他人の何気ない一言に助けられた<2>

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みみずく

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  • 真実にめをむけること

    臨月に元夫(当時はまだ夫)の借金や浮気など様々な問題が露呈。
    そんな問題山積で離婚間近だった私は誰の立会いもなく実家の産院で出産しました。
    産後の不安もあってか翌日深夜2時頃、当時元夫と住んでいた地域でお世話になってたおばさん(亡き母と同年代)にメールしてしまいました。
    「いろんなことが頭をめぐり、眠れない」と。
    そしたらなんと、起床後に目を通す程度だと思っていたのに早々に返事が届き「大丈夫?今日はもう寝なさい。明日時間があるなら伺うわ」とのメールでその日は終わりました。
    翌日、電車で2時間もかかるところをおばさんは来て、ひたすら私の話を聞いてくれました。
    そしてやっと口を開いたおばさんに言われた言葉。
    「あなたは悪くない。そんな大そうなこと、一人でかかえてよくがんばってきたわね。だけど正直いうと今まであなたはご主人の真実をみようとしてなかったのね。真実はつらいかもしれないけどきちんとみることは大事。」
    との一文がとても印象に残ってます。
    その後も元夫の愚行は噴出しましたが三行半を叩きつけ、私は産後間もない息子をかかえて離婚しました。
    おかげで今は楽しい日々です!

    ユーザーID:2591382363

  • 出産後の病院で

    2度目になりますが、1度目のレスに書いたように私は離婚間近ということもあって完全個室の産院ではほぼ一人の状態。
    よそさんはご家族・ご主人と訪れてるのに。

    そんな中、産院での授乳指導の時間。
    人生初の授乳。
    期待に胸膨らませて部屋へ行くと、出産日時の近い5名ほどのママさんたちと一緒になった。
    完全個室の産院ゆえ、そこでよそさんと仲良くしゃべるわけでもなくそれぞれに着席。

    指導する看護師がやってきて「では〜のようにやってください」との言葉。
    いざ息子に授乳しようとするも息子は拒否・・・私は焦り。
    「なんでくわえないのかな〜」と思ってたところにその指導看護師の言葉が・・・
    「ほら!もっとちゃんと赤ちゃんのクチに乳首つけて!!」ととてもキツイ口調で、私の胸をつかみ息子の口元へひっぱる始末。
    私はそれに怒りよりも「この人、何者?」って残念な驚きのほうが強かった。

    そんな私を見てた隣に座ってたママさん、
    「だいじょぶ、だいじょぶ!最初はみんなできなくて当然!わからないもんね!」
    と笑顔で言ってくれました。

    あなたのその一言で心が軽くなりました。

    ユーザーID:2591382363

  • 生き返った瞬間

    私が若い頃は、似た者同士なせいで喧嘩ばかりしてた
    大好きな父が自死して四十九日も経たないある日、
    実家に行くために駐車場に向かっていると
    知らない小学生の男の子が目をキラキラさせて話しかけてきた。
    「こんにちは!あんな!あっちですごい大きな虹がでとってん!!すぐに消えてもてんけど、ほんまおっきかってん!!」
    本気の嬉しい報告に、思わず私も興奮して
    「えー!見たかったな〜!」と叫んでしまった。
    男の子の背中を見つめながら、私まだ笑えてるわ…
    と安心した。

    ユーザーID:5139714706

  • 美しい外国の方に救われました。

    20歳の時、今はもう理由も思い出せませんが、辛い事があり妙切れなくなって駅の片隅で泣いていました。

    すると、綺麗な外国人のお姉さんが近くに来て、心配してくれたんでしょうね。
    私をぎゅうっと抱きしめてくれたんです。
    そして片言の日本語一言、
    「だいじょうぶ、あしたはきっとしあわせ」

