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  • 電車で

    酷い振られ方をしてそこそこ混んでいる電車の中で声を殺しながら泣いていました。

    中年の男性が降りがてらに「明日、明日!」と言いながら肩をポンと叩き
    ミント系ガムをくれました。
    もうその優しさが即座に心に触れてハンドタオルで顔を覆ってギャー泣きしてしまいました。
    その男性はお地蔵様の様な穏やかなお顔と空気感で一瞬で優しさが伝わってきたのです。
    何時もは電車の中で乗り合わせた人を気にも留めないのに。

    この場を借りて
    人の優しさに思いがけず触れた後の幸せな気持ちを有難うございました。

    ユーザーID:1614372767

  • 私も同じ様な事ありました!

    もう十数年前の事ですが、やっぱり終電が終わっちゃってタクシーで帰る時ふとお財布の中身が気になって見ると、もうメーターの金額ギリギリだったので急いで「ここでいいです、もうお金ギリギリなので…」と止めてもらったんですが、一瞬間をおいてメーター止めてそのまま走りだして…指定した住所まで乗せて行ってくれました。
    「若い女の子がこんな遅くにダメだよ…気をつけなさい」とひと言。
    何度もお礼を言って家に帰りました。やっぱり帰ってからじわ〜んと涙がでちゃいましたよ。親元離れて寂しい時期だったし本当に世の中いい人いるんだなって…
    タクシーの運転手さんありがとう!!

    ユーザーID:5170102274

  • 「おっ、可愛いな!」

    息子の障害が判明して、どう死のうかと、毎日考えていました。
    子どもが何をしても障害児にしか見えなくて、辛くて辛くて。

    子どもの手を握り締めて、行きかう車を見つめながら、飛び込もうかと思っていた時です。
    通りすがりのビジネスマンが、「おっ、可愛いな!」と言ってくれたんです。

    全くの見ず知らず、あまり子育てにも参加できてそうにない(失礼)、忙しそうな男性が、息子を可愛いと言ってくれた。
    私の子どもは、他人様から見ても可愛いんだ、じゃあ、もう少し生きてても良いかもしれないと思いました。

    あの辛かった日々、何人もの通りすがりの方が、息子を可愛いと言ってくれました。
    情けない母親のために、菩薩様が、降りてきてくださったのかもしれません。

    ユーザーID:9756656548

  • 素敵なトピですね・・♪

    あったかい気持ちになれるトピですね。

    私は、全然妊娠しなくって生理が来るたびにへこんでいたときに
    ネットで見た、「イチローですら3割」っていう言葉にとても勇気づけられました。

    すごい人って言われてるイチローですら半分以上は失敗してる。
    それを知って、とても気持ちが軽くなったのを覚えています。

    妊娠率と打率は、話としては全然関係ないんですけどね(笑)

    ユーザーID:9602915292

  • 思い出すと・・・

    パート採用していただいたオープン前の小売店での事です。

    新規オープンとのことで多くのメーカーさんたちが忙しく働いており、10ウン年ぶりに社会復帰した40歳の主婦の私にはどう動いたら良いかわからずオドオドするばかりで・・・。
    そして昼休みに皆さん達とお食事することに。

    とりあえずお水やおしぼりを配りながら、私が何もわからないので申し訳ないことや久々働くことを何気に話したら、誰もが知っている大手のメーカーの部長の方が「大丈夫、ふくすけさん、だってこうやって初対面の人たちとコミュニケーションとれるじゃない。頑張って仕事続けてくださいね」と声かけてくださいました。本当に嬉しかったです。

    働いて丸三年が経ちました。今でもその言葉を思い出して頑張っています。

    ユーザーID:9937657645

  • 飛行機で

    飛行機で子どもが大泣きしました。
    どうあやしても泣き止まず、着陸態勢に入り身動きも取れず、私も泣きそうでした。降りる際、一番うるさかったであろう近くの方にお詫びすると、「全然気にならなかった」と一言。
    絶対気になるほどうるさかったのに、「全然気にならなかった」なんて。
    「全然」を付けてくださったことがありがたくて、思い出す度に泣けます。

    ユーザーID:6087035199

  • 国鉄の駅員さん・・・

    昔々、まだJRが国鉄で、切符が窓口で行き先を言って発券してた頃・・・。渋谷駅の窓口で『渋谷まで大人二枚、子供二枚』って言ってしまった子供に初老の駅員さんの一言『(微笑みながら)タダですよ・・・。』大人の『粋』を初めて教えて貰った思い出です。

    ユーザーID:4239329685

  • いいトピですね

    わたしも幾つかありますが未だ心の支えになっているのはカナダで暮らし始めた頃、言葉もあまり上手に話せなくて生活に慣れるのに疲れてパーティなどでは無理してかんばって笑顔で人と接するようにしていました。顔にも全然自信なんかなくて。。でもがんばってにこにこしていたらある人に「いい笑顔だね」と言ってもらえました。なんだかそれまでの力すーっと抜けて涙がじわーっと自然に流れてきました。

    この国でしばらくはがんばってみようと思えた日です。

    ユーザーID:9200113370

  • 「お帰りなさい」

    アメリカに単身赴任で半年ほど経った頃です。
    周りに日本人も少なく、毎日英語で仕事をし、生活をする毎日。日本の食べ物からも文化からも全然遠くなっていた頃、強引に一時帰国を計画しました。

    空港につくとだんだん日本語が聞こえてきて、嬉しくなってきました。
    極めつけは、飛行機の入り口で、日本人の客室乗務員さんが笑顔で

    「お帰りなさい」

    ジーンと来て、座席で涙が出そうになりました。

    実際日本の実家にたどり着いた時よりも、感動しましたね(笑)。

    ユーザーID:2993550927

  • 鷺沢萠さんの小説に

    鷺沢萠さんの短編小説集で、『海の鳥・空の魚』という本があります。
    その内の一編で、何もかもうまく行かない時、たまたまお財布を拾ってくれた人がいて、
    その善意に救われる、という話がありました。
    私もそれを読んだ頃は辛い時期だったので、主人公の気持ちに共感したのを覚えています。

    また、何気ない自分の行為が、
    知らぬ間に誰かに影響(いい意味でも悪い意味でも)を与えることもある、
    ということを改めて自覚し、
    できる限り善意と良心に基づいて行動していこう、と思ったことも思い出し、
    今それが実践できているかな、とちょっぴり反省しました。

    他の皆さんのこころ温まるお話を読んで、思わず投稿したくなりました。

    ユーザーID:9825768621

  • ニューヨークで

    皆さんのお話、じんと来ました。
    夫の赴任先のニューヨークで、私も今も感謝しつつ思い出す事があります。

    まだ20代で若く、まだ知り合いも誰もいないニューヨーク、毎日遅い夫の帰りのみを待つ日々・・・。
    ニューヨークはどこもかしこも忙しく、人々も他人が目に入らないような、とても冷たい街に思え、孤独でさみしい毎日でした。

    そんな頃、近所のスーパーで、レジで私の買った品物を袋に入れてくれたお兄さんが、私の顔を覗き込むように、「Have a nice day! OK? You have a nice day!」(いい一日を!分かったかい?君は、いい一日を過ごすんだよ!)と何度も、私を元気づけるように言ってくれました。

    多分私は、他人が見ても元気ないって分かる位、落ち込んだ顔をしていたのでしょう。
    帰り道、その言葉に本当に元気が出て、いい人もいるんだな♪って思えた事を今でも覚えています。

    この話はもう10年も前、あれから3人の子に恵まれ、たくましい母として今もアメリカで頑張って生活しています。
    今でも時々ホームシックにかかる事もあるけれど・・・!?

    ユーザーID:2721695597

  • いい話ですねぇ・・・

    いい話ばかり!読んでて泣けてきました。

    何気ない一言・・・。私自身は、思い出せないなぁ。
    頭にきた一言ならたくさんあるんですけど(笑)。

    あ、昔友達にすごく感謝された思い出話でもいいですか?

    友達は地方出身で、東京で生活したいと思って大学から上京しました。
    卒業後しばらくして、付き合っていた男性の就職を機に婚約しようとしていましたが、
    相手の男性が地方(その友達の出身とは違う別の地方)の会社に就職するかも、
    一緒について行くのは初めての土地でとても不安だし、田舎に住むことも嫌なんだと思うけどどう思う?と聞かれました。

    私は日頃から「運命は受け入れる」「住めば都」だと思っていたので、
    「いいんじゃない?田舎は田舎ですごくいいかもよ。お互い頼るものがいない土地で、絆も深まるよ!」
    と言ったところびっくりされました。
    周りの友達には「田舎に住むなんて冗談じゃない」「東京に住み続けそうな他の男性を探せ」と言われたそうです。
    結局彼女はその男性と婚約しましたが、なんと!旦那さんは東京の別の会社に就職が決まったのでした。

    ユーザーID:6851387315

  • 私もタクシーで…

    その日の朝は母と大喧嘩をした後で、喧嘩の内容は私が悪いです。
    帰宅の為に乗ったタクシーは女性だったから、香水臭いとやだなぁと思いつつ乗ると、道順など気が効く感じで(この信号は長いから…こっちは工事してるから…など)家に帰るまでの間自然に会話が弾み、若く見えたけど30年のベテラン運転手でした。すると、「私は母を亡くしました、もっともっと親孝行したかったです。あなたはお母さんを大事にして下さいね」と言われ、今朝の喧嘩の事を思い出して言葉にならずそのまま泣いてしまいました。
    すると、「私にも娘がいてね、すぐ大声でいろいろ言うわね。でも、必ずいつも自分から謝ってくるわよ、謝ってみるといいんじゃない」と。なんだかたった20分の空間でお互いの背景を語り合い最後のこのアドバイスは神様が巡り合わせてくれたのかと思うくらいぐっとくるものでした。
    タクシーの運転手いい人はすごくいいですね。

    ユーザーID:9081849333

  • ありがとう

    大学院を卒業し大学に着任したての頃、自分の研究が上手くいかず、大学での人間関係にも悩み、講義も上手く出来ている気がせず落ち込んでいたとき、推薦状を書いた学生から志望していた所に受かったという報告を受けました。その生徒に「先生、どうも有り難う」と言われたとき、自分の仕事の意味を初めて解った気がしました。

    こちらこそ、大切な事をおしえてくれてありがとう、と感じた瞬間でした。

    ユーザーID:2303288644

  • 私も…

    素敵なトピだと 思います 何年か前に 癌になりました 手術して退院したものの 日々不安でした その年の誕生日に 娘がくれたマグカップに「やまない雨はない…」と書かれていました そうだ!ホントにそうなんだ!と 心から希望の持てた瞬間でした

    ユーザーID:8239698431

  • ええ話や・・・・・・大好き、こんなトピ!

    すみません、トピ文だけでウルッときてしまいました。
    ちょっと疲れてるのかな・・・。
    トピ主さん、ありがとう。
    読ませていただいて、元気を分けてもらおうと思います。

    弟が死んで1週間後に行われた大学の卒業式で、研究室の教授がポツリと一言『大変だったね』とだけかけてくれた言葉が嬉しくて。
    15年は経ちますが、ときどき思い出します。
    当時も思いましたが、葬儀には500人もの方が集まってくれたので、弟は有名人でもないのに恵まれていたなぁ、と支えになりました。
    それ以来、何があっても葬儀だけは大事にしています。

    ユーザーID:0821098396

  • おじさんありがとう

    一言ではないのですが・・・

    数年前、恋愛で身も心もボロボロになっていた頃、
    心療内科に通って薬をもらわないとパニック発作で家から出かけられず
    夜も眠ることもできないような本当に酷い状態でした。

    仕事帰りの混雑した電車で立っていたものの、
    色々考えてしまって辛くて辛くて涙がぽろぽろ。
    いっそ死んでしまった方が楽になるのではないかとすら考えてました。

    俯いて溢れる涙をハンカチで押さえていたのですが、
    私の斜め前に座っていた中年の男性が立ち上がり、
    無言で私の肩にそっと手をかけて座席に座らせてくれました。
    そしてぽんぽん、と私の頭を軽く叩いて無言で立ち去られました。

    何も言われなかったけど
    「大丈夫、人生悪いことばかりじゃないよ」って言われた気がして
    ああ、こういう男性と付き合えば辛い思いはしなくて済むんだ
    って気付いて勇気を振り絞って大好きだった彼氏と別れました。

    おかげでその後優しくて思いやりのある男性と出会って結婚できました。
    あの時のおじさん、本当にありがとうございました。

    ユーザーID:4849706299

  • 鬱の人の番組で

    いつ死のう?とそれしか考えられなかった時に
    電車で何気なく年配の方に席を譲ったら

    その人が何度も何度も

    「ありがとう」「ありがとう」と頭を下げてくれた。

    こんな自分にも「ありがとう」と言ってくれる人がいる。

    それが切っ掛けで鬱から立ち直る努力を始める事ができ、

    自殺を思い止める事ができた…

    だそうです。

    これを聞いて涙が出ました。

    私も若い頃、自分が何をしてよいかも分からずもがいていた時期があり、
    通りすがりの人の優しい言葉に何度も救われた事がありました。

    このトピ読むと、まだまだこの人の世も捨てたもんではないのだな…
    と思う事ができました。

    厳しく、でも優しく

    末永く色んな人と支え合える世の中であって欲しいと願います。

    ユーザーID:6481270450

  • 「頑張って」

    ブラック企業に勤めていた頃。
    新人管理職だった私は会社にいいように使われ
    朝5時半起きで出社、帰宅は午前1時半、90日以上の連続出勤で
    意識もうろうで心身ともにおかしくなりそうでした。

    帰宅時の深夜の電車でたまりかねず優先席へ座りました。
    次の駅あたりでおばあさんが二人目の前に立ちました。
    こんな時間におばあさん大変だろうと思い、
    「どうぞ」と席を立った時

    おばあさんA:「いいのよ、今は若い子の方が疲れてるんだから、座ってて」
    おばあさんB:「そうよ。若い子の方が大変よ。座って。」
    と二人にほほ笑まれ、ジーンときました。
    私よりも先に降りられ、その時にありがとうの気持ちを込めて会釈をした時
    「頑張って」
    と言われ、泣きそうになりました。
    あの時の可愛いおばあちゃん、ありがとう。

    ユーザーID:5679232808

  • 所謂、

    「五体不満足」で生まれたわが子が入退院繰り返していた15年前のある退院日。片付けをしながら隣のベッドの子のお母さんとふつうに話をしていたら、そのおかあさんがふと黙り、

    「−ちょっとだけだっこしてもいい?」

    とてもいとおしそうに見つめながら。私の息子を。

    それまでこの子の話をすることさえ恥ずかしく思え自分の赤ちゃんを隠すように生きていた、あかんたれのわたし。その日病院から我が家への帰り道で、この子のおくるみをはずしました。ベビーカーで皆にかわいいからだ全部がよく見えるように。よく晴れた五月のことです。

    ユーザーID:3686177642

  • 「おめでとうございます!」

    すてきなトピですね。私もひとつ書かせてください。

    仕事が原因(と思っていた)で夫婦仲が険悪になり、
    夢を託した仕事を思い切ってやめたのですが、
    結局、夫に三行半を突きつけられて離婚になりました。
    キャリアも家庭も両方失うことになって、
    相当惨めな気持ちでしばらくは実家でふさぎ込んでいました。

    そうはいっても食べて行かなくてはいけないので、
    新しい仕事をみつけて職安に報告に行ったときのことです。
    窓口のおばさんに、満面の笑顔で、
    「おめでとうございます!本当に、よかったですね〜」
    と、家族のように嬉しそうに言ってくださって、
    「そ、そうか、そんなにめでたいことなのか・・・?」と、
    はじめて、転げ落ちてきた場所の居心地を、確かめる気になった瞬間でした。
    (それまでは、「転げ落ちた」ことを嘆いているばかりでした)

    ・・・なんていうか、言葉だけだと「皮肉」に聞こえなくもないですが、
    その方が喜んでくれた笑顔と真心に、私は救われたんだと思います。

    ユーザーID:5932272593

  • 私もタクシーで

    若い頃、信じられないくらい女癖の悪い彼と付き合っており(それでも好きで別れられなかった・・)、彼の家でひどく侮辱され泣きながらタクシーに飛び乗りました。
    自宅までは約1時間、普段ならタクシーは贅沢でしたが、どうしようもなく激高し号泣しながらタクシーに乗ったのです。夜中でした。
    タクシーの中で親友に電話して、彼と一緒にいた時間が無駄だったということ、大好きだが今回ばかりは自分のために別れたほうがよいと悟ったことなどを号泣しながら話していました。
    自宅に到着し、運転手さんに支払いをしたら、それまで一言も話さなかった運転手さんが「お嬢さん、あなたのような人ならきっといい人が見つかるよ。今夜はお疲れでしょうからゆっくり休んで、明日は笑ってくださいね」と言ってくださいました。それを聞いて泣き崩れました(若かったな〜)。
    でもおかげでその彼とやっと別れてふっきれることができました。
    今、幸せに暮らしております。

    ユーザーID:4775143785

  • ありますあります

    娘が小さい時の話です。3歳頃、散歩から帰る時「抱っこ〜」が始まりました。2番目の子で甘え上手。「でもおウチもうすぐだから、頑張って歩こう」と私は少し先を行ったところで待っていました。そのうち子供は泣いて、通りすがる人も「可哀想」「もういいのに」など言われて、折れそうになっていた時、ご年配の女性が「お母さん偉いね〜駆け寄って抱くのは簡単だもん。お母さん頑張ってるからあなたも頑張って!」と子供と私にエールを送って下さいました。その頃、夫にも子育ての事で色々言われていた事もありパンパンだった私は、歩いて来た娘と手をつなぎながら泣いて帰りました。
    そして、今その夫との生活を打ち切るため家を出たんですが、息子は精神的に不安定になり、警察やら弁護士やら役所やら学校やら、と一人で駆け回る日々。その中でやはり年配の女性に「一人で頑張ってるのは分かってるよ、みんな見てるよ。大丈夫!自信持って!楽しい人生にするために子供連れて家出たんだから。楽しい事待ってるからね、絶対!」と言って頂き、気がつけば涙しながらその方とお話していました。
    ほんっと、世の中捨てたもんじゃないっす!!

    ユーザーID:0513386118

  • 孤独育児でボロボロだった時

    スーパーの入り口ですれ違ったおばさんが引き返してきて
    「つらいのは今だけ頑張るんだよ!」
    と、肩を叩いてくれました。

    そんなに思い詰めた顔してたかな?しっかりしなきゃと思いました。

    嬉しかったです!

    ユーザーID:2526195452

  • 新幹線の中で・・・

    3ヶ月の息子と、新幹線で義理の実家に向かっていた時。
    初めての育児で身体も心もヘトヘトなのに
    お姑さんに会うのが気が重い・・・と、息子の顔を見てタメ息をついていたら
    隣の席のおばさんが、
    「可愛いわね。あなたの顔をずーっと見てる。ママのことが大好きなのね」と。

    なんだか、すごく泣きそうになってしまいました。
    そうかぁ、私のこと大好きなのかぁ・・・って。

    重かった気分も、身体の疲れもスッキリして
    嬉しそうに孫を抱く姑さんを、笑顔で見守ることができました。

    心に余裕がない時は、ちょっとした言葉が心に染みますね。
    皆さんのレスを読んで、私も涙が出てきました。

    ユーザーID:9755501725

  • 言葉ではないけど

    突然 思いもよらぬ病気の宣告をされ
    その頃まだ子どもも小さく 
    緊急入院 手術なんて突然言われ
    呆然としまた正直 足を踏ん張っていないと
    失神してしまいそうな状況な時にあった時 
    看護師さんが 私の横に座ってそっと背中に手を置いてくれたその手の暖かさに救われました。

    今は 私も元気になり
    その後 友人や家族が困っている時
    私も相手の背中にそっと手を置いています。

    「手当て」って言葉があるけど 
    本当の意味って傷ついた相手にそっと触れ 癒す 
    こういうことを言うのかなと それ以来思っています。

    ユーザーID:4021901806

  • 産婦人科の帰り道

    妊娠していた子供がお腹の中で死んでしまっている事が判明した帰り道。

    泣きながら信号待ちをしている私が気になったのでしょう。
    隣に立っていた老婦人が
    「今日はいい天気ねぇ。最近暖かい日が続いているわね。」
    と話しかけ、春のような笑顔を残して立ち去っていきました。

    言葉につられて空を見れば本当に良い天気で、心が少し軽くなりました。

    ユーザーID:4657852352

  • 私にもあります

    20代前半に、ひとりイギリスに渡り暮らす事になりました。

    初めての海外で、英語もなかなか話せず、落ち込むことばかりでした。

    ある日知り合いの英国人が、別の英国人に私を紹介してくれたのです。
    「彼女は、日本から一人でやって来た『brave girl』なんだ」と。

    その言葉に私は、まさに目からウロコ。
    自分にもっと自身を持って良いんだと。

    今でも、辛かったり苦しかったりする事があると、自分に言い聞かせます。
    『brave girl』なんだから、前を向いてどんどん突き進め!と。

    ユーザーID:0877986922

  • 今日もハナマルな一日をお過ごしください(にっこり)

    TV番組の『はなまるマーケット』でエンディングに
    岡江久美子さんがおっしゃった言葉です。

    その日は30過ぎてから一般受験した大学の
    合格発表日で、朝からPCを立ち上げようかどうしようか
    もんもんとしていました。
    私は大学から遠方に在住していて
    合格発表に大学HPでの番号掲載を希望していたんです。
    もんもんとしながらプログラムを視聴していて
    最後に岡江久美子さんが「はなまるな一日をー」と
    笑顔で言ってくださったことに勇気づけられて発表をみました。
    合格してました。
    「なんていい人なんだろう!!」と思っていたら
    実は毎回のエンディングコメントだったと後から知りましたが…
    でも、背中を押してもらった一言です。

    ユーザーID:1238811461

  • また 帰っていらっしゃい

    ツンとくる皆様のレスを読み私も思い出しました。

    海外に住んでいますが里帰りは”ゆきはよいよい 帰りはこわい”で日本から戻ってくる時は辛い思いをします。いつだったでしょうか 出国手続きで涙をこらえながらパスポートを提出しました。係りの中年の方が”また帰ってらっしゃい”と優しく言ってくれました。こらえていた涙がどっとでて”ありがとうございます”というのがやっとでした。

    ユーザーID:3325163982

  • 犬はいいぞ。

    羽田空港で飼い犬と搭乗前に、見ず知らずのおじさんに言われたひとことです。

    邪魔にならないように建物の外で、私と一頭で静かに搭乗手続きを待っていました。
    5月の東京にしては肌寒く、犬を抱っこしていると、犬の体温がしみじみと伝わってきていました。


    初めて犬を飼って、しかも初めての土地への引越…喜び半分、不安も半分。
    いろんな想いが渦巻いていた時でした。


    あれからもうじき一年たちます。
    おじさん、どうしているかな…。

    このトピックを見つけて、思い出しました。

    ユーザーID:7743892049

  • 居た堪れない気持ち

    当時3歳の次男が高熱でひきつけを起こし、白目をむいてヨダレを流す姿にパニックになり救急車を呼びました。救急車を待つ間にひきつけも収まりグッタリする次男と共に総合病院へ

    病院へ着く頃には気持ちも落ち着き、小児科へ通される頃になると『救急車を呼ぶなんて大袈裟だったのでは・・・忙しい救急隊の方や小児科の先生に迷惑だったのでは・・・』と思い始め、バタバタと動き回る皆さんの邪魔にならないよう部屋の隅に小さくなっていました。

    持ち場へ帰られる救急隊の方に『すみません、ありがとうございました』と何度も頭を下げる私に小児科の先生は『お母さん、初めての痙攣でビックリしたでしょう。きちんと検査しましょうね』と優しく声を掛けてくださいました。

    子供は心配するような事もなく、その日のうちに帰宅でき、最後に礼を言う私に先生は『良かったですね。痙攣を起こす原因は様々ありますからきちんと検査した方が良いんですよ』と穏やかに仰っていただき、次男の心配と居た堪れない気持ちでイッパイだった私を気遣ってくださいました。

    あの時の先生、本当にありがとうございました。

    ユーザーID:0310743053

  • 経験あります

    数年前仕事で大きなミスをして、同僚にも迷惑をかけ死ぬほど落ち込んでいた日の深夜、帰宅途中。若い男の子が「お姉さん遊びに行かない?」と声をかけてきました。

    いつもなら(鬱陶しい…)と無視するところでしたが、なぜか人と話がしたくて「もう遅いから。家もこの辺だし」と応えてしまいました。

    「仕事の帰り?残業なの?」「そう」「こんな時間まで大変だね。ごめんね。じゃあね」と言って走って去っていきました。

    他愛もないやりとりですが、なんだかちょっと心が軽くなった、なんてことがありました。懐かしいです。

    ユーザーID:9671466456

  • 助けられました

    何もかもうまくいかなくてマイナスオーラが出まくってた時

    車通勤の帰り道、歩道で自転車を押してる汚れたおじさんと
    目があったら、クシャ〜って笑顔をしてくれた

    夜中にコンビニへ買い物に行った時、隣の車のオナベっぼい
    人に投げキッスをもらった

    33歳で結婚が決まった親友に『神様は私が結婚のかわりにまんまるを
    そばに居させてくれているんだってずっと思ってた』って言われた

    この三つは今でも私の力になってます。

    ユーザーID:5425950948

  • トピ主です

    昨日立てたトピなのに、沢山のレスがついていて驚きました。

    皆さんのレスを喫茶店で読みながらウルウルしています。
    はたから見たら怪しい人ですね、私。

    ふと思い出して立ち上げたトピでしたが、本当に世の中捨てたもんじゃないなと改めて実感致しました。
    そして何より素敵な経験を語って下さった皆さまに まだまだ未熟な今の私は助けられています。本当にありがとうございます!

    そしてもう少しだけ 皆さまの貴重なお話、聞かせて下さいませ。
    とても勇気づけられます。

    ユーザーID:5643892031

  • 歌詞でもよか?

    今、0ヶ月の子供をほとんど一人きりで育てています。
    夜は夫が帰ってきますが、疲れています。

    不眠不休、ストレス、ホルモンの変化、おっぱいの痛み、など体中と心が悲鳴を上げそうななか、子供にはかろうじて笑顔と優しい声ができています。

    「意地」という二文字だけが自分の頭の中心にありました。

    夫ともだんだんうまくいかなくなり、口げんかが増え、最後には最低なことを言われて、私は夫に暴力を振るってしまい、。
    なんのために子供を産んだのかなど、変なことまで考えてしまう始末でした。

    そんなとき、「糸」という中島みゆきさんの曲を聞きました。
    忘れていた何かを思い出した瞬間でした。
    涙を流すことがこんなに大切だったとは知りませんでした。

    最近毎日聞いています。

    このトピをみつけて、読みながらまた泣いています。
    涙って大切。

    ユーザーID:8080579211

  • 施設にいた時

    色々うまくいかず。つまづいて追い詰められていた時真っ暗な部屋で布団でうずくまってたら日頃から話しをして唯一信頼してた若い保母さんが部屋にきて何も言わずに背中を向けてただ泣いてくれた時です。大人とうまくいかない私に大人が泣いてくれる事にただビックリでした。今でもメル友です

    ユーザーID:5707961525

  • 表面張力

    どんなに辛くても笑顔でいなければいけない職場にて。ひどい振られ方をし 仕事どころではない気分の中 応対した 患者さんに あんたの笑顔は最高だ!と言われた瞬間 涙が 溢れました。また ろくに帰省しないでいた私が いきなり実家に帰り 夕飯を食べていたら 母が 休みのたびに帰っておいで!何回でも帰っておいで!と言ってくれた時 親の有り難みを感じました。

    ユーザーID:3838435047

  • やんちゃな子の育児で大変だった時

    知らない、レジのおばさんから
    (みるからに人間が良さそうな方)レジの時、ぐずがる息子に
    とまどっていたら、「もうちょっとよ!もうちょっと」
    あの言葉に、気持ちが軽くなりましたね。
    当時、息子は2歳でしたけど、今は4年生
    世の中には、他人の事に、あんなに勇気づけてくれる
    人がいるのですね、今でも、その人の事は忘れません。
    今、スーパーのレジには、そのおばさんは、見ません。
    そこのスーパーは、ほとんどの方が、仕事は速いし
    感じがいい人がほとんどですから
    あのおばさん、又、会いたいです。

    ユーザーID:2031096654

  • 銀行のATMで…

    まだ乳児だった息子と
    イヤイヤ期真っ只中の娘とATMに並んでいました

    自分の番がきた時に限って
    ベビーカーに乗せていた息子がぐずり出し

    まだ腰も座っていない息子を片手で抱っこし
    片手でATMを操作し
    冷や汗が出そうでした

    すると 後ろに並んでいたおばさんが
    抱っこしといたげようと言って
    抱っこしてくださいました

    そしてお友達のもぅ一人のおばさんと

    少子化少子化って言ってるけど
    こんな若いお母さん頑張ってるやんなぁ
    偉い偉い

    と 会話が聞こえてきました

    私に言ったのではないかもしれない

    でも 誰にも責められる事はあっても評価されない
    育児に行き詰まり自信が無かった私には
    かなり込みあげるものがありました

    人前では泣かないと決めているので
    涙流れる事はありませんでしたが
    今でも思い出すと 鼻がツーンとします

    あんな おばさんになりたいです

    ユーザーID:2140974496

  • いいトピですね・・・。

    心にジーンとくるお話ばかりですね。

    世知辛い世の中ですけど、捨てたもんじゃないなって思えます。

    私も一つあります。数年前の事ですが、仕事もプライベートもうまくいかず、いろいろな感情に縛られて
    今思えば雁字がらめになっていました。
    そんな時です。小島よしおさんの“そんなの関係ねぇ”を聞いたのは。
    そうだ、もう後先考えずに全部投げ出してしまおう!
    もう何も関係ない、自分の気持ちを優先して
    強く生きるんだと思えました。

    あれからかなり図々しい人間になりましたが、
    小島さんのおかげでなんとか生きていけそうです。

    世の中で小島よしおさんにこれほど感謝してるのは
    私だけかもしれませんが、あの時はありがとうございました。

    ユーザーID:5725965754

  • 私の話ではないですが・・・

    いいトピですね。

    私自身でなく、おばの話ですが・・・

    先日、体調不良で検査の為、夫であるおじと一緒に遠方にある大病院へタクシーで向かった時の話です。
    丁度桜が満開の時期、道中桜並木がピンクのトンネルの様になった中を通過したそうです。
    運転手は年配の女性だったそうですが、病院へ到着後、料金を払った後にお礼を言われたそうです。
    「こんなに綺麗な桜並木、お客さんに連れて行って貰ったお陰でいっぱい見れました。どうもありがとうございます。」

    自身の体調の事で、不安だったおばはその言葉を聞いて、胸がいっぱいになったそうです。

    現在、検査の結果、自宅療養しているおばから、この話を聞いて私も胸がいっぱいになりました。

    ユーザーID:0373236044

  • 愛犬とのお別れに…

    私も書き込ませてください。
    今年に入ってすぐ、15年一緒に生活した愛犬が天国へ行きました。

    亡くなる数ヶ月前から下半身が動かなくなり、車椅子を個人で制作されている方をPCより見つけ、散歩が大好きだった愛犬の為に体型に合った形をお願いしました。

    しばらくは自力で散歩にいけるようになった事を嬉しそうに元気に走り回っていました。

    最後には散歩もいけず、寝たきりの為、床擦れになり、体がボロボロで、涙を流していた愛犬を、早朝5時まで側にいたのにその後、目を離した2時間のうちに一人きりで旅立ってしまいました。

    あと少し側にいれば…
    自分よりこんなに小さくて、感情も表せないから怖かったろう、悲しかったろうと、後悔ばかりしていました。

    その後、作って頂いた車椅子をお返ししにいき、旅立った事を報告すると、

    『そうですか。
    家族を悲しませたくなかったから一人の時に逝ったんかな。』
    この言葉に救われました。

    家族以外には噛みつくし、散歩は延々走り回る、大変な愛犬だったけど、いつも側にいてくれた可愛くて仕方ない大切な家族でした。

    また生まれ変わってもうちの家族になってね。

    ユーザーID:0291065360

  • 母の入院中

    昨年亡くなった母の入院中の出来事です。
    毎日病院に通って、不安と疲労でいっぱいだったとき、時間外の通路から帰ろうと警備員さんに、ありがとうございましたと声をかけました。

    警備員さんの『お疲れさまでした。おやすみなさい』の一言に何故か涙が出てしまいました。
    何気ない一言に救われた、まさにそんなときでした。

    ユーザーID:5114494638

  • 私も歌詞

    先週、15歳になる愛猫が病気で亡くなりました。

    入院治療の効果が無く退院しましたが、自力で歩けず、水も飲めず、オシッコも出ず…痙攣を起こすたびに弱っていく愛猫。
    最後は私の腕の中で逝ってしまいました。

    この子の人生(猫生)は幸せだったのだろうか。病気を治してあげられなかった私はダメな飼主だったのか…

    自分を責めて、後悔で押しつぶされそうなときに車のラジオから流れてきたのが、山下達郎さんの「希望という名の光」

    愛猫が私に歌ってくれてるんじゃないかと思いました。
    すぐにCDを探しに行きました。
    発売日は愛猫の命日でした。

    ユーザーID:7161929385

  • 今から12年前に

    勤めていた店が閉店になり無職になった時
    ちょうど父親が体調を崩し入院が決まり、夫婦一緒の仕事だったので替わりの人員に私が選ばれました。


    そこが自宅から車で3時間程の場所の社宅だった為に、私はとりあえず当面の衣服をバッグ2個に入れて
    タクシーで社宅に向かう時
    運転手がミラー越しにジロジロ
    そのうち運転手さんの人生の苦労話をチラホラ始めたり
    超絶前向きな説教めいた事を話しだしました。


    で、気づきました
    「私...家出娘と思われてる!?」


    運転手さんが勘違いしているようなので
    逆にこれから親元に行く事を伝えても
    虚偽の申告と思われ信頼されていない様子


    ようやく社宅付近に着き(まだ親が帰ってなかった為に、待たなくてはいけなくて、近くのコンビニで降りた)
    タクシーから出ようとしたら運転手さんが


    「オッちゃんも昔は苦労したけど
    今も金はねぇけど普通に生きてられてるよ
    お姉ちゃんも生きてるだけで良い事 あるんだからね!
    諦めんじゃないよ!」

    と言われました(笑)

    完全に家出娘認定(笑)でしたが、こんなに見知らぬ他人の事を心配出来る人がいるのかと
    良い気分になりました。

    ユーザーID:3281527096

  • お化け屋敷で…

    小学生低学年の頃、どうしてもお化け屋敷に行きたくて1人で中に…
    けどやっぱり怖くて立ち往生

    そこに一組の若いカップルが…

    お姉さんの方が「1人なの?じゃあお姉さん達に任せな!」
    そう言って私の手をギュッと握ってくれました

    またお兄さんの方は「怖くてなったらつかまりな!」と言ってくれ
    何故か私を挟んで3人でお化け屋敷を探検しました

    怖くてどうしようかと思った所に、本当にありがたかったです


    でもお化け屋敷って一番カップルが密着できるのに…
    私を思って、真ん中に挟んで手をしっかり握ってくれた
    お兄さんお姉さん、ありがとう!


    私にもそんな素敵な相手が見つかるように頑張ります(笑)

    ユーザーID:2352464626

  • 「それでは、良いお年を」

    何年か前。
    新しい仕事、新しい職場で、仕事もなかなか上手く回せないし人間関係も最悪だし、
    毎日毎日遅くまで一人残って仕事してて。
    新任だから舐められてたのか営業所もぜんぜん報告の期日守ってくれないし、
    「なんで回答取れないんだ」って上司には怒られるし、回答取らないと自分の仕事が回らないし、
    でもでも…とドツボ。

    でも一人だけ必ず期日を守ってくれる(海外の)営業所の人がいたんです。年末のもう怒涛のように忙しい時期にその人は、自分もこっち以上に忙しい筈なのに、「こちらはもうクリスマス休暇に入ってしまうから」と早めに回答くれて…。
    その気遣いに感動してしまって「本当に助かります」とお礼のメール書いたら、すぐに返事が来ました。「自分も同じような仕事してたから、遅らされて困る立場は良く分かるんです」と。
    文末に書かれた「それでは、良いお年を」という言葉を読んで、暗い職場でひとり泣いてしまいました。
    「今はこんなだけど、何とか頑張って行こう」「来年は絶対良い年にしよう」と心から思った出来事でした。

    今も同じ仕事で何とか頑張ってます。

    ユーザーID:7209114813

  • 言葉じゃないのですが、

    私は、看護学生でつい先月まで病棟実習と戦っていました。

    私は、子どもが好きで小児科で働きたいと思っていたので
    小児実習では実習前日まで勉強をして寝不足になりながら実習に向かいました。
    寝不足なのと先生が少しきつく言う先生だったこと
    そして、小児科で働きたいために頑張らなきゃ!っていう意識が強く
    初めの1週間で空回りして先生にすっごい怒られてしまいました。
    受け持ちの患児の保護者ともなかなか関係がうまくできず、すごい落ち込みました。

    とある朝に
    私は、母親に「やだーあと4日もあるー行きたくないー」と愚痴をこぼしてしまいました。

    母親は、何も言わなかったのですがいつも作ってくれる弁当の上に
    母親秘蔵のミカンを置いておいてくれました。(普段はそんなことはしないのに)

    しかも、そのミカン、枝がついててその枝にはたくさんの葉っぱがついてたんです。
    弁当をしまう時に見つけて、笑ってしまいました。

    そして、肩の力が抜けて、実習に臨むことができました。
    保護者とも関係を気付くことができました。

    ありがと、お母さん。

    ユーザーID:1031154349

  • 私も参加させてください

    大学生の時、小売店の売り場でバイトをしていました。
    私自身、かなりとんがってて、仕事ができない仲間、変わりばえのしない仕事にイライラし、
    ぶすったれた顔でテキパキとレジをこなしてた時でした。
    買い物を終えたおじいさんが、ニコニコしながら、
    「あっこさん?ここ、長いよね?頑張ってね!」
    と。

    確かに3年間ぐらい働いていましたが、そんなに長いとは言えないし、
    そのおじいさんの顔も記憶してはいませんでした。
    名札を見て、適当なことを気まぐれで言っただけかもしれません。

    けれど、その一言で、見てる人はいるんだ。私の頑張りを認めてくれる人がいるんだ。
    と、嬉しい気持ちになり、また初心を思い出して頑張ろうと思いました。

    私もいつか、人生に余裕を作り、その余裕を他の人に分けてあげられるような。
    そんな人になれたら…と思います。

    ユーザーID:1803070500

  • 二回目の投稿です。

    もう一つ。
    ずっと薬が離せない病気になり失意のどん底だった私に保健師さんがくれたCDを吹き込んだカセットテープ。。「魔女の宅急便のボーカルコレクション」のうちの「めぐる季節」の歌詞<幸せ探す人が一番幸せだって>と「鳥になった私」の<人は、昔は、きっと鳥だったの>に励まされ頑張りました。結構人にプレゼントしました。あまりお店に置いてないアルバムで、いつも取り寄せました。

    あと辛い時あたってる人がいたのですが、その人から怒られたりマイナスのことを言われたことはなく、励ましてもらってばかりいた時、MONGOL800「あなたに」の<人に優しくされた時自分の小ささを知りました>という歌詞が胸に突き刺さりました。

    ユーザーID:5707961525

  • 救われました

    13年前の夏。
    ひどい振られ方をした私は、気持ちを切り替えるためにNYへ一人旅をしました。
    それまで、彼のことを考えなくてすむように忙しくしていたのに、飛行機の中で灯りが消えた瞬間、
    「彼は、彼自身を守るためなら、私を傷つけても平気だったんだ」
    という思いがこみあげてきて、涙がとまらなくなりました。
    すると、私の泣き声が聞こえたのでしょう。隣の席の女性が、「よかったら」とキャンディーを勧めて下さいました。

    とてもうれしかったのですが、泣き声を抑えるのに必死で、「ありがとうございます」と言うのがやっとでした。
    泣いているときに、甘いものを口にすると落ち着きますよね。
    それで、キャンディーを勧めてくださったのだと思います。
    飛行機の機内で、たった一人で泣いていた私は、その方の優しさに救われました。
    この掲示板をその方が目にしてくださることを願って、
    心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

    ユーザーID:5817212927

  • 俺は見てるでな。←若干方言

    忘れもしない社会人1年目。
    新歓当日(主賓・私)と、数ヶ月後に立て続けに事故を起こし免停になりました。
    車もなく、仕事も出来ず、職場になじめず、先輩にもキツくてたまらん、といった環境に身を置き、こんな情けない新人が何処にいよう?今日こそ辞めよう、と毎日すぎていく中でしぶしぶ参加した忘年会。

    ステージでふざけているような顔見知り程度のおじ様が、
    手持ちぶさたの私の所に突如来て、手を握り

    『がんばれよ。俺はちゃんと見てるでな。お前B型か?だろうな。B型は結構クヨクヨしちゃうだい。分かるよ。俺もそうだもんで気になっちゃうだい。』
    と顔を覗き込んで一言。

    疎外感と自信のなさで心が折れる直前に、この方言べたべたの響きが暖かく、理解者がいてくれた喜びで涙が出そうでした。


    その瞬間、気分的にも吹っ切れて、その後10年勤めました。今でも年賀状のやりとりが続いています。

    ユーザーID:4528270425

  • 私もタクシーです。

    12歳の時に母を亡くし、
    親戚をたらいまわし→施設に入れられて
    世の中を見返すつもりで
    肩で風を切るような勢いで生きていた20代の頃。

    仕事でも先輩後輩上下関係なく
    つっかかっていき、言葉づかいも
    最低だったある日、社長のおつかいで
    現金を持って銀行へ行くことになりました。

    で、つかまえたタクシーで、
    なにげなく行き先を告げた私に
    (○○銀行までお願いします、と言っただけなんですが)

    「いまどき珍しいきちんとしたお嬢さんだね、
    ご両親、お母さんの育て方が素晴らしかったんだね」と
    言われ目的地まで涙が止まりませんでした。

    お母さん、褒めてもらったよ!と
    今でも思い出すと泣けてきます。

    ユーザーID:9012805099

  • 情けない母さんと一緒

    私も二十年前、娘が三歳で自閉症だとわかった頃に娘を抱っこしてバスに乗っていました。
    車窓を見ながらも考えるのは娘の障害の事、将来に希望も見出せず不安で一杯な私に見知らぬおじいさんがバスを降りる時に一言、「幸せになっておくれやっしゃ。」と声を掛けてくださいました。

    その時は神様に声を掛けてもらえたような気がして本当に救われました。いまだに忘れられず、辛い時には思い出して幸せにならなくっちゃ!と思って頑張ってます。

    ユーザーID:2108901027

  • おばちゃんありがとう

    溺愛してくれた父を亡くし、何とか喪主をつとめ、「気丈にふるまって偉いわ」
    「しっかりしてて安心した」などと繰り返し言われるうち、何故か全く涙が出なくなってしまっていた私。
    納骨が済み、知り合いに会うのが嫌で家から遠いスーパーに行った時のこと。
    食欲が湧かず、空っぽのカゴを持ったままぶらぶらしていると、
    「お姉さん!食べていかない?美味しいよ!」と、実演販売のおばさんが声をかけてきました。
    私の顔をのぞきこんだおばちゃんは、「そうだ、おばちゃんもう帰るとこでさ。
    これもって帰って作りなさい。ドレッシングもあげるから。」と、袋にリンゴとレタス、
    売り物のドレッシングを入れてくれました。そして、念を押すように
    「絶対美味しいから。食べてね。」と言いました。
    スミマセン、アリガトウ、とぎこちなく頭を下げ、足早にその場をあとにしました。
    おばさんが一瞬、「沢山食えよ」といつも言っていた父に見えた気がして、涙がこぼれてきたからでした。
    ひとしきり泣いたらお腹が空き、久しぶりに食べ物が美味しいと感じました。
    それ以来、リンゴとハムとレタスに白いドレッシングをかけたサラダが大好物の私です。

    ユーザーID:4536915442

  • あります

    初めての子の育児中に少しノイローゼ気味になり、
    すっかり自信を無くしていた時近所の公園で通りすがりの年配の方に
    『まあ可愛い!いい笑顔ね、きっとお母さんの育て方が上手だからよ!』と言われ、
    何だか認められ気持ちがして泣いてしまいました。

    初めての子育てって想像以上に不安だらけ、周りのフォローは大切ですね。
    あの時の何気ない言葉に本当に救われました。

    ユーザーID:9959036546

  • オバマ政権!

    何年もの間在米なのに、他国から帰ってくる度(私にとっては帰ってくる)に入国の際質問攻めに合い、この国にとって私はいつまでもたっても所詮外国人、と心に刻んでいたのですが。 オバマ政権になってから、外国人の私にでも入国の時に長年の在住と判ると、”Welcome home"(おかえりなさい)と言ってくれるようになりました。 おもわず涙が出そうになりました。

    ユーザーID:7592078504

  • 借金で苦しかった時

    クレジットカードや金融から借りたお金の返済で自転車状態だった時、
    電話した金融の職員と話している時に泣いてしまった私(かなり精神的に参ってました)
    そんな私に
    『うちも取り立て厳しいから、借りるのは止めて自己破産申請した方がいい』
    と、言われました。
    その一言に勇気が出て、申請しました。
    闇金でいろいろトラブルがあったりするご時世で、こんな丁寧優しくしてくれる人がいるんだってうれしかったです。

    ユーザーID:5353498456

  • 円形脱毛

    若い頃、円形脱毛症になり、いつまでも美容院に行かない訳にもいかず、勇気を出して初めてのお店に行きました。

    「あ〜、コレ、ぼくもなったことあるんですよね」
    と美容師さんに言われ、ホッとしたのを覚えています。 

    円形脱毛症のお客さんを見たらそう言えというマニュアルがあるのかしら、と思うほど見事でした。

    ユーザーID:5037086807

  • 「またねー、おやすみ〜」

    職場のごたごたで自律神経失調症になり、さらに職場いじめの対象となったことで症状が悪化し、
    退職しました。何かの形で社会と関わっていたいけど、働くのは無理……という状況で、
    障がいを持つ方といろんな事をするボランティアをはじめました。
    仕事をやめて症状は解消したものの、完全に自信喪失し、人が怖くてたまらなくなっていました。
    買い物に出るのも怖いくらいで……自分なんて生きていても仕方ないって思っていたときでした。

    ボランティア先から帰るときに、
    「オパールさん、またねー。おやすみ〜」
    と、障がいを持つ方が声をかけてくださいました。

    あー、私、またここに来ていいんだ〜。ってことは、生きてていいんだな〜。

    と、すごく癒されました。

    その後も、何度も落ち込みましたが、そのたびに、何気ない「またねー、おやすみ〜」
    「気をつけてね〜」に救われました。

    人間の価値は能力じゃない。そのことを教えてくれた彼らに心から感謝しています。

    ユーザーID:1682022053

  • 絶対に治るから

    20代前半でうつ病にかかり、投薬治療しながら実家にお世話になっていた頃。

    母の知人女性がたまたま母への用事で家に上がられ世間話中、
    挨拶がてらその場を通りかかった私は何故か自分と関係ない、よく知らないその方に
    「今うつ病で無職だし、不安で不安で仕方ないんです」と話したら
    「私もうつ病だったのよ。でも絶対治るから大丈夫だからね」と。

    現在ほどは一般的にうつが理解されていなかった頃なので余計に嬉しかったです。
    多分経験のない人に「絶対治る」と言われても、慰めてくれてるんだな、としか思わなかっただろうけど
    言われたとたんびっくりするほど気持ちが軽くなり、かなり病気も快方に向かいました。

    10年近く経った今も完治はしてませんが、
    職場復帰も出来たし「そのうち治るでしょ」という軽い気持ちで病気と付き合ってます。
    不調のときは必ずこの言葉を思い出して乗り越えます。

    ユーザーID:6940826693

  • 「一言」って良い意味で重いですよね

    たまにタクシーの運転手さんで優しい言葉をかけて下さったり、気遣って下さったりする方がいますよね。
    いつまでも心に残ります。

    うちの息子は先天性心疾患をもって生まれて産後すぐに大手術しました。

    そのことを息子の習い事で初めてお会いした方(他の子のママ)に話したら
    心から、という表情で「苦労されたんですねぇ」と言って下さいました。

    言われた瞬間ふいにホロリと涙が出そうになりました。

    苦労話を「分かってほしい!」という気持ちでしたワケじゃないんですけどね。
    優しい方だと思いました。

    ユーザーID:1076470253

  • なんなん

    良トピすぎる…。
    皆さんのお話で、もう涙腺が決壊しそうです。電車なのに。

    私も留学中色々上手くいかず、ホームシックにかかっていました。ある日学校で他の日本人の子に出会い、二人とも久しぶりの日本語に大はしゃぎ、お喋りしていたところへ先生が通りかかりました。留学生同士でも英語で!がルールの普通校だったので、二人とも慌てて黙ったのですが、先生はニコッと笑って
    「もっと喋って。私は貴女たちの言葉が大好き。ひゅるるる、ってまるで妖精が囁きあってるみたい」
    と言って、私たちが喋るのを暫く見ていかれました。

    当時、満足に授業についていけず、「黄色いサルは頭が悪い」といじめっ子たちに囃し立てられ、自分にも日本人であることにも自身を持てなかったので、本当にあの言葉には勇気付けられました。日本語がそんなにステキな言葉だなんて気づかなかったように、自分にだって凄い部分があるのかも知れない、と。
    おかげで自信を取り戻して死ぬ気で勉強し、帰国の頃には学年二位の成績もとることができました。(一位はもう一人の日本人の子)

    あの時の先生の笑顔と、ひゅるる、という音は今でも私の自信の源です。
    先生、ありがとう。

    ユーザーID:1225796424

  • つい、先日

    先週の金曜日、仕事がたまたま休みになった夫と3才10ヶ月の娘と昼食にと讃岐うどんを食べに行きました。そこで頼んだ食事が運ばれてきて、娘に取り分けて渡したら「ありがとう、お母さん」と言われたので、「うん」と言いました。夫が「よく噛んでゆっくり食べなさい」と夫が言うと、娘が「うん。お父さんありがとう。お父さんもね」と言いました。私達のテーブルの横に70才前後のご夫婦が先に食事をされていて、そのご夫婦の奥様が帰り際、「お嬢ちゃん、お父さんとお母さんに「ありがとう」が言えるんだね〜。」と言って下さり、娘は褒められた事は理解できたようです。普段はお転婆娘で、手をやく事もしばしばですが、自分の事のように嬉しかったです。

    ユーザーID:9187670242

  • hawaiiで・・。

    2年程前、恋も仕事も苦しい時期がありました。そんな環境を抜け出すべく、ある資格を取る決意をし、就学。無事、資格取得、新しい仕事の段取りもつき、自分へのご褒美に大好きなHawaiiへ・・。
    いつもの気ままな一人Hawaii♪
    大きなフードコートで、一人ランチ。食べ終わり、一息つくと、隣から声が。
    「貴女、とても良い顔してる。(表情の事のよう。)その良い顔を神様に感謝しね・・。」
    と、片言の日本語と英語で言われました。日系2世の初老の婦人、30分程お話ししましたが苦しい時期を変えるべく、頑張って乗り越え、きっと、吹っ切れた、表情をしていたのかな・・。
    異国の老婦人に、その顔を誉められ、以来、どんなに辛くても、笑顔を絶やさない様に、心がけています。あの時の老婦人も、「良い顔」をされていました。
    声を掛けて下さって、心からマハロ・・。

    ユーザーID:5055281729

  • いか焼きのおっちゃんの言葉

    当時働いていた会社の隣には定食屋があり、そこのおっちゃんはよく職場にデリバリーしていました。安月給だった私は節約のためにお弁当持参で滅多に注文できませんでしたがおっちゃんとは同郷出身で、部内に来られた時はよく方言で話しかけてくれました。

    縁もゆかりもない土地で新卒で働きはじめ、最初は意気揚々としていたものの、連日の徹夜仕事や上司からのパワハラ・セクハラで2年目には心身ともに限界に。
    そんな時、あまりにも仕事が辛く、自分を慰めるためにプチ贅沢で帰りに定食屋さんがやっているイカ焼きを買って帰ろうと寄りました。

    出来上がるまでの間、ボーっとしているとおっちゃんはふと、『そんな暗い顔せんと!お金なかったらたまにうちに来ぃ〜!ご飯くらい食べさせたるやん!おっちゃん、○○ちゃんが辛いん見ててわかるけど応援してるから!』と。

    そしてイカ焼きを渡してくれました。

    家に帰ると、1枚しか頼んでないのに2枚も入っていてその時初めて涙が溢れ、しばらく号泣しました。

    3日くらい仕事以外で誰かと喋っておらず人の暖かさに飢えていたようです。

    今は転職&結婚して幸せですがまたおっちゃんに会いたいです!

    ユーザーID:8517808824

  • 白人系の職場だった

    トピ主さん 素敵なトピをありがとうございます。

    私も、まるで知らない人ではなく、
    でもそんなに親しくもない同僚に救われたことがあります。

    白人系の職場で、突然、リストラされました。
    私が担当していた仕事が、突然なくなったからです。
    私のせいではなく、クライアントが一方的に通告してきたものです。

    退職の日、クールな職場だったので、別に挨拶回りもせずに、
    終業時間になり、こそこそと去ろうとしました。

    エレベーターに向かって歩いていたら、
    白人女性の同僚が追いかけて来て、
    「さようなら。がんばってね。」と言ってくれました。

    直接かかわっていた日本人の同僚は冷たかったのに、
    全然仕事には関係ない人からの一言・・・
    ほんと、救われました。

    今の会社で退職する人がいるとき、
    まじめな人だったら、「がんばってね」と
    一言をかけることにしていますが、
    そのルーツは、彼女のあのときの一言にあります。

    ユーザーID:4841687031

  • 真面目な性格で得したことの方がたくさんあったはず

    数年前、仕事がとても忙しかった時に体を壊してしまいました。
    私は不器用で要領も悪く人の2倍は仕事しないと結果が出せない、
    とその頃は思い詰めていました。
    でも体を壊してしまってからは思うように仕事ができず、自分はなんてダメな人間なんだろう、と今度は精神的にダメダメになってしまいました。

    とうとう円形脱毛症になってしまい、皮膚科で電磁波を当てる治療をしてもらいながら椅子にぼーと座っていたら、突然先生がポツリと。

    「病気になったら、誰でも自分のことが嫌いになるよ。でも、病気になるほどがんばっていたんだよね?これまでの人生、あなたのその真面目な性格は損したことよりも得した事の方がたくさんあったはず。自分を嫌いになったらダメだよ。」

    その時は、先生なんでそんなことを急に?と思ったのですが、家に帰ってからなんだか泣けてきて、いっぱい泣いたらすっきりして、自分で自分を追いつめていたことにやっと気づけたような気がしました。

    あれから10年、まだ円形脱毛症は治ったり再発したりの繰り返しだけど、何とかやってこれているのは先生のこの言葉のおかげかな。

    ユーザーID:9567672420

  • 何気なくみた、このトピックに泣かされて

    鼻水まで出てきましたよ〜。

    昔、タクシーの運転手さんから
    『頑張ってるね、おじさんはね、頑張ってる人が好きなんだ』
    と優しく言われた時に涙が出そうになりました。
    まだまだヒヨッコ社会人2年目、心身ともに限界な日々。
    研修先に遅刻しそうで慌てて乗ったタクシーの中で、泣きそうな顔だった私を慰めてくれたのでしょう。
    ありがとう、おじさま。
    良いトピックをありがとう、トピ主さん。

    ユーザーID:5356716830

  • 仕事中なのに、涙が・・・

    素敵なお話ばかりの良いトピですね。

    仕事中なのに涙が出てしまって、困ります。

    私もこんな素敵な一言を掛けられる人になれたらいいなって思います。

    ユーザーID:0932740262

  • 娘1歳前後のころ

    離乳食をまったく受け付けず、母乳のみの娘に悩んでいました。
    夜泣きは一晩に12回。

    娘をおぶい、とぼとぼと川沿いを歩いていたら、近所のおばあさんが話しかけてくれました。

    「リンゴジュースも飲まないんです」と私。
    「おっぱい飲むんやろ?それでええやんか、こんなにぷりぷり肥えとるのに、悩まんでもええやんか」と。

    あ、いいんだ、と吹っ切れました。

    相変わらず長女には悩まされますが、あのおばあさんの一言に今でも励まされている気がします。

    ユーザーID:6374696708

  • あみ様へ&感想(横ですみません)

    横でごめんなさい、あみさんへ。
    そのおじさんの言葉、私の出身地の方言なので、読んでいて声が聞こえるようでした。懐かしく、そしてなんだか嬉しくて、心がほわっとしました。ありがとうございます。


    人の何気ない言葉に救われた…という経験は、今のところ私にはないのですが、大なり小なりいろいろな形で、見知らぬ人の親切をたくさん受けてきたことを思い起こしました。
    受けた親切を他のところで他の方にお返しすることを心がけていきたいし、いつの日か私も、何気なく人の気持ちに寄り添える人間になりたいなあと、このトピを読んで思いました。
    トピ主さま、良トピをありがとうございました。
    感想だけですみません。

    ユーザーID:8259541693

  • 言葉じゃないんですが。

    皆さんドラマみたいに、素敵な体験されてますね。

    私もたいした事ないですが、一つ。

    小学校のころ、クラスの男の子にいじめられていました。
    皆が恐れ、先生も手を焼く学校一の問題児でした。

    私には得にひどくて、叩く、物を取る壊す、「ブス!」など悪口を言うなど、やりたい放題で毎日泣いていました。

    本当に大嫌いで自信も失い毎日憂鬱でした。

    あるお正月、年賀状を整理していると、可愛いキティちゃんのプリントに男子の字で「今年もよろしくおねがいします」と書かれている葉書を見つけました。
    裏を見ると、私をいじめていたその子の名前と住所が綺麗な大人の字で書かれていました。

    学校が始まり、他のクラスメートに聞いても誰もその子からの年賀状は来ていないと。どうも私だけにわざわざ宛名をお母さんに書いてもらって送ってきたみたいです。

    それ以来彼はなぜかとてもおとなしくなり、しばらくして転校してしまいました。
    それが謝罪だったのか、恋心だったのかもう確かめるすべもありませんが、その年賀状のおかげで今ではいい思い出です。

    ユーザーID:0397457870

  • 皆さんのお話にウルウル

    40代前半で夫を突然亡くし、茫然自失で泣けない眠れない食べられない日々を過ごしていました。
    特に食欲は全く湧かず、食べ物を口に入れても味が分からず、
    無理やり咀嚼し飲み込むだけの食事をしていました。

    ある日、友達が「一緒にお昼食べよ」と焼きたてのパンを両手にいっぱい
    持って来てくれました。
    それまで何を食べても味がしなかったのに、その時のパンはいい匂いで温かく、夫が亡くなってから初めて「おいしい」と思って食べる事ができたのです。
    あまりたくさんは食べられませんでしたがそれでもお腹の奥から力が湧いてきたのを感じ、まだ私は生きられる、まだ頑張れる、と思ったのを覚えています。

    その時中学生だった子も今年から社会人になりました。
    これまで私達を支えてくださった皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
    ありがとうございました。

    ユーザーID:3502755230

  • 小学生の時の話ですが

    私はある持病があり、その病気のせいで右目が斜視でかつ目を瞑ったように細く小さく見えます。
    このせいで小学生の頃「片目のジャック」と苛められていました。

    ある時名前も知らない別のクラスの男の子が運動会の練習で隣に座った時に
    「その目、どうしたん?」
    と聞いてきました。
    私は『またこの質問か。イヤダなぁ』と思いつつ
    「生まれつきなんよ」
    と答えたのですが
    「ふ〜ん、可哀想やね」
    と彼は言ってくれました。(しかもしみじみと・・・)

    小学生ながら、同情してくれる人がいてくれたのが涙が出そうになるほどすごく嬉しかったのを覚えています。

    彼の一言があったから、他の子に苛められても卑屈にならずに済んだのかも。

    ユーザーID:7466771265

  • 無口な先生

    高校三年生の体育祭の応援合戦は、自分達で曲を選び、ダンスも考えるものでした。
    ヤンキーもいた普通科一組の私達は、普段はやる気ないのに、この時は結構 頑張っていて、練習風景からも優勝候補ちゃう?と言われていました。
    でも本番で、優等生といわれている違う科のクラスに負けてしまいました。悔しかった。
    次の日、古文の授業。普段は無駄な話を一切しないおじいちゃん先生が、
    「昨日はすごく惜しかった。一位と君ら二位の点数の差はわずかやった。僕は君らの方が良かったと思う」
    と言ってくれました。皆黙ってたけど、すごく嬉しかったと思います。救われました。

    ユーザーID:2378321353

  • あれから2年…。

    現在2歳の娘が生後数カ月の頃だったと思います。

    今思えば特に手がかかる子でもなかったのに、自分の器の小ささから育児ノイローゼ気味になり、専業主婦でありながら、実母や夫からかなりサポートしてもらって育児をしていました。

    そのうえ母乳の出も良くなかったので、実母が探してくれた母乳マッサージにも通っていました。

    一人で頑張っているお母さんがたくさんいるのに、そうできない自分が嫌だったし、娘にも申し訳なかった。甘ったれな自分が後ろめたくて仕方なかった。

    そんなある日の母乳マッサージでのことです。
    そこの先生が、マッサージをしながら「たくさんの人から愛情をもらってるから、表情がすごく豊かやね」と娘のことを言ってくれたのです。さらっと。

    一人で頑張れていない私だけど、周りに助けてくれる人がいることはとても幸運で、
    娘にとっても悪いことじゃないんだと思えました。

    本当に救われました。

    もうすぐ二人目を出産します。
    こんな私が二児の母になれるなんて、周りの人に恵まれているおかげとしか言えません。

    ユーザーID:6560362897

  • あの一言が支えです。

    入社して間もなく、モラハラにあい、パニック発作を起こすほど、辛い日々を送っていた時、ある営業さんが「忍さんもイロイロ気を使う立場で辛いね〜」って言われました。
    涙は我慢しましたが、見てくれてる人がいた事がうれしくて…今は、モラハラしてた人を追い越して、昇進しました。今でも忘れられない一言です。

    ユーザーID:1489801299

  • あの弁護士さんは人生の恩人です。

    以前に勤めていた会社は、業界トップでしたが、予想以上に古い体質で、生え抜きやコネのある社員が優遇され、中途採用だった私には希望する仕事を任せてもらえず、ずっとサポート業務ばかりでした。
    給与や昇進等の待遇にも大差があることを知り、落ち込んだりもしました。

    それでもがんばってみましたが、やはり不本意で、結局辞めることにしました。でも次が決まっていたわけでもなく、とても不安でした。

    そんな時、法律事務所から駐在で来ていて、週3日一緒に仕事をしていた若めの男性弁護士に、
    「あなたがここにいるのはもったいないですよ。次のステップに行くべきです。」
    と言われました。

    社交辞令とは思いましたが、自信を失っていた私はほんとうに嬉しくて、折に触れ思い出していました。

    それから11年後、紆余曲折の末、私も弁護士になりました。

    ユーザーID:9191843883

  • 農家に嫁いで

    普通のサラリーマンの家で育った私が、専業農家の長男に嫁ぎました。

    親戚付き合い・近所付き合いも親密で、すべて初めての事だらけ…

    私はフルで仕事もしていて、ちょうど責任あるプランを任された時期でもあり、普通に5キロも痩せてしまいました。

    その時、同僚が
    「いい嫁にならなくてもいいんだよ、って私も新婚の時に言われたんだ」

    って…

    いろんな気負いやストレスが消えていく気がしました。
    知らないうちに頑張り過ぎてたんだなぁ、と。
    我慢していい嫁を演じるより、歩み寄ってお互いの妥協点を見付けたほうがいいんですよね。

    でも今でもちょっと頑張り過ぎちゃいます(笑)
    自分の気がすまないからですけど。

    損な性格です。

    ユーザーID:4535677866

  • 「人間そういう嫌になっちゃう時もあるよな」

    自分も今の仕事で大きなミスをしてしまって
    顛末書を書いてるときに同僚に言われた一言で泣いてしまいました

    いつもぶっきらぼうな人で大声だして怒ってる人だったので
    本当に心に染みたのかその場で泣いてしまいました

    今その人は会社辞めてしまいましたが、元気にしているだろうか・・・

    あなたのおかげで今も頑張れてます

    ユーザーID:3274779647

  • 尾久の種馬さん、それって…

    向田邦子さんのエッセイ「言葉のおしゃれ」からパクりましたね?

