他人の何気ない一言に助けられた<2>

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みみずく

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  • 職場の責任者からの一言

    このトピ読んでると涙が出てきます。私も参加させて下さい。
    私は訪問介護の仕事をしています。
    4.5年前、当時訪問していたお宅で、同じ失敗を2度してしまい、事務所の管理者から呼び出しがかかりました。
    結局、その訪問先に、私はもう行けなくなってしまい、他でも失敗などをしていたので管理者から注意されました。
    自分の失敗なので当たり前なのですが、自分が情けなくなってしまい、半泣き状態で、事務所を出ました。
    事務所を出て、帰ろうとした時に「○○さん(←私の名前)」と呼ばれ、振り向くと、事務所内にいた別の責任者の方が走ってこられ、「一緒に頑張ろうね」と一言言って下さいました。
    その時は、泣きそうだし、気分もどん底で、「はい」とうなずくのが精一杯でした。
    でも、その一言が私には本当に救いのような一言で、今も同じ職場で働いています。職場の皆さんには本当に感謝しています。

    ユーザーID:5313871305

  • アジアの一角で

    東南アジアの某国に赴任したてのころ、なれない生活、仕事で疲れていたときに乗ったタクシーでした。ドライバーのおっさんが 「Are you Japan?」って聞いてきました。「イエス」と答えると、昔、日本にいてどーたらこーたら話かけてきました。内心うっとーしーな、と思いながら適当にあいずちうっていると「You know this song?」っと言って「しーんぱーいないからねー」っといきなり歌いだしました。おっさんは頭とサビしか覚えてないらしく途中はラララでごまかしていましたが、なんか楽しくなっちゃって一緒に歌ってしまいました。家に着いてお金を払おうとしたら「no need!, you make me happy!」って言って受け取ってくれませんでした。この国でよっしゃ、やるか!と思いはじめるようになりました。

    ユーザーID:7957793041

  • 駅の人ごみで

    お互いの事を何も知らず、これからも一生会うこともない他人なのに
    心が癒され忘れられない。
    そんな「袖すりあうも他生の縁」みたいなこのトピ好きです。

    一言ではないんですが、
    若い頃、旅行に朝寝坊、新幹線に遅れそうになり
    東京駅を走っていて肝心の新幹線チケットを落としてしまった私。
    後ろから同年代の若い女性が追いかけてくるので「?」と思っていたら
    その人は何も言わず、私に落とした新幹線のチケットを渡すと
    こちらがお礼を言う間もなく、逆方向に駆けて行きました。
    慌しい通勤時間帯に必死で追いかけて届けてくれたOLさん、
    感激して20年以上たった今も覚えてます。

    もうひとつ、去年の夏でしたが、朝から仕事や人間関係の悩みで
    頭いっぱいになりながら早足で駅を歩いてると後ろから
    「あっ!ちょっとー」と大きな声。朝っぱらから大きな声出して、と
    イラっとした瞬間、自分の持ってた帽子を落としたのに気がつき
    「自分だ!」と振り返るとまさに光り輝くような素晴らしい笑顔のおばさんが「ハイっ」と落とした帽子を渡してくれました。
    その笑顔に鬱々としてた気分がすっ飛び、「今日の神様に会えた!」と思った瞬間でした。

    ユーザーID:4449424592

  • 新幹線で

    ステキなトピですね。ワタシも参加させてください!

    新幹線の乗務員さんに助けられた話です。

    その日、1ヶ月前に倒れた母の死を
    兄からの早朝の電話で知らされました。

    東京で暮らす私は、実家へ帰る新幹線に飛び乗りました。
    乗った瞬間、もうどうにも涙が止まらず、座席でも周りの方に迷惑かと思い、そのままデッキで立って泣いていました。

    そこに、ワゴンサービスの女性が通りかかり「どうしましたか?」と、心配そうに声を掛けてくださいました。

    大丈夫です、と言いながら涙が止まらなくなってしまい、「母が今朝亡くなり、座席に行っても涙が止まりそうにないので」と伝えました。

    そんな迷惑なワタシに「少しお待ちくださいね」と優しく言い置いた数分後、車掌さんらしき男性と連れ立って女性は戻ってきました。

    そして「どうぞ遠慮なくお使いください」と、デッキ脇にある個室のドアを開けてくださいました。降車駅を確認し「到着の頃、お声掛けしますので」と。

    丁寧に御礼を伝え新幹線を降り、落ち着いてからHPに感謝の気持ちを書き込みましたが、1年経った今も忘れられない出来事です。

    ユーザーID:4604919011

  • 夫のひとこと。

    早産で予定日より4か月も早く子供を産みました。
    全身麻酔の緊急帝王切開で、目を覚ました時にはすでに息子は運ばれていて対面することはおろか産声も聞けず。
    早く赤ちゃんに会いたいけど、1000g以下で生まれたその姿を見たときに
    自分が受けるショックが怖くて、逃げ出したいような…複雑な心境でした。