    泣き止むどころか胸が一杯になって余計泣いてしまいましたが、私が落ち着くまで抱きしめててくれました。

    連絡先も名前も聞けなかったけど、ずっと感謝してます。

    ユーザーID:4660117298

  • 私の傘の話

    駅に向かう途中、雨が降ってきて、ちょこちょこ雨宿りをしながら、向かっていました。本格的に降って来ちゃったなあ・・・でも、あの信号を渡ってちょっと走れば・・・と思い、飛び出そうとしたその時。

    白髪の紳士が、さっと傘に入れてくれました。
    「すぐそこですから、大丈夫です。おじさんの素敵なスーツ、濡れちゃいますから・・・・」と、遠慮したのですが、
    「大丈夫、大丈夫、クリーニングに出せば済むことなんだから。
     それより若い女性が雨に濡れて歩くものじゃないよ。
     まるで悲しいことがあったように見えるから。女性は花、だけど
     水をかぶったら、傷んでしまうからね。自分を傷つけてはいけないよ」
    とニッコリ。

    実は、本当は悲しいこともあったんです。ズドーンと落ち込んでいたんです。でも、さらに自分を責めて自分を痛みつけてたような日々でした。偶然かもしれないけれど、まるでそれを見抜いていたような・・・。

    駅まで他愛のない話をして、それじゃ・・とスマートに去っていた紳士、素敵だったなあ。

    ユーザーID:5498444289

  • 生活・身近な話題ランキング

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  • 40年前の一言

    それは私が小学校3年か4年生だったときのこと。学校の校庭で日が暮れるまで夢中になって遊んでいた私は家に帰る時間が過ぎているのに気がつきました。一緒に遊んでいた1年上の男の子とは帰り道が途中まで同じ方向でした。暗がりを一人で歩いて帰るのは怖かったので私は自転車に乗って帰るその男の子のスピードにあわせ、一人にならないよう一所懸命走っていました。
    “がんばれ大口!がんばれ!”横で走っている私に向かってその男の子は応援してくれました。その頃、私は自分の口にコンプレックスをもっていたのでそんなふうに言われ、不思議な気分になりました。いじめられているのか応援してくれているのか、なんとなく私のこと好いてくれているような・・。40年たった今、まるで昨日のことのように思い出されます。“がんばれ大口!がんばれ!”今ではコンプレックスから開放され、大きな口がかえって魅力的と自分では思えるようになっているのでくじけそうになった時その言葉を思い出しています。その男の子は今の私よりも今の私の息子たちよりもずっとずっと小さかったのに、なぜか私の心の中ではその言葉と共に大きく見えているのです。

    ユーザーID:8793356498

  • 他人ではありませんが

    高校を卒業して都会で一人暮らしを始めて3カ月たったころ
    実家の母から小さな箱が送られてきました。
    私は9歳の時、実母を交通事故で亡くし2年後父が再婚、その継母からの小荷物です。
    箱を開けるとごくありふれたお菓子が入っており、こんなもの送ってこなくてもと苦笑しました。
    そして箱の底には一通の手紙が。
    貧しい家に生まれ、満足に学校へも行けなかった母が鉛筆で書いたたどたどしい手紙でした。
    元気ですか、体に気をつけてとごくありふれた内容の手紙でした。
    読んでいて涙が出て止まらなくなりました。
    私は実母を亡くして以来、頑なに心を閉ざした少年でした。
    そんな私に対し、母は農作業、家事、育児(父と結婚後生まれた妹)と忙しいのに一生懸命気に懸けてくれました。
    でも私はなかなか心を開くことができませんでした。

    そして家を離れてやっと母の優しさに気付きました。
    自分がとても運のいい恵まれた人間だと。
    ありふれた事、当たり前の事などないのだと。

    あれから40年、父は亡くなり母は田舎で一人暮らし。
    妻も母に、心配だから一緒に暮らそうと誘うのですが
    母は父と暮らした家を離れられないと言います。