    ユーザーID:3758388569

  • 日本もまだまだ捨てたもんじゃないですね!

    本当によいトピを偶然、発見してすごくうれしい。
    殺伐とした世情で、自分自身も毎日、突っ張って、ささくれだって・・・でも、なんとか、なんとか生きてます!大きな試練を経験した人にとっては、キャパが小さ過ぎて笑われるだろうけど。

    だけど、トピを読んで気づきました。自分にできること?自分の長所?
    そうだ、困った人、弱った人を発見する、気づく感性だけならある。これだ!人に優しくしよう。いたわろう。
    たった一言でも、自分の言葉が、人をなごませたり、もっといえば人に夢と希望を与えられるのなら・・・・と思いました。

    ユーザーID:1178892659

  • ありがとうではすまされないほどに

    人の言葉に思いがけず救われることが毎日のようにあります。見ず知らずの人々も只の隣人にも色々教えられ慰められ励まされ、笑わせていただいて生きてきましたので、ご恩は測り知れないのですが、このトピを拝見して思い出した小学5年生新学期のエピソードをひとつ。

    当時40代前半の男性担任の先生が教室で、作文を書かせてていた私たちの間をゆっくり歩いて回っていると私の横で立ち止まりました。「へ?」と見上げると、先生は「○○○子」と私の手をとり「君はいい手をしているな。こういう手が良い手というものなんだ。がんばりなさい。」 

    活発で外遊びが好きな上に、厳しい母の躾の一貫で家事や水仕事をしていたために、もともと大きめで筋肉が発達した私の手は幼い頃から荒れ放題でした。兄弟達よりずっと「男らしく」、「どうしてこんなお淑やかでない手なのかしら、中身と一緒ね。」という母のぼやボヤきもあり、人知れず「嫌いだ」と思っていた私の手。

    誰にも言った事はなかったのになぜ? なぜこの人はこんなことを言ってくれるんだろう!? 訳が分からず呆然としている間に涙が少しこぼれてしまって恥ずかしかったんですが、すごく嬉しかった。

    ユーザーID:8523582715

  • 病院で

    学生のころ手術した箇所が、社会人になってから痛むことがあり、
    おそるおそる病院へ行きました。

    また手術、になったらどうしようと、怖くてたまりませんでした。

    診察してくれたお医者さんによると、古傷なので痛むことがあるという診断で、心配ないとのことでした。

    少しホッとして、会計を待っていると、あのお医者さんが私を探してまた声をかけてくれました。
    「あの手術に詳しい医者にも確認してきたよ。
     再手術なんてことはない、ただの古傷のいたみだ。
     安心していいよ。」

    それを聞いて、涙がでそうになりました。本当に不安だった気持ちが、
    ぶわ〜っと解放されて、泣きそうでした。
    頭を下げるのがやっとでした。

    お医者さん、本当にあのときは、ありがとうございました。
    あれ以来、自分の体に自信を持って、毎日を過ごすことができています。

    ユーザーID:2457501784

  • 普段の行い

    とても良いお話しばかりで、心が洗われるようです。
    トピ主さん、有難うございます。

    数年前、家族に不幸があったり色々イヤなことばかり続いていた時に
    マンションのエントランスでコンタクトレンズを落としました。

    「ああ!!また買い直し!!なんでこんな悪いことばかり!!」と思いながら
    いったんは諦めて帰宅。
    数時間後、エントランスを出る時にふと見ると、キラリと光るものが!!
    無傷でレンズが見つかったのです!!

    すごい!!なんて偶然!!と喜んでいたところに通りかかったのは、
    マンションのお友達の御母様。
    思わず、「今、こんなことが・・・」と言ったら

    「普段の行いがよろしいからですよ」

    とにっこりされました。

    当時の私は、本当にくたびれていて、イヤなことばかり続くことに不満だらけで
    ささくれ立っていた心に、
    御母様の優しい笑顔が沁みました。

    私も、なにか良いことがあった時にそう言って一緒に喜べる人になりたい、と心から思いました。

    ユーザーID:3312239292

  • 何も言わず

    中学2年生の3月、終業式の日、部活が一緒だった転校する友達に会えるのは今日で最後という日でした。
    お別れを言おうと思ったけど、違うクラスだったのもあって、なかなか言い出せずに、私は帰ることにしました。
    でも、いつも一緒に登下校をしていた子と学校の門をくぐった瞬間、涙があふれて止まらなくなりました。
    なんで「またね。手紙書くわ」の一言が伝えられへんかったんやろうって。
    その子は、びっくりしたと思いますが、何も言いませんでした。
    泣いてる理由は分からなかったと思いますが、私の家に着くまでの15分程、黙って一緒に歩いてくれました。
    めちゃめちゃ仲良くはなかったけど、そのときのことは、覚えています。 ほんまにありがとう。

    ユーザーID:2378321353

  • 宝物です

    数年前、彼氏に「他に気になる人ができた」と言われました。
    自分で自分の存在が疎ましくて、消えて無くなりたいとまで思いました。
    一人で週末を迎える事が出来ずに、会社の飲み会に参加した時に同期の男の子から言われた一言。

    「パンコちゃんを嫌いになる人なんかいないよ」

    誰にも話してなかったんですけどね。。。
    何でそんな事を言ってくれたかは分からないけど、心に太陽が差しました。

    あれから6年…今でも時々優しい言葉をくれる同僚です。
    私もこんな人になりたい、と憧れます。

    ユーザーID:1993614461

  • 夫の一言

    素敵なお話ばかりで
    鼻水、ズルズルです。

    初めての子を出産し、
    実家に里帰りしてる時の事。

    実両親も何かと手伝ってくれるし
    一人じゃないんだけど
    「友達と花見に行く」という妹に嫉妬したり
    くだらない事で母と喧嘩したり、
    なんだかいっぱいいっぱいだった私。

    その日は子供を寝かしつけようとしても全く寝ず・・・
    2時間くらい添い寝したり、おっぱいあげたり、
    それでも全く寝る気配なし。

    あまりの寝なさに、泣きながら遠方の自宅にいる夫に電話したら一言
    「まだ寝むたないんちゃう?」

    なんだか肩から力がスーッと抜けました。
    夫は覚えてないでしょうけどね。

    その時の子も10歳になりました。

    ユーザーID:6031115364

  • うるうるぽかぽか。。。

    何て優しいトピでしょう!
    一つ一つを大事に読ませて頂きました。
    中学生から海外生活40年間私も沢山の方に励まして頂いたのでした.此のトピの御陰で振り返り感謝の気持ちで一杯です..       
    ありがとう御座いました。閉めないでずっと続けて頂きたいですね。 

    此の乱れた浮き世の大事なふれ合いに乾杯!!

    ユーザーID:1682682558

  • 海外の婦人科で

    私は30歳のとき、親の大反対にあいながらも離婚して、外国人の男性と再婚、追われる様に彼の国へ移住しました。
    彼の両親も大反対で、周りには友人知人はゼロ。
    就職できたものの、初めての英語圏での仕事は緊張の連続。
    さらに通勤は、車で2時間の距離。

    もともと生理不順だったのが、ストレスの影響か、来なくなってしまいました。でも、年齢的にも子供がほしかったので、婦人科に通いはじめました。
    産婦人科では高度な不妊治療はできないので、専門医に紹介する、と言われたときに、泣きそうになってしまいました。

    私より10歳くらい年上の白人の女性医師さんは、とってもサバサバした人でしたが、
    「大丈夫、あなたは必ず赤ちゃんを生むことができる。私が保証する。ちょっとヘルプが必要なだけ。赤ちゃんは私が取り上げてあげる。」
    と言ってくれました。
    そのときは、適当なこと言って。。と思ってましたが、その後2年間にわたる不妊治療の間、その言葉を何度も何度も思い出して、体外受精に成功、臨月まで仕事もがんばることができました。

    赤ちゃんはもちろんその女医さんに取り上げてもらいました。

    ユーザーID:3345349649

  • スーダラ節。。。

    若い方は勿論ご存知無いと思いますが植木等さんが歌った流行歌で小さい私は何てふざけた歌を何とふざけたおっさんが歌ってる?と思いましたが年を重ね苦い体験後、なかなかだなあと感心する私がおります。

    人生悲劇は喜劇で終わる。。。

    ユーザーID:1682682558

  • ラジオから

    まだ13年ぐらいしか経ってなかったんだなーってこの投稿をするに当たって時期を思いだしてみました。

    当時自営をしていて借金がふくらむばかり、お金のことでどうにもならなくなってたときです。
    もう死ぬしかないってぐらい追い詰められていました。

    ラジオで野末陳平さんが政治や税金の話をしていてその中で「政治家は政治家でいさえすれば何かしら良い事があるからやめないんだ」・・・と誰かの議員の事を話していたんですね。

    生きてさえいれば犬ですら棒に当たるってことわざ通り・・・って話していました。

    なんかものすごく自分の中でその言葉が響いたのです。
    生きてさえいれば、何かしら見つけられる、良い事が落ちてるって。

    当時はその言葉にしがみついて必死に死んで逃げたい気持ちを抑えてました。
    そして、本当に生きていたらその後良いことがいっぱいありました。
    今はお金の苦労もなく心から幸せを実感しながら生きています。

    生きてさえいれば犬でも棒に当たる。
    ワタシを助けてくれた言葉です。

    ユーザーID:3915417455

  • すごく良いトピですね!

    結婚して10年目。子供の持病に悩み、ママ友とのトラブルも有り、精神的に参ってる時に、夫の浮気が発覚。

    転勤族で地元から離れ、頼る人も無く、実家に戻りたくても両親は厳しくて、甘えを許さない人達だったの親には黙ってずっと我慢していました。

    でもある日、あまりに辛くて父親に電話してみました。きっと『お前が悪い!』と怒られるのを覚悟で報告したら

    『そっか、そっか。戻って来い、戻って来い。』との一言。

    それ以上根掘り葉掘り聞くでも無く、夫の浮気には『ま、男だからな』と寛大で(これにはムッとしましたが)今まで我慢してたモノが溢れ、電話先で号泣しました。

    今は実家の近くに戻り、何故か夫も一緒に付いてきて未だに夫婦ですが、両親の近くで両親の手伝いが出来て幸せです。

    傷ついている時は、沢山のありふれた慰めの言葉より、心ある『一言』が効きますね。

    みなさんのレスを読んで号泣中です。化粧ボロボロ〜。

    トピ主さん、本当に素敵なトピありがとうございます。

    ユーザーID:1266326393

  • 良いトピですね。

    良いトピで思わず泣けてきます。

    自分も以前レストランで働いていたとき、カウンターキッチン内でお客さんと話さないといけなかったのですが、初対面の人と話すのが苦手で苦痛に思っていた時期がありました。
    「自分は料理を作りに来てるのに」と。

    ある時、常連のお客様が知り合いを連れてカウンターを占拠され、ちょうど手の空いてる時間だったので談笑していました。
    しばらくして新規のオーダーが通り、取りかかろうとしたときにお連れの方に「こいつ、接客の時はチャラチャラ笑い話するくせに、料理を作るときは目が変わるんや」と言って頂いた時は本当に嬉しかったです。

    いろいろあって悔しくてカウンターの隅っこで涙を流した事も、料理長と大喧嘩したことも(自分は副料理長)今となっては良い思い出です。
    今は職も離れその店ももうありませんが、頂いた言葉は胸の奥にしまい込んで、時折取り出して励みにしています。

    ユーザーID:4502446619

  • レスになっていなくてすみません

    良いトピですね。

    私自身はそのような体験がなく、
    レスになっていなくて申し訳ありませんが、
    みなさんのレスを読んで、何度も涙を流しています。

    このようなトピが
    ランキング上位を占めてくれると良いな・・と思います。

    ココロ温まるトピをありがとうございます!

    ユーザーID:5731277885

  • 駅のホームで

    長男が一歳になりたての頃、電車を待っていたらホームで見ず知らずの女性に話しかけられました。
    「その子何歳?」と。私が「一歳になったばかりです」と応えると
    「よく頑張りましたね。この子表情が素敵ね」とそれだけ言って行ってしまわれました。

    当時は初めての育児と周りの心無い言葉等で育児ノイローゼ気味だったので、この言葉のおかげで救われました。

    ユーザーID:9777075284

  • 主人と結婚した日に


    主人と結婚した時に義母から抱きしめられて言われた言葉です。

    「○○(私の名前)、あなたには今までお母さんがいなかったけど、あなたは今母親も、それに優しいおばあちゃんだって2人も出来たのよ」って。

    私には母がおらず、父とも疎遠で。
    義母は本当に理想の優しい母でした。
    その後行ったカフェで、義母はいきなり店員さんに向かって

    「見て!この子私の新しい娘なの!可愛いでしょう!!」って。

    国も言葉も違う私を本当に大事にしてくれる母です。
    生まれて初めて、母親の愛情を感じることができて、
    主人と結婚したことをとても幸せに思いましたし、
    国際結婚の大変さも、全て楽しさに変えることができた言葉でした。

    今でももちろん仲良しです。

    ユーザーID:1534078629

  • 「おめでとうございます」

    息子はアナフィラキシーを起こすほどの食物アレルギーです。
    アレルギーということがわかった生後半年くらいからは
    何を食べさせるにもドキドキして
    毎日3回の食事が緊張の連続でした。

    そんな中迎えた2歳の誕生日。
    注文していた息子の誕生日ケーキをお店に取りに行きました。
    もちろんアレルギー用のケーキです。
    中身を確認して受け取り、会計をすませ、店を出ようとした時
    店員さんに「ありがとうございました」と言われるものと思っていたら
    「おめでとうございます」と声を掛けてくれました。

    今思えば、マニュアル通りだったのかもしれません。
    けど、アレルギーのことでいっぱいいっぱいで、
    毎日眉間にしわを寄せていた私に
    その言葉は大事なことを思い出させてくれました。

    「生まれてきてくれてありがとう。
    今日はとてもおめでたい記念日だよ」ということを。

    ユーザーID:1483507163

  • 傘に入れてくれた女性

    いい話すぎて涙が止まらず、最後まで読めませんでした。

    私も先日、彼氏と大ゲンカの末に別れて、
    寂しさと悔しさを常に心の中に抱えている状態でした。

    先週の真冬並みの気温で雨が降った朝、
    傘を持っていくのを忘れて、駅から勤務先まで一人濡れながら歩いてました。
    速足で抜き去った女性が後ろから、
    「傘、よかったら一緒に入っていきませんか?」と
    声をかけてくれて、傘に入れてくれました。
    「今日は寒いから、濡れると風邪ひいちゃいますよ。どうぞ。」って。
    結局、勤務先が同じビルだったので最後まで入れてもらい、
    エントランスで何度も頭を下げてお礼を言って別れました。
    「今日もお互い仕事がんばりましょう」
    と笑顔で言われました。

    失恋にうちひしがれて、失恋の原因だった彼氏の不幸を願っていた自分がとても恥ずかしくなりました。
    そして声をかけるのだって勇気が必要だっただろうその女性の優しさに涙があふれてきました。
    どうかあの人に幸せが訪れてください。
    って素直に思うことができました。

    落ち込んでないで、前を向こうって気付かせてくれて感謝してます。

    ユーザーID:7676835116

  • 友人の何気ない一言

    成人して家を出るまで過ごした私の家庭環境は、よくありませんでした。
    肉体的にも精神的にも傷つき、親を殺せば楽になるのか、
    自分がいなくなれば楽になりなるのか、いつも追い詰められていました。

    短大の時に部活動に参加していたのですが、
    ある日部室にいくと、部員の一人がお茶を入れていて、
    私の顔を見て「ブラックスノウのお茶、入れたよ」と笑顔を見せました。
    その時、家庭では感じたことのない他人のやさしさに、
    張り詰めていた心が緩み、別室に駆け込んで号泣しました。
    あふれる涙を自分でもどうすることもできませんでした。
    漠然と自分はずっと孤独なんだと思っていましたが、
    その時初めて他人との接点を感じました。

    自分の家庭の問題は話していませんが、
    当時の部員とは20年たった今でも交流しています。
    今の彼女は、2人の子供を持つ素敵な女性です。

    ユーザーID:6293245709

  • だいぶ昔の新聞で

    投書欄で読んだ話ですが、
    盲導犬の同伴が断られることもまだ多かった頃に喫茶店に入り、
    席に座ったら、冷房が強かったせいか、犬がくしゃみしてしまったそうです。
    よりによって飲食店でと焦っていたら、お店の人が
    「いい子だから、誰かにうわさされちゃったのね」

    あー、そりゃ仕方ないなー。
    と、周りの人も思ったことでしょう。

    ユーザーID:7184267992

  • ええなあ様

    ありがとう。泣きました。
    ご家族のお幸せをお祈りしています。

    トピ主様
    横レス失礼しました。お赦しください。
    それと、良いトピをありがとうございます。
    生きる勇気が湧いてきます。

    ユーザーID:6903072875

  • 他人というわけではないのですが、

    お酒が大好きな父が病気を患い、合併症の肺炎で急死した翌日の通夜の席でのことです。
    私は父に何か出来たんだろうか。父はどういう思いで逝ったんだろう。と考え悩んでいました。
    そこに父の弟(叔父)がやってきて

    「これが兄貴の人生だった!」と言いました。酔っ払いでしたが(苦笑)
    その言葉に何故かは分からないけど、心のもやもやが取れ少し救われた気がしました。

    ユーザーID:0005503586

  • 前向きな気持ちって大事。

    先天性の重い病気を持った子供を育てています。
    2年前心肺停止になり、その後遺症で寝たきりになってしまいました。

    その時の入院で子供がまだ集中治療室にいた頃、子供が赤ちゃんの頃お世話になった看護師さんに病院内で声を掛けられました。
    「大丈夫、子供の回復力は計り知れないから、きっと元気になりますよ」って。

    子供は1年近い入院の後、無事家に戻ってきました。
    今はまだ自分で動くことが出来ませんが、彼女のおかげで『絶対良くなる』と信じて過ごす事が出来ています。

    ユーザーID:3231165742

  • 4年前の上野駅で

    4年前、大好きだった彼が今まさに浮気をしていると知った夜、いてもたってもいられずに彼のいるはずの上野へ行きました。

    終電のなくなった真夜中の上野駅周辺はよっぱらった男性であふれかえり、そんな場所で私が一人泣いていることを知っているはずの彼は着信拒否。
    彼と築いてきた数年来の思い出が、足元から崩れ去っていくのを感じました。

    酔っ払い男性が「慰めてあげるよ〜」と擦り寄ってくる中、中年のおじさんがつかつかと寄ってきて「立て!こっちこい!危ないだろうが!」と私を上野駅前の交番まで引っ張っていってくれました。
    「泣くならここで泣け!」と言い残して去っていったおじさん、本当にありがとう。

    交番でおまわりさんが一言「悔しかったね」と。
    この言葉でワンワン泣きました。あのときのおまわりさん、ありがとう。

    それから始発がでるまでの数時間、私の愚痴を聞いてくれ、隣にいてくれたサラリーマン。緑のワンピースで泣いていた私です。
    あの時は本当にありがとうございました。感謝しています。

    この3人の男性のお陰でその日無事に家に帰ることができました。

    トピ主さん、素敵なトピをありがとう!

    ユーザーID:7163200284

  • うーん

    人じゃなくて、本だけど。
    しかも漫画本で、ドラえもんだけど。

    「人にできて、きみだけにできないなんて事あるもんか」
    「なんだ、こんな簡単な事が、なぜ今までできなかったんだろ」

    この台詞に何度励まされたことか。

    ユーザーID:8530256974

  • お母さんと同じのが良い

    私は足が悪く、時々車椅子に乗ってます。
    昔住んでいた家のお隣さんに
    「お子さんがかわいそうですね」
    と連呼されて悲しかった。

    ある日、子どもの三輪車を買いに行ったら
    子どもが「お母さんと同じのが良い。
    お母さんとおんなじみたいのが乗りたいの」
    って照れながらリクエストしてくれました。
    「それはちょっと無理かなぁ(汗)」って言ったけど。

    スイちゃんの番組にも車椅子が出ていて嬉しかったみたい。

    ちょっと嬉しかったなぁ。
    時々膝の上に乗せたり、押してもらったりしてるけど
    杖や杖がなくても歩けるときになると「車椅子乗らないの?」
    って寂しそうに言います。
    「これはそういうもんじゃないのよ〜」って説明するけど。

    ユーザーID:1177581746

  • 職場なのに

    泣けてきてやばいです。

    このトピを読んでて私も思い出しました。

    息子がまだ0歳のとき、初めての育児、そして手がかかるわが子に振り回され、心身ともに余裕がなくて、そのせいで主人とも険悪になりいっぱいいっぱいだったとき。

    散歩に出てればとりあえず泣かなかった息子をベビーカーに乗せ、近所をウロウロ散歩してると、向こうから小学生(1年生?)の3人組が。
    何気なく、すれ違ったら、そのときに

    「こんにちはーー!」って元気な声で挨拶してくれました。

    数日、主人以外誰ともしゃべってない状態だったので、その挨拶が嬉しくて嬉しくて。

    泣きそうになりました。

    ユーザーID:2203697511

  • おばあちゃん

    中学でイジメられた。
    皆から無視され、馬鹿にされ、毎日が寂しくて悲しかった。
    ある日帰り道に通る公園で、一人ベンチに座るおばあちゃんに会った。
    なぜか惹かれて、少し離れて座った。
    挨拶をした。それから仲良くなるまで時間はいらなかった。
    毎日学校帰りに公園に寄り、おばあちゃんと沢山話をした。
    ある日おばあちゃんに、イジメられていることを言った。
    私は嫌われ者なんだよ。って言うとおばあちゃんは

    「私はあなたが大好きよ。」

    家族以外に大好きなんて言われたの初めてで。本当に救われた。

    おばあちゃん、私社会人になりました。今四年目です。
    中学ちゃんと通ったよ!

    私もあなたが大好きでした。

    ユーザーID:8865623353

  • 幸せになるんやで

    小さな地方の営業所でひとりの留守番事務員でした。上司は週に一度出張から帰ってくるのみ。
    仕事だけでなく電球の交換からパソコンの配線から何でも一人でやらねばなりませんが、基本的に自由で私の性格には合っていました。
    でも一人暮らしだったので下手すると一日誰とも話さずということもありましたが
    集配の宅配便のおっちゃん(お孫さんもいるくらいの年齢の方でした)が良い人で
    集配に来るたびに世間話したりお菓子をあげたり貰ったりしていました。嫌なことがあった時もおっちゃんの笑顔に癒されてました。そして七年。
    途中、おっちゃんがリストラされかかった時もありました。続けられるとわかった時は二人でヤッタヤッタと万歳しました笑。
    そして七年目。私は結婚して遠い県へ嫁に行くことになりました。同僚もいないのでひっそり会社を去る最後の日、
    いつもの夕方の集配におっちゃんが小さな可愛い花束を私にくれました。
    「幸せになるんやで」と泣いてくれました。私も泣きました。
    ありがとうおっちゃん。幸せにやってます。

    ユーザーID:8061379996

  • 母が亡くなったあと。

    入社1年目に病気で母を亡くしました。
    葬儀が終わってから1週間くらいは会社を休んで実家におりました。
    毎日、お線香を上げに誰かしらが来てくれていましたが、
    私は若かったので挨拶程度で、世話話は父に任せていました。
    ある日のこと、お年を召したご婦人を見送ろうと、弟と一緒に玄関まで
    出て行ったとき、靴を履いてから振り返ったそのご婦人から言われました。
    「お母さん亡くなって、さびしいでしょう」
    弟と二人で、「はい」と素直にうなずきました。

    割と若くして親を亡くしたので、気を使ってその話には触れない人が多かった
    のですが、そのご婦人からは率直にこちらの胸の内を察してもらえたことで、
    とてもあったかい気持ちになれました。

    その方が母とどのような関係で、父とはどんな話をしたのかは知りませんが、
    あの優しい表情と声は今も忘れません。

    ユーザーID:5909245043

  • 感動です

    トピをみていて、あったかい気持ちになりました。私も、このごろ思い出しては涙が出ることを一つ書こうと思います。
    子供が3年生で転校するとき、担任だった先生が子供に言ってくれた言葉です。
    「○○くんなら、絶対大丈夫。新しい学校で嫌なこともあるかもしれない、行きたくない日もあるかもしれなけど、少し我慢していくんだよ、○○くんなら絶対大丈夫だからね、がんばってね」と言われていました。そのときも、感動しましたが2年近くたった今でも、思い出しては涙が出てきます。
    自分に言われた気になるのか、絶対なんていってもらえる息子は幸せだな〜と思うのか分からないけどそんな先生が子供の人生の中で一人でも居てくれることが母としてなんだかうれしいです。

    ユーザーID:7798609730

  • 心の母

    離婚歴のある30代男性です。

    元妻とはほとんど口も聞かず、朝ごはんもお弁当も晩御飯も無い生活が3年続いていた頃です。
    毎朝会社近くのおにぎり屋さんに行っていたんですが、お店を出る時『いってらっしゃい』と笑顔で送り出してくれました。
    久しく温かい言葉に触れていなかった心にジーーーーンと来ました

    この言葉、元妻にかけて欲しかった・・・

    ユーザーID:6661891135

  • 海外でのこと

    私は良くも悪くも注目度の高い中国で、助けられたことがあります。

    視察旅行で中国へ行った時、ホテルのエレベーター内で日本人女性から「携帯を盗まれ警察に行きたいんだけど…」と相談を受けました。当時中国語を少し勉強していたとは言え、全く自信はなかったのですが、とりあえず一緒について行く事に。

    でもホテルのフロントも「近くの警察?知らない。」だし、タクシーつかまえても「知らない」で軽くあしらわれ…無理かなぁと思っていたところ、初めに断られたタクシーが戻ってきて「乗って」と。メーターを使わなかったので、ぼったくられるかな?と心配しつつ、「コレも勉強代…」と思ってとにかく頼る事にしました。運転手さんは次々派出所に止まっては事情を説明し、何とか紛失物届けの書類を発行してくれる警察所までたどり着きました。降りる時、私が普通の運賃よりかなり高めにお金を渡したところ、

    「お金はいらないから、早く行きなさい。警察はあそこだよ、見えるね?」

    と言ってお金をいっさい受け取りませんでした。何気ない一言…とはちょっと違いますが、騙されちゃいけない!と気を張る中国で、すごく助けられた出来事でした。

    ユーザーID:8550498353

  • 母の葬式で。

    25歳のころ、3年間の闘病生活の末、母が亡くなりました。
    そのお通夜には、
    色々な友達がやってきてくれました。

    当時私は劇団に入っており、
    劇団の中間たちもかけつけてくれました。
    みんな色々と声をかけてくれたのですが、
    何も言わなかったリーダーが最後にひとこと

    『・・・待ってるからな。』

    その一言が一番心に染みました。
    ああ、私には待っていてくれる仲間がいるんだって。

    あの一言がなかったら、
    母親が無くなった悲しみから立ち直るのに、
    結構時間がかかったかもしれません。

    リーダー、この場を借りてお礼を言います。
    本当にありがとう。

    ユーザーID:8994197060

  • 義母のことば

    30年ほど前の話です。

    当時3歳と1歳の娘を育てていました。
    わが家に何かの折りに遊びに来た義母。
    娘達となんやかやおしゃべりしたりして遊んでくれて
    いました。

    「もとこさん、上手に育てているわね」
    居間に戻ってきた義母が一言。

    なにかそう言ってくれる理由があったと思うのですが
    それは全く覚えていません。

    上の娘との会話やしぐさから多分そうした言葉が出たんだと思います。
    私自身はその時もう30代半ば、それなりの年齢で子供を生みましたし
    子育てに悩んだりしていたわけではありません。

    それでもこの言葉は今でも時折思い出すのです。
    とても嬉しかったことだけは覚えています。
    なにげない褒め言葉を言える義母。
    亡くなってから随分経ちますが、その娘も結婚して義母にとっては
    ひ孫に当たる子もいる今を見たらどんなに喜んでくれたかと
    しみじみ思います。

    ユーザーID:1895856320

  • 総合病院の待合で・・・

    娘が生後3カ月頃のこと。
    股関節脱臼の定期検査で総合病院を訪れました。

    ぐずる小さな娘の声が
    周囲の人を更に疲れされてしまうのではないか?
    迷惑かけてはいないか?
    と、ドキドキひやひやしていました。

    ふと、隣にかなりご高齢のおじいさんが座りました。
    愚図る娘をじーっと見つめて

    「こどもは、国の宝じゃ」

    ゆっくりおっしゃいました。
    思わず涙があふれる私。

    そのおじいさんは間もなく御年百歳とのこと。

    「百歳違う赤子と共に過ごせたのぅ」


    もう6年前のお話です。

    ユーザーID:7473200141

  • 深夜番組にて

    もうずーっと前の深夜番組です。
    ギャルが色んな仕事に挑戦するというコーナーで、その日は焼き芋の屋でした。
    夜中にリヤカーで「いしや〜きいも」と叫びながら屋台を引くギャル。

    全く売れずに彷徨っていると一人のおばさんが「下さい」と。
    ギャルは「こんな夜中にどうするんですか?」「母がこの(後ろ)病院に入院してるから夜食にね」っと。
    お札を差し出すおばさんに、小銭の用意をしていなかったギャル。なので
    「あ〜、お釣りないからあげます!」と。

    そしたらそのおばさん急にボロボロ泣きだしてしまってました。
    「こんな夜中に知らない娘によくしてもらって」って。

    たぶん、そのおばさん、毎日の中で凄く疲れていたんだと思います。
    自分では意識していないけど張りつめた毎日に貰ったちょっとした優しさ。

    なんだか、おばさんを思って深夜のギャル番組見ながらボロボロ泣いてしまいました。

    ユーザーID:5802497476

  • 病院で

    母が脳出血で昏倒し、病院に救急搬送されました。いつ急変してもおかしくない状況だったので、娘の私は、病室に泊まり込みで付き添っていた時のことです。
    父は、母が倒れたことで気が動転しているので、医師との面談や身の回りの世話などひとりでやっていました。
    しばらくたち、母は、意識こそ回復したものの半身不随となり、その時は上体を一人で起こすことも、話すことも、食事すらままならないような状態でした。
    身体の状態に合わせて、リハビリが始まりました。
    病室にはじめて作業療法士の方が来た日のことです。小柄な女性のその人は、部屋に静かに入ってくると母の横にある小さな椅子にそっと腰掛けました。
    そして、母の名前を呼び、こう言いました。
    「いま、何か困っていることはないですか」
    その穏やかな、落ち着いた声音。じっと母の眼を見ながら、「病気」を見るのではなく「人」に語りかける口調に、ベットの横にいた私はぐっと胸が詰まるような感覚になりました。入院後、初めて自分の気持ちを救ってくれる人が現れたように感じたのです。入院してすでに数カ月たっていました。
    あの人の笑顔、たたずまいは忘れられません。

    ユーザーID:3267523223

  • ホントにちょびっとですが

    久しぶりにレスを書く気になりました、トピ主さんありがとう!

    私はバスでのこと。
    夜遅くなって走って走ってやっと飛び乗ったバスで、お金を払おうと見たら万札しかお財布に無かったのです。
    先払いバスなので「ないなら降りてよ!」と言われたことが昔あったのでうろたえて「どうしよう、万札しか無い…(帰りが30分遅くなる)」とつぶやいたら運転手さんが「ああ、両替できますよ」
    と両替してくれたのです。それも自分のらしい財布で。

    たったそれだけです。
    でもその日つらいことがあって、早く家に帰りたくて仕方なかった私にはホントに仏さまのように見えました。

    ばっちり名前も見といたよ!運転手さん!
    今度親切な運転手さんとして投稿しとくね!

    ユーザーID:8507277987

  • 英語の先生

    子どもの頃から愛想が良くて美人でかわいい姉と比べられて育ったおかげで、
    無愛想で偏屈で自分の事を世界一のブサイクだから幸せになんてなれないと思っていました。
    中学に入った時、姉の妹が入学ということで先生方が代わる代わる私のいる教室に見に来ては、
    「似てねーな」「本当に妹?」など言いたい放題でした。そんな中、英語の女性の先生だけが
    「お姉さんの目はまん丸だけど、あなた目は切れ長でとってもきれいなアーモンドアイよ!」
    と言ってくれました。親からも誰からも自分の容姿を褒められた事がなかったので、
    それはそれはうれしかったです。
    その後も何かにつけて「字がきれい」「髪型がいいわ」など褒めてくださったおかげで、
    ちょっとだけ人の目を見て話すことができるようになりました。

    ユーザーID:8604146779

  • 初めての

    出産後、自分の育児がいいのか悪いのかも
    分からず、ひたすら頑張っていたときの事。

    通りすがりの年配の女性が息子を見て、
    「幸せそうな顔をした子だね」と言って
    くださいました。

    この表現が自分も認めてもらえたようで
    とても嬉しかったです。

    ユーザーID:5071045188

  • ホームシックの時に・・・

    海外短期留学での米国のハイスクールで寮生活を送っていた時。
    初めての一人での生活、慣れない英語、黒人が普通に歩いている現実、すべてが真新しい文化に接し、ホームシックになりました。
    何もかも一人で行動しないと!という変な観念にとらわれ、一人で町を歩いていたら(今思えばキケンな行動ですが・・・)、
    "Excuse me. Your skirt so cute!"と声をかけてくれた黒人のおばちゃん♪
    ビックリしました。スカートを誉めるためにわざわざ呼び止めるなんて・・・。
    一気に米国が大好きになった瞬間。
    そして、またいつか戻ってきたいと思った瞬間。
    この言葉に励まされ、短い期間ではありましたが、この留学が充実したものになりました。

    ユーザーID:6593158518

  • 本当に助けられた

    思い出したこと。
    昔、離婚したばかりの頃にオカマさんのいる店に行きました。
    まだ元夫に未練があり、引きずっていたところ
    元夫とよく似た声のオカマさんがいて、酔っていた私は甘えました。
    一緒にいた仲間が訳を話していたんだと思います。
    すると地声(元夫とそっくりな声)で
    「もう離婚したんだ!お前なんか用はねえ!」と言ってくださいました。

    そのあとに彼女は元に戻り
    「そういうものなのよ。もう忘れなさい」と繰り返し言って
    笑ってくださいました。
    誰も傷つけたくないと言い、いい顔をしていた元夫を
    やっと振り切るきっかけになりました。

    あの一言は似ていたので余計に目が覚めるきっかけになりました。
    酔いもさめたけど。

    ユーザーID:1177581746

  • タクシーの運転手さん

    梅雨時期タクシーに乗りシトシト雨の降る中通り過ぎるアジサイを見ながら泣いていました。職場で理不尽な目に遭い続けて孤立していた頃。疲れ果て声も出さず外に顔を向けていたのでバックミラーにも映って無いはずだったのに、
    落ち着いた感じの運転手さんが突然何てこと無い話を優しい京都弁でし始めました。納得行かなくても人生を真っ直ぐに見ている様な飄々とした口調に、自分の傷も消えて勇気を分けてもらえた気がしました。慰めてくれたのかはわかりませんが、本当に嬉しかった。

    ユーザーID:7306309936

  • 貴方のいるレジにしか並ばないのよ

    昔スーパーのレジでバイトをしていました。
    人一倍内気で、トロくて物覚えの悪かった私。
    仕事もよくミスをしていて、上司から叱られる日々。
    周りのバイトの子達のように、上手に振舞えず、情けなく、もう辞めよう。そんな事ばかり考えていました。

    ある日、レジを打っていたら、一人のおば様が並ばれました。
    その人は、決まった時間によく来店される人で、今まで直接何か話した事はなかったんですが、「あ、またこの人、買い物に来たんだな」という顔見知り程度のお客様でした。
    普通に接客し精算後、そのお客様から、
    「ありがとう、私、よくここに来るけど、どんなに他が空いてても、貴方のいるレジにしか並ばないのよ。あなた、いつも丁寧で親切だわ。他の人は忙しいとそんなの構わなくなるのに、貴方だけよ。これからも頑張ってね。」
    そう言って、微笑んで帰られました。

    初めてこの仕事をして、「自分を認めてくれる人がいるんだ!」
    と思えて、目が熱くなりました。

    お客様の言葉に冴えなかった私は救われ、私の出来ることを頑張ろう!前向きに変われました。
    あの時のお客様、本当にありがとうございました。

    ユーザーID:0363634667

  • 電車の中で中国人ママに

    4年前の雪が降る寒い12月
    主人が脳腫瘍内出血し救急で搬送され、腫瘍が悪性か良性かの結果が出るまでの一週間、ただの脳内出血で大丈夫よ!と主人には内緒にし毅然とした態度を努力し、3歳の娘と世間はクリスマス一色でキラキラ幸せに行き交う繁華街の人混みを毎日電車で病院まで面会しに行ってました。
    悪性なら5年ももたない の言葉が辛く、帰りの電車の中で娘を抱きながら大泣きしていました。
    中国人の親子が前に立ち、ディズニーショップ帰りの袋を持った男の子が、袋と同じキャラクターの髪飾りをしている娘の頭を見て、買ったばかりのミニーちゃんのキーホルダーを娘に渡しました。
    中国人のママは優しい声で Merry X'mas present for you.と言って電車を降りて行きました。
    神様が泣かなくていいよ結果◎と言ってくれたようで涙が止まりました。
    結果◎今は元気に働いています。
    あの時頂いたミニーちゃんは、今も我が家の守り神です。
    優しい言葉を ありがとうございました。

    ユーザーID:8394562260

  • あなたはまだ若いんだから長く生きなきゃ

    数年前、母が脳梗塞の発作で入院し、点滴治療を受けることになりました。隣のベッドのおばあちゃまはいつもにこにこと声をかけてくださって、絵で描いたように優しいお顔でした。そのおばあちゃまは新興宗教を信じていて、毎晩寝る前に母にも3分間もお祈りをしてくれたそうです、「あなたはまだ若いんだから長く生きなきゃ」と言って。いつも健康だった母の突然の入院でしたし、私はなんでもすがりたい気持ちもありましたし、心からありがたいと思っていました。

    ある時、母から、そのおばあちゃまが最終ステージのガンで、おなかがパンパンに腫れていること、痛み止めのモルヒネすら効かない状態であること、そしてご家族の借金で自宅が没収され、家族も1度もお見舞いに来ていないと知りました。あのおばあちゃまの神々しい笑顔、痛みで苦しんでいるはずなのに会ったばかりの母に祈りを捧げてくださるその気持ち、どこから出てきていたんでしょう。

    その3年後、母はまた発作を起こして亡くなりましたが、おばあちゃまに助けていただいた3年の間に私が嫁に行く姿も見てもらえました。あのおばあちゃまの尊い祈りの気持ち、そしてあの笑顔、忘れられません。

    ユーザーID:0635720467

  • 遙か昔の新婚旅行で

    いいトピですね! 皆さんの文を読み進めるうちに優しい気持ちになれました。  私はアラフィフのおばさんですが、その昔、結婚はお見合いで決めました。
    新婚旅行でヨーロッパに行ったのですが、お見合いだったので旅行先で初めてお互いの意外な一面が見え始め、喧嘩ばかり・・・
    もう、これは成田離婚だ!!という感じで、せっかく行った旅行先で主人は先をすたすた歩き、私は後を距離を開けてとぼとぼと歩いておりました。
    するとそれを見ていらしたのでしょう、ベンチに座っていらしたご婦人が、独り言のように「あぁ、私もこうだったわ。若い時はみんなそうよ」と言うのが聞こえたのです。
    とても懐かしそうに・・・  私の英語力ですから少し違うかもしれませんが・・・   それから今日まで夫婦喧嘩は勿論多々ありましたが、その度に何故かあのご婦人の言葉が思い出され、ま、いいかぁ!と思えるようになりました。 あのご婦人はどうされているでしょうか? 今は自分があのご婦人の年齢になりつつあります。  

    ユーザーID:4014576291

  • 元気がでる言葉

    小学校低学年の頃、男なのにガリガリの虚弱体質。全校集会や運動会では
    貧血で倒れてました。

    ある日、自衛隊員だった父の友人が数人で家に遊びに来ました。その中の
    元軍人のおじさんが私を見て、戦争中の強くて勇敢な兵士の話をたくさん
    してくれました。そして、最後に
     「国のために、死ねる男になれ!」
    と言って帰りました。

    戦死しなさいという意味ではなく、強い男、大物になれ! 小さなことに、
    くよくよするな! 勇気を出せ! などを、まとめて言った言葉だと思います。

    小学生だったので、言われた時には何とも思いませんでしたが、何故か
    今でもこの言葉を覚えていて、辛い時や落ち込んでいる時に思い出すと
    不思議と勇気づけられます。

    P.S
    看護師さんの「手当て」の話、ジ〜ンときました。看護師さんって親切だし
    優しい人が多いですよね。

    ユーザーID:8805741405

  • ありがとう

    いやぁ、皆さんの話に感動しまくりで、私は何に救われただろう、と考えました。
    ウツになった私をただただ見守ってくれた友人に感謝もしていますが、私が今までで一番泣いてしまったのは、やはり彼の言葉です。

    私は兄と8歳違い。私が物心ついた時には不良(苦笑)。母は幼稚園の時に家を出ており、『家族』は冷えまくりでした。母と小学5年の時に再会した時の母からの言葉は「あなたはパパが酔っぱらって乗っかってきてできたのよ」でした。家庭が冷えててネガティブだった私には「私なんでこの世にいるんだろう」と思わせるばかりでした。
    駅のホームで「ここで線路に落ちちゃえば・・・」と考えたことも度々。でも、そんな私を愛してくれる彼と出会えました。たくさんの話をして、「生まれてきてくれてありがとう。生きてきてくれてありがとう。そして俺を愛してくれてありがとう」と言われた時、やっと私がこの世に存在する意味を理解できた気がして・・・私のほうこそ「私に生きる意味を与えてくれてありがとう」でした。

    ユーザーID:2555366731

  • 患者さん

    大学病院に勤務していた時…。
    異動で新しい病棟で働いていた私は、経験年数はあるのに上手く動けない。
    などと初日から先輩に叱られていました。

    全く違う病気、ケアも処置も違う。
    重箱の隅をつつくような注意だけしかしてもらえなくなり、スタッフが怖くて仕方なかった時期。

    毎日、残業と勉強で睡眠時間もままならず、必死だった夜勤の朝の検温。

    「〇〇ちゃん(なぜか私には患者さんから愛称で呼ばれていました)」と手招きする患者さん。
    駆け寄ると…
    私の手をつかまえて
    「辛かったね。すごくしんどかったよね。頑張ったね。ありがとう。」
    と掌にチョコレートをふたかけ。

    泣くわけには行かなかったけど、ありがとうございますの言葉が詰まって、
    涙いっぱいの笑顔しか返せませんでした。
    程なくして、身体と心を壊し退職しましたが、新しい職場できちんと患者さんと向き合いたい、
    寄り添いたいという気持ちの原点です。

    ユーザーID:1347386738

  • お願い!!

    横ですがこんなに暖かく人間に生まれて良かった、ありがとう!感謝の気持ちが湧く多くのレス、宝物は暫くお続けになり、本になったらどれだけの方達が癒され救われるでしょうか?。人間未だ捨てた物ではないのですから。。。読売新聞さんTVより本を是非宜しく御願い致します!!!!

    ユーザーID:1682682558

  • ステキなトピ!!

    参加させて下さい〜〜。

    まだまだ小娘だった○年前・・・。

    前日に、大好きだった彼にこっぴどく振られた私は、
    仕事中だというのに大泣きしながらパソコンに向かっていました。
    止めようと思っても、後から後から涙が出てきて止まりませんでした。

    さすがに不審に思った向かいの席のおじさん(上司)が、
    どうしたの??と聞いてくれて、
    「昨日、彼氏に振られたんです・・・」というと、

    「よく頑張って会社に来ましたね」と一言。

    その言葉でぐわっと来て、さらに涙が止まらなくなってしまいました。

    今思えば、仕事しろよーって怒られても当然の状態だったわけですが。
    来てもほとんど仕事できてないようなもんだったのに。
    若かったなー、わたし。

    あれから色々恋もして、
    プライベートと仕事はきちんと切り分け出来るようになりました。

    ユーザーID:2767505930

  • 思い出しました。

    留学中の大学院2年目で失恋しました。その当時一緒にプロジェクトをしていたクラスメートに進行報告のついでにメールに書いたら、あなたをガールフレンドにする人は誰でも幸せな人だと思うといってくれたんですよね、何んだかすーっと気持ちに入ってきて、救われましたね。

    その後同じ会社に就職して私はほかの州のオフィスに行って、彼女は1年後に転職。私は、彼女の兄弟会社に転職。時々仕事上のつながりがあって、でもすっかり忘れていました。彼女も結婚してママになったと聞きました。

    ありがとう。

    ユーザーID:7289280549

  • 「見ていてくれてありがとう」

    小学校時代仲が良かったAが、中学に上がり不良になりました。
    そして当時堂々としていた私はいじめのターゲットになり
    Aからもいじめられるようになりました。

    負けず嫌いの私は不良達と毎日対等に張り合っていたのですが
    ある日プチッとキレた私は机を張り倒し
    不良達に向かって叫びました。
    その時不良側にいたAに向かって「Aは変わっちゃったね!」と号泣しながら訴えたのです。
    あまりの騒動に私と大人数の不良の周りは学年中の生徒に取り囲まれていました。


    それから一週間後、商店街でAのお母さんに声をかけられました。
    「Aのことを見ていてくれてありがとう」

    何のことかわからず話を聞くと
    私がキレた日、Aは家に帰り母親に
    「…ねぇ、お母さん。
    私は変わっちゃったのかな?
    今日どんべに変わったと言われたんだ…」


    と涙を流したのだそうです。


    Aのお母さんもその話をしながら泣いていました。
    そして何度も「ありがとう」と言ってくれました。



    あれから15年。
    思春期の問題ある児童に関わる仕事についています。


    「気持ちは必ず伝わる」


    Aのお母さんから教えられました。

    ユーザーID:4138362804

  • 高速道路の料金所で

    素敵なトピをありがとうございます。

    5,6年前のことですが、一人暮らしをしていた赴任先で心身ともに疲れきっていたときのことです。仕事が思うように運ばない、彼ともうまくいかない・・あの頃は自分のことが嫌いで仕方なかったように思います。

    眠れない日が続き、このままではいけないと、非番の前夜に高速に乗って実家に帰りました。情けないことですが、両親の顔を見たくて仕方がなかったのです。

    数時間のドライブを経て、料金所で車を止めると、係のおじさんがにょきっと出した手には「飴玉」が乗っていました。にっこり笑って「運転、お疲れさまです」

    ただでさえ泣きそうな状態に、想定外の温かい言葉と心遣い。胸って本当にあつくなるんだな、と実感したことを覚えています。

    今は高速といえばETC車両が増えていますが、ETCだったら経験できなかった人の温かみを感じることができました。料金所のおじさん、本当にありがとうございました。

    ユーザーID:8682813252

  • 私もありました。

    第一子を流産してしまったちょうど3年前のことです。

    親にも勤めていた会社にも妊娠を報告していなかった為、どん底に落ちた心と悲しみを隠して過ごしていました。

    唯一、妊娠と流産を話していた幼馴染がいち早く外に連れ出してくれ、
    言ってくれた言葉が

    「元気なだけで、それだけでいい」

    でした。

    あぁそうか、生きているだけでいいんだなぁと目の前が明るくなった感じがしました。

    ユーザーID:2414568123

  • ありがとうを今もいいたい

    今から40年ほど前。
    私がまだ小学1年か2年生の頃です。
    今から楽しみにしていたアニメが始まるという時間に、
    急に母と兄が出掛けることになり、一緒に連れて行かれそうになりました。
    私は出掛けるのが嫌で留守番すると言い張り、
    諦めた二人は私を残して出かけてしまいました。
    でも一人家に残された私は急に怖くなり、TVどころではなくなって、
    県民会館にある碁会所に行っていた父に帰ってきてもらおうとしました。

    でも子供だった私は電話を掛けたこともなく、
    一生懸命電話帳を見ながら番号を押したはずですが、
    違う番号に掛けてしまったらしく、
    知らない伯母さんが電話に出ました。
    泣きながら「間違えました…」と言う私を不審に思ったのでしょう。
    おばさんはどこに掛けようとしたのか等を聞いてくれ、
    掛けてあげるからと言ってくれました。

    しばらくして、父が帰ってきました。
    知らない女の人から電話が掛ってきて怒られたそうです。

    あの時電話の向こうで泣いている女の子を心配して
    電話を掛けてくれたおばさん。
    ずっとお礼を言えずにいました。
    本当にありがとうございました。

    ユーザーID:1714697854

  • タクシーのおじちゃん!!

    初めての出産でひどい産後鬱になり、里帰りしてた実家で包丁を取りだし、娘と死ぬと騒動を起こし、兄に追い出され、タクシーに乗り家に帰ってました。
    タクシーの中で号泣し、仕事中の夫に帰ると電話をしたあと、急にタクシーが止まりました。

    「今、思う存分泣きなさい。辛いことはこれからもたくさんあるけど、あなたにはかわいい娘さんがいることを忘れてはいけないよ。きっと娘さんの笑顔があなたを助けてくれるから頑張るんだよ」

    それだけを言われて、わたしが落ち着くまで1時間近く付き合ってくれました。それから5年たち三人の娘を育てていますが、笑顔が絶えない毎日を過ごしてます。あの時のおじちゃんのおかげです!!

    ユーザーID:4775713958

  • 感動

    皆様のお話を読んでて、とても心洗われた気分になりました
    言葉って魔法だなーって思ってしまった。

    ユーザーID:4896663803

  • ありがと

    不器用で目標から逃げた経験のある私は 自分にできる努力を怠ったという負い目みたいなものがありました。

    「職業婦人にはなれなかったなぁ。」と何気なしにつぶやいた私に
    「しあわせ婦人にはなれたからいいやん」と小学生の息子が言ってくれました。

    そうだね・・ありがとう。

    身内の一言ですいません。

    ユーザーID:2542824639

  • 素敵なトピをありがとうございます。

     なんだか心があったかくなりました。
    初めての育児で最近心が折れていましたので、ありがたいです。
     そういえば自分もいろいろと皆さんにされた優しいことを思い出しました。
     他人ではないのですが、昔、異動で慣れない環境、仕事もミスばかりでパニック、
    うつ気味になっていたとき、
    職場の上司に「もう私だめです。辞めたいです。」と訴えたら
    「辞めるなら俺が異動してからにしてね。」と言われてうれしかったです。
    その後上司は異動しました。私は現在は育休中です。
    また復帰するのが不安ですが、がんばろうと思います。

    ユーザーID:1118468601

  • すれ違ったおばちゃんに

    夏のある日、自宅から駅に向かって歩いていたら、
    前から歩いてきたおばちゃんからすれ違う時に
    「あなたほんと綺麗ね〜」って言われました。

    綺麗だなんて当時38歳、38年間生きてきて言われたことなんて一度もなかったです。
    感激でそれからしばらくは顔をあげて背筋を伸ばして歩いてました。

    ちなみにまわりには誰もいませんでした。
    だからきっと私です、間違いありません(笑)

    ユーザーID:2912269082

  • 他人ではないけど

    故郷から遠く離れたところに就職して、引越しの時には、父が来てくれた。
    田舎から県外に出ることも数えるしかなかったため、往復切符をそのまま駅員に渡してしまい、
    帰りの切符を買ったらお土産も買えなかった父。
    スーツも持っていなくてそのためだけに買って、躾糸をつけたまま職場にあいさつしてくれた。

    3年ほどたって母が遊びに来てくれたとき。
    お金もなく、碌に案内もできず、お土産一つも持たせることができなかったとき。
    夜の上野駅で、夜行列車で帰る母を見送り、私の方の最終電車が出るから
    先に帰り。と、言った母。その言葉のままに帰ろうとしたとき、
    振り返ったら、泣き出していた母。

    姉にもわがままばかり言っていました。

    顔を合わせると、喧嘩ばかり。決して仲の良い家族ではないけれど。

    ずっと一緒にはいられないわがままな私を許してください。
    お互いに不器用なこと、わかっています。
    ありがとう。

    ユーザーID:1014624822

  • 心が温まりました

    素敵なトピをありがとうございます。


    私の他人からもらった言葉は、

    10歳にもならない頃、
    DVの親から逃げて姉と二人で深夜に近所を
    泣きながら歩いていると、
    通りかかったおばちゃんが、
    「辛いことがあるんかもしれへん、
     でも負けるな。がんばりや!」
    といってくださいました。

    顔も憶えてないけど、
    お礼をいいたいなぁ。
    今とても幸せですよって。

    ユーザーID:9152873326

  • 変わってないよ。

    10代の頃、家庭環境のごたごたをきっかけに、グレてました。金髪で化粧にピアス、制服を着崩して学校は退学寸前でした。

    ある日地元の駅で偶然、昔近所に住んでいた10歳以上年上のお姉さんに出会いました。私はすぐに気づきましたが、私の変わりように向こうは気づかないか、気づいても見なかったふりをするだろうと思ったら、真直ぐに私のほうにやってきて、「XXちゃんでしょ?大きくなったね、私のこと覚えてる?」とニコニコしながら話しかけてきたのです。ほんの数分たわいのない話をした後、「よくわかったね、私変わっちゃったでしょ?」というと、「すっかりお姉さんね。背なんか私よずっと高くなっちゃったね」と笑って言ってから、すっと私の目を見て

    「でもね、優しくてがんばりやさんなとこはちっとも変わってないよ。私の知ってるXXちゃんのまんまだよ」

    この一言がなかったら、私は薬や犯罪に手を出して落ちるところまで落ちていたかもしれません。彼女のこの言葉のおかげで、退学になってもいいと思っていた高校をなんとか卒業し、浪人しましたが大学に進学し、いま普通に生活しています。

    本当にありがとう。

    ユーザーID:6731474497

  • 言葉ではないですが、部屋を捜してもらいました。

    トピ主さん、素敵なトピをありがとうございます。
    私もこの場をかりてお礼を言わせていただいてよいでしょうか?

    当時私は離婚したてで住まい探しをしていたのですが、独りで生きて行くために技術を身につけるようと勉強を始めたばかりで、学校と掛け持ちしていたアルバイトのみが収入源。当然部屋探しは難航。何件もの不動産屋さんで貸せる物件はないと言われ、疲れ果てて入った不動産屋さんで、初めはそれまで同様好感触は得られず、やけっぱち(?)になり洗いざらい身の上を話した所、そういう事ならととても熱心に部屋を探してくれました。そして、後日同じ店を再訪問し、その方は不在だったので、別の方に名乗った所、「社長からMarさんがいらしたらお力になれるように頑張ってと言われています。」と言って下さり、最初の方は社長さんだったと判明。とても美しい女性の方でした。

    結局その不動産屋さんでは条件にあう物件がなかったのでお借りしませんでしたが、離婚して仕事もなくて不安でしかたなかった時にとても励まされました。
    もう10年も前の話ですが、本当に助けられました。ありがとうございました。

    ユーザーID:0268886037

  • ちょっと横ですが…

    皆さんの話を読んで心をほっこりさせてもらっています。

    私の場合、言われた事でなくて気がついたことなのですが…。

    つい最近友人が癌の闘病生活を終えて亡くなってしまいました。まだ48歳の若さです。そして気がついたのは、いつも“歳をとっちゃって”という自分の愚痴の甘さ。本当は歳をとっちゃったのでなく、歳をとる事が出来たという事実。この歳まで生きられたというありがたさ。それを考えたら年寄りの方達がとても尊く思えました。そして生かさせてもらっている限り、小さな事でもいいから社会に良い事をしなくては、と思いました。
    娘よ息子よお前達も私が社会にした良い事の一つぞよ。頑張れよ。

    ユーザーID:5182978915

  • 再投です

    助けられたとは違うんですが、ある年配の男性との会話の中で、お酒も少し入っていて、自分の人生っていつもお別ればっかりなんですと言って愚痴ってしまいました。
    両親も離婚して私も家を捨て、帰れる場所もなく、学生時代も不器用な私は人と仲の良くなるのもやっとでした。胸の中はいつも淋しくて。そしたらおじさんが凄く悲しそうな態度でぽつりと「それだけじゃあないんだよ・・」と。私ははっとしました。人生を決めつけてるのは自分だと。自分が寂しいからって他人まで寂しい気持ちにさせてはダメだなって思いました。
    あの時私の愚痴を受け止めてくれたおじさんの優しい口調は今でも胸の中に残っています

    ユーザーID:7306309936

  • 別れ

    3年間付き合って、結婚しようと思っていた彼に振られた時、親友が、振られたってあなたの価値が変わるわけではないと慰められました。ありがとう!親友!

    一人でアメリカに渡って、私が本当に一人でやっていけるのかと、超心配していた時、あんなに私の渡米を反対していた父が、”あんたはゴキブリのような人だから、どこに居ても頑丈に生きていける。”と励ましてくれました。お父さん!大好きよー!長生きしてね。

    ユーザーID:6424660452

  • いいトピですね

    5年ほど前、仕事で取り返しのつかないミスをして本当に自信をなくし、
    もうこの仕事をする資格がないと思いつめていました。
    同じ時期に膝の怪我も重なって生活にも難儀して…。男性運も最悪で…。暗い時期でした。

    ある日の朝、寝坊してしまい膝も痛くて急げないので
    思い切ってタクシーに乗りました。
    運転手のおっちゃんに「仕事も失敗して、怪我もしてしまって何もかもうまくいかないんです」とぼやくと

    「長い人生でたまたま良くないことが近い時期に起こっただけだ。
    あなたは大丈夫だ。元気出して頑張りなさい」

    と言ってくれたんです。見ず知らずの人でしたが心にジーンと滲みました。
    おっちゃん、あの時はありがとう!

    ユーザーID:9479911206

  • 昔のこと

    20年ほど前のことです。

    私(男)は会社をやめ、アルバイトで道路工事現場の誘導員をしていました。
    将来への不安を抱えながらの日々でした。
    ある日、小学生の女の子が「よっ、がんばってるね!」
    と声をかけてきました。
    それからは毎日、その小学生と挨拶するのが日課となりました。
    地味な仕事と思っていましたが、見ている人も
    いるのだなと、心の中が暖かくなりました。

    その後、希望していた業種に転職を果たし、
    小学生と会うことはなくなりなりましたが、
    落ち込んでいた自分を励ましてくれたこの
    「小さな彼女」の言葉は、今も素敵な思い出として、記憶に残っております。

    ユーザーID:4984448784

  • 笑って!

