に入っていきませんか?」と
    声をかけてくれて、傘に入れてくれました。
    「今日は寒いから、濡れると風邪ひいちゃいますよ。どうぞ。」って。
    結局、勤務先が同じビルだったので最後まで入れてもらい、
    エントランスで何度も頭を下げてお礼を言って別れました。
    「今日もお互い仕事がんばりましょう」
    と笑顔で言われました。

    失恋にうちひしがれて、失恋の原因だった彼氏の不幸を願っていた自分がとても恥ずかしくなりました。
    そして声をかけるのだって勇気が必要だっただろうその女性の優しさに涙があふれてきました。
    どうかあの人に幸せが訪れてください。
    って素直に思うことができました。

    落ち込んでないで、前を向こうって気付かせてくれて感謝してます。

    ユーザーID:7676835116

  • 友人の何気ない一言

    成人して家を出るまで過ごした私の家庭環境は、よくありませんでした。
    肉体的にも精神的にも傷つき、親を殺せば楽になるのか、
    自分がいなくなれば楽になりなるのか、いつも追い詰められていました。

    短大の時に部活動に参加していたのですが、
    ある日部室にいくと、部員の一人がお茶を入れていて、
    私の顔を見て「ブラックスノウのお茶、入れたよ」と笑顔を見せました。
    その時、家庭では感じたことのない他人のやさしさに、
    張り詰めていた心が緩み、別室に駆け込んで号泣しました。
    あふれる涙を自分でもどうすることもできませんでした。
    漠然と自分はずっと孤独なんだと思っていましたが、
    その時初めて他人との接点を感じました。

    自分の家庭の問題は話していませんが、
    当時の部員とは20年たった今でも交流しています。
    今の彼女は、2人の子供を持つ素敵な女性です。

    ユーザーID:6293245709

  • だいぶ昔の新聞で

    投書欄で読んだ話ですが、
    盲導犬の同伴が断られることもまだ多かった頃に喫茶店に入り、
    席に座ったら、冷房が強かったせいか、犬がくしゃみしてしまったそうです。
    よりによって飲食店でと焦っていたら、お店の人が
    「いい子だから、誰かにうわさされちゃったのね」

    あー、そりゃ仕方ないなー。
    と、周りの人も思ったことでしょう。

    ユーザーID:7184267992

  • ええなあ様

    ありがとう。泣きました。
    ご家族のお幸せをお祈りしています。

    トピ主様
    横レス失礼しました。お赦しください。
    それと、良いトピをありがとうございます。
    生きる勇気が湧いてきます。

    ユーザーID:6903072875

  • 他人というわけではないのですが、

    お酒が大好きな父が病気を患い、合併症の肺炎で急死した翌日の通夜の席でのことです。
    私は父に何か出来たんだろうか。父はどういう思いで逝ったんだろう。と考え悩んでいました。
    そこに父の弟(叔父)がやってきて

    「これが兄貴の人生だった!」と言いました。酔っ払いでしたが(苦笑)
    その言葉に何故かは分からないけど、心のもやもやが取れ少し救われた気がしました。

    ユーザーID:0005503586

  • 前向きな気持ちって大事。

    先天性の重い病気を持った子供を育てています。
    2年前心肺停止になり、その後遺症で寝たきりになってしまいました。

    その時の入院で子供がまだ集中治療室にいた頃、子供が赤ちゃんの頃お世話になった看護師さんに病院内で声を掛けられました。
    「大丈夫、子供の回復力は計り知れないから、きっと元気になりますよ」って。

    子供は1年近い入院の後、無事家に戻ってきました。
    今はまだ自分で動くことが出来ませんが、彼女のおかげで『絶対良くなる』と信じて過ごす事が出来ています。

    ユーザーID:3231165742

  • 4年前の上野駅で

    4年前、大好きだった彼が今まさに浮気をしていると知った夜、いてもたってもいられずに彼のいるはずの上野へ行きました。

    終電のなくなった真夜中の上野駅周辺はよっぱらった男性であふれかえり、そんな場所で私が一人泣いていることを知っているはずの彼は着信拒否。
    彼と築いてきた数年来の思い出が、足元から崩れ去っていくのを感じました。