    ユーザーID:3930553435

  • 電車の中で聞こえてきた声

    20代前半で社会に出たばかりの頃でした。当時の私は今で言うモラハラ男と交際していました。

    モラハラ男から前夜に電話で数時間に渡って、人間失格、卑怯者、ありとあらゆる罵倒を浴びせられ、その日「もう死んだ方がいいのかな」と思いながら通勤電車に乗っていました。考えないようにしても頭の中で浴びせられた罵倒が蘇り、堪えてもじわっと涙が浮かんでいました。
    その時、同じ車両のどこかから
    「辛いことがあると、辛くて辛くて、これ以上辛いことなんかないって思うし、この辛さはずっと消えないんだって思うくらいに辛いけど、時間が経つと『なんであの時、あんなことくらいで辛いなんて思ったんだろう?全然辛くないや』って思うんだよ。だからね、ちょっとだけ時間が経つのを待てば辛くなんか無くなるんだよ」
    と若い女性の声が聞こえてきました。多分同行者に話していたのだと思います。

    偶然居合わせただけですが、その瞬間、涙はぴたっと止まり、まさにぱあっと目の前が開けた気分でした。
    帰宅後すぐ私は電話でモラハラ男に別れを告げ、多少揉めましたが逃げ切りました。

    あの時の女性の声、ずっと忘れません。

    ユーザーID:7214994295

  • 姉からの言葉

    私は4年半ほど前、結婚して初めて妊娠しましたが、産婦人科で2回目の検診のときに稽流流産だと診断されました。
    食生活がいけなかったのか、普段の行動がいけなかったのか、何が問題だったのか分からず自分を責め、落ち込む私に姉はこうメールをくれました。

    「あなたは悪くないよ」と。

    姉には娘と息子がいるのですが、その娘と息子の間に同じ稽流流産で二人も流産しています。その時私はまだ独身で、稽流流産という言葉はおろか流産のつらさなど全く知る由もありませんでした。悲しんでいる姉に私は何て言っていいのか分からず、何もしてあげられなかった私なのに、姉は「あなたは悪くないよ」と何度も何度も励ましてくれました。

    あれから未だに子供には恵まれてはいませんが、私にとって姉も姉の言葉も宝物です。

    ユーザーID:0237091983

  • 先生の言葉

    小学校6年だった頃、私はおとなしくて人見知りでクラスになじめなくて、ほとんど何をするにも一人で行動し、いつもクラスの子たちから浮いていました。毎日楽しくもない学校へ行くのがとても苦痛でした。

    ある日、わたしが髪を短く切って学校へいったら数人のクラスメートの女子がわたしの髪型をからかってきました。
    それを見た先生はさりげなく「じんちゃんの髪型かわいいやんか、先生大好きや。だってほら先生とおんなじ髪型やもん。おそろいや」
    と、先生が言ってくれたました。その先生も短髪だったので「おんなじやで」って言ってくれたその言葉がとても嬉しく、今思い出しでも温かい気持ちになれます。自分にとって忘れられない一言です。

    ユーザーID:2452837028

  • 思い出しました


    いいトピですね〜。
    仕事中なのに目に涙を溜めてずっと読んでます。

    15年ほど前、遠距離でしたが心底惚れていた人がいました。
    サプライズで会いに行ったところ、二股をかけられていたことが判明。
    しかもその人は同棲中。私が非難すると「言ったと思っていた」と飄々と言い放った彼。
    発狂するかと思うほどのショックでした。
    毎日泣いてばかりで、何とか彼の気持ちを取り戻せないかと悶々と考えていたところ、
    そんなこと全く知らない友達からふと「どんぐりこはずっとどんぐりこのままでいてね」言われました。

    振られた自分、彼をバカみたいに信じきっていた自分を卑下し、嫌悪しまくっていたときだったので、
    「こんな私でも評価してくれる人がいるんだ。自信もっていいんだ。私は悪くないんだ」と思えました。