    2001年6月結婚しアメリカに来ました。
    夫は当時学生で、ついた翌日から学校へ行ったきりの日々。
    住んでいたのは日本人などまったくいない学生街。
    治安が悪いわけではないけれど、上品なところではありませんでした。
    バス停まで数ブロック、大通りまで出るのも緊張していました。

    そんなある日、バス停から家に戻ってくる私はどんな顔していたのでしょうね。
    ある家の玄関先に座っていた大きな黒人さんにいきなり「笑って!」と言われました。
    ぽかんとしていると、また「笑って!」とジェスチャーつきで。
    ぎこちなく笑うと「よくできた!」みたいに親指立てて「笑ったほうがかわいいよー」と。
    それを聞いて自然に笑みがこぼれました。
    黒人さんももちろん笑顔。

    あれから月日がたち、この国では未だ「外国人」で馴染んだ感じはしないけれど、自分から笑いが消えているなと思ったとき、あの黒人さんを思い出します。

    ユーザーID:1329825227

  • 職場で…

    病院で働いていた時、長く経過を見ていて、よく私に声をかけてくれていた末期患者さんばかりを立て続けに看取る事が続いていて、看護師経験が長くても、気持ちを切り替えられずにいました。その事で、看護助手さんにも、いちいち患者さんに思い入れをし過ぎるな、と注意される事もあって、私には看護師は向いていないのでは、と辛かったです。
    そんな時、亡くなった患者さんの奥様に、『いつも何かと気遣って見ていてくれる貴女と一緒に看取る事が出来て良かった。ありがとう。主人は幸せだったわ』と手を握られ、お礼を言われました。私もボロボロ泣きながら『ありがとうございました』とその温かい手を握り返しました。救われた気持ちになり、看護師を続けて行こうと思いました。あの時の奥様には感謝してもしきれません。

    ユーザーID:0113543873

  • 退職した時

    みなさんの思い出、涙しながら読んでいます。

    長男が生まれてすぐに働き出した今の職場。
    少し年が離れて長女が生まれ、長男が入学し、
    仕事と家庭と育児、うまく歯車がまわりませんでした。

    常にイライラしていて、その原因がそれらをこなせない自分にあるにもかかわらず、
    イライラの矛先が子どもたちに向かっていたのです。

    長年勤めた会社でしたが、
    子どもとの時間を選択し、退職することにしました。
    どれも「適当に手抜き」をする事ができなかったのです。

    最後の勤務日。
    お世話になった方々に挨拶をしてまわりました。
    「せっかくここまで来たのに、辞めるなんてもったいない」という方が多い中、
    ある年配の女性が
    「仕事なら、積んできたものがある。
    でも子どもとの時間は取り戻せないんだよ。
    あなたはいい選択をした、充分に愛情を注いであげなさい」

    今まで押さえていたものが、一気にあふれ出しました。
    子育ての先輩からの一言、本当にうれしくて救われました。

    ユーザーID:3581825057

  • 家庭の奥さんのほうが向いてるよ。

    資格を取り、好きな仕事についてそれなりに楽しく一生懸命働いてたのですが、年々疲労し、消耗して煮詰まってしまい、成果は上がらないし、仕事内容は相変わらず好きだったのですが、人間関係もうまくいかなくなってしまって…という、典型的なダメOLに成り下がった私。

    鬱々とした日々のある日、あまり仲のよくなかった同僚が、タイトルのようなことをチラッと言いました。
    なんだか「あっ」と思ったんですよ。
    結婚
    ということを発想したことがなかったから。

    全く別の発想を、しかも仲のよくない人から教えてもらった、

    私、家庭の奥さんという幸せもあるんだ…

    と思いましたね。人によっては逆の発想もあるでしょう。

    今の自分の位置と全く別の考えを知るってすごいことなんだな、と思いますね。
    しかもその鍵は、私がキライな人が持っていたのですから。

    ユーザーID:3886598146

  • 部長からの一言

    いいトピですね。

    以前勤めていた会社でのこと。
    私は電話をとるのがすごく苦手でした。
    舌っ足らずで、方言丸出し、緊張してしまうので対応もシドロモドロ…
    でも部長はこう褒めてくれたのです。
    「momoちゃんの電話の出方は、素朴で相手をホッとさせるね。相手は用件を話しやすい」と。
    ものすごく嬉しかったし、自信が付きました。
    それ以来、電話を取るのが好きになりました。

    部長、ありがとう!

    ユーザーID:7922264867

  • 看護師さんのひと言

    いいトピですね。
    仕事中だと言うのに、涙と鼻水が止まらなくなってしまいました(仕事しなさいよ)

    私からも、一つ。

    父に胃がんが見付かり、近くの病院で手術をしたのですが、術後の経過が悪く、
    大きな病院へ転院する事になりました。
    救急車で搬送されたのですが、「道をあけて下さい」と言っているのにあけて
    くれない車は多いし、父は苦しそうにうんうん唸ってるし…で、これからどうなる
    んだろう、と呆然としていました。
    やっとの事で病院へ到着した時、担当してくれた看護師さんから言われたひと言。

    「此処へ来たからには、もう大丈夫ですよ」

    連日病院へ呼び出され、緊張のしっ放しで疲れ切っていた私の心に、すーっと
    しみ込んで行き、ホッと安堵したのを覚えています。

    その看護師さんの予言通り、父は完治し、元気過ぎるほど元気になりました。
    時々、ムカつきますが(笑)

    ユーザーID:0254853679

  • 看護学生の時のお話です

    いいトピですね。私も参加させて下さい。

     
    学生は各病棟で実習をするのですが、精神科に実習に行ったときのことです。
    当時私は体調が悪くあの過酷な実習が辛かったのと、グループメンバーでうまくいっていなかったことで、かなり落ち込んでいました。

    今ちょっと忘れてしまいましたが、何か出来事があって私は泣くためにトイレに駆け込みました。
    誰もいないと思っていたのに患者さんがいました。その患者さんがさりげなくいいました。
    「人生いろいろあるよね。ファンデーションかそうか?」といってくれました。
    そして私はハンカチで涙と鼻水をふいていたら、また違う患者さんから、「目と鼻を一緒に拭いてはだめよ。目は大切!」その患者さんは目が片方見えない方でした。

     私は患者さんを助けたいと思い看護師を目指していたのに、逆に患者さんから助けられました。
    患者さん達の優しい言葉がとてもとても嬉しくて、励まされました。

     私が今でも看護の仕事を続けていられるのも多く患者さん達に力をもらっているからだと思います。 

    ユーザーID:1224822560

  • スーパーにて

    皆さんのレス、うるうるしながら読ませていただいています。

    息子が生まれて、何もかもがいっぱいいっぱいになっている時期。
    今までは、ちょっとそこまでのお出かけもパパッと1人で行けていたのに、
    子どもがいるとそうはいかず。

    そんなとき、近所のスーパーで買い物し、レジで清算しているときのこと。
    レジの女性が「生まれたのね〜。お腹が大きいことも知っていたし、
    最近見ないな〜と思ってたのよ」といって下さいました。

    よく行くスーパーではあったものの、女性と親しくお話しすることもなく、
    店員さんと客、という関係だったのに、見ていてくれる人はいるんだ、
    親である私は、もっとこの子を見てあげないといけない!と

    決意を新たに持つことが出来た一言でした。
    そのスーパーには、今も買い物に行っています。
    そして、「大きくなったね」と必ず声をかけて下さいます。

    ありがとう。

    ユーザーID:6121214966

  • 日本中の人に

    本当に素敵なトピで、涙をこらえるのが大変。


    たった一言でこんなにも救われる人が大勢いるなんて。
    心の貧しい時代、このトピを日本中の人が見て、日本が変わっていったら
    どんなに素晴らしいだろうと思います。


    感想だけでスイマセン。でも言わずにいられなかった!

    ユーザーID:5654059189

  • 同期からの言葉

    複雑な家庭環境で、父親も祖父も居ない私。
    同期の結婚式に参加したとき、つい
    「私はバージンロードを一緒に歩く人がいないんだなあ」とポロッとこぼしたら、
    同期の男の子が、
    「そん時には俺がじーちゃんにでもとーちゃんにでもなってやるから」
    と一言。

    恵まれた環境に育った人が多い我が会社の中でどうしても不平等感が拭えずやさぐれてた私でしたが、
    彼の一言で本当に救われました。

    彼は何の気無しに言ったようですが。

    それから数年経ちましたが、未だバージンロードを歩く機会が皆無なのが残念な限り(笑)

    ユーザーID:9081955012

  • このトピにも

    助けられました。
    優しい人がいて、それを受け取れる気持ちを持った人がこんなにいるんやなって。
    読んでたらちょっと泣きそう(笑)

    今遠恋中で、たまにしか会えない彼と一緒に歩いていると、
    知らないおばあさんが「あんたら、仲ええわ〜」と声をかけてくださり、
    手をひらひら〜って振ってくれました。びっくりして嬉しくて、二人して笑顔で会釈を返しました。
    応援してもらったみたいな気がして。

    離れていて寂しいし、体力的にも大変(移動で)だな、と思うこともありますが、
    仲良く頑張らなきゃなって思います。応援してもらったから。

    ユーザーID:5844307992

  • スミマセン

    このトピとレス、外では読めません。どれを読んでも泣けてくるから

    ユーザーID:5757894446

  • 26歳がん患者

    24歳で胃がんで手術し、集中治療室に入った時、夜中に手術した事がわかっていないおじいさんが暴れ周り、看護師さんが何とかするために必死だったのを見ました。
    次の日の朝、私の体調チェックに来たのは同じ看護師さんで、思わず「昨日、大変でしたね。いつもなんですか?」と聞いたら
    「まぁ、そうですね。でも大丈夫です。」と言い、続けて「私あなたの1つ下なんです。だから頑張って下さい。」と言われました。
    なんで「だから」とつくのか今思えばわかりませんが、すごく嬉しかったです。

    ユーザーID:0066110466

  • 皮膚科の先生

    主婦湿疹が酷くて、いっつも手の皮がぱっくり割れていたので、皮膚科に通っていました。

    私の手を診て先生が「ダラ奥さん、よう頑張っとるねぇ。頑張りすぎやわ」と仰いました。

    子育てや家事は、夫からは滅多に評価されませんので、とてもうれしく感じました。

    ユーザーID:7673817717

  • 人生これからや!

    もう20年以上前の話。

    私は宝塚を受験、1次試験敗退でした。
    18歳の小娘、九州からの受験で関西は良く分かりません。
    不合格を知って、どこかに寄るわけでもなく、
    そのまま帰りの船に乗るため、港近くの喫茶店に入りました。

    店内は、まだ「モーニング」の時間。
    小さい店ながら、そこそこ繁盛しており、お客さんたちは、それぞれの時間を過ごしていました。

    私は、オーダーのあと、ずっと不合格を嘆き、泣いていました。
    すると、ある一人のお客さんが声をかけてくれました。
    理由を話すと、
    「宝塚を受けたことだけでも、立派!」と言ってくれ、
    次第に店内にいたお客さんに話が飛び火。
    「人生、これからや!」
    「あなたを応援してる人が、大阪にはぎょうさんおるで!」と、
    店中の人が、口々に励ましてくれました。

    本当に、あのときの感謝は、今でも忘れられません。

    関西人の心の温かさに触れたときでした。
    あのときのみなさん、ありがとうございました。

    ユーザーID:1831836063

  • 天使

    二人目を妊娠中に体を壊し、病気と怪我とフルタイムの仕事、2歳の長女の世話に追われて、くたくたでした。
    妊娠も後期だというのに、食べられず眠れず、1ヶ月で5キロ痩せ、おなかの子の体重増加もストップしてしまいました。

    長女がのんびりと就寝の支度をするのを見ながら、少しでも早く横になりたい私は
    「早く着替えて!ママは疲れてるの、少しママを助けてちょうだい!」と彼女に向かって声を荒げてしまいました。
    すると、とたんにキッと厳しい顔になり、
    「よし、わかった!ママ疲れてるのね。待ってて。いま○○ちゃんが、ママをむぎゅーっとしてあげるからね!!」

    天使だと思いました。
    自分が恥ずかしかった。
    もっともっとがんばります。

    ユーザーID:5373726240

  • 生まれてから・・・

    私は親に望まれて生まれてきた子ではありませんでした。
    実の母親にも泣かれながら土下座され「頼むから死んでくれ」とも小学生のときに言われました。

    自分は生きていてはいけない子なのだ。小さい頃から「将来」や「未来」ということを言ってはいけない身分だと思いながら成長してきました。

    そんな私も良い人と出会い結婚する運びとなり、式で着る衣装選びに母を誘ったその帰り、喫茶店でコーヒーを飲みながら・・・・

    母が言った一言でした・・・

    「人は何かしら、誰かしらの為に生まれてくるんだよ。これから(主人)君のためにあなたがあるんだから」

    っと言われたとき、23年苦しんできた重いにもつのようなものがふっと軽くなりました。

    今まで生きてきて良かったなぁっと本当に思ったこと、今まで複雑な家庭環境で育ってきたけど、確かに母の愛があったことに気付けてよかったです。

    ユーザーID:2702642691

  • 仕事と妊婦の葛藤中

    心あたたまるトピですね。

    私の妊娠中の話です。

    長年正社員で働いていたのですが、小さい会社で、一人一人の仕事量も
    多い所だったので、妊娠中も産休ギリギリまで朝早くから夜遅くまで
    (帰宅が0時になることも多々)働いていました。

    体はしんどいし、お腹の子どもにも、そしてもちろん心配して
    くれる夫にも申し訳なくて。

    産休まであと1日という時に、上司(男性)が私の仕事をしている
    姿を写真に撮ろうと言うので、照れるからいいですって断った
    ところ「これは生まれてきたお子さんが大きくなった時に見せて
    欲しいから。お母さんはこんなに頑張ってたんだよって見せて
    あげて」と・・・

    その言葉で涙があふれ、職場のトイレにかけこみ泣きました。
    ずっと気を張ってた糸が切れたように。

    今まで直接言われた事なかったけど、そうやって考えてくれてる
    人がいた事だけでも有難いなって。

    まだ子どもが小さいのでその写真の話はしていませんが
    いつか必ず見せたいと思います。

    ユーザーID:5907806521

  • バスの運転手さん

    この春から大学生になった長女が上京。
    いろいろと手のかかった子だったからこそ寂しさもひとしお。
    抜け殻のような気持ちで日々を過ごしていました。

    春なのにとても冷たい風が吹く中、駅前でバスを待っていた会社帰り。
    いつも乗ったことがなでいバスに「これも家の近くに停まるだろう」と
    寒さ半分投げやり半分乗ってしまい、
    最初の信号で家とは逆方向に曲がることに気付きました。

    赤信号で停車中に「ここで降りることはできませんよね。」と
    運転手さんに聞くと「ここではできません。」と。
    別にうらむわけでもなく「自分が乗っちゃったから仕方ないか。」と
    自分の浅はかさを反省。

    しばらく先の最初の停留所でICカードを当てて降りようとすると
    運転手さんがカードを当てる機械を手でぱっと覆って
    「いいですよ。」
    「でも。」
    「今回はいいです。」

    娘のいない寂しさで冷えていた心がぽっと温まりました。
    「私も人に優しくしてあげたいなぁ」と後ろ向きな気持ちを
    改めるきっかけになりました。

    あの時の運転手さん、ありがとう。

    ユーザーID:7487509088

  • 皆さん、ありがとう

    いろんなことが一気に重なってここ一カ月ボロボロでした。心が棘だらけでしたが、このトピを見てちょっとだけ元気になれました。ありがとうございます。
    そういえば私もさりげない一言で救われたことを思い出しました。不妊治療の末やっと妊娠したら、突然出血し切迫流産の疑いで緊急入院。
    空きがないので、中高年の女性ばかりの部屋で24時間点滴を受けながら泣いてました。隣の方が心配して声をかけてくれたのに、
    私はカーテンを閉め切って「大丈夫ですから!」と突っぱねてました。誰にも会いたくないほどどん底だったんです。でも、危険な状態を脱したころ、先ほどの方が「やっと落ち着いたみたいね、良かった」とにこやかに
    また声をかけてくれました。40代くらいのきれいな奥さんでした。それから退院までは和やかに過ごせましたが、私が無事出産し、中年となった今になって
    あの方は重い病気の治療中だったんだと思い当たることがいくつもあり、ご自分がつらかったのにこんな失礼な人間を心配してくれたことを今になってありがたく申し訳なく思います。
    今もお元気でいらっしゃることを願っています。

    ユーザーID:2451653052

  • もう15年前の事

    親と同居していた20代の頃、自分のおかした間違いを悔やんで、自分が情けなく、生きている価値もないと毎晩、声を殺して泣いていました。このまま泣き疲れて死んでしまうんじゃないかと思ったくらい。夜がくるのが怖かった。

    ある日、仕事から自宅に戻ると、近所でお通夜が行われていました。
    自ら命を絶たれた、歳の近い娘さんの悲しい悲しいお通夜でした。
    私もお焼香をさせてもらうと、憔悴しきった娘さんのお母様が、

    「Mちゃんは、お母さんを悲しませたらだめよ。」

    と言ってくださいました。
    その時の私の心中を知っておられるはずはなかったのですが、今の私があるのは、あの時の一言があったからと、いつも感謝しています。
    精一杯、生きさせてもらいます。

    ユーザーID:2545061448

  • トピ主さん、ステキなトピをありがとう!

    母を亡くして、火葬場での出来事。
    隣に立つ夫からは一方的に離婚を言われていたのに、
    一番相談したかった母には何も言えずの別れで、
    焼却場の扉が閉まる瞬間、係りの人を押し止めて号泣してしまいました。

    そんな私には誰ひとり寄り付かず、
    夫と義父母も雲隠れ。
    待合室でひとりボンヤリしてたら
    いきなり真横に誰かがドスンと座りました。
    「おまえなあ!」

    それは、30年ぶりに再会した、
    子供の頃から問題児だった従兄弟でした。
    あまりの乱暴者ぶりに、親戚は縁を切っているほどの。
    彼が葬儀に来たことも不思議で、みんなヒソヒソ話をしていたのですが。

    ビビッている私に彼は、ぶっきらぼうに言いました。
    「マルが泣いとったらアカンやないか。おかあちゃんが悲しむぞ」

    彼のひとことがなかったら、
    どうなっていたかわかりません。
    本当に感謝しています。
    彼はまた消息不明で、
    お礼も言えてないのですが、
    この場をお借りして言わせてください。
    マルは元気でやっています。
    再婚も出産もできました。
    ホントにありがとね!

    トピ主さんにもありがとうです!

    ユーザーID:0237572231

  • 主治医の言葉

    数年前に息子が病に罹り入院しました。命に係る重大な病気です。
    当時の私は息子を失うかもしれない恐怖と絶望のどん底でした。
    そんな時主治医がベットの傍らで点滴を見ながら言いました。

    「これで悪い細胞を叩くんです!」

    一見穏やかで頼りなさげな先生でしたが、この力強い言葉にこの先生
    ならきっと息子を救ってくれると思いました。

    あれから数年息子は元気になり今年高校に進学しました。

    ユーザーID:1238951496

  • 母に感謝

    皆さんのレスを読んで本当に感動しています
    最近育児で悩んでいたのですががんばろうと思いました
    本当にありがとうございます。

    出産後、主人の仕事の関係もあり、ちょっと長めに里帰りしていました。
    日に日に実家での子育てに慣れ、うちに戻っての子育てに不安を感じるようになっていました。
    そして、うちに戻る当日。車に乗る私に向かって母が
    「がんばってね!あ、でもがんばりすぎなくていいわ。○○ちゃん(子どもの名前)に風邪さえひかせなければいいのよ」
    と、一言。
    じーんときました。。。

    私の母は、私から見るとかなりきちんと家事や育児をしていた感じなので、出産前は色々厳しく指導(?)されるのではないかと思っていました。
    でも実際のところは、いつも私を励ましてくれ、批判したくなるところもあるのかもしれませんがそれは全く言わずにいつも温かい言葉をかけてくれます。
    母とは本当にありがたいものですね

    このトピのおかげでまたこの言葉を思い出し、がんばろうという気になりました。
    ありがとうございました

    ユーザーID:0392106661

  • 同期の一言

    入社して五年目ごろに仕事が突然増え、なんとかこなす
    毎日でしたが、一番下っ端だったため、忙しくても
    雑務も言われあちこち走り回ってヘトヘトでした。
    忙しすぎて顧客に連絡漏れをしてしまうミスをしたり
    精神的にきつい時期で泣きたくなることもありました。
    もう辞めてしまいたい・・・と思っていたそんな時に
    同期が自分だって忙しい上に私よりプレッシャーあるはずなのに

    「俺に出来ることあったら何でも言えよ。
    困ったことがあったらいつでも話せよ。力になるから」

    と言ってくれました。
    心が砂漠化していたけれど、その一言でとても救われました。
    どんなに忙しくてもちゃんと見てくれている人がいると
    思ったらつらくても逃げずに頑張ろうと思えました。
    同期はその後出世し今は本社で管理職になりました。
    相変わらず面倒見良く部下に好かれているようです。
    私はその時期を乗り切り、今では立派なお局になって
    まだまだ働いてます。

    ユーザーID:7585850577

  • 父の言葉

    私はある障害をかかえているのですが、不安な気持ちでいると「いつでも〇〇の見方だからな。安心しろ!」と言ってくれます。歳老いた父、持病もあるのに私のことを一番に考えてくれる父。心からありがとう。

    ユーザーID:0715466201

  • 学生時代の友人

    遠くからさんのレスを読んで思い出しました。
    何気ない一言ではないのですが・・

    31歳の若さで亡くなってしまった学生時代の異性の友人。
    ずっと闘病していたのですが、亡くなる少し前に私のことをお母様に話してくれていました。
    一旦快復して社会復帰も果たし、その時には快気祝いもしたのですが、その後私が結婚したこともあり
    連絡もとっていませんでした。再発して再び闘病していることも知りませんでした。
    密葬だったとのことで亡くなったのをしったのもしばらく経ってからでした。

    遠方のため電話でしかお悔やみを言うことができませんでしたが、
    お母様が「普段、ほとんど自分のことを話さないあの子が
    亡くなる直前○○さんのことをいい友達なんだって嬉しそうに話してくれたんですよ」
    と話して下さいました。
    その頃いろいろうまくいかなくて自分に自信が持てない日々だったのですが
    そんな風に思っていてくれたんだと思うと、頑張らなければと思いました。

    ユーザーID:8175557523

  • スーパーのレジで

    当時1歳と5歳の我が子を連れてのスーパーでの買い物。
    大きなカートと、言う事を全く聞かない子ども達、

    その日もやっとの思いでレジまでたどり着きました。
    ふと私の後ろを見ると、レモンたった一つを持って並んだご婦人。

    私のカゴは・・・と、大量の食材。
    「お先にどうぞ」と順番を譲りました。

    「ありがとう」と先にレジで会計をするご婦人。
    ふと、レジ脇の食玩が目に入ったようでした。
    さっとそれを手にすると、「これも」と会計に通しました。

    あ〜、この方も、うちと同じくらいのお孫さんがいるんだな・・・
    そう思ったとき、「順番譲ってくれて、どうもありがと!」と
    今レジを通したばかりのその食玩を我が子に持たせたのです。
    見ず知らずの方だったのでお断りしたのですが、
    「おかあさん、頑張ってるね!」と、ニッコリして、足早に去っていきました。

    だれもがんばりを認めてくれない、それが当然という育児の毎日。
    思わず涙がこぼれたのでした。

    ユーザーID:3581825057

  • 見知らぬおじさんありがとう

    全部読ませてもらいました(泣)
    少し違いますが私も一つ。
    小学校5年生の塾の帰り(雨の夕方)のことです。知らない男に後ろからつきまとわれ、
    路地に追いこまれ「○○○○みせて」と迫られた時、傘を放り投げ全力で走り出しました。
    ちょうど自転車に乗って傘をさしたおじさんが通りがかり、私は大声で助けを求めました。
    男はすぐに逃げて行きました。
    その頃の私は、内気で人見知りがはげしく、大人に勇気を出して駆け寄ったものの
    、そのあと何も話す事ができませんでした。
    おじさんは、一言「怖い目にあったんだね」と、自転車から降りて傘を差し出してくれました。
    そして、何も聞かずに一緒に歩いてくれました。
    恐怖心と男の顔と忌まわしい4文字の言葉などが頭の中でグルグルしている中、親を心配させたくないからこの事を知られたくないという思いをもちながら。
    私の家に着きおじさんは、そのまま去って行きました。それがとってもありがたかった。
    あの時いろいろ聞かれ、親にも伝えられてたら、心の傷がもっと大きかったと思います。
    1年位 恐怖心は続きましたが一人で耐え、乗り越えました。
    2年前に結婚した45歳です。

    ユーザーID:5541636386

  • それが子育てよ

    初めての子がまだ1才位だった頃、婚家の親戚が訪ねてきました。

    義父・義母・夫とも仕事で不在、私ひとりで対応せねばならぬと緊張しながらお茶を入れたりしていました。
    見渡すと、片付け途中でグチャグチャなオモチャ箱周辺・こちらも片付け途中で衣類が散乱していた子供タンスの周辺。
    恥ずかしさもあり『キチンとしたいのに、全部中途半端になって・・・見苦しくてすみません』と私。
    すると親戚は「それが子育てよ」「自分のしたい事いっぱいあるでしょ?でも思うように出来ないでしょ?」「それが子育てよ」と。

    なるほど!そういう事か!

    掃除や片付けが一気に進まず溜息ばかりだったあの頃、まさにドンピシャに心に響き、助けられた一言でした。

    ユーザーID:3939886951

  • 癌治療の副作用で

    10年前に癌になりました。治療をした後に副作用で髪がぬけ、まつげも眉毛もなくなりました。悲しかったけど、受け入れるしかないと強がり涙を見せずにいました。心にも副作用があって、落ち込むと這い上がれずにいることも…そんなときに娘の幼なじみの仲良しママと会いました。かつらを取り(ベリーショートすぎる!?)眉毛を書き、口紅をつけて会いました。わざと明るく振る舞っていたら、「きれいよ、とても。」と。そして「私はいつも一緒よ」と言われ号泣してしまいました。感謝しています。私の大親友です。おかげで今は元気です。

    ユーザーID:5193646564

  • 懐かしいですが…

    中学生の時に体育祭で審判係になった時、失敗をしてしまい審判係の女性の先生に激しい口調で叱られ半ベソをかいていた時に、隣のクラスの男子が「失敗したくて失敗したんじゃないんだよ。それに謝ってるだろ。しつこくそんな言い方ないだろ。」と言ってくれました。先生は下を向いたまま黙っていて、私は涙を堪えながら「ありがとう」を言うのが精一杯でした。まさに「惚れてまうやろーっ!」でした。

    ユーザーID:3174321734

  • このトピ大好き

    もう涙と鼻水でボロボロなのに幸せな気持ちです
    トピ主様、素晴らしいトピありがとう


    数年前私は30歳過ぎたのでガン検診しておこうと婦人科に行きました
    生理もつらく、筋腫でもあるのかな?と思って、先生に伝えて
    検査したら筋腫あり
    ガン検診もお願いしました

    数日後、検査結果を聞きに行ったら、陽性
    結婚したてで、目の前が真っ暗になった私の手を韓国籍の女医さんは、ぎゅっと握って、涙目で
    『大丈夫、大丈夫だから』と

    お医者さんの一言って重みがありますね

    大丈夫なんだ!と思いました

    今は大きな病院を紹介され治療中です

    あの先生、街の小さな医院ですが大人気の訳がわかりました

    私も先生が大好きです!ありがとう

    ユーザーID:9298643207

  • 初めての失恋で

    高校1年生の頃、初めて付き合った男の子が居ました。付き合い方も分からず、彼を傷つけました。大好きだったのに、愛情表現が分からなくて、自分から告白して、付き合いが始まって、ずっと仲良くして行きたいと思っていたのに、振られてしまいました。

    フラれた日、涙が沢山出ました。丁度雨が降って来て、私は傘もささずに信号で泣いていました。目の前の動物病院から、ミニチュアダックスフントを抱いた年配の女性が出て来ました。泣いている私に声をかけて下さり、「たった今、この子が癌で余命幾ばくも無いと知ったの。でも、この子はまだ生きているから、泣いちゃダメよね。」とご自分の状況を話して下さいました。

    私が泣いていたから、慰めてくれようとしたんだと思います。お礼を言えたかどうかも覚えていません。でも、あの時触れた人の優しさは覚えています。

    生まれて初めて味わった失恋は苦しかった。でも、同時に人の温かさも知りました。

    あの女性に倣って、私も人の痛みに優しさを添えられるような人になりたいです。

    ユーザーID:8496872785

  • 看護学生の時

    受け持たせていただいた患者の○○さんが、休み明けに実習に行ったら危篤状態でした。優しい笑顔と学生のわたしを受け入れてくださった○○さんが…数時間してお亡くなりになりました。
    私はただただご家族の肩を抱き締めることしかできませんでした。
    お見送りの時、ご家族のみなさまから「おばあちゃんはななかさんのこと待っていたんだね。」「いい看護師さんになってね。」と言っていただきました。

    今看護師を続けていて辛いことがあるといつも○○さんを思い出して頑張れます!!ありがとうございました。

    ユーザーID:2972033881

  • 優しい人がいっぱい

    会社の売店に、数年前まで勤めていた2人のおばちゃん。
    仕事で辛い時も、流産で落ち込んでいた時も、親身に話を聞いて力づけてくれました。

    売店運営会社の方針で、定年を延長して働いていたおばちゃん2人が同時に退職することが決まった時、
    おばちゃん達は言いました。

    「忙しくて大変そうだけど、この会社は優しくて思いやりがある人ばかり。
    私達のような別会社からの派遣店員を、行事に招待してくれたり社員旅行に誘ってくれたり、
    出張や帰省のお土産を買ってきてくれたり。
    こんなに優しい人でいっぱいの会社、50年もあちこちで仕事したけど他にどこにもなかったよ。
    いい会社だからね、誇りに思って働くんだよ」

    人間関係で苦労したり厳しい仕事でめげることもありましたが、人の良い面を見て接するようになれたし、
    会社に誇りを持てるようになったのは、おばちゃん達のおかげです。

    おばちゃん達退職の日、売店のカウンターは、お餞別や花束でいっぱい。
    狭い店内は別れを惜しむ社員であふれ返りました。

    おばちゃん達の言う通り、優しい人がいっぱいいる会社でした。
    気づかせてくれてありがとう。

    ユーザーID:2051741393

  • もうひとつ

    もう一つ失恋してました。

    自分が先走って相手に重たがられるというありがちなパターンでした。
    きちんと言ってくれればわかったはずなのに、
    相手はこっぴどく脅して二度と連絡してくるなというタイプの最悪なやつでした。

    私は自分が悪いんだと思い眠れませんでした。そのとき同居人の言った一言は、
    私たち女ならみんなそうよ、でした。

    その日から眠れるようになりました。

    ユーザーID:7289280549

  • 中学生の頃

    中学生の時に母が癌で亡くなりました。高校入試前なので何とか気を張って過ごしていたところ、父が事故にあい意識不明の状態になりました。
    (父の状態があまりにも悪いので当時はお見舞いにも行かせてもらえませんでした。)
    同じ市に住む親戚の家でお世話になり、肩身の狭い思いをしていた期間でした。

    友人のいとこの家が塾をしていたので友人と一緒にそこで勉強していたのですが、ある日、先生のお母さんが私に声をかけてくださいました。
    「話は聞いたよ。苦労してるんだね。でもね、人生は3つの期間に分けると絶対1つの期間は苦労するんだって。あなたは最初に苦労してるから、あとはずっと幸せだよ。」
    いつもこの言葉が支えになっています。そしてその通り私は高校生以降はずっと幸せに生きています。

    あともう1つ。
    誕生日に会社の先輩から「おめでとう。今のままのあなたが大好きだよ。」と短い文のカードをもらいました。自分のことでいろいろ悩みがあった時だったんですが、この言葉でワタシは本当に生まれてきてよかったと涙が出てきました。

    ユーザーID:4755331121

  • 天国からの「一言」...1

    もう20年以上も前の事ですが・・・。
    十代の頃に両親が離婚して母方についた私ですが、ずうっと父とは折り合えないままでいました。
    20代になって間もなくのころその父が事故死してしまいました。
    どんなに悔やんだかしれません。父にもう少し寄り添ってあげればよかったと・・。
    それでも若かった私は日々、自分勝手な問題に忙殺されていました。

    仕事も恋愛でも行き詰まり、自分の存在自体が許せなくて消えてしまいたいとまで思い詰めていたある日、夢を見ました。
    夢の中では、私は薄暗い古いレストランの中に一人たたずんでいます。
    皆と集まるはずだった、あるいは皆が待っていてくれるはずだった店は、もう椅子が片付けられていて誰一人私を待ってくれてる人はいなかったのです。
    肩を落として店の中を見渡すと隅に1つだけ明かりが灯っていル席が有りました。
    そばでよく見ると、数年前に死んだはずの父です。

    ユーザーID:5243971263

  • 天国からの「一言」...2

    父は本当に穏やかな笑顔で私を迎えてくれたのです。
    思わず泣きそうな声で「お父さん、待っててくれたの?皆帰っちゃったのに・・私の事待っててくれたの?」
    そう訊ねる私に、父はまたも優しい笑顔で言いました。

    「どこにも行く訳ないだろう・・・」

    嬉しさと切なさで私は大声で泣きました。その自分の泣き声で目が覚めたのです。
    この時私は、本当の意味で父を想い泣きました。
    そして生きていた時には持てなかった感謝の気持ちを感じていました。
    そしてまた少しづつながらも元気と勇気を取り戻すことが出来ました。

    そんな私も今では結婚して幸せな過程を持っています。
    花嫁姿見せられず感謝の言葉もかけられず、それどころか娘らしい事を何一つしてあげなかった父に今も詫び続けています。
    でも、今でもあのどん底の中で見た夢のなか・・父のあの一言が今も私を強く支えてくれているんです。
    もし今、目の前に父がいたら私が伝えたい一言は、ただただ心からの「ありがとう」です。

    ユーザーID:5243971263

  • これはいいトピですね〜!

    どのエピソードも、気持ちのよい涙がどんどん出てきます。
    このままレスも ずっと増え続けたらステキですね。


    仕事も恋愛も悶々としていたあの時。
    ひとまわりも年下の妹の結婚が 先に決まり、
    妙齢の姉である私を腫れ物のように扱う保守的な親戚に
    なにを言われるやら・・・と 気の重いまま迎えた披露宴当日。

    遠路はるばる、田舎から体調をおして集まってくれた
    高齢揃いの親戚を接待していたら、最長老の伯母がいきなり、
    「モチちゃんは ○○家の宝だねぇ」と言いました。

    なんの脈絡もなく、意味もいまだに謎のまま。
    でも、百の理屈より 胸にしみた。
    私の悩みなんか、話したこともなかったのに、
    こうして生きてるだけで、誉めてもらえた。
    ちいさい子どもみたいに、嬉しかった。
    「宝」なんて、もう2度と聞けないだろう。
    今、思い出しても 元気が出ます。
    万薬の長です。

    ユーザーID:0963379686

  • わたしのすごいところ

    母子家庭に育った私は子供のころから、仕事に忙しい母に放置されて育ちました。
    そのせいか、「やっぱりね」と思われないよう誠実な人を選び、家庭的な料理を作り、結婚と同時に仕事も変え、理想の家庭を築くのに必死でした。
    初めての育児で煮詰まりそうになり仕事へ復帰、家事育児仕事は一見うまく回せているように思ったのですが、職場の内紛や当てこすりのターゲットになってしまい鬱を発症。
    もう、動けない自分に腹がたつし、どうしてこう何も長所がなく、人が普通にできることさえできないんだ。もう私なんて最低だ、迷惑をみんなにかけている存在だ、って思ってばかりいました。

    ようやく薬にたよりつつ、普通の暮らしが戻ってきたころ、様子を見にきてくれた母と世間話をしていたら一匹の蚊がブーンと飛んでいました。それを私が「パチン」と1回で叩けたとき

    「あなた、昔っから蚊を捕まえるのうまいのよね〜」

    今、書くとたったこれだけなんですが、わーっと泣いてしまいました。私について勉強のこと以外興味がないと思っていた母が、私の普段の生活を見ていてくれたこと、こんな私でも人よりすごいことがあったんだ。。
    今書くと、本当に些細(笑)

    ユーザーID:1463480135

  • 他人じゃないですが

    生き甲斐だった彼氏にフラれ、友達ともうまくいかず、毎日家で泣いていた時、妹が言った一言です。

    「お姉ちゃん、人生には辛い事が3つ有るんだよ。一つは親が死んだ時。二つ目は私が死んだ時。三つ目は今だよ!」


    図々しく二つ目に自分の死を入れたあたりが妹らしくて、おかしくて笑ってしまいました。
    そうかもね、と思ったら少し元気が出ました。

    ユーザーID:5100071159

  • 一言を言った者ですが、

    ある会社に管理部長として入社した時に、ずっと一人で混乱して作業されていた女性に、「もう大丈夫です。心配しなくていいですよ。私の指示で動いていただいて、何かあっても困るのは私だから、あなたは大丈夫です。」
    と言った時に相手の女性が、いわゆる「惚れてまうやろ〜」の目になったのが分かりました。そういう時って、本当に分かるんですよね。

    やはり案の定、まわりから見ていてもバレバレのラブラブモードでちょっと困ってしまいましたが・・。

    ユーザーID:9551073133

  • 大阪のタクシー運転手さん

    20代で立て続けに両親を病気で亡くし、その後故郷の大阪を離れ関東に嫁いだため、知り合いも誰も居ない環境で両親の死も乗り越えられず、ただただ寂しい毎日を送っていました。

    そんな時大阪に急用ができ、久しぶりに帰省しました。
    タクシーの運転手さんとの会話の中で関東に嫁いだこと、これが久しぶりの大阪への帰省であることを話しました。
    そうすると、
    「おかえり。やっぱり大阪はエエやろ?いつでも帰っておいでな。」と。

    両親を亡くしてから「おかえり」と声をかけてもらったのが初めてで、涙をこらえるのにいっぱいでした。
    あの時の運転手さんの言葉を胸に故郷を思いながら今も頑張っています。

    この場をお借りしてお礼申し上げます。
    おっちゃんありがとう!!!

    ユーザーID:1128557827

  • 大丈夫

    出先で、このトピ読んで手持ちのポケットティッシュが無くなりました!(泣)

    私の体験談も書かせて下さい。子育て一段落しパートに出始めた頃。なかなか仕事が覚えられず先輩パートさんに怒られバカにされ、凹む毎日。
    いつものように怒鳴られた後、母親より少し年下のとても美人なパートさんが両手でそっと手を包んで下さり、じっと私の目を見ながら『大丈夫、大丈夫』と言って下さいました。縮こまった心がフワッと軽くなり、大きくて綺麗な瞳に吸い込まれそうになりながら、その手の温かさに泣きそうになりました。

    今ではその仕事は辞めてしまったけれど、彼女の事は時々思い出します。
    あんなお母さんになりたいな、と思いつつまだまだ成れそうに有りません。

    Nさん、この場をお借りしてありがとうございました。
    トピ主さん、このトピを立てて下さってありがとうございました。

    ユーザーID:4791942770

  • なわとび

    幼い頃の私の話。
    幼稚園でなわとびが皆よりできないので、「幼稚園行かない!」と夜布団の中で泣きながら父に言いました。いつも仕事で忙しくて、ほとんど遊んでもらった記憶がない私ですが、その時、父は「じゃあ、練習するか!」と言ってくれ、夜だけど一緒に練習してくれたんです。一緒に練習してくれたことがすごく嬉しくて、できるようになったかどうかも覚えていませんが、その光景だけはしっかりと覚えています。
    その父もあと1ヶ月で定年をむかえます。私には反抗期もあったのですが、忙しいながらもきちんと私と向き合ってくれていたから、今の私があるのだと思います。本当にありがとう、お疲れさまでした、と誕生日の日に伝えようと思います。

    ユーザーID:1424792409

  • 今でも胸に残る言葉

    ステキなトピですね。

    育休明けで復帰した部署が全くの畑違いで
    何をどうしていいか分からず、
    正社員なのにパートさんに教えてもらわなければ何一つ出来ず、
    それなのにパートさんより早く帰らなければならない毎日
    何をやってもうまくいかず、上司には嫌味を言われたり、本当に辛い時期だったあの頃。
    こんな状態で仕事を続ける意味があるのだろうかという無力感、
    小さな子供を犠牲にしている罪悪感で一杯でした。

    そんな時、「頑張ってるね、帰ったらぎゅーって抱きしめてあげるのよ、
    そうすればいい子に育つから大丈夫!!」って言ってくれた人がいました。
    本当に心に沁みました。ありがとう。



    5年後に下の子が産まれ退職しました。このご時勢にもったいないと色々な人に言われましたが
    「一生懸命仕事してて偉かったよね。でも、お兄ちゃん(上の子)にきょうだいが出来てよかった。
    ○○さん、本当によかった」と同じ職場の別の人が言ってくれました。
    あたたかい言葉に涙が出そうでした。


    どちらも私よりも20歳以上上の女性の言葉です。
    そんなステキな人になりたいです。

    ユーザーID:8175557523

  • パパありがとう!

    双子を出産してすぐ命にかかわるほど体調を崩し、半年ほど入院しました。
    子供は実家に預けたため、母は双子の赤ちゃんの世話で面会にも来れず疲れてもいて、「どんなに大変かわかってるの!?早く退院しなさい!」って私を怒っていました。
    でも父は二、三日に一回は面会にきて、私の体調だけを気遣ってくれ「何も心配しなくていいよ。病気も治るからね。」ってやさしかったです。他の人はまず赤ちゃんを心配していましたが、孫よりも娘の私を心配してくれる父の気持ちが嬉しくて今でも思い出すと涙がでます。
    あの時はありがとう。面会の後に家に帰ると毎日睡眠時間は三時間くらいで、母にかわり夜中のミルクまでやってくれてたと聞き、感謝の気持ちでいっぱいです。
    退院して初めて子供を見たらぷよぷよで良く笑うようになっていて、また感謝でした。

    ユーザーID:5640267372

  • 息子が小さかったころ

    4年くらい前のことです。

    仕事がうまくいかず、苦しい毎日でした。
    「あー、ママもう仕事やめたいっ」とイライラしながら(最低な母親です)
    小さな息子を自転車の後ろにのせ保育園の帰り道を走っていました。
    すると息子が後ろから「いい子いい子」と言い、頭をなでてくれました。

    本当に救われた気持ちでした。

    今では何を言っても反抗的な息子ですが・・・
    思い出させてくれて、トピ主様、ありがとう。

    ユーザーID:8175557523

  • タオル片手に読んでます

    良いお話ばかりで、泣かせてもらってます。

    自分もひとつ。

    地元が九州で、高校生の時に部活の大会で大阪に初めて行きました。

    大会も終わって、疲労困憊クタクタで大阪の商店街を歩いていて
    小料理屋みたいなお店も前を通りかかった時、お店の前を掃除していた
    おばちゃんが、「疲れてるみたいやな〜。よかったら休んでいきや〜」
    とお店の2階の部屋へ案内してくれました。

    夏の真っ只中、クーラーのきいた部屋で、冷たい麦茶まで出してくれ、
    その部屋で昼寝までさせて貰い、多分4時間くらい寝てたと思います。

    お店で何かを食べたわけでもなく、無料?で休憩させて貰いました。
    疲れていたので、本当にありがたかったです。

    この時から大阪、大好きになりました。

    地元の大学を卒業後、関西の会社に就職しました。
    今は、仕事も人間関係も最高です。

    あのおばちゃんがいなかったら、たぶん九州の会社に就職してました。

    ナイトスクープであのおばちゃん、探して貰おうかな。

    ユーザーID:2677079648

  • 泣ける〜!!!!

    本当に、このとぴ泣けます!
    いい、浄化作用で、スッキリ。また、がんばろうって思えますよね
    数日でこんなに沢山の素敵なレスがつくなんて。。。

    辛いけど、面白くないこといっぱいあるけど、日々うまくいかないことだらけだけど。
    現実が嫌で、どこか夢の世界に行きたいって思ってしまう。
    「喜怒哀楽の喜が最近ないな」と思ったり、人恋しく寂しくなったり、自分の短所ばかり責めてしまったり、将来に不安を感じたり。
    稼いで消費しての繰り返し。人生、いったいナンのために生きてるんだろ。ってふと思ったり、、そんな毎日。
    でも、それでも、人間っていいな〜って思っていたい。

    私も沢山あるけど、一つ。

    実家から送ってくる荷物。必ず母からの手紙が入ってる。母の懐かしい字を見るだけで、安心する。
    そして、毎回、その温かい言葉に涙ボロボロ。。。
    先日は、何だかんだ最近の出来事が書いてあって、荷物に入っている食べ物の説明、そして最後に添えられてあった一言。
    「ちゃんと食べてね。母より」

    号泣。。。。

    ユーザーID:6555607754

  • そうだよなあ…と吹っ切れた言葉

    実家住まいだったの頃の話です。

    母を自死で亡くし、それから約一年半しか経って無いのに
    再婚を決めた父。しかも相手は外国の方で、私とそんなに歳が変わらない…
    「父が決めた事だから仕方無いけど…悲しい。もう家を出ようと思っている」
    と、思わず先輩にこぼしてしまいました。すると

    「今まで育ててもらっただけ、ありがたいと思わなきゃ」

    ご自分も色々と苦労されてる、そんな彼女からの言葉。
    色々わだかまっていた気持ちが『そうだよなあ…』と吹っ切れました。
    その直後、ずっと就きたかった仕事に就け、それをきっかけとして家を出て、
    新しい土地で今の夫と巡り合えました。

    そうだ、その通りだ、今まで私は育ててもらってきた。
    これからは、父も私もそれぞれの人生を歩めばいい。

    心からそう思えました。ありがたかったです。

    ユーザーID:2343698074

  • 患者さんからのことば

    皆さんのお話しに、こころあったかくなっています。トピ主さんありがとう。

    私の話もさせて下さい。看護師として働いて23年がたとうとしています。約20年前、配置換えで新しい病棟の仕事に悩んでいたときに余命数ヶ月の女性が“あなたがこの病棟にきてくれてよかった。”と言って下さいました。私のような者をそう思ってくれる人がいるということが大きな支えになり頑張って来れました。患者さんからいただいたたくさんの言葉が宝物です。だからこの仕事が辞められないんですよね。明日もどんな出会いや出来事があるか楽しみです。

    ユーザーID:9592231386

  • まったく知らない他人ではありませんが

    1人目の育休明け復帰時、
    子供が保育園で毎日泣いて泣いてなかなか離れてくれず、
    身を引き裂かれる思いで預けて通勤していました。
    仕事はほとんど忘れてしまっていて、
    帰ると携帯の充電よろしくへばりつく子供の世話。
    とにかく毎日へとへとでした。

    仕事に戻ってきてよかったのか?私は不要なのでは?
    以前の仕事ぶりには戻れないのでは?と思っていた時、
    久しぶりに常駐先の客先から上司が帰ってきて、私を見て一言。

    「もっちゃん(私のあだ名)おかえり〜。待ってたよ〜!!」

    ああ、戻ってきてよかったんだ、と吹っ切れました。
    その後、常駐先に一緒に連れて行かれてこきつかわれましたが、
    今ではよいおもいでです。

    またもやずうずうしく2人目の産休中ですが、
    また頑張って仕事しますので待っていてください。

    ユーザーID:4876894519

  • 涙がとまりません

    素敵なトピックをありがとう。
    私も人に喜びを与えられるような
    そんな人になりたい。

    ユーザーID:1760676887

  • 涙でました。

    7、8年くらい前の話です。

    就職活動がなかなか巧くいかず、大学を卒業しても、夏になっても無職でした。

    同級生たちにもずーっと引けをとっているように感じ、辛い毎日でした。
    そのころ、飯田橋のハローワークで3ヶ月くらい、就職相談にのって頂いた女性がいました。
    毎週、どの企業の面接をして、どれから連絡がきたか、そのつど同じ方に相談していたのです。

    盛夏になり、気がよわってきて、ついその方の前で「私みたいな人間ってダメなんでしょうか・・」と言ってしまったのです。
    すると、その女性が(普段からおっとりと、控えめにお話なさる方でしたが)
    「そんな事ありません!頑張りましょうよ。私も頑張りますから。」と言って下さったのです。
    そしてその日、私の希望する会社への電話では「この方は御社の職種に最適なんです」と私を推薦してくれました。

    頑張れという周囲の応援が辛い時期だったのに、この方の「がんばりましょうよ」にトイレでマスカラが取れるまで泣きました。疲れきって乾いた心に沁みました。

    後日、その方が推薦してくれた会社に就職できました。
    今でも感謝しています。

    ユーザーID:1493364257

  • 親友の一言

    10年前、同じ会社の彼と約2年付き合っていましたが、ある日、仲のよかった後輩から無邪気に「私、○○と付き合い始めたんです!」と告げられました。
    要するに二股をかけられていました。

    色々あり、ボロボロでした。
    体重もガクンと減り、酒と睡眠薬に頼る日々でした。

    同じ頃、嫌な顔もせず飲みに付き合ってくれていた親友の海外転居が決まりました。
    いつもの如く一緒に飲みに行った時、親友が言いました。

    「雅。以前の雅に戻ってよ。
    今の雅じゃ、私、安心して行けない。」

    こんな嫌な私を見捨てず、付き合ってくれる温かい親友。
    海外転居を控え忙しく、また不安や悩みを抱えるこの親友に、たかが二股掛けられたくらいでボロボロになり…余計な心配をさせてしまっていた。
    私には、彼と比べものにならない程、この親友が大切だ。

    そう思った時、ツキモノが落ち、スパッと別れられました。

    あの一言で、私は自分を取り戻せました。
    彼女のくれた言葉で、生きる屍だった私は生き返ることができました。
    お互い家庭を持ち、離れていますが、彼女は今でも一番大切な親友です。

    ユーザーID:4956980917

  • いちから


    つい最近のこと。
    就職せず夢をおいかける、ときめたものの周りの人が社会に馴染んでいくなか、自分は成果も出ずアルバイトは忙しく恋愛もうまくいかず。
    何にもしたくない、どこにも帰りたくない、そんな気分でバイトをしていたら同僚の留学生から一言。
    「今日よく寝たら、あしたまたいちからできるよ」。

    がんばれ、や、だいじょうぶだよ、ではなくて
    いちからできるよ
    と言われたことがなんでかすごくうれしくて。
    その日は帰ってからわんわん泣いて、ぐっすり眠れました。

    ユーザーID:1558107624

  • ホストマザーと時計屋さん、ありがとう

    学生時代、英国にホームステイしました。
    英国人は入浴は週一と聞いていたので、ステイ3日目ぐらいに初めてお風呂に入り、シャンプーしました。入浴後キッチンにいるホストマザーにありがとうございましたと言いに行ったら、ドライヤーを持って待ってて「髪の毛、乾かしてあげる。私は娘がいないから憧れだったの。やっと私にも娘ができて夢がかなうわ。」
    5人姉妹のど真ん中の私は実母には髪をといてもらったこともありませんでした。

    その後英国人と結婚し英国で暮らし、ホストマザーには私の子供も孫としてかわいがってもらってましたが、お年が80を過ぎて入院、お見舞いに行った際に息子さんから後何ヶ月かもと知らされ、ショックを受けて車に向かう途中、腕時計の鎖の留め金が壊れているのに気づきました。時計屋さんを見つけ修理をお願いしました。10分程で店の奥から持ってきてもらったとき、’This old girl is fine for now.’(この老婦人も今のところ大丈夫)との言葉にありがとうと同時にぽろっと涙がこぼれてしまいました。時計屋さんは修理代も要らない、お茶でも飲みなさいと送り出してくださいました。

    ユーザーID:6710600351

  • いいトピですね。

    昔の職場で店長をしていた時、毎日数字に追われて、人間関係もうまくいかずもう限界で辞表を出そうか迷って上司に相談しました。
    そしたらその上司は自分がいつも売上売上って追いつめてるくせに、その時はガハハと笑って「売上なんか悪くても命取られるわけじゃないんだから頑張れ」って。
    そう言われたら辞める気もなくなりました。
    あまり好きな上司ではなかったけどその言葉だけはずっと忘れなくて、他の仕事の時もいつもその言葉を思い出して頑張れました。

    ユーザーID:5514903487

  • 交通事故

    20代前半、居眠り運転の車にはねられ、全身に痕の残る傷が出来ました。
    もう2度と水着にはなれないし、半袖も足を出す服も着れなくなりました。
    落ち込んでいたいた私に、当時私が思いを寄せていた男性が「気にすることないよ」と言いました。
    あれ程落ち込んでいたのに、気にしないで生きていこうとすっと思えました。
    結局片思いのままでしたが、救われた一言でした。

    半袖で歩くと、振り返って見る人もいます。
    結婚して近所の人から「そんな体でよくもまあ結婚できたわね」と言われました。

    言葉は人を救ったり、どん底に突き落としたりするものだなと思います。

    ユーザーID:1919466220

  • 出家

    20数年の結婚にピリオドを打ち…それを母にも知らせずに、1人、実家に着きました。
    母は、私の顔を見るなりニッコリと笑いまして…
    「駆け込み寺にようこそ…もう、我慢しなくていいよ…。」
    お母さん。ありがとう。

    ユーザーID:8053332987

  • ありがとう

    私は皆様のレスほど人生を変えたような大きなものでなく、ちょっとした、温かい心遣いの言葉です。

    娘が小二の夏休みのことです。
    午後から学校のプール開放(13時から15時)に行くのですが、
    その日はなぜか早い時間に帰ってきました。

    半べそをかいている娘に聞くと、プールでおなかが痛くなりトイレに駆け込んだが、
    間に合わす水着でおもらしをしてしまい、早退してきたと言います。
    先生の話では「当番のお母さん(PTAの役員さん)がきれいに後始末をしてくださった。」とのこと。
    びっくりしてお礼をしたいからと、お電話すると
    「困った時はお互い様。また困った人がいらしたら手を貸してあげてください」とのお言葉。

    とてもありがたく、以降、お言葉どおり実践するよう心がけています。
    親切の輪が広がるといいですね。

    ユーザーID:7806209989

  • 2歳の息子の言葉

    みなさんの素敵なお話に涙が出てきました。
    他人ではありませんが、私にも忘れられない一言があります。
    息子が2歳のときに、2年半ぶりに復帰した職場、
    復帰前とは比べ物にならないほど過酷になっていた仕事環境、
    体調や精神のバランスを崩して休む人もいました。
    そんな中、私も辛くて、仕事から帰ってから泣いてしまったことがありました。

    そうしたら、息子が言うのです。

    「おかあさん、どうしたの?」
    「お仕事で辛かったの」
    「だいじょうぶ?あしたはやなことないよ」

    自分だって通い始めた保育園で泣いてばかりだったのに
    さらっとそんなことを言ったのです。
    うわーっと泣いてしまいました。

    今は5歳のやんちゃ盛りですが、今もとてもやさしい子です。

    ユーザーID:2787462901

  • ふくろう様

    今は思い出せません

    でも♪でも♪

    こんな素敵なトピを有難うございます。

    ロムってて涙が滲んできます

    ユーザーID:2141375866

  • ボロ泣きしたこと あります!

    初めての転勤で 初めて地元を離れました。子供が10ヶ月の時です。

    最初は旅行気分と思っていたんです。軽く考えようと思って。
    しかし一ヶ月が過ぎ 引越しも落ち着いてきて
    いつも 子供と二人。 買い物に出ても 方言がちがく
    それでさらに追い込まれたのか
    異空間にポツンと置かれた気分。
    旅行と生活では 全然違うことに気が付いてしまった。
    どこに何が売っているのかも分らず
    出かける時には タウンページと地図を眺めてました。
    誰もいない公園も眺めたり。
    旦那が職場の人と 出かけてくるね!って 出かけたりするとさらに追い討ち。

    居間でテレビも付けず 何も考えられなくなっていた時に
    お二階さんが 始めて訪ねてくれました。
    花一輪持って 「これ 綺麗だと思ってね。どうぞ!」

    たった それだけだけど
    玄関を閉めたときに 涙が止まらなくなってしまいました。
    すごく 嬉しかった。
    自分を気にしてくれる人が こんなに近くにいたんだって
    大泣きしてしまいました。

    ユーザーID:6364415349

  • 見知らぬ人々の暖かさ

    一言ではなく、人々の行動なんですが、、、。

    関東出身の私。実をいうと関西弁・大阪弁がすごく苦手でした。すごく怖いというか、、。単にイメージが悪かったんです。(ごめんなさい。)
    でもっ!10年前のあの日、その間違ったイメージをひっくり返す事件が起きたんです。

    場所は、大阪市内の地下鉄の中。出張中の私にいきなりすごい腹痛が、、、。脂汗がでてきて、、前に座ってたおばさんが、「お姉ちゃん、顔色すごい悪いけど、どーしたん?大丈夫かぁ?」ときいてくれたんです。
    私は息もきれぎれ、「おっ、お腹が、痛くて、、。」すると、隣のおじさんが「そらっ、大変や!」「お医者さん、乗ってへんか?」と叫んだんです。他の乗客も次々と「医者どこや〜?」と大騒ぎになって、なんと隣の車両から本当に医師を連れてきてくれる人が、、、。
    次の駅でお医者さんと私を担いでくれてた2人が降りて、救急車で運んでくれたのです!
    降りるその瞬間まで、「しっかりしいや。」「もう、大丈夫やで。」と口々に声をかけてくれる人々。すごい痛みの中で本当に心強く、感激でした。

    イメージって、、。なんなんでしょうね。大阪のみなさん、その節はありがとうございました。

    ユーザーID:2566223451

  • 私も…

    先日主人と初めて子供たちの前で大喧嘩してしまい…私は取り乱しました…。
    主人は怒り…「今日は帰らない!」と家を出ました。
    その後、言い過ぎた…と冷静にはなったものの…子供たち寝る時間に。
    3人の子供たちを寝かしつけているとき、出てくる涙をこらえていました。

    そしたら5年生になった長男に…「泣きたい時は泣いていいんだよ…」と言われ、
    こらえていた涙はあふれ…一人泣きまくりました。
    そして朝…息子から「パパへ」の手紙を発見。
    2人が大好き、仲良くしてほしい…と、読んでまた涙…。
    子供たちに心配されるなんて、情けない…と思ったのと同時に、
    子供たちの成長を感じずにはいられませんでした。

    その後主人とも仲直りし、元通りの生活をしていますが、今思い出しても目頭が熱くなります。

    ユーザーID:4999304424

  • あなたが座りなさい

    息子が産まれて、毎日同じ事を繰り返してるだけに感じながら、あっという間に1年が過ぎていました。
    それから始まった、歩き始めと後追い。一日中、息子を気にしながらの家事。常に緊張状態で、精神的にくたびれてへとへとの日々でした。

    2歳になり、ある日、町まで出かけた時です。帰ろうとしてバス停へ行くと、次の便まで10分ほどありました。自転車も通る場所だったので、ベンチに息子を座らせました。息子は『ママも座って』と言いながら、自分の隣りをポンポンと叩きました。
    すると、隣りに座っていたおばさんが、スッと立ち上がってしまったんです。驚きました。『あの、そういうつもりじゃないんです。どうぞ座ってください』と慌てました。
    そのおばさんは、しっかりと私を見て、きっぱりおっしゃいました。『あなた。この子がママ、ママって言うのは今だけなのよ。あなたが隣りに座りなさい』私は、ありがたく座らせてもらいました。

    今春、息子は中学校を卒業しました。でも、この事は、ついさっきの出来事みたいに、はっきり覚えているんです。子育ての辛さの中で仏様に逢ったと思っています。今度は私が、誰かの助けにならなければ…と思う毎日です。

    ユーザーID:8685286506

  • 小町の真骨頂ですね。

    ふくろう様、ありがとうございます。

    下手なドラマや小説は消し飛ぶような皆さまのレスですね。
    これがあるから小町は止められないんですよね。
    「人の心は人の心でしか癒せない」んですね。実感です。

    私も大阪で娘が生まれた後、ひどい夜泣きに悩まされました。
    正確には、事務管理の責任者だった私の集中力不足を慮った妻が、早朝からベビーカーで娘を連れて当てもなく散歩(彷徨?)してくれてました。

    妻も強度の睡眠不足で疲れ切り、私も激務で如何ともし難く、かなり追いつめられてました。

    そんな時、部下(でもずっと年上)のパートの女性に「とのさん、元気出しいや。二十歳まで夜泣きしてる人はいてへんから(ニッコリ)」って。

    元気出ました。嬉しかったです。

    私が非力・非才も省みず、小町でヘボいレスをするのも、もしかしたらその時のご恩返しをしたくてやってるみたいな気がしています。

    ユーザーID:4509513647

  • 今でも忘れられない言葉

    本当に素敵なトピですね!トピ主様ありがとうございます!