    先に面会に行った主人に恐る恐る「どうだった?」と聞くと


    「すげーかわいかった」

     とひとこと。


    その一言でどれだけ救われたか。

    実際には点滴やら人工呼吸器やら…
    身体は手のひらにのってしまうほど小さいのに管だらけで。
    だけど、その短いひとことで5か月のNICU生活を乗り越えられました。

    一番頑張った息子は、今ではヤンチャな1歳です。
    今夫がイビキかいて寝てる横でスヤスヤ寝ています。

    ユーザーID:0904116639

  • 生活・身近な話題ランキング

    一覧
  • 親孝行とは

    数年前、父が他界しました。まだ50歳でした。

    私は長男ですがまだ20代前半でした。
    これから自立して結婚して子供作って・・・。
    色々と親孝行して、父には楽しい老後を送ってもらいたいと思っていた矢先でした。

    「何やってんだよ、親父・・・」と悔しい気持ちでいっぱいでした。

    葬儀の日。
    私の実家は田舎なので、葬儀は盛大に行います。
    都会の方には想像がつかないかもしれませんが、
    親族は本当に心身ともに疲れ果ててしまいます。

    当然、喪主は長男の私でした。

    そんな中、葬儀が無事に終わって、住職が私に言ってくれた一言

    住職:「今日は○○さん(父の名前)の最良の日ですね」
    私:「え?」
    住職:「自分の息子が自分の葬儀の喪主を、これほど立派に務めてくれるなんて。
        父親としてこれほど嬉しく、また誇らしいことはないですよ。最高の親孝行です」

    弔問客がいる間は泣かないと決めてましたが、
    その一言で号泣してしまいました。

    父が誇れるような生き方をすれば、それが親孝行になる。
    これからも父に恥じないように生きていきたいと思います。

    ユーザーID:8868846923

  • 夢を叶えられる人だから

    大学受験の年、中学校の時の担任の先生に会いに行った。
    成績が奮わず、模試はいつもE判定。
    落ち込んでいた私に「いつでも勉強をみてやるから来なさい」と言ってくれた先生。それからずっと先生は、週末は勉強を教えてくれた。
    先生はいつも「君は夢を叶えられる人だから」と励ましてくれた。
    でも、私は知らなかった。先生のお子さんが大病をしていて、ずっと大変だったということを。
    知ったのは、お子さんの通夜の日だった。私は申し訳なくて、ご遺影を直視できなかった。頑張らなくちゃいけない、先生のためにも。
    奇跡は起こり、桜は咲いた。合格を報告したその時も先生は「君は夢を叶えられる人だから」と言ってくれた。
    あれから十数年。
    私も教壇に立ち、今、子ども達にこの言葉を贈り続けている。
    先生、ありがとうございました。

    ユーザーID:9312228599

  • 「あなたは強い」と

    二十歳そこそこの頃、摂食障害で大学病院に入院しました。
    深刻な状態でした。
    幼い頃からの親の暴力、親の離婚で追い詰められたことは自覚していましたが
    こんな状態でさえ、家族の誰のことも悪く言いたくないと思っていました。
    そして深く心を閉ざしたまま、
    先生とのカウンセリングでも、本当のことを言えずにいました。

    ある日、カウンセリング中に、「もっと強くならなければ」と呟いた私に
    担当医の女の先生がこう言いました。

    「あなたは十分強いじゃない。あなたは、家族の誰のことも悪く言わない。
    強くなければ、とてもできないことだよ。」と・・・

    堰を切ったように涙が溢れ、止まりませんでした。
    その間、先生はずっと背中をさすっていてくれました。
    先生、本当にありがとう。

    その後、闘病の末に回復し、仕事も続け、先日結婚しました。
    生きていてよかった。ありがとう。

    ユーザーID:7818425925

  • その心の痛みは、宝物だと思います

    10代後半から20代前半にかけて、立て続けに身内を亡くしました。
    当時は自分でも気づいていませんでしたが、後からよく考えてみれば自責の念でいっぱいでした。
    めちゃくちゃな生活を送っていた数年を経て…