    今ではその彼の顔すら思い出せません(笑)。

    ユーザーID:3778820883

  • 相合傘をしてくださった女性

    1年間限定で東京勤務をしたとき。
    なれない地下鉄通勤で、ぶつかっても謝らない人等がとっても
    ストレスでした。(田舎ならぶつからないし、ぶつかったら謝り
    ますし)
    やっぱ東京って最悪〜と思い始めた頃、職場を出たらぱらぱら雨が
    降っていて地下鉄の入り口までちょっとあるけどまあいいか〜と
    あるきはじめたところ、横からすっと傘をさされて
    「地下鉄までご一緒しましょう」
    と声をかけてくださったのは、雑誌にでてきそうな綺麗なOLさん
    でした。
    どきどきしてお話も何にもできませんでしたが、東京も捨てたもの
    じゃないのね〜とささくれていた心に油をさされた気がしました。
    (ちなみに私も女性ですが)

    ユーザーID:1925547161

  • 親のハナシ

    本当に涙がちょちょ切れるレスです…朝から目が腫れました(笑)

    なんか、こう…本当に、たった一言なのに「すとん」とくるのですね
    「言わされた」ではなくて、「本当にそう思ってくれている」と感じるから、ほんの一言でも嬉しくなります。


    自営業の父とは全く上手くいかず、店を畳んでからも何を話していいのかわからずに喧嘩はせずとも一緒にいても話すこともなく、食事以外で席を一緒にすることもありませんでした。4年間留学を経て帰ってきてからはなお更に。

    結婚、退社、引越し、就職が一度に決まり、ノイローゼ気味で毎日一人深酒に走っていた頃がありました。実家に忘れ物をとりに、誰もいない時間を見計らって帰った時、
    一人でゴルフを見ていた父がいてびっくり。そしたら

    「たまには帰ってきてもいいんだぞ」

    という一言が。もう70才近くで、背も随分と小さくなった父の背中越しに言われた言葉に、「うん」としか応えられず。が、「あぁ、お父さんだ」と思いました。それだけだったのですが…とてもとても泣きそうになった一瞬でした。

    親って、凄いですね。本当に凄いです。

    ユーザーID:3293261912

  • 鬱の時に

    数年前、鬱で仕事を辞めて無職になっていました。
    いつまでもそんな状態が辛くて、医療事務の資格を取ろうとスクールに通うことに。
    たまたま、以前の職場の先輩(鬱のことは知りません。)にそのことを言っていたのですが、
    スクールには一日行っただけで周りのやる気満々な雰囲気に「あぁ、ムリだ…」となり、
    速攻辞めてしまいました。
    理由を言わずに辞めたことだけを先輩にメールした時に、
    「どうして?なにかあったの?」と聞かれるかな〜と思っていたのですが、
    「そういう時もあるよ。まあ、焦らないでゆっくり行こうよ。」
    という返信が。

    そういうキャラでなく、いつも私を茶化してくるような人だったので、余計ジーンとしました。

    鬱が良くなった今でも、その人は良い友人です。

    ユーザーID:0523654996

  • いいお話ばかりです。

    一年ほど前のことです。
    当時付き合っていたモラハラ男と別れられず、家族や友達に心配をかけてしまいました。
    別れるなら今までお前に出したご飯代などを返せと言われ、心身共にぼろぼろでした。
    何ヵ月もかけてやっと別れられたとき、やはりお金を要求してきたので、家族と友達に相談し、もし押し掛けてきた時はご迷惑おかけします、と言いました。
    そして、やはりモラハラ男は職場に来ました。体が震え上がったのを覚えてます。
    家族に報告したところ、その後、父がモラハラ男が来た時間に合わせて見えないところで見張ってくれるようになりました。

    もし来たら俺がいってやるからお前は安心して仕事をしろ

    と言ってくれました。
    そして母も、

    もし何かあったらお母さんが弁護士なりなんなり雇うし、だからあんたは堂々としていなさい。大丈夫。

    と言ってくれました。
    二人の言葉にどれだけ救われたことか。
    祖母にも心配をかけてしまい、家族の愛を改めて感じました。
    その時から、家族を大切にしなくてはと常に考えるようになりました。