    もう涙腺が崩壊して大変です(笑

    さて、私が忘れられない一言を貰った話ですが・・・

    私は小学校の時、太っている事がコンプレックスで性格が暗くなり、イジメまでではなかったものの、バカにされる日々を送っていました。
    中学生になった時、もともと仲の良かった友達と一緒のクラスになり、自信もでてきていました。
    その時、他の小学校から来た女の子がなかなかなじめずにいつも一人でいたのところを私が話しかけた事がきっかけでクラスになじむようになりました。
    確かに同情心はありましたが、友達になりたいとも思っての行動でした。

    ある日、帰りに担任の先生に呼び止められ、教室に残りました。
    (なんか悪い事したかな?)
    と思っていたところ・・・
    「○○に話しかけてくれてありがとう。先生も心配していたけど、紗希が話しかけてくれたおかげで心配がなくなったよ、本当にありがとうな。」

    なんと、その先生は私の事を「見てくれていた」のです。
    それまで褒められた事のなかった私にとっては今でも心の支えになっています。

    ユーザーID:9377424442

  • 教え子

     個別指導塾でバイトをしていたときのことです。
     受験を控えた女の子が、とにかく反抗的で言うことをきいてくれず(言葉づかいも荒い)、私は困りはてていました。
     私がおっとりしたタイプで、ガツンと言えないからいけないんだな……講師失格だな……と思うと、情けなくて泣きたくなりました。
     講習期間中だったので毎日その子の授業をしなくてはなりませんでした。

     夜な夜な一人で泣き、どうしようもなくなっていたある日のこと。
     授業中、その子が

    「優しい先生に、これをあげます」

     と言って小さなストラップをくれたのです。
     なぜ急にそんなことになったのかは忘れましたが……。
     自分では欠点だと思っていた部分を「優しい」と評価してもらえたことが、すごく嬉しかったです。
     彼女、今は受験でストレスがたまってるけど、本当は人のことをちゃんと見てる子なんだなと思いました。

    ユーザーID:5380517429

  • 親とぶつかった時

    親とぶつかり号泣。
    一人でいたくなくて、妹の部屋に。

    妹の部屋で号泣し、うるさくてごめんって言ったら、別に良いよと一言。

    何気ない言葉でしたが、ここにいてもいいんだと思い、安堵し落ち着けました。

    本当に姉妹で良かったと思い、ますますシスコンになりました。

    ユーザーID:3949080735

  • 私もひとつ

    夫に助けられました。
    30歳前半です。

    2年程前にずっと体調が悪く、クリニックで診てもらったところ大病院を紹介され、検査したところ癌が発覚。
    もう手術ができないくらい転移しており、治療しても予後は不良とのこと。
    5年生存率は7%程。
    まだ30歳。子供のいる家庭を夢見ていたのに『どうして私が…』と毎日泣き暮らしていました。

    そんな中、仕事帰りに落ち込んできたのでに夫に電話し、
    「治療したら子供もつくれない、治療しても治るかわからない、いつまで生きられるか分からないなら、もういま死にたい。」とぶちまけると、
    「さくらが死ぬなら俺も死ぬ。一緒に死のう?」って。

    その時『こんな良い人を殺しちゃいけない!』と思いとどまりました。

    あとどれくらい生きられるか分かりませんし、こんな優しい人を私に縛り付けていいものか迷う日々ですが、治療を続けながら仲良く暮らしています。

    ユーザーID:7369781174

  • 破水して

    予定日より一ヶ月近く前に破水してしまい、病院にいくことに。
    夜中だったこともあり、電話をしても、中々タクシーがつかまらず、事情を話してやっときてくれた運転手さん。
    ご迷惑かけないようにとバスタオルをたくさんまいて乗り込んだ。降りる時に「もし汚してたらごめんなさい。お釣はいいです」と、多めに出したら
    「お母さんになるんだから、節約しなきゃ。こんなおめでたい送迎は、こっちも嬉しい気持ちになるんだから頑張って」と笑顔で返されてしまいました。
    子育てしている中で、辛いことがあるとおじさんのあの笑顔を思い出します。

    ユーザーID:8149053527

  • また思い出した

    みなさんのレスを見てふと思い出しました。

    20代の頃、彼氏に振られてものすごく落ち込んで体調を崩してしまった私に友人が言いました。
    「おめでとう!これで運命の人に一歩近づいたね」と。

    持つべきものは友達だなあ。

    ユーザーID:4775143785

  • 花屋さんが

    昨日、小学校のPTA総会がありくじ引きで副会長になった私。予算案の読み上げがあり人前で話すのが苦手な私は朝から緊張でどうにかかみまくりながら総会を終え、夜は歓送迎会がありました。

    店の支払い、退任役員や転勤の先生に渡す花屋の手配などの役目を終え食事をゆっくり味わう間もなくバタバタしていました。

    今日になり花屋さんに支払いに行ったらおばさんが「役員さんは大変だよ。頑張ってるね。好きな色の花、一鉢持っていきな。」と言ってくださり、きれいなオレンジの鉢植えをいただいてきました。

    おばさんの優しさがとても嬉しく昨日の疲れも癒されました。前向きに役員仕事ができそうです。

    ユーザーID:8411602443

  • 娘からの励まし

    アメリカで離婚で揉めていたとき 前主人が私の銀行口座から全額を引き出しました。
    小学校6年生を頭に4人の子供を抱えて 手持ちのお金はゼロ。
    長女と心当たりを探しましたが見つからず 車の中で悔しさと明日からの生活に途方にくれて泣きました。

    しばらく泣いたら 少し落ち着き 心配そうに私をみている長女に「ごめんね、でも大丈夫よ。お母さん一生懸命働くし。お家には米も海苔もあるから、しばらくはオニギリだけどね」というと

    必死の顔をして
    「お母さん!私、食べられる草と食べらんない草の見分け方、学校で習ったよ!私、見つけてくるからね。」

    いや…そこまでは(笑)とおもいつつ この子達の為に 頑張る決意を新たにしました。

    ユーザーID:7131163057

  • 「あなたはあなたのままでいい」

    社会人二年目のとき、10人未満の小さな会社でライターをしていました。
    不規則勤務で土日までも原稿書きに追われる日々。さらに丸二年、アルコール依存症の上司からの執拗なモラハラに悩み、育ちや仕事に自信を失い、鬱状態になって退職を決めました。

    最後の仕事として元マラソンランナーで現在は解説者をされている方に取材を行いました。
    取材終わりに「こんなに短時間で私の心に迫った人はいなかった。その若さで素晴らしい感受性。あなたはきっと何かを成し遂げる人」と言葉をかけてもらいました。いつも組んでいたカメラマンさんにも、「あなたはあなたのまま、素直さを大切にすればいいよ」と励まして頂きました。

    心が元気になるまで一年程かかりましたが、その言葉のおかげで、自分らしさを見失わずに、モラハラの原因だった上司を乗り越え、今も頑張っています。

    ユーザーID:9638708841

  • ささいなことですが。

    実家は遠方・旦那は朝早く出勤、夜遅く帰宅。
    週に一度はつきあいの飲み会で午前様。

    初めての子育て、誰にも頼れないことを前提に、
    暇さえあれば泣き喚く我が子を胸に、
    自分の睡眠はもちろん、お風呂や食事の時間もロクにとれないまま、毎日必死に過ごしておりました。
    自分がどんなにボロボロになっても、それが当たり前だとも思ってました。

    市の、三ヶ月検診にて。

    検診が終わってから、一組ずつ、保健士さんが絵本を読んでくれる時間があったんです。
    軽く雑談を交えながら、

    「アパートで? 実質、ひとりで育ててるんだね。」

    「はい。」


    「そうなんだね。よく頑張ったね。」

    「・・!」



    社交辞令とも思えない真顔で、そうおっしゃってくれたことに、
    そうなんだ、私、頑張ってるんだ。
    認めてもらえてるんだ。これでよかったんだ。
    と思ったら、嬉しいのやらなんなのやら。。

    今まで張り詰めていた糸が切れたようで、その場で涙が溢れて止まらなくて、困りました。


    ほんとは旦那が言ってくれれば最高の言葉だったんだけどね(笑)。

    ユーザーID:1792733348

  • 教え子のひとこと

    夫の話です。夫は小町を読むような情緒的な男性ではありません(苦笑)

    高校教員の夫は、一年目の春「もう辞める!!」と週末に駅へ向かった
    そうです。(そう・・車やバスでは行けないような遠隔地の勤務校でした。)
    駅でばったり教え子と会い「どこへ?」と聞かれ、正直に話したところ
    「ひどい先生は他にいる。先生は良いほうの先生だよ」と言ってくれて
    「・・・そうかな?」と思い、引き返したそうです。そして今日に至り
    ます。

    オチがあります。
    それからかなりの年月(10年以上)が流れ、居酒屋でその教え子と
    再会したそうです。夫を覚えてはいましたが、駅であったことも
    そんなやりとりがあったことも全く覚えていなかったそうです。
    そんなものでしょうか。

    私も、他の仕事をしていますが、頭の片隅に退職があります。
    数年に一度でも、上司だったり同僚だったり仕事そのものだったりに
    感動があれば、それで続けているようなところがあります。
    今まで助けてくれた方達ありがとうございます!

    ユーザーID:9028094667

  • この一言

    10年程前にある資格を取得し、修行中のころ、同期の男性(年齢はかなり上)がいました。
    仕事に対する私の甘さをズバリ指摘してくる辛辣な面がありましたが、信頼がおける、尊敬できる方でした。先日久しぶりにお会いしたときのこと。
    年齢の話しで、私が「カッコいい大人になりたい」と言ったら、「もうなってるよ」と言って下さいました。
    さりげない一言にドキッ☆心のなかで、ガッツポーズしました。

    ユーザーID:0688380325

  • 読者さんからの一言

    趣味で小説などを書いて活動していたことがあります。

    そのときに読んでくれた一人の方から

    「あなたの文章を読んでいると、なぜかがんばろうって思えるんです」

    というメールをもらいました。

    今は自分の文才のなさを思い知り、長らく小説も書いていませんが、

    あの一言を思い出すと、魂のどこかにボッと火がつくような気がします。

    ユーザーID:2483771472

  • 会社で

    あなたの長所はひとつもないて言われへこんでたけど

    ここによってみたら

    今みなさんのレス見て救われました。

    どうしてもお礼したかったので書き込みしました。
    ありがとう

    ユーザーID:3409758276

  • 叔母の一言

    新婚でありながら実家に入り浸って帰ってこない夫と暮らし、
    共働きだったので私は仕事を生き甲斐にしていました。休みの日も義理の実家で過ごし、
    私には義理の実家一家、夫共々金の稼いでくるハウスキーパー扱い。離婚を決意したころ出来ない筈の子どもができてオロソウと思いましがこれが最後のチャンスかもと思い直しました。
    産まれれば義母が家に土足で上がる様に乗り込んできて、夫と子育て。
    私は今度は乳母扱い。夫にまで、お母の言うとおり育てろと言われて煮詰まっていました。
    そんな時、口うるさくて親族から煙たがられていた叔母が、
    近くに来たからどうしても子どもを見たいと家に来ました。
    ようこんなに育てな〜
    救われました

    ユーザーID:6305138713

  • ガンバレ

    小学校の頃、歌の上手な子だけで作られた合唱団に選ばれました。
    でも、人前で歌うのは恥ずかしいし、選ばれたはずなのに先生には叱られる、夏休みも練習に行かなきゃならないし、仲の良い子もいなくて本当に苦痛でした。

    夏休みの練習にはお弁当持参だったのですが、ある日のお弁当で、ご飯の上に紅しょうが乗っていました。
    最初、お弁当箱を横にしていたので気づかなかったのですが、たてにして見ると紅しょうがで「ガンバレ」と書いてありました。

    それに気づいた瞬間泣きそうになってしまいました。
    母は私が嫌々行ってたことに気づいていたのかはわかりません。
    嬉しかったと同時に、上手に歌えなくてごめん、という気持ちでいっぱいでした。

    結局コンクールでも入賞できず、先生にはサボる人間がいるからだと嫌味を言われちゃいましたが。

    ユーザーID:5902459524

  • 父の言葉

    静止したのに勝手に借金して
    多額な負債を負った元旦那。。。。。

    結婚条件が、父が保証人になり苦労した事もあり
    『保証人にはなるな!!それだけだ!!』と私の結婚を祝福してくれました。

    しかし、出産直前に簡単に保証人になろうとした奴で。。。
    私は『保証人になったら家族が壊れる。勝手になったら離婚だよ』と言ったのに
    勝手に保証人になり、まんまと逃げられ何千万もかぶり自己破産も出来ない状態。

    私は親に言えなく生まれたばっかりの子とバルコニーに。

    自分で離婚決意し父に『離婚した』と言うと
    『○○に来いと伝えろ。今からココに来いと。
    お前は後悔ないか?』と。

    私は『うん』

    父は実家に来たヤツに一言!!
    『わがままな気の強い娘で悪かったな』と。
    ヤツはそれを聞いて『あ、はい。』帰宅した時私に
    『気の強い娘で悪かったなだとよ!!』と強気に。

    しかし父は私に言いました。
    『気の強い娘で悪かったな!!って言っといたわ(笑)
    お前の悪口みたいに言っちゃってごめんな。。。
    オレの嫌みだな。。。後悔してないならもういい!』の言葉に
    最高の父が親で幸せだなって思えた瞬間でした!

    ユーザーID:7789448430

  • 皆さんの話は・・・

    トピ主さんの問いかけは、
    「他人からの嬉しい言葉」ですよね?
    見ず知らずの方からの嬉しかった言葉を教えてくださいとのトピのはず。
    夫からとか母からとか子供からとか身内は他人ではないのでは???
    レスしたいのはわかりますが、トピをちゃんと読もうよ。

    ユーザーID:0956066789

  • 余命告知の日

    昨年、進行性の癌で余命を告知され自暴自棄になり
    誰とも口をきかなかった時に、隣のベッドの94歳のお婆さんから
    「戦争がない時代に寿命を終えられるのはご褒美だよ。死ぬも生きるも皆平等」と言われ、目から鱗が落ちました。

    ユーザーID:1593832442

  • 気づかせてくれてありがとう。

    皆さん、すばらしいお話をありがとうございます。

    先日、電話でPTA本部活動で一緒にがんばった、一番なんでも話せた仲間の一人から、立ち直れないほど辛い言葉を延々と聞かされました。

    もう二度と人にやさしくなんかしてやるもんか、もう二度と誰が困っていても手助けしてやるもんか、
    もう二度と気使いなんかするもんか、絶対冷たい人間になってやる!と大泣きしながら恨みさえしました。いつも親切に親切に、そして心配した言葉や行いがすべて裏目にでた結果がこれです。

    今も消化できず常にこの言葉が頭をはなれなかったのですが、実は先ほどこのトピを読んでいたら隣の部屋で何かが倒れる音がしました。それは、私が高校生の時、大雨の中死にそうになっていた捨て犬を拾い、13年間天国に行く間際まで一緒にいた犬の写真でした。
    それを見たとき、この子を拾ったときの気持ちが怒濤のように心に戻ってきたのです。なぜ心配する事、優しくする事、気使いする心がいけないの?いろんな人がいるよ。でもわたしは今の私でいい、変わらないで、と。

    写真立てをぎゅっと胸に抱きしめて約束しました。
    優しさと相手を思う気持ちは持ち続けるね、と。

    ユーザーID:8695376610

  • 留学生からの一言

    専門学校で留学生達にある教科を教えています。

    新学期の自己紹介で子どもがいることを話したら、ある留学生が
    「日本のような男性優位社会で、仕事と育児を両立することはとても大変だと思います。第一線で活躍しながら、お子さんを4人育てている先生をすごく尊敬します。頑張って下さい、応援します。」と、つたない日本語で言ってくれました。
    ほろりと来てしまいました。

    その場では泣きませんでしたが、その日の仕事を終えて車に乗ったときにふとその言葉が頭に浮かんで、胸が熱くなりました。

    日本で生活していると特に男性優位社会と思うこともないのですが、外国の方から見ると、育児を優先すれば仕事の現場からは追いやられ、仕事を優先すると育児を諦めなくてはならないという日本の女性はすごく大変そうにうつるそうです。

    私は大変なことをこなしているんだなと自信を持って胸を張れるなと思いました。

    ユーザーID:8853840517

  • 夫が癌であることがわかったとき


     夫が癌であることがわかったとき、私は、なるべく平静をよそおって、がんなんだ、でも、手術するし、大丈夫なんだ。って友人には言ってました。
    ある日、久しぶりにあった友人に、同じように、そういったとき、数秒の沈黙の後に、彼女が、すっと涙を流したのです。いろんなアドバイスをしてくれて人、励ましてくれた人がいたけれど、話をしたときに泣いてくれたのは、彼女だけでした。
    あの涙は、決して忘れません。

    ユーザーID:4326544196

  • かぞくですが

    いいお話ばかりですね。
    私は息子の一言なんですが…。
    長男4歳のころ、下の子が生まれました。夫は忙しく、産後の手伝いもなく上の子、赤ちゃんを1人でイライラしながら育てていました。
    ある夜、子どもと一緒に床について、いつもイライラから必要以上に辛く当ってしまう長男に、このままでは長男が危険だ、謝らなきゃ…と「いつも怒ってばかりでごめんね」と言いました。すると4歳の息子が、私に背を向けながら「そんなこと気にしないでいいの。」と言いました。
    この子は私よりずっとずっと大人…。こんな小さな子にこんなセリフを言わせてしまう私が情けなくて…。
    でも、この言葉で自分を冷静に見れた気がします。
    大好きだよ。息子たち。

    ユーザーID:8746824707

  • ありがとう

     

    ふくろう様 レスされてるみな様、

    なんとなく開いたトピで今の私、救われました・・。

    私の全人格を否定されたような言葉を浴びせられて

    手探りで自分探しをしている最中に、この優しいトピックにたどり着きました。

    いま、良い言葉が見つかりませんが、優しい言葉の数々に救われた

    人間がいることを知って頂きたくてレスさせていただきました。


    ありがとうございます。

    ユーザーID:2343523882

  • 逆の話

    私の場合、逆に自分が知らぬ間に他人を助けていたという話です。

     もううんと前の話。私は某ヨーロッパの国に留学していました。
    友達と道を歩いていたとき、その友達が「あっ、ここ××子ちゃんちの近くだ、ちょっと寄って行こうよ」と言い出しました。私は××子ちゃんとほとんど面識がなかったのですが、日本人がそれほど多くないので留学生どうし、気楽に会ったり、家に遊びに行ったりしていたものです。
    ワインや料理を買い込んで××子の家に乗り込み、何を話したのかは忘れましたが、深夜まで激しく馬鹿話をして帰りました。

     ずっと後になってもっと親しくなった××子から、「あの2,3日前に実は、長年不倫をしていた彼と別れたんだ。ねここたちの話を聞いたら、
    自分が悩んでいることなんかと関係なく世の中動いているんだなと思ってすごく楽になった」と言われました。

    後から考えると、部屋に入ったとき部屋全体がかなーり暗い雰囲気だったな。しかしそれに何も気がつかない私と友人の鈍感さというのもいかがなものか。
    時として鈍感さというのも他人を救うことがあるのですね。

    ユーザーID:6007960738

  • 良いトピ

    様々な方の,様々な方とのエピソード,人生はそれぞれドラマだなぁ…と思いながら拝見させていただいてます。

    私は,諸事情でパニック障害に苦しんでる時期に,ちょうど通勤電車で人身事故に遭遇。
    閉塞感や,焦り,苛立ちの中,過呼吸になってしまい電車からホ−ムに崩れてしまって,貧血と共に朦朧としてる中,私と鞄を助けてくれた複数のホ−ムにいた方々の中から
    『ゆっくりでいぃんだよ』と言われ。

    何キロも走ったランナーでもない。なのに,凄まじい苦しさの中,沿道からかけていただける言葉以上に,私に残りました。
    何気ない通勤時の,ただ通り過ぎるだけの地元から近い駅,私には一番必要だった言葉を聞けました。

    ユーザーID:3859433987

  • 四つ葉のクローバー

    数年前、仲のよい友人から自分が無意識にしていたことによって、
    ひどく相手を傷つけてしまっていたことを知り、なんと詫びたらよいのか、
    今後どう接したらよいか、足りない頭で何日もぐるぐると考えていました。

    ある日、気分転換にと訪れた公園で「見つけたはいいのだけど、
    若いお嬢さんが持っていた方がいいかなと思って。元気だしてね」
    と見知らぬ男性から四つ葉のクローバーを差し出されました。
    問題の糸口を見いだせずにいた自分にとっては、その言葉が救いのように思え、
    男性の優しさと、そんな表情をしながら公園を歩いていた自分が情けなくて、
    男性が遠く見えなくなってから、ボロボロと泣き崩れました。
    このことがきっかけで、自分の行いによって傷つけてしまったことを
    友人に詫びることができ、今も付き合いは続いています。

    自分の表現では怖い印象を与えてしまうかもしれませんが、
    もしもあの時この出来事がなかったら、今も無神経に周りの人間を傷つけていたかもしれません。
    戴いた四つ葉のクローバーは押し花にして、今もお守りとして大切に持ち歩いています。
    相手のことを思いやれる人間になるべく、いまも日々勉強の毎日です。

    ユーザーID:5202809025

  • 彼方から

    ある日夢を見ました。

    男の人の声で、自分はもう行くけど苦しくないってことだからって言ったんです。

    次の朝に、実家の母から電話で愛犬がなくなったのを知りました。がんが破裂して一晩苦しんでいったそうです。

    会いにきたんだな、そしてもう苦しくないんだなって。

    あの子は天国に行ったんだと思いました。

    ユーザーID:7289280549

  • 離婚相談の弁護士さん

    元夫との離婚に際して、弁護士試験の勉強をしていた友達に、知り合いの弁護士を紹介していただきました。

    弁護士相談料は安いものではないので、そのときパート主婦で自立できていなかった私は、できるだけ簡潔に相談をまとめて高くならないようにしなきゃ・・・といろいろ要点をまとめてから行きました。

    結局、子供もいないし、たいしてない財産分与の額のことに終始したわけですが、ほんとショボい額の相談で、お恥ずかしく、、、

    お支払いの際、「いえ、けっこうです。いろいろ、たいへんでしょうから・・・」と、弁護士さんは遠慮されました。
    一万円くらいだと思うのですが、オマケしていただいたことも物理的に助かりましたが、こんなしょうもない相談というより愚痴みたいなのに時間を割いてくださった挙句、「けっこうですから」とおっしゃる無欲さに、敬意を抱きました。
    この方に、私の主張はがめつくない、当然の権利だとおっしゃっていただけたおかげで、うまく離婚を進めることができ、その後順調に就職も出来ました。

    その後、豊かでない懐からお菓子をお送りした程度ですが、いつまでもいつまでも感謝を忘れていません。

    ユーザーID:2141729538

  • 助産師さん&医師

    20年前のことです。結婚と同時に他県に引っ越し、2ヶ月経ったころ…夫は社内旅行、友達・親兄弟は近く誰もいない土地で、切迫流産で入院中でした。初めての子でした。
    ある夜、大量出血と腹痛が止まらなくなりました。パニックになりそうな気持ちの私は どうしていいのかわからず…点滴などを受けながら、絶対安静にしていました。子供の命の火が消えそうな夜…私は一人で泣いてました。助産師さんが 真っ暗な深夜に巡回してきて、「祈りなさい」…そう何度か私を諭しました。長い夜が 明けると、子供は流れてしまっている残酷な現実がわかりました。
    4人部屋の病室…周りはみんな妊婦さんです。私は声を押し殺して泣き、泣き、泣き…。そんな私に、産科の先生はベッドサイドに腰かけ、丁寧に話てくれました。初期の流産について・これからの可能性についてなどだったと思います。
    ふと 見ると、先生の診察についてきた助産師さんも 泣いていました。
    暗闇でも 導いてくれる声がけと心に寄り添ってくれた皆さんに感謝の気持ちでいっはになりました。それから一年後、同じ病院で無事第一子を産みました。心に寄り添った言動に感謝しています。

    ユーザーID:1207717091

  • 一生懸命が、報われた気がしました

    ある日、同居している義母の元にお客様が訪れました。
    休日だったこともあり、庭では子供たちと犬が無邪気に遊んでいました。それを見たお客様が

    「子供たちも元気で、かわいいワンちゃんもいて、幸せね〜」

    と私に言ってくださいました。それだけでも嬉しかったのですが、「騒がしいだけですよ〜(笑)」と笑って言ったところ、

    「あなた、笑顔が素敵ね!!」

    って。毎日3人の子供たちに振り回され、同居で気づかい、自分の事なんて一番後回しなので、家族中で自分が一番野暮ったいと凹んでいたなりに、笑顔だけは忘れないよう心掛けていたので、とてもうれしい一言でした。


    他にも、病院などの公共の場で、年配の方やお年寄りが我が子をじーっとみている時があるので、「しまった!迷惑かけてしまったかな」と思っていると、その方が近づいてきて、

    「とても上手に育てているわね。さっきから感心して見ているのよ」

    と言っていただいた事が何回かあります。
    子育てに自信がない中、本当に涙が出るくらい温かい一言です。

    ユーザーID:3303244111

  • やさしさ 忘れたくないですね

    こういうトピ読むと、人に優しくするって素敵だなぁと思います。
    ホントのちょっとした事でいいんでしょうね
    辛そうな人が電車で立っていたら席を譲るだけでも。

    このトピを読んだ気持ちを思い出せば、きっと他のトピを読んでも優しい気持ちでレスできるんじゃないでしょうか。

    心の中から汚いものが減るようなトピでした。

    ユーザーID:4021075029

  • 初めて「お気に入り」に入れました

    いいトピですね。私もいつか誰かの為に何かできるかな。

    不妊治療中のことです。
    私が選んだ病院は賛否両論。とにかく先生の口が悪い。
    不妊患者にはタブーな言葉のオンパレード、あげくに言葉づかいまで注意されたり、なんでこの歳になってこんなこと言われなきゃいけないのかと、不安定な精神状態も手伝って先生の前で号泣したこともありました。

    やっと受精卵が着床し心拍も確認、けれど喜んだのもつかの間、次の週には心拍も止まり繋留流産という結果でした。
    長い不妊治療の中で期待とともにいつも不安と疑いがあったので、自分でも結構冷静でいられてるなと思いました。

    最後に先生が一言「私もとても残念です」と言いました。

    照れ屋で口の悪い先生が、本気で言ってる言葉でした。

    ああこの人は本当に妊娠してもらいたいと思ってくれてるんだなあ。努力してくれているんだ。
    なぜかそう感じ、ずっとこの病院に通い続けました。
    幸運なことに息子を授かることができました。

    仕事に時間と努力を惜しまない、口は悪いけど情熱的な先生でした。
    本当にありがとうございました。

    ユーザーID:8162344333

  • 命までは取られないから。

    クレーム処理をする部署に配属されて、それはそれは毎日毎日、お客様からの様々なクレーム(ごもっとも!というのが大半でしたが、中にはどう見ても理不尽な言いがかりもありました。)処理に心が折れそうになる日々を送っていたとき、定年間近の大先輩から「命まで取られることはないんだからね。」と声をかけていただいて、その一言でスーッと楽になったことがあります。どんなに重いクレームでもそれで自分の命を失うことはない。と思うと落ち着いて対応できるようになりました。(因みに業種は通信業です。)
    あと、学生の頃短期留学をしたマドリッドで、道端のホームレスのオジサンから「Tienes la cala lista.(賢そうな顔だな)」と云われたのが無根拠なのに妙に嬉しかったですね。今思うと「賢い」という中身には様々な要素が包含されている訳で、果たして彼が誉め言葉で言ってくれたかどうかは「誉め言葉だった!」と私自身が確信できるような生き方をしてるかどうかにかかっていますね。

    ユーザーID:5505807173

  • 先生に。この場を借りて。

    こういうの、いいですね〜
    気持ちが穏やかになります。そして思い出しました。

    15年程前の20歳前後の頃、仕事や人間関係で相当悩み(私が悪かった)、自暴自棄になっていた私は、何故か特に親しかった訳でもない、高校時代の先生に手紙を出しました。内容は、自分は悪い事ばかりしていて自分が嫌でしょうがない・・ というもので、詳しい内容は書きませんでした。
    しかし数日後、先生から電話がありました。先生は詳しい事は聞かず、ただ、「お前が何をしても、どうなっても、俺はお前が好きだからな」と、静かで強い口調で言ってくれました。

    卒業以来で久しぶりなのに、高校時代にタイムスリップしたようでした。こんな私でも、いいんだと言ってくれる人がいる・・ 気付かない所で、守られているように感じました。
    今でも思い出すと泣けてきそうです。

    先生、あの時はありがとうございました。
    今では、しっかり(?)妻と母親やってます!

    ユーザーID:7309017534

  • 横ですが、人間観察さん

    ドラマのワンシーンのような素敵な文章に感動しました。
    とっても文章がお上手ですね。
    あなたとおばあちゃんがベンチでぽつぽつ話をしている姿が
    目に浮かぶようです。
    素敵なおばあちゃんに出会えてよかったですね。

    私の敬愛する作家重松清さんの「きよしこ」に
    良く似たシーンが描写されています。
    良かったら読んでみて下さい。

    私の助けられた一言は、子供が産まれ夫とうまくいかなくなり
    離婚を決意、悩んでいた頃、遠方に住む親友が「今すぐあなた達母子を
    抱きしめてあげたい」と手紙を送ってくれたことです。

    しかも実際に東京まで来てくれて私の話を聞いてくれました。
    さりげなくて深く心に踏み込んでこないけれど、優しい彼女は
    今でも大切な親友です。

    ユーザーID:2557009811

  • 助産師さんの一言。

    実家とは離れた土地で、初めての出産。
    実の母からは「絶対難産で苦しむ」と呪いをかけられたり、実の祖母からは、つわりの真っ最中にもっとも食べたくないものを送りつけられて、つわりがひどくなり毎回落ち着くのに3時間程度。男の子を産めコール。女の子だと確定すると、次は男の子をうめ!
    (私自身は祖母からの遺伝性の病気で子供ができにくい。)父親は音信不通。兄は、自分の子供より、もーみんの子供のほうがかわいがられるにちがいないと嫌みをチクチク。独身の妹は、やってあげる!といって頼んだことの反対な行動ばかりして、私が体調を崩すありさま。

    一人で、妊娠期間陣痛を耐えました。
    出産後、仕事のため帰宅する旦那に、
    ずっと、つきそっててくれた助産師さんが「もーみんさんなら大丈夫」といってくれたそうです。

    妊娠中、一人ではりねずみのようになって耐えていましたが、私のがんばりを認めてくれた人がいてくれたような気がして、とてもうれしかったです。

    頼れない人に頼ろうとして心が病むより、自分でできるって思えた言葉でした。
    その言葉を、育児をしている時にも思い出します。

    ユーザーID:0979770882

  • 父親からですが

    事情があり父親に育てられました。仕事が忙しくて子供と遊ぶのが苦手だったのか、父親にあまりかまってもらっていませんでした。

    小学校の高学年くらいのある時に、父親にふとしたことで反抗しました。その時の父親の表情が、ウンザリしていたというか、わたしを疎ましく思っているんだなと、はっきりわかりました。

    それから数日間、わたしはやっぱり父親に愛されていないんだなとドン底の気持ちで過ごしていました。

    しかしある日、何がきっかけかは忘れましたが父親との会話で、父が「お前が生まれた時は嬉しくて嬉しくて、病院の中を万歳しながら走り回った」と教えてくれました。

    物心がついた時からその日まで感じていた淋しさが一瞬にしてチャラになりました。
    その後も仕事で忙しくかまってもらえない日が続きましたが、まったく寂しくなかったのを覚えています。しかも大人になった今でもあの一言に包まれていて安定しています。

    ユーザーID:3596727072

  • 無言で

    10年程前ですが二人目妊娠を喜んでいたのもつかの間、定期検診で赤ちゃんの心音が止まっていると告げられ、自然流産ではなく手術しなければいけませんでした。赤ちゃんを失った辛さで夜も寝られず泣いていたら、雰囲気で察したのか当時まだ1歳になったばかりの娘が指しゃぶりしながら私の頭をなでてくれ、自分の『ねんねタオル』で涙を拭いてくれたんです。思わず号泣してしまいました。そして気付きました。あ〜私にはこんなかわいい娘がいるんだ!泣いてばかりではいけないなって。そんな優しい娘も今では反抗期真っ只中。今では懐かしくて涙がでます(笑)

    ユーザーID:3502394004

  • ハンドル人生

    亡き父が自営の仕事を畳み、60歳近くなってからタクシーの運転手を始めたばかりの頃。
    無口な父がそんな年になってから始めたタクシードライバー。
    身体は辛くないか、今頃お客さんを乗せて慣れない道を走ってるんだろうかと思うと切なく、事故だけは起こさないようにと祈るような気持ちでいました。
    その頃私は観光バスの添乗員のバイトをしていました。
    バス旅行に添乗し、カラオケをセットしたり人数の確認をしたりする仕事でした。
    お昼や休憩の時間にはドライバーの方とご一緒することも多く、その日のドライバーさんは、初老の、父のように無口で穏やかな方でした。
    世間話に父の話もしたと思います。
    ご自分ではあまり話さず、私のお喋りを聞いているだけの静かな方でした。
    最後にお客さんを降ろして営業所に戻り、帰ろうと「お疲れ様でした」と言ったら、そのドライバーさんが私に小さな包みを差し出されました。
    休憩時に、売店で買われたお土産物のようでした。
    「?…」と思っていると、
    「お父さんに。同じハンドル人生だから。」
    涙があふれました。
    あの時のドライバーさん、本当にうれしかったです。
    ありがとうございました。

    ユーザーID:3307360228

  • 長崎ちゃんぽん

    夫のいる国で暮らして20余年。
    心の底から笑うこともなくなって、離婚帰国を四六時中考えながら暮らしているような日々。
    ある日繁華街の日系デパートで日本物産展が開催されていました。
    日本のデパ地下のような賑わいの中、暇つぶしにあちこちひやかしながら歩いていると、はっぴを着た初老のおじさんが「お姉さん日本人?ひとつどう?」と試食の長崎ちゃんぽんを進めてくれました。久々の固焼きそば。懐かしい日本の味に思わず「おいしい!」と声を上げると、「もう一つ食べな。なんならいっぱい食べな」
    「ありがとう。買って帰るわ。ほんとに久しぶり」
    おじさん包みを手渡しながら「お姉さんこっち住んでるの?大変だね。頑張りな。体だけは大切にね」
    思いがけないおじさんの言葉に思わず張り詰めていた糸が切れたようにウルウル。乾いた心におじさんの言葉がしみました。一緒に連れて帰ってもらいたいと思ったくらいです。

    ユーザーID:7194080483

  • 成田空港のおかえりなさい

    アメリカに住むようになってもう十数年になります。 飛行機で成田空港に着き、到着ゲートから税関に向かう途中、頭上に日本を訪れた人達のために、「Welcome(ようこそ)」ということばが色々な言語で書かれているのですが、日本語の部分は「おかえりなさい」なんです。 アメリカの会社に就職し毎日疲弊していた中初めての日本への出張で成田に降り立ってあの言葉を見た時、思わず胸が熱くなりました。

    アメリカの私の現在住んでいる地元の空港にも同じ言葉が多言語で書かれていますが、英語でもそのまま「Welcome」としか書いてありません。
    でも日本語を読む人だったら日本に来たのではなく戻ってきたケースの方が多いのだから、「ようこそ」ではなく、「おかえりなさい」と書いてくれた、その担当の方(?)や空港の日本人らしい心遣いを感じることが出来てとても嬉しく、あの言葉を見る度に「ただいま」と心の中でつぶやいて、胸が少し熱くなります。 今日本には住んでいませんが、でもあの言葉を見るたびに自分の国に帰ってきたんだと、そしてこんな心遣いの出来る優しい国に帰ってきたんだととても嬉しい気持ちになります。

    ユーザーID:6673541032

  • 自動車教習所で

    学校の勉強は得意でいつも優等生だった私ですが、自動車教習所では劣等生でした。

    路上での試験になかなか受からなくて、私だけ「卒業」できない日々が続いていました。
    何度目かの正直で挑戦した試験にもまた落ちてしまい、教習所の待合室で不覚にも泣き崩れてしまったのです。周りの人の目が気になる中、泣きながら受付カウンターで次の路上実習の予約をとりました。

    教習所で失態をさらしてしまったので、次の実習には行きたくなかったのですが、行かない訳にもいかず、恥を忍んで行きました。すると、受付事務の女性が、

    「あ〜!よかった。来てくれて。とっても落ち込んでたみたいだから、心配してたのよ〜。今日もがんばってね〜」

    と声をかけてくれました。

    私は彼女の顔は知っていたのですが、事務処理以外で会話をしたこともありませんでした。そんな事務員さんでも、私のことを気にかけてくれたことを知ったとき、うれしくてまた涙腺が緩みました。

    ユーザーID:8096578966

  • 貴女の味方

    長男だから日本に帰れと
    勝手な義姉に命令され嫌々ながら帰国しました

    4歳の娘を連れ着いた先には養子の義父と
    気位の高い未婚の老婆が犬猿の仲で暮らしていました

    梅雨の頃、私に浴びせられる「旧家」と言う言葉の攻撃
    「格が下だ先に挨拶をするな」「玄関で立って出迎えた」「子供達を家に上げた」
    耐えられませんでした、雨の中をスーツケースと娘の手を引いてバス停まで歩きました
    駅の待合ホールで何処に行こうかと途方に暮れていると
    慌てた夫が探しに来て連れ戻されました

    その夏、義姉が帰国して他の姉、叔母達も来ていました
    夕食時、義姉と夫がお土産を買込んで帰宅しましたが
    食卓を見て「私達はステーキを買ってきたから焼いて食べよう」と…
    逃げるように土間で洗濯をしていました「嫁は何処にいったんよ」笑う声と
    ステーキの匂いに涙があふれ出て一人孤独で寂しくて悲しかった

    そんな時、幼い頃会っただけの従姉から突然の電話が…そして
    「私達はみんな貴女の味方だからね」と…
    私にも≪味方≫と言ってくれる親戚が日本にいた
    本当に本当に嬉しかったこと何時までも忘れません

    ユーザーID:1052947952

  • 子供の頃

    私には障がい児の妹がいて物心つく頃には
    『ひとりで何でもできる良い子のお姉ちゃん』
    を義務つけられていました。
    泣いてはいけない
    ワガママを言ってはいけない
    お手伝いはすすんでしなさい

    窮屈に感じながらも良い子でいると母が喜ぶのでそれが嬉しくて頑張ってました。
    そんなある日、法要の席で遊んでいる他の親類の子供たちを尻目に
    お茶を出したり座布団を出したりお手伝いしていた私を親戚のおじさんが突然膝に抱っこして
    「たまには甘えような」
    と笑って頭を撫でてくれました。
    嬉しくて、鼻がつんつんして涙が出そうになりました。
    頭を撫でられるってことが初めてだったのでその感触の心地よさもその時知りました。
    今考えると、あの頃の私は凄く無理をしていたんだと思います。
    良い子でいようとするあまりに甘え方もわからなかった。
    このことがきっかけで母に甘えることもできるようになりました。
    あのまま甘え方を知らずに大人になっていたら今頃は壊れていたかもしれません。
    今は天国に両親といるおじさん
    あの時は本当にありがとう

    ユーザーID:2295810682

  • やさしい気持ち

    ふくろう様、素敵なトピをありがとうございます。
    涙が止まりません。

    ガチガチにトゲトゲになっていた自分の心が、
    皆さんのトピを読ませて頂いたお蔭で
    プルンプルンの甘ーいプリンみたいに、柔らかく、優しい気持ちになれました。

    自分の過去も久しぶりに振り返る事が出来て、やさしい一言を掛けてくださった
    方の顔を思い出させて頂きました。

    今の私は、会社で人に頼らない、孤独、生き残る、勝つ為には・・・・・
    そんな事ばかり考えていましたが、
    他の方に助けて頂きながらここまで来ていたんだと気付きました。

    今度は少しづつ恩返しをしていこうと思います。
    やさしい気持ちを思い出させて頂き、ありがとうございました。

    ユーザーID:1867804105

  • 小学生だった頃の話ですが

    肺炎で、長く入院していた私。
    退院後、クラスで学級委員などを決めるクラス会があり、経緯は失念しましたが、私が委員として選ばれてしまいそうになったことがありました。

    断れずに困っていると、クラスの男の子が手をあげ、「先生、〇〇さんはずっと入院してたし、委員になったらかわいそうだと思います!」…と、助けてくれました。

    彼は私の初恋の人。
    その後、転校してしまいましたが、数十年経ったいまでも良い思い出です。

    ユーザーID:6505019523

  • 息子がちいさい時に2回ありました

    1度目は
    生後3ヶ月ごろから半年間ほど、息子はひどいアトピーでした。卵が原因でした。「妊娠中にお母さんがたくさん卵を食べるとなるらしい」とか「私の息子は肌がつるつるだったからわからない」とかご本人は何気なく言ったであろう言葉に傷ついていました。
    あるママ友は「大変だよねぇ。私ならどうしていいかわからないな。」って言ってくれて、なぜだかすごくうれしくて10年以上たった今でも覚えています。

    2度目は
    息子が2歳くらいの時、スーパーの屋上で遊んだ事がありました。息子は仲良く遊べず、泣き叫びました。他のお子さんは仲良く遊んでいて、情けなくなった私は帰ることにしました。
    通りすがりのおばちゃんがこっちを向いて言いました。
    「ぼく、お母さんの顔を見てごらん」
    見た目はちょっと怖そうな方だったので、叱られるのかと思いました。
    ですが、おばちゃんは真剣に
    「な、悲しそうな顔してるだろ。男の子はな、お母さんを泣かせたらいけないんだよ。わかった?」と言ってくれたのです。私は涙がでそうになり、あわてて頭を下げて通り過ぎました。

    このふたつ忘れられないです。

    ユーザーID:7582424111

  • 異動先の職場での心無い一言に・・・

    8年位前の話ですが、
    離婚、大怪我で長期入院、片道2時間の職場への異動と
    これでもかと、不運が続いていました。

    異動した部署で昼休みに職場で既婚女性3人とバツイチの私で雑談していた時、
    Aが、シングルの老後は、誰にも看取られる事もなく、運が悪けりゃ、死んだのも気づかれなくて可哀そう。
    みたいな事を言っていて、その無神経で非常識な発言に、いやなヤツ・・・と心の中で思っていました。

    異動したばかりの職場で、波風立てずうまくやらなければ・・・と言う気持ちが
    先走り、その場をやり過ごし、こんな事を平気で言い放つ人達とこれからずっと仕事をしていかなければならないと
    思い、幻滅した気持ちのまま昼休みも終わり、自分の席へ戻ろうと歩きだした時、

    派遣社員の一つ年上のBさんが
    「死ぬ時は皆一人だよね。気にする事ないよ!」と言ってくれました。
    当時、理不尽な異動で周りがみんな敵に見えていた私が、
    Bさんのやさしい一言で、すごくホッと安らいだ事は一生忘れません。
    今、思い出しても涙が出てしまいます。
    私もBさんの様に、他人の気持ちがわかる人になろうと思います。

    ユーザーID:1867804105

  • 赤ちゃん泣いちゃったら大変だろ

    4歳の長女と生後2ヶ月の次女を連れてスーパーのレジに並んでいた時、私の前に並んでいた50代くらいの一見蓮っ葉な感じの男性が順番を変わってくださいました。夕方でレジは長蛇の列、誰もが一刻も早く会計を済ませたいはずなのに。遠慮する私に「赤ちゃん泣いちゃったら大変だろ!?」と…。極度の寝不足と疲労で本当にいっぱいいっぱいだったので、ありがたくてありがたくて…。
    後日、その男性が高齢のお母様を自宅で一人で介護されている事を偶然知りました。自分も大変なのに周りの人を気遣う優しさ。
    今まで気をつけていたつもりですが、電車の中、レジの行列、ATMの列…ただボーっとしているのは絶対辞めようと思いました。

    ユーザーID:7267784686

  • アメリカ人

    アメリカ生活で、二人目の子供を出産し、
    息つく暇もないくらい、毎日毎日、バタバタしてたある日、
    育児にも、行き詰まり、周りに頼れる人も、身内もいない状態で
    一杯一杯だった。

    おいしいパンを、おすそわけに持って行って、彼女に何気ない言葉をもらった

    こんな遠い国で、親も親戚も、言葉も文化も違うなか
    あなたは、本当によく頑張ってるね。


    まさか、そういう事を言ってくるとは、思わず、
    そうねえ〜、なんてぐっとこらえながら、さよならをして
    そのまま、ダッシュで、ガレージまでいき、そのまま号泣した事があります。


    あなたのその一言で、どんだけ救われたか。


    ありがとうございます。

    今も、思い出しただけで、心がポカポカしてます。

    ユーザーID:8555038623

  • 一言、ではありませんが。

    私も参加させて下さい! もう20年位前になります、息子と二人で日本に里帰りした時のことです、まだ赤ちゃんだった息子の席はありません。
    ずっと私の膝の上でだいていました、ところが食事のとき、息子を抱いたままでご飯は食べられないとわかりました。
    諦めようとした私の横にいらした方が”あなた口開けなさい、私があなたに食べさせてあげるから。” と仰って一口、一口、あーんして
    食べさせてくださいました。おかげでちゃんと食事をとることができました。ありがとうございました。

    またそれから数年後の里帰り中のある日、バスに息子と乗っていたら突然大雨、傘を持っていませんでした。
    息子を濡らしたくなくて、もっていた服やらなんやらでなんとかしようと思いながらバスを降りようとしたら、運転手さんが傘を貸してくれました。
    多分ご自分用のかと思えるごっつい黒い傘。”子供濡れたら可哀想ら”って。
    このトピを読むまですっかり忘れていました。
    あと時は本当にありがとうございました、息子は今多分覚えてはいないと思いますが、その時は親子二人で
    日本の人の優しさに驚き感謝しました。良かった、思い出せて。

    ユーザーID:3381451871

  • この週末

    有りました。

    研修で出張でした。
    「戦友だ!」と同僚から。
    全国区ですが、仕事は経理事務で女子一人。
    週休1日で、昼休みもそこそこ。
    家に帰っても旦那は時間が合わず実質、一人で子育てしてます。



    上記は、仲間を感じる一言でした。
    辞めようと思ってましたが、もう少し仕事続けようかな。

    ユーザーID:7734768510

  • 進路を決めるとき

    私も参加させてください。

    医療関係の仕事をしています。学生時代実習でお世話になった病院に、就職を勧められていました。
    すごく就職したかったのですが、親元から離れるので、迷っていました

    私は親元を離れるのに、離婚調停中だった両親が心配でした。特に母が私を手放したくなかったようで、
    就職は地元からしてほしいといわれていて。親には、就職を進められていることを話せなかったのでした。
    実習で首から下が動けない40代の男性のリハビリを担当していて、2カ月間彼が車いすをこげるように練習したりいろいろなことをして充実した時間を過ごさせていただきました。
    その男性に、あるとき何気に就職のことで親のことと悩んでいることを打ち明けたとき。

    「 一緒にいるだけが親孝行じゃないですよ 」

    と一言。それが私の後押しをしてくれました。今でも彼に感謝しています。
    親も離婚することにはなりましたが、結婚して親の気持ちも少しずつわかるようになりました。

    ユーザーID:3065720746

  • コンビニのおにいさん

    「何でお金と時間をかけてこんな思いをしにいかなきゃいけないの…」と、よそゆきの靴の中まで雨でびちゃびちゃになっていて最悪な気分だった日。
    お昼ご飯を買おうとして、すっごい不機嫌な顔して入ったコンビニで、
    店員さん(男性)が「お箸とフォークどちらをおつけしますか?」と。
    「どちらもおつけしますか?」「え、…あ、どっちもいいです」と答えたら、
    「わかりました!なるほど〜、そういう選択肢もあるわけですね!」と明るくふざけてくれました(?)
    眉間にシワ寄せてたのに思わず笑ってしまい、なんだか楽しい気分で帰れました。

    友達や家族からの思いやりのある励ましの言葉ももちろん素敵ですが、
    このトピは「赤の他人が何気なく言ったこと」ってのがいいですね。
    その人は、自分が他人を救ったなんて思ってもいないし、とっくに忘れちゃってるだろうけど、
    こちらはいつまでも覚えているんですよね。もう会うこともないのに。
    同時に、自分も、他人にとってそんな存在になれたらって思います。

    ユーザーID:2867210888

  • 親友からのメッセージ

    皆さんからの投稿を読んで、久しぶりに11年前にもらった友達からのメッセージカードを引き出しの奥から出してきました。かわいい羊がくわえた小さなそのカードは、11年前に私が留学のため渡米する直前に友達がくれたものです。

    20代後半で、安定した仕事を辞めて留学することに両手をあげて賛成してくれる人はたくさんはいなかったのですが、高1からの友達で、大学も、卒業して地元に帰ってきてもいつも一緒だったその彼女は、別れを惜しみながらもこう書いてくれました。

    「がんばって。私もがんばる。何があっても味方、わかる相手でいたいと思います。…思うじゃなくて、です。です。」

    その後11年の間に色々ありましたが、折りあるごとにこのメッセージを見直して、彼女の存在に何度も何度もはげまされました。何度も引越しをして荷物整理が上手になりましたが、彼女からの手紙は全部とってあります。

    彼女は今、重い病気ともう何年も闘っています。彼女が私にくれた勇気や元気の、ほんの少しでも返すことができればいいのに。そう思います。彼女がくれたメッセージと同じ気持ちで、いつも祈っています。

    ユーザーID:7802479196

  • あります

    素敵なトピ立て、ありがとうございます。

    結婚する少し前、道端で親戚のおばさんに会って話した時の会話です。

    「知らない所にいく不安があると思うけど、
    私もあなたのお母さんも、初めはみんな一緒!
    みんな同じように初めての土地に来て、乗り越えてきたの。
    だから大丈夫。頑張ってね」

    私は田舎住まいで実家から出たことがなく、本当に不安でいっぱいでした。
    この言葉ですごく勇気が湧いてきました。

    新しい土地にきて二年。
    まだ実家の環境が恋しいのですが、いずれは今の住まいが一番になれるように
    頑張っていこうと思っています。

    ユーザーID:6921576898

  • 皆さん、ありがとう 2

    2度目ですが、あったかいレスが続いていてうれしくなりました。心やさしい人たちと、それをきっかけに元気に立ち上がれる人たち。両方ともすてきです。
    最近、人間不信のど真ん中で、人は裏切るものだし、この先いいことなんか一つもないまま私の人生終わるんだろうとまで思いつめていましたが、そんなことないよって励まされたような気がします。
    私も困っている人や辛い思いをしている人の心の支えになるような人間でいたいと思います。

    トピ主のふくろうさんはじめここに集まった皆さんの幸せをお祈りします。ありがとう。

    ユーザーID:2451653052

  • 奈奈さんへ

    > 横ですみませんがどうしてもレスしたくなりました。

    みなさんのレスを読んで「ありずとう」がきちんと言える。
    その素直な心はあなたの長所だと思います。

    文章からとてもかわいらしい方だと感じました。私はあなたの様な人と友達になりたいです。
    ただし、私は年季の入ったおばちゃんですよ。

    これからもあなたの良さを大切にしてお仕事を頑張ってくださいね。

    ユーザーID:9200113370

  • しんどい子育て中に

    娘が2歳前の頃。

    娘も自我が芽生え始めていて、少しでも思い通りにならないと所構わずひっくり返って泣き喚き、暴れる娘を落とさないように持ち帰る。そんな日々。周りの子には、そんな子いないのに、何でこんなに手を焼かなくちゃいけないんだろう・・と、悩んでいました。

    その日も、夕方の買い物を何とか終え自宅マンション前まで来た所、先輩ママさんとお子さんたちが遊んでいました。

    「あら、大きくなったわね〜」と先輩ママ。
    「最近、全然言う事聞いてくれなくて・・・」と私。
    「今何歳だっけ?」
    「もう少しで2歳です」

    「そりゃ、聞かないわよ〜!言う事なんて絶対聞かない!」

    え??そうか!!聞かないんだ!!なんだ、そうか!!とスッと心に光がさしましたね。

    何気ない一言だったと思いますが、本当に救われました!
    あの一言が無かったら、私は2歳前の娘に、何でいうことを聞いてくれないの??と、日々娘を追い詰めてしまっていたかも、と本当に感謝しています。

    ありのままの娘を認めることが出来た、魔法の言葉でした。

    ユーザーID:7676422261

  • おばちゃんの言葉

    いいトピをありがとうございます。

    私も助けられた言葉があります。
    「よくばって あれも これも しようと思ったら 無理がいく。
     時が立てば 赤ん坊も自然にふとるし 母親も上手になるし
     あせらずにね」

    これは親戚の叔母へ第1子の出産を年賀状で報告した際に返信されてきた手紙にかかれていた言葉です。

    私は1人っ子で両親がともに他界しています。
    主人の実家は遠方なため、出産の立会いも主人のみ、
    自宅に帰ってからも主人と2人で四苦八苦しながら子供を育ててきました。

    生まれて100日くらいまでは
    おっぱいがでなくてでなくて、子供がなかなか大きくならず
    毎日ベビースケールの数字を見ては落ち込み、
    自分は満足に子供を大きくすることもできない...と自分を責めてばかりでした。

    そんな時に叔母からもらった手紙の
    この言葉にどれだけ慰められたことでしょう。
    子供が大きくならないなんて、一言も知らせていなかったのに...

    人って、すごいですね。
    無意識に誰かを救う力をもっているんですから。

    私もそんな人になりたいです。

    ユーザーID:3295711094

  • 流産した時の看護師さん

    結婚7年目、初めて待望の妊娠だったのですが、
    ほどなくして心音が聞こえず、流産の手術を受けました。

    麻酔が切れて目が覚めると、そこは暗いベッドの上。
    全てが終わったことが分かり、ものすごい喪失感に苛まれて、涙が出てきました。

    そこに見回りの看護師さんがやってきました。
    私は泣いているところを見せないようにと気を遣いたかったのですが。
    左手には点滴、右手にはナースコールのベル、麻酔もまだ完全に冷め切っていない状態で。
    泣き止もうと思ったら、ぐっすんと音が出てしまいました。

    しまった!

    と思いました。ところが、上の方からも、同じく、ぐっすんという音が聞こえてきたのです。
    看護師さんが私に少し背を向け、顔に手を覆いながらこう言いました。

    「ごめんなさい。私まで涙が出ちゃって」

    流産はとてもとても悲しく、それに対して色んな人から慰めの言葉も様々掛けて頂いたのですが、
    正直、慰められるどころか一層悲しくなることの方が多かったです。
    そんな中でこの看護師さんの言葉だけは、心がとっても温かくなりました。
    心に寄り添ってくれた。それが一番嬉しかったです。

    ユーザーID:9796639888

  • おじさん有難う

     みなさんのレスを読んでいたらじーんときてしまいます。

     私も、ずいぶん昔、職場で上手く行かず、私的な悩みもあり、重い毎日を送っていました。
    その日も仕事場で酷く情けない出来事があり、帰りにたまにしか行かないあるお店にふらっと立ち寄りました。

     必要なものを取ってレジに行ったら、おじさんが「元気ないなぁー」と言って、
    お金を渡そうとした私の手の上に自分の手を置いたのです。
    普段ならびっくりするところが、なぜか胸が一杯になり、
    もう少しで泣き出しそうになりました。

    「これ持って帰って食べ。沖縄のドーナツや。おいしいで」
    とサーターアンダギーの袋を持たせてくれました。
    無骨そうなおじさんの優しい笑い顔が忘れられなかったです。

     大きな暖かい手でした。

    ユーザーID:6510465067

  • 元気で頑張るんだよ

    何せ男性優位の会社に勤務しています。
    女性の正社員は一握り。
    新規採用するのはパートと契約社員のみ。
    おめでたになったらやんわりと退職を勧告する。

    女性の仕事は「掃除、電話番、お茶出し」と言って憚らない上司たち
    実際は男性よりもメッチャ働いている人も。

    そんな中、本社からある方がいらっしゃって会議に出席した。
    今まででも本社の偉い方々は女性社員なんて目に入らないのか挨拶すらしない。

    ただ、その方は女性にも挨拶して入ってきた。
    帰りにはタクシーで帰る様子をガラス越しで見ていたのだけれど
    車が走り出すか走りださないかで急に止まった。

    彼がタクシーから降りて来て私たち女性たちに
    「元気で頑張るんだよ」と手を握りながら激励してくれた。

    次期社長の呼び声が高かった新任の専務だった。

    だが、しばらくして彼は休職した。
    末期の癌が見つかったのだ。
    そして帰らぬ人となった。

    悪人ははびこり、良い人はやはり短命なんだろうか。。。

    ユーザーID:7481753971

  • 小児科の先生

    もうじき2歳になる息子がいます。

    とにかくよく泣き、夜は頻繁に起き、日中はずっと抱っこしていないとダメという子でした。
    お互い両親がおらず主人は帰宅が遅く、手伝ってくれる人もいませんでした。

    睡眠不足と孤独感、不安などで円形脱毛症になったり、
    思考がまとまらず物の名前が思い出せない(テレビや机など普段なら忘れるはずのない物です)、
    果ては子供の名前すら一瞬分からなくなるような有様で、心身共にボロボロでした。
    今思えばノイローゼ気味だったのかもしれません。


    そんな時に検診でお会いした小児科の先生に
    「お子さんよく笑うし、ママの顔をしっかり見てる。信頼関係がしっかり築けていますね。
    上手に育ててますね〜。素晴らしいですよ。」と言われた事が今でも忘れられません。

    あぁ私間違ってないんだ…って認めてもらえたようでとても嬉しくて、帰りは泣きながら帰宅しました。
    まだまだ手のかかる年齢で悩みは尽きませんが、この言葉が私の支えとなってくれています。

    ユーザーID:1505152463

  • キラキラ

    仕事で疲れ果て体調ボロボロでかかりつけの婦人科に行った時のことです。
    精神的にもまいっていたけれど、精神科にかかる勇気もなく、
    「気持ちの落ち込みやイライラが止まらないんです。」と先生に話すと高齢で耳の遠い先生に「え?おしっこの検査?」と聞き返され
    ガクッとして半泣きになりがらもう一度言おうとすると看護師さんが「気持ちが落ち込むそうですよ」と先生に伝えてくれました。
    そして私に「忙しいんですね、大変ですね。でも私には頑張ってて輝いて見えますよ。」と声をかけてくれました。
    その瞬間はりつめていたものが解き放たれて号泣してしまいました。
    落ち込むと今も思い出します。

    ユーザーID:5860075652

  • 父親からですが2

    (続きを書きます)

    わたしが反抗した時に見たあの父親のウンザリした顔は、わたしに対してウンザリしていたのではなくて、娘とうまくコミュニケーションを取れない自分自身に対してウンザリしていたのかなと、大人になってから思っています。

    今はわたしは結婚して子供がいて平和な主婦をしています。
    定年退職した父親は離れていますが、たまに会えばわたしには口数が少ないですが、孫も可愛がってくれます。

    あの時の一言のお陰で今のわたしは幸せなんだと断言出来ます。

    もしもわたしの父親のような立場のお父さん、お母さんがいたら、お子さんに生まれた時の嬉しかったエピソードをぜひ一度、聞かせてあげてくださいね。
    お子さんの年齢は関係ないと思います。
    成人していたとしても言ってあげて欲しいです。

    ユーザーID:3596727072

  • 高校の先生に。

    四つ年上の兄をでき愛する母。
    兄は自分のやりたいことができ、比べて私は、家事全般、自分の勉強、買い物…。

    兄は、多額の金がかかる予備校に行くことが許され、
    高校三年になった私は、
    「お前にかける金はもう無いから、就職しろ。
     でも、これは親である私達が悪いんじゃない。
     そういう人生だと思って諦めろ」
    と言われました。

    自分の生まれてきたこの家は変えられない。
    変に達観していた私は、泣かない、表情を変えないひどく無機質な高校生でした。

    ある日、高一の時の担任に呼び出されました。
    生徒指導室に連れて行かれ、何を言われるかと思ったら。
    「お前がやりたいこと、言ってみろ。お前、進学したかったんだろ?
     ここには、お前が気を遣わなきゃいけない親はいないから。
     やってみたいこと、思ってること、全部言ってみろ」

    むせび泣きながら吐き出しました。
    進学したかった。兄のように好きなことをやらせて欲しかった。

    その後は、憑き物が落ちたように、まっすぐに前を向けました。
    先生、貴方がいたから今の私があります。
    本当にありがとうございます。

    ユーザーID:7957870058

  • 人と人との繋がり

    何気ない一言に救われる事って、本当にありますよね
    良く知っている間柄でも、たった一言、言って貰えた言葉に…
    支えられ・助けられている毎日です。
    それがまして、見知らぬ人の一言で助けられたのならば…
    そんな幸せな事って、なかなか無いと思います!
    人と人の繋がりって、本当に大切にしなきゃいけないと、改めて思いました。
    素敵なトピ、有難う御座いました!