    やっと学歴を生かせる職場につき、初出勤をひかえて某掲示板に
    いままでの自分の気持ちをなんとなく書きなぐりました。

    そのレスに、それぞれちがうひとたちが書き込んでくれたのが

    ・その心の痛みは宝物だと思います。
    ・自分に価値がないなんて言ったら、母ちゃんが悲しむぞ。
    ・心底へロヘロになったときは、無理せず休めよ…。
    ・その思いを忘れずに頑張ってれば、いつか必ず会えるよ…

    モニターの前で、一読して号泣しました。
    その仕事は辞めてしまったのですが、いまも闇金やら警察やら産婦人科やらのお世話にならず
    なんとかやっています。

    まったく見ず知らずの方たちからのお言葉ですが、当時からずっと励みになっています。
    まぁなんとかやっていますし、これからもやっていきます。

    ユーザーID:9589166939

  • 生徒からの一言

    念願の高校教師となり、初担任を任されたころ。

    毎日毎日、遅刻、欠席、授業の中抜け、注意すれば文句を言うなど、やんちゃな生徒たちと向き合うことに必死でした。

    授業も上手くいってないんじゃないかと自信を無くしていたある日、元気な男の子が突然「先生の授業なら1日何時間だって受けてもいい〜。だってオレ先生大好きだもん」と言ってくれたんです。

    突然の告白に、クラス中から笑い声、私の心もすっと軽くなりました。

    ありがとう。
    やっぱり生徒はかわいい。天使たちに囲まれて働ける私は幸せです。

    ユーザーID:7314428942

  • 癌になったときに

    30を過ぎて直ぐ、胃がんになり入院手術。
    退院後、目にした言葉か、言われた言葉かも忘れ、誰が言っていたのかも既に思い出せませんが。

    「人間の死亡率は100%だよ」

    死ぬかもしれないという怖さと、抗がん剤の辛さといろいろな事を考えていた私の
    凝り固まった気持ちをほぐしてくれました。

    あぁ、そうだなぁ、誰でもいつかは死ぬんだ。
    死なない人はいないんだ。
    私がいつ死ぬかは分からないけれど、この病気かもしれないし、明日事故とかで死んじゃうかも知れないんだ。
    本当は死と言うのは誰でも目の前にあるもので、普段は気にしていないだけで、当たり前に誰にでも訪れるものなんだ、っていう考えになったとたん、気が楽になった気がしました。

    そのまま、10年が経ち、昨年結婚もして今年は子供が生まれます。
    いつ死んでも後悔が無いようにと思いながら、そういう心配が薄くなると世の中に甘えて生活してしまいますが、いつも頭の隅に置いている言葉です。

    ユーザーID:8195599112

  • ケガをしていた時に・1

    素晴らしいトピをありがとうございます。
    前トピも涙しながら拝見していました。

    私は最近脚をケガしまして、2週間ほど松葉杖での生活でした。
    その期間、多くの方のご親切に触れて感激し
    精神的にとても救われました。

    ・病院で杖をお借りし、その帰り道。大きなカバンを持ちながら
    休み休みの帰宅途中に、通りがかりのカップルが「荷物を
    持ちましょうか?」と言ってくださいました。

    ・同じ会社の方が、会社・病院まで車で送り迎えをして
    下さいました。また、同僚の方が荷物を持って下さったり、
    ドアを開けて下さいました。

    ・雨の日に松葉杖では傘がさせませんが、通院の途中に
    傘をさしかけてくださった方が3人もいらっしゃいました。

    ・立ち寄ったコンビニの店員の方が、お店から5分ほどかかる
    私の家まで、傘をさしかけて一緒に歩いてくださいました。

    長くなりましたので、ここで一旦切ります。

    ユーザーID:6130244155

  • ケガをしていた時に・2

    続きです。
    ・病院までの送迎バスの運転手の方が、乗降時に段差で
    四苦八苦している私を見て「時間はあるから、ゆっくり
    乗って下さい」と言って下さいました。

    ・また同じバスで、同乗者の方が乗降時に杖を持って
    下さいました。

    ・同じマンションからデイサービス?に行かれるご婦人が
    送迎車に乗せて下さり、駅まで送って下さいました。

    ・電車で転倒しそうになった時、両脇から見知らぬ方が
    体を支えて下さいました。

    長くなりましてすみません。
    「一言」ではありませんが、人のあたたかさをとても感じました。
    本当にありがとうございました!