    家族愛って、すごい。

    ユーザーID:8582196349

  • 古いけどピカピカ

    私の生まれ育った家は、かなり古く、お風呂はもちろん五右衛門風呂、トイレもボットン汲み取り式(ほぼ枠しかなく大人でも落ちそう)、部屋も襖で仕切られただけなので、自分の部屋と言える部屋もなく、とにかく嫌で嫌でたまりませんでした。結局私が成人した頃に父がやっと新しく建て替えてくれたのですが、随分経ってその話を幼馴染みと笑いながらしていると、その子が「確かに、ウチコん家は古かったけど、家の中はいつ行ってもピカピカだった」って言ってくれて…。その時ハッと気付きました。そうだ、おばあちゃんだ!おばあちゃんが毎朝決まった手順で家中をキレイに掃除してくれていた!幼馴染みに言われるまで気付かないなんて、バカバカ私。でも本当に嬉しくて、おばあちゃんにも幼馴染みにも感謝しています。ありがとう!

    ユーザーID:4384319524

  • あなたは大丈夫ですか?

    昔、クリーニングの配送のバイトをしていました。
    ものすごくスピードを要求される仕事で、積み込みも1人でしなくてはならなかったため、
    車で移動する時間を急がなければなりませんでした。
    つい、慌てて細い道でスピードを出していると、前方のワゴン車に軽くぶつかってしまいました。
    相手の運転手さん(男性)は赤ちゃんを車に乗せていました。
    警察に行き、お互い体も車も無事だった為、
    ひとまず口答で謝罪しました。
    かなりテンパっていたので、半泣きでした。
    すると、相手の男性はニッコリ笑って、
    「あなたは大丈夫ですか?仕事のほうは?」
    と言って下さったのです。
    その男性は赤ちゃんも一緒だったので、とても心配しただろうに…
    世の中には良い人もいるんだな、と感動してその日は泣きながら帰りました。

    ユーザーID:0523654996

  • 昨年の夏

    炎天下の外回り営業とキツイ上司に耐えていた真夏の夕方、
    通勤時間帯に入り、家路を急ぐサラリーマン達に逆行して
    疲れきって会社へ戻る途中、ふいに片方の靴が脱げてしまいました。

    すれ違う人々に蹴飛ばされ、ポーンと飛んでいく私のパンプス。
    よろよろと追いかけ、やっと捕まえました。
    履き直そうと立ち止まると、邪魔だとばかりに舌打ちして通り過ぎる人達。

    早くしなきゃ、と思うほど体がグラグラして、なかなか履けない。

    「Are you alright??」

    白人の中年女性が、肩を差し出してくれました。
    突然現れた優しい笑顔に驚きながら、何度もお礼を言って靴を履きました。

    心がパッと晴れたようになり、元気が出ました。
    オバチャンどうもありがとう!!

    ユーザーID:4861949897

  • 先生の一言

    私の父は障害者で、自分が中学生の頃、それがとても嫌でした。
    友達にも自分の父が障害者であることは言わず、ずっと隠していました。

    ある日、クラスで「障害者スポーツ」について調べよう。
    という課題が出ました。
    たまたま私の班は、私の父が趣味でしている障害者スポーツの担当になりました。

    何日もかけ、インターネットや図書室で本を借りてきて調べている班が多い中、私の班は課題が出たその日の夜に父に聞いてきた為、次の日には提出できました。
    先生に提出したとき、「なんでこんなに早いの?」と聞かれ、
    「私の父が障害者で、このスポーツが趣味なんです」
    と答えました。
    言い終わる直前、涙があふれてきて、ずっと下を向いていました。
    すると先生が
    「ラッキー!じゃあもうひとつ質問があるの!これなんだけど、お父さんに聞いてきてもらえないかな?」
    とまた新たな課題を出されました。

    今まで十何年も悩んでいたことが、「ラッキー!」と軽く流されてしまいました。
    でもそれが私には意外で、そして嬉しくて、
    「私が考えていたことなんて、ちっぽけなものなんだ」と思えました。