    酔っ払い男性が「慰めてあげるよ〜」と擦り寄ってくる中、中年のおじさんがつかつかと寄ってきて「立て!こっちこい!危ないだろうが!」と私を上野駅前の交番まで引っ張っていってくれました。
    「泣くならここで泣け!」と言い残して去っていったおじさん、本当にありがとう。

    交番でおまわりさんが一言「悔しかったね」と。
    この言葉でワンワン泣きました。あのときのおまわりさん、ありがとう。

    それから始発がでるまでの数時間、私の愚痴を聞いてくれ、隣にいてくれたサラリーマン。緑のワンピースで泣いていた私です。
    あの時は本当にありがとうございました。感謝しています。

    この3人の男性のお陰でその日無事に家に帰ることができました。

    トピ主さん、素敵なトピをありがとう!

    ユーザーID:7163200284

  • うーん

    人じゃなくて、本だけど。
    しかも漫画本で、ドラえもんだけど。

    「人にできて、きみだけにできないなんて事あるもんか」
    「なんだ、こんな簡単な事が、なぜ今までできなかったんだろ」

    この台詞に何度励まされたことか。

    ユーザーID:8530256974

  • お母さんと同じのが良い

    私は足が悪く、時々車椅子に乗ってます。
    昔住んでいた家のお隣さんに
    「お子さんがかわいそうですね」
    と連呼されて悲しかった。

    ある日、子どもの三輪車を買いに行ったら
    子どもが「お母さんと同じのが良い。
    お母さんとおんなじみたいのが乗りたいの」
    って照れながらリクエストしてくれました。
    「それはちょっと無理かなぁ(汗)」って言ったけど。

    スイちゃんの番組にも車椅子が出ていて嬉しかったみたい。

    ちょっと嬉しかったなぁ。
    時々膝の上に乗せたり、押してもらったりしてるけど
    杖や杖がなくても歩けるときになると「車椅子乗らないの?」
    って寂しそうに言います。
    「これはそういうもんじゃないのよ〜」って説明するけど。

    ユーザーID:1177581746

  • 職場なのに

    泣けてきてやばいです。

    このトピを読んでて私も思い出しました。

    息子がまだ0歳のとき、初めての育児、そして手がかかるわが子に振り回され、心身ともに余裕がなくて、そのせいで主人とも険悪になりいっぱいいっぱいだったとき。

    散歩に出てればとりあえず泣かなかった息子をベビーカーに乗せ、近所をウロウロ散歩してると、向こうから小学生(1年生?)の3人組が。
    何気なく、すれ違ったら、そのときに

    「こんにちはーー!」って元気な声で挨拶してくれました。

    数日、主人以外誰ともしゃべってない状態だったので、その挨拶が嬉しくて嬉しくて。

    泣きそうになりました。

    ユーザーID:2203697511

  • おばあちゃん

    中学でイジメられた。
    皆から無視され、馬鹿にされ、毎日が寂しくて悲しかった。
    ある日帰り道に通る公園で、一人ベンチに座るおばあちゃんに会った。
    なぜか惹かれて、少し離れて座った。
    挨拶をした。それから仲良くなるまで時間はいらなかった。
    毎日学校帰りに公園に寄り、おばあちゃんと沢山話をした。
    ある日おばあちゃんに、イジメられていることを言った。
    私は嫌われ者なんだよ。って言うとおばあちゃんは

    「私はあなたが大好きよ。」

    家族以外に大好きなんて言われたの初めてで。本当に救われた。

    おばあちゃん、私社会人になりました。今四年目です。
    中学ちゃんと通ったよ!