    ユーザーID:6130244155

  • 一生忘れられない言葉

    数年前、暴力的な彼氏と付き合っていました。何回も包丁を突きつけられたり、首を絞められたり、「今からお前を殺しに行く」と電話でいわれたり・・・警察や裁判所に行き、裁判所の仲介の元、私の前に二度と現れないという誓約書に彼にサインをさせて別れました。別れたあとPTSDだと診断されました。

    彼と別れた後も悪夢などにうなされ、パニック障害で外に出れなかった頃、友達などに「もっと強くならないと」「もっと自分を守らなきゃ。どうして男にそこまで言わせるほど付け上がらせたの」などといわれ、私が悪いの?と自分を責め続けていました。

    その後も自殺願望や手首を切ることがあり、半年間大学を休学し、実家に帰りました。そのとき出会った精神科医の先生が私の両親に「この子はとても強い子ですね。普通はお酒等に逃げたりするのに、この子はちゃんと過去と向き合って前に進もうとしています。」といってくださいました。両親も「そうなんです。」と言ってくれました。私の手前だったからかもしれませんが今思い出しても涙がこぼれます。
    後日、この先生は亡くなられました。32歳でした。

    ユーザーID:7515065950

  • 考え方が変わりました

    私の母が、ある精神的病気でとても酷かった頃の話です。

    常に悪態をつかれ、何をしてもののしられ、必ず私のする逆の事を望み振り回されていました。
    実の母を捨てる訳に行かず、ストレスで胃腸炎になったり、膀胱炎になったり、高熱を出しても母の面倒を見ていました。

    自分の子供もまだ小さかったので、毎日が慌ただしく過ぎて行き、私自身もボロボロになって来たときでした。
    知り合いのおばさんに「ああ言う人は、何を言っても文句を言うのよ。自分のペースで、時間がある時に面倒を見るくらいでいいのよ。死にはしないから(笑」
    と言ってもらいました。

    霧が晴れるような感覚を覚え、自分が倒れたら駄目なんだと思い直し、体を大切にしました。
    あの時、あんな風に笑って言ってくれなかったら、私もおかしくなっていたかも知れません。

    ユーザーID:6590115144

  • いや〜外では読めませんわ・・

    前トピを家で読んで号泣し、今○ター○ックスで2があるのに気付いてちょっと読んだところ、早くも目がウルウル。続きは帰宅してからにします。

    世の中まだまだ捨てたもんじゃないですね〜いい人いっぱいいるじゃないですか。

    ユーザーID:7065807556

  • ウエイトレス

    のバイト(ファミレス)をしていた10年前。当時の私は先輩に怒ら
    れてばかりいました。また、容姿に自信がなく、ウエイトレスには
    向いていないのかなあ・・・と落ち込んでいました。

    そんな時、他のバイトさんが「机の上に置いてあったよ。よかった
    ね。」と紙ナフキンをくれました。なんだろうと思ったら、制服
    を着た女子中学生(高校生?)の子達が座っていた席だったのですが、
    「ともさんの接客にとても感動しました。私もともさんのようなウエイ
    トレスになりたいです。ありがとうございました。」と鉛筆で書かれて
    いました。

    今でも覚えているくらいうれしい出来事でした。それから接客業がとて
    も楽しくなり、今でも接客業ではないものの、人と接する仕事をしてい
    ます。自分に少し自信が持てた日 でした。

    ユーザーID:1014073300

  • ありがとうございます。

    前トピのふくろうさん、そしてみみずくさん、トピを立ち上げて下さってありがとう。

    今、とてもしんどい私をまるで助けてくれてるみたいなトピです。
    私にとってはここが「他人の何気ないトピに助けられた」です。

    皆さんも、そして見知らぬ他人の皆さんも、本当にありがとう。
    ありがとうございます…。

    ユーザーID:4311090067

  • ハローワークで。

    結構前の事になってしまいますが、ハローワークで、転職先を探していて、面接を申し込む際、募集がかかっていて、募集資格は満たしているのに、面接を拒否され、一方的に電話を切られ、門前払いをされた事がありました。
    しばらく二人呆然とした後、相談員のお姉さんは、『あんな非常識な所と縁がなくて良かったですね。貴女は前の仕事での経験があるし、即戦力になれますから、別のもっともっといい職場探しましょう!』と言ってくれました。プッと吹き出して笑ってしまいましたよ、思わず。確かにそれもそうだ、と。
    あれから少しして、再就職先が決まり、今は充実して仕事をしています。あの時の相談員のお姉さんとは、相談窓口が混んでいてなかなか会えませんでした。この場を借りて、お礼を言いたいです。有り難うございました!