    ユーザーID:4645662097

  • 飛行機で

    海外在住で出産後初めての帰国。5ヶ月の子供を連れてのフライトは不安でいっぱいでした。迷惑をかけないようにと子供が一番寝てくれる深夜便で帰りました。
    ところが予想に反して子供が寝てくれず、泣きそうになったら抱いて人がいなかった後部座席を行ったり来たりして一晩過ごしました。もちろん機内食は食べれず・・
    日本に到着して最後に子連れで機内を出た所、トイレの前でおばちゃんの団体さんがぺちゃくちゃおしゃべりしていました。その中の一人が子供に向かって「泣かないで良く頑張ったわねえ、偉かった、偉かった」と褒めてくれました。公共の場所での子連れは日本では嫌がれると聞いていたので他の人に迷惑をかけないようにと気を張って結局、一睡もできず徹夜のフライトでした。その一言で気が緩み、涙がポロッっとでてしまいました。
    あの時はどうもありがとございました。私もそんな一言が言えるおばちゃん目指しています。

    ユーザーID:8090407881

  • おかえりなさい

    ベストトピ賞の記事から来ました。
    以前は発言小町をしょっちゅう覗いていましたが、今は育児休暇を取っているところです。笑

    ということで是非とも私の経験も書かせてください。他の皆さんの投稿を読んでいないので、既出でしたらすみません。

    私は25歳で外国籍の夫と国際結婚をしました。その時はまだ日本に住んでおりましたが、数年後には国外に転居することが決まっていました。楽しみ半分、寂しさ半分。

    友人と海外旅行に行った時のことです。帰り成田空港に着くと、

    Welcome to Japan
    おかえりなさい

    という看板が出てきました。

    私はこの、ひらがなの“おかえりなさい”にやられて、涙が出てしまいました。なんて温かい言葉なんだろう。私の帰るところはここなんだ。国外に引っ越して辛いことがあっても、いつでもこの言葉を思い出そう。私には、帰る場所が、迎え入れてくれる家があるんだということを思い出そう。

    そう思いながら、今海外で暮らしています。

    まぁ夫と喧嘩して、何度日本に帰ろうかと思ったことか。笑

    ユーザーID:3785925124

  • 車が動かない

    雨の日の夜遅く、夫を早く迎えに行こうといつも通らない近道を選択してしまいました。
    細い道、あまり車が通らない道で道路の隙間にタイヤが挟まって動けなくなってしまって、外に出て押してみましたが動くはずもなく、途方に暮れていたら一台の車がゆっくり通り過ぎました。
    するとバックしてきて「どうしたの?」30代くらいの男性が声をかけてくれました。訳を話すと「ちょっと待ってて、これ軽だから家に帰って大きい車を持って来るから」
    五分くらいするとその人が車を乗り換えて来てくれました。
    二台の車を繋げてひっぱってくれました。
    お礼のお金を渡そうとしたら「いらないよ、それより気をつけて帰ってね」
    と、受け取ってくれずにいってしまいました。

    しばらく涙が止まりませんでした。
    ありがとうございました。

    ユーザーID:5277472362

  • 母の「幸せ」って

    良いトピに勇気をもらっています。
    今度は私が書く番かと。

    私は父を小6で亡くし、母が1人で頑張って私を育ててくれました。
    大学生になり実家から離れ、以来母とは別々に暮らしており、現在母は1人暮らしです。

    年に1回、母が私の街に遊びにやってきます。
    実家よりは都会だからなのでしょうか。母の友人をたくさん連れて。
    私は1日がかりで皆さんの観光案内に徹することにしていますが、これがなかなか大変で(笑)

    で、別れ際に母のある友人が「しっかりした息子さんでいいわねえ」と母に言ったとき、母が、
    「本当に幸せです」
    とぽつりと一言。

    ふだんそんなこと絶対に言わないのに。

    「多くの人から幸せをもらい、多くの人に幸せを与えられる人になりなさい」という母のメッセージだったのか
    もしれません。

    普段何もしてあげられないことをいつも悪いと思って日々暮らしていますが、
    この年になっても母には教えられることばかりです。

    いつまでも元気で、そして幸せでいてほしいものです。

    ユーザーID:8539755536

  • 何気ない他人に向けられた一言

    20代の頃の私は頭でっかちで空回りばかりしていました。
    理想型ばかりにこだわり、この方法だと少し違うからダメだ、環境がダメだ、恵まれていない等々、今から考えれば恥ずかしい言い訳ばかり考え、行動には移さないダメな状態でした。