    ユーザーID:3366627492

  • 救われた までいかないですが

    22,3歳の春
    前から来たおばあちゃまから「まぁ、いいお顔してるねぇ」と話し掛けられました。
    あの頃は彼氏もいてラブラブで…

    自分が絶好調だと、全く知らない人をも
    いい心持ちにさせることが出来るんだなぁと思って嬉しくなりました。

    またそんな顔になりたいです。

    ユーザーID:7018879354

  • このトピに救われました

    今朝、夫と結婚5年目にして初めて声を荒げてケンカしました。以前から感じていたことなんですが私が具合が少し悪くて昼までねていたのですが、様子を見に来てくれるわけでもなく、ほったらかしにされていると感じていたんです。
    昼過ぎ、ようやく起きてもテレビを見たまま私の方を見ようともしない。いつものことですがついに切れて「私のこと心配じゃないの?どうして様子も見に来てくれないの?」とケンカをふっかけてしまいました。夫は「頭痛い位、子供じゃあるまいし、具合悪いならそうと言えばいいじゃないか」と向こうもケンカ越しです。夫の初めての冷たい言葉、怒りにショックで声を荒げて泣き叫んでしまいました。最近自分でも年齢の成果、情緒不安定気味だったこともあるんです。。
    そのあと、夫は悪かった、となぐさめてくれ私も反省しましたが。。。
    このトピをたまたま見て、心にランプを灯してもらえたような暖かい気持ちになり今、涙をぽろぽろだしながらレスしています。本当にみなさん、ありがとう。。。

    ユーザーID:2859115109

  • 昔のドラマでのセリフ

    何年か前のドラマでのセリフです。(浅野温子さん主演だったと思います。)
    学校の先生に「幸せとは?」って聞かれた生徒役のともさかりえさんの一言でしたが、
    しばらく考えた後、「一生懸命探さないと見つからないもの。」

    あっぱれ。座布団1枚。・・・の心境でした。

    あれ以来、愚痴を言いたくなる時はこの言葉を思い出して
    小さい幸せ探して「私って幸せなんだ。」と思っています。

    ユーザーID:5792796835

  • 友人のことば

    数年前。周りが続々と結婚していく中、一人ぼっちで、
    溜め息混じりに婚活サービスに登録した頃。

    友人に、「そんなわけで、婚活サービスで相手を探そうかなと思うんだ・・」と近況を話しました。

    そのとき友人が
    「ワクワクするね!!!」と、本当にワクワクした表情で言ってくれたんです。

    そっかーがんばってね
    大変だね くらいの反応を予想していた私は予想外の言葉に驚きました。
    そして、なんだか実際ワクワクしてきました。

    曇天だった気持ちに、晴れ間が広がりました。

    ユーザーID:3493634596

  • 心のバイブル

    以前読んだ本で題は失念しましたが、とても心に残った言葉があります。それは「誰だって、自分が思っているよりすごい人間なんだよ」です。当時
    何事にも自信を持てませんでしたが、この言葉が少し自分を変えてくれたような気がします。私にとって心のバイブルです。

    ユーザーID:3684610659

  • オーストラリア・パースにて

    春のような暖かい(温かい)良いトピですね。

    今から10年ほど前、入社5年目の私がオーストラリアツアーの添乗に出た際の話。
    最後の観光地のパースから夜便で帰国する為、お客様とバスで空港へ。しかし、
    夕食が長引いたせいか、出発2時間前には空港に着くべきところ、少し遅れて到着。

    しかも、一旦渡された搭乗券で座席を確認すると、ご夫婦やお友達同士の一部が
    隣同士の座席になっていない。焦っている私は、何とか座席をうまく組み替えて
    もらおうと拙い英語で依頼する。が、焦っているのでうまく伝えられない。

    すると、応対していた某Q航空の男性スタッフ(見た目40代後半〜50代前半)が
    穏やかにこう言ってくれた。

    「私が話す日本語よりも、あなたが英語を話す方が上手いんだから、ゆっくりと
    話してみて。」(もちろん、英語で)

    心からの「Thank you」を言えた事は今でも忘れません。

    ユーザーID:8373900722

  • 先輩の一言

    大学在学中、くっついたり離れたりのボーイフレンドと最終的には破局。小さな学校で噂はすぐに広まりますし、別れ際に彼から破局の原因は私のせいだ、の様なことを言われて、私がああ言わなかったらこうしなかったらとかなり落ち込みました。その時すでに社会人になっていた先輩が、
    「それって、その彼氏に君を受け入れるだけのキャパシティーがなかっただけじゃない。」
    状況を違った角度から見たご意見に救われました。社会に出てから世の中にはもっと度量の大きな男性がいることを知りました。現在、キャパシティーの大きすぎるくらいの男性と結婚して12年になります。

    ユーザーID:4046120592

  • すみません

    ただの感想なんですけど・・・

    ギスギスしてたらいけないなって。
    皆さんのお話を読んでいてそう思いました。
    いつも怒った顔をして、不平不満ばかり・・・
    そんな自分、あ〜〜〜最低だな・・・って。

    明日からはもっと優しい気持ちで生きていきたいです。
    もっともっと笑顔で。
    このトピの事、毎日思い出します。

    あ・・・私、今まさに皆さんに助けられたんだ。

    ありがとうございました。

    ユーザーID:9597880846

  • 南米系のおじさん

    大学生のころ、慣れないスーツにパンプスで電車に乗り、私も就職活動をしていました。
    就職氷河期と呼ばれる時代。
    全く内定がもらえず、だんだん夢も目標もなくなっていく辛い日々が続きました。

    私が学生時代、親元を離れて一人で住んでいたのは、南米系の出稼ぎ労働者がとても多い地域でした。
    そんな町で、私はいつも勝手にビクビクしながら、外国人を避けるように暮らしていました。

    ある朝、最乗の駅で電車に乗り遅れそうになり「今日は就職活動休む!もう疲れた!」って泣きたい気持ちになりました。でも乗り遅れたと諦めた電車は出発せず、ドアも閉まりませんでした。
    私に気付いた南米系のおじさんが、体をドアから半分出して閉まるのを止め、ニコニコ手招きしてれてたんです。
    驚きつつ電車に乗り込み、そのおじさんにお礼をいうと「今日はきっといいことあるよ」って片言の日本語で言ってくれました。いつも怖がって避けてきた人の親切が、心に染みました。
    おかげで就職活動から逃げずにすみ、どうにか就職できました。
    地元に戻ってからも、南米系の外国人をみかけると、あのおじさんを思い出します。

    ユーザーID:4408317467

  • 初老のご婦人の一言

    1歳半の娘を連れて外出中に小腹が空いて
    コンビに立ち寄ったときのこと。

    出産してからはなかなか自分に手をかけられずにいて、
    なんとなく自分の容姿に引け目を感じていたので、
    コラーゲン入りで美人になる云々書いてある栄養ゼリーを手に
    レジに向かいました。

    あうると初老のご婦人がすれ違いざまに
    「あらあ、あなた十分綺麗よ!」と言ってくださり、
    なんだかふっと心が軽くなりました。

    ユーザーID:4476494435

  • 優しさに包まれました

    結婚してすぐに妊娠したのですが、子宮外妊娠で緊急入院、緊急手術。
    その後の検査で妊娠ができないとの悲しい現実を突きつけられました。
    結婚したら普通に子供ができる事が当たり前と思っていただけに、
    ただただショックで立ち上がれない時のことでした。
    病院にお見舞いにきてくれた主人の妹が「お母さんから聞いた話しなんだけど、
    子供ができないことをお兄ちゃんがどう思っているのかをお母さんがお兄ちゃんに聞いたんだって。
    お兄ちゃんは今以上に○○ちゃんの事を大事にしないといけないって言ったらしいよ。
    それを聞いてお母さんも安心したって」と言ってくれました。
    子供が産めなくなった嫁をここまで大事に気遣ってくれている義母と義妹。
    そして何より自分の子供とキャッチボールをする事が夢だと語っていた主人の優しさに感謝でした。
    あれから16年。今も夫婦二人の穏やかな生活が続いています。
    私の全てを受け入れてくれた主人と、主人の家族にこの場を借りてあらためて「ありがとう」を言わせて下さい。

    ユーザーID:4992791216

  • ラジオ局のDJさんに。

    故郷の熊本から岡山に転職のために、転居しました。病気で前の仕事を辞め、希望の職種だったけれど、三十代半ばで九州から出るのは初めてで、不安でした。そんな時、よく聞いていたFM熊本の番組に熊本を離れる不安をメールで送ったところ、DJさんから、「いつでも帰ってきなっせ」と言われ、逆に「がんばってみよう!」と思えました。
    FM熊本のDJさんたち。がんばっております。ありがとうございました。

    ユーザーID:9199568767

  • バスの運転手さん

    私がまだ高校生だったころの話です。
    よく晴れた昼下がり、高校からバスで下校途中、
    「どなたか千円札を五枚お持ちの方はおられませんか?」
    と運転手さんが車内に呼びかけていらっしゃいました。
    どうしたんだろうと前をみると、同じ高校の男の子が一人、五千円札いちまいで両替もできず、運賃も払えず、困った様子で運転手さんに相談していました。
    しかし車内にはおば様4,5人程度で(田舎なもので)、持ち合わせている方がおらず皆黙っていました。
    私も持ち合わせていなかったのですが、運転手さんも男の子も困り果ててる様子。
    そうだ!と思い立った私は「千円貸すわ。」と、男の子にお金と自分のクラスを伝えました。

    その後、自分が降りる番になり運賃を払うと、
    運転手さんが一言「さっきはありがとうね。」と微笑んでくださり、
    びっくりした私は、恥ずかしくて下を向いて首を横に振るだけでバスを降りました。
    その後はなんだか心がホクホクして、幸せな気持ちで家に帰りました。


    PS.男の子は翌日、千円札をわざわざ封筒にいれて返しにきてくれました。

    ユーザーID:5722566227

  • 天使

    ものすごく性格の良くて美しいイギリス人の友人がいました。
    よく一緒に出掛けたし、何時間も恋話をした。
    そして私は自分のブーケを彼女に渡しました。

    彼女はボランティアでアフリカへ旅立ってしまいました。
    私は出産。メールで彼女に息子の誕生を伝えました。
    お祝いのメールが来たその翌月、共通の友人から彼女の死を聞きました。

    産後で気持ちが落ち込んでいた私にその事実はあまりにも辛く
    産後欝になりかけた時、彼女のためのサイトを見つけました。

    各国の沢山の人達からの彼女に宛てるメッセージで溢れたそのページに、
    彼女のイギリスの友人であろう1人の方のメッセージに心から救われました。

    God needed a new Angel for His garden, sadly for us He chose her.

    正に彼女は天使でした。この世にこんなに素敵な人がいるのかと
    思うくらいに素敵過ぎたのでした。
    だから、そのメッセージを読んだ時に、彼女の死を受け入れられたのです。

    数日後、息子が空に向かってはじめて声を出して笑いました。
    彼女が会いに来てくれたのだと、今でも信じています。

    ユーザーID:4786770255

  • That's what friends are for♪

    在米で自営業をしてます。
    去年は百年ぶりといわれる局地的な集中豪雨に合い、事務所と倉庫が洪水になってしまいました。
    2週間位は使えなくなったものを捨てたり片付けて大変でした。
    ほぼ終わった頃、取引先の米人がたまたま立ち寄ってくれて洪水のあとの惨状をみて、
    なんで電話してくれなかったんだよと問われて、なんと答えようかと考えてたら
    友達とはそのためにあるもんなんだよ! といわれました。
    支払いは遅いしあまり良いお客ではなかったのですがその一言でこの人を見直してしまいました。

    歌のタイトルにThat's what friends are for♪というのがありますが、英語でその通りに
    言われたのかどうかは忘れてしまいました。

    ユーザーID:2995495553

  • なぜあの時

    結婚し、夫の国での生活を始めて少したった頃の事です。

    夫自身は仕事も順調、沢山の友達に囲まれ、順風満帆な人生を送っていました。
    それ自体は喜ぶべきことなのだけど、私は何だか自分のことを惨めに感じるようになってきていました。
    立派にやっている彼に比べ、私ときたら、仕事も見つからず、新しい友達もできず、
    家事も不得意、ライフワークと思っていたことも事情で続けられなくなり、
    夫は私と結婚して本当に良かったのだろうか、
    彼のお荷物になっているのではないか、と、情けなさでいっぱいの毎日でした。

    そんな折、夫の職場パーティーに出席した時、
    彼の同僚で、私は挨拶位しかしたことのないおじさんが
    ふと思い出したように私に言ったのです。
    「○○(夫)は、結婚してから本当に良くなったよ」と。
    この言葉で、ああ、私もここにいていいのかな、と、
    存在価値を認められたような気がし、帰りの車で泣いてしまいました。

    数ヶ月後、その同僚は突然亡くなってしまったのです。
    何故あの時、思い出したように私に話しかけてくれたのかな、と、
    今でも涙が出そうになります。
    天国のおじさん、本当にありがとう。

    ユーザーID:9825768621

  • これ以上悪いことは起きない

    数年前の出来事です。
    当時の私は仕事で悩み、更に人間関係のトラブルと家庭の問題も抱えて追い詰められた状態、疲労とストレスで限界の時期でした。

    そんな中、私の誕生日と休日が重なりました。友人が誘ってくれたバスツアーに気乗りしないまま空元気で参加し、他県のさくらんぼ狩り農園に着いたときのことです。
    前日まで悪天候だったために、仮設の屋根が雨水の重さに耐えきれず、一部が崩れ私の真上に直撃・・・
    一緒にいた友人は、ずぶ濡れになった私を見て「かわいそ〜」と苦笑。

    誕生日の当日にまでこんな目に合い、追い討ちをかけられたようで惨めでした。
    呆然とする私に駆け寄って、私物のタオルで拭いて下さったのは年配の女性グループでした。
    そして、そのお一方の言葉に我に返りました。

    「大丈夫!もうこれ以上悪いことは起きないから!」

    私の事情など全く知らない偶然居合わせただけの女性たち。それなのに、いろんなことを経験してきたと思われる人生の先輩方の言葉と笑顔は、神様からのメッセージのようで涙が出そうでした。
    その後、抱えていた問題も徐々に軽くなりました。
    あの一言に救われて、いまは穏やかに生きています。

    ユーザーID:2775164251

  • 中三の時のヘンテコな先生1

    クラスの一部にイジメまがいの言動をとられる事もあり、特に親しい友人が居たとも言えない様な状況で、通うのが億劫にさえ感じた中三のとき。
    そんな中、今も確りと覚えている事があります。それは担任だった美術の先生の事です。

    先生はお世辞にも人気のある先生とは言えない方でした。
    話す時は目線を合わせませんし、ぼそぼそと話していつも無表情です。生徒と砕けて話すなんて事は勿論ありません。とても変わった先生でした。
    その先生は、何故か私にいつも絵の制作を依頼をして下さいました。
    体育祭の看板や集合写真で使う看板などです。
    絵を描くのが大好きだったので、いつも張り切って作ったのを覚えています。

    ユーザーID:1723361402

  • 中三の時のヘンテコな先生2

    そして高校の進路相談の時、先生は私に「あなたが行ったら良いんじゃないかと思う学校があります。」とボソボソ話しました。
    美術系の学科がある学校でした。
    私は地元の学校には行きたくなかった事や美術系という事に魅かれて二つ返事でそこへ行こうと決めました。ただただ、素敵な学校があるんだと喜んでいました。
    あれから20年近く経ちますが、先生にもし会えるならありがとうございましたと伝えたいです。
    その後通った学校で自分の大変興味のある事を沢山学ぶ事が出来ましたし、気の合う友人も沢山出来ました。友人の多くとは今も親交があります。

    いつも無表情で斜め上を見ていた先生。ただ美術の先生だったからというだけかも知れませんが、クラスで全く目立たない私が絵を描く事だけは人一倍好きだった事を解って色々任せて下さった事、そしてとても楽しく3年間を過ごす事の出来たあの学校を勧めてくれた一言に本当に感謝しています。

    ユーザーID:1723361402

  • 本当に良トピですね。

    彼氏と別れた時の事。
    別れた帰りの電車の中で号泣し続けていました。
    周りの方に迷惑だとわかっていても涙は止まらず声を殺して泣いていた時、近くにいた男性二人が「大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。
    それから隣で理由も聞かず励まして頂き、それだけでも嬉しかったのですが、乗客が増えてきた時に私の周りを取り囲んで
    「俺たちが盾になるから泣いていいよ」と。
    すっごく嬉しくて余計に涙が溢れてきました。

    今ではすっかり立ち直り元気にやっています。あの時の見ず知らずのお二人のお兄さん本当に有難う御座いました。

    ユーザーID:0082707068

  • HANAさんの内容と少し似てるけど。

    このトピいいですね。

    私も一つ。

    社会経験もロクにないうちに結婚して、
    結婚してすぐに実家からも遠方、夫は激務、知り合いも友達も居ない、子供の夜泣き・病気に、自分の喘息の悪化で。

    でも自分の選んだ道だし、我武者羅に頑張っていました。

    親にも心配かけたくないし、これだから若いから人はって言われたくないので毎日必死。
    ストレス?で一番頼るはずの夫とも喧嘩ばかりでスレ違い。

    どうにもこうにもならなくて、茫然としていた時に、母から丁度、電話。

    怒りながら愚痴愚痴文句を垂れていたら、
    「みーさんなら大丈夫。大丈夫。」
    と力強く言われて、気が張っていた糸が切れて泣いてしまいました。

    育児も仕事もキッチリしていた母だったので、甘ったれるなと怒られるだろうなと予想していましたが
    黙ってうんうん聞いてくれて、励ましてくれて今でも涙が出ます。

    あれから3年経ち子供は3歳、実家からも転勤で更に離れてしまいましたが、
    あの時の「大丈夫。大丈夫。」で
    辛い事があっても大丈夫だ!と自分に言い聞かせています。

    ユーザーID:1074632870

  • このトピ大好きです。

    10年ほど前、生まれてからずっと本当の孫のように可愛がってくれた近所のおじいさんが病気でなくなりました。
    『じいちゃん』と呼び、本当のお祖父ちゃんより大好きだったので亡くなった時本当に悲しかったんですが、悲しすぎるのと元来の意地っ張りのせいでなかなか涙は出てきませんでした。

    葬儀の時に『顔見て行って』と言われ棺桶に横たわるじいちゃんを見て何も言えないでいると、横から『来てくれてありがとう』とじいちゃんの声がするのです。
    驚いて見るとじいちゃんの弟さんでした。
    顔は似てなかったけど声がまったく同じで…。
    じいちゃんに言われた気がして、涙が溢れました。

    ユーザーID:0122874110

  • ありがとう

    仕事で疲れて眠っていると、10歳と7歳の息子たちが話してました。

    「お母さん、疲れたんだね」
    「お母さん、かっこいいね。仕事もして家の事もしてるんだもんね。」

    ずっと、かっこいいお母さんでありたいと思います。

    ユーザーID:5911292478

  • 私も参加させてください

    素敵なトピで、これを見つけた私はラッキー!!

    では私にも2つほど披露させてください。

    1つは、最初の仕事に挫折して転職した会社で。
    なかなか勝手の違う仕事に戸惑って、そのうえ直属の上司を1度怒らせて以来、ずっとその上司に意地悪されていた私に、その上の上司が誕生日のカードの寄せ書きに書いてくださった一言です。
    「今の貴女は胸突き八丁のところ。この一番大変な場面を越えればきっといいことが待っているから、今の笑顔で頑張って」と。
    それ以来、胸突き八丁、胸突き八丁‥‥と心で唱えながら頑張りました。
    その翌年、春の人事異動で、その意地悪上司は地方へ飛ばされました。

    長いのでここで1度切ります。

    ユーザーID:7320149683

  • 続きです

    もう1つはまた転職した別の会社での出来事なんですが。
    なるべくいつも笑顔でいるように、場が明るくなるよう元気にしているように、と気遣っていた私。
    ある日、年齢の近い中間管理職の女性が、つくづくと私の顔を眺めて一言、「貴女はいいわねぇ、悩みがなくて」。
    別に悩みがないわけじゃないのに、と、言い返せないながらも内心で憤慨していました。
    その翌年の年賀状に別の年配の男性重役から「職場を明るくしてくれる毎日の貴女の笑顔、尊敬しています」と書かれていました。

    どちらも、いちいちわかるようにアピールしなくても、ちゃんと見ていてくださる方にはわかるんだ、と励まされた出来事でした。

    ユーザーID:7320149683

  • 看護師さんの心遣い

    第一子を出産したときのことです。低出生体重児として生まれた赤ちゃんの体調が思わしくなく産後すぐに大きな病院へと搬送されてしまいました。

    術後の体力が回復し、新生児室を覗いてみました。可愛い赤ちゃんが並んで寝ていました。でも私の赤ちゃんはいません。一目しか会ってない私の赤ちゃん。なんだかとても悲しくて切なくてベッドに戻って自分を責めながら泣いてしまいました。

    食堂で他のママさん達とお食事することになった時のことです。

    その食堂で同じテーブルにいたママさんたちの会話。
    Aさん: ”そういえば赤ちゃんが救急車で運ばれて行ったの見た?”
    Bさん: ”見た見た。あれは2000グラムないよねえ”
    Cさん: ”あれって・・・。”
    一同 :(笑)
    それ、私の赤ちゃんかもしれません・・・。って心の中で思いながらもそのままお膳に顔伏せて泣きたい気分でした。

    ベッドに戻ると、担当の看護師さんがやってきて、”お食事は今迄通りベッドで食べてもいいんだよ”ってそっと言ってくれました。
    そのお心遣いにまた泣けました。
    因みに赤ちゃんはその後、すくすくと元気に育ってます!!

    ユーザーID:8123767150

  • 息子の一言

    今日も朝から、支度の遅い小学1年生の息子にイライラしていた私。
    そんな私の顔を見た息子の言葉。「ママってどうして朝から美人でかわいいんだろうね〜」。
    そんなわけありません・・・、いつも怒ってばかりの怖い顔です。

    「なんでそんな事言うの?」と聞くと「だって本当だも〜ん!ママ大好き!」と。

    子育てが大変なのは当たり前、自分の思うようにはならないし、自分の時間もない。
    そんな当たり前のことを忘れ、思い通りにならない日々に不満ばかりの私・・・。

    息子のオマセな言葉に、息子に申し訳ない気持ちが一杯。
    もの凄いお世辞とわかっていても、非難されるより全然気持ちがいいのですね。

    イライラして、息子の1日をダメにする権利などないのですね。
    もっと大らかで優しい母になりたい私です。

    ユーザーID:1704104106

  • 朝からうるうるです!

    とても素敵なトピ、拝見できて嬉しいです!
    皆さんのお話を読んでいると、世の中捨てたもんじゃないな。。。としみじみ感じています。

    わたしは、今年に入り、父を亡くし、気を張り詰めていました。そんな時、親族の一人になんだかわたしがとても良くない姉のように言われてしまいました。
    きっと、悪気もなく、昔話として話していたのだとは思います。

    だけど、そのときのわたしにはもう受け止められる余裕はありませんでした。
    トイレに駆け込み泣きました。

    その時、妹の義母さんがやってきて、わたしの肩を抱き、背中をさすりながら、
    『お姉ちゃんは、すごいよ!良くやってる。私も長女だったから気持ちはとてもわかる』と言ってくれました。


    わたしとはそんなに深い間柄ではないのに、そんな風に駆け寄ってきてくれた。
    見ている人は見てくれていると思うと、強くなれます。
    とがっていた気持ちがやわらかくなりあたたかい気持ちになれました。


    あのときのお義母さんの優しさに本当に救われました。
    心からありがとうを伝えたいです。

    ユーザーID:0994324663

  • どうか安らかに・・・

    初めて授かった赤ちゃんを流産してしまった時のことです。
    検診で赤ちゃんの心拍が止まっていることを告げられました。
    それまで「妊娠したら元気な赤ちゃんが生まれてくる」と
    思っていた私は悲しみと絶望の底にいました。
    部屋に閉じこもり毎日自分を攻めながら泣いて暮らしていましたが
    ある時、夢を見ました。

    夕方散歩をしていると空から光の玉が降りてきます。
    両手のひらに乗るくらいの小さな玉。
    温かく光りながら私のそばでフワフワと浮いています。
    直感的に亡くなった赤ちゃんだと気づきました。
    どこからともなくお坊様が現れて言います。
    「その子は怒ったり悲しんだり、ましてや恨んでなんかいない。
    ママに会いたかっただけだ。最後にママに会いたいと・・・」
    その言葉を聞いて泣き崩れました。
    助けてあげられなくてごめんね。どうかママを許して。
    泣きながら何度も何度も誤りました。
    暫くすると光の玉はゆっくり空へ昇っていきました。
    あぁ天国に行けたんだ・・・よかった・・。

    目が覚めてからもずっと泣いていました。
    最後に会いに来てくれてありがとう。

    ユーザーID:6330377127

  • ステキなトピですね

    こういうトピ、殺伐としがちな小町で見つけると
    本当にオアシスを見つけたような気持ちになります。

    私は今、とてもとても好きな人がいて
    でも、その人は決して私を好きにはなってくれない人で
    忘れたいのに離れられず、苦しくて苦しくて
    毎日、ふと気を緩めると涙が出てきてしまいます。

    でもそれでも何も解決するわけではなく
    今いる場所から一歩も踏み出すことが出来ない自分が嫌になっていました。

    そんなときにこのトピで、イェスさんのレスの
    「涙って大切」という最後のひと言で、今、心が少し軽くなりました。

    泣いたって意味がないのに泣くことしか出来なくて、
    なんて情けない人間なんだと思っていたところに
    あたたかい言葉。ありがとうございました。

    ユーザーID:4753264059

  • カバ丸さんへ

    お気持ち、すごくわかります。
    全く同じようなことがあったので…。
    私も子供のように泣きじゃくりました。
    でも、どうぞカバ丸さんのままでいてくださいね。
    何度かの裏切りを経験して、私も相当したたかになったと
    思う今日この頃です。

    さて、本題ですが…。
    子供の発語が少し遅くて、定期健診の先生から
    「遅い!遅すぎやろ!」と言われたことがあります。
    悩んでいたので、本当にこたえました。

    それからしばらくして、児童館におられたカウンセリング
    の女性に相談すると、
    「この子はね、言葉の器が大きいのよ。今、しっかりため
    ているの。そのうち溢れ出すようになるから。」と言って
    くださいました。

    当時、人に相談するのも怖くなっていたのですが、この温
    かい言葉にとても救われました。

    その言葉通り、間もなくして溢れて溢れて止まらなくなり
    ました。

    この子が産まれたと同時に母も寝たきりになってしまい、
    泣きたくなるような毎日の中、出会った優しい言葉は、
    今でも私の宝物です。
    息子も今年中学2年になりました。
    あの時は、ありがとうごさいました。

    ユーザーID:1893190621

  • 同じ時間

    皆さんのレス見て朝から温かい気持ちです。男だけど書いてもいいですか?

    前にアメリカに留学してた時のことです。

    その日も、僕はいつも遅れるバスをイライラしながら待っていました。すると、横の大きなおばちゃんが僕に『疲れた顔してるね?あんたバス乗るの?まだこなそうねぇ。』僕が『日本じゃこんなことありえない!』というと、『あんた急いでるの?』、急いでるわけじゃないけどと答えると。『ここはアメリカだよ?日本じゃないんだよ?私はしばらくバスを待ってるけど、昨日買った読みたかった本を読んでるの。今日は天気もいいし急いでもないから、逆にいい時間だわ。』『急いでないなら、ゆっくりお待ちなさい。同じバスを待ってる私とあなた。どんな過ごし方をしても同じ時間よ・・・』

    本当に大きな一言でした。見上げると雲一つない青空。日本とはまるで違う景色。目の前のカントリー調の大きな公園には所狭しとサボテンが並び、太陽をバックにキラキラしてました。もともと短気な性格の僕でしたが、あれ以来無駄にイライラすることがなくなりました。おばちゃんありがとう!

    ユーザーID:9344542192

  • 私も一言宜しいですか?

    死ぬほど辛かったどん底の私を
    救ってくれた一言があります

    次男が重い遺伝子病を患って生まれ、
    余命が後1ヶ月と診断を受けた時
    何も考えられず、何も受け付けられず
    誰にも会いたくなく、
    幼かった2歳の長男だけを助手席に乗せ
    あてもなく車を走らせて
    人気の無い公園に行った事があります。

    駐車場に車を停めて、降りもせず
    涙を流しながら嗚咽をあげている私を
    隣でじっと見ていた長男が
    「ママ、和の手あったかいよ、ねっ」
    と言いながら、つと私の手を握ったのです。

    彼なりの精一杯の慰めの言葉だったんだと思います。
    本当に本当に暖かい手でした。
    冷え切った私の心にじんわり暖かさが染み渡りました。

    私はその手をおしい抱いて号泣しました。

    あの言葉がなければ・・
    その時私は発作的に何をするかわからない状態でしたので、
    文字通り私の命を救ってくれた言葉だったと思います。

    その長男もこの春大学へと旅立っていきました。
    元気で頑張って欲しいと思います。

    和君
    ママを助けてくれて、本当に有難う・・

    ユーザーID:2276068923

  • いいトピだ!実にいいトピだ!!

    私も参加させて下さい。
    数年前、当時生後8ヶ月ぐらいの息子を連れて、主人と三人でとある温泉街に旅行に行きました。
    貧乏旅行で普段から育児に頑張っていた私を喜ばせる為に、
    主人が企画してくれた旅行で安い旅館でしたが赴きあるいい旅館に宿泊しました。
    夕飯は大広間で合同で食べるとの事で主人と二人焦りつつ滅多に愚図らない大人しい性格の息子ですが、
    やはり周りに嫌がられるとの事を前提に主人が先に食べて私は息子を抱っこして座って、
    いつでも部屋を出れる様にしていました。
    すると遅れて広間に入ってこられた年配のマダムが息子を一瞥してちっと舌打ちして
    ドスドスと出ていかれたのです。

    びっくりして思わず主人と顔を見合わせて泣きそうになったのですが
    息子はニコニコとお座りしてくれたので急いで私も食べ始めました。
    食べ終えて部屋を出て行こうとしたらば、お向かいに座っていたおばあさん三人連れの方の一人が
    大きな声で周りに聞こえる様な感じで
    「ニコニコと大人しくお座りしていて偉かったな〜ホンマ育てやすそうな可愛い子やな。なあ皆」
    と連れの二人もそやそや、ホンマにって言って下さって本当に嬉しかったです。

    ユーザーID:9946027402

  • ありがとうございます

    トピ主のふくろうです。
    一つでも多くの素敵なレスを読みたかったので、もう私は見ているだけにしようと思ったのですが…

    新しくレスがつくのが楽しみで一日の最後にいつも見ています。
    いつのまにかランキングにも入っていて こんなに大勢の方が反応してくれた事がとにかく嬉しいです!
    また、『良いトピ』『このトピに救われた』等のレスもあり、そう言って頂けるのがまた本当にありがたい!!
    皆さま本当に本当にありがとうございます!
    一つ残らず拝見しております。最後にはなりますが、レスがいっぱいになるまでこのトピは閉めませんので どうぞ今しばらくお付き合い頂けたら幸いです。

    ユーザーID:5643892031

  • 不倫

    4年に渡る不倫を自分から断ち切って放心状態の私に、
    ずっと反対しながらも、見守り続けてくれていた友達が、
    「よく頑張ったね。おかえり」と。

    不倫だから愚痴を言ってはいけない、友達に相談してはいけない…と、溜めこんでいた感情が爆発して大泣きしました。

    ユーザーID:8195020469

  • 子供は天使。

    素敵なトピで心があったかくなりました。
    読んでいて、思い出したので私もひとつ。

    私の働いている会社は身内家業で、社長夫婦と事務員さんと私でいつも社内にいます。
    社長の娘はまだ3歳。すっごくかわいい女の子だけど、やんちゃでいつも社内で走り回ったりお絵かきしたりしています。

    その日は長く付き合った彼氏と電話で別れた次の日で、もう彼のことで頭がいっぱいで、顔には出さないよう努めていましたが、ちょっと気を緩めると涙があふれてしまうくらいですごくつらかったです。
    午後から社長の奥さんと娘さんが毎日来るんですが、その日は妙に私のデスクにはりついてあそぼーコールがうるさくて、正直迷惑だなぁ・・なんで毎日来るんだろ・・ってネガティブな気分のせいか、心の中で思ってしまいました。

    ちょっと外出して、席に戻ると机の上にアメ玉が3つ。
    娘さん忘れたのかな?って返しにいくと、

    「それおねーちゃんにあげるの。だから元気だして!」

    って満面の笑顔で言われて、思わず泣き崩れてしまいそうになりました。
    子供に嘘はつけないなあって、感動しました。

    ユーザーID:5430027016

  • 営業の時に

    本当にいいトピですね。
    読んでいて失恋したての私にはとても響いてきます。

    私のお話は20歳のとき、
    初めての営業で、さらに新規開拓の飛び込み営業。
    なにも言わずに追い払われることなんて当たり前でした。

    そんな身も心もボロボロだったときに、
    ふっと入った喫茶店で
    「若いのに大変だね。」ってジュースをごちそうしてくれました。
    とても暑い夏の日で、ずっと断わられ続けて人なんて嫌だって思ってたときだったので、すごく優しさが身に染みました。

    また、違うところでは
    「がんばってるね。あなたとてもいい雰囲気をもってるわよ。
     雰囲気っていうのは生まれ持ったものなのよ。
     とても素敵な雰囲気をもってるか自信をもちなさい。
     大丈夫」
    と言われたときは泣きそうになりました。

    いまでも、その2つのお店の前を通るとそのことを思い出し、
    励みにしています。

    失恋しても
    がんばっていきます!

    ユーザーID:9265910465

  • 全く知らない人の一言に助けられたこと

    就職のため、大阪に出てきて一人暮らしを始めてしばらくした頃。
    職場で女性は私だけ。周りは全員男性で10以上年上ばかり。
    話が合う人もいなくて、厳しい仕事内容に体も心も疲れていて、
    気がついたらスーツのまま寝ていて、化粧を落とす気力もなくそのまま朝を迎える日々。

    残業した帰り道、雨が降ってきました。
    商店街を走って抜ければマンションなので、小走りしていたら、

    「ねえちゃん!これ持って行き!傘、傘!」とおじさんに呼び止められました。

    とても嬉しかったのですが、
    「ありがとうございます!でもすぐそこなので〜!」と断って走り続けました。

    そしたら、またすぐに
    「傘、これ持って行き!返すのいつでもいいから!」と別の人が。

    私は、さっきと同じセリフをさっきより大きな声で、たぶんさっきより笑顔で言いました。

    また別のお店の人が、今度はかけよってきて、私の手にビニール傘を握り締めさせて
    「冷やしたらあかんで。体大事にしなあかん。
     また通りかかったときに返してくれたらいいから。はい。」と言ってくれました。

    ありがとう。仕事今もしています。

    ユーザーID:0169198969

  • さくらさん

    さくらさん。
    通りすがりの者ですが・・・・言わせて下さい。

    当事者ではない私に、分かったような事は言えません。
    けど、今、さくらさんのような状況にいる方が、
    このトピを読んで、発言されている・・・・・
    お会いした事もないですが、なんだか、さくらさんの「強さ」に心を打たれました。
    どうか、どうか、いつまでもお元気で。
    見方を変えれば、人間て、悪いものではないですね。
    そして、言葉の力の強さを改めて思い知らされます。
    さくらさん、素敵な感動を、どうもありがとう。
    生きてください。
    もう一度、お会いした事もない私ですが、さくらさんが病気を克服され、
    元気に生きている事を、本当に、本当に心からお祈りしています。
    生きてください。さくらさんは、きっと、すてきな人です。

    ユーザーID:0639869402

  • 知り合いの知り合いに

    18歳で出来ちゃった結婚、親にも申し訳なく世間にも肩身の狭い思いをし、
    結婚式も新婚旅行もなく、貧乏で、
    おしゃれも遊びも全てあきらめてぼろぼろになって育児をしていた時の話です。

    知り合いの知り合いと私の出身校の話をしていたのですが、
    その後、私のプライベートな話に話題が移り、
    「雪見だいふくさん、その年でもうお子さんがいらっしゃるんですって?」
    と言われて思わず、
    「すみません、○○校の学生はまじめな子が多いんですけど・・・」
    と返事をしたら、
    「いやいや、まじめだから産んじゃうんですよ」
    と言われ、号泣しました。

    その後、育児がつらい時、何度も何度もこの言葉を思い出し、救われた思いになりました。
    息子はもう17歳、本当に素直なよい子に育ちました。
    あの時の一言、本当に感謝してます。

    ユーザーID:4614074133

  • 男らしく

    参加させて頂きますね。

    私は20代男ですが、10代前半まで今思い出しても情けないくらい弱虫でした。
    それはもう、小学校高学年になっても、夜一人で寝るのが怖かったくらいに。
    (まぁそれは小学校のうちに治ったんですが)
    歳の離れた兄や姉に、「女々しい奴だ」と言われ続けていました。(特に姉は厳しかった!)

    そんな私も中学3年〜高校入学頃には「これではだめだ!」と思い、男らしくなるためいろんな事を試しました。
    自転車で1人旅をしたり、習い事で拳法を始めたり、部活に入って部長になったり(中学の頃は帰宅部だった)
    微々たる事なんですが、当時の私としては挑戦の連続でした。

    そして自分流の修行を続け、大学に入って1人暮らしを始めた頃。
    連休を利用して実家に帰った際に、姉と昔の話をする事がありました。
    その時
    「昔のあんたは、殴りたくなるくらい女々しかったな」
    と言われました。
    言われた時は「そうだねー」なんて言って気にもしなかったんですが。
    後になって「昔の」という言葉に気付き、泣きそうなほど(泣くな!)嬉しくて、1人喜んでました。

    今後の目標は、姉に「男らしい」という言葉を言わせることです。

    ユーザーID:5386374125

  • 知らない土地で

    離婚後、再就職することになり、
    これまで縁のなかった土地で暮らすことになりました。
    自ら望んで来たとはいえ、不安でいっぱいの引っ越しでした。
    そんな引っ越し当日、バス停でバスを待っていた私に、
    おばあさんがお天気の話から、色々と話しかけてきたのです。
    そして、私が引っ越してきたとお話ししたところ、
    「私も数十年前に引っ越してきたのよ。ここはいいところよ。
    みんないい人ばかりだし。」と言ってくれました。
    ものすごくほっとして、「きっと大丈夫」と思えました。
    そして、今、ちゃんと大丈夫です。
    今でも、あれは神様だったのかもしれないと思います。

    ユーザーID:9505106122

  • お茶しにおいで

    オーストラリア在住です。
    結婚を機にこの国へ移住しました。
    友達がなかなかできず、海外で始まった結婚生活の不安と
    戸惑いや心細さが大きくて、孤独感いっぱいな日々を送っていました。

    そんなある日、ふと知り合ったイギリス人女性に
    私の気持ちを少し話したところ、

    「私ね、北欧のド田舎に2年間住んだことがあるの。
    言葉はぜ〜んぜん通じないし、同じ西洋圏なのに
    習慣も考え方も違って、慣れるのに苦労したわ。
    自分が頭悪くなったみたいでホントつらかった。
    だからあなたの気持よくわかるの。
    いつでも私の家にお茶飲みにいらっしゃいね。
    車で迎えに行ってあげるわよ。」

    と、優しく真剣に言ってくれたんです。
    私の気持ちをわかってくれる人がいた!!と、
    涙があふれそうでした。

    あと、英語でうまく話せない時があると、
    「自分は英語しか話せないのに、
    君は2ヶ国語も話せるんだからスゴイよ」
    と言ってくれるオージーも多くて、ホント救われました。

    ユーザーID:6031194476

  • ベビーカーを運んでくれた弁護士さん

    離婚のことでとても苦しかったとき。
    とある法律事務所のお世話になりました。
    ベビーカーに乗せた、まだ1歳ちょっとのわが子。
    相談時間、30分どころか1時間以上オーバーしたのに、先生は「申し訳ないのですが、5000円払っていただけますか」、と受付まで案内してくださいました。

    法律事務所の出入り口は階段になっています。
    いつものとおり、大荷物を担いで、娘が乗ったベビーカーに手をかけた私に、弁護士の先生は気さくに昇降のお手伝いをしてくださいました。
    こんな難関資格を持っている方が!とびっくりしました。
    別れた夫は医者です。
    頭脳が良い悪いより、結局はお人柄なのですね。

    おかげさまで、いただくものをいただいて、離婚することになりました。

    ユーザーID:3096379325

  • わたしも


    タクシーで救われたことがありました。

    ある年の冬、ふられてとても落ち込んでいて、浮かないとても暗い顔をして乗ったのだと思います。
    降り際に、お釣りとともにあったかい缶コーヒーを渡しながら、
    「はい、コーヒー。頑張ってな。」
    と言ってくださいました。
    缶コーヒーとその言葉がとてもあったかくて、うれしくて、笑顔になれました。

    ユーザーID:2362323220

  • 社会科の先生

    中学生のころ、自分のまいた種でクラスの女子ほとんどに嫌われてしまいました(私も女)。
    毎日学校に行くのが本当に嫌だったけど、一回休むとずっといけなくなる!と思って根性で登校していました。
    そんなとき、提出していた社会科のノートが返ってきました。
    そのノートには
    「いつもの笑顔はどこにいきましたか?」
    と書かれていました。
    授業中だったので寝たふりして泣きました。
    担任ではない教科の先生にも分かってしまうほど、元気なかったのでしょう。
    じぶんの周りは敵だけのような気がしていましたが、気にかけてくれている人がいることだけで本当にうれしかったです。

    ユーザーID:1866560478

  • いい話がいっぱいで泣けました

    夫婦で赤ちゃん連れで出かけたとき、
    中華料理店に入ったら、赤ちゃんがギャンギャン泣いてしまいました。

    ふだん大人しい子だったのに、そのときはあやしても、何をしても泣き止まず、
    大きい泣き声が店内に響きわたり、
    迷惑かけて申し訳ない気持ちと、どうしていいか分からない焦りとで
    パニックになりかけてた私に、
    通りかかった中国人の店員さんが「大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。
    「うるさくて本当にすみません」と謝ったら、
    少し憮然として、
    「何を言っているのですか、子は宝ですよ」とひとこと。

    思わず涙が出てしまいました。

    そのあと店員さんは個室を用意してくださり、
    最後まで温かく見守ってくださいました。

    中華街にたまに行くのですが、
    中国人の店員さんたちって、とても赤ちゃんに優しい方が多くて
    ほっとすることが多いです。
    ありがとう。。。

    ユーザーID:1711281904

  • 無謀な挑戦に挫折しそうだったとき

    ある人から言われた一言です。
    「他の人だって努力しているんだから、そんなにすぐ上手くいくわけないじゃない。」
    ふっと空回りしていた気持ちが落ち着き、物事には段階があること、たとえどんなに時間がかかってもそれを一段一段登って行けば、今より状況はマシになることを教えてもらった気がします。
    おかげでそのチャレンジは無事クリアでき、次のステップにチャレンジしています。

    ユーザーID:5750600179

  • 人は人に助けられる

    心温まるトピをありがとうございます。
    私も数多あるエピソードのひとつを紹介させてください。

    高校の夏休み、友人と旅行に行き帰宅すると
    「祖父危篤。近親者は●●病院に全員集合」と置手紙が。
    同居していた祖父だけに、のんびり旅行を楽しんでいた自分が恨めしく
    とにかく急がねばと、生まれて初めて一人でタクシーに乗りました。
    行き先を告げた後、ボーっと外を眺めていると
    運転手さん(初老の男性)が「あなたは美人だね。美少女コンテストに出られるよ」と
    言うので、心の中では「そんなの中学生が出るんだよ」と思いつつ「はあ」と気のない返事をし、再び外を眺めていました。
    病院に到着するなり、飛び出そうとする私に
    「いいかい。慌てるんじゃないよ。落ち着きなさい」と
    声をかけてくれたのですが、また曖昧な返事をするのがやっと。

    大人になり、やっとあの時の運転手さんの気遣いに気がつきました。

    人は辛さや悲しみを乗り越えてこそ、人に優しくできる。
    優しくしてくれた方に直接の恩返しはできないけれど
    自分が受けた優しさを今度は別の人に渡すことで繋いで行きたいです。

    ユーザーID:2335098140

  • あの日

    医学部の学生時代。
    産科での実習中の出来事です。
    私の担当患者さんは無事に出産、まとめのレポートの調べものために病棟に残っていました。
    その日入院してきた妊婦さんが急変、予定帝王切開のはずが、分娩が始まってしまったんです。
    骨盤位(逆子)のうえ、臍帯巻絡(臍帯が巻きついた状態)…
    しかも児が産道に進んでしまっていて、緊急帝王切開が間に合わない。
    慌ただしい病棟に、知識も乏しい私にできることはなく。
    ただ妊婦さんの手を握りしめて四時間。
    無事に生まれた赤ちゃんの頸に…臍帯が四重に巻きついていました。

    呆然としている私に、妊婦さんが一言
    『ありがとう』
    『…私、なにもしていません』
    『手を握っててくれた』
    …遠方からの入院で、ご主人や家族がいない状況。
    一生懸命、涙で顔をぐしゃぐしゃにして必死に手を握りしめ…
    『大丈夫、私がついてます!!』と繰り返す学生(記憶にありませんが)…
    『だから頑張れました、ありがとう』と。

    産科医を志すきっかけになった『奇跡』。

    あれから10年以上が過ぎて。
    私も妊婦になり、このトピを見てあの日を思い出しています。
    あの日の貴女へ。
    私こそ、ありがとう。

    ユーザーID:6362311355

  • わたしもあります

    2年ぐらい前のことです。
    そのころの私はモラハラ気味の夫に毎日のように自分を否定され、
    俺はすべて正しい。お前はバカだ最低だと言われて自信を喪失していた
    ころでした。

    何か小さい失敗をすると怒鳴られ、罵られる事が続きびくびく暮らしていたのだと思います。

    そんな時仕事の帰りに自転車で道を走っているとき、車道を走る隣の車に
    気をとられ、前方不注意だったため前から来た自転車に危うくぶつかりそうになってしまいました。
    あわてて「すみません。すみません。」と繰り返す私でした。
    そのとき相手の自転車に乗っていた人は、
    「僕はぜんぜん大丈夫ですが、あなたの方こそ大丈夫ですか?」
    と心配してくれたのでした。

    どっちが悪かったということを抜きに心配してくれた人。
    こんな人もいるんだ。と涙が溢れてきました。

    ユーザーID:1438339657

  • 20年程前の話ですが

    夫と結婚するために家族・友人の反対を振り切って一人渡米した私。28歳でした。『愛があれば…』と意気込んでいたものの、日本人はおろかアジア人も周りにいない中南部の中都市での生活は凹むことばかり。頼りにしていた夫は、仕事で忙しく世界中を駆け回っており、留守。英語も慣れればしゃべれると楽天的に考えていたものの、南部独特の訛りについていけず、友達も同年代の人は皆仕事持ちで出合う機会も皆無。
    思いついたのが、趣味のゴルフを通じて友達を見つける事。
    婦人ゴルフ友の会みたいなのに入会して、週一回パブリックのゴルフコースでプレーすることになったものの、会員は殆ど定年退職して悠々自適のおばちゃんなどで、みんな白人。一人で紛れ込んだ英語もろくに話せない東洋人の小娘をどう扱ってよいのか、戸惑っているのは明らかで友達を見つける以前の問題。でもある日、
    一人のおばちゃんが、「あんた家族は?」
    私「みんな日本」
    おばちゃん「そんなん孤児と一緒やん。あたしらが面倒見たるわ」
    文字通り、その日から色々とお世話になりました。今でもこの土地で生きているのは、彼女達の支えがあったからこそ。

    ユーザーID:0643350399

  • 「頑張るな」

    突然の事故で母を亡くしました
    人生こんなに辛いことがあるのかと、茫然自失、涙も出ず、
    ただ後追い自殺することばかり考えていた時のことです

    皆さん口々に「ガンバレ」「しっかりしろ」「お父さんを支えてあげてね」と、言葉をかけて下さいました
    私は「ありがとうございます」と深々と頭をさげながら、心の中で、
    これ以上どう頑張ったらいいんだよ!
    どうやったらしっかりできるんだよ!!
    私のことはどうでもいいんですね!!!
    ずっとそう叫んでいました

    そんな時、「可哀想に、びっくりしすぎて泣く事もできないよね、頑張らなくていいんだからね」と声をかけて下さった方がいらっしゃいました
    その一言に救われました
    その言葉を頂けなかったら、心を込めて「ありがとう」なんてもう二度と言う事は無かったと思います

    ユーザーID:1147704236

  • 泣いてしまいました

    みなさまの素敵なお話を読んで、ずーっと泣いてしまいました。
    午前中のお買い物もパスして、読み続けてしまいました。
    夫と毎日ケンカばかりで離婚の話がちらちら出ているので荒んだ気持ちの毎日の中、心が洗われました。

    数年前、くも膜下の一歩手前の手術をして、一時的に言葉がでないのと何を話しているのか分からない後遺症がありました。
    病院の先生はオペで国内を飛び回るほど忙しいので、術後の説明もなく、このまま元に戻らないのか不安で日々泣いていました。
    その時、同じ年頃の20代の看護師さんが、『絶対大丈夫だから、治るから』と肩に手を置いてゆっくり分かるように言ってくれました。
    それから私は泣くのをやめました。
    1年後、飛行機で病院に行きましたが、もう退職されていました。
    あの手の温かさと、まっすぐな眼が今でも忘れられません。

    今では子供も2人産まれて、一度落とすと覚悟した命の後、十分すぎる第二の人生を歩んでいます。この気持ちを忘れないように、充実した人のできる笑顔を早く取り戻したいです。
    ありがとうございます。

    ユーザーID:0702164227

  • いいトピをありがとう!

    素敵なトピをありがとう!トピ主さん。朝から暖かい気持ちになれました。
    私からも一つ。
    アメリカで結婚し、妊娠。
    出産するときはもちろん母や家族を頼れないし、アメリカは出産して48時間で退院させられるので、(夫はすぐ仕事に戻らなければいけなかったので)一人でやっていけるかどうか心配でした。
    退院して家に戻ると、近所の方が
    「貴方はここに家族がいないから大変だと思って。」
    と食事を持って訪問してくれました。
    それだけでも嬉しくて感謝だったのですが、それから毎日約一週間近所の人たちが交代で晩御飯をもってきてくれたんです。
    そして子供のお下がりだけど。と言って沢山の子供の服をプレゼントしてくれた近所の方もいました。
    ここに住めて幸せだなぁ。と思います。
    私の周りの人たちは本当に優しくて親切な方ばかりで私はとっても恵まれているな、と思います。

    ユーザーID:0587338265

  • 父を亡くした時に

    私が21歳の時、父が47歳の若さで急死しました。
    通夜、葬儀にはたくさんの方が来てくださいました。

    多くの方が、「子供を先に亡くして、おじいちゃん、おばあちゃんは気を落としてるから、あんたがしっかりせないかんよ」と声をかけてくださいました。

    そんな中、父の友人の方が、
    「おじさんも、最近実の母親を亡くした。みんなおじいちゃん、おばあちゃんのことばかり心配するど、おじさんは親を亡くしたあんたの気持ちもよくわかる。今は悲しくてどうしようもないけど、いつか時間が必ず解決してくれるからね、がんばってね」
    と唯一私を気遣ってくださいました。

    突然の別れに混乱し、哀しみなのか絶望なのかわからない感情の中、自分はしっかりしなくちゃいけないんだと思っていた私は、この言葉に救われました。

    ユーザーID:6737712935

  • こんな事がありました。

    実母はキツイ姑に長く耐えてきました、私もそれを見ながら育ちました。
    姑が亡くなって葬式の時、みなさんは「ご愁傷様。。。」と言いいます。
    でもひとりだけいきなり「長い間ご苦労様」と言った人がいました。
    その時実母は大泣きしました。

    それ以来私もご高齢で亡くなった方のお嫁さんで大変だったのが
    わかっている人には「ご苦労様でした」と言うようにしてます。

    ユーザーID:8994918511

  • 母の一言

    30代後半 既婚 男 です。

    何度も何度も商売に手を出し、その度に失敗して借金をつくり、母の親族に尻拭いをしてもらう父。母と私たち兄弟も、そのお陰でずいぶんと肩身の狭い思いをしてきました。

    そのうち兄弟は結婚し、私も一人暮らしを始めた為、父と母は、小さな団地で二人暮らしを始めました。
    実家にもなかなか帰らずに、勝手気ままな生活をしていたある日、父が倒れ、そのまま逝ってしまいました。

    葬式が終わり、親戚たちと「お母さんも、やっと肩の荷が下りたね」などと話していたところ、仏壇の前に座っていた母がポツリと「二人で楽しくやってたのにね…」。

    父は、母に迷惑ばかりかけて、どうしようもないと思っていたのですが、母にとっては、やはり最愛の人だったようです。
    その母の一言を聞いて、何だか今までの苦労が、フッと軽くなるのを感じました。

    ユーザーID:1615658481

  • 先生、ありがとう。

    16歳の頃、いわゆる心身症というものになりました。
    常時、頭が重く、胃痛もひどく、勉強をする気力もなくなりました。
    学校も休みがちになりました。
    毎日、「不登校なんて恥ずかしい!」「進学や、就職はどうするつもりだ」と親からは責め立てられ、兄弟からも、デキソコナイの冷たい目線。学校の先生も、なんとかして、登校させようと、必死。私の気持ちをくんでくれる人はいなかった。

    ある日、親が私を総合病院の神経内科に連れて行きました。「検査は必要ない」と言い切った担当医の40代の医師が言いました。「学校なんて行かなくても、成績なんて悪くても、そんなことは本当にちっぽけなことだ。僕も今大學で教えているけど、そういう過去を持つ奴の方が、人として面白いんだ。」

    そして、最後の診察日、私は一人で受診に行きました。強い口調で、「あなたのお母さんの言うことを聞いていたら、だめだ。いままで良く頑張った。もうアテにせず、自分でがんばりなさい。いいかい?」

    初めて、本当のことを教えてくれた人でした。あそこで踏ん切りがつきました。  

    ユーザーID:7252542314

  • 義祖母の一言

    我が家の息子たちは年児です。
    下の子が生まれた時、実母は入院中で義母は仕事が忙しかっため里帰りや手伝いも頼めず、1人で子育てと家事をしていました。

    当然のことながら自分のことは後回し。食事は主人が帰ってからの一日一食、睡眠は細切れの日々でした。腕は腱鞘炎になり、お箸を持つことも辛かったのですが、主人も仕事が忙しくボロボロの日々でした。

    そんな時近くに住んでいた主人の祖母が見かねて「何もできないけれど、家においで」と言ってくれました。お宅に行くと「子供たちは見ていてあげるから、これでも食べな」「横になって休みな」と。
    疲れきっていた私は泣きながら「ありがとうございます」と甘えさせてもらいました。その後も毎週のようにお邪魔させてもらいました。

    義祖母は息子たちが小学校に上がる前に無くなってしまいましたが、今でもお彼岸やお盆、年末か年始に息子たちと一緒のお墓参りは欠かしません。

    ユーザーID:3734909167

  • 他人じゃないですが・・・

    15年くらい前、辛い秘密の恋をしていた私。
    「一生結婚もできず、幸せにもなれないかもしれない」と
    口をついて出てしまった愚痴に対する母のひと言。

    「ひとは、所詮ひとりなの。
    結婚していようがいまいが、
    しっかり自分の足で立っていないと
    幸せになんかなれないのよ。」

    甘ったれた私を見抜いていたんですね。

    専業主婦で何一つ不自由無く幸せなんだろうと
    勝手に思い込んでいたけれど
    母は母なりに色んなことを乗り越えて自立した
    立派な女性だったんだってことに
    気づかされました。

    他人に言われた言葉じゃないですが、
    ずっと心に残っている言葉なので投稿させていただきました。

    ユーザーID:2992806227

  • 前進のみ応援します

    2回目です。

    最初のレスに書いた方からいただいた年賀状の文句を思い出しました。
    新年早々グダグダモードの中、はっ!とさせられるものがありました。

    どなたか同郷の方がいらっしゃいましたね。
    共感してくださる方がいて嬉しかったです。

    ユーザーID:4528270425

  • すてきなトピです

    ずっとROMでしたが、思わず参加したくなりました。
    当方医師ですが、ン10年前のまだ医師になりたてのころ、血液内科で研修をしていました。白血病等の血液の病気は今とは違い治療法がなかなかなく、亡くなる方も多い科の一つでした。私が研修しているころに亡くなる方が続いたときがあり、研修医としての自分が悪いのか?自分は医師としての技術がないのか?などなど当直続きの回らない頭でぐるぐる考えていたときがありました。それこそ当直室で泣きながら次の日を迎える日も少なくは有りませんでした。
    そのときの上司にそんなことを愚痴ったのでしょう、今となっては詳細はおぼえていませんが、上司の答えではっとしたことを覚えています。

    ”人の一生を医師が決められると思う方がおこがましいんだ。医師は手助けできるだけ。”

    というような内容をいわれ、すごく楽になったことを覚えています。すいません、いろいろとご意見があるかたも多いかとは思いますが、そのときはなんだかすっごく救われました。

    ユーザーID:3479158843

  • 成人式前日に

    成人式の前日に、美容院に行き髪をアップにしてもらいました。美容室を出るとあいにくの雨!傘を持って来なかった私...。美容室で雨宿りは出来そうにない雰囲気だったし、近くに喫茶店はないしで仕方なく家までダッシュしていた時...通行人の40代位の女性が「傘にお入りなさい」と言って傘に入れてくれました。小さい傘でしたのでその女性の左肩やバッグがビショビショになってしまいました。
    しかし私を濡らさまいと傘でしっかりと私をカバーして歩くその女性。家の前まで着いて頭を何度も下げて御礼を述べる私に「いいの、いいの。それより髪のセットは濡れなかった?よかった....。明日いい日であるように!成人式おめでとう」と言いながら去って行ったその女性。
    あの時はありがとうございました。

    ユーザーID:7518534463

  • クリスマス会にて

    素敵なエピソードが増えてますね!明日も元気に過ごせそうです。

    一つ思い出しました。
    私の住む地域では、ご高齢者の為の昼食を含めた親睦会が月1回行われています。
    会の内容や食事を用意してくださるのは、同地域の60歳前後のボランティアの女性達です。

    2年前のクリスマス。その親睦会に子供会もお誘いを受け、
    私も当時3歳と5歳だった息子達を連れて参加しました。その昼。
    全員に料理が行きわたり、食事を始めました。数分後、地域でも一目おかれる主宰者の女性が
    「お味はいかがですか?」と現れました。皆が「おいしいで〜す」と答えた直後、
    「作ってくれて、ありがとう!」と元気の良い声が聞こえました。
    3歳の息子が、ありったけの感謝の気持ちを、自分の考えで彼女に伝えたのです。
    とたんに大勢の方が「わぁ」と優しく笑い場が和み、主宰者の女性はとっさに厨房に走って行きましたが、
    すぐに「ありがとう。とっても嬉しい」と目を真っ赤にして戻ってきました。
    その後ろで、ボランティアで参加していた義母が、うなずきながら微笑んでいる姿も印象的でした。
    たった3歳の子の一言が、大勢の心を温かくした、素敵なクリスマス会でした。

    ユーザーID:3303244111

  • 母からの手紙

    心があったかくなるトピをありがとうございます。

    他人ではなくて恐縮なのですが・・・
    このトピを読んで、母からの手紙を思い出しました。

    北海道から東京へ出てきて2〜3年目の頃だったと思います。
    仕事でうまくいかなくてつらく、東京でひとりぽっちを感じていたとき
    、母から上京する際にもらった手紙をたまたま読み返しました。

    「これからは学生と違い色々大変なことがあると思います。怒られたり、他の人と比較されたり、落ち込むことがあると思うけど、自分を信じてマイペースで進んでください」

    一人で号泣しながら読んだのを今でも覚えています。

    今、社会人8年目。
    この手紙は引き出しにしまっています。
    ずっと大切な宝物です。

    ユーザーID:5730528505

  • >ぽまとさんへ

    私も似たような体験あります! すごくよくわかります!

    ユーザーID:5569021633

  • 大嫌いな自分

    若い時付き合ってた人に粗雑に扱われ他の女の子と比べられる毎日。
    親にも厳しさ一辺倒で育てられ恋愛経験も無くそれが普通なのかどうかも分からず、年上の彼に言い返せず何一つ誉められる事なく、俺はお前の為を思って言ってるんだと責める思考しか持ってくれなかった彼氏。
    何とかしたいとパニクって、もっと綺麗にならなくちゃもっと向上しなくちゃと摂食障害になりトリプルワーカーで身も心もボロボロ。
    相談出来る人もいず頼みの綱が電話鑑定の占い。占い師さんが色々話を聞いてくれた後、あなたは十分頑張ってるわ、こんないい女を抱けて彼は幸せよ。と言われ一気に救われました。

    誉めるのも仕事のうちの職業の方かも知れませんが、粉々に砕け散った自尊心を立て直す手助けをしてくれたと思いました。彼がストーカー化してすぐに別れる事は出来ませんでしたがその一言で救われ、何とか別れられました。今も自分を大事に出来なくて辛い時の支えになっています。

    ユーザーID:7306309936

  • ありがとう

    すてきなトピですね。
    私も参加させてください。

    初めての職場でヒステリックな女性上司に耐えられず、ボロボロになりました。
    それ以降、どの職場に派遣されても怖くて怖くて、泣きそうになるのを一生懸命押さえて働いていました。

    たぶん、その頃の私はピリピリしていて、端から見ても怖い顔をして働いていたと思います。

    ある時、派遣された職場の方に
    「君は、ミスを犯しても、次の日にはケロッとしてる。イヤな気持ちを引きずらずに働いているね。」
    と言われました。

    ホントは毎日ミスばっかりで、自分が許せなくて悲しくて、
    いつ辞めようか、私なんかいない方がいいんじゃないか?ってずっと考えてたのに…
    嫌みだったのかもしれませんが(笑)、そんな風に私って見えるんだ。と思ったら、すごく救われました。

    ユーザーID:6867089737

  • 20年前のことです。

    母が60歳で認知症になってしまいました。

    一人暮らしだった私はアパートを引き払い家族と同居することになりましたが、私のアパートの合鍵を持っていた母が既に新しい入居者のいるアパートに上がりこんでしまったのです。
    入居者の方に謝罪に行ったあと、大家さんを訪ねました。

    母が認知症になってしまったこと、まだどこかに合鍵を持っているかもしれないことを話し、鍵を付け替えてくださいと封筒に入れたお金を渡しました。

    すると大家さんはお金を受け取らず「鍵はこちらでやりますから大丈夫ですよ。お母さんを大事にしてあげてくださいね」と言ってくれたのです。


    また、同じように徘徊で隣町の他人の家に上がりこんでしまい、警察から連絡が来たときのこと。
    母に食事までさせてくれたと聞き、お詫びとお礼に商品券を送りましたが、すぐに返送されてきました。
    「私は当然のことをしただけですから商品券は不要です。お母様を大事にしてあげてくださいね」と。

    どんなに責められても仕方ないと思いながら方々に謝罪して歩く毎日、思いがけない優しい言葉に号泣でした。

    母は昨年他界しました。

    ユーザーID:4112721120

  • 今日は来たね

    自宅の校区外の難関高校に進学した15歳の時。今で言う「燃え尽き症候群」だったのか、体が異常にだるくて朝起きられず、学校を一日おきに休むようになりました。
    成績は急降下、担任からは「やる気あるのか」と言われ、できたばかりの友達からもなんとなく距離を置かれ、親は私のことを他人に「怠け病なんです」と言って憚らず、閉塞感で押しつぶされそうでした。

    1年の3学期に入った頃、3年の学年主任の女の先生(すごく厳しい先生でみんな恐れをなしていた)が私を見ると「おっ、今日は来たね!」と笑顔で声をかけてくださるようになりました。3年の先生が1年の私にそんなふうにおっしゃるということは、私の度を越した休み方が職員室で問題になっていたのでしょう。
    「おっ、今日は来たね!」とだけ言って、スタスタと歩き去る。それが何度か続くうち、私は先生をがっかりさせたくないという思いから朝起きられるようになり、2年生以降は無遅刻・無欠席を達成、希望の大学にも合格できたのでした。

    15歳からの1年間は人生の分岐点だったのだと思います。今の私があるのは、先生が「いつも気にかけてるよ」というシグナルを発してくださったおかげです。

    ユーザーID:1610817896

  • いいトピですねぇ…

    読んでると泣けてくるので、一人でゆっくりできる時しか読めません…(涙)
    まだ全部読んでないですが、参加します。

    数年前に人事異動で長くいた支社から本社へ移ってきた時…本社では知らない人だらけ…明るく楽しく働いていた支社時代とは比べものにならないくらい大人しく(?)働いていました。緊張でいつもドキドキしてて、声も小さいものでした。
    支社の頃はみんなに大きな声で挨拶してましたが、本社の人はそんなに大きな声を出さず、クールな人ばかりなので、朝はいつも控え目ですが、就業後に残業してる人がちらほら…私より先に帰る人達には『お疲れさまでした〜』と明るく挨拶していたら、先日同じ課の人に『○○課のAさんが「いつもそらさんのお疲れさまでした〜に癒されて帰ってる」なんて言ってたよ』と言われ、あぁ、私のしている事は間違ってなかったのね、受け入れられてたんだね…と、とっても嬉しく思いました。
    これからも明るく働こうと思えた一言でした。

    ユーザーID:6856645677

  • さくらさんとぴあのさんへ(横ですみません)

    さくらさん、

    同じような状態で完治した人は世界中に沢山いるんですよ。
    人参ジュースを毎日飲んだら癌が消えて、
    診察した医者はもちろん、
    病院中が大騒ぎになったという話を最近読んだばかりです。
    5年生存率7%も可能性があるんだよ、0%じゃあないの。
    この数字を増やすのはさくらさん自身。

    ぴあのさん、
    余命を決めるのは医者ではありません。本人です。
    患者が医者を見返してやるチャンスです。


    海外から応援します。

    ユーザーID:2205383553

  • 仲間

    4年ほど前に妹を亡くしました。
    仕事柄職人さんとの付き合いが多いのですが、同い年の仲の良い職人さんが電話をしてきて
    「頑張るな。今は頑張らなくていい、頑張っているのは分かるから。だから思い切り悲しめ」
    と言われました。

    いつもくだらない話や憎まれ口を叩いているガサツそうな男からそう言われて、とても心に響き涙がドッとあふれました。

    お通夜の時、昔勤めていた会社のスタッフが何人か遠くから駆けつけてくれました。
    同い年で特に仲の良かった先輩が会場で僕の顔を見るなり泣きながら抱きしめてくれました。(男同士ですが・・・)
    言葉すら発する前の行動でしたが、とても気持ちが伝わってきて涙をこらえることができませんでした。

    ユーザーID:2916324650

  • mofmof 様

     まだまだ引きずっている私の心にメッセージをありがとうございました。

     そして。。再び救われました! 本当にありがとう!