    ユーザーID:4116911479

  • 母からのひとこと

    小さい頃から割と厳しく、熱を出しても38℃以上ないと学校を休ませてくれないような母でした。
    私が成長するにつれ、だんだん私が何をしてもあまり口を挟まなくなり、今では割と仲のいい親子です。

    なので会社であった嫌なことや、嫌な先輩の話などもすれば聞いてくれるし、
    こちらから話さなければ聞かないし。
    会社が嫌で休みたいと愚痴れば、「休めばいいじゃん」と返してくれて
    それだけで気が休まることも多々ありました。

    ある朝、私はいつものように
    「会社嫌だな、行きたくないな。休んじゃおうかな?」とグダグダ管を巻いていると、
    「休んじゃえばいいじゃん」と母。
    「昔は熱を出しても休ませてくれなかったのになぜ?」と私も聞いてみました。

    すると母は、
    「本当は休んじゃいけないんだけど思いながら休むならいいと思うよ。monkeygirlはまじめだから、罪悪感に苛まれるだろうけど。それが休むのが当たり前にさえならなきゃ、いいんじゃないの?」

    その一言を聞いて、何となく気が楽になり、
    それ以来会社をズル休みしたいと思うことはなくなりました。

    ユーザーID:1020777908

  • 父の言葉

    出版関係の仕事で徹夜勤務も当たり前という日常を送っている私。
    それでも子どもの頃からの夢だった仕事という想いが私を支えてくれて、愚痴も不満も感じていませんでした。
    しかし大失敗。先方を激怒させ、上司にも迷惑をかけてしまいました。一気に自信喪失。かといって仕事を投げ出すこともできずに、深夜まで仕事を続けていました。
    その時、普段は電話なんて掛けてこない父から一本の電話。
    大した用事ではなかったのですが、声を聞いて、一気に緊張の糸が切れてしまい、非常階段で泣きながら「私には不相応な仕事なんだ。責任を取って辞める!」と言ってしまいました。
    父は、黙って私の話を聞いていました。
    「辞めるのはいつでもできる。頑張るのは今しかできんやろ。お父さんは、お前が逃げ出す子やないことを知っとる。目の前の石を頑張って退けたら、逃げんでも道は開けるんやから。それでも無理やと思うなら、いつでも帰ってきたらよか」
    九州男児で口下手な父の言葉は、どんな慰めよりも心に届きました。
    今も仕事に誇りを持ち頑張っているのは、父の言葉のおかげです。
    ありがとう、お父さん。

    ユーザーID:7356212326

  • 母親の手紙

    先日、兄の結婚式での事。
    2次会で母から兄への手紙が読まれました。
    兄は知らされておらず、幹事さんがコッソリ母に頼み書いてもらったそうなのですが、
    その手紙に心打たれました。

    僕の家族は、母と兄と僕の3人。
    父は母が27歳。兄4歳。僕2歳の時に病気で他界しました。
    その頃、父の病気をどうにか治せないか母は毎日電話していたそうです。

    しかし、それもむなしく父は逝きました。
    母は27歳という年齢で僕らを育てて行くことになり、
    お葬式でもどうしたら良いか分からなかったそうです。

    出棺の時、何も分かってない4歳の兄が母親に
    「お父さん天国に電話持っていったらええのに。そしたらお母さんの好きな電話で毎日お話できるやん」
    と、無邪気に言ったそうです。毎日電話していたのを子供ながらに覚えていたのでしょう。

    母は、その兄の無邪気ながらも優しい言葉を聞いて、頑張ってええ子に育てようと決心したそうです。

    ユーザーID:9565976745

  • 父の言葉、の続きです。

    身内ごとで恐縮ながら、父親からの言葉を書かせて頂きました。
    そこには続きがあって、それをどうしてもお伝えしたかったので、
    続きを書かせて頂きます。