    そんな時、恩師がポツリとこう呟いたのです。
    「あいつ、もっと楽にすればいいのに」

    あいつとは友人のことで、その友人も私と同じように考えが固まってしまっていた人物でした。

    他人に向けられた言葉だったから余計なのか
    その言語は妙に私の中に入ってきました。

    「そうか、楽に考えてもいいんだ」

    そう頭に浮かんだとたん、目の前が明るくなり肩の力が抜けた感じがしました。
    楽に考える=怠ける じゃないよな。
    理想型と少し違っても臨機応変に考えた方が楽しいし、前に進む。
    そっか!
    理想型と外れる=妥協 じゃなく「前進」なんだ!

    そんなことが一気に押し寄せました。

    この時がキッカケに何かが好転し、当時の理想型ではないけれど今、満足のいく仕事に就けています。

    ユーザーID:6857645442

  • 愛情を感じた

    身内からの言葉ですが。

    幼少期に実の両親が離婚。その後、父と継母、そして継母との間にできた妹と父方の祖父母とともに暮らしましたが、私は自分が父の離婚を証明してしまう存在、本当はいない方が良い子供なのだと思いながら育ってしまいました。

    そしてどこか家族の愛情に対する不信感のようなものを拭いきれないまま大学進学時にその家を出ました。

    そして夏休みの帰省時。
    祖母がTV画面に映る女子アナを指して「お前もこの仕事をすればいいのに」と軽く言ったのです。

    アナウンサーになる気も、そんな要素も全くない私はびっくりして「何を言い出すん〜?」と笑いながら返すと祖母は

    「あの仕事なら、離れてても毎日お前の顔が見れるなぁ思て」

    その言葉を聞いた途端、涙が溢れました。
    「なれるわけないや〜ん」とやっとのことで言った後、トイレに駆け込み声を殺して泣きました。

    私に対する同情や気遣いで言った言葉ではなく、純粋に私のことを愛してくれているのだと、強烈に感じられた言葉でした。
    あぁもうこれで充分だと感じました。

    今でも思い出すと鼻がツーンとしながらも心が暖かくなる大切な言葉です。

    ユーザーID:6857645442

  • 精神科にて

    眠れない日がずっと続いていて、周りの物音や苦手な景色を見ると怖い!と思う日々が続いていて、「私はノルウェーの森に入ってしまったのだろうか?」、「成年被後見人とかになって親兄弟にも見捨てられるだろう。」と絶望の中にいた時に、精神科のお医者さんに「たくさんの能力を失ってしまったように思います。もう元に戻れない。。今までも泣きながら生きてきたけれど・・。」と言ったところ、「人は能力がなくても生きていけるよ。」と言われました。その時、泣けて来ました。。。一すじの救いを見出した気持ちでした。ちなみに今は病気も良くなって、元気に働いています。もっと辛いこともあるかもしれないけど、今までの人生のどん底の時にかけてもらったひとことです。一生忘れられないです。

    ユーザーID:6040851688

  • 「大丈夫だよ」

    幼稚園の頃、ある伝染病にかかり、隔離入院をしたことがあります。
    小さいので何が悪いのか自分でわからず、「全然知らないところに閉じ込められる」「私しんじゃうの?」とただただ恐怖でした。
    母が先生に説明をうけている間、私は廊下の椅子で待っていたのですが、ぽろぽろと涙が出てとまりませんでした。