    私もあなたが大好きでした。

    ユーザーID:8865623353

  • 幸せになるんやで

    小さな地方の営業所でひとりの留守番事務員でした。上司は週に一度出張から帰ってくるのみ。
    仕事だけでなく電球の交換からパソコンの配線から何でも一人でやらねばなりませんが、基本的に自由で私の性格には合っていました。
    でも一人暮らしだったので下手すると一日誰とも話さずということもありましたが
    集配の宅配便のおっちゃん(お孫さんもいるくらいの年齢の方でした)が良い人で
    集配に来るたびに世間話したりお菓子をあげたり貰ったりしていました。嫌なことがあった時もおっちゃんの笑顔に癒されてました。そして七年。
    途中、おっちゃんがリストラされかかった時もありました。続けられるとわかった時は二人でヤッタヤッタと万歳しました笑。
    そして七年目。私は結婚して遠い県へ嫁に行くことになりました。同僚もいないのでひっそり会社を去る最後の日、
    いつもの夕方の集配におっちゃんが小さな可愛い花束を私にくれました。
    「幸せになるんやで」と泣いてくれました。私も泣きました。
    ありがとうおっちゃん。幸せにやってます。

    ユーザーID:8061379996

  • 母が亡くなったあと。

    入社1年目に病気で母を亡くしました。
    葬儀が終わってから1週間くらいは会社を休んで実家におりました。
    毎日、お線香を上げに誰かしらが来てくれていましたが、
    私は若かったので挨拶程度で、世話話は父に任せていました。
    ある日のこと、お年を召したご婦人を見送ろうと、弟と一緒に玄関まで
    出て行ったとき、靴を履いてから振り返ったそのご婦人から言われました。
    「お母さん亡くなって、さびしいでしょう」
    弟と二人で、「はい」と素直にうなずきました。

    割と若くして親を亡くしたので、気を使ってその話には触れない人が多かった
    のですが、そのご婦人からは率直にこちらの胸の内を察してもらえたことで、
    とてもあったかい気持ちになれました。

    その方が母とどのような関係で、父とはどんな話をしたのかは知りませんが、
    あの優しい表情と声は今も忘れません。

    ユーザーID:5909245043

  • 感動です

    トピをみていて、あったかい気持ちになりました。私も、このごろ思い出しては涙が出ることを一つ書こうと思います。
    子供が3年生で転校するとき、担任だった先生が子供に言ってくれた言葉です。
    「○○くんなら、絶対大丈夫。新しい学校で嫌なこともあるかもしれない、行きたくない日もあるかもしれなけど、少し我慢していくんだよ、○○くんなら絶対大丈夫だからね、がんばってね」と言われていました。そのときも、感動しましたが2年近くたった今でも、思い出しては涙が出てきます。
    自分に言われた気になるのか、絶対なんていってもらえる息子は幸せだな〜と思うのか分からないけどそんな先生が子供の人生の中で一人でも居てくれることが母としてなんだかうれしいです。

    ユーザーID:7798609730

  • 心の母

    離婚歴のある30代男性です。

    元妻とはほとんど口も聞かず、朝ごはんもお弁当も晩御飯も無い生活が3年続いていた頃です。
    毎朝会社近くのおにぎり屋さんに行っていたんですが、お店を出る時『いってらっしゃい』と笑顔で送り出してくれました。
    久しく温かい言葉に触れていなかった心にジーーーーンと来ました

    この言葉、元妻にかけて欲しかった・・・

    ユーザーID:6661891135

  • 海外でのこと

    私は良くも悪くも注目度の高い中国で、助けられたことがあります。

    視察旅行で中国へ行った時、ホテルのエレベーター内で日本人女性から「携帯を盗まれ警察に行きたいんだけど…」と相談を受けました。当時中国語を少し勉強していたとは言え、全く自信はなかったのですが、とりあえず一緒について行く事に。

    でもホテルのフロントも「近くの警察?知らない。」だし、タクシーつかまえても「知らない」で軽くあしらわれ…無理かなぁと思っていたところ、初めに断られたタクシーが戻ってきて「乗って」と。メーターを使わなかったので、ぼったくられるかな?と心配しつつ、「コレも勉強代…」と思ってとにかく頼る事にしました。運転手さんは次々派出所に止まっては事情を説明し、何とか紛失物届けの書類を発行してくれる警察所までたどり着きました。降りる時、私が普通の運賃よりかなり高めにお金を渡したところ、