    父親との電話からしばらく経って、元気になった私はまた仕事人間に戻っていました。
    母親と電話でおしゃべりをしていた時に、教えてもらったことです。

    「お父さんね、あの時夜勤中に電話してたんよ。電話切った後、ああは言ったけど娘はちゃんと頑張れるやろかって不安やったみたい。そしたら、あんたの声が大きくて電話の外に聞こえたんやろね、職場の人が声かけてくれたんやって。大人になった娘さんが泣き言言ってくれるなんて、幸せですねって。お父さんも嬉しかったみたい」

    心がほっこりしました。

    ユーザーID:7356212326

  • 郵便局での出来事

    先日郵便局に行きました。とても長い列が入り口まで続いていました。
    ぼーっと自分の番を待っていたところ、私の前にいた方が紙で指先を切ってしまったようでした。
    私はいつもお財布に絆創膏を持ち歩いているので、良かったらどうぞ。
    と一つ差し上げました。
    その方はとても嬉しそうに、「今日は本当についていないと思ったの。でも貴方のおかげでいい日になったわ。ありがとう。この絆創膏、とても質がいいのだけれど、どこで買えるの?」と聞いてきたので、
    「日本で買ってきたものなんですよ。」とだけ答えると、
    「日本のものは本当にいいものばかりよね。貴方もいい人。」とおっしゃってくださり、お世辞でも嬉しかったのですが、それから列の後ろに並んでいる人たちも口をそろえて、
    「日本製は何でも良いものばかりだよ!」と皆さん笑顔で言ってくれました。
    他愛もないことかもしれませんが、私はアメリカに住んでいて人種差別を受けることも多々あります。そんなとき、日本人である私、日本の製品をこれだけ認めてくれる方々に会えたことが嬉しく感じました。

    ユーザーID:9168475447

  • 目頭アツいです。。。

    ネットをうろうろして偶然見つけましたが、
    皆様の話しを読んでるだけで胸がきゅー!ってなりました♪

    恥ずかしながらですが、自分の価値観を変えてくれた話を。


    小・中といじめや嫌がらせを受けてたりで
    そこそこ人間不信になり、上辺の付きあいで人との距離を
    とるようになっていた高校時代。

    誰にも頼らず自立したくて初めてバイトを始めました。
    もちろん(?)そこでも最低限の仕事上での関わりしか持ちませんでした。

    普通の人ならそういう人と割り切るんでしょうが、
    そこの人達は真逆で、正面から説教してくれました。
    『そんなんじゃ楽しくないだろ!○○ちゃんは俺らが変える!』って。

    暑苦しいくらい熱く、『止めてくれっ』って思う程からんできたり。

    でもそれがとても嬉しくかったんです。
    そして人を頼ろうとしない自分に
    『迷惑はかけるから迷惑っていうんだよ。だからもっと頼って迷惑かけてね♪』
    あの時の自分には一番欲しかった言葉だったと思います。
    夜とはいえ、街中で泣きました。

    今でも感謝してふとあの時の人達を思い出します。

    ユーザーID:6575596647

  • 高校生の時

    いいトピですね。どの話も泣けます。
    わたしもありました。高校生の時、部活動でごたごたが続いていた時、何故かご飯が食べられなくなりました。まず、食欲がわかない。食べても吐きそうになる。

    そんな日が2か月ほど続きました。

    ある日、部員とご飯を食べに行った時、(あいかわらず食欲はありませんでしたが…)列の最後尾を歩きながら、部活のOBの先輩とメールをしていました。

    私「なんか最近おかしいんですよね。ご飯が食べれないんです。」

    そこでこれまでのことをメールしました。すると

    先輩「そうか、お前、辛かったんやな。」と。

    このメールを見たとき、初めて自分が辛かったことに気がつきました。辛いことに気がつかないほど自分はおかしくなっていたのだと。

    その後、街中の道路だったにも関わらず(人通りはほとんどありませんでした)うずくまって泣きました。

    泣いて、泣いて、そしたらすっきりしてもとに戻ることができました。

    この場を借りて、先輩、ありがとうございました。

    ユーザーID:0126172593

  • 隣のおばあちゃん

    一言、では無いのですが…

    数年前、乳幼児の育児の大変さを痛感していました。
    自由も利かず、元気な子供達。
    若い母親だからとバカにされないよう、躾も大事だと気負いすぎ、
    いつしか、叱るが怒るに変わり…話し方も怒鳴り口調に…手も出す始末。
    育児ノイローゼ気味だったと思います。
    そんなある時、隣のおばあちゃんに回覧板を渡しに行きました。