     ここにこられている皆様に、さらなる幸せが訪れますように願ってやみません。

     

    ユーザーID:8695376610

  • いっぱいありすぎる

    1.養女に貰われてきて、邪魔になると生家に戻されて
    必要になると戸籍などを盾に呼び戻される人生を過ごしてきました。

    実父の亡くなる数日前に知らせが来たものの養父養母は
    私に教えてくれず、挙句に養父養母から実父の死を告げられて
    「あいつが死ぬ前だとあっちに行かれたら俺たちの世話はどうする?
     そうなったらかなわんからな!あいつは碌な奴じゃない。良かったな」
    と言われて大喧嘩をし、その家をでました。絶縁は出来ませんでしたが。
    その時、しばらくスナックで働いていたら知らない人が
    「酒が飲めないくせにスナックで働くなんて無謀だ」
    と夜の厨房の仕事を紹介してくれました。(ママの知り合いだった)

    その人がある夜に店に来て、話しをすると
    「お父さんのことで喧嘩できるなんてお父さんは幸せだ。
     お父さんが好きなんだね」
    と言ってくださいました。

    あの一言でかなり楽になりました。

    ユーザーID:1177581746

  • いいトピだなあ。。。

    私が高校生、部活命で他の事には全く意識が向かなかった頃。
    同じ部活仲間でも彼氏がいたり、勉強が出来る子もいました。
    私は部活でもレギュラーにすらなれず、勉強は全くお手上げで、
    親からしたら頭の痛い子供だったでしょう。
    自分でもなんだかなあ、このままでいいのかなあ、と悩む日々でした。

    親と先生との三者面談の日、勉強の事や普段の生活の事を言われるだろうな・・・
    と、なんだか朝から落ち込んで学校へ行きました。

    親と私が教室へ入ると、担任の先生は今まで座ってた席から私の隣へ来ました。
    あれ?と思っていると、
    「この子はねぇ、ま、勉強はなんですが、なにせ部活で根性出してます。
    勉強っちゅーのも大切ですが、こういう子もいて良いと私は思うんですよ。」
    と、【私と先生】と【親】、と言う様に話をしてくれました。
    私は自分が認めてもらえてとても嬉しかったのを覚えています。
    在学中ずっと私を応援してくれました。

    あんかカッコイイ大人になりたいと初めて思えた大人でした。
    お陰で本当に頑張れました。お礼を言っても足りません。

    ユーザーID:2166672374

  • ちゃんと物事には終わりが来るから、それまで頑張りなさい。

    母が事故死した半年後、父が余命宣告を受けた時に父の友人に言われた言葉です。
    場合によっては「暴言」にとられるかもしれません。
    しかし、お嬢さんを交通事故で意識が戻らないままで亡くされた父の友人の言葉に、その時の私は救われました。
    「終わりまで頑張ろう、しっかりしよう」とふんばれました。

    ユーザーID:4382069987

  • うるうるしますね

    素晴らしいトピで、どれも泣けてきます。
    世知辛い世の中ですが大声で言いたい
    「まだまだ日本も捨てたもんじゃないよ!」と。
    他人から救われる一言って本当に...じーんと来ますもんね。
    横ですが、たぬ子さん。三歳の息子さんの一言で皆が喜んだのは素敵なのですが、かなりトピの趣旨とズレてません?息子さんを自慢したいのは分かりますが。

    トピ主さん、ありがとうございます!

    ユーザーID:0363593369

  • 泣かないで

    8年ごしの夫との生活から別居を経て、自立しようと新たに就いた職場でのこと。
    結婚して以来、夫は私より自身(夫)の両親や友人を大切にする人でした。寂しさにたえられずうつ病を患った時ですら無関心で、私は嫁という夫にとっての飾りでしかない生活でした。

    派遣社員として新しい職場に就いて間がない頃、慣れないことづくめで
    ちょっとしたミスをしてしまいました。
    その日は事務所に誰もいなくて頼ることもできずに心細く半泣き。
    外出先の営業の方にミスした件をおそるおそる報告しました。
    その方は『大丈夫大丈夫、気にしないでいいですよ!また僕が明日にでも確認しますから』と電話でやさしく言ってくださいまして
    いい人だな〜とぼんやり思っていたところ
    会社の私のPCに一通のメールが…
    開くと『泣かないで』と一言。

    夫との生活でケンカばかりして、
    泣くたびに卑怯だとかうっとうしいとか言われ続け
    『泣かないで』なんて他の人からすれば
    たいした言葉でもありませんが
    そのときの私にとってはすっと心に入ってきた言葉でした。

    事務所で一人だったこともあり、泣いてしまいました。

    ユーザーID:8875132263

  • もういやこれ!

    もうすぐ子供が学校から帰って来るんですよ!

    まずい時に見てしまったなぁ〜。 涙止まりませんよ。  

    幸福な生活に感謝しなくちゃいけないのはわかってはいるのですが、
    思いっきり心に大きな穴があいちゃっている今の自分。 実は辛いんです。

    思いっきり泣かせてもらいました。

    ありがとうね。

    ユーザーID:6569419597

  • 目から鱗の一言

    優しい言葉をかけてもらったわけではないのですが、ある意味救われたのが、’自己憐憫に浸ってる場合ではない’と、友人からの一喝でした。

    当時(15年ほど前です)、お付き合いしていた人のせいで肉体的に大きなダメージをこうむることになりました。その人は、一応の責任感から、自分からは別れられないと思ってるけど、私への関心や愛情は失っているのがアリアリとわかる言動でした。できれば私から別れを切り出してほしいと思っているのがよく伝わって、私は精神的にとても辛い時でした。

    そういう状況が半年くらい続いていた頃に、言われたのが上記です。その友人はアメリカ人だったので、実際には英語だったのですが、私の頭の中ではあんな感じに翻訳されていました。

    以後、改めて自分の人生を仕切りなおしすることができました。かわいそうと慰められているだけでは、あのままずるずると良くない状況が続いていたように思います。友人の人柄を信じることができていたので、素直に、私のためを思って言ってくれているんだと感じることができました。

    ユーザーID:0312962091

  • 人の心を助ける言葉は無限ですね。

    毎日読ませていただいています。
    ホッとするばかりか、私も勉強になることが沢山あり、このトピに出会えたことに感謝です。


    どんどさんへ。
    息子を自慢したわけではありません。
    説明不足だったのですが、親睦会といっても皆が緊張していて、会話が弾んでいなくて、しーんとしていたんです。ですが、4歳の子の一言でその場が和んだこと、そして主宰者の方の涙から、日ごろ頑張ってくださっているボランティアの方々の心の緊張をほぐしたんだと思い、レスさせていただいたのです。他のお子さんの言葉だったとしても同じです。
    トピとずれていたら申し訳ありませんが、「息子自慢」と思われたのはとても残念です。

    ユーザーID:3303244111

  • 素敵なお話をありがとうございます

    なんだか「自分もだれかの役に立ちたい」と思ってしまう、心あらわれる気分です。
    残念ながら私には投稿出来るようなことは思い浮かばないのですが、お礼を言いたくて感想だけ投稿させていただきました。

    ちらほら「身内からの言葉は趣旨が違う」というご意見もありますね。
    文字通りに受けとればそうなりますが、それを認めないと言う趣旨でもないんじゃないかと、勝手に解釈しております。

    少なくとも私は、身内からの言葉に救われたお話も、素敵なお話をしてくださったことに同様に感謝しています。

    ユーザーID:6131923190

  • このトピは

    酷いトピですね

    久しぶりに 泣いてしまいました。


    世の中、色々と大変だけど明日からまたがんばろ-
    この国は、まだ捨てたもんじゃないですよ

    ユーザーID:7115075017

  • 一言ではないのですが…

    仕事や家庭、いろいろなトラブル・ストレスを抱えていたころ…

    気分転換のために出掛けた旅行先で、初めて馬に乗りました。
    乗馬トレッキングコースから戻り、私を乗せてくれた馬とお別れをしようとした時、馬が私のお腹あたりに顔をピタッと寄せて、じぃ〜と寄り添ってくれるんです。ただ、じぃ〜と。

    私の不安定な心の内を見透かされていたようで、ドキッとしました。
    「一人じゃないよ。何も心配ないから。」と、ささやくような馬の眼差し、癒しをくれました。

    涙が溢れました。

    ユーザーID:2790938112

  • どんどさん

    たぬ子さんのレスに、息子の自慢は・・だなんて
    そういう考え方、素敵じゃないですよ。
    せっかくこのトピで「まだまだ日本も捨てたもんじゃないよ!」
    って思えたはずなのに、どうして?
    たぬ子さんにとっては息子でも、主催者の女性にとっては
    まさに他人の何気ない一言・・になったでしょう。
    自慢!!なんて思考が出る前に、もっと温かい目で周りの人と
    接していけば、日本はもっともっと「捨てたもんじゃない国」になりますよ。

    ユーザーID:3206577091

  • 皆さん大好きです。

    このトピとってもいいですね。
    最近つらいことが続く毎日で励まされてます。

    きょうさっきあったこと。
    仕事であまりにも理不尽なことをされ、イヤなことをいった人たちの顔や言葉が頭から離れず、
    孤独感いっぱいで、涙が止まらずもう死んでしまいたいと、ほんとうに自殺まで考えてました。

    そんな時、なにげなくみた私の大好きな小町のあるトピの中で、トピ主さんがレスして下さった方達に、”ありがとうございます。皆さん大好きです。”って。
    顔も見えないのに。
    その時の私の心にとっても温かいお言葉でした。
    そして私も人に”皆さん大好きです。”っていえる人間になりたいって思って、なぜだか涙がピタリと止まったんです。
    この言葉に出会わなかったら、今も泣いて死ぬことを考えてたと思います。おかげで目が覚め,そんなこと小さいとまで思えるようになりました。
    心から感謝します。
    お礼の気持を伝えたくて、でてきました。
    ごんぞうさんありがとう!

    ユーザーID:0893064891

  • 笑って!

    トピ主さん、素敵なトピをありがとうございます。
    私も一つ。

    3月末まで派遣で勤めていました。
    継続か契約満了か どちらとも分からない状態で、仕事も忙しくて上司にもキツく当たられてボロボロ。
    だけど、周りには悟られないようにしていました。

    そんなある日、同じ派遣会社の同僚Sさんから私の携帯にメールが。
    件名は「笑って!」
    最近笑い声聞こえないけどどうしたの?かりんさんが笑ってると、周りが明るくなるから辛くても元気出せ〜!と。

    彼女も同じ立場なのに、私弱かったなーと反省。
    その後、彼女は自分の意志で契約満了を選び、私は直接雇用されて残っています。

    この場を借りて…Sさんありがとう!
    相変わらず大変だけど、笑って頑張ってます。

    トピ主さん、お互いに頑張りましょうね。

    ユーザーID:7790913542

  • ayako様



    トピずれですが

    >ちゃんと物事には終わりが来るから頑張りなさい

    今の私が直接言われたい
    言葉です。

    夫の浮気で苦しんでいる今 絶対終わりが来ると信じて頑張りたいです。

    ありがとう

    ユーザーID:4751035063

  • 出前のおじさん

    つい最近の出来事です。

    急な異動となり、知らない土地で、誰一人知り合いのいない環境。
    仕事もわからず、上司とも合わず、辛くて辞めよう辞めようと毎日思い、
    ちょっとしたことで涙が出そうになり、自分でもどうしようもなくなっていました。
    仕事場で泣くわけにはいかないのでぎゅっとこらえていたのですが、
    帰り道は涙で目の前がくもり、家に帰ると号泣。
    孤独でした。

    泣いていて気づいたら夜も遅い。
    食欲がなかったのですが、近所の定食屋さんに出前を頼みました。

    そして、10分くらいで息を切らして持ってきてくれたおじさんは、
    私の顔を見てにっこりし、
    「あったかいうちに食べな、元気出るからさ。」

    また大粒の涙がこぼれてしまいました。

    本当に何気ない一言でしたが、その後泣きながら食べ、
    食べ終わったころにはなぜかスッキリし、
    「もうちょっと頑張ってみよう」と思ったのです。
    この町でなら、もう少し頑張れると思ったのです。

    ユーザーID:8351160241

  • 頭なでなで

    会社の同僚の息子さんのお話。

    疲れていたり、仕事で嫌なことがあると、今春中1になった息子さんが

    「いいオトナ、いいオトナ」とよしよしという風に頭をなでなでしてくれるそうです。

    ここの皆さんも辛いことやいろんな事に頑張ってますから、私からもなでなでとともに

    「毎日生きて偉いね。よくやってるよ。大丈夫。いいオトナ、いいオトナ」

    ユーザーID:0472353225

  • 4/19 14:23 の「親不孝」様

    貴方のお母様の言葉、シンプルですが、とても心に響きました。
    救われるようでもあり、戒めのようでもあり…。
    貴方だけでなく、私にとっても、ずっと忘れられない言葉になりそうです。

    ユーザーID:8986836846

  • 自分がドジった時に

    些細なこととはいえバカバカしいドジを踏んでしまい、その後始末に夜まで右往左往していた私。

    「あ〜!もうママ(私です)は本当にバカだ!」

    と知らず知らず小3の娘の前で自分自身を罵っていました。

    すると娘が

    「ママはバカなんかじゃないよ!!本当に優しいもの。これはね〜、ただの失敗って言うんだよ」

    と、真剣な顔で言ってきました。

    ・・・本当にその通り。
    人だもの、いつも完璧なわけないし失敗もするよね。
    些細なことで自分を責めて落ち込んでいる事が一番もったいない時間かも・・・。

    ささくれていた心に温かいものが染み込んできて、おかげで落ち着いて対処することが出来ました。

    身内の話で恐縮だったのですが、毎日が戦いであろう小町の皆さんにも娘の言葉を届けたくてレスしました。

    ユーザーID:8675722915

  • 皆さんありがとう!!!!!!

    現在就職活動中です。ずっとモヤモヤとした気分でしたが、皆さんのお話を読んで、
    泣いて、すごくスッキリしました。本当にありがとうございます!

    そこで私も、ちょっと救われたお話を一つ。

    連日の就職活動でくたくたな上に、携帯のメールにまたもや“不合格”の通知が…。
    ため息をつきながらとぼとぼと歩いていました。
    すると、向こう側からやってきたサラリーマンのおじさんがすれ違いざまに一言「頑張れよ」と。
    突然のことでポカンとしてしまいましたが、徐々に嬉しくなり、「よし、頑張ろう!!」と思えました。
    あの時のおじさんありがとう!!頑張ってます!!

    よし!!また明日も頑張ってきます!!

    ユーザーID:5555889799

  • わかってもらえる嬉しさ

    わたしは派遣社員でした。
    やる気のない上司と仕事のやりかたで意見がぶつかってしまった時、当然ながら上司の圧力により意見は反古され、わたしは干されてしまいました。
    周りの同僚は皆、同情はすれど黙殺で、わたしは職場の息苦しさに、呼吸困難を起こしてトイレに駆けこみ、気分を落ち着かせ、何とか業務を再開と、そんな日々。上司に意見などするべきではなかったと、後悔していました。
    ある日、さらに上の立場の部長補佐に呼ばれて事情をきかれました。
    説明をすると、その方は一言。
    「派遣の君達が、社員と同じ気持ちで会社を良くしようと、真剣に考え働いてくれている、その君らの意見を僕らは尊重しないといけないと思う。」
    そして最後にありがとう、と言ってくださいました。

    不思議なもので、その日の帰り道、夜空の雲が晴れて、すっと明るくなり、息が深く吸えたのです。
    空気が美味しく感じられたのはしばらくぶりで、分かってもらえることが、こんなにも嬉しいなんてと思いました。
    部長補佐の言葉は本当に、嬉しかったです。

    ユーザーID:7323274407

  • 小児科医の言葉

    24歳。
    色んなことが上手くいかなくて鬱だった頃、ある手術をすることになり、子供の頃、喘息を患っていた時の診断書を貰ってきて下さいと大学病院に言われ、一旦地元に帰る事に。そして10余年ぶりの小児科の先生との再会。
    「大きくなったね、幾つになりましたか?」
    わたしは苦笑いをして、
    「はい、24に、なってしまいました」
    すると先生は眩しい笑顔で、
    「一番良い年齢ですね!」と。
    そして、隣の看護師さんも、「ええ、ええ、そうですね。」

    一番良い年齢は、もう過ぎたとばかり思っていたわたしに、先生の言葉は染み渡りました。
    先生!有難うございます!
    もう、30になってしまったけど、先生なら今の私もきっと一番良い年齢って言ってくれるよね。

    そう思って、今の私はいつも今が一番良い時だと思って暮らしています。

    ユーザーID:7323274407

  • 横ですが、どんどさんへ

    どうして、“息子さんを自慢したい・・・”という風にしか取れないのですか?
    私はたぬ子さんのレスをみたときにとてもほっこりした気持ちになりましたよ。
    いただきますやご馳走様は言える子供は多いけど、
    “作ってくれてありがとう”といえる子は中々いませんよ。
    たぬ子さんがいいお母さんである証拠です。
    実際に主催者の女性は泣いて喜んでくれたらしいじゃないですか。
    もし私がその女性でもきっと嬉しくて涙が出たと思います。
    トピの趣旨とはずれていませんよ。
    これも、“まだまだ日本も捨てたもんじゃない”と思えるエピソードの一つです。

    せっかくトピ主さんがこんなに素敵なトピを立ててくださったんですから、
    重箱の隅をつつくようなまねはやめてください。

    ユーザーID:1582755915

  • 義母の一言

    今から30年程前になりますが、

    長女を出産し三か月検診で、このままミルクを飲ませていると、将来太ってしまうよ と、言われ

    このことを義母に話したところ
    「お腹を空かしているのじゃかわいそうだから欲しがるだけ飲ませなさい」と言われました。

    私もそうだなーと思い実行しましたが

    今では 娘は私から見ても普通体型です。

    ユーザーID:0180021826

  • 道端で

    ずっと泣きながら読んでました。
    自分を助けてくれる一言って、不思議と良いタイミングで貰える気がします。
    身内の方からでも他人の方からでも、辛い時期を頑張ったご褒美なのかもしれませんね。

    私もささやかですが1つ。
    30代になって転職して、実家から遠く離れた友人もいない土地にきました。
    会社は忙しく、慣れない環境の上に終電続き。
    恋人もいなければお金も無くてアパートはボロボロ。
    そんな日々を送っていた頃、休日に近所のスーパーへ行こうと歩いていたら道路工事をしていました。
    工事現場に差し掛かった時、ふと空を見上げるとよく晴れた空に白い雲が。
    気持ち良くて、思わずアクビが出たんです。

    そしたら道路工事のオジサンから
    「お前・・・幸せそうな顔してるな〜〜〜!!!」
    とすごい笑顔で声をかけられました。

    なんか色々疲れていて不安な時期でしたが
    “私、幸せそうな顔してるんだ!じゃあ大丈夫だ!”
    と思えました。
    幸せそうと言われて幸せな気持ちになれました。
    おじさん、ありがとう!

    今は結婚して、本当に幸せです。

    ユーザーID:3532497431

  • 私も参加させてください!

    本当に良いトピですね!ふくろう様、皆様ありがとうございます。ROMでしたが、私も参加させてください。
    随分昔…まだまだうら若き乙女?でした頃、大失恋しました。


    可愛がってくれていた会社の女性の先輩から
    『貴女を待っている人が、必ずいるの!』 
    ?…、私を待っている人って?と不思議に思いつつも、神秘的な気持ちになり、…その後、新しい出逢いがあり今があります。
    今でも試練や何かに直面した時、言葉の表現は異なりますが『私を待っている何かがある!』と前向きに考えるようにしています。

    ユーザーID:9664292901

  • ずいぶん昔のことですが

    皆様の書き込みを見て、私もいろんな人にやさしい言葉をかけてもらったことに気づきました

    まず、20数年前初めての会社勤めの時に
    先輩に当たる人が「hahaさんは間違ってないよ
    ただやり方を知らないだけだから、もう少し皆の話を聞いてみると絶対うまくいくから」
    と言われたことです。
    確か、毎日残業しても仕事がうまくいかず、悩んでいた時だったと思います
    認めてもらったみたいでうれしかったです

    次に10年ほど前、子供が1歳ぐらいの時、
    深夜突然の高熱で、困って近所の病院に駆け込んだことがありました
    やはり、寒い時期で待合は満室
    中々呼んでもらえず、立ったまま子供を抱いてあやしていたのですが、
    調子が悪い子供が泣き続けて、私自身いたたまれなく泣きそうになっていました
    その時、近くにいた中年の女性が
    「いいんだよ、子供だって辛いから泣いてるのよ
    誰だって病人に我慢させたらかわいそうでしょう?」
    と言ってくれました
    中には露骨に嫌そうな顔をする人もいたので、本当に救われた一言でした

    う〜ん、言葉に救われることって結構あるんですよね!

    ユーザーID:5233455193

  • お恥ずかしい話ですが

    皆さんの書き込みを拝見し心洗われる思いです、ありがとうございます。

    私は泣けるような話ではありませんが、今でもお礼を言いたいことがあります。

    20年ほど前サラリーマン時代ですが、嫌なことがあった仕事帰りに酒をしこたま飲んで酔い、
    帰りの電車の中で吐き気をもよおしてしまったことがありました。(汚い話ですみません!)
    とうとう我慢できず意識が朦朧とした中で表参道駅で降り、しかしトイレまで辿り着けず、ホームのゴミ箱にリバースしてしまいました。
    ゴミ箱に半分顔を突っ込んで吐いていると、誰かが背中をさすってくれているのに気がつきました。
    おかげでとても楽になり、本当に助かったのを憶えています。
    顔をあげると、初老の男性が微笑みながら「飲み過ぎたねぇ、大丈夫かい?」と声をかけてくれたのです。
    自分を含め大抵の人が横目で見て見ぬふりをするのが当たり前なのに、こんな私を助けてくれた。
    本当に救われた気持ちになりました。
    「世の中捨てたもんじゃない、自分にだって誰かを助けられる。」と思えるようになりました。
    それ以来、困っていそうな人がいたら迷わずに声をかけることにしています。

    ユーザーID:7638416733

  • あるおじさんの一言

    本当にいいトピですね。
    心が暖まってじーんときます。
    トピ主さん、皆さん、どうもありがとう!

    では私もひとつ。
    20年以上前、膝の怪我で、短期間ですが松葉杖の生活でした。ある時、最寄の駅の階段を下りていたら(当時は他に手段がなかった)、強面(失礼)の50代頃の男性が上ってきました。

    以前、怪我もないときに同じ階段で、「あなたがいたら階段が割れる」なんて言われたことがありました。10代の私はいたく傷つきました。(今ならとんと気にしませんが。。。もうオバサンなので)

    大柄なので、なるべく目立たないように、他の人の邪魔にならないようにと端を一段ずつゆっくり下りていました。上述の男性が私を見ているのに気がつき、しまった、また何か言われると構えてしまったんです。

    「ねえちゃん、大丈夫か、どうしたんや?」とその男性は私に声をかけてきました。とても優しい声でした。「転んで、膝を打ってしまって」とびっくりしながらも答えたら、「災難やったな。気ィつけていきや。」

    冷たい視線に慣れていたので、そのときは涙がでるかと思うほど嬉しかったです。もう一度「おじさんありがとう!」

    ユーザーID:2086627846

  • 葉っぱさん、ありがとう

    年子の子育てとホルモンバランスの崩れで、どうしてもイライラを押さえられず、
    子供に声を上げてしまったり、自己嫌悪に陥って泣いていたりしています。(今日も泣いていました・・・)
    >「毎日生きて偉いね。よくやってるよ。大丈夫。いいオトナ、いいオトナ」
    この一言を読んで、増々泣いてしまいました。
    でもそれは、今までのウジウジした涙ではなく、「これからも頑張れるかもしれない」という、
    前向きの涙になりました。 本当にありがとう。 

    ユーザーID:9619815037

  • 夜ご飯作ってあげる

    4歳と2歳の息子がいます。
    2歳の二男のいやいやが酷く、うんざりしていました。
    ある日いつものようにいやいやする二男。
    相手をするのに疲れなんだか悲しくなりリビングの隅で泣いてしまった時、
    4歳の長男が「お母さんどうしたの?」
    と聞いてきました。「もうイヤになった」と大人気なく言ってしまった私に
    「お母さん疲れてるでしょ。ゆっくりしてていいよ、夜ご飯は僕が作ってあげ
    るからね。」と優しく言ってくれました。
    4歳の子どもがこんなことを言うなんて。もっと泣きました。
    息子、ありがとう。

    ユーザーID:5083319318

  • 母の一言

    トピ主さん、皆さん、本当にありがとうございます!素敵なトピですね!


    私もひとつ…

    以前、失恋して落ち込んでいた私に

    「物事にはなんでも、その時が必ずくるから、焦ることはない」

    今はその時ではないんだ。またチャンスは来るんだ。と安心した記憶があります。


    私も今いろいろ悩んでいますが、小町の皆様に助けられています。
    本当にありがとうございます!!

    ユーザーID:3846874406

  • いつか私も誰かを助けられたら

    最近、毎日を投げやりに過ごしていました。
    大好きな彼との結婚は家の事情で破談。仕事も会社の都合で不本意な異動。友達は既婚ばかりで家族優先で疎遠…。

    どんどん投げやりになる自分を良くないとは思いつつも、「別に私のことなんて誰も気にしちゃいないし」とやさぐれていました。

    そんな時、このトピに出会いました。
    涙が出ました。

    「もしかしたら、私の何気ない言動で誰かが救われることがあるかも」

    自然と、毎日の言動を大切にしようと思えるようになりました。
    トピ主さん、皆さん、ありがとう。

    ユーザーID:3011835201

  • 離婚の時に

    生後4ヶ月半の末の子が、元夫の暴力の犠牲になって亡くなり
    そのことで元夫の奇行がひどくなって、教会に相談した時のこと。
    (私はカトリックなので…)
    教会が元夫の精神鑑定をした結果、私も子供たちもDVの被害に遭っていることが判り、その場で
    「あなたが離婚を選択しても、教会は止めません。」と
    離婚のお許しが出ました。
    その時、戸惑う私の表情を見て察したのか、

    「人の心は傷つき、血を流しても、傷口からまた花が咲きます」

    「再婚だって、望めばできないことはありません」と言われました。
    それまで「残された子供のために生きなさい」
    「あなたには、子供を3人も育てられなかった」と
    私が頑張ってきたことを周囲から全部否定されてしまったようで
    もう自分の幸せを望む資格はないと諦めていた時に言われて
    気持ちが楽になりました。

    ユーザーID:4328339566

  • 駅のホームで

    本当にいいトピですね

    皆さん本当にありがとう

    子供が1歳くらいの時電車の中で寝てしまって当時はまだ駅にはエレベーターもエスカレーターもなかった頃
    ベビーカーで寝ている娘をどうしようと思っていたらさっとベビーカーごと階段を登ってくれたサラリーマンの男性がいました。

    うちにもいるから

    と爽やかな笑顔で一言いって立ち去っていかれました。
    わけあって未婚で子供を産み毎日の生活と育児に疲れていた私に清々しい気持ちにさせてくれたさりげない一言でした。

    さらっとできる男性はなかなかいないですよね。素敵でした。

    その時の娘はもう高校1年です。

    ユーザーID:4751035063

  • ぴあのさん

    あなたの書き込み確かに拝見しました。

    これしか言えなくてごめんなさいね。

    ユーザーID:5199475665

  • 私も、ぴあのさんへ

    五月晴れさんと同じく

    ぴあのさんのレス読みました。

    何も言えませんが...読みました。

    あなたが、ここにいてよかった、と思います。

    気の効いたことが言えません。

    でも、あなたのレスを読んでよかったと思います。

    ぴあのさんのことを考えています。

    あなたも私もこの世の中の小さな一人だと思います。

    どうか、一日一日を大切に。

    ユーザーID:8206132133

  • バイトで

    学生時代続けていたアルバイトである時、信頼していた人が私のことを煙たがっていることを知り、
    色々な噂が流れてきてとてもショックを受けました。
    その日は嫌悪感と絶望感に襲われ、ぼろぼろ号泣しました。
    そして出した結論はバイトをやめる事でした。
    大好きなアルバイト先にもう二度と行けなくなるという悲しさと、人間不信のため、
    数日間鬱状態に陥っていました。

    そんな時、一緒に働いていた仲間数人から
    「お願いだから辞めないで!○○がいないなんて面白くないよ。」「職場には僕がいるじゃないですか。辞めるなんていわないで下さい。」「辞めてからも関係なく友達でいよう、絶対また飲もうな!」など、
    メッセージが届きました。
    それをみて、素晴らしい友人達が自分のことをこんなに気にかけてくれているんだ!
    と感じ、心から救われました。
    持つべきものは素晴らしい仲間ですね。

    ユーザーID:1490211804

  • 大丈夫,いいこともあるわ

    2年前の8月,大学院入試を受けた帰りのことです。
    筆記試験も全く歯が立たず,面接ではぼろぼろに言われ,
    面接室を出てから,電車に乗ってもずっと涙が止まりませんでした。

    それでも周りの人への迷惑になってはと思い,
    首をなるべく90度近くに曲げて,声を出さず涙だけ流していました。
    10分程たったとき,成城学園前で隣の女性(30代〜40代)が降りる際に
    掛けてくださった一言。
    「大丈夫。いいこともあるわ。頑張って。」
    肩を優しくたたいて,その女性はおそらく買ったばかりであろう
    クッキーの筒を差し出してくれました。
    その優しさが心に伝わってまた涙が溢れてしまったのに,そのうえクッキーまで。

    研究でくじけそうになったとき,今も思い出すのは
    その女性の優しい言葉です。今はその大学院の修士2年をしています。
    今年は博士課程の入試があります。
    頑張りますので,どこかで見守っていてくださるとうれしいです。

    ユーザーID:4424822078

  • 三度参加させていただきます

    みなさんのお話、いいですね。ほんとにいいトピだ。

    私は双子の母です。初めての育児が双子、産後の体調も悪く親の手伝いは望めない状況で心身ともに疲れきっておりました。なぜよりによって双子なんだろう。私には双子を育てる能力などないのに、と。

    ある日、近所の郵便局へ行った時のこと。窓口の30代くらいの男性が私に話しかけてきました。「ああ、めんどくさいなあ・・・」と私は思ったのですが、その男性は静かにこうはなされました。
    「お母さん、お疲れでしょう。私自身が双子なんです。街で双子を見かけると、私の母親もこうやって育ててくれたんだなあ、と思うんですよ。
    双子って特別ですよ。私はこの年になっても、兄とそれは仲がいいんです。
    今、母親にとても感謝しているんです。双子として産んでもらって、育ててくれたこと。
    このお子さんたちも、いつかきっとこんな風にお母さんに感謝する日が来ますよ。大変でしょうが、がんばってくださいね。」と。

    涙をこらえるのが精一杯でした。今でも育児で悩んだときはこの言葉を思い出します。

    ユーザーID:4775143785

  • レスします

    あったかい!!

    ふくろうさんのトピも、他の投稿者さんのレスも
    あったかいです。

    私の場合は、友人の言葉でした。

    わりと、感情的に暴走する人で
    その時も、こちらの都合を考えない突然の電話で、悩み事の大洪水
    買い物中と告げても、おかまいなしでした。

    でもふと、息子ちゃんのやりたい習い事の話しになった時
    『やれるチャンスがあるのに、見送るのはもったいない』
    と、言った私に

    『はるも、やりたいことできなかった時、ずっと苦しんだもんねぇ』

    と、思いやりのこもった声
    絶句しました。
    まさか、15年も前のことを覚えててくれた!?

    『自分のこと後回しにしちゃうからねぇ、あきらめるの選んだんだよねぇ〜』

    続く言葉に
    スーパーの真ん中で、ぐっと息が詰まり、号泣しました。

    いつもいつも、わがままで迷惑ばっかりかけるくせに
    言葉にしないことまで、わかっててくれた。
    今も辛いこと、ちゃんと気付いててくれた。

    本当に、とんでもないサプライズでした。
    人と人をつなぐのは、何気ない思いやりですよね。

    ユーザーID:2778580361

  • 認知症の母からの愛

    64歳の若さで認知症で寝たきり状態になってしまった母。
    父も妹も13年前に癌で他界、ひとりぼっちで介護していたときのことです。
    介護施設に母を預け、その療養費のために朝から晩まで働き、
    休日には自宅から2時間半かかる施設に足を運ぶ日々。
    認知症が進み、言葉もわからなくなっておしゃべりすらままならない状態に。
    しっかり者で、大好きな母がどんどん壊れてゆく・・・。
    悲しみと不安、やるせない思い、疲れきった私は思わず泣き崩れてしまったのです。
    「ごめんなさい、ママ。私は何も出来ないダメな娘だね。」

    すると、じっと私を見つめていた母が言ったのです。
    「・・・誰がそんなことを言ったの?お前は優しい、いいこだよ。」
    ハッとして母の顔を見ると、そこには病気になる前の、
    優しく美しい母のまなざしがありました。

    ひとりぼっちじゃない。
    母はあいかわらず私の母で、私の味方なのだと思いました。

    母を看取り、天涯孤独になった今もそう信じて生きています。

    ユーザーID:4777776293

  • 将来の夢

    初めてです
    こんな良いトピがあったんですね
    このトピの影響力は
    言葉に表せない物があります
    一つ書かせてください

    私はいわゆる不良でした
    学校も行かず親に反抗ばかり
    「高校も行かないで大工になるんだ」
    とか何も考えずに反抗してました
    親が道を正しくしてくれて
    無事大学を卒業して商社に入社できました
    でも小さいころからサラリーにしろと
    言われたので夢を話せませんでした

    思い切って勤めたばっかだけど金貯まったら
    保育園やりたいんだと言ったら
    「素敵ね。やりたいことをしなさい。」
    と言われました。
    感謝しかありません。
    両親の子供で良かったと思うことしかありません

    父が癌で長くありません
    孫は見せたかったけど
    たくさん園児の顔を見せるのが
    今の夢です

    ユーザーID:7408791612

  • 恩師

    10年程前、とても辛いことがありパニック障害からうつ病になって、通っていた油絵のクラスを欠席する日々が続きました。

    親子以上に歳の離れた先生から届いた絵葉書に
    ”人生には何一つとして無駄なことはないですよ。あなたの笑顔を待っている人たちがいます。元気になってまたクラスへいらっしゃい” とありました。
    その手紙をみつめながらおお泣きしたのを覚えています。

    今でも辛いことがあると、先生の一言を思い浮かべ、この経験が自分をつくりあげてくれていると思うようにしています。

    ユーザーID:9240929924

  • 海と犬とおじさん

    私がまだセーラー服を着ていたころ、学校、人間、将来、生い立ち
    全てに悩んで心が千切れそうな日々でした。
    そしてある日、唯一の生きがいである美術の道でも小さな挫折を味わい、
    今日こそは死ねるかなーと思い黙って家を出て、
    電車に乗り遠い遠い海まで行きました。
    でもやっぱり死ねなくて、海水ぎりぎりの岩に座って
    遠くをぼやっと見ていると、後ろから
    「こんにちわ」の声。
    見知らぬおじさんでした。どうやら犬の散歩中。
    話を聞くと、ここらへんはよく自殺する人が来るとの事。
    私心配された?となんだか恥ずかしくなっているとおじさんが一言。

    「でもあなたは大丈夫だね。目が死んでない。」

    へぇ。私死んでないんだ。へぇ〜
    その時ぐちゃぐちゃだった心の中が少しすっとしました。
    わかっていたのに、人に言われて初めて、なんだか妙に納得できたんです。
    その後まっすぐ帰りの電車に乗りました。
    おじさん有難う御座いました。海がとても綺麗でした。

    ユーザーID:7928711492

  • 自分の存在と向き合えました

    あることから、人と接するのが怖くなり、どう会話をしていいのか
    会話の「いろは」まで、思い悩むようになっていました。

    相手はパソコンばかりになっていた時、検索から
    スマイル絵本の「君だけのものがたり」という
    命の絵本にたどり着きました。

    私が産まれたのは偶然ではなく、生きる力があったから産まれてきたのだと
    この絵本を通じて知り、涙がとまりませんでした。

    絵本の言葉から助けられ、今では自分らしく発言して、
    合わない人と無理に付き合おうとする姿勢も変えて、
    自分を大切にしています。

    命の偉大さを教えてくれたスマイル絵本さん、ありがとうございました。

    ユーザーID:4189183139

  • 運転手さんと義両親にありがとう

    仕事中に流産の兆候が現れ、急遽タクシーで病院に向かうことに。
    運転手さんに事情を言って後部座席で横になってました。

    流産してばかりでまともに出産したこともない私の事を、
    運転手さんは「お母ちゃん」と呼んでくれて、

    降りぎわ、運転手さんが私のお腹を見て
    「もったらええな。」と言ってくれました。


    その後、不育症で治療法が無いことが判明し、
    一人で義両親のもとに話をしに行きました。
    結婚前にわからなかったのか、とか言われるんじゃないかと気が重かったんですが

    「夫婦仲が良ければそれでえぇ。」
    あっさりと言われてしまいました。

    子供が産めない事に負い目を感じて被害妄想に陥ってた私は笑い飛ばされました。
    赤ちゃんが遠慮するくらい、あんたらは仲がエェんやで。
    それ以上の幸せがあるかいな!と…


    見ず知らずの私のお腹の子を応援してくれた運転手さん、
    私たち夫婦をただ見守ってくれる義両親。
    天国の子供たちも、私も幸せです。
    この先子供ができてもできなくても、その言葉を思い出して元気になれます。
    この場をお借りして、ほんまにありがとう!

    ユーザーID:7720289886

  • ポロポロポロポロ、、涙が涙が。いいトピです。いいトピです。

    好きなもの同士で集まるブログに参加してたんですよ。
    私の書き込みにいきなり反論、
    「!」をいくつもいくつもつけられまして、、。
    まるで「あんただけは嫌い!目障り!」
    といわれたようだったんですよ。

    私たちの好きなものは「愛」そのものでしょうにと。

    好きな人には優しい注釈をつけ、私には無視、
    なんだか、
    はき捨てるような言葉の書き込みをされました。

    いくらなんでも傷ついた。


    下手な私の話を聞いてくれて、
    「きついよね」
    といってくれてありがとう。

    ユーザーID:0708327148

  • 元姑から

    離婚して十数年、下の娘が二十歳になった誕生日にプレゼントが元姑から届きました。
    上の娘の時にも届きましたが、娘だけがお礼の電話しただけ。


    見ると2つ入っていて、1つは私宛てでした。中には姑の『孫達を無事に成人させてくれてありがとう。』とメッセージと上品なペンダントが…。


    ずっと見守っていてくれて、認めてくれたのだと…


    以来、なるべく身につけています。

    ユーザーID:4269868667

  • 特集されていました

    トピ主さん、素敵なトピをありがとうございました
    今こちらに書くべきなにげない一言は思いつかないのですが
    web R25さんで、こちらのトピが取り上げられていました
    普段小町を見ない人も、このトピに気づいて癒されるとよいですね

    ユーザーID:9596114826

  • 「生かされている」実感

    いい場所にめぐりあえました。ありがとうございます

    アマチュアで舞台役者をしているのですが
    一昨年、病気で亡くなられた先輩の追悼公演をすることになり
    私がその先輩が依然やった役をさせてもらうことに。

    仕事でも、プライベートでも、
    私ってなんて力がないのだろう
    どうして誰の力にもなれないのだろう
    生きている価値があるのだろうか
    先輩みたいなすごい人が亡くなってどうして私なんかが生きているのだろうかなどと
    悶々と過ごす日々が続いていた時のオファー。
    迷いましたが、こんな私に声をかけてくださったことに感謝し
    思いきってお受けました。

    それからは稽古に向う車の中で
    毎日のように台詞を繰り返しては泣き続け
    それでも人前では泣かないと決めていたのですが、
    公演の最終日、先輩のご家族が観に来てくださっていて
    カーテンコールで先輩のお母様が「ありがとう」と花束を手渡してくださった時
    あぁ私は生かされているんだ、生かしていただいているんだ、と感じ、大舞台の大観衆の前で大泣きしました

    今でもことあるごとに
    「生かされている」ことを忘れないようにしています

    ユーザーID:9769098080

  • 何気ない言葉ではないですが救われました。

    十数年前、私が高校生の時部活仲間からシカトやハブにされたりというイジメを受けていました。
    Aさんからのイジメが酷く、他の人はそれに従っているだけという感じでした。毎日がつらくて、でもサボるとかやめるという事が浮かばなかったので部活動頑張っていました。高校生活が灰色でした。

    そんな時部活が終わって全員で部室に居る時に先輩が「A!あなた○○子の事イジメてるでしょ!」と言って叱ってくれました。先輩がちゃんと気づいていてくれたんだと言う事とその事をAさんに伝えてくれた事で涙が後から後からあふれてきて嗚咽しながらみんなの前で泣いてしまいました。(後日談ですが、Aはイジメている自覚がなく、「私イジメてないよね?」と聞いてきました。ショックでした)

    その後、学校帰りに事故にあってしまい部活はやめる事になってしまいましたが、今でもその先輩には感謝しても感謝しきれません。今ではとてもやさしい主人と結婚し子供も二人いて幸せに暮らしています。こんなに幸せになるんだよ、とあの時の自分や今イジメにあっている人に教えてあげたいです。その時は周りが見えなくなっているけれど、世界は広いです。イジメに負けないで欲しいです。

    ユーザーID:1497016717

  • 私のほうこそありがとう!

    もうずいぶん昔のこと。
    人事部で勤務していた私に同期の男性社員から心因性の病気のため休職したいと相談を受けました。
    一連の手続きについて説明後、彼の人となりを知っているせいか何となく(無意識に近かったようで記憶にありません)

    「大変だったね、お疲れさま。せっかくの長期休暇、温泉にでも行ってリフレッシュしたら?
     体が一番大事。がんばりすぎたのかもよ。」

    というようなことを言ったらしいです。

    半年後、無事に復職した彼から

    「心因性ということで、周囲はみんな『がんばれ!』とか『お前なら乗り切れる!』みたいな励ましばかりで
     がんばることも乗り切ることもできない自分が情けなかった。
     ぴこら(私)だけが、正反対の気の抜けた言葉をかけてくれてものすごくほっとした。
     無理をしていた自分がわかったし、言われたように温泉にも行ってきた。」

    と言ってくれました。その時は反対に私のほうが、仕事で悩んでいた時でした。
    自信を失っていた私は、その言葉でどれだけ救われたことか。

    退社して10年になりますが、宝物のような思い出です。

    ユーザーID:4969432509

  • 皆さん素敵過ぎますよ!

    素晴らしいお話の末席に僭越ながら。

    数年前、仕事で電車に乗っていました。
    立ってる人がちらほらいる程度の車内で、幼稚園くらいの子供が二人
    奇声を発しながら飛んだり跳ねたりの大騒ぎ。
    母親らしき若い女性は我関せずを決め込み、携帯電話を食い入るように覗いておりました。この親にしてこの子供やなと呆れつつも、車内の誰もがその親子に対して不愉快な感情を持っていたと思います。
    耐えかねた中年サラリーマンが「行儀悪い子供を注意せぇへんとはどんな了見しとんねん。」と舌打ちたっぷりに注意しました。
    ええぞおっさん、もっと言うたれ。と心の中で僕がエールを送った次の瞬間、平日の昼間なのに私服のややこしそうな別の紳士が
    「あほんだら!騒ぐのは子供の仕事やろが。こんなガキが黙ってじっとしとったら、そんなもん病気じゃっ!」と一喝。
    紳士の風貌と発言内容のあまりの正論ぶりに、車内は一気に引き締まりました。僕は自分の器の小ささ・心の余裕の無さ・他者への無理解が恥ずかしく敗北感のようなものを感じましたが、なぜか清々しくもありました。
    久々に格好良い大人を見たようで、今でも鮮明に覚えています。

    ユーザーID:8741210054

  • 言葉少ない友人から

    亡くなった母親から虐待の後遺症で精神疾患があり、
    生まれてきた意味も価値も分からず、
    毎日自分を責め、自分を嫌い、自分を消したいと思いながら、
    何とか日々を生きていました。

    そんな私にも、
    唯一私の過去も今も打ち明けることができる男友達がいまいした。
    私が落ち込んでいるとき、
    いつも黙って缶ビールを飲み、私の話に「うん、うん」と頷き、
    何もアドバイスや意見をすることなく、ただただ聞いてくれる、
    そんな友人でした。

    ある日、いつものように気分が落ちてしまい、
    「自分が嫌い嫌い」と言い続けていたら、
    いつも何も言わないその友人が目に涙をためてポツリと言いました。


    「俺の好きな人このことをあまり悪く言わないで欲しい」


    涙があふれて止まらず、初めて
    『生まれてきてよかった、お母さん生んでくれてありがとう』
    と思いました。

    その男友達は、今は私の夫です。

    ユーザーID:1473075820

  • 横ですが、ミカン様へ

    時間があいた上に携帯からで失礼します。

    状況は違いますが、エールを送らせてください。

    時間は元には戻らないからどういう結果になっても必ず今は一歩一歩「終わり」に向かっています。
    もう半分は終わったかなって考えてください。
    だから後少しだけ頑張って!
    直接言いたかったですが小町ごしにエールを送っています。

    ユーザーID:3968654277

  • 京都の市バス

    他の方と似たようなお話ですが。
    親元を離れて京都での学生生活を始めてしばらくした頃です。
    慣れない土地で初めての独り暮らし。
    近くに知り合いも全くおらず、いま思えばいつもピリピリしてました。
    時間の差し迫ったバイトに行くために慌てて市バスに乗った、ある日のこと。
    乗ってから1万円札しか持っていないことに気づき、
    あー失敗したな、と思いつつ回数券を買えばいいや、と考えました。
    (バスカードなどというものがない時代でした)
    最小単位の1000円の回数券を買おうとしたところ、
    バスの運転手さんから、お釣りがありませんと言われ、
    反射的に「じゃあ10枚ください」と言ってました。
    年配の運転手さんは「まあ、そうきばらんと」と微笑みながら、
    「また(バスに)乗らはるんでしょう。ほんならその時に払ろうてくれたら」と言ってくださいました。
    肩肘を張っていた自分に気付かせてもらった一言でした。
    本当にありがとうございました。

    ユーザーID:6149563478

  • 冷戦状態だった兄が

    素敵なトピですね…!鼻のかみすぎで呼吸が苦しくなってきました…(笑)


    看護師になって2年目のころだったでしょうか。
    正月に久々に家族がそろった日のことです。
    普段から強気な私を、父は「こいつは何があっても大丈夫」と思っていたのでしょう。

    「さよは鬱にはならなそうだな」

    父が言った一言に、兄が

    「そんなの分からないだろ。看護師はすごい大変な仕事なんだから」

    と言ってくれました。

    そのころ仕事場の対人関係で悩み、看護師には向いてない、もう辞めよう、と何度も考えていた時でした。
    長男が鬱になり、兄妹だから『自分も鬱になる可能性があるかも』と不安になっていたこともありました。
    それでも強気を崩せなかった私に、兄の言葉が胸に沁みました。

    年が近かったせいか、ずっとケンカしていた兄でした。
    ひと言も会話しない日もありました。
    でも、ケンカしていたってことは、それだけお互いのことを見ていたってことなんですよね。
    私の辛い気持ちや、崩れそうな心を、誰より先に気付いてくれました。

    面と向かっては言えないけど、ありがとう。支えになりました。

    ユーザーID:1245058366

  • 良い話ばかりです。

    皆さんの話を読んでると、泣けてくる話だったり、
    ほっこりする話だったりと、読んでるこっちが嬉しい
    気持ちになります。

    今まで読んだ感想を書かせて頂きたいと思います。

    色んな方が世の中には居るんだなと、改めて感じさせられたのと
    同時に、皆さんが掛けて貰った言葉をちゃんと感じとれてる事も
    凄いと思いました。
    相手は良かれと思ってした事が、受けてによっては別の事に感じる
    事もある訳で・・・。
    救われた言葉を投げ掛けた相手も皆さんに投げ掛けて良かったと、
    幸せに感じてると思います。

    ユーザーID:3704372430

  • 思い出して泣けてきます。

     今から、13年ほど前、夫の仕事でアメリカに来ました。
    2歳と4歳の男の子を連れ、英語もままならず、日々の生活をこなすのが
    やっと、何だかいつも奥歯を噛み締めて、頑張っていた
    感じでした。そんな時、髪を切りに近所の美容室に、身振り手振りで
    何とか希望を伝え、終わった時、美容師さんが、これをちょっと見てと
    手鏡を渡され、唖然..100円玉程の禿げ..体は正直なんだと思いました。
    (大丈夫、直るから心配しないで)と言われて、今まで、溜めて
    いた気持ちを、単語の羅列で彼女に話しました。
    (夫は、仕事が忙しい、私は英語が解らない、友達もいない
    子供達も小さい、良く眠れない)と赤面しながらこんな感じて
    すると、彼女が(私が、もし日本に居たら、貴方よりもっと大変よ。
    貴方は、こんなに話せるじゃない。偉いは、すごいよ。)
    帰り際に、彼女の香水を褒めたら、何と、それを私にくれました。
    英語が、あまり解らない私への最良の、心配りだったのでしょうね。
    あれから、子供達も高校生、私はまだまだ、英語難民ですが
    今回、あの時の美容師さんを思い出して泣けてきました。

    ユーザーID:0923735657

  • 悲しいと思うこと

    良トピですね。
    読んでは涙ぐんでしまいます。


    40歳を越えて初めて、身近な肉親を亡くしました。
    それが母だったことが、また一段と堪えました。

    田舎に帰省しての葬儀を終え、帰京するわたしに姉が
    「1人になると思い悩んじゃうと思うけど、大丈夫?」
    と心配してくれましたが
    1人のアパートに帰ってからは、悲しみに押し潰されそうになりました。
    悲しみとどう折り合っていけばいいのか、いつまでこの悲しみは続くのだろうか
    などと思い悩みました。
    友人などは
    「いつまでも悲しんでると、お母さんも悲しむよ」と励ましてくれるだけに、
    いつまでも悲しむ自分が情けなくなりました。

    そんな時、仕事先の上司のお母さまにお会いする機会がありました。
    上司からわたしの事情を聞いたのであろうお母さまが
    「わたしも40歳過ぎてから母を亡くしたんだけど、もう悲しくて悲しくてね。
    もう30年も経つのに、未だに悲しいのよ」
    とおっしゃいました。

    それを聞いて、「ああ、そうか。いつまでも悲しいと思ってもいいんだ」と
    許された気持ちになり、スッと心が軽くなりました。
    思う存分泣いて、スッキリできました。

    ユーザーID:2381563264

  • いい体験をしたね。

    20代の後半前後、僕はいつもイライラしていました。
    よく怒っていました。

    職場でも部下が離れていきました。
    ついには7年一緒にいた彼女も離れていきました。
    心が砕けました。

    仕事の関係で知り合ったメンタルトレーナーの先生に聞きました。

    「人って変われますか? 僕は変わりたいんです。
     穏やかになりたいんです。」

    先生は言いました。

    「いい体験をしたね。」

    「え?」

    「変わるということは、一瞬の悟りなどじゃなくて、地味な反復練習なんだ。だから、能力はいらない。必要なことは『思い』だけ。」

    「君がどうしても変わりたいと思うのであれば、間違いなく、変われる。最初は、怒ってしまうこともあるけど、投げ出さすにやることさ。」

    「君は何にも代え難い体験をしたんだよ。」

    あれから、2年。。。


    新しく知り合った人に、

    「穏やかそうな人ですね。怒ったりするんですか?」

    と言われたりする。

    そんな日の晩は、どうしても情緒的になって涙がこぼれる。まだ、失ったものの大きさと、得たものの大きさの整理がついてないみたい。

    ユーザーID:1092773681

  • 泣きました

    素敵なページを見つけてしまいました。皆の投稿でもう涙がじわり。50歳を過ぎた中年男です。
    以前友人の息子が、先天性の肝臓の病で、臓器海外移植の募金活動を手伝った時の話です。
    見た目は超ヤンキーのお兄ちゃん、駅の行きと帰り2回ガニマタで寄ってきて「又募金しちまった」と・・まず、じわり・・・
    次に障害者の子供さんを連れた親御さんが、車椅子で寄ってきてくれ、子供のおぼつかない手で募金・・親御さんが一言「大変だけど、がんばってね」もう涙が止まらず、オヤジのぼろぼろ泣き。
    立派そうな紳士ほど目を避け通り過ぎていく中です。
    人生観が変わりました。人を見た目で判断してはいけない、苦労している(苦労と思っていないかもしれないが)程他人には優しい。
    人には優しくしようと決意した体験でした。

    ユーザーID:7760596106

  • 私を助けてくれた一言は

    入社して数年たった頃、会社でちょっとしたトラブルがあり、正論を振りかざして相手を言い負かしてしまったために孤立していました。
    ちょうど家族や友人からも「あんたは融通が利かない」とか「口だけは一丁前だ」とか言われた時期でした。
    すのすごく落ち込みましたし、こんな人間が生きていても楽しいことなんかあるわけないと毎日考えていたのですが、
    産休明けに復帰してきた、何も知らない同僚から一言。
    「jailさんみたいな人がもっとたくさんいれば、世の中はもっと良くなる気がする」
    私を認めてくれる人がいたことが嬉しくて嬉しくて、トイレに駆け込んで大泣きしました。
    この一言、きっと一生忘れません。

    ユーザーID:9338762942

  • こんな俺でも

    私には3歳の息子がいます。

    私がいない時に、嫁が息子に

    大きくなったらなにになる?って

    聞いたら

    「パパみたいになる」

    それを聞いた時は、笑い話程度だったんですが

    思い返すと、この子にとって

    私は、父親なんだなって。

    そして、だらしない自分が

    それを言われる資格があるのかなって。

    改めて、父親になる責任感を

    思い知らされました。

    ユーザーID:8500295783

  • 空港で

    米国に住んでいます。

    日本に里帰りして 米国に戻る際、自分で選んだことなのに悲しくて、切なくて泣けてしまいました。
    搭乗口の近くの椅子に座って泣いていたら、隣の席に座っていた東洋系の女性が「泣かないで。いいこともあるわ。」と声をかけてくれ、招き猫の絵のついたミント菓子を下さいました。
    「ありがとう。」と言うのが精一杯でした。
    人の温かさが身にしみた出来事で、言葉でした。
    多くの言葉を交わしたわけではなかったのですが、彼女が私の背中をぽんぽん、と優しく叩いてくれて それもとてもありがたかったです。
    今でも時々、そのパッケージを見て「ありがとう」とつぶやいています。

    ユーザーID:3977359528

  • 悩み

    「今から、5年後の自分を想像してみて。どんな自分でもいいから。その5年後の自分が、今悩んでる事を聞いたら、なんてアドバイスすると思う?」

    ユーザーID:1219330419

  • 父の急死後

    刑事で世界で一番尊敬している父が突然亡くなった時のことです。

    大学から東京に出てそのまま東京で就職。

    突然父が亡くなったと聞いた時は信じられない気持ちと、
    悲しい気持ちが入り混じり涙が止まりませんでした。

    新幹線に乗り急いで実家に帰り、放心状態の母を見た時に
    長男の俺がしっかりしないと、と心に決め
    会社を辞めてでも地元に戻る決意をしました。

    放心状態の母に代わり喪主を務め、葬式後会社に出た時の部長の一言目が

    「地元、戻るんだろ」

    仕事後の飲み等の会話で俺が親を誰よりも尊敬している事を知っている部長は、
    まるで俺の心を見透かすかのように、
    地元の拠点への転勤を図ってくれていました。

    その時は事務所の中にも関らず、号泣してしまいました。
    この会社で一生働こう、そう思えた時でもあります。

    その時の部長は既に退職されましたが、今でも感謝の気持ちを忘れた事はありません。

    ユーザーID:7779486170

  • ふとした親切がたくさん。

    18才から東京に上京している者です。
    皆さんのお話を読んでいたら自分の体験も書かずにいられませんでした。

    末っ子で甘えん坊の自分が東京で一人暮らしをしながら仕事をして何でも自分でやらなくてはいけないという気持ちで気を張っている二十代の時、他人をどこか疑ってかかっていた東京でも気持ちのいい人は沢山いるんだなと実感した事がいくつかありました。

    電車代が危うい時、18歳のどうしようもない自分に500円をくれた見ず知らずのカラオケの呼び込みのお兄さん。

    引っ越しする際に運びきれなかった荷物をタクシーで運ぶ際、事情を話したら一緒に運び入れてくれ、お代までおまけしてくれ最後に『これからもがんばってね』と声をかけてくださった運転手さん。

    転職し、翌日から初出勤という緊張と不安で一杯な時乗ったタクシーで赤い糸をつけた5円玉をくれて『大丈夫』と言ってくれた運転手さん。

    席をゆずったら何かお礼がしたいと、自分がつけていたきれいなストラップをくれたおばあちゃん。

    他にも沢山の方にお世話になりました。皆様にありがとう。
    おかげで東京で12年暮らしてこれました。
    今後は私も困っている人の力になりたい

    ユーザーID:3901513833

  • 一瞬で気持ちが軽くなった、ひとこと

    素敵なトピ♪私も仲間に入れてください。

    去年の息子の運動会。
    小2の息子はリレーのアンカーでした。
    かなりの差をつけて1位!と思った矢先、そそっかしい息子は最後にメンバーのまわりを一周するルールを忘れてゴール地点に突進・・・。
    指摘されて、慌てて回り終えた時には、わずかの差で2位になってしまいました(涙)

    個人種目ならまだしも、団体戦だったので他のメンバーの子たちには本当に申し訳なくて、私まですっかりブルーに。

    優しく慰めて下さった方もいたのですが、家に帰っても気持ちは晴れず、そのうち息子も帰ってきました。

    「誰かに何かいわれた?」
    励ますこともできず、それだけ言うのがやっとでした。

    「うん。T君に・・・」(T君は、クラブの2年上の先輩です)

    「何て言われたの?」

    「『馬鹿か?お前は!』って。」

    それを聞いた途端、プッと噴出していて、気付けば息子を含む家族みんなで爆笑していました。

    本当に一瞬で気持ちが軽くなったことを覚えています。

    下手に慰められるより、ずっと愛情のある言葉だったと、今でもT君には感謝しています。

    ユーザーID:3113195432

  • 正月に

    僕がトラックの長距離ドライバーをしていた時のお話です。
    当時はトラックドライバーという仕事に自信が持てず、なんの為にハンドルを握ってるんだろうと思っていました。
    そんなある年の元旦に郵便の仕事で九州から名古屋まで大型トラックいっぱいに年賀状を積んで運ぶ仕事が入りました。
    他の同僚はみんな家庭があったので独身の僕が引き受けましたが、やはり周りの車や道行く人を見ると寂しさがこみ上げてきました。

    高速を走り名古屋へ向かっている途中、お腹も減ってきたのでサービスエリアへ寄り出店の団子を頼んでいると出店のおじさんが郵便マークの付いたトラックを見て
    「年賀状??正月なのに大変だね。でもお兄さんが走ってくれないとみんな困るもんな!気をつけて走るんだよ。」と言ってくれました。
    ドライバーをしていて初めて自分の仕事に意味を見出せた気がしました。
    おじさんも正月から頑張ってるんだから、弱音吐けないなと思わせてくれた一言でした。
    おじさん、本当にありがとう!!