    「お金はいらないから、早く行きなさい。警察はあそこだよ、見えるね?」

    と言ってお金をいっさい受け取りませんでした。何気ない一言…とはちょっと違いますが、騙されちゃいけない!と気を張る中国で、すごく助けられた出来事でした。

    ユーザーID:8550498353

  • 母の葬式で。

    25歳のころ、3年間の闘病生活の末、母が亡くなりました。
    そのお通夜には、
    色々な友達がやってきてくれました。

    当時私は劇団に入っており、
    劇団の中間たちもかけつけてくれました。
    みんな色々と声をかけてくれたのですが、
    何も言わなかったリーダーが最後にひとこと

    『・・・待ってるからな。』

    その一言が一番心に染みました。
    ああ、私には待っていてくれる仲間がいるんだって。

    あの一言がなかったら、
    母親が無くなった悲しみから立ち直るのに、
    結構時間がかかったかもしれません。

    リーダー、この場を借りてお礼を言います。
    本当にありがとう。

    ユーザーID:8994197060

  • 義母のことば

    30年ほど前の話です。

    当時3歳と1歳の娘を育てていました。
    わが家に何かの折りに遊びに来た義母。
    娘達となんやかやおしゃべりしたりして遊んでくれて
    いました。

    「もとこさん、上手に育てているわね」
    居間に戻ってきた義母が一言。

    なにかそう言ってくれる理由があったと思うのですが
    それは全く覚えていません。

    上の娘との会話やしぐさから多分そうした言葉が出たんだと思います。
    私自身はその時もう30代半ば、それなりの年齢で子供を生みましたし
    子育てに悩んだりしていたわけではありません。

    それでもこの言葉は今でも時折思い出すのです。
    とても嬉しかったことだけは覚えています。
    なにげない褒め言葉を言える義母。
    亡くなってから随分経ちますが、その娘も結婚して義母にとっては
    ひ孫に当たる子もいる今を見たらどんなに喜んでくれたかと
    しみじみ思います。

    ユーザーID:1895856320

  • 総合病院の待合で・・・

    娘が生後3カ月頃のこと。
    股関節脱臼の定期検査で総合病院を訪れました。

    ぐずる小さな娘の声が
    周囲の人を更に疲れされてしまうのではないか?
    迷惑かけてはいないか?
    と、ドキドキひやひやしていました。

    ふと、隣にかなりご高齢のおじいさんが座りました。
    愚図る娘をじーっと見つめて

    「こどもは、国の宝じゃ」

    ゆっくりおっしゃいました。
    思わず涙があふれる私。

    そのおじいさんは間もなく御年百歳とのこと。

    「百歳違う赤子と共に過ごせたのぅ」


    もう6年前のお話です。

    ユーザーID:7473200141

  • 深夜番組にて

    もうずーっと前の深夜番組です。
    ギャルが色んな仕事に挑戦するというコーナーで、その日は焼き芋の屋でした。
    夜中にリヤカーで「いしや〜きいも」と叫びながら屋台を引くギャル。

    全く売れずに彷徨っていると一人のおばさんが「下さい」と。
    ギャルは「こんな夜中にどうするんですか?」「母がこの(後ろ)病院に入院してるから夜食にね」っと。
    お札を差し出すおばさんに、小銭の用意をしていなかったギャル。なので
    「あ〜、お釣りないからあげます!」と。

    そしたらそのおばさん急にボロボロ泣きだしてしまってました。
    「こんな夜中に知らない娘によくしてもらって」って。

    たぶん、そのおばさん、毎日の中で凄く疲れていたんだと思います。
    自分では意識していないけど張りつめた毎日に貰ったちょっとした優しさ。

    なんだか、おばさんを思って深夜のギャル番組見ながらボロボロ泣いてしまいました。

    ユーザーID:5802497476

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