    そこへ大学生くらいの(子供目線だったので、もしかしたらもっと若かったかも)お姉さんが、すとんと隣に座り、「どうしたの?」と聞いてくれました。
    私は「入院するの」とだけ言って、また泣いてしまいました。
    そうしたらお姉さんは、何度も何度も「大丈夫だよ」と笑って話しかけてくれました。
    その後、母が戻ってきた時にはそのおねえさんはいなかったのですが、私は泣き止んで、何故かアイスを食べていたそうです。多分お姉さんが買ってくれたんだと思います。

    おかげさまで入院はしたものの、探検ごっこをしたり、普段買ってもらえない漫画をよんだり、隔離生活を満喫しました(笑)(後に誤診だとわかったオチつき)

    おねえさん、あの氷あずき、おいしかったです。ありがとうございました。

    ユーザーID:7961739546

  • 本当に泣けた

    泣きたいと思ったときこのレスを見つけちゃった!
    泣けるいい話ばかりで、思い切り泣いて心が洗われました(笑

    そう言えば私も。。。
    6年前、義母がクモ膜下出血で緊急手術したときのこと。
    当時無職の私が一人で病院の付き添いと義父の面倒を見ることに。
     
    夫と一緒に義母のオムツを買いにドラッグストアに立ち寄ったとき
    何も手伝わないのに口ばかり出す義弟夫婦に対する不満を、つい夫にぶつけてしまいました。
    店内で大喧嘩になり、目に涙をためながらオムツを選んでいる私に年配の男性店員さんが近づいてきて
    『ご主人はご家族の入院に気が動転しているだけ。必ずあなたに感謝するときが来る。』と慰めてくださいました。
    涙が止まりませんでした。

    翌日、夫が私に謝ってきました。自分に代わり両親の面倒を見てくれて感謝していると。
    1ヶ月後、義母が無事に退院。義母の留守中義父に家事を叩き込んだ私はお役後免に。

    夫と喧嘩したときは、未だにドラッグストアの店員さんの言葉を引き合いにしています。

    ユーザーID:5515816357

  • 激しく落ち込んでいたときのこと

    みなさんのエピソードに思わず目頭が熱くなり、初めて投稿します。

    数年前、自分の失敗で仕事がことごとくうまくいかなくなり、自分には能力がないんだ、ダメな人間なんだと激しく落ち込んでいた時期がありました。
    人間関係にもつまづき、遠距離の彼との仲もこじれ、そうするとたちまち負のスパイラルにはまっていき、幼少期の家庭でのトラウマにも苦しめられるようになりました。
    そんな中でも仕事はとても忙しく毎日徹夜か終電。真冬の寒いなか、辺りが寝静まった時間に一人暮らしのアパートに倒れこむように帰宅し、孤独を感じて号泣する毎日。
    心身ともにボロボロでした。

    もうダメだと思った時、友達に自分の苦しい心境を吐き出すようなメールを送りました。
    返信はすぐに来ました。

    ──『たとえば君がいるだけで心が強くなれること 何より大切なものを気付かせてくれたね』
    っていう米米の歌、自分にとってあれはちよこの存在そのものだよ。

    恋愛の歌だと思っていたのに、女友達にそんな風に言われるなんて。
    彼女との信頼関係や結びつきの強さを感じ、ひとりじゃないんだと立ち直れました。

    ありがとう。

    ユーザーID:6200143353

  • 苦いコーヒーの味

    大学受験をすべて失敗し、2次募集の要綱を携えて、行きつけの喫茶店に。
    「ブレンドください」カウンターに1人座り、溜息をついている私に
    さりげなく事情を聞いてくれたマスター。話し終えた時にはブレンドのカップは空になっていました。

    「曇った顔は似合わないよ」といつもはカップボードに飾ってある素敵なカップに注がれた、もう一杯のコーヒーと10円玉をを私の前に置き
    「東京で寂しくなったら、コレクトコールで電話しておいで」って。

    あれから24年。駅前の再開発でお店はなくなってしまいました。
    結局、2次募集は受験せず、専門学校に進み、就職し、結婚、2児の母になりました。

    マスター、コーヒーごちそうさまでした。

    ユーザーID:3099451813

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