    ユーザーID:9864084883

  • 思わず書き始めてしまいました

    話題になっているので、軽い気持ちで読み始めたら…
    職場の昼休み、丸々使って読ませていただきました。
    今、涙を堪えて目が赤くなっています。

    母に聞いた話ですが、忘れられないので書きます。
    祖母が介護施設から帰ってくるため、母がお迎え場所で待っていたところ、なかなかバスが来ず、祖母の車椅子に座って待っていたそうです。(恥ずかしい話ですが…)
    すると、中学生くらいの少年が自転車でスーっと通り過ぎ、奥の坂を上っていったのですが、少ししてから戻ってきて、恥ずかしそうに「何かしましょうか?」と聞いてきたそうです。
    母は慌てて「祖母を待ってるだけなので、大丈夫。ありがとう」と断ったそうですが、帰ってきてすぐに家族に報告してました。その時の母の嬉しそうな顔が、今でも忘れられません。
    少年には悪い思いをさせてしまいましたが、勇気を出して声を掛けてくれたその優しさは、私たち家族にも伝わっています。

    ユーザーID:6471592751

  • あたしが会いたいから行くんだよ

    不安神経症という病気の私。

    あるとき調子をくずし、部屋から出られないほど落ち込んでしまったとき、
    大好きな友達から「大丈夫?行こうか?」のメールが。

    すごく嬉しかったし、すぐにでも会いたかったけれど、
    「家も遠いし、会って泣いちゃったりして迷惑掛けたくないから、大丈夫だよ」と返信しました。

    すると、その友達はこう言ってくれました。
    「あたしが会いたいから行くんだよ。それにあたし、知らない街を歩くのが好きだから」

    私が気を遣っているのを察してそう言ってくれたのが伝わってきて、会う前にもう号泣してしまいました。

    結局、友達の言葉に甘えて会いに来てもらい、元気を取り戻すことができました。

    病気は今も治療中ですが、その言葉と、親身になって私を思ってくれたことが、今も私を支えてくれています。

    Mちゃん!あなたがこの世にいてくれてるってことだけで本当に感謝してるよ。ありがとう。

    ユーザーID:1943533393

  • タクシーで・・・

    私がまだ新社会人になりたての頃、就職した会社で環境に合わなかったり、いろいろな事があり、わずか半年で辞めてバイトをしながら自動車学校に通っていました。
    母からは「将来的に不安定なアルバイトで将来どうするの?」と言われる毎日、姉は立派に看護師として働いているのに私は何してるんだろうと考える毎日。気持ち的にあまり余裕なんて時に、公安での試験で落ちて、周りの子たちは喜んでいる中、早く家に帰りたくて初めてタクシーに乗りました。落ち込み泣いていた私に運転手のおじさんは「どうかしたんか?」と声をかけて来てくれ、試験に落ちた事などを話しながら家の近くで降りようと料金(5,000円に近かった)を払うときにおじさんが「お姉ちゃん頑張っているから、3,000円でいいよ」と言ってくれ、私は泣きながら御礼を言って家に帰りました。人から「頑張っているね」と言われる事が無かった時だったので、心にグッときました。
    あの時のタクシーのおじさんの事は、10年経った今でも忘れられません。

    ユーザーID:0756913813

  • 朝の少年

    ここ数年、うつで苦しんでいます。
    家族を養う為、薬を飲みながら仕事を続けています。

    先日も絶望的な気持ちで、出勤前の朝の愛犬の散歩に出かけました。

    途中、愛犬の糞の始末をしていると、突然見知らぬ男の子に『おはようございます!』と声をかけられました。

    彼は、犬を撫でて良いですか?と尋ね、僕が頷くと嬉しそうに愛犬とじゃれて遊び、ありがとうございます、と言って学校に向かって駆けて行きました。

    その瞬間、ふっと気持ちが軽くなったのです。
    そして、僕は、その後ろ姿に『行ってらっしゃい。気をつけて』と呟くことができました。

    なんとか今日一日、乗り切ろう。そのきっかけが出来た気がしました。

    朝の少年よ、ありがとう。

    ユーザーID:6667114466

  • 先生ありがとう

    まだ私が小学6年生だった頃。
    中学受験を母から進められ、ずっと塾で勉強の毎日でした。

    そんな小6の夏に、もう限界で疲れて苦しくて
    受験を辞めたい、と考えつつも
    それでも母の期待に応えなきゃと
    精神的にもどうしていいか分からず辛い日々が続いていたのですが

    そんなとき私の通っていた塾の室長が、言ってくれた言葉


    「咲羅が決めた道なら、それが正しいんだよ。」


    ずっとずっと言ってほしかった言葉。
    ずっとあった重荷が軽くなった瞬間でした。
    あまりに嬉しくてポロポロ泣いたのを覚えています。

    先生、ほんとにありがとうございました。

    ユーザーID:0690073518

  • 単純だけど。。。

    単純だけど、私はこの二つの言葉を大切にしています。
    ・過去には感謝を、現在には信頼を、未来には希望を。
    ・「命は大切だ」と何千回何万回言われるより、「あなたが大切だ」とだれかが言ってくれたら、それだけで生きていける。

    ユーザーID:3526438255

  • うるるん

    ただただ、下むいて、なみだ。
    温かい一言をいただけただけ、素晴らしいくラッキーな人たち
    私にも小さなラッキーは、訪れてくれるのかしら?
    お願いです、この輪を実際に広げてください。。。私の住む小さな町にも普通に、同じ感動が現れますように。。。

    ユーザーID:2227467978

  • 私もあります!

    自分ばっかりうまくいかないと思っていた時。
    マイナスな発言とは裏腹にやりたいことは山盛り。

    どうしていいのかわからず人のせいにばかりして
    自分は悪くないと思い込むのが当たり前になっていた頃。

    知り合いの男性が、

    「焦らなくていい。あなたは生きているだけでいいから。
    あなたという子が生まれてきたことに大きな意味があるんだから。」

    と声をかけてくれました。
    あっ。そうか・・・と妙に納得。
    気持ちが軽くなり、今生きていることを楽しんで実感しています!

    ユーザーID:5422709806

  • ぐっときた。

    京都のある山に軽い気持ちで登り始めましたが
    いっこうに山頂に着かず、そのうち日も暮れかけたので
    残念でしたが来た道を引き返しました。
    やっと麓に着いた際に、お茶屋のお婆さんに声をかけられたので
    登頂できなかったことを伝えると
    一言「また出直しておいで」と言われました。

    色々なコトで鬱屈していた胸にストンと納まる優しい言葉でした。

    ユーザーID:7470517129

  • おかえり

    いろんな方のお話を読んで私も思い出したことがあります。

    肺ガンで亡くなった母が他界する少し前。
    一時帰宅で自宅に戻っていたものの容体が急変し、
    救急車でもと入院していた病院に搬送され、処置室へ。
    息も絶え絶えになっていた母に看護師さんがいろんな処置をしてくれます。
    ただ忙しいからか、業務的に声をかけてるような印象で、そばでついていた私も不安でいっぱいで泣きそうでした。

    そのあと、入院していた病棟に移されるとき、
    忙しく迎えにきてくださった看護師さんが
    「おかえり!○○さん!(母の名前)」
    と笑顔で話しかけてくださいました。
    息もできにくく、顔をしかめていた母も少し笑っていました。
    私はホッとして泣きそうになったのをよく覚えています。

    亡くなるまで、母の病と一緒に闘ってくれた。
    たいへん心強い援軍でした。

    本当にあの説はお世話になりありがとうございました。
    大変なお仕事とは思いますが、がんばってください!

    ユーザーID:5836084518

  • 何か1つ見つければいい

    素敵なトピで、ずっと読んでいました。
    Yahooのトップ記事に載りましたね。

    20年も前の話ですが、当時、新入社員で右も左も分からないなか、仕事が忙しく心身ともに疲れきっていました。
    新しく学ばなくてはいけないことも多く、どの知識も中途半端。
    自信を失っていた私は、気づくと同期に
    「私は何も深く知らない。すべてにおいて力不足だ。何でもできる人になりたい」と言っていました。

    そうしたら同期は
    「何でもできる必要はない。何か得意なものを1つ見つければいい」といってくれたのです。
    胸のつかえがとれたようでした。

    今、子育てをしていますが、この言葉はいつか子どもにも言ってあげようと思っています。

    ユーザーID:8767118778

  • 許された気がした

    見知らぬ人、ではありませんが、レスさせてください。

    違う高校へ行った友達と久しぶりに会った時
    人間関係や進路などで精神的に不安定になっていたようで、
    自傷をしてしまい腕に包帯を巻いていました。
    会うなりそれが目に飛び込んできたので
    「ちゃんと消毒した?」と私は開口一番に言ったのです。
    そのあとは思い出話をしたり、普通に過ごしていました。

    別れた後からメールで
    「ちゃんと消毒した?って言われた時、とても心が軽くなったよ。
     みんな自傷はいけないって言うのが普通だったから。ありがとう。」
    と送られてきました。
    私はその言葉にじーんと来てしまいました。

    私はその頃、時を同じくして自傷癖のある親友について悩んでいたのです。
    その親友は同じ高校でしたが、私がなにかのきっかけを作ってしまい、
    精神のバランスを崩してしまったようなのです。

    私は一体何をしたんだろう、何がいけなかったんだろう

    毎日悩んで、悔いていました。
    そんなときに言われた「ありがとう」
    違う人に言われたのに、なんだか許されたような気がしたのです。

    ユーザーID:7649129065

  • なけてきました

    みなさんのお話読んで泣けてきました。

    私にもあります。
    義父とうまくいかず、いらだちから息子を虐待してしまったときです。
    夫につれられ実家に帰ったとき、主人が状況を私の両親に説明しました。それをうけて父が
    「お前達が仲良くやってればそれでいいんだぞ。ほかが何を言ったって」
    みたいな事を言っていたのを思い出しました。

    実際私の父はろくでもない人でしたが、生まれて初めて励ますような言葉を聞いてそのときは涙が止まりませんでした。

    そんな父ですが末期がんで余命幾ばくもありません。安らかに旅立たせてあげたいと思う今日このごろです。

    ユーザーID:4677323947

  • 私にもあります

    凄く心に染みるトピばかりで、涙が出ました。

    私にもあります。何気ないというわけではないかもしれませんが…。
    私は去年躁鬱病と言われて、鬱の時はとことんどん底まで落ちました。
    何度も死のうと試みて、それも出来ずに時間だけが過ぎて居た時、
    親友にポロっと「生きていたくない」と言ってしまいました。
    その時、親友はその場で何も言わずに泣いていました。

    私なんかのために泣いてくれたことが嬉しかったのと、馬鹿なことをしようとしていた自分に腹が立ちました。
    私は人に愛されてここまで生きてきたのだと改めて実感出来た瞬間でした。

    それからはなんとかポジティブになれるよう頑張ってます!

    ユーザーID:3510644549

  • 仕事も失敗ばかりで

    彼女とも喧嘩わかれしちゃって、なんだか俺なんかなぁ、
    って自己嫌悪に陥ってたある日、ブティックで買い物でもしよう、
    と思って緑のジップアップジャケットがかっこいいな、って思って
    試着させてもらったんだけど、女の店員さんが
    「緑とかにあいそうですもんねー☆」
    って言われて、「まったまたうまい営業トークだなぁ、、」
    って思って苦笑したら、それをさっちしたらしく
    「いやいや、本当にそー思ってますよ!」
    と必死な声で、真顔で言われて、
    ちょっと人間不信に陥ってた自分は、なんか癒されて
    「あ、ありがとー」と答えて、また明日からがんばろう、
    って気分になりました。

    ユーザーID:3520330992

  • ---

    今二人目を妊娠中の2歳半の女の子のママです。
    夫の仕事も忙しく加えて私も妊娠中で毎日しんどくてお互いがお互いのことを思いやれずに小さなことで喧嘩をしてしまいました。

    私は相当頭に来て、でも大声で怒鳴ることは意味のないことだし子どもが聞いてるし…とやりきれなさでいっぱいだったとき、隣で絵本を見ていた娘が「気にしない〜気にしない〜♪」と、ふとある歌の一部を歌ったんです。
    教育番組の最後の曲です。娘はその歌が好きなんですが、そこしかまだ歌えない。

    本人はもちろん歌詞の意味なんてまだ分からないし、たまたまその歌が頭に浮かんで歌ったに過ぎないはずなのに、その時急に怒りの感情が収まり子どもを優しく抱っこしていました。

    それからはイラついたりカッとなったりしたらまず「気にしない〜気にしない〜♪」と歌って気持ちを落ち着かせます。
    夫婦でいがみ合うなんてつまらないよ、と2歳半の女の子に気付かせてもらいました。

    ユーザーID:3472906112

  • 母親代わりの祖母とケンカ

    3歳で両親が離婚し、父に引き取られ祖母宅で生活。
    その後父は再婚し別居、私は祖母宅に残りました。
    父は言葉も含め暴力的で、家に寄る時はいつも機嫌の悪い時のみ。
    小学生の時、いつもの様に半虐待行為を受け大泣き。
    父が帰った後、祖母に『ママに会いたい』と泣いても
    祖母は『何言ってんの、あんたの母親はあんたに愛情何て
    これっぽちも無かったよ。』今でも忘れられない傷です。

    20歳の頃にお付き合いしていたSが家に来ていた時も
    なんやかんやと皮肉を漏らす祖母に対して、私が激怒し
    流れで、上記の祖母の発言に自分は凄く傷ついてたという事を話すと
    祖母は『だって本当の事だから仕方ないじゃない。』と。私は大泣きです。
    するとSが祖母に対して、『そういう言い方はないでしょう。
    本当かどうかなんて関係ない、そういう事を言われた○○(私)が
    どんなに傷つくか考えてますか。』と言ってくれました。

    祖母とのこういったやりとりは、他の元彼の前でも有ったのですが
    『年寄りなんだから相手にしないでいなよ』って感じで私を宥めるだけで
    私が堪えるばかり。Sの優しさに癒されました。

    ユーザーID:8306209296

  • 心の温泉で 癒されました。

    みんな頑張ってるんですよね!
    …って、なんか変な表現ですが。ここにレスしてる人たちは、皆さん何かに頑張ってる時に、出遭った言葉に 救われてらっしゃるんですよね。頑張って、頑張って、いっぱいいっぱいになって…
    私の父は 8年前に癌で亡くなりました。母はその20年程前に亡くなっていたので、父との別れは 本当に辛いものでした。
    癌とわかって約一年闘病し、その間転院、手術、在宅療養…
    父は 本当に 頑張りました。手術したら治ると信じていたから。
    抗がん剤等の治療等で小康状態になり『もっと先の治療に進むと、退院できず終わる可能性がある』とのこと。手術を受けてから5ヶ月、ずっと『家に帰りたい』と言っていたので、姉妹で相談し、在宅療養に切り替えました。
    退院後、娘や孫に見守られ、たった17日だったけど念願の家での生活。息が苦しいと 遠慮がちに言う父の言葉に119番。
    搬送先の お医者さんに『良く頑張ったね、お父さんも、娘さんも』の言葉に、父は病気に負けて亡くなったのではなく、今まで頑張ったこと自体が病気に負けてなかったんだ!と思えて、一年分の涙が溢れました。ありがとうの気持ちと共に。

    ユーザーID:8093933310

  • 再びayako様へ


    仕事中声を押し殺して泣いてしまいました。

    生まれて初めて人からエールを送られました。

    たぶん そう半分過ぎたでしょうか… まだまだゴールは見えてきませんが

    私には見ず知らずの方が
    エールを送って下さった

    それだけで頑張れます。
    もう一度ありがとう。

    ユーザーID:4751035063

  • つわり中の事

     いいトピックですね。読み始めてから涙が止まりませんが。
    私も参加させて下さい。

     どちらかというと、私の方が強く望んだ妊娠でした。それなのに妊娠初期からつわりが酷く、体力と気力が限界まで来てボロボロになった時に、決して言ってはいけない一言を言ってしまいました。
    “もう、嫌だ”
     赤ちゃん、ごめんね。

     夫は黙って聞いてくれました。それから私の足をマッサージしながら、
    “辛いね”
    と言ってくれました。

     叱咤激励ではなく、その時の辛さを包み込むように受け入れてくれて、救われました。
     今は安定期に入りました。強い母になりたいと思っています。

    ユーザーID:9811812882

  • いい話ですねえ。

    皆さんの話、ほんとにいいですよねえ。
    何気ない一言に助けられた経験、私もいいですか?

    テレビコマーシャルで島田洋七さんがおっしゃっていた言葉。
    「(ご自分の)ばあちゃんに『なんでそんなに前向きなの?』とたずねたら『後ろ向きは歩きづらい』と言われてねえ・・・」このくだりを聞いたとたん、涙が滝のように流れました。なぜか笑い泣き・・・
    子育て、義両親との同居、近所づきあい・・・いろんなことでいっぱいいっぱいだった私に、この言葉はどかん!と効きました。

    佐賀のがばいばあちゃんは、やっぱりすごいです!

    ユーザーID:1638963176

  • 俺も、走ることないよ


    私は下半身に障害があります。

    見た目には健康そのものに見られる事が、よくも悪くも働く事があり
    密かに悩みでもありました。


    5年以上前、とある男性に好意を抱きました。
    ですが、具体的な症状を打ち明けたら、引かれてしまうんじゃないかと不安で
    いつ、どう伝えようかと悩んだ末に、何をするにも休憩が必要な事、
    走ったりする事もできない事を伝えると・・・

    その彼は言いました。

    「へ?俺もしょっちゅう休憩なんてするし、日常生活で走ったりしないよ。
     それがどうかしたの???」


    身体の事を伝えると言葉を失う人がほとんどの中で
    ほえ??っとした表情で、笑顔で笑い飛ばしてくれました。

    そんな風に言ってくれたのは、彼が初めてで
    「それも・・・そうだね。」と私も笑いながら涙をこらえていました。





    彼とはもう、会える事はないのかもしれません。

    だけど、彼との時間は、どれほどの時間が経っても
    私にとって永遠の、大切な宝物です。

    ユーザーID:2127672492

  • 私も生き直すことができました

    私は他人ではなく、叔母の言ってくれた言葉で、開き直れて生きる事ができるようになりました。乳癌再々発して奇跡的にガンは消えたのですが、筋無力症になって身体障害者になってしまいました。毎日暗い顔で愚痴ばかり言って暮らしていた私に、「そんな気持のままで生きていくのはもったいないよ。まだまだ生き直せるよ。まだ間にあうよ」と叔母が真剣な顔で言ってくれたのです。
    両親に幼い時に別れ、ずいぶん苦労して育ってきた叔母の言葉は、末っ子で守られて当たり前と、思いこんできた私の胸にずしーんと響きました。「叔母さん、ありがとう。生き直せる気がする」と答えた4年前。私は今毎日を生き生きと、人々の優しさに感謝しながら暮らしています

    ユーザーID:5408059244

  • 妻の一言

    5年程前、当時は自営で小売店を経営してました。
    景気の低迷で業績が上がらず、毎日が辛い日々でした。
    疲れているんだけど、寝てしまうと直ぐに朝が来て、また辛い1日が始まる。
    そう思うと、毎日なかなか寝つけない程でした。

    妻も一緒に店の仕事をしているので、同様に疲れていて
    食後はテレビを見ながらいつも、うたた寝です。

    ある日、いつもの様にうたた寝している妻の横で、お笑番組でその面白さに
    笑って見ていると、突然目を覚ました妻が一言・
    「父さんが笑ってる、嬉しい」とにっこりしながら言って、また寝ました。

    お笑番組を見ながら、涙が止まりませんでした。
    妻の為にも生きて頑張らなければと思い、勇気を出して、決断しました。

    20年頑張った店を、閉店しました。
    従業員の再就職先を捜し、取引先や銀行などに話をし何とか自主廃業を
    しました。

    夫婦で再就職・再出発です。
    まだ借金返済は続いてますが、皆さんのご温情により精神的に安定した
    生活が出来るようになりました。

    毎日頑張っている妻に今でも感謝です。
    妻の為にも出来るだけ笑顔いたいと思います。

    ユーザーID:0891511962

  • 卑怯な男

    福岡で半年同棲した彼が
    私から逃げるように東京へ転勤してしまい
    自分の何が悪かったのかと1人で抱え込み悩んでた時に
    たまたま飲み会でその話した上司がその彼のことを
    「卑怯な男やね」と言いました。

    全て自分が悪いからと思っていた私には衝撃的で
    その一言は人を避難する言葉ではありますが
    私にとっては救われた一言でした。

    その一言を発した方とその後付き合う事になり二年経ちます。
    今はとても幸せです。

    ユーザーID:2006478343

  • 高校生の頃・・

    体育の授業でダンスの指導を受けていました。感情の起伏の激しい女性教師でした。体調が芳しくなかった私は、先生の思い通りの体勢ができない
    ということでクラス皆の前で、私は頭を叩かれました。
    理不尽なその先生の行いに、驚きとショックで、涙をこらえるのがやっとでした。
    次の日、気分転換の為にロングヘアーを思い切ってショートにして
    登校しました。
    その時、ふだん付き合わないクラスメートが、「その髪型よく似合うね」
    と一言・・なんともいえない、嬉しさでした。
    数十年経った今でも覚えています。

    ユーザーID:3632548172

  • 友人に

    数年前、子供が出来ない事を知り泣き暮らす毎日
    周りは「大丈夫?」「辛いだろうけど頑張って」と…
    「大丈夫じゃない!」「どうやって頑張れって言うの?」
    って思っていた時に15年ぶりの友人との再会がありました。
    風の噂で私が結婚した事を聞いていた彼女は、話の中で「子供は?」と
    正直「また?」と思ったのですが
    「出来ないの」と告げると
    「それもまた人生」と一言だけ…

    なんでアナタは色々聞かないの?と聞くと

    「聞いて子供出来るんやったらなんぼでも聞いたる!聞いてもどうにもならんのに根ほり葉ほり聞かない」

    とサラリと言われた瞬間
    今まで溜めていたものが一気に溢れだし
    人目も憚らず号泣してしまいました。

    こんなにも当たり前のように優しく出来る人もいるんだ…

    この日から、他の人に聞かれても辛くなくなりました。

    「これもまた人生」
    って思いながら暮らせています。

    ありがとう!

    ユーザーID:3773823434

  • お宝

    テレビの「お宝何でも鑑定団」を親父と二人で見ていた。
    次々に出る高額なお宝に「うちにもなんかお宝ないんかなぁ」と
    つぶやいた私。
    親父の顔が困ったようになったけれど、すぐに
    「うちのお宝はお前じゃ」とボソッと言った。
    テレビ画面が涙で揺れた。

    ユーザーID:4456889043

  • 妹からもらった言葉

    2年前、ずっとほしかった赤ちゃんが
    妊娠2ヶ月で天国へ還っていきました。

    すごくつらくてつらくて、
    でも毎日仕事をしなくちゃいけなくて
    心も体もボロボロになっていたとき。

    4つ年下の妹が一言
    「赤ちゃんはこのお母さんがいいって
    空の上で順番待ちしてるらしいよ。
    たぶん上でお姉ちゃん大人気よ、大丈夫。」って。

    今でも思い出すと涙がいっぱい出てきます。
    ありがとう。

    そして、今度はお母さんになれそうです。

    ユーザーID:1255564588

  • 本当にありがとう

    数ヶ月前
    私の家は母子家庭で兄弟はいるのですが
    全員年上でもう実家には住んでおらず
    一人っ子のような状態でした

    母が旅行にでかけていて
    一人ぼっちの深夜、昔の嫌な思い出ばかりが
    なぜが頭に浮かび涙が止まりませんでした
    元父親の家庭内暴力、幼稚園から一緒だった親友の裏切り
    振り回されてばかりの恋愛…
    多分深夜3時くらいでした
    友達にメールや電話などできず号泣

    あるサイトが目に付きました
    それはどんな小さな悩み事や疑問
    人生相談などを誰でも自由に書きこむことができ、
    誰でも回答やアドバイスなどができるようで
    深夜3時、以上のような重い内容を泣きながら書きこみました

    すると暖かく心のこもったメッセージが
    次々と返答され、助けられました。中でも
    「辛い経験をされたんですね
    今日はこれからゆっくり休んでください
    するといつか必ず良い事が起きますよ
    必ず幸せになれます。いや、あなたは
    幸せにならないといけないのです
    私もあなたに幸せな事が起こるよう願います
    頑張ってください。」

    このメッセージだけは忘れられません
    助けられました

    ユーザーID:8560878158

  • あなたが育てた子でしょ

    もう15年ほど前の話です。
    当時高校2年だった息子が家出しました。
    行き先がつかめず、毎日泣いていたとき、古くからの友人に、
    あなたが育てたんでしょ。自信を持っていいのよ。間違いないから。
    と言われました。 その後息子と連絡が取れ、無事家に帰ってきました。
    あの時、この言葉を言ってくれた友人に今でも感謝しており、私も悩んでる友達には、この言葉をかけてあげるようにしています。

    ユーザーID:3646901893

  • 子育て疲れのとき

    当時1歳の子供に、良く泣かれていて子育てがイヤになった頃、友人が一言「赤ちゃんは泣くのが仕事だもんね」と言ってくれました。
    良くある一言ですが、それ以来「泣くだけ泣いていいぞ!」と思えるようになりました。

    ユーザーID:7320354575

  • ありがとう

    長男は先天性の病気で生後17日でこの世を去りました。

    次男は持病があります。

    私の何がいけなっかたのだろうと悩んでいたとき

    次男がお世話になっている病院の先生が「お母さんよくがんばってるね。」

    こんな私でもいいんだと思い、うれしくて涙が出てきてしまいました。

    5年前の話ですが・・・

    今では家族4人幸せに暮らしています。

    先生ありがとうございます。

    ユーザーID:3852223007

  • こんにちは

    偶然、このサイトを見付けて涙を流しながら読んでます。
    私にも心が救われた経験があります。

    15年位前のことですが、その頃妻とよく喧嘩をして
    毎日家に帰るのがいやでした。
    妻が好きで結婚したのに貧乏くじを引いたように感じていました。

    当時、仲の良い同業の先輩が二人いて、
    2,3ヶ月に一度飲みに言っていました。
    そこで、その事を愚痴ったところ、一言
    「何処も同じだよ」(どこの夫婦もいろいろあるよ)と言われました。
    その一言に、自分だけでないみんな一緒なんだと思えたら涙がでて、なぜか三人で大爆笑、
    ものすごく心が軽くなりました。

    その後は夫婦間の揉め事にも少しは余裕が出来て喧嘩も減りました。
    kさんありがとう。

    ユーザーID:3108777157

  • 誇り!

    数年前に、信じていた人に裏切られて
    くやしくてくやしくて、、、
    おいおい泣きながら別の友人にあたりちらしてたら、
    その子が、

    「お前が裏切った方にならなくて、本当に良かったな!
     信じた自分を誇りに思え。」

    と言ってくれました。

    なんだか、はっと目からうろこが落ちたような気がして。。

    確かに、本当にだまされた側で良かった。
    信じた事も胸をはっていいんだ。

    と、ほっとして心が温かくなりました。

    その言葉をかけてくれた友人が今の恋人です。

    ユーザーID:1769858233

  • 励まされました

    みなさんの経験談を見て、自分まで励まされました。

    わたしもだいぶ前になりますが、
    同居していた大好きな祖父がなくなりました。

    仕事中にそのことを知りましたが、現実を受け入れることが出来ず
    家に帰れば現実を知ることを恐れ、電車を途中下車してしまいました。

    当時お付き合いを始めたばかりの彼へ
    祖父が亡くなったこと、まだ家に帰っていないことをメールで
    報告したときの彼からの返信です。

    「おじいさん、君の帰りを待ってると思うな」

    これを見た後、ダッシュで帰りました。
    帰宅ラッシュの混雑した車内で涙が止まらなかったのを覚えています。

    死への恐れよりも温かい気持ちになりました。

    そんな彼は今の旦那様です。

    ユーザーID:5572177811

  • なにもいわずに

    思春期のとき、家庭崩壊を経験。
    両親の死ぬやなんやのいいあいのなか
    逃げ出すように英語の塾へ。
    気をはって、なんとか社会人の姉に、充電残量1の携帯で電話をして助けをもとめ
    そのまま塾にはいって、みんなが何かの話でわらったとき
    緊張の糸がとけてボロボロ泣き出した私を廊下につれだして毛布をかけて、そのまま2時間そっとおいてくれた先生。
    「どうしたの?」
    と言われる言葉に、なにも答えることができなくて
    それでも無理に問いたださず、おいてくれた。
    すごく救われました。

    ユーザーID:7292814325

  • ハワイで聞いた1世の言葉

    随分前にハワイに行った時ハワイの知人に連れられて行ったバーで日系1世の人に聞いた話が今でも深く心に残ってます。ハワイに有る日本人のお墓は総て日本に向いている事を聞きました。帰りたくても帰れないで亡くなった人達の思いをせめて日本に向けて作って有るそうです。それ程日本に思いを残していたのが解りました。又ハワイに無い材料で日本の漬物や煮物等の味を大事に残していて食べさせてくれたのが思いだされます。つくずく幸せを感じられた話でした

    ユーザーID:8464518627

  • 子供が2歳の頃

    双子を産んで、周りに助けられながらも仕事も続けて、主人の両親と同居もしていて、
    正直その頃のことはよく覚えていないくらい、気持ち的にいっぱいいっぱい、もう大変でした。
    休日に、歩いて15分の実家へ行こうと、子供を寝かしつけがてらおんぶして歩いていたのですが
    気にとめてお声かけ下さった乗合バスの運転手さん
    「おねーちゃん、どこまでか知らんけど、お金いいから、乗って!」
    バタバタでよれよれの恰好して、しかもベビーカーとかじゃなく「おんぶ」だったので
    怪しいのが歩いているなあ、しかも橋の上だったせいか、とても心配に思われたのでしょうね
    「乗っていいって」「いえいえ、本当に大丈夫ですから」結局「行き先はすぐそこの実家なんです〜」と、
    丁重にお断りしてバスには乗りませんでしたが
    思いがけず優しい言葉をかけて頂いたこと、忘れられません。
    どんな状況であっても、他人に対して冷たい人間にはなりたくないですし
    自分ばかりが損をしているとも思いたくないですし家事・育児・仕事を、精一杯取り組むことが
    その運転手さんへのお礼の代りだと思っています
    (でも、手抜きだらけですけど…)

    ユーザーID:8857651693

  • もう一人のお母さん

    私がまだ20代前半のときです。高校時代10日程ホームステイしたアメリカの
    方に会いに行くことになりました。なにぶん英語も満足に話せない、空港の乗り継ぎもはじめて、しかも空港内は広くて一人で行った私の不安は頂点に。エスカレータを降りようとしたその時、エスカレーター下に見慣れた家族が。満面の笑みで画用紙に「I LOVE ALICE」実際にはLOVEがハートのマークで書かれていたのですが、それを手に持ち私に見えるように振っている姿がありました。一気に不安な気持ちがなくなり、その光景は今でも私の中に焼きついています。その後も何回か会いに行き、ある時私がホテルに泊まるというと「ここはあなたの家なのに、何故ホテルに泊まるの?」「あなたは私の日本人の娘よ」と。「いつか結婚したら、夫と一緒に会いに来て」
    その方も今年亡くなり、主人と一緒に会いに行くことは出来なかったのですが、19年間ありがとうと伝えたかったです。いつか母親になったら、彼女のように暖かい母親になりたいと思います。

    ユーザーID:0628320099

  • 言霊療法というのがある

    気分が落ち込んだとき、なにげない一言で回復することはよくある。
    でも相手の顔を見ると本気で言ってくれていないときには、すぐにわかるもの。言葉の中にも隠れた霊力があって、心がこもった言葉は数年でも、数十年でも効きつづけるものだ。
    若いころ、仕事に悩んでいたとき、「お前が悩んでいるのを喜んでいるやつがいるんだぞ」と友人に言われて、逆に立ち直ったことがある。

    ユーザーID:8783945044

  • 愛犬に

    我が家の愛犬は犬見知りも人見知りもすごく、お散歩に出ればビビりも手伝い、ワンワン吠えてしまう…。マンションの敷地内なので、申し訳ないのと自分の躾の至らなさとでへこんでいた日々。とどめに犬連れのおじさまには「変わっているね」と言われ、連れて出るのが嫌になっていました。
    そんなある日、いつものように愛犬とベンチに座っていたら、近くにいたおばあちゃまが、「まぁ、優しい顔をしているワンちゃんだこと」、と話しかけてきてくださいました。
    その一言がすごく優しく、なんか久しぶりに人の温かさに触れたようで涙が出そうになりました。
    私も素敵な歳の重ね方をしたいと思いました。

    ユーザーID:6089515638

  • テディベア

    みなさん素敵なお話ばかりですね。


    大学3年生、就職活動まっただ中の時。
    交通費を浮かすため、新幹線ではなく在来線で就職活動のたびに3時間超かけて地方と都市を行き来していました。

    何か所も企業を訪問し、面接を受け…でも落とされる日々が続き、
    精神的にも肉体的にも追い詰められ焦っていました。

    ある日、ビジネスホテルに泊まるため、チェックインしようとしたら、フロントの方から「お預かりしているものがあります」と袋を渡されました。

    袋をあけるとクッキーと小さなテディベアと手紙が。
    手紙には「ゆずちゃんのペースでがんばって!甘いものを食べて元気だしてね。また顔見せに来てね。」と書かれていました。

    なんと幼馴染の友達のお母様が、私の滞在するホテルまでさしいれしてくれていたんです。

    その優しい気づかいにホテルの部屋で声をあげて泣きました。

    意地はって泣かずに一人で抱え、ため込んでいたものを少しおろせたような、そんな日でした。

    今は自分の夢に向かってがんばっています。

    あの時はほんとうにありがとうございました。

    ユーザーID:8987651262

  • 同僚から

    とっても良いトピですね。

    私も1つ。

    入社3年目で初の海外赴任の辞令が言い渡された時に、同僚から握手されながらの一言。

    一般的には『会社はお前に期待しているぞ!』とか『頑張れ!』とか『成功させてこい!』って感じの言葉が多く、私も留学経験はあったので多少なりとも出来るかなと思っていたのですが、ところが毎日、悪戦苦闘の日々。。

    日本人が会社には居らず、毎日中国語と広東語のコミュニケーション。
    ホントにもう駄目かなと思う事が多くて、早く帰国したいと思う事もしばしば。

    でも、何かある度に思い出す一言、それが・・・。

    『精一杯やってもダメだったら、胸張って帰って来いよ!オレは待ってるから』

    結局、2年間の駐在を終えて今は別の日本支社で勤務。

    普段は無口で話す機会も少ない人ですが、いざとなれば頼りになる同僚でした。お互いに中途入社で毎日顔を合わせては居ましたが、性格も合わない感じの彼でした。

    お別れの一言にはビックリしました。

    とても感謝しています。
    ありがとう。

    ユーザーID:7594674559

  • 誰かに言いたかった。

    大学3年の終わり頃、後輩とお酒を飲んでいて、じゃれあっているうちに命にかかわる大怪我をさせてしまいました。

    泥酔していたので、なぜそうなったのかわからずただ泣いていて、一緒にいた友達が寝かしつけてくれました。

    翌朝起きると、大学の先生やいろんな人が事情を聞こうと僕が起きるのを待っていました。

    僕は昨日の出来事が夢かどうかもわからないまま、雰囲気の重さにまた大泣きしました。

    先生が「M君は今集中治療室に入っている。」僕の頭は真っ白になりました。

    当然僕の親もM君の親も東京の病院まで来ました。僕はただひたすらに謝りました。

    M君の両親はいろんな思いがあったかもしれませんが僕を許してくれました。

    僕は多くの人に迷惑をかけたので、夢を持って入った大学をやめようと思いました。

    M君が退院して改めて謝罪に行きました。

    M君の母親が別れ際にこう言いました。

    「大学やめようなんて思うな!責任とるつもりなら大学にいづらくてもちゃんと卒業しなさい!やめたら許さへん!」

    厳しいながらの優しさに心が救われ、今は夢に見た道を歩んでいます。

    ユーザーID:2042969650

  • コンタクトレンズ

    私が小学校入る前のことです。
    池袋のメインストリートを家族3人で歩いていた時、母がコンタクトレンズを落としました。
    往来が多い通りの休日、三人でしゃがみこんでコンタクトを捜し始めました。
    すると、金髪の髪がつんつんのお兄さんがやってきて「どしました?コンタクト?」。
    そして、「おぉぉいみんな!手伝ってやろうよ!」
    こわそうなお兄ちゃんたちが20人ぐらいその言葉でかけよってきて、半径3mぐらいの輪になって道路いっぱいに広がって一緒にレンズを探してくれました。
    あまりの大人数で目立つので、通りかかった人もさらに輪に加わって30人ぐらいに。
    そして「あった!!!!!」と最初の金髪お兄ちゃんがコンタクトを!
    拍手の中、父はお兄ちゃんと握手をしていました。笑

    都会のド真ん中でも、こわそうに見える外見であっても、人の大多数は暖かいものだと思います。

    ユーザーID:3427694014

  • ばあちゃんの一言

    今は亡き、うちのばあちゃんが教えてくれました。

    「子供怒るな来た道じゃ」「年寄り笑うな行く道じゃ」

    怒る事も必要な時もあるじゃろう
    でも、頭ごなしに、ただ怒るだけじゃなくて、
    自分の子供の頃の事も思い出してみなさい。

    若いお前達から見れば、
    私達、年寄りのする事を笑うことがあるじゃろう
    でも、みんなが歳を取っていくっちゃから
    笑ったら駄目ど、優しくしてやらにゃ。

    ばあちゃん、何十年も前に聞いた言葉じゃけど
    忘れちょらんからね。

    ユーザーID:0177320445

  • 娘からの励まし

    近所づきあいの蜜な田舎に住んでいます。
    あるきっかけでご近所のお母さん達から無視される日が続き
    精神的にまいっていた時、夜フトンの中で小学5年生の娘に
    「お母さん、嫌われ者になっちゃた」とつぶやきました。
    娘が「お母さんを嫌っている人は何人位いるの?」と聞くので
    ??と思いながら「10人位かな?」と言うと娘はにっこり笑って
    「じゃあ大丈夫!お母さんを好きな人はもっと沢山いるから!」
    と言って「私でしょ、お兄ちゃんでしょ、おばあちゃん、○○おばちゃん・・・」と言いながら指を折りはじめました。
    飼い犬の名前もいれて全部で14人。
    嬉しかったです。

    ユーザーID:3904862157

  • 素敵です

    ウルウルしながら、読みました。

    私も…

    社会人1年目、配属後半年でまさかの異動。
    まだやりたいことがたくさんあったのに…
    なんで私なの?イヤだイヤだイヤだ…。
    私は人見知りなので、異動なんて…


    お得意様に最後のご挨拶に行ったときのことです。
    とても誠実な方で、拙い私の説明も熱心に耳を傾け、
    たくさんの商品を買ってくださった方でした。
    「初めてここに来たときは、とても堅い表情でしたね。
     でも、大丈夫ですよ。ちゃんと、わかってもらえますから。
     私みたいな人も必ずいます。忘れないでくださいね。」

    異動したくないと泣いたのは、この日が最後でした。
    「大丈夫ですよ」この言葉で、新たなスタートが切れました。

    ユーザーID:9023521275

  • 駄目だ、このトピ…タオルがいる。

    二回目ですが…このトピ読むの、毎回ちょっとした覚悟がいるんです。
    もう、めっさ泣くから。
    ハンケチ−フじゃ事足りぬ。

    編集部の方々、無理を承知でお願いが。500越えても何年経ってもレス投稿停止しない…訳にはいかないですよね。
    あんまり上質なトピックなので。色褪せない、永久保存版ものですから。

    …先日、徹夜仕事でくたびれ果てている時、誰もいないフロアーで少し休憩を、と佇んでいると。
    不意に目の前に手が出てきました。
    指先には、黒飴ひとつ。
    お掃除のおばさまからでした。
    ニッコリ笑って、『お疲れ様、お裾分け』
    慌てて、ありがとうございます、恐れ入ります。と答えると、
    『頑張ってね、ニッケ入ってるけど大丈夫?』
    頷くと、ご自分の担当フロアーに戻って行かれました。

    頭が疲労でぼんやりしていたのであの時は、無愛想な返しでごめんなさい。

    私もあんなふうに、お裾分け出来たらいいなあ。

    ユーザーID:5356716830

  • 笑顔で収穫

    離婚して子供2人を必死で育ててた時 台風の日も大雪の日も365日休み無しで自転車で配達の仕事をしていました そんな時道で会うと軽く会釈する程度のご婦人が「泣きながら種を蒔いた人は必ず笑って収穫できるのだから辛くても頑張りなさい」と声を掛けてくださいました 当時元主人が刑務所に入った事が原因で離婚し死にたいほど辛い毎日でしたが私が真面目に生きてることを見ていてくれてる人がいる事に目の前が明るく開け今日まで頑張ってこれました 本当に素敵な言葉を有難うございました

    ユーザーID:9704776031

  • 子供は…

    早くしなさーい!幼稚園のバスに遅れるわよ!
    なかなかスイッチが入らない娘に、朝からガミガミ言う私。
    どうして言うことを聞いてくれないのと、自分の思い通りにならない4歳の娘を叱り付ける私。
    私が産んだ子なのに、子供って本当に思い通りにならない。
    子供だってひとりの人間なんだから、思い通りにならなくて当然なのに、いつだって爆発寸前の器の小さな私。

    そんな時、いつもこの言葉を思い出して、ちょっと反省。
    "I am a special gift from God."- 「私は神様からの特別な贈りもの」
    娘が幼稚園で習ってきた言葉。

    そう。そうなのよ。あなたは神様が私みたいな出来の悪い母親に授けてくれた「大切な宝物」。
    怒っちゃダメ。怒っちゃダメ。
    幼稚園バスに遅れるのは困るけど、いつもガミガミうるさいママでゴメンね。
    でもあなたのこと、世界で一番愛してる。

    ユーザーID:6566388215

  • 心が温まります

     ホッとしたり励まされたり…人って色々な場面で支えられてますよね〜。

    ン十年前に何気なくこぼした愚痴に対して「頑張ってるね」と自分を認めてくれる一言に救われてから、頑張れ!!より好きな言葉になりました。

    ユーザーID:5268962129

  • 何気なくはないかも、でも救われた

    6〜7年前、高校受験と同時に別の地方に引っ越した私ですが、周りの環境になじめず、友達も一人もいない日々が続きました。
    寂しくて、苦しくて、耐えきれくなり、ネットの悩み相談サイトで思いのたけをぶちまけたのですが、そこで慰めていただいたことは今でも忘れません。
    管理者の方は「高一なのにしっかりした文章書くねー。そんなに冷静に自分を見られるんだから大丈夫だよ」と言って励ましてくださいました。
    当時、自分の存在すべてを否定するような気持ちになっていたのでこの一言は本当に嬉しかったです。
    数年後、一言お礼を言おうとそのサイトを訪ねましたが、すでに閉鎖されていました。
    今はいい友人たちに恵まれています。
    あの時に助けてくださった方本当にありがとうございました。
    いつか自分が悩んでいる人の相談に乗ることが恩返しだと思っています。

    ユーザーID:6486287506

  • 上司に。

    皆さんのレス、良いですね。
    こちらまで、心が温かくなります。。

    わたしも1つ。

    今、わたしは宅建資格の勉強をしています。

    自分自身の成長の為でもありますが、今の直属の課長と合わなくて、その人から離れるためでもあります。

    宅建を合格すれば、部長の直属になれるかもしれないとのことで、「絶対に合格する」という気持ちから、だんだんと「絶対に合格しなければならない」という気持ちになり、自分への負担になっていました。。

    部長には宅建の勉強を教わっているのですが、そのときに、
    「たとえ合格しなかったとしても、(自分の直属として)連れていくつもりだから」
    と言われました。

    それが実現するのかどうか。それは分かりません。
    もしかしたら、たとえ合格したとしても直属にはなれないのかもしれない。
    でも、そう言っていただけた、その気持ちが嬉しくて。
    合格を目指す気持ちに変わりはありませんが、自分のため、そして部長のためにも頑張ろう!と明るくなれた言葉でした。

    いま、この場で改めて。
    部長。ありがとう。

    ユーザーID:0636276906

  • 研修の講師です。

    いま、会社のモチベーション向上の研修をしてます。

    将来、私の一言で頑張れたとか、助けられたという先輩になりたいです。

    中学生のとき、塾の先生が

    「他の人が1時間で憶えれるのに、お前は3時間かかるのか?」
    「じゃ、3時間かけて憶えろ。24時間は平等に与えられているんだ。」

    この言葉に助けられ、そして、頑張っています。

    ユーザーID:3128056462

  • 母の一言

    日本で長男を産み2ヵ月後に渡米

    その1年数ヶ月後次男を出産したのですが

    自分の父親にいい想いがなかった私はずっと女の子が欲しくて、でも2人目が男の子だとわかった時からマタニティブルーになり、それに輪をかけるように新しいアメリカでの生活になじめずホームシックで日々泣いていました

    でも子どもがいるから、がんばらなくっちゃ
    泣いちゃいけない、涙を見せちゃいけない
    子どもにつらい思いをさせてはいけない
    毎日楽しく過ごさなくっちゃと自分に言い聞かせながら
    どうにか日々を過ごしていました

    健康に生まれてきてくれるのが一番のはずなのに
    でもやっぱり女の子が欲しくて
    なんで自分には男の子しか生まれないんだろう
    私の何がいけないの?
    自分の体の中に異性がいることも悲しくなって

    そんな時母が

    「男の子を産んで育てられるのは神様が選んだ人だけ。特別な人じゃないと男の子は育てられないんだよ。私は女の子しか育てなかったけど、それは神様が女の子しか私についていけないと思って選んだから。だから自信を持って」

    離婚をして女で一つで子どもを育てた母
    今は2人の息子とアメリカでエンジョイ生活しています

    ユーザーID:5440031151

  • 「それが普通やで!」

    離婚調停、転職(転勤族)、借金といろんな諸問題を抱えていた時、
    毎日のように嫌な事が必ず起こっていた。

    嫌な事が毎日襲い掛かってくるのが当たり前に感じていたのですが、
    正式な離婚が決まった頃から、ほとんど嫌な事が起きなくなってきた。

    それが逆に不安でたまらなくなり、大きな嫌な事が津波のように一編に
    襲ってくるのではないかと、日々怯えていました。

    そんな時その話をある女性にしたところ、大笑いしながら

      「それが普通やで!」

      「嫌な事なんかそうそうあるもんやない」

    と言ってくれました。

    その一言のおかげで体が一気に楽になり、肩の力も抜けて
    前向きな気持ちになりました。

    人生に影響を与えてもらって本当に感謝しています。

    ユーザーID:9761392480

  • 先日見たテレビでのことですが

    40歳代のサラリーマンをしています。連休明けでまだ業務が空いているので
    つい覗いてしまいました、実にいいトピですね。

    私の場合、何気なく受けた一言といえるかどうかわかりませんが、
    先日、全国放送の番組で見たことですが、山口智充さんが出ていらっしゃる番組で、
    子供たちに、その日楽しかったことを1個だけ書く「楽しかったこと日記」ということを
    勧めていらっしゃいました。(番組ホームページにも出ています)

    番組を見られた方もいらっしゃると思いますが、この「楽しかった日記」をつけることで
    1年間なら365個の楽しかったことが書かれることで、楽しい1年だったと感じることが出来、
    一生なら、自分の人生は楽しい人生だったと見直すことが出来るとおっしゃられていました。

    今、会社の中が不安定で、不安や不満が飛び交う中、この日記の発想で、少し明るく、
    前向きに過ごせるような気がしています。

    ユーザーID:0537924663

  • となりのおばさん

    だいぶ前の話ですが・・ 
    仕事もプライベートもうまくいかず、ただただ落ち込んでいた時期でした。
    通勤の電車の中、視線を感じてふと隣をみると見ず知らずのおばさんが最高の笑顔で私を見つめていました。
    何だ?と思っていたら「あぁーごめんなさい。じっと見つめちゃって。あなた綺麗ねぇ〜。」と、おばさん。
    悪い気はしないけど、なんで知らない人にそんな事言うんだろう?と思ってびっくりしていました。とりあえすお礼は言いましたが。
    そうこうしている間におばさんが降りる駅に着き、去り際に「びっくりさせてごめんね、嬉しかったありがとう。」と、また最高の笑顔で降りて行きました。
    なんと、こんな私(特には美人ではありません)を見て嬉しかったと。おまけにありがとうとまで言ってくれたのです。
    自信を失くしきっていた私に、天使がおばさんとなって元気付けてくれたのだと今は思っています。

    ユーザーID:3793147011

  • 仲良しの友達に

    素敵なトピに目頭が熱くなっております。。
    私の体験もひとつ。
    一言ではなく、手紙なんですが。

    小学校から仲良しだったAちゃん。
    中学生になり、登下校毎日一緒にしてました。
    ですが、だんだんAちゃんが不良の子たちと遊ぶようになってきて、
    でもわたしは、Aちゃんに不良になってほしくなくて、
    毎朝、Aちゃんの家に迎えに行って登校してました。
    結局Aちゃんは不良の子たちとは疎遠になり、
    月日は流れ、中学校の卒業式を迎えました。
    高校は別々のところへ進学が決まっていました。
    卒業式が終わり、Aちゃんと最後の下校。
    Aちゃんの家に着いたとき、Aちゃんが手紙をくれました。
    自分の家へ帰る途中に読んでみると、
    「あの時(不良になりかけてた時)、いつも朝迎えに来てくれてありがとう。
     照れくさいから今まで言えなかったけど、りんだのおかげで毎日楽しかったよ。」
    という風な内容が書かれてました。
    帰り道、涙が溢れて止まりませんでした。

    あれからもう10年がたちますが、今でも仲良しです。

    ユーザーID:1617685991

  • 多くの人に支えられて生きている。

    結婚前提、遠距離恋愛をしていた彼が住む土地へ移る準備をしていたところ、一方的に別れを告げられました。
    泣くだけ泣いたら彼を許せる気持ちになりそのことを友人に話すと、

    「ちょんが許しても私は絶対許さない!」

    我慢して強がっていたものがきれて泣いてしまいました。
    私のために泣いてくれる彼女のためにも幸せにならなきゃと思った一言です。


    自分が言われた何気ない一言って何だろうと思い返した時、普段周りにいる多くの人に支えられているんだなと、いろんなひとの顔が思い浮かんだトピでした。
    トピ主さんありがとう。

    ユーザーID:6822299766

  • 海外からです。

    娘には割りと濃い「そばかす」が沢山あります。

    「かわいい」と言ってくださる方もいますが、本人はそのそばかすが悩みのタネだったようで
    「ママ、そばかすが絶対に消えるクリームか薬ってないのかな?」と真剣に言って来る程でしたが、
    まだ小学生なので日焼け止めクリームを塗る事しかできません。

    「大きくなったら消えるよ」という言葉もありましたが、信じてないようでした。

    ある日 初老の女性に「そばかすがかわいい」と言って頂いたにもかかわらず 娘が微妙な顔をしたので、私があわてて「本人は そばかすが嫌いみたい」と言った所、
    女性は「あら、そばかすって天使がキスした跡なのよ」とウィンクをしなから微笑んでくれました。
    最初はその女性が うちの娘を慰めるために創作したのかと思っていましたが、
    数日後、別の男性から「お、君はラッキーだな。天使の祝福が一杯だ!」と偶然にも同じような事を言われました。

    もう娘はそばかすを気にしていません。
    小さな事かも知れませんが、娘にとって あの女性と男性の言葉こそ天使からのメッセージだったような気がします。

    ユーザーID:5685963337

  • 散る桜 残る桜も 散る桜

    私が小3のとき、働き盛りの父を脳卒中で亡くし残された家族全員が失意のどん底にいたときにお坊さんが言ってくださった言葉です。

    「人間は誰もが死を迎える、それが遅いか早いかだけのこと」という意味なのですが、最初は意味がわからずにいた子供の私たちにも噛んで含めるように優しく教えてくださったのを今でも思い出します。

    父の年齢に近づいてきた今は「どうせ散るなら少しでも綺麗に咲いてやろう」と父の命日が来るたびに思っています。

    ユーザーID:2455159192

  • 心友

    ここ半年の話です。


    中2の文化祭の時期から人間関係がどんどんグチャグチャになっていって、本当に本当につらい時期がありました。

    友達だった子には裏切られ仲良くされて裏切られ、唯一だと思っていた友達にも「○○ちゃんだけは絶対裏切らんよね?」「うん」と言った翌日裏切られ(笑)、クラスの人たちはそれに便乗するし、先生は忙しく相手をしてくれない。

    同じ時期に家族とも上手くできなくなって「産んでごめんね」って言われて。

    お腹を切ろうとしたけど、できなかった。


    そんな中、一人だけ普通に接してくれる子がいました。

    メールで、「まあ、辛かったら私の家にでも逃亡してくればいい!」って送ってくれたとき、一生大切にしなければいけない人だと思いました。


    その親友が大好きです。


    大好きです。

    ユーザーID:6527010511

  • うるっときました

    長男が2歳のとき、私の不注意でやけどをさせてしまったことがあります。
    日曜日でかかりつけの医者もお休み、痛さと恐怖で震えて泣き叫ぶ長男を
    大学病院に連絡をして緊急で診察してもらいました。

    幸いやけどの状態は軽いものでしたが、長男に対する申し訳なさで心が押しつぶされそうになっていました。そんな表情を見ていた看護師さんが私の背中をぽんぽんとたたき、先生を指差しながら「息子さんのやけどを治すのはこの先生の仕事!心の傷を治すのはお母さんの仕事!大丈夫!心配ない!」
    と明るい声で言ってくれました。

    肝っ玉母さんみたいな看護師さんで、先生も苦笑いしてましたが
    グダグダになっていた私の心が救われた気持ちになり
    泣き笑いしながらうなづいていたのを思い出しました。

    ユーザーID:2494028062

  • 失恋!

    三十路目前で失恋し、傷心で石垣島へ一人旅に行ったときのこと。
    タクシーの運転手さんとの会話。

    『石垣には潜りにきたわけ?』
    「いえ、ちょっとゆっくりしようと思って。」
    『あー、そう。おつかれさま。』
    「あと、嫁の貰い手をさがしに来ました。」
    『そりゃあ上等ね! あー、ほら、今のどおね?』
    「え?」
    『ほら、交差点のとこにいた男!』
    「え?どこ?見えなかったー。Uターンして下さい。」
    『あははは あなた面白いねぇ。
     でも、あなたの相手はもう決まってるさー。
     もしかしたらもう会ってるかもしれないし、
     まだ会ってないかもしれないけど、必ずそのひとと結ばれるわけ。
     焦らなくても大丈夫。』



    失恋したなんて一言も言っていないのに、
    察したように明るく励ましてもらえたのが
    とてもありがたかったです。
    誰かと必ず結ばれるために失恋したんだ、と
    前向きになれました。
    感謝感謝。

    ユーザーID:9330684534

  • 某SNSでの話です

    とある企画を友人と立ち上げました。
    自分の日記とコミュニティにも企画の内容を投稿して参加者を募ったのですが、2週間前になってもメンバーがほとんど増えずかなり落ち込んでいた時の話です。
    関西での募集だったのですが、ある日全く知らない方からメッセージが届きました。
    曰く、「私は九州で参加できないのですが、とても面白そうな企画で羨ましいです。近ければ是非参加したかった!応援していますので主催頑張ってください」と…。
    丁度友人とチャットしている時に届いたのでコピペして知らせたのですが、友人も私も本当に嬉しくてほろりときてしまいました。
    その後参加者は4人ほど増えて無事に終わらせることが出来、メッセージをくれた方とも良き友人として付き合っております。
    まだ直接会ったことがないので、余裕が出来たら会いに行くのが目標です。

    ユーザーID:5535601994

  • 「用はないんやけど、元気か?」

    帰国子女で、名の知れた国立4大卒、周りからは「凄いね!」と言われ続けたきたが、
    一転、就職浪人に。
    考え方甘く、思慮浅し自分に気付き、後悔に後悔を重ねる毎日。
    精神がどん底を突き、視野がどんどん狭くなり、孤独感から、
    「そんなにツライなら、もうドロップアウトしようか?」と考えるようになり、
    夜中に暗い台所で包丁に手をかけようとした時、
    電話が鳴りました。

    大学から付き合いのある親友が、電話口に、
    「忙しいとこ突然ごめん!いや、別に用はないんやけど(笑)元気かなって思って」と。

    確かに、今忙しかったけど…、忙しくなるとこだったけど…。
    助かったよ(笑)ありがとう!

    ユーザーID:8820189533

  • あの人も怖かったはず

    九州の実家から遠く離れた東京で寮生活をしていた時。母が上京するとの事で、母の滞在するホテルへ。
    予定よりずいぶん早く着いてしまい、ホテル近くの公園のベンチに座り制服姿で本を読んでると、横のベンチにいつのまにか座っていたおじさんが独り言ともとれる感じで、よくわからない言葉で私に話しかけました。

    私は民族学校出身で、制服はいわゆる「チョゴリ」だったのでからまれる事も多く気付かないフリして本を読み続けていると、だんだんおじさんが興奮してきて、どんどん声が大きくなってきました。

    ドキドキして怖かったけど、おじさんを刺激するのも怖いし、どうする事もできずにじっと緊張しながら本を読んでるフリをしてたら、

    「あんた、あっちで人が呼んでるよ!」って、完全にビビリ顔のおじさんが来てくれ、私も「はい!」って立ちあがる事が出来ました。

    一緒に公園を出た後、「気をつけなきゃダメでしょ!そんな格好なんだから」って必死に言ってくれました。

    世間から当時も反感の多かったチョゴリ姿の私を、怖がりながらも必死で助けてくれたおじさん、本当にありがとうございました。
    日本は素敵な国です。

    ユーザーID:7606551298

  • ありがとう

    皆さんの素敵な話を読んでいたら
    心が温かくなり、
    私も昨夜の話を書きたくなりました。


    大好きな主人が亡くなりました。
    ようやく授かった娘が生まれてまもなくの日、突然のことでした。

    昨夜娘と横になっているとき、
    「パパに会いたいな」と私。
    「ちゃんとそばにいるから大丈夫だよ、大丈夫。」と娘。

    娘がいるから生きているんだなと思った瞬間でした。

    娘を残してくれてありがとう。
    あなたのかわいい娘はもうすぐ3歳になります。

    ユーザーID:1668661973

  • 係長の優しさ

    3年前、ある会社に派遣されて、毎日楽しい日々を送っていた時でした。
    派遣期間も6カ月を過ぎた頃、派遣の担当の方から連絡がきて「お話があるんですが、今日お時間大丈夫ですか?」と言われました。
    嫌な予感がしました。隣の席の先輩が理不尽な理由から辞めさせられていたからです。
    派遣担当から「Aさんには何にも悪い部分はありません、私もかなりくい下がりましたが、どうかご理解ください」と。上司にも仕事が早いと言われ、正社員の皆様にも可愛がって頂き、何が悪いのかと呆然としました。
    その後の仕事は一切手につかず早退させて頂きました。
    退職までの1カ月なんとか気力だけで乗り越えました。
    退職する日に、こんな会社とおもいながらもお菓子を持って向かいました。
    みなさんにお菓子を配り終え、最後に一番お世話になった係長の元へ
    「お世話になりました」と言った瞬間、普段何にも言わない係長が
    「つらかっただろうに、最後まで休まずにありがとな。御苦労さま、次はいい職場で頑張りなさい」と。
    溢れる涙をこらえる事ができませんでした。親友に抱えられ、外の廊下で人目もはばからず泣いた事が昨日のようです。

    ユーザーID:1299667957

  • 暖かいトピですね

    涙が止まりません。
    すでに下アイラインは完全に取れちゃいました(笑)
    皆さんが体験した素敵な一言が、疲れている自分に
    じんわりと浸透しています。

    私も大好きな姉に言われた一言を書かせてください。

    数年前、姉と動物関係の話をしていた時です。
    私の周りでも「子供が生まれたので命の大切さを学ばせる為に、
    ペットを飼う」といった方が多かったのですが、これに対して
    「そういうものなのかしら」と思いつつ、私は上手く言葉に
    出来ないもどかしさを感じていました。
    というのも、動物を遺棄する人が「子供のためにと思って
    飼ったけど、面倒見ないから」と話す事がとても多かったからです。

    そんなことをブツブツ言っている私に姉は
    「あのね、子供に命の大切さを教えるのは私達、親の役目よ。
     その役目を全て動物達に負わせるのなら、飼わない方がいいのよ」

    野良猫や傷ついた猫を自宅に迎え、動物が捨てられ、その子達
    が辿る厳しい現実を、正直に包み隠さず自分の子供達に話す姉
    から出たこの言葉に、胸が熱くなりました。
    私もこんなお母さんになりたいって今でも思ってます。

    ユーザーID:8910241623

  • 嬉しかったこと・・

    下の子どもがまだ小さかった頃のことです。
    学校でも良い子とは呼べる子どもではなかったのですが、
    何かをしてあげたことに対する次男の言葉をまだ覚えています。
    「お父さんとお母さんの子どもで本当に良かった〜!」と。
    まだごまをするとか、お世辞を言える年代ではないので、
    彼の本心だったのかもしれません。
    とてもじ〜んとしました。
    子育ても大変でしたから、尚感慨深いです。

    ユーザーID:3539934775

  • 母からの言葉

    とてもいい話をありがとうございます。

    私も忘れられない母からの一言があります。

    海外在住の男性と結婚し、海外へ渡り友達も少なく家事や全ての事が始めてだらけで、夫とも喧嘩が絶えず、どこにぶつけて良いか分からずかなり鬱になっていました。夫とも最悪の状態になり 日本に居る母に「もう日本帰るから!」と国際電話をしたところ母は・・・
    「今 帰って来ても寒いから暖かくなってからにしなさい」と一言。 聞いたとたん「はっ?!」 その後笑いが止まらず、喧嘩のエネルギーも失ってしまいました。時間が経つとあの一言は全て分かっていてのもう少し冷静になりなさいの意味だったんだと気づきました。

    母一人子一人で一生懸命育ててくれた母に感謝一杯です。 今は夫と母と日本で日々楽しく生かさせて貰っています。

    ユーザーID:9357332535

  • ありがとうございました

    10年前、結婚を前に将来赤ちゃんを産むために行った婦人科検診でひっかかり数ヶ月通院した後手術する事になりました。しかし、いろいろな事情で婚約は解消され私には手術だけが残りました。周りは妊婦さんの幸せそうな笑顔・・。婚約解消した辛さや孤独・・もう赤ちゃんを産めないかもしれない不安を抱えながらの闘病でした。
    手術のための入院部屋は二人部屋。隣は少し認知症にかかり始めたらしい高齢のご婦人でした。ご婦人は、私に一日に何度も「おはようございます」と挨拶してくれます。私も何度も「おはようございます」と返しました。一週間の入院で会話はこれだけ。そんなおばあさんが、退院する私に向かって最後に「もう二度と戻ってきてはいけませんよ」としゃきっとした笑顔で送り出してくれました。号泣でした。それから数年して、優しい主人と出会いました。流産したり、いまだに赤ちゃんには恵まれていないけれど今はとても幸せです。今でもあのおばあさんにもう一度会いたいと思う事があります。

    ユーザーID:0400861146

  • おばあちゃん。ありがとう。

    一緒に暮らしていた祖母は糖尿病で、足も片方なくしており車椅子。目もほとんど見えていませんでした。
    週のほとんどが透析の毎日で、食べ物も飲み物も制限されていました。
    祖母はいつもぼんやりとしか見れてないでしょうが、テレビをずっと見ていました。

    その頃私は大学生になったばかりで、パニック症を患って半分ひきこもっていました。

    自殺を考えてしまうようになっていた私から見て、祖母にとっての楽しみは今あるのかな?苦しいだけじゃないのかな?と思いました。

    ある日祖母に質問をしました。
    「今まで生きてきて、幸せだった?不幸だった?」
    すると祖母はすぐ答えました。
    「幸せだったよ」

    はたから見ると、苦しい事だらけなのに祖母は満面の笑みでそう答えました。
    残酷な質問をしてしまったと後悔しました。

    でも
    幸せのかたちはまわりが決めるのではなく、自分できめるんだと祖母から教わりました。

    ユーザーID:1775418362

  • 俺のDNA

    もう40数年前の話です
    男性は農家の次男で、手に職を付けるべく大工に…。
    女性は都内の農家で総代を務めてしまう程の、大地主の次女でした。

    父親は早くに亡くなり、母親が次女を含めた四人の子供を育ててきました。
    長男が結婚することを期に、財産を全て長男に譲りました。
    ここで、皆さん想像出来ると思いますが…その通り。
    長男の嫁が牛耳ってしまうのです。
    辛い日々が続いたそうです。
    財産はもう手に入ってるので当然ですよね。

    次にやる事と言えば、兄弟の追い出しです。
    「早く嫁に行け。」「早く独立しろ。」「早く出て行け。」…
    見合い写真攻撃も半端ではなかったらしいです。

    当時次女は158cm。見合いの相手は皆自分より小さい人たちでした。
    せめて自分より大きい人が…最低限の希望でした。
    次女の弟(こちらも次男)が仕事でたまたま、いい人を知っていました。
    そう、次男の大工です。
    身長176cm、体重は当時60kgくらいだったでしょうか。
    そんなこんなで見合いをいたしました。
    当時の状況聞き、大工は
    「そんなとこにいてもしょうがないから、俺の所に来い。」と…

    ユーザーID:0623495926

  • 考えさせられました。

    今仕事にも私生活にもうまくいっていなくて少しのことで苛ついたり、自暴自棄になってしまったりしていましたが、よい意味で考えさせられました。

    読み始めた頃は自分にはこんなことは無かったと思っていたんですが、読み進むにつれて人からの親切や、何気ない一言を感じるような感受性がきっと自分には欠けていたんだと思うようになってきました。
    きっと自分にもこんなすてきなことがあったはずです、それを感じることが出来る優しい心を持ちたいと改めて思いました。

    何気ない一言に助けられた皆さんのレスに助けられました。
    また明日から頑張れそうです、辛くなったらまたここへこさせていただきます。

    トピ主さん、すてきなレスを投稿してくださった方々、ありがとうございます。

    ユーザーID:2266987204

  • 2.