    「あら、こんにちは。おちびちゃん達は?」
    「昼寝した所です。」
    「そう、あなた偉い偉い、子供達もいい子いい子。偉い偉い」
    「いやいやいや!いつも怒鳴り声聞かせてしまってすいません」
    「えっ?何も聞こえない聞こえない。そんなの気にしない気にしない。」
    「ホントすいません(絶対そんなはず無いのに…)」
    「あなた達大好きよ、今度お茶でも飲みにいらっしゃいね。
     もちろんおチビちゃん達も連れてね。コレ、お口汚しに貰って頂戴?」

    と、近所で並んで購入したであろうお菓子をくださいました。
    子育てに自信喪失し、迷走していた私を心身共に元気にしてくれました。
    今はこちらが近所に引越したのですが、敬老の日には必ずお土産を持って
    遊びに行くようにしています。

    感謝!

    ユーザーID:6563450704

  • 電車のホームで

    素敵なトピ、私も参加させてください。

    看護師として就職して間もない頃、仕事で辛いことがあり落ち込んでいました。一人じゃどうしても心を支えきれなくて当時付き合っていた彼の部屋へ向かおうと電車に乗りました。休日の朝早い時間、電車も人がまばらです。
    ホームで彼に電話をかけるも、「ごめん、今来られても困る。」と拒絶。
    ただそばにいたかっただけなのにやっぱり迷惑だったかな、とその場で泣き崩れてしまいました。
    どうにも心細くて周りに人がいないのをいいことに、一人うずくまっていたんです。10分くらいしていつまでもそうしていられないと立ち上がったときでした。

    スーツをきたおじさんがペットボトルのお茶を私に差し出して、「明日はいいことあるよ!」と言って、手を大きく振り立ち去っていきました。寒い日の朝、お茶は「温」でした。
    温かいお茶と一緒に、温かい気持ちをいただきました。

    私もさりげなく人を励ませることができたらいいな。

    ユーザーID:4448125321

  • 祖母と交わした最期の言葉

    身内のお話で僭越ですが祖母のお話です。
    私は事情で親がおらず祖母には母代わりで育ててもらいました。
    自営をやっている祖母宅には先住の長男夫婦(私の叔父夫婦)が住んでいて
    叔父嫁が私を気に入らなかったようでイビリ倒されていました。
    「あんた(私)は幸せになれない、親がいないんじゃ結婚も無理、
    お可哀想だこと、ふん」と嘲笑いされました。
    1人暮らしを初めて23歳の時、電話で祖母に「将来、私なんて結婚無理だよね、親がいないし実家もないし。身の上話打ち明けたら逃げられるね」と聞きました。
    祖母は「そんな事ない。やっこちゃんを愛する人は必ずいる。逃げて行く人は本当の愛じゃないよ」と言ってくれました。
    それが最期の会話でした。
    祖母亡き後、数年して、祖母の言う通り、身の上話をした時に私の目を見てプロポーズしてくれたのが今の夫です。
    私側の親族列席者ゼロで彼と彼親族に見守られ結婚をしました。
    祖母が天国から祝福をしてくれていたと思います。

    ユーザーID:4200073564

  • 若い頃

    嫌で嫌でしょうがなかった職場を、それでも何とか2年勤め退社し、その後働くのが怖くて4ヶ月ほど無職で過ごし、そろそろ仕事探さなくちゃと派遣登録に行きました。

    簡単なテストを受け、早速紹介したい仕事があるということで話をしていると、その係の女性が
    「あなたがいるだけで、そこがパア〜ッと明るくなるわね。」
    と言ったんです。

    その頃の私は自分に自信がなく、苦手なサービス業で2年働いた反動で人には会いたくなくて半分引きこもりのようになっていた時期だったので、その言葉は本当に意外で、でも暗くていてもいなくてもどうでもいいんだろうなと思っていた自分を、そんな風に見てくれる人もいるんだとなんだかうれしはずかしの気持ちでした。
    暗い気持ちを打ち明けて励ましてもらったというのではなく、本当に何気ない一言だっただけにうれしかったです。

    結局その仕事はお受けしなかったんですけど、その言葉を支えに自分にぴったりの職場を見つけることが出来、今ではお局になってます。
    仕事に行くのが楽しいと思える職場に出会えたのは、あの時の一言のおかげだと、今でも感謝しています。

    ユーザーID:7867139031

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