    寝転がってたら横を歩いた元夫がバランスを崩し
    私の上に落下し放置され私は障がい者になりました。

    長く立っていられない。
    走ることができない。
    空手も出来なければもちろん蹴りとかももう出来ない…。
    出来ない出来ないと思っていました。

    ある日、色んな人が集まるお祭りで浮かない顔していたら
    マヒの男性が一生懸命歩いてきて、ニコニコしながら
    「ん〜生き生きっ!障がい者ライフッ!」と言ったんです。
    その時私の頭には「!」と電流が走り、気がついたんです。

    おかげで普通に過ごしてます。
    あの時はありがとう名前も知らない青年のおかげで
    気がつきました。

    今では足の具合が悪くなって車椅子使用になると
    使う夫との合言葉です。

    ユーザーID:1177581746

  • 笑って!

    同じ敷地内に住む義理両親との関係が悪く、悩んでいたときのこと。
    唯一相談相手のハズの主人の浮気も発覚。
    もう毎日が悔しくて情けなくて、体は蕁麻疹で一杯になるし、小さな子供2人を連れて離婚しようか悩んでいました。
    子供の前では絶対に泣かないと決めていたのに、いつも夕食の片付けをしているころには涙がボロボロ。
    そんなある日、もうベッドに行ったはずの6歳、4歳の子供達が「お母さん、ちょっと目つぶって」「はい、目開けていーよ」と。
    私の目の前には「うんこ」と「おしり」のお面(2人の手作り)を付けた2人が「ほら、おかーさん、笑って、笑って!」とヘンな踊りを披露してくれました。
    私は「え〜、なにこの子達、へんなの〜!」と大笑いした後に号泣。
    笑わず暗〜く過ごしていたのが子供達に思いっきり伝って彼らなりに心配していたんですね。
    今では2人とも高校生。主人とも仲良くやってます。

    他人からの一言、、ではないのですが、私を元気にしてくれた言葉です。

    ユーザーID:4296344709

  • バイト先で

    焼肉屋でホールのバイト中、熱心にお店の事やお肉のことを聞いてくるお客様がいらっしゃいました。
    店内が落ち着いていたこともあり、また熱心に聞いてくれるので私もサービスの合間に楽しくお話させていただきました。
    個人的なおススメのお肉を紹介しておいしいと言って食べてくれたり店内をご案内などしていました。
    お帰りの際に「またのご来店お待ちしてますね。」と伝え、そのお客様は笑顔でお帰りになられました。

    その1ヵ月後。

    新しいバイトが入ってきたというのでどんな人だろうとワクワクしながら「初めまして!」と挨拶すると、
    そのお客様でした。
    驚き声も上がらなかったのですが、その時に
    「あなたの接客が素晴らしくて気付いたら履歴書を書いていました。」
    と言っていただけました。
    自分の接客が誰かの心に届いていたことがわかりとても嬉しかった一言でした。

    ユーザーID:5014122848

  • 送別会にて・・・

    本社から地方営業所への転勤による送別会でいただいた一言。

    生まれてこの方37年、くやし涙は何度も隠れて流してきましたが、先月の送別会で直属の上司から「お前がいてくれてよかった。助けられた。ありがとう。」と涙目で言われた一言に、男泣きしてしまいました。

    入社して15年、人付き合いがヘタクソで、目立つことも嫌いで、腹を割って話せる友と呼べる人もなく。

    でも自分のやるべき仕事は最後まで責任をもってやろうと自分に言い聞かせながら、誰からも認められなくてもいいと思いながら今までやってきたところ、このいただいた一言で、はじめて人前でうれし涙が自然と溢れてしまいました。

    今も人付き合いはヘタクソですが、自分も懸命にがんばって生きている人に気づいて、それを素直に認められる人となれるように心がけています。

    ユーザーID:6962794636

  • おやじ

    俺のおやじは職人さん。

    俺はおやじの弟子。

    普段は真面目な話しは一切しないアホな親子です。


    ある日
    俺「この仕事、なかなか難しいね。上手くなるかなぁ?」
    と聞いたところ
    おやじ「バカか?上手くなったら俺の仕事が無くなるだろ。せめて俺ぐらい上手くなっとけ〜ガハハ〜」

    危なく惚れるところだった

    でもお陰で不安は減った♪

    サンキュ〜おやじ

    ユーザーID:4392018460

  • 自分の人生だもん

    子供が授からず、辛い不妊治療に心身ともにボロボロになっていた頃、
    近所の年配の女性に声をかけられました。
    たいていの人は、「お子さんは?」と聞き、「まだです。」と言うと、
    「早く孫の顔を親御さんに見せてあげなさいね。」などと言われ、
    そのたびに、さらに落ち込むのですが、その方は、ニッコリ笑って
    「じゃああなたは、きっと前世ですっごくいいお母さんだったのね〜。
     だからもう子育ての苦労はしなくていいのよ、うらやましいわね。
     今度は自分の人生、思いっきり楽しみなさい。」と言われたのです。

    自分は女としてダメなんじゃないかと劣等感すら感じていた時に、
    なんだか褒めてもらったようで、すごく気持ちが楽になり、
    もし子供が出来なくても、自分たちの人生を楽しもうと心から
    思えました。
    結局、結婚13年たつ今も子供は授かってませんが、
    夫とは本当に仲良く、2人で旅行をしたり、観劇をしたり、
    飲みに行ったりと、とっても充実した幸せな毎日を過ごしています。

    ユーザーID:9865695180

  • 神様や天使のような人にときどき会います

    他人からの思いがけない一言は鮮やかに覚えています。

    30歳の頃、知り合いのいない土地で学生をしていましたが
    そこでの彼氏が私のすぐ隣の机の人とつきあい(二股)
    そのまま結婚してしまいました。
    私は何も食べれず風呂も入らず
    人格も破綻するほど落ち込んでいましたが
    久々に近所のスーパーに行ったところ、見知らぬお婆さんが
    「あなた素敵ね〜!貴方みたいな人、大好きだわ〜!」
    と熱烈に話しかけてくれました。
    死にたいほどのボロボロの毎日でしたので
    私にはそのお婆さんが後光の差した神様に見えました。

    34歳の頃は、職場での異常なパワハラが続き
    当時の彼も薄情でキツイ失恋をしていました。
    旅行でベトナムに行き、カフェで一人で食事をしていると
    現地のおじさんが英語で話しかけてきました。
    私の身の上を話すと、
    彼が私に「今ここで『I'm the BOSS 』と大声で叫べ!」と言います。
    私が何度か「I'm the boss of my life!」と叫ぶと、
    彼は満足そうに微笑みました。
    他人に流される私を励ましてくれた彼も、旅先で出会った神様でした。

    ユーザーID:8523322757

  • ありがとうございます

    みなさんのレスを読んでいて、とても幸せな気持ちになってきました。

    いろいろなことがあって、自分のことだけで精一杯だった、この数年。負のスパイラルから抜け出せなくて、閉塞感を感じる毎日でしたが、わたしにも宝石のような一言がたくさんありました。ノートいっぱいの一言を、ひとつひとつ思い出すたびに、わたしのことを思ってくれた人たちの顔が思い浮かびます。

    今まで、ものごとの悪い面ばかりを見て、落ちこんでいたのかもしれません。そんなことに気づかせてくださって、ありがとうございました。

    ユーザーID:9228017114

  • 良いトピだ〜

    心が癒されます〜。
    ウルウル〜。

    長期入院していたとき、処置に来てくれた研修医と看護師に
    「頑張ってはやく元気になりたい」と言ったら、
    「頑張るのは、私たちの仕事。ヂョディーさんは、もう充分頑張ってる」
    なかなか病状が改善せず、辛いという言葉では言い表せないような状況だったので、本当に心に響きました。

    ありがとう、大学病院の皆さん。普通の生活が送れるようになりました。

    ユーザーID:1317802143

  • 成田空港の「おかえりなさい」

    私もこの言葉が目に入ると、毎回涙がこぼれそうになります。外国で大丈夫、大丈夫と言い聞かせていても、気づかないうちに神経張り詰めて生活していることに気づかされます。「ようこそ」ではなく「おかえりなさい」と書いてくれたことに心から感謝しています。

    ユーザーID:9460136300

  • 大丈夫!

    いつもいつも前向きな彼女に言われた言葉です。
    「自分らしく」と言ってくれた彼女は「大丈夫!」とも言ってくれました。
    何度その大丈夫に救われたか。ぼろぼろ泣きながら電話した時も大丈夫だからとやさしく言ってくれ、普段はめちゃくちゃ自由奔放なのに、誰かが弱っている時には一番に気付いて「大丈夫!」って言ってくれてた。

    今はもうその大丈夫も自分らしくも聞けないけれど、今もこれからもきっとどこかで見ててくれるよね!だから大丈夫!

    これを見ている人たちもきっと辛い事や悲しい事があるけれど、きっと大丈夫だから!

    ユーザーID:6430887772

  • たくさんのありがとう

    とても心温まるトピですね。
    ちょっと私にも話させて下さい。
    私は現在、高校で国語の臨任教諭をしています。
    私の住んでいる県の高校国語科の教員採用試験は非常に倍率が高く、今まで受験した年で一番高かった時などは80倍(160人ほど受けて、合格者2名)を超えていました。
    毎年採用試験を受け続け、4年前に初めて1次試験を突破することが出来ました。
    しかし2次試験で不合格。
    あと少しのところで、夢が手からすり抜けていきました。
    それを知った時の母の反応は、私よりも落胆した感じで、私が「大丈夫だよ、また来年頑張るから。」と励ましたほど。
    当時はまだ非常勤講師という立場で収入も安定せず、両親には迷惑をかけ続けていました。
    母を励ましたあと自分の部屋に入ると、ベッドに横になったきり、何もする気が起きなくなりました。
    自分が想像していた以上にショックだったんですよね。
    ご飯も食べずにずっと籠もりきり。
    次の日の昼頃、母が「ご飯食べに行かない?」と声を掛けてきました。
    車中も食事中も、普段のままの母。
    母の「無言の言葉」に胸がいっぱいになり、「気遣ってくれてありがとう」という言葉が自然と出てきました。

    ユーザーID:1336093670

  • 友達のお母さん

    結婚の話が具体的になり舞い上がっていた時に突然彼に別れを告げられ、いつも何をしていても、後悔や自責の念、彼に対しての恨みつらみで頭がいっぱいになりました。

    どうして私がこんな目に遭うのだろう、彼がいないならこの世に生きていても仕方ない…。

    苦しさのあまり、道を歩いていても今車に飛び込めば死ねるとか、毎日どうやって死のうかと考えている時期がありました。

    そんなとき、友人の母親が入院していると聞きお見舞いに行きました。
    以前にその友人宅へ泊まりに行った時もよくしてくれとても明るい方だったのでなんとなく悩み相談のように失恋したことを話し、とても辛いと打ち明けました。そして彼女は微笑んで言いました。

    「それはね、縁がなかっただけよ」

    私のどこも悪くない。そして彼が悪かったのでもない。

    ただ縁がそこで終わっただけのこと。

    どうあがいても彼との縁はそこで終わる運命だった。そう決まっていた。

    そう言われて、自分を責めていた心も彼を恨んでいた気持ちもすぅっと消えて行きました。

    今も友人よりよき相談相手の彼女です。

    ユーザーID:7130299173

  • 大好きなおじいちゃん

    今年の1月4日、私の大好きな祖父が他界しました。

    私は生まれてこのかた、年末年始を実家以外の場所で過ごしたことはありません。
    でも今年は、結婚して初めてのお正月を主人と二人、東京で過ごしていました。

    元旦に祖父は電話で『また帰ってこい。それまで、おじいちゃんは元気で待ってるから』と言っていたのに。

    そんな祖父が亡くなったなんて、信じられませんでした。

    28年間の人生でたった一回、年末年始を実家で過ごさなかった。
    そんな時に祖父が逝ってしまうなんて・・・。
    私を溺愛し、どんな時も私の味方でいてくれた祖父。

    私は自分を責めました。
    今年も実家にいれば、最期の時、祖父の手を握ってあげられたのに。

    あれよあれよと言う間に葬儀は終わり、私は失意のどん底で主人と東京に戻って来ました。

    ぼんやりとした意識の中マンションに着くと、ポストに一通の年賀状が・・・。
    祖父からでした。

    亡くなる前に書いて、返事を送ってくれていたのです。

    そこには
    『お互いに誠実に。そして楽しく』
    と書かれていました。

    おじいちゃん。
    ウェディングドレス姿の年賀状、喜んでくれた?
    ずっと大好きだよ。

    ユーザーID:3429105660

  • きつい一言

    とても良トピで心和みます。
    私の体験した心に残る言葉はたくさんあるのですが、一番きつくてためになったのは昔の先輩の一言です。
    まだ若くて仕事をがんばっていた時期、仕事は出来ないけどいつか出来る、私は特別なんだ、やれば出来るんだと傲慢になっていた頃、
    先輩から言われました。
    「何故そんなに常識が無いのだ」
    常識なんて情熱でカバーできると思っていた私に先輩は言いました。
    「親の育て方が悪い」と。
    ものすごく怒って反論しました。
    「もう社会人なんだから親は関係無い」と
    「関係ないわけ無い、親のしつけが今のkkを作っているのだから」
    先輩にそう言われなんと嫌な人なのだろうと何年も思っていましたが今なら分かります。
    先輩は私の傲慢な気持ちを分かっていてあえてその言葉を言ったのだろうと。
    私があまりにも常識はずれな事をすれば親が笑われるのだ、一人で生きてきた顔をするな、と
    あの言葉で私は自分が特別な人間なんだという観念から解き放たれました。
    やれば出来るじゃなくてやらなくちゃ認めてもらえないんだということを20歳の小娘に教えてくれた先輩に感謝します。

    ユーザーID:7428278698

  • ちょっと違うかも?

    あまりよく覚えていないけれど、胸にぽっかり穴が開いたような感じで生きていた時期に、クリーニング屋に行くのに引換券まで忘れてきた…と思ったときにクリーニング屋のおばさんに言われた何気ない言葉。

    引換券はなくしちゃったんですか。大丈夫ですよ。
    スカートでしたよね。
    「小さい紙切れですからね。私もね、よく無くすのよ。」

    なぜ、泣き出すほど有難かったのか分からない。

    ユーザーID:1521088805

  • 未だに。

    良いトピですね
    私もあります。
    数年前のことです。父が余命1年もない病で入院していたのですが、父の日に何が欲しい?って聞いたら

    「孫が欲しい」

    と答えられました。
    残念ながら付き合ってる人もおりません。父には余命のことは伏せておりましたので、

    「10年待ってね♪」

    と笑顔で返しました。
    どう頑張っても間に合わないのがわかっているのに。
    どうして孫を抱きたい、って親なら普通に願う事を私は叶えてあげられないんだろう。
    あまりに辛くて友人にメールをしたら、

    「キツイな。仕込みも間に合わねぇ」

    そう、返ってきました。
    キツイな、だけだったら「うん、そうなの」って泣いてしまうところだったんですが、その後のちょっと悪い言葉遣い(?)に思わず笑ってしまって救われました。

    彼女はそうやって、何度も私を救ってくれる私の恩人です。
    いつか恩返しがしたいのに、中々出来ておりません。

    くそう。

    ユーザーID:3369186041

  • 大号泣。。。

    皆さんのレスを見て大号泣です。

    現在新婚で、半年前から赤ちゃんを望んでいるのに、全然妊娠することができず、生理がくるたびに落ち込み、泣く毎日でした。

    職場の仲の良い後輩に、「今回も(妊娠)ダメだった・・・」と打ち明けると、「私と一緒に働ける時間が延びたじゃないですか!私、先輩のこと大好きだから、一緒に働ける時間が延びて嬉しいですよ!」と言ってくれました。
    ・・・泣きそうになりました・・・。
    ほんと、ええ娘や・・・。

    授かりものなので、気長に頑張ります。

    ユーザーID:5716041775

  • 涙が…!!

    最近、嫌な事や落ち込む様な事が多々あって

    正直疲れていたんですが、

    このトピ&レスを見て

    涙と共に色々流れ出たみたいで、

    ちょっとスッキリしました(苦笑)



    私も読んでいてふと思い出したので。


    自動車学校に行っていた時の事。


    マニュアル免許を取る為、所内で教官と一緒に乗車。

    2回目の乗車でしたが、1回目のときに

    エンストをしまくってしまって

    今回はエンストしないようにしないと!!

    と、メチャクチャ緊張して硬くなっていました。



    そんな時、教官に言われた一言。



    『今のうちに、いっぱい失敗してくださいね。』



    一気にリラックス出来た気がしました。



    あ、失敗しても大丈夫なんだ。って。



    泣くほどじゃなかったですが、

    凄くありがたくって助けられた様な一言です。



    後日、勤めていたバイト先で新人さんが入った時にも

    同じ言葉を使わせてもらいました。

    緊張が解れてたら良いな。


    因みに、2回目の所内乗車でもエンストしまくりでした(苦笑)

    ユーザーID:3370585802

  • このトピに出会えてよかった

    偶然、ネットニュースからとんで、読んでました。
    もう涙でぼろぼろです。

    3年目にして今までの会社と部署を追い出され、系列会社に異動させられ更に違う部署に配属。
    自分のいた場所には今年の新入社員がいて。
    今は食欲もなく食べてももどしてしまって脱力感で、ついには泣けなくなってしまって微妙な休日でした。

    今日も仕事中にトイレに駆け込んで、
    でもこのレス読んでいたら泣けてきて、「あー私、まだ泣ける」って思えたらほっとできました。
    現在進行形で励まされました。本当にありがとうございます。

    これ読めて、生きててよかった・・・

    ユーザーID:2316741462

  • 病院での一言

    2人目の子供が生まれて育休もあけた後は、5歳と0歳の育児と仕事とバタバタの毎日でした。
    自分の体調がちょっと悪いくらいでは病院にかかっている時間もなく、かなり無理していたと思います。

    ある日風邪でもう動けないくらいだったけど次の日の仕事が休めないので、会社を早退していつも小児科で子供がお世話になっている先生に診てもらいました。(内科もやっているので)

    事情を話して点滴を打ってもらうことになりましたが、先生が「ちきちきさん、頑張り過ぎちゃだめだよ。」ととても優しく声をかけてくださいました。その一言で、なぜか張りつめていた気持ちがはじけたみたいに涙がポロポロとこぼれてきてとまらなくなってしまいました。

    その後点滴を打ってもらっている時には、いつもの看護師さんが「私も同じくらいの子供がいますが、育児と仕事の両立って大変ですよね」と言われ、またまた涙が・・・。

    体だけでなく、心のお薬も処方してもらった気分でした。

    ユーザーID:4459995775

  • 病気になって

    未だ治療法が見つかってないという病気にかかって入院した時、
    これからの人生、どうなっていくんだろうと不安でいっぱいで
    でも泣いたらダメだと強がってた時に、

    「辛いときは俺らがいるじゃんか。
     1人じゃなくて、皆で乗り越えていこう。」

    って入院中に仲良くなった人達から言われた言葉。

    嬉しくて病室に戻って、隠れて泣きました。
    それがきっかけで、ちゃんと病気とも向き合えるようになれました。

    ユーザーID:8066006705

  • このトピ早く気付けば良かったです

    このトピに早く気付けば良かったです。
    皆様いろいろな体験の中で、素晴らしい一言に出会えているんですね。
    私の救われた一言
    3年程前、元夫の事情により離婚しました。元夫に未練は全くないのですが、”何でこんなことになってしまったんだろう”と何とも言えない空しさを2年経っても常に抱えていました。そんな時、友人が密かに想っていた、女性が彼氏にひどい理由でフラれてしまい、彼女いわく”復習したい”と友人に相談していたそうです。その話を聞いて私は、”復習はしないけど、正直その気持ちが分かる”といったら友人がいった一言は”

    ”その人といた時より、幸せになることが一番の復習だと思うよ””と。

    その時、私は目からウロコが落ちる気分でした。それからは少し前向きに考えられるようになり、今は想いを寄せている人がいます。これからどうなるか分かりませんが、友人が残してくれた一言を忘れず頑張ろうと思います。

    ユーザーID:9618256428

  • バイト先で

    今から5年前のことです。早朝のファミレスでバイトをしていた時、お客さんにいちゃもんをつけられたことがありました。店中に聞こえる声で怒鳴られ続け、怖くて何も言えませんでした。店長に裏へ戻るように言われ、とぼとぼと歩いていると、お客さんが手招きしているのに気付きました。
    その人は毎日来る金髪のおじさん。駈け寄ると「俺は悪くないと思うよ。あんなに叫んで仕方ないなぁ。」とゆっくりと優しく言って下さいました。気づけばそのおじさんがいつも帰る時間を過ぎていました。ずっと心配して見ていて下さったのです。その温かさに涙が出そうになりました。その後、バイトを辞める時までに御礼を言うことができず、今でも時々思い出します。おじさん、見ていらっしゃいますか。ほんとうに有難うございました。

    ユーザーID:5027633674

  • 結婚して、自分の生活に夢中になっていたころ
    正月明けに久しぶりに実家に帰りました。

    母「初詣行ったの?」
    私「行ってないよ〜、今度行くよ」
    母「お母さんなんて、元旦にちゃんと行ってきたよ」
    私「寒いのに、よく行ったね〜」

    母「あなた達が健康でいられますようにってお参りしといたからね」

    この1週間後、母は急死。

    今、健康でいられるのは母のおかげだと思っています。
    ありがとう。

    ユーザーID:0936763208

  • 助けてくれてありがとう。

    皆様の言葉がとても心に響きます。ありがとうを言いたいです。

    私も一つ、自分の経験も紹介させてください。
    自転車で坂道を下っている時、あろう事かチェーンが外れ派手に転びました。
    自分が悶絶して打ち身した箇所をさすっていると、外国の方が向こうの方から勢いよくやってきて英語でなにやら話しながら(大丈夫?みたいな)笑顔で手を貸してくれ、倒れていた自転車も立て直してくれました。そして颯爽と去っていきました。
    ほんの1、2分の出来事でしたが、転けた恥ずかしさと痛さで頭がフリーズしていた時でしたので、
    とても胸が熱くなりました。
    見ていた周りの人はクスクス笑うか、避けながら可哀想な目で歩いていきました。

    その中で、風のように現れて爽やかに手を貸してくれた外国の方、ありがとうございました。

    私も、困っている人がいたら自然に手をかせる人間になりたいです。

    ユーザーID:7936922712

  • 夫の一言

    今日、初めて拝見しました(泣)

    子供の勉強のことなど、色々悩んで当時、単身赴任していた夫に電話で相談とも愚痴ともつかない話を泣きながらしていた時、

    「お前はお前の、思ったようにやったらいい。責任は俺が取るから。」

    あ〜、そうかこれが完璧な子育てってないもんなぁ。私がいいと思うやり方で、やっていったらいいんだと。たまにはいいこと言うやん!!
    と思ったことでした。

    問題の子供も21歳となりまずまずに大人になりました。

    ユーザーID:6159847867

  • 母が逝ったとき

    涙が止まらないほどの良い話ばかりで心が洗われるようです。
    トピ主さん、このようなトピありがとうございます。

    私の母が逝ったときの話です。

    母が逝く1年前に離婚、商売が失敗、無職の日々、
    今日食べるカップヌードルさえ買えなかった30歳半ば
    ふと知り合った女性と暮らし始めました。
    ぼろぼろだった私を救ってくれた彼女は、私を励まし、叱咤してくれ
    なんとか就職でき、普通の日々を戻したように見える日々に母の危篤。

    財布と携帯だけもって故郷へ。
    意識不明の母は未明まで保たないだろうと主治医の言葉。
    仕事をとりあえず他の人に託し、追っかけて来てくれた彼女が病室に到着したのは次の日の夕刻。
    それまでなんとか保った母が急に意識を取り戻し、初対面の彼女を一目見て
    「ありがとう」と一言いって再び意識不明に。
    それからロウソクの灯が消えるように旅立っていきました。

    あれから5年。母の「ありがとう」を胸に彼女と生きています。

    ユーザーID:3205091890

  • 良トピで、感動致しました。

    別サイトから飛んできて、明日が仕事なのに読みふけってしまいました。
    もう4年以上前の話です。

    私は実家が関東だけど進学した大学が九州で、卒業後にそのまま九州で仕事を続けていました。

    両親も祖父母も親戚も皆、私が実家の近くで暮らすことを望んでいましたが、今さら関東に帰っても面白くないし当時は別れたり付き合ったりを繰り返していた彼女がいて、その娘と結婚を本気で考えていたので、正月に帰省して大好きな祖母にだけに「結婚したい娘が九州にいるんだ」と相談をするつもりでした。

    けれど突然実家からの凶報。祖母が危篤と。急ぎ帰ったけれど祖母とは話せずに帰らぬ人になりました。泣きながら何も言わぬ祖母に色々語りかけて、九州に戻りました。

    彼女のお母さんが今度泊まりにいらっしゃいと言ってくれたので伺い、夜道を歩いていた際に彼女から「あなたは家族みたいな存在なのだから、いつでも泊まり来ていいんだよ。この街も第二の故郷って思えばいいし。」と言われ、彼女の存在自体が故郷みたいに暖かく感じられてプロポーズをその場でしました。

    まぁ結局は自然消滅して、今では連絡をとらなくなりましたが。

    ユーザーID:3755260866

  • 気張って時あったなぁ

    もう10年も前ですが、結婚して4年目に妻が原因不明(後から脳炎と言われた)で植物状態に。頭中は何、何故のパニックながら勤務先と病院の往復。毎月、給料の数倍の医療費用を払い、貯蓄も尽きてもう何もかも終わりと市役所に出向いたら、色々制度あるけど知らないの?って。
    丁寧に相談に乗って頂きました。説明受けながら「ご主人若いのに大変だったねぇ独りじゃないんだよっ」て言われた時に力が抜けて、泣きました。両親、兄弟、親戚、皆んな交代で毎日付き添ってくれて、甲斐あって2年後に奇跡的に目覚め、リハビリもこなし病気以前の、いや、それ以上まで回復しました(病院の担当の先生も前例がなく奇跡だってビックリしてました)。だよなぁ、入院した時、脳波のグラフ見せて、ご主人脳死ですって・・・オイオイ。今では後遺症も無く普通に生活していてとても幸せです。

    ユーザーID:9526562831

  • 就職難

    博士課程を修了したは良いけれど、就職先が全く決まらずに悩んでいた頃のこと。知り合いのお年寄りのお宅に遊びに行き、近況報告をしたところ、奥様がお嬢さんの御主人(義息子)がレイオフされた時の話をしてくれました。

    もう15年ほど前になるそうですが、義息子さんが一人で御夫妻を訪問し「妻を幸せにすると言って結婚させて頂いたのに、レイオフされ、妻と子供に苦労をかけることになり、お義父さん、義母さん、申し訳ありません」と言って、うなだれたそうです。その時、その奥様(義母)は日本酒の一升瓶を持ちだして「おめでとう。これで貴方も変な上司のご機嫌伺いなんかしなくてすむし、人生の可能性が開けたわね。今日はお祝いよ」と言ったそうです。もちろん義息子さんは、その場で号泣されたそうです。今、その方は、御自分が好きなことで会社を興し、とても成功されているとのことでした。

    八方ふさがりに思えた私の就職活動ですが、この話を伺って、前向きな気持ちになりました。

    ユーザーID:5696438867

  • ありがとう

    みなさん、色々なお話をしていただきありがとうございます。
    現在進行形で人生に行き詰っています。
    私は容姿はよくありません。顔が大きいですし、体型も中型です(実際に見知らぬ人からも言われたことがあります)
    求職中です。パート・派遣ですら仕事がありません。(学歴もありませんし、年齢の問題もあります)
    彼氏はいますが、結婚をしたくないとはっきり言われました。

    このような状況で、毎日マイナス思考な私でしたが、みなさんの言葉に勇気付けられ、
    また、そのおかげで大切な人からの大切な言葉を思い出しました。
    それは、
    祖父が生前私に言ってくれた「苦しい時ほど、にっこりしなさい」です。

    みなさんのおかげで、明日から笑顔になれます。
    このレスを書きながら、涙が出てきました。

    みんな、本当にありがとう!

    ユーザーID:5533225590

  • 寡黙な父が

    素敵なトピ、参加させて下さい。
    4年前、大学を卒業したばかりの時。就職の為、社員寮への引っ越しを家族に手伝って貰いました。作業を終え、みんなが帰った後、妙な寂しさ・不安が立ち込めた時…父が突然引き返してきて一言。『頑張り過ぎなくて良いんだぞ。』そう言われました。寡黙な父からのいたわりの言葉に号泣しました。

    ユーザーID:0569619108

  • 良い話ですね

    自分の体験を一つ。

    バーテンダーをしているのですが、何もかもが上手く行かなかった時に
    自分のする仕事は何も生み出さないと思っていました。
    そんな時に久し振りに来たお客様が「また君の顔が見れたね」と
    言ってくれました。
     その場は何とか過ごしましたが、誰もいなくなった瞬間、泣き崩れた
    自分がいました。あの一言の御蔭で十年、この仕事を続けられています。

    ユーザーID:7897967056

  • 誕生日プレゼント

    公私共に絶望し、将来に希望が持てなかった頃。

    27回目の誕生日を迎えました。

    仲の良い友人達からのおめでとうメールの中に、ある同期からのメールがありました。職場が離れてしまって会うことは少ないけど、相性が良い(と私は思っている)し、素直な自分が出せる同期。
    久々のメールが嬉しくて、つい「人生つらい…」てな内容を漏らした私に彼はこう返しました。

    ちなみに「暇を感じるほどまだ世の中捨てたもんじゃない」って俺が言ってたよ

    なぜか伝聞にしてしまうとことか(笑)、具体的な相談したわけじゃないのに的を射た発言してくるあたりに、彼の優しさと人間性を感じ、ふっと笑えて、涙が出ました。

    おかげで、これからも前を向いて生きていけそうです。
    ありがとうね、一番信頼してるよ。

    ユーザーID:6851707167

  • 必ず居るって信じてる。

    中学生時代までいじめられていた私は、
    今まで何度も死にたいと思ったことがありました。
    でも高校で親友に出会い、彼女の言葉にいままで何度も救われてきました。

    職場恋愛に疲れて身も心もボロボロになり、自分の存在意義も見失っていた頃。
    毎日がつらくてつらくて、泣いてばかりだった。
    「もう消えたい」とメールした私に、親友がくれたメール。

    『わたしの中のカホの存在はでかいよ。
    カホをそんな風に思ってくれている人は、たくさん居るはず。
    わたしにも、カホにも、まだ知り合って居ない人の中にも、
    そんな風に思ってくれる人が必ず居るって信じてる。』

    ああ、私、生きててもいいんだって思ったら涙が止まらなかった。
    こんなふうに私を大切に思ってくれる人のために生きようと思いました。
    生きててよかったと思いました。

    いつも本当にありがとう!
    これからも一生、親友でいようね!

    ユーザーID:4944901893

  • 素敵なトピですね!

    「お父さんは、もう誰かの子供になって生まれてきてると思う。」

    私の夫の言葉です。
    大好きな尊敬する父が、軽い手術から感染症を起こし、あっという間に亡くなりました。
    家族を愛する、弱いもの小さい物にとても優しい、尊敬する父でした。
    そんな父の亡くなりかたが不憫で、父の人生って....。と私は苦しんでいました。
    輪廻転生、本当にあるか無いかはわかりません。
    でもこの言葉に私はとても心救われました。

    ユーザーID:7609516381

  • 風呂敷を畳む時が大事なんだ

    自分の実家は自営業を営んでいました。大酒飲みで、酒がもとで迷惑とかけられたこともありましたし、酒が元で病気にもなり、自分が就職するのを期にお店をたたみました。
    両親もお店をやめ、お礼に旅行をプレゼントしようとした矢先に、父に癌が見つかり余命を言い渡されました。
    これから母と二人でどうすればいいのか、父の病、余命。
    本当にすべてのことが受け入れられなくて途方ににくれていました。
    ある夜、突然起きてきた父が
    「おい、死ぬときにしか伝えられないことがあるから、しっかり見ておくんだぞ。風呂敷を畳む時が大事なんだ」
    と言ってまた部屋に戻っていきました。
    父の看病をし、父の最期を見取り、喪主としてお葬式を行った時。参列してくださった方々の涙と、暖かいお言葉をかけられ、初めて父の偉大さ、大きさを実感しました。そして、人生という風呂敷のたたみ方の意味も目の当たりにしました。
    今でも父の「風呂敷を畳む時が大事なんだ」という言葉は、自分の人生に大きな意味を持っています。
    このトピを見て、仏壇に父が大好きだったお酒とタバコをお供えしました。
    父に、心からありがとうと言いたいです。

    ユーザーID:9948237154

  • 必要とされている

    一昨日にひょんな事からこのトピを発見。 それから目と鼻のグズグズが止まりません。わたしも最近の事で一言投稿させて戴きます。
    男性。国際結婚で妻の国で滞在&現地採用で早くも20年が経過。 が、昨年9月末にリーマンショックでリストラされて早くも8ケ月目に突入。 この間に30数社へ履歴書・職務経歴書を送付するも年齢条件&その他で連続不採用。日本及び当地の知人にも色々お世話になっても再就職が決まらず。本当に自己嫌悪に陥り、本当に自分が必要とされているのか疑問になった事をメールで日本の知人へ愚痴ってしまいました。 知人からの返答には「人間は誰でも必要とされている。 必要とされていないのは893さんだけ。」と有りました。 こんな自分でも何処かで誰かが必要とされている事を信じて明日会社の面接へ行って来ます。因みにこの知人は先月、日本で再就職が決まり現在は楽しく働いているそうです。嫁&息子よ、今暫く辛抱してくれ!!

    ユーザーID:6322753551

  • 虫歯がないって素晴らしいんだ!

    息子が小学校に上がる少し前のこと。歯医者さんから、息子に虫歯が1本もないことを「素晴らしい!お母さんが素晴らしい!」と絶賛されました! 小さい子に虫歯がないのは親の努力の賜であると。
    世間の目は、母親は育児に全力を注いで当たり前というところがあり、うちは夫婦ともフルタイム勤務にも関わらず、夫は育児に協力的でエライとよく褒められるのに、私は育児で褒められることなんてなかったので、初めて真正面から母親として褒められ、それまでの苦労がすべて報われたような気持ちでした。涙が出るほど嬉しかったです。
    その後、就学前健診で別の歯医者さんからも、虫歯がないことを拍手までして褒めていただきました。
    うちの息子は唇裂口蓋裂という、ちょっとした問題をもって生まれてきたため、将来的に歯の矯正が必要になると分かっていたこともあり、虫歯を作らせないことには特に気を配っていたのです。でも、子どもの歯の管理なんて、母親として当たり前といえば当たり前のことをちゃんと褒めてもらえ、その後の自信と支えになりました。
    先の歯医者さんには息子が中3になった今も矯正でお世話になっています。今もうちの子は虫歯がゼロです!

    ユーザーID:4834088535

  • 同級生の一言

    皆さんの体験談を読みながら、私も昔同級生の一言に救われたのを思い出しました。

    私は小学校に入ってからも夜尿が治らず、家族以外誰にも言えない秘密でした。
    それも小学4年生の頃にはおさまってきたのですが、5年生のときに研修旅行で外泊するという行事がありました。
    私は「もしまたおねしょをしたらどうしよう・・」という精神的プレッシャーから、
    宿泊施設で久しぶりにおねしょをしてしまいました。
    翌朝担任の先生が、同室だったクラスメイトに「誰にも言うんじゃないぞ。」と念を押すと、
    ある同級生が「え?何のことですか?僕何があったか何も知りません。」と知らないはずはないのに、
    すっトボケてくれたのです。
    その時、恥ずかしさのあまり泣きじゃくっていた私でしたが、
    彼のその一言、私に恥をかかせまいとする心遣いに、
    「ありがとうHくん・・」と心の中で感謝せずにはいられませんでした。

    その後何の恩返しもできていないので、もし同窓会で再会することができるなら、
    あの時のお礼をちゃんと言いたいです。

    ユーザーID:9678150828

  • 助けられた言葉

    こんばんは。私にもあります。


    大学受験を失敗してしまって
    この先、何をしたいのかわからなくなってしまった時がありました。

    親の仕事の都合上、高校卒業と同時に転勤になってしまって、
    私も一緒についていくことが決まった。

    やりたいこともわからず、友達とも離れ離れ、、、
    わけがわからなくなって自信喪失してたときに、

    高校3年生の先生から

    『あなたは優秀な生徒ではありませんでした。
     だけど、あなたという人は人として本当に好きです。』


    と言われた。何てことを言うのかって思う人もいるかもしれませんが、
    私はこの言葉に私という人間を好きって言ってもらえることが嬉しくてたまりませんでした。
    見ず知らずの地へ行って知らない人の中で、予備校に通い、翌年大学進学をしました。

    私もこんな生徒に勇気を与えられる先生になりたいと思い、今も頑張っています。

    ユーザーID:5258591391

  • 歌。

    数年前にネットゲーム関連のサイトで知ったKOKIAさんの「ありがとう」と
    言う曲に救われました。ネット上(詳しくは恥ずかしくて書けませんが)で
    失恋のようなことを味わってしまって、落ち込んでいたときに聞いたので、
    涙が止まりませんでした。今でもその曲を聞くと泣きそうになります。

    後、助けられたというのではないのですがビギンさんの「笑顔のまんま」
    のなかの「人生生きてるだけでまるもうけ〜」という歌詞に励まされています。

    ユーザーID:2906967241

  • 心が温まりますね。

    とても幸せな気持ちになるトピですね。

    毎日休みなく仕事をしていて睡眠不足、栄養失調で恋愛もうまくいかなく心身ともにボロボロな時に
    マンションの隣の部屋に住むおじいさんとおばあさんに
    「毎日御苦労様、最近顔見なかったから寂しかったの。少し痩せたね。」と言って
    今買ってきたばかりであろうお惣菜とココアをくれました。
    そして、「しんどいことは幸せに繋がって、幸せなことはしんどいことに繋がる。いつも挨拶してくれてありがとう。じゃあね。」
    と言って部屋に入られました。もう少し頑張ってみようと思いました。挨拶ひとつで幸せな気分になります。



    これは言葉ではないのですが、先日電車に乗っていたら若夫婦とお子さん2人が横に座ってました。
    お子さんの一人はベビーカーで私の方を見ていました。そしたら、ニコッと私を見て笑ったのです。
    もう一人のお子さんも私の肘を持って笑ってくれました。仕事の休みもなく疲れ切っていた心が潤いました。とても幸せでした。


    長くなってすみませんでした。

    ユーザーID:4146760968

  • 私もあります

    借金の返済のためにお金を借りるの繰り返しだった時、新たに電話した金融会社。
    その電話の最中に号泣してしまった私。
    そのことに驚きながらも理由を聞いてきた金融会社の相手に今の自分の状況を泣きながら話した。
    『うちも取り立て厳しいから、もぉ借りるのはやめた方がいい』
    って言ってくれました。
    その言葉に勇気を貰いました。
    今はもぉ借金ないです。
    ありがとう。

    ユーザーID:5353498456

  • 仕事で押しつぶされそうな私に。。

    皆さんの素敵な体験談に久々に心がほっこりしています。

    わたしからも、一つ。

    20代後半、仕事上で人脈も信頼関係もでき、自分の事より仕事を優先させていた私。期日がある仕事で、私が休めば周りに負担をかけてしまう。そんな一番忙しい時期に体調を崩してしまいました。
    体調を崩しながらも毎日出社し、周りから心配されても「大丈夫!!」と無理をしながら仕事をしていました。

    すると支店長から支店長室にくるよう言われました。

    支店長 「なんや、具合わるそうやな。大丈夫か?」
    私   「大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ありません。」

    支店長 「。。。なあ。あんたが居なくても会社はつぶれへんよ。家帰り。以上」

    強面の照れ屋な支店長が、言ってくれた一言です。
    一見、なんだか冷たい言葉のようですが、プライドの固まりみたいになっていた私を休ませるには、この言葉しかなかったんだと、じわじわ〜っと優しさが伝わりました。

    その後「仕事がすべてではない」と感じたわたしは、結婚し子供を産みました。
    育児でガチガチになったら「あんたがいなくても。。。」を思い出して手抜きしちゃっています。

    ユーザーID:1931282062

  • 泣いたー。

    みなさんいい話ですねー。

    私はひとり親家庭でかなり貧乏に育ったんですが、運よく奨学金がでてアメリカの大学に留学できました。お金がなくなっては一時帰国をし、お金をためてはもどり、学内でバイトをし、主席で卒業することができました。卒業式のときに、学部長から卒業証明書を授与してもらうときに、「貴方をみてると若かったころの自分をおもいだす」と言って、泣きながらハグされました。あれから6年。私も教授になりました。ずっとはげみだったなー。

    ユーザーID:7785107457

  • 力をいただいています

    レス違いかもしれませんが、今現在大変つらい状況に
    置かれているものです。
    踏ん張ってはいるんですが、もう折れそうだな〜
    と思っているときにこのトピを拝見し、みなさんの
    心温まる話を見て、もう少しがんばってみようかな
    と思っています。
    みなさん、ありがとうございます。

    ユーザーID:3825310148

  • 感動しました

    みなさんのお話に感動しました。

    大学も卒業間近になり精神的に不安定になり、「眠れない」「食べれない」
    といった状態が続き心療内科に行きました。
    生活すべてがきついほど疲れていて、ブラジャーですら邪魔でできない
    それでも「誰か助けて」という一心で向かいました。
    診てくださったのは院長先生。
    話している間も私はずっと泣いていました。
    院長先生のお部屋に戻った時
    「今は思えないかもしれないけど、この病気を克服するとね。
     今よりもっと強くなれるからね。
    「世界のどこかに必ずここだ!って思える場所があるものだよ。
     その居場所はそこに行けばすぐここだって分かる、自分の居場所。」
    院長先生が優しい声で泣いている私にそういいました。
    泣きながらも
    「先生はその場所をみつけましたか?」と尋ねると
    「みつけたよ」と。「どこですか?」と聞くと「内緒」と言われました。
    少し笑顔になりました。
    今でもその病気を完全に克服できていませんが
    「いつかはもっと強くなる」という思いと
    「いつか私の居場所をみつける」という思いはあの頃からずっと消えません。

    ユーザーID:3382946368

  • 胸がジ〜ンとなりました。

    いいお話ばかりで久しぶりに皆さんのレスを最後まで全部読んでしまいました。
    自然に涙が出てきて発言小町が前よりもずっと好きになりました。
    私が体験した何気ない他人のー言・・
    一人生活にあこがれ田舎から大阪に1人で来て半年ぐらいの時
    夢いっぱいで出てきたはずなのに、ホームシックになり親元に帰りたく夜になると泣いている毎日でした。
    話するのは会社の人ぐらいで。

    朝仕事に出かける為エレベーターに乗った時の話です。
    同じマンションの人だと思う全く知らないお婆ちゃんが
    「いってらっしゃい。」て一言
    思わず「行ってきます。」と答えたのですがその言葉が嬉しくて嬉しくて。
    母が私に言ってくれてたのを思い出して会社につくまでの涙が止まりませんでした。
    仕事場のトイレの中で急いで化粧直ししたのを思い出しました。

    ユーザーID:9623712242

  • 私の心のヒーロー

    確か、小学一年の時だったと思います。

    両親が離婚して、引き取ってくれた母も姿を消してしまい、親戚の家に引き取られ、その土地の小学校に通うことになりました。

    ある日、近所の小学生たちと班登校をしている最中に、私は巨大な犬のウ○チを踏んでしまいました。大変ショックでした。他の子どもたちにも「うわ、汚い〜」と大げさに囃し立てられ、まだ幼かった私はどうしていいか分からず、泣き出してしまいました。

    そこへ、通勤途中らしいスーツ姿のおじさんが通りかかり「どうしたの?」と泣いている私に優しく声を掛けてくれました。事情を察すると、おじさんは黙って靴を手に取り、木の枝などを使って黙々とウ○チを取り除いてくれました。

    「さ、これで大丈夫だよ」と言って見せてくれた時には、靴は驚くほどキレイになっていました。あれでどんなに救われたか分かりません。
    皆に疎まれ、孤独のどん底にいた私は、自分をゴミ以下だと思っていました。そんな私に優しく声を掛け、ためらう事なく助けてくれたおじさん。

    あなたは世界一カッコいい私のヒーローです。

    ユーザーID:8420992579

  • このトピ胸があつくなってきますね。。。

    素敵なトピをありがとうございます。

    皆さんのお話にじ〜んときています。

    私の場合は何気ない一言ではないのですが
    このトピを拝見しながら思い出した事があります。

    今から10年ほど前、息子が大学生の頃でした。
    ○○のブランドの財布を失くしたか盗難にあったことがあります。
    運転免許証が入っていたため、最寄りの警察署に出かけ
    免許証再発行の手続きをしました。

    それから数日後、ポストに息子宛ての茶封筒が・・
    差出人は書いてありませんが、小学生の男の子のような雑な文字でした。(失礼)
    財布と現金はありませんでしたが、免許証や10枚程のカード類が入っていました。
    息子が確認したところ全部戻っているとのこと。

    財布と現金が無くなっていたことはいただけない話ですが
    律儀に郵送までしてくれた行為が微笑ましく感じ
    思わず笑っちゃいました。

    きっと封筒の君は今頃立派な社会人になっていることでしょう。

    ユーザーID:9417272789

  • 近所のコンビニで

    すてきなトピですね。
    二歳五ヶ月の娘がまだ一歳くらいの頃、急ぎの買い物でコンビニに行ったらアンパンマンのチョコレートが欲しいと駄々をこねられてしまいました。
    パッケージのアンパンマンにひかれているだけで、まだチョコレートは食べさせられないし、何より急いで帰らなければでイライラしてしまいました。
    するとレジにいたおばちゃんが、お茶菓子らしいおせんべいにマジックでアンパンマンの顔を書き、娘に渡してくれました。
    『みんなこうやって大きくなるのよ』
    と言われ、イライラした気持ちがふっと治まりました。
    娘はおばちゃん手書きのアンパンマンのおせんべいを持ってニコニコ。
    今でもイライラするとあのときのおばちゃんの言葉と、手書きの優しいアンパンマンを思い出します。

    ユーザーID:5337682903

  • 就活中…

    私は大学4年生で就活真っ只中です。

    一昨日、ある企業の最終選考の結果が来ました。
    とても行きたかった企業でしたが、「残念ながら…」と電話で言われました。

    その後、ずーっと泣いてました。

    でも他の企業も落ちていて、そこしか選考が進んでいない状態だったので
    また一から始めなければ行けなかったんです。
    泣きながらもすぐに近い日の説明会・選考に予約してました。

    次の日、早速2つの説明会に参加しようと朝早く家を出て
    駅に向かう途中のコンビニに寄ったんです。

    そこでの店員さんの一言。
    レジを打ちながらスーツ姿の私に
    「就活ですか?今の時期、大変ですよね。
    頑張ってください。行ってらっしゃい!!」
    と笑顔で送り出してくれました。

    周りの友達が内定をもらっている中、
    一人暮らしで選考で落ちたことを誰にも言ってなくて、一人で泣いて、
    予約した説明会にも嫌々行こうとしてましたが、
    その一言がとても嬉しかったです。

    コンビニの店員さんとか無表情な方が多いので(勝手なイメージです、すみません)
    声をかけられるなんて思わず更に嬉しくなりました。


    また就活がんばろうと思わせてくれた一言でした。

    ユーザーID:6300219880

  • 中卒というレッテル

    16歳でなんとか自動車整備工に入った私はココを首になったら
    先は無いとの想いで真面目にがんばっていました。
    そのうち同年代の友人は大手企業に就職し、手取り8万8千円だったのに比べ収入もよく10代で新車購入など物理的にうらやましかった。

    5歳上の先輩に

    ボクは中卒で学歴も無いからそれなりの給料しかもらうことができないし
    マイホームなんか夢でしかない。など

    1時間以上ネガティブな話をぶちまけていました。



    先輩が帰る間際に言った一言



     人間そんなに差は無いよ


    あれから29年

    所得税約9万円

    今年8月で会社設立11周年目になります。


    先輩どうしてるかなぁ

    ユーザーID:2934473582

  • 事務的な手続きの中で・・・

    素敵なトピですね。私も参加させてください!

    5年前の夏
    春までは本当にとっても元気だった父に病気が発覚して
    あっという間に亡くなってしまいました。

    父の旅立ちを送って少し落ち着いたころ
    父の残したいろんなことの整理をするために
    まずは父名義で契約していた電話などの解約手続きを始めました。
    まだまだ心身を引き裂かれるような悲しみも辛さも残る中
    淡々と電話をしては手続きをするのは本当に苦しかったです。

    解約は本人ではないため、
    私の確認と父との関係や解約理由などを
    事務的に尋ねられて進められました。
    先方「ご解約の理由は」
    私 「契約者である父が亡くなったので」
    先方「そうですか。それでは・・・・」
    そんな感情抜きのやりとりばかりが続いていた中、
    ある契約先だけは
    「そうでしたか、お悔やみ申し上げます」
    とおっしゃってから手続きに進んでくださいました。
    マニュアルにあるのか、ご担当の方の心遣いなのか
    その言葉がとても優しくて、
    涙しながら電話を切りました。

    いまだに温かい気持ちになります。

    ユーザーID:9690763999

  • 天使も神もいない。

    世の中に天使も神もいない。

    どうすれば
    人の優しさに触れることが出来るの?

    ユーザーID:2016940630

  • お帰りの音楽

    わたしの地元では毎日五時か六時にお帰りの音楽が鳴ります。
    子供達がその音楽を聞いて『おかえりの音楽だ、帰らなきゃ』と言うのです。
    音楽と同時にナレーションが入り、『皆さんおうちへ帰りましょう』など言うのですが、数年前まで、使用されていた締めの台詞が私は大好きでした。
    『明日もまた、素晴らしい一日でありますように』
    子供の頃は、聞き流していましたが、大人になって心に入ってきましたね。
    どこかで大きな災害のニュースがあった日なんかは、この言葉も重みを増して聞こえてきます。
    町のみんなの心を元気にしてくれたあの一言、ここで紹介すると共にまた復活してくれることを私は願いたいです。
    それではもう一度、、

    明日もまた、素晴らしい一日でありますように、、、!

    ユーザーID:7323274407

  • 姪っ子

    昨年、初めて子供を授かり子育てに悪戦苦闘していた私。
    ある日、四歳と二歳の姪っ子達が実家に遊びに来ていたので私も子供を連れて行った時の事です。
    その頃、つねったり歯がえ始めて噛んだりするようになっていたので気を揉んだりイライラしました。
    すると四歳の姪っ子がうちの子に噛まれてしまいました。
    姪っ子に謝り、子供につい怒ってしまうと
    「赤ちゃんやから怒らんといて」って…
    その言葉に救われ、同時に赤ちゃんの頃から可愛がって居たので、すっかりお姉ちゃんなんやなぁとジーンとしました。

    ユーザーID:3929982337

  • 14年前の話

    私もタクシーの運転手さんの話ですが。

    14年前の3月、初めての子供を妊娠して、臨月のとき、
    突然夜中の3時に家で破水しました。夫はその日いませんでした。

    当時住んでいたマンションの近辺は夜になると車も人も通らない、そんなところでした。
    パニックになりそうな自分を落ち着かせて大きな荷物を持って
    道路まで歩いていくと、もう、痛さで目の前がぼーっとして、、
    もうだめかなと思っていたら1台だけ車が向こうからやってきて。。
    とにかく必死で手をあげてみました、その車はタクシーでした。
    運転手さんは私をかかえて車に乗せて、私をさすりながら、
    「大丈夫や!いけるで!辛抱しぃや!安心しぃや!」って
    病院までずっと声かけしてくれながら行ってくれました。
    病院に着くと、運転手さんは病院の夜間の入り口の扉をドンドンたたきながら、「早く!早く!産まれるから早く!」こんな声を聞きながら私は、最後の力を振り絞ってお金を車の中に置き、その後はストレッチャーで運ばれて、その後しばらく記憶がありません。

    心細かったから、ありがたかった!
    この場を借りて。。ありがとうございました。

    ユーザーID:5308578654

  • 声を掛けた方も、受け取った方も勇気ある人たちですね

    皆様のお話を読ませて頂いて、とても心が震える思いです。

    でも、「いいお話」ということだけでなく、その何気ない一言で救われた皆様一人一人は、その一言を『ちゃんと受け取れる心』を持っていたんだということを深く感じました。

    周囲の言葉を受け入れることができる人と、それができない人。
    その違いは大きな違いとなります。
    その人自身にとってだけでなく、周りへの影響も違うはずです。

    (私は昔、言葉を聞いてもらえない人が家族や周囲にいて、とても苦しみました。)

    何気ない一言を掛けてくれる優しい人がいたということだけでなく、それを受け入れて心を変えることができた勇気ある人たちもいてこそ、成り立ったことだと思います。



    どうか、耳を澄まして心で言葉を受け取れて…そして、想いを一言に乗せることができる人が、一人でも多く増えることを祈っています。

    ユーザーID:6314206828

  • ありがとう、ありがとう!

    ここでたくさんの優しさに触れることができました。
    みなさんに「ありがとう」


    一緒に住んでいた祖母が亡くなった時のこと。
    いろいろ苦労があったであろうに、最後の言葉は

    『あ〜楽しかった』


    でした。
    それだけ言ってにっこり笑って旅立って行きました。

    おばあちゃん、また会おうね。

    ユーザーID:6991308762

  • なんだか、心が熱くなりますね。

    皆さんのレス読ませていただいて
    心が熱くなりました。

    私も最近助けられた一言があります。

    私は雇われ社長として、3年前から現在の会社を
    まかされてます。
    決して業績のいい会社ではなく、少ない従業員で突発的な仕事を日々
    こなすような内容の仕事。朝9時から翌2時3時まで当たり前の
    中、給料は出来高なので、普通の新卒サラリーマン以下

    保険も補償も無く、自宅の支払いさえままならない日々

    おまけに、最大の理解者の母が昨年亡くなり
    夜も寝れず、限界かなって思った今年の2月

    毎回のようにオーナーに呼ばれ報酬を受け取るときに
    いつも厳しいことを言うオーナーから
    「ほんまに毎日ご苦労さんやな、この努力がもうすぐ結果になると思うから、もう少し頑張ってな」
    と、言われまして。

    なんだか、その瞬間背負っていた重荷から全て開放された
    ような気がして、絶対に事務所に来ないオーナーが遠くで見ていて
    くれてることに感謝と、逃げ出そうと思った自分に情けなさを
    感じました。

    まだまだ、満足の結果は出てませんが、徐々にいい方向に会社が向いており、今は必ず結果につながると確信できてます。

    ユーザーID:6140115473

  • 信号待ち

    ずっと都会で育ってきた自分。
    遠距離恋愛だった夫の元へきて一緒に暮らすようになったけど、まわりに知り合いもいなくて
    自分が育ったような環境と正反対の田舎に慣れなくて寂しくて不安定やったとき。

    自転車でスーパーにいった帰り道にある押しボタン信号(これもびっくりした!)で、一人ボタンを押して待ってたら
    たまたまとおりかかったおばあさんが微笑みながら
    「こんにちわ、お買い物かえり?」
    と話しかけてきたので、いつものくせで関西弁で話してしまうと
    「地元の人やないんやね〜、ここは田舎じゃけどいいとこよ〜」
    と優しく返してくれました。
    だからつい、
    「地元離れて右も左もわからないで寂しい」
    と弱音はいてしまったりして・・・

    このおばあさんも渡るのかなーとおもいつつ話していたら
    「信号変わったけ、わたりんさい」といって手を振ってくれた。
    どうやらおばあさんは渡らないのに、自分の相手をしてくれていたみたい。

    夫以外の人をと初めて会話した、晴れた日の昼下がりでした。

    おばあさん、ありがとう。
    いまも広島で夫と幸せに暮らしています。

    ユーザーID:9926517874

  • 「愛」があったから悩んだのよ、と言った隣人に感謝。

    ひとつ目。

    混み合う喫茶店で漏れ聞こえてきた、隣りの見ず知らずの中年女性二人組みの会話。

    「姑から云われたことって忘れられないのよね」

    ちょっと吹き出してしまいました。
    お二人も気がつかれて、赤の他人の私と顔を合わせて笑いました。


    ふたつ目。

    「愛の反対は…」という有名な言葉について云われたこと。
    いわゆる発言力や権力を持つ人から、
    酷い仕打ちを受け、悲しくていたときに、

    「その人には愛があるのかしら」

    と言ってくれた隣人。

    私が「悲しい」のは、
    元々、ないものを、私一人、信じていたからなんだなあ、と知りました。

    吹っ切れました。

    ユーザーID:3886598146

  • 母さんありがとう。

    仕事や失恋で疲れ、ボロボロな自分自身にも疲れ、このままじゃダメだ。
    休みをとり旅行に行こうと決めました。

    母に旅行に行くと告げると断固反対。
    「一人で行くのはダメよ」
    「時間があるときお母さんと行きましょ」
    「なぜ今行かなきゃいけないの?」

    それでも行く決心をしていた私は予定通り旅行に向かうことに。
    出発の日の朝、母は私の手を取り

    「何があってもあなたが帰ってくる家はここなの、それだけは忘れないで」

    手を開くと一万円札を渡されていました。
    「お母さん私いい大人だよ、お小遣って歳じゃないよ」
    と言うと
    「これでお母さんにお土産よろしくね」
    と言って母は笑って見送ってくれました。

    私から帰ると連絡があったとき、母は嬉しそうに車を運転して迎えに行ったと姉から聞きました。
    正直、自殺でもするんじゃないのか、帰ってくるつもりがないのではないかと心配し、帰ってくる理由を持たせるためお金を渡した。

    帰る家のない母がどんな気持ちで私に言ってくれたんだろう。

    私が帰る場所を用意してくれる母がいてくれる事が幸せです。

    ユーザーID:9592538